呪術界には2つの教育機関がある。
四年制の高等専門学校の形態をとるそれは東京と京都に1校ずつ存在し、多くの呪術師が卒業後もここを活動拠点としている。教育のみならず任務の斡旋やサポートも行っている呪術界の要だが、実際のところ在籍する生徒数は少ない。
通う生徒は主に、遺伝として呪力を受け継ぎ家族・親族の推薦を受ける者と、非術師の家系から生まれ、高専関係者のスカウトを受ける者に別れることとなる。
呪術高専で教鞭をとるにあたって教員免許は不要で、高専を19歳で卒業したのち、モラトリアムとして設けられている1年で基礎的な研修を受ければ高専の教師になることができる。即ち最短ルートで行けば20〜21歳で教師になるということだ。
呪術界最強と謳われる五条悟は、特級呪術師ながらその道を選択した非常に稀有な経歴の持ち主であった。
***
五条はこの春からいよいよ教師として生徒を受け持つことになった。立て続けに入る任務も一区切りつき、同期のいる医務室に立ち寄ってみる。
「硝子〜」
回転椅子を回して振り返った彼女──家入硝子は僅かに冷ややかな面持ちで五条を見上げた。
6年制の医大に進学したはずなのに何故か2年で帰ってきたときには流石の五条も絶句してしまった。研修先の女医が協力的だったと聞いてはいるが、正直あまり深入りはしたくないところである。
「朝っぱらから何?」
「今日だよ」
「何が」
「入学」
「ああ…ついに先生デビューか」
「そ〜。でも今年の1年生1人らしくてさあ、マンツーマンなんだよね」
「はは、ウケる」
家入は全く面白くなさそうな声で言った。
「女の子?」
「そうだよ」
「気の毒にな、1年目で五条が担任なんて」
「酷くな〜い?」
「事実だろ。てか何、わざわざここ来るなんて珍しいじゃん。緊張してんの?」
愉快そうな笑みを浮かべて尋ねてくる同期から五条は静かに視線をそらした。
「うわマジか」
「……」
「一般から来た呪術界の知識ゼロの女の子に対して筋金入りのお坊ちゃまが先生面できるかな、みたいな感じ?」
「エスパーじゃん硝子」
「顔に全部書いてあるよ」
五条は眉を下げると「しょうこ〜」と情けない声を出した。
「その声キモいんだけど」
「なんか硝子、大学行ってから当たり強くなってない?」
「元々。受け持つ生徒とは校内見学の日に顔合わせって夜蛾センから聞いたけど」
「任務あったから会ってない」
「担任なのに?」
いよいよ呆れたような視線を向けられて五条は深く溜息をつく。そんな同期の様子を眺めていた家入は仕方なく「柄にもなく緊張してるみたいだけど」と言った。
「普通の高校だと40人ぐらい受け持つんだから、それに比べたら全然マシじゃない」
「そう思うことにするよ」
よっこらしょ、と言いながら五条は立ち上がる。首を傾けてドアを潜っていく五条を眺めていた家入は、くるりと椅子を回して自分のデスクに向き直った。
*
「おっはよ〜!」
教室のドアが思い切り開けられるのと同時に響き渡った、テンションの高すぎる声で私は思わず顔を上げた。白い髪に黒い真ん丸のサングラス、服も真っ黒の、ぱっと見不審者かな?みたいな出で立ちの男の人が入ってくる。今そこの引き戸潜って入ってきたけど身長高すぎやしないだろうか。
教卓の向こう側に立ったその人は恐らく担任の先生なんだろう。名前なんだっけ。夜蛾学長から教えてもらったのは確か、
「五条先生ですか?」
「大当たり〜!宮永理子さんで合ってるよね?」
「はい。初めまして」
初めまして〜!とテンション高く返されて思わず笑ってしまった。
先ほどよりも少し落ち着いた様子の五条先生が「改めて!」と言う。嘘、全然落ち着いてない。めちゃくちゃ元気。
「自己紹介しま〜す」
「はーい」
「僕の名前は五条悟です。漢字はこうね」
黒板に大きく『五条悟』と三文字書かれる。綺麗な名前をしてるんだな、と思った。
「甘いものが好きで、趣味はスイーツ屋さん巡りかな〜。教師1年目で、今年21歳になります。よろしくね!」
「え?」
「?」
「今年21歳なんですか?」
「誕生日まだだから今は20歳だけどね」
「そういうことじゃなくて」
?を浮かべている五条先生に私の方がおかしいような感覚になるが、どう考えても21歳で教師はおかしい。今年21歳ということは、今年16歳になる私とは5歳しか変わらないということになる。
「すごい若いですね」
「呪術高専は教員免許いらないからね」
「え〜そうなんですか」
私の反応を見た五条先生は楽しそうに笑う。それから、次は宮永の番ね、と私に振ってきた。
「私の個人情報知ってるんじゃないんですか?」
「もちろん。でもこういうのは本人の口から聞いときたいからさ」
中学の時にいた一番若い先生よりしっかりしてるんじゃないだろうか。確かあの先生は25歳だった。
「1年の宮永理子です。…字、黒板に書きます?」
「あはは、知ってるからいいよ」
「好きな食べ物はグラタンとチョコケーキで、嫌いな食べ物はゴーヤと粒餡です」
「ゴーヤ苦いもんね」
「先生も嫌いですか?」
「食べようと思えば食べれる、と思う」
「それは食べれない人が言うやつですよ」
歯切れの悪さにそう言うと五条先生は苦笑した。
「宮永は生まれつき呪霊が見えるの?」
「はい」
「他の家族に見える人はいなかった?」
「母は見えないです。うち母子家庭なので父はいません」
なるほど、と先生は頷いた。代々遺伝して生まれてくる家系もあると聞いたことがあるから確認のためだろうか。
校内見学の日に夜蛾学長から受けた説明では、人によって術式というものが違うのだと教えられていた。五条先生はそういうものを視て理解できるようで、私の術式も対面した時に判断してもらうことになっているらしい。説明されてもよく分からなかったからその時は適当に頷いておいたけれど。
「学長から術式の概要は聞いてる?」
「はい。五条先生に視てもらうって言われました」
「よし、じゃあぱぱっと終わらせちゃおっか」
そう言いながら五条先生がサングラスを外す。
「何?今の」
そっと目を開けてサングラスに隔たれていない顔を見上げてみる。髪が白いから、アルビノの人みたく目は赤いのかと思っていたけれど想像に反して水色が煌めいていた。
あと笑えるぐらいに顔面偏差値高い。
「……呪力についてざっくりは聞いてるんだよね?」
「はい」
「呪力がある人って呪霊が視えるんだけどさ」
「そうですね?」
何が言いたいのか分からない。五条先生は私を見ると、すうっと目を細めて、言った。
「宮永、呪霊以外にもなんか視えてる?」
言うべきか、しらをきるべきか。
一瞬迷ったが、無理だろうなと結論づけた。疑問形で問い掛けてきたけど、きっともう、ほぼ確実に、五条先生は答えを掴んでいる。
「視えてます」
「やっぱりね」
しらをきらなくて良かった。
何が視えてるのか教えて、と促されてどう説明すれば分かってもらえるか頭の中で組み立てる。呪霊が視えるのは大前提としてあるみたいだから、そこから説明すれば理解してもらいやすいだろうか。
「私の目には呪霊が色付けされて見えるんですよ」
「色付け?」
「はい。プルチックの感情の輪ってご存知ですか?」
五条先生は首を傾げる。普通に生きてて知る機会なんてそうそう無いだろうし、想定の範囲内だった。鞄から1枚の紙を取り出して五条先生に渡す。迷ったけど持ってきて良かった。
「色の三原色が新たな色を生み出すように、感情も基本的なものが合わさることで複雑な感情が生み出されるって理論です。あんまりそこは関係ないんですけど」
「見える色はこの輪の色と対応してるってことかな?」
「そうです」
「へえ〜、面白い呪力だね」
面白い面白い、と五条先生は愉快そうに繰り返した。…めっちゃ面白がるじゃん。理解してもらえたらしいので一先ず良し。でも私の目にはもう一つ厄介な点があった。
「目が合った人の感情も視えます」
「…マジ?」
「マジです」
「なるほど、だからさっき呪力を切ったのか」
最後はほぼ独り言の声量だったけど、五条先生はさっき私が視える力をオフにした理由が腑に落ちたらしい。
人間の感情は基本的に目の瞳孔部分を中心に放たれているように映る。瞳さえ視界に入れなければ問題はなく、五条先生がかけていたような濃度高めのサングラスも同様だった。呪霊が視認できるように切り替えると他者の感情も視認できる状態になるため、今の状態で切り替えを行った場合、裸眼でいる五条先生の感情が視えてしまうことになる。
「まあ今日は初日だからね、その辺りは追々ってことで!」
五条先生は明るく言ってサングラスを掛け直した。じゃあ行こうか、と言いおいて先生は廊下に出ていく。慌ててその後を追いかけた。
呪術高専の校舎は全体的に古風で廊下も板張り。歩くたびにぎしぎしと音が鳴る。
五条先生は背が高いのか足が長いからか、歩幅が異常に大きい。私の身長は女子の中では高い方だけどそれでも25cmは身長差があると思う。そのため先生と同じペースで移動するには小走りにならざるを得ないのだった。
「どこ行くんですか?」
「んー?僕の同僚のとこ」
随分と抽象的すぎる答えが返ってきた。ちなみに呪力は教室を出てから五条先生に促されたから元に戻している。私の問いに答えたきり何も言わない担任をちらりと見上げた。
最初に教室に入ってきたときから何となく、本当に根拠も何もないのだけれど、五条先生って裏表が激しそうだな、と感じている。少なくとも『子どもが好きだから』なんて可愛らしい理由で教師になってはいなさそう。
「ここだよ〜」
「医務室ですか」
「そうでーす。硝子いる?」
ガラリと勢いよく引き戸を開けて五条先生が入っていく。もしかしてこの先生は扉という扉を思い切り開ける癖でもあるのだろうか。
「五条、煩い」
「ひっどい、折角僕の初めての生徒連れてきたのに!」
「生徒?」
ちょいちょい、と手招きされたため、一応呪力をオフにしてから五条先生の横に並ぶ。先生はそれに気付いたのか視線を向けてきたけど何かを言うことはしなかった。
白衣を着た女の人は私を見ると、ほう、と呟く。
「君が五条の生徒?」
「はい。初めまして、宮永理子です」
「家入硝子です。私は教師じゃなくて医者だけど、まあ保健室の先生みたいな感じかな」
「五条先生と同期なんですか?」
「まあね。
家入先生は五条先生を一瞥すると私を指差した。うわ〜、指めっちゃキレイ。
「この子天与呪縛持ちなわけ?呪力無さそうだけど」
「いや?そんなことないよ。
…てんよじゅばく、とは。どういう字なのかも想像がつかなかったけれど、その辺は追々、と言われていたからとりあえず今は口にしないことにする。
家入先生は興味深げに上から下まで私のことを見た後、「詳しく」とだけ言った。
「僕も視たけど、この子の術式は今まで見たことないね。超レアかも」
「へえ?どんな」
「宮永、自分で説明できる?その方が早いかも」
家入先生は何故か不思議そうに五条先生を見上げてから私を見た。どうやら説明を求められているらしい。
「呪霊も人間も、目が合った相手の感情が視えます。色で」
「色?」
「プルチックの感情の輪ってのがあるんだって」
五条先生が口を挟んだ。家入先生は知っていたらしく、あああれね、と言った。
「呪霊が視えるよりも対人関係で感情が分かる方が鬱陶しかったので、視えないように切り替える方法は小さい頃に自然と覚えました」
「呪力をオフにしてるときは呪霊は視えない?」
「視えないですけど、なんかヤバい、みたいなのはあります。気配みたいな」
家入先生は面白がるような笑みを浮かべた。
「一般の出なんだっけ?」
「はい」
「詳しいことは
「ありがとうございます」
「ちょっと、誰が雑ですって?失礼しちゃうわ〜」
オネエ口調でふざける五条先生を家入先生は「キモい」と一蹴した。それを聞いた五条先生は泣き真似を始める。
「医務室出禁にするぞ」
「すみませんでした」
速攻で謝る五条先生はとても面白かった。
主人公の名前は語感で適当に付けました。