私が呪術高専に入学してから約1週間が経つ。今のところはまだ座学ばかりで、一般教養といって普通の高校生がやる内容と呪術の内容が半々くらいだった。五条先生が教えてくれたり補助監督の人達が教えてくれたり、先生役は色んな人が務めている。
まだ導入部だけど、呪霊や呪力、呪術師の概要について大体の把握はできたと思う。『呪力が無い通常兵器が呪霊に有効と仮定した場合』という例え方は面白かった。通常兵器に詳しい訳ではないから正しく理解できてるかは怪しいところだけど。
それと、呪術師に階級があるなんて初めて知った。その中でも五条先生は階級が一番上らしく、その分任務も多い。五条先生以外の人が授業を教えてくれる時=五条先生は任務で校内にいない、ということだ。
「おつかれサマンサ〜!」
教室で1人自習をしていたところに五条先生が帰ってくる。今日は五条先生の任務に区切りが着き次第、呪力を使った初めての実践授業をすることになっていた。
「五条先生おかえりなさい」
「ただいマンモス。自習やってる?」
「教科書読んでるだけです」
「うっわ、真面目ちゃんじゃん」
五条先生は嫌そうな顔で教科書を見ている。座学好きそうには見えないもんなあ。
「任務終わったんですか?」
「終わってはないけど区切りは着いたよ。じゃあ実践授業といきますか!」
「めっちゃハイテンションですね」
「当然!僕そのために任務頑張ってきたんだから」
良い先生だな、と素直に思った。こうやって惜しげもなく時間を生徒に使ってくれるところとか特に。裏表激しそうって偏見は変わらないんだけども。
「ジャージに着替えてきな〜。無かったら学校の貸せるけど」
「中学の時の部活ジャージあるから大丈夫です」
「そ?じゃあここで待ってるから着替えておいでよ」
寮の自室で着替えて戻ってくると、教卓のところで何かを書いていた先生は顔を上げた。
「行こっか」
「外ですか?」
「そうだよ〜」
相変わらず歩幅が大きい。前世はコンパスでしたって言われても信じるレベルだ。
呪霊は呪力で祓うというのは一番最初の授業で教えてもらった。でも五条先生は『実際の使い方は僕が教えるから』と頑なで、授業に来てくれた補助監督の人に聞いたら、実際授業がまだだからという理由で私への任務振り分けを止めているらしい。
申し訳ないと思う反面、今の状態で任務なんか任されたら確実に死んでしまうので五条先生の判断は正しい。そもそも入学して間もない生徒に呪霊祓わせるのって頭おかしいんじゃないの、と思うし。
「今日はね、宮永にこいつを祓ってもらいま〜す!」
じゃーん!と言いながら五条先生が取り出したのは木製の虫かごのようなもの。中には小さなサイズの呪霊が入ってる。小さいけどめちゃくちゃキモい。
「はい問題です!こいつの等級はどれくらいでしょうか?」
「等級っていうか…蝿頭ですよね?」
「大正解〜!4級にも満たない弱っちい奴だよ」
蝿の頭と書いて
これ祓ってみよっか、と言いながら五条先生はその呪霊を籠から出した。宮永のやりたいようにやってみな、と言われるが、高専に入るまでに呪霊を祓ったことは片手で数えるほどしかない。
「上手くできないかもしれないです」
「ダイジョブダイジョブ!」
五条先生は私に向かってグッと親指を立てた。まあどのみちやるしかないので仕方ない、と思い切って、ふよふよ飛んでいる呪霊に顔を向けるとばっちり目が合ってしまった。ガチでキモいからそれ以上近づかないでほしい。
まあいつかは慣れるんだろうなと思いつつも、慣れたら慣れたでちょっと複雑ではある。
呪霊の祓い方、私は一つしか知らない。
中学生の時の帰り道にいた呪霊を祓ったとき、そいつの目を見て感情の色を把握し、その対の色──プルチックの感情の輪で正対する色をぶつけるのだ。対になる感情は混ざって第二の感情を生み出すことはないという法則を利用して咄嗟にやったことだった。
目の前の蝿頭から出ている感情の色は薄い赤、即ち苛立ちを意味している。呪霊にぶつけるための色をつくるときに私の現在の感情は関係ない。多分呪力を使っているからだと思う。
薄い緑を右手に纏わせ、チョップをするように蝿頭の上から手を振り下ろす。嫌な音を立てながらその蝿頭は霧状になり、やがて消滅した。
「できました」
「お見事!呪力の練り方は分かってるみたいだね〜」
五条先生の方を振り向くと、先生はサングラスを外した状態で私を見ていた。まさかサングラスを掛けていないとは思わなかったから呪力は出しっぱなしの状態で、私は五条先生の感情をもろに見てしまった。
薄い黄緑と薄いオレンジ。容認と関心だ。
これで紫の「退屈」とかだったら気まずいことこの上ないから一安心ではある。
「先生、サングラス掛けてもらってもいいですか?」
「ごめんごめん。よく見ようと思ってさあ」
何てことなさそうな雰囲気で五条先生はサングラスを掛けた。真っ黒な眼鏡で瞳が覆われて感情が見えなくなる。
宮永、と唐突に名前を呼ばれた。
「感情が見えて煩わしいのはわかるけど、これからはできるだけ呪力を切らないようにしな」
「はい」
「理由は分かる?」
「…危ないから、ですか?」
「半分正解だよ。呪力オフにしてると想定外の事態に対応できないかもしれないからね」
もう半分は、と五条先生は私の顔を覗き込むようにした。普段のハイテンションな時とは違ってものすごく真剣な顔をしている。
「敵は呪霊だけじゃない。宮永のその能力は危険察知に役に立つよ」
「……」
呪霊だけじゃない。人相手、ということだろうか。
5歳しか離れていないと思っていたけれど、突然その差がとてつもなく大きなものに感じられた。そりゃそうか、5年も違えばそもそも場数に相当差があるんだし。
「あと、人間の感情が視えるってことは僕と硝子以外には話さなくていいからね」
「誰にもですか?」
「そ、誰にも」
世の中には面倒な大人がいーっぱいいるんだよぉ、なんてわざとらしく間延びした声をつくって先生が言うから、つられて笑ってしまった。
「明日から体術の授業も始めるからね」
「私やったことないです」
「初歩から始めるから大丈夫でーす、五条先生にお任せあれ!」
「五条先生強そうですよね」
笑いながら言えば、僕最強だからね、と冗談とも本気ともつかない声が返ってくる。
「僕この後また任務だから行かないといけないんだ。この籠戻しといてくれる?」
「分かりました。どこにですか?」
「書庫室の横の部屋〜。ほぼ物置きみたいなとこだから、適当に置いといてくれれば良いよ」
「はーい」
そのまま任務に向かうらしい。私が向かう校舎とは反対方向に歩き始めた五条先生は少し離れたところで振り返った。
「この後自習?」
「ほんとは一般教養の数学だったんですけど、担当の補助監督さんが任務に呼ばれたから自習になりました」
「人手不足だから仕方ないね。無理に教室にいなくてもいいよ」
「暇だったらそうします。五条先生、気をつけて行ってらっしゃい」
「行ってきます」
ちょっと驚いた顔をしてたの面白いな。理由はわからないけど。
木製の籠を抱えて校舎に入る。書庫室は1階の奥の奥、人が滅多に来なさそうなところにある。その1個手前の扉を開けると、散らかってこそいないものの物が雑多に置かれている部屋だった。籠は隅の方に並べておくことにする。
ただでさえ人が少ないから校舎の奥となると静かすぎて耳が痛い。このまま教室に戻ろうか迷ったが、どうせ暇なので書庫室を覗いてみることにした。
書庫室は、教室とはちょっと異なる寄木張りの床がお洒落な部屋だった。南にある窓から日が入ってくるから部屋の中は明るい。壁には背の高い本棚が並び、もう一つずつその横に高い本棚が立っている。部屋の真ん中あたりのいくつかの本棚は腰ほどまでの高さしかなかった。
真ん中の本棚を見ると、普通に新書や小説もあれば、読めそうにない古い本も並んでいる。私は背表紙を見ているだけで楽しいぐらいには本が好きだから、時間も忘れて眺めていた。
だから気が付かなかったのだ。この部屋に、自分以外の人間がいることに。
「1年生?」
唐突に降ってきた声に心臓が跳ねた。叫ばなかっただけ褒めてほしい。
背の高い本棚の影から出てきたのは、黒い髪にくりっとした目が印象的な男子生徒だった。
「はい。…何年生ですか?」
「僕は2年。ほんとは授業なんだけど、もう1人の同期が任務だから自習になっちゃってさ。暇だからここに来たんだ」
「私も自習なんです」
「へえ〜!君の同期も任務?」
「私は同期がいなくて、担任の先生も補助監督さんも任務で出払ってるらしいので自習になりました」
その先輩は、そんなことあるんだね、と目を丸くしている。
「そろそろ学校は慣れた?」
「正直あんまりですね。寮生活自体初めてなので」
「そうだよね!もう少ししたら慣れてくると思うけど…」
「任務もまだ行ったことないんです」
「そっかそっか!最初は先生が一緒に来てくれるから心配いらないよ!」
この先輩すごい明るい。五条先生のハイテンションとは違う系統の明るさをしてる。
「僕にも妹がいるんだけど、ちょうど君と同じくらいになるんだよね」
「そうなんですか。妹さんは視えないんですか?」
「視えるんだけど、高専には来るなって僕がきつく言ったから普通に進学したみたい。でも君が1人になるなら言わないほうが良かったかな」
「全然大丈夫です、担任の先生が良い人なので困ってませんし」
それなら良かった、と先輩は笑う。
「そろそろ授業終わるけど戻らなくて大丈夫?」
「え?」
腕時計を確認すると、この時間の授業が終わる時刻を示していた。つい先ほど書庫室に来たばかりだと思っていたのに随分早く感じられる。私は先輩を振り返った。
「私、そろそろ戻ります。先輩はどうされますか?」
「僕は同期が帰ってくるまでここにいようかな。面白そうな本見つけたから」
「わかりました。じゃあ、お先に」
「うん、また会えたらその時はよろしくね!」
書庫室を出る。よく考えたらこの学校に来てから先輩と初めて喋ったかもしれない。上級生も任務に行っていることが多いから、そもそも生徒と会うことがないのだ。
名前聞きそびれたけど、また会ったときでいいよね。
***
宮永理子が入学して2週間と少しが経過した。彼女が校内でよく行く場所は教室と寮の自室以外では医務室であると、家入は確信を持って言える。何故なら宮永が医務室に来ない日はほとんど無いからだ。
どうやら年が5つしか変わらない彼女に懐かれているらしい、と感じ始めたのは、入学初日から4日立て続けで宮永が医務室に来てからだった。
「家入先生〜、おはようございます」
「おはよう」
その日もいつも通り朝から医務室に来た宮永は、制服ではなく動きやすいトレーニングウェアを着ていた。
「1限は体術か」
「一応1限からになってるんですけど、五条先生、朝一の任務終わらせてからこっちに来るみたいなんですよ。いくらなんでも任務多すぎませんか?過労死しちゃいそう」
「あいつだって好きで行ってるんじゃないから仕方ないな」
ほんとブラック〜、と独りごちる宮永は年相応で、家入の学生時代とは程遠い姿である。存外五条を慕っている様子なのも興味深かったし、何よりまだこの世界に明るくないとはいえ、
「五条の体術はどう?」
薬品棚を眺めていた宮永はポニーテールを揺らして振り返った。少し考える素振りを見せると口を開く。
「体格差がありすぎてちょっと怖いです」
「はは、だろうね」
「お手本の動画観せてくれたり、難しいところはちゃんと口で説明してくれたりしてわかりやすいんですけど、実践てなると…」
「相手がでかすぎる?」
「ふふ、そうですね」
家入の言い方に宮永は楽しそうに笑った。
「明日初めての任務なんですよ。五条先生同伴ですけど」
「理子はどういう戦い方なんだっけ、素手?」
「最初は素手でやってましたけど、最近は木刀でも練習してます」
「無理は禁物だよ。身体が細いんだから」
「筋トレはしてるんですけどね」
宮永は肩をすくめる。まだ15歳で体格も成長途中、加えて元々筋肉の付きにくい体質だと家入は踏んでいた。五条にはそのあたりを含めて考慮した授業を行うように窘めておいたが、彼が本当に理解しているかは不明である。
そういえば、と家入は少し前から感じていた疑問を口にする。
「体術の授業、最初はお団子で受けてたよね」
「お団子?ああ、髪の毛ですか?」
家入は頷いた。髪の毛が首に当たると邪魔なんですよ、と言っていたのはまだ記憶に新しい。
「五条先生が嫌そうだったからポニーテールに変えました。まあ言うほど毛先が気になるわけじゃないので」
「…へえ」
同期の考えているところが分かってしまって嫌になる。大方、もうここにはいないもう1人の同期を思い出してしまったのだろう。その感情を宮永は敏感に察したに違いない。宮永曰く、感情の理由までは分からないそうだから、自分のヘアスタイルが担任を不快にさせたのだと感じる程度だったのだろうが。
家入はふと、宮永がなぜ呪術師になる選択をしたのか気になった。
呪霊が視える人間にとって一般人の中で生きていくのは難しい。どう頑張っても視えてしまうから、それなら視える人間が多い環境で過ごす方が楽に決まっている。
しかし、宮永は感情と呪力を丸ごとオフにすることができる
「何で呪術高専のスカウトを受けたの」
きょとん、という言葉がぴったりな表情になった宮永を見て家入は思わず笑いそうになる。周りが考えるほど物事を深刻に捉えないタイプなのかもしれない。
「スカウトに来た人が、呪術師は万年人手不足で、呪霊のせいで死んじゃう人が年間1万人ぐらいいるって言ってたからですかね」
「そう。…限界来たら言いなよ、普通の高校に編入することだってできなくはないんだから」
「大丈夫です。私はこの道で生きるって決めたので」
そう言い切った宮永の表情に迷いは無く、家入はそれにどこか安堵を覚えた。それを誤魔化すように呆れた声を出す。
「そういうことは任務行ってから言うものでしょ」
「確かにそうですね。そういえばいよいよ明日なんですよ、初任務」
「頑張れ。五条も一緒に行くんだって?」
「そう聞いてます」
「じゃあ安心だね。五条と言えば、そろそろこっち着く頃じゃないか?」
家入がそう言いながら壁の時計を見上げると同時に、医務室の扉が勢いよく開かれた。
「やっほ〜!宮永、お待たせ!」
「五条先生、おかえりなさい」
「ただいマンモース。じゃ、授業行くよ〜」
「今日外ですか?道場?」
「道場だよ」
「はーい」
家入は、宮永に続いて廊下に出ようとした五条の腕を掴んだ。振り返った同期の顔を見上げて「話あるんだけど」と言う。
「…それ今じゃなきゃダメなやつ?」
黙って頷いた家入の顔を暫し見つめていたが、やがて五条は廊下に向かって宮永の名前を読んだ。
「はい?」
「ごめん、硝子と話さなきゃいけないことあったから先行っててくれる?」
「わかりました〜」
宮永は丁寧に医務室の扉を閉めた。その足音が段々遠ざかっていく。
「それで話って?硝子が僕を引き止めるなんて珍しいじゃん」
「あの子が入学してからずっと思ってたことがあるんだけど」
「あの子って、宮永のこと?」
「そう」
サングラスの向こうで瞳が僅かに細められたのが分かる。暗に促されて、家入は口を開いた。まわりくどい言い方は通じないから、単刀直入に。
「あの子を下の名前で呼ばないのって、天内理子を思い出すから?」
五条の感情が、喜びを表す黄色でも期待を表すオレンジ色でもなくて「関心を意味する薄いオレンジ」だったってところがポイント。
五条先生は宮永のことが生徒として大切とかはあんまり思ってないけど、宮永もそれは分かってるので大丈夫です