Side:リアス・グレモリー
少々過保護な兄と父が見守る中で行われた、まるで地獄の責め苦を味わう様な公開授業が終了し、無事に解放された私は朱乃と共に飲み物を買いに自販機へ向かい、そこで一息ついていた。すると、後ろの方から壮年と思われる男性に声を掛けられた。
「おや、これはリアスさん。それに確か、姫島朱乃さんでしたか。お元気そうで何より、……とはいかない様ですね」
その声に聞き覚えのあった私は後ろを振り返ってみると、そこには武藤神父がいた。側には武藤君がいたので、公開授業の見学に来ていたのだろう。そして今は、武藤君の案内で学園を回っている最中と言ったところだろうか。私は武藤神父に挨拶を返すと共に、公開授業が終了した直後の解放感もあって現在の心情を素直に語ってしまった。歴代の赤龍帝の一人であるニコラス神父もそうだけど、普通なら話しづらい事でもこの人には話せてしまえるという不思議な安心感がある。……悪魔である私が神父に対してそう感じてしまうのは、とてもいけない事なのだけど。
「そちらはお変わりない様で何よりだわ、武藤神父。でも、そうね。公開授業は一種の拷問だったわ。お父様もお兄様も周りの目なんて一切気にしないで、ひたすらデジカメで私だけを撮影しているんだもの。もう恥ずかしくてしょうがなかったわ」
すると、武藤神父は軽く笑った後で私を少し窘める様に話を始める。
「ハハハ。それは災難でしたね。私もカノン君という年頃の娘がいますから、少々過剰な愛情表現につい恥かしくなってしまう貴女のお気持ちも解ります。ですが、これも貴女に対するご家族の親愛の成せる業です。今はただ、その気恥かしさを胸の中にそっと仕舞っておいて下さい。いつか、貴女が今のご家族と同じ立場になった時。その時に初めてご家族のお気持ちが理解できるでしょうし、その頃にはきっと今日の思い出が大切な宝物へと変わっている事でしょう」
……あのイッセーが、武藤神父を頼りにする訳ね。この方は、本当に深いわ。
私は素直にそう思った。でも、武藤神父の口から続けて放たれた言葉に、私は驚きを隠せなかった。
「ですが、私が「お元気そうで何より、とはいかない」と申し上げたのはリアスさんではなく、そちらの姫島朱乃さんの方です。……姫島さん。失礼ですが、貴方は今とても深刻な悩みを抱えていますね?」
この武藤神父からの問い掛けに、朱乃はいつもの様に落ち着いた笑顔で返事をする。
「アラアラ。随分と心配性なのですね、神父? ですが、ご心配には及びませんわ。私はこの通り……」
……でも、この朱乃の笑顔は次の武藤神父の言葉で完全に凍り付いた。
「貴女のその笑顔。それは一誠君が人を止めてからつい最近まで
……ギクリとした。
先の「探知」の暴走の件で、私はイッセーが人間をやめた事で抱え込んでしまった苦悩の全てを知ってしまっている。
武藤神父に促された事でまるで血を吐く様に告白された、長年の夢への未練と人をやめた事に対するご両親への罪悪感。そして、紫藤さんと再会した事で初めて零れ出た、永過ぎる生に対する不安と恐怖。その全てを抱えながら、それでも誰にも心配を掛けない様に、その歩みを止めてしまわない様に仮面を被り続けていた事を知った時、私は心底情けなくなった。眷属の苦しみを解ってやれずに、何が
「イッセー君が、仮面を被っていた?」
武藤神父から齎された事実に、朱乃はただ驚愕の表情を浮かべるだけだった。そして、その朱乃からの問い掛けに、武藤神父は答え始めた。
「そうです。何故一誠君が仮面を被る事になったのか、その詳しい内容はお話しできませんが、これだけは申し上げておきましょう。貴女達と同じ様に、一誠君もまた大人になり切れない子供だという事を。……尤も、今もそれが当て嵌まるのかと言われると、私自身も首を傾げてしまいますが」
確かに、アウラちゃんという娘を得てからのイッセーは根本的に何かが大きく変わっていた。武藤神父もそれが解っているだけに、少し苦笑いしている。そこから、常識的に考えてあり得ない事を武藤神父は言い出した。
「実は今、密かに私の教会に展開していた防衛用の結界に少々手を加えまして、私や子供達に対する害意さえなければ、たとえ主の敵対者である悪魔であっても私の教会や孤児院に入れる様にしてあります。……悪魔となった瑞貴君が、子供達に会いに来れる様にする為に」
……害意さえなければ悪魔でも入れる教会とは、一体何なのか。
余りに非常識な事をさらりとやってのけてしまった武藤神父に、私は自分の中にあった「常識」というものを見失いかけていた。一方、武藤神父は朱乃に対して一人の大人としての忠告を与え始める。
「ですから、私でよろしければ、教会の懺悔室でお話しを伺いましょう。もしくは、ロシウ老やニコラス神父、後は
武藤神父からの言葉を受けて、朱乃は顔を俯かせてしまった。きっと、余りに予想外な人から余りに予想外な事を言われた事で混乱しているのだろう。
「では、私達はこれで失礼します。……姫島さん、大人に甘えるのは子供の特権です。一誠君もそれを受け入れてくれました。ですから、私達大人に遠慮する必要は何処にもありませんよ」
武藤神父はそう言って、武藤君と共にこの場を去っていった。……朱乃の為を思うのなら、まずは私から武藤神父に話をしてみた方がいいかもしれない。武藤神父と武藤君がその場を立ち去って十分程経ってからもまだ俯いたままになっている朱乃を見て、私がそう考え始めていた時だった。
「リアスちゃん、見ぃつけた☆」
私に向かって掛けられた、明るく可愛らしい少女の声に私は明らかに聞き覚えがあった。観念して声のした方へ振り向くと、思った通りの人物がいると思わなかった連れを伴い、思ってもいなかった服装で立っていた。
「リアスちゃん、おひさ~☆ 元気にしてましたか?」
こんな風に非常にカルい言葉使いで、ともすれば私達より幼く見られそうな容姿の彼女は、セラフォルー・レヴィアタン。こう見えてもお兄様と同じく四大魔王の一人であり、またソーナの姉でもある。実際に、彼女の側には学園の案内を仰せつかったであろうソーナとその眷属達もいる。ただし、先程武藤神父と一緒だった武藤君以外には匙君も見当たらないので、きっと別の仕事が割り当てられているのだろう。
……ただ、それにしては気になる事がある。セラフォルー様は魔法少女に憧れている事を公言しており、装いもそれに準じた物である事が多い。それどころか、「これが正装」と言って憚らないという話すら出てきている。それにも関わらず、今回のセラフォルー様の装いはゴシック調の黒いワンピースであり、正装とまではいかないが普通と言えば普通の服装だった。私は内心の疑問を一端収めてから、セラフォルー様の呼び掛けに応じると共に来訪の理由を尋ねる。
「はい、お陰様で。お久しぶりです、セラフォルー様。それで、今日はソーナの授業参観に?」
すると、セラフォルー様はニコニコしながら答えを返してきた。
「ウン☆ せっかくソーナちゃんがイッセー君を家に寄こして、私に直接この事を教えてくれたんだもの。お姉ちゃんとしては、絶対に行かないとね☆」
先日、アポなしでお兄様がこちらにいらした時に言われた通りの内容だった。ただ、ソーナが自分からこの公開授業の事を教えるとはどうしても思えない。きっと、ソーナからセラフォルー様について相談されたイッセーがそうする様に進言したのだろう。……「知らぬが仏」とは、正にこの事だった。
そして、セラフォルー様は現在何をしているのかを上機嫌で教えてきた。
「それで今は、ソーナちゃんにこの学園を案内してもらっているの☆」
ソーナを溺愛しているセラフォルー様にとって、正に至福の時だろう。藪を突いて蛇を出す様な野暮な真似をするつもりは、私にはなかった。
「そうですか、それは良かったですね。それでは、引き続き姉妹水入らずでお楽しみ下さい」
だから、私は魔王様に親友を売り渡す事にした。ソーナは声こそ出さなかったけど、明らかにショックを受けた様な表情を浮かべる。……でも、どうやら因果は巡るみたいだ。
「リアス、こんな所にいたのか」
「お父様!」
私を呼び掛けたのは、グレモリー家の現当主である私の父だった。後ろにはお兄様とグレイフィアも連れ添っている。そこで、セラフォルー様がお父様に声を掛ける。
「あら、グレモリーの小父様。小父様もリアスちゃんの授業参観に?」
このセラフォルー様からの質問に、お父様は素直に答えた。
「その通りですよ、セラフォルー殿。しかし、リアスも気が利かない。どうせスケジュールの管理を任されているグレイフィアから知らされる話なのだから、ソーナ殿の様に兵藤君をこちらに寄こす事で私達との顔合わせを兼ねて自分から知らせてくれればいいものを。……尤も、セラフォルー殿に先んじられて伝えられてしまうとは、流石のグレイフィアも想定外だった様ですが」
このお父様の発言を聞いた時、私は己の過ちに気付いてしまった。……そうする事で、私の婿候補としてのイッセーを両親に見せる事ができたのだ、と。でも、私は羞恥心に負けて、絶好の機会を自ら手放してしまった。そして、こちらを見てニヤリと微笑むソーナの表情を見て、ソーナがそれを見込んで行動した事を確信する。
……やってくれたわね、ソーナ。
一方、お父様から公開授業の件を知らされた経緯を聞かされたセラフォルー様は、お兄様にそれが本当の事か尋ねていた。
「あれぇ? サーゼクスちゃん、それホント?」
この質問に、お兄様は素直に答える。
「あぁ、一足違いと言った所だよ。グレイフィアは、あの時の会議の後に伝えるつもりだったそうだ」
お兄様の返答を聞いたセラフォルー様はかなり気不味そうな表情を浮かべて、グレイフィアに謝ってきた。
「……あ~。何て言うか、ゴメンね? グレイフィアちゃん」
そのセラフォルー様の謝罪を、グレイフィアは気にしない様にと伝えた上で受け取った。
「いえ、お気になさらないで下さい。もっと早くお伝えすればよかっただけの話ですから」
そこで話は一区切りついたと判断した私は、お父様に今後の予定について確認する。
「ところでお父様、今後のご予定はどの様に?」
「それについてなのだが……」
お父様は早速今後の予定について話を始めようとした、その時だった。
「おっ、リアスじゃないか。久しぶりだな」
そう言って声を掛けてきたのは、ライザーだった。……ただ、随分と大人数で行動していた。おそらくはライザーの案内役を仰せつかったのであろう、アーシアとゼノヴィア、それに匙君と祐斗の四人。教会が所持するエクスカリバー(イッセーが本物を真聖剣として再誕させた事を知った今となっては、その模造品としか思えないのだけど)の半数が盗難された事が発覚して、その捜索の為に武藤君や祐斗と行動を共にした、武藤君の兄弟である薫君とカノンさん。イッセーの現在の恋人(そう、あくまで恋人だ。たとえ婚約者と呼べる立場にあったとしても、アウラちゃんから「ママ」と呼ばれていたとしても、断じて妻ではない)で、それ故に私の最大のライバルである紫藤さんと、その彼女と手を繋いで笑顔で歩いているアウラちゃん。この子は悪魔の羽や角を隠し、更には最近できる様になったという等身大に変化した状態だ。そして、その紫藤さんとアウラちゃんの後ろについて来ている同じ栗色の髪をした男性は、おそらく紫藤さんの父親なのだろう。……ただ、あと一人が誰なのかを理解した時、私は思わず「探知」を使いそうになった。
「シ、シトリーの小父様! い、一体どうしてこちらに!」
気が付けば、私の口からその意図を問い質す言葉が飛び出していた。
「へっ? お父様? ……どうしてここに?」
「お父様! お姉様については覚悟しておりましたが、お父様まで来られるとは聞いていませんよ!」
どうやらソーナはもちろん、セラフォルー様も知らされていなかったらしく、こちらもかなり驚いていた。それに対して、シトリーの小父様は何でもない事の様にこの地を訪れた理由を語り始める。
「ソーナ、それはそうだ。私はセラフォルーとは別の目的でこちらに来たのだからな。だが、セラフォルー。お前に私もここに来る事を知られるとソーナの授業参観に引っ張られてしまうのが目に見えていたから、お前にはもちろんソーナにも念の為に黙っていたのだよ。……ただ、それまでに少々時間があったから兵藤君の授業風景を記録しようと思って公開授業の見学に行ったら、同じ目的だったライザー殿と行き合わせてな」
そして、シトリーの小父様と行き合わせたというライザーから、驚くべき事を聞かされた。
「実は俺の方も父上が来られていて、レイヴェルの授業をご見学なさっている筈だ。今頃は、レイヴェルの案内でこの駒王学園を回っているんじゃないか?」
……何なの、この
私は頭が痛くなってきた。魔王二人にソロモン七十二柱に名を連ねる名家の現当主三人、更に教会内でも間違いなく最強の一人だという武藤神父もついさっきまでここにいたのだ。幾らドラゴンが色々と呼び寄せるからと言って、流石に限度があった。
私は内心の混乱と動揺をどうにか取り繕い、ライザーの呼び掛けに応じて気楽に挨拶を交わす。
「ところで、ライザー。レーティングゲームの時以来ね。元気そうで何よりだわ」
……まさか、ライザーとこんな風に言葉を交わす日が来るなんてね。
まだ婚約していた頃の私とライザーからは、到底想像もできない事だった。
「それで、フェニックス卿もお越しになっているという事だったけど?」
私がライザーに改めてフェニックス卿がお越しになられた意図を尋ねると、ライザーは快く答えてくれた。
「あぁ。レイヴェルが一誠の家の隣に住んでいるし、実はその縁で時々食事をお裾分けされたり、家に招かれて一緒に食事をしたりとかなり世話になっている事を聞かされていてな。この際だから、一誠のご両親に一度ご挨拶に伺おうという話になって、本来は俺だけだった予定を変更して父上も同行なされたんだ」
このライザーの返答に、私はフェニックス家にまんまと嵌められた当時の怒りをライザーに遠慮なくぶつける。
「そう。そう言えば、レイヴェルは一誠のお隣さんだったわね。……あの時は、よくもやってくれたわね?」
しかし、ライザーは柳に風と全く堪えている様子がない。むしろ、悪びれる事なく「妹の為」と言い放った。
「フッ、可愛い妹の為だ。まして相手は俺の友で、家族皆が認めている。応援しない理由がないさ」
……そう言えば、そうだったわね。
私はライザーが飄々とした態度を崩さない事に納得してしまった。あのイッセーと対等の友人関係を築いているのだ、私程度の怒りや睨みでは揺るぎもしないのだろう。それに、言葉使いや態度そのものは殆ど変わっていないのに不快に感じないのは、きっとライザーが「グレモリー家の令嬢」ではなく「リアス・グレモリー」をしっかりと見ているからだろう。
ライザーは、本当に変わった。そして、それを素直に受け入れられている私も。
「……お互い、変わったわね」
私がお互いの変化に言及すると、ライザーはフッと軽く微笑みながら答えてきた。
「変わりもするさ。アレだけ正面から向き合ってくれる奴と直に接していればな。確か、一誠シンドロームだったか? 俺もお前もその数ある発症者の一人という事だ。そうだろ、リアス?」
そう問い掛けてきたライザーに、私はただ同意するだけだった。
「……そうね」
私達はお互いにイッセーに出逢ってからの変化を振り返りながら、感慨深く話をしていた。でも、それならそれで一つ気になる事がある。私は早速ライザーにそれを尋ねた。
「ねぇ、ライザー。それなら、イッセーはどうしたの?」
……そう。もしイッセーのクラスの公開授業を見学したのなら、当然イッセーにも案内役を頼んでいる筈だ。でも、私の質問に対してライザーは歯切れの悪い返答をしてきた。
「あぁ。最初は、俺達も一誠を主な案内役として駒王学園を回っていたんだがな……」
どうも、ライザーはどう話したらいいのかを悩んでいる様だ。すると、シトリーの小父様がお兄様に対して、つい一週間ほど前までイッセーが従事していた事について明かす様に迫っていた。
「その前に一つ、サーゼクス殿、いえルシファー様にお尋ねします。以前、兵藤君に対して守秘義務を課した命を下したとの事ですが、今ここで我々にその内容を明かしては頂けませぬかな?」
それに対して、お兄様は何かを察したのか、驚愕の表情を浮かべる。
「……まさか」
このお兄様の反応を見たシトリーの小父様は、ただ頷く事で何かを肯定した。それを見たお兄様は少しだけ目を閉じると、やがて意を決したのか、目を見開いてシトリーの小父様に何らかの許可を出した。
「了解しました。私がイッセー君に対して出した命について話をしないと、何故そうなっているのか、誰も理解できないでしょう」
お兄様から何らかの許可を得たシトリーの小父様は、あくまで主である四大魔王に対して報告する形を取る。……それだけ、事が大きいのだろう。
「承知しました。では、まずは兵藤君が我々の案内を途中で抜け出す事になった経緯について、私から説明させて頂きます」
そして、シトリーの小父様は話を始めた……。
Side end
リアス部長やソーナ会長がシトリー卿の説明を聞き始めた、正にその頃。
「――――――――」
一体、何を言われたのか。僕には全く理解できなかった。……いや、余りに衝撃的過ぎて、本能的に聞かなかった事にしてしまったのかもしれない。
「今、何と仰いましたか?」
だから、僕は思わず聞き直してしまった。それがどれだけ無礼な事なのか、それは百も承知で。
……何故、僕がこの様な状況に陥っているのか、時間を少し遡って考えてみよう。
白熱した議論で盛り上がったディベートによる公開授業が終わると、ライザーから今いるメンバーに駒王学園を案内してほしいとの申し出があった。ライザー曰く「このままだと、あの二人がお前の案内を求めてまた揉めそうだからな。だから、先手を打って俺達全員を案内する形にする様に頼んだんだ」との事。
……助かった。持つべき者は、やはり友達だ。
その時の僕は本気でそう思った。そうして、僕が主な先導役となり、イリナとアーシア、ゼノヴィアが補助を行う形で駒王学園の案内を開始した。その最中でライザーがトウジ小父さんとシトリー卿を取り持ちつつ、薫君とカノンちゃんの存在で雰囲気が軽くなった事で次第にお互いが話をするようになってきた時だった。
「あっ、やっと見つけたぜ! お~い、一誠!」
僕を呼ぶ元士郎の声が聞こえてきた。そこで声の下方向を振り返ってみると、ここにいる事が絶対にあり得ない筈の人物が、自らの奥さんを連れ添って、元士郎と祐斗の後ろに立っていた。……この瞬間、僕の思考は完全に停止した。
〈あぁ~!〉
そして、僕を現実へと引き戻してくれたのはアウラの声だった。
〈ネビロスのお爺ちゃんだ! それにクレアお婆ちゃんも一緒だよ、パパ!〉
ただ、その内容が大問題だったのだが。
……悪魔創世から今もなお現役を務める冥界の総監察官、エギトフ・ネビロス様。そして、その奥方のクレア・ネビロス様だ。
因みに、総監察官はソフトハットにノーネクタイのカジュアルスーツと年代に合った物を着ているが、クレア様はなんと着物。しかも落ち着いた色合いの訪問着の上から羽織を羽織る等、かなり本格的に着こなしている。
しかし、僕はそれどころではなかった。
……冥界の総監察官にして生きた伝説と言ってもいいこの方が、何故人間界に?
頭の中は疑問符でいっぱいだった僕だが、他の皆は固まってしまった僕を不思議そうに見ている。例外は、総監察官の顔を知っているであろうシトリー卿だ。この方もまた完全に固まっている事から、おそらく僕と同じ事を考えているのだろう。
「随分と早い再会になったな、兵藤」
総監察官はそう言って親しく声を掛けてきたが、未だに現実を認識し切れていない僕は再会までの期間をオウム返しに答える事しかできなかった。
「は、はい。およそ十日程でしょうか」
……我ながら、なんて頭の悪い返事をしたものだろうか。言ってしまってから、僕はもう少し頭を働かせて返事をするべきだったと酷く後悔した。しかし、余りに間抜けな答えを返してしまった僕に対して、総監察官は寛大だった。
「どうやら、儂等がここにおる事が到底信じられん、といった所だな。まぁ、儂も本来なら人間界に来るつもりなどなかったのだから、貴様がそう感じるのも無理はないがな」
総監察官はその様な僕を慮る様な言葉を仰った後、何故ここに来る事になったのかを説明し始める。
「だが、そう難しい事ではない。丁度まとまった休暇を取ったという事で、長年連れ添ったクレアと夫婦水入らずの慰安旅行をと思い立ち、人間界を色々巡っている内にこの学園で公開授業が開かれる事を知って、この際だから立ち寄ってみる事にしただけの話だ」
すると、クレア様があえて口を差し挟んできた。
「エギトフ、それでは言葉が足りませんよ。本当は冥界の名所巡りをする予定だったのを、休暇の初日にこの子に会った事で人間界に興味を持ったから、こちらの名所巡りに変更したのでしょう?」
その様なクレア様の暴露話に、総監察官は苦い表情を浮かべてクレア様に不満をぶつける。
「クレアめ、余計な事を……」
しかし、クレア様はその様な総監察官の不満などどこ吹く風で、口を差し挟んだ事について何ら詫びを入れなかった。
「貴方が素直に全てをお話ししていれば、私は何も言いませんでしたよ。全く、変な所で恥ずかしがり屋で頑固なんだから」
「ムゥ……」
それどころか、クレア様が舌鋒鋭く指摘した事で、逆に総監察官の方が一声唸って黙り込んでしまった。……以前お会いした時にはクレア様が殆ど口出ししなかったので気付けなかったが、実は総監察官はかなり奥様の尻に敷かれている様だった。僕は、総監察官の夫としての一面を見た様な気がした。それが気恥ずかしかったのか、総監察官はコホンとわざとらしく咳を入れると説明の続きを話し始める。
「そして、授業の見学を終えた後で貴様を探しながら学園を回っていると、この学園の生徒会役員だというこ奴が声を掛けて来たのだ。そして、貴様を探している事を伝えると「一緒に探す」と言って協力を買って出たのでそれを受け入れ、もう一人も途中で合流したという訳だ」
こうして経緯の説明が終わったものの、話についていけなかった元士郎が僕に尋ねてきた。
「なぁ一誠。この方は一体……?」
元士郎の質問に対して、僕が総監察官と視線を合わせると総監察官は軽く頷いた。素性を明かす許可を得た僕は、元士郎にお二人の紹介を始める。
「元士郎、落ち着いて聞いてくれ。この方は冥界の総監察官であらせられるエギトフ・ネビロス様。そして、その奥方様のクレア様だ」
それを聞いた瞬間、元士郎と祐斗は完全に固まった。それどころか、顔までは知らなかったライザーもまたすっかり固まっている。……無理もない。はっきり言って、二人や僕はおろか三男とはいえ名家の出身であるライザーであっても、総監察官は完全に雲の上の人だ。こうして話をしていること自体、本来はけしてあり得ないのだ。
「な、なぁ。一誠。俺、本当に大丈夫なのか? 自分の案内に不備がなかったのか、急に不安になってきたんだが……」
元士郎は己の現在置かれている状況が理解できた様で、抱いてしまった不安を僕に伝えてきた。僕はそれについては心配無用である事を元士郎に伝える。
「それについては大丈夫だと思うぞ、元士郎。総監察官は、不備があったらその場ですぐに口にする方だ。何も言われなかったのなら、特に不備はなかったという事になる」
すると、元士郎は心から安堵した表情を浮かべた。
「そうか? ……良かったぁ~」
この様なやり取りをしている僕と元士郎を見ていた総監察官は、僕に一つの提案をしてきた。
「さて、兵藤。こうして顔を合わせたのだ、少し話をせんか?」
この提案によって、僕はトウジ小父さんやシトリー卿、ライザー、薫君達の案内を断念せざるを得なくなった。その為、要件を果たした元士郎と祐斗に僕の代行を頼み、更にアウラを精神世界から呼び出し(念の為、呼び出す際にアウラに認識阻害の魔法を使用した)、等身大化させてからイリナに預けた。そうして、総監察官とクレア様のご夫婦と連れ立ってしばらく歩き、やがて中庭でも人気の少ない一角に辿り着いた。
そして、そこで伝えられたのが、無意識で聞かなかった事にしてしまう程の衝撃の真実だった。
「……今、何と仰いましたか?」
僕が無礼を百も承知で聞き直すと、総監察官は僕の無礼をあえて見逃した上でもう一度言い直してきた。
「兵藤、もう一度だけ言ってやろう。貴様が人間を止める事になったあの時、貴様の家族に最下級の悪魔を差し向けたのは、他でもないこの儂だ」
それは、僕に一度全てを捨てさせるに至らしめた黒幕による、真実の告白だった。
いかがだったでしょうか?
真実とは、時と場合によっては何処までも残酷なものとなります。
では、また次の話でお会いしましょう。