新米教師・五条悟   作:Bacon and Egg

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遅くなって大変申し訳ありません。
前半はここまでの話の五条先生視点になります。



4 青二才の嘴は黄色い

 

五条悟は最強だ。

それは現在の呪術界で事実として揺るぎないものであるし、僕自身もそう認識している。自惚れではなく、あくまでも事実として。

 

僕は自分が指導者向きだとはこれっぽっちも思っちゃいない。それでも教鞭をとると決めたのは他でもない、後進を育てるという目標のためだった。

噛みそうになりながらも一人称を改めて2年半。初めて受け持つことになった生徒との初めての対面は、彼女の入学初日となった。いつにも増して軽いノリを装って教室に踏み入ったのを覚えている。

 

「五条先生ですか?」

 

宮永理子に対する僕の第一印象は『大人しそうな子』。それ以上でも以下でもない。それから彼女の呪力と術式を視て、これまた不思議な生徒が来たものだと思った。

呪霊の他に人の感情が視えるという厄介な術式。処世術として呪力を切り替えるすべを身に着けていながら、「敵は呪霊だけじゃない」という僕の言葉にピンとこないあたりがやはり一般の出だと思わされた。

 

教師と生徒の距離感なんて分からない。ましてや宮永とは5歳しか変わらないから、どちらかというと後輩の延長のような感覚だった。

 

宮永は先月まで普通の中学生だったわけで、当然全てにおいて素人だ。中でも体術は未経験だから基本の型から教えるしかない。男子は中学の体育で柔道を習うから今までの後輩も一通りのやり方は知っていた。でも、彼女にはその経験すら無い。

職員室の棚の奥から引っ張り出してきた保健体育の教科書を見せながら教え、たまに映像教材なんかも使った。実際の組手で相手役になるのは僕しかいない。時々力加減を間違えることもあったけど、宮永は泣き言一つ言うことなく僕の教えることを吸収していく。

座学での飲み込みも早いと補助監督からの報告を受けている。僕が付き添った初任務でも、予定外の呪霊が現れたものの、本来の目的である祓除は滞りなく終えられた。

 

僕が教師になった理由──『呪術界のリセットに必要な強く聡い仲間になり得るか否か』で言えば、間違いなく是であると断言できる。

 

ラーメン屋に宮永を誘ってみたのは、ただ単に空腹だったのと次の任務まで時間があったこと、そしてこの教え子が何か食べているところを見たことが無かったからという3つの理由からだった。

口篭る様子から断られるのかと思いきや、財布がない、などと困ったように言うもんだから僕は拍子抜けしてしまった。

 

「そういえば宮永ってさ」

「はい」

「挨拶ちゃんとするよね」

「?はい」

 

僕が突然投げかけた疑問に戸惑いつつ、宮永は頷いた。困惑しながらもぐもぐと味噌ラーメンを咀嚼するその様子は見ていてとても面白い。

宮永は僕の質問に困惑してこっちを見ていたが、既に空になった僕のラーメンの器を見て少しびっくりしたように目を瞬いた。笑いを飲み込んで質問を続ける。

 

「僕が任務行く前に行ってらっしゃいとか、帰ってきたらおかえりなさいとか。車乗るときも挨拶してたし。なんで?」

「挨拶はちゃんとしなさいって言われて育ったので、癖ですかね」

「ふうん、そうなんだ」

 

それが当たり前だと言わんばかりにあっさりとした返事だった。

癖ねえ、と炒飯を食べながら考える。宮永のこの習慣に気がついたのは最初の実践授業の終わり、僕がこれから任務に行くと言った後だった。

 

『五条先生、気をつけて行ってらっしゃい』

 

特級呪術師にわざわざ気をつけて、を言うやつはいない。最初の方こそ僕の強さを知らないからかな、なんて思っていたものの、そういう訳でもなさそうだったから不思議に思っていた。育ちゆえのものだったのだとその時初めて知った。

 

 

それから暫くして5月に入ろうかという頃、医務室に寄った僕はその時の会話を思い出して、ちょうどその場にいた硝子に話した。

 

「理子は面白い子だな」

「面白い?」

 

今面白い要素あったか?と思いつつ、座ったまま硝子の顔をじっと見上げる。

 

「特級呪術師に『気をつけて』なんて言うの、あの子ぐらいでしょ。初対面で五条にビビってなさそうだったのも面白いし」

「僕のたゆまぬ努力のおかげって言ってくれる?」

「はは、そうかもな」

 

でも、と硝子は続けた。

 

「理子がこの世界を何も知らない、一般家庭の出身だからっていうのはあると思うけどね」

「なにそれ〜、どういうこと?」

「呪術界に詳しかったら、『()()五条悟が担任だ』って身構えるに決まってるじゃん」

「ふ〜ん…そういうもん?」

「そういうもんだよ」

 

まあ僕最強だし、と付け加えると硝子に白い目で見られた。

そろそろ宮永のところに行こうかと立ち上がろうとしたとき、医務室の扉が引かれて伊地知が入ってきた。揶揄ってやろうと口を開く前に、伊地知は僕の顔を見ると不思議そうな顔になった。

 

「五条さん、先ほど五条さんに用があるという方が来ていましたけど、もうお会いになりましたか?」

「用?僕に?」

「はい。応接室に案内されて、その後黒崎さんが応対していましたが」

 

僕に用があるからといって、わざわざここまで来るのは実家の使用人ぐらいのものだ。上層部の奴らからの小言は夜蛾学長経由で来るか、僕が赴くことが殆どだ。五条家関係の人間でさえ僕と行き違いになるのを防ぐために前もって連絡をしてくるぐらいだから、こうして突然の来訪者は珍しいとも言えた。

 

「早く行けば。その人待ちぼうけ食らってんじゃない?」

「うーわめんどくさ。僕に直接会いに来なくていいっての」

 

仕方なく重い腰を上げて伊地知の脇をすり抜ける。じゃーね、と声をかけると、硝子は振り向きもせずにひらひらと手を振ってきた。

 

 

「いないじゃん」

 

応接室はもぬけの殻で1つだけ置かれた湯呑みからはまだ湯気が出ていた。僕に会いに来たという客人と補助監督の黒崎が部屋を出たのはついさっきらしかった。学校案内をしてほしいとでも言われたか、痺れを切らして僕を探しに出たか。黒崎は人が良い男だから受け入れたに違いない。状況によっては長所とは言い難いけど。

探すのも面倒だ、そもそも僕に用があるなら向こうから来るだろ。勝手にそう結論づけて、僕は宮永の体術の授業のためにグラウンドに行くことにした。今日は外で接近戦の練習をやることになっている。

宮永はもう外にいるのか確かめようと、僕は携帯に登録している番号にかけた。

 

『はい、宮永です』

「おっはよ〜。今どこにいる?」

『おはようございます。グラウンドで準備運動終わったところで、今は自販機の前にいます』

「了解〜。僕もすぐ行くからそこで待っててー」

『わかりました』

 

一旦校舎を出て外に出る。自販機はグラウンドのすぐそばにあるからそれほど時間はかからない。

自販機のそばにいる宮永の呪力が遠目からでも分かる。僕は大声で呼びかけようとして、宮永の隣にいる見覚えのないもう1つの呪力に気がついた。誰だ、と目を細めてから、さっき応接室で見た湯呑みを思い出す。

ああ、僕に用があるってのはあいつか。隣に黒崎がいないのを不思議に思いつつも歩を進めようとしたとき、宮永の呪力が大きく揺らいだ。

 

 

『僕もすぐ行くからそこで待っててー』

「わかりました」

 

携帯電話を閉じると、私は自販機に小銭を入れた。買うのはいつもミネラルウォーターと決めている。ジュースは美味しいけど後から喉が渇くからコスパが悪い。

珍しいことに五条先生は午前中が空いているとのことで、朝から私の体術を見ると約束していた。自販機前にいると電話口で伝えたら、そこで待つように言われて今に至る。先生まだかな。

 

「宮永術師」

 

突然名前を呼ばれて反射で振り返る。黒い服を着た男の人が立っていた。中肉中背、どこにでもいそうな普通の人。どこにでもいそうな普通の人だけど、私を見るその目からはじわじわと紫色(嫌悪)が滲み出るように放たれている。初対面でこの感情を向けてくる人間に碌な奴が居た試しがない。

 

「はい?」

「五条悟の教え子の」

「そうですけど…五条先生のお知り合いですか?」

 

そう聞いた途端、瞳から放たれる紫色は大きく膨らんで勢いを増し始めた。

そんなに五条先生が嫌なのだろうか。感情が視えることを悟られてはならないから、相当驚いたけど顔には出さないように意識する。

名前を出しただけで本来の虹彩の色が見えなくなるまでの強い感情を抱くのは、どう考えても異常だ。ここまで濃い紫色が示す感情は嫌悪を越えた憎悪なのだから。この人が非術師だったら間違いなく呪霊を大量生産しているに違いない。

 

「ああ、まあ。そんなところだよ」

 

男の口が弧を描く。瞳から憎しみの色を垂れ流しながら笑うその様子は心底気味が悪い。今すぐにでも呪力をオフに切り替えたくなる。

男は1歩私に近寄ると、ところで、と続けた。これ以上近づいてきたら逃げよ。

 

「五条悟はよく君の授業を見ているのかな」

「…任務が無いときは来ていただいてます」

「そうか。君にとって彼はどんな存在?」

「良い先生だと思っています。授業も分かりやすいですし」

 

その質問を口にした瞬間、憎悪の中に別の色が混じり始めた。黄色(喜び)

これらが同時に現れた場合、相手が抱く感情の名前は『不健康(morbidness)』だ。不健全、陰鬱とも評されるこの応用感情は一番分析が難しい。少なくとも明らかなのは、自分にそれが向けられている場合にはすぐその場を離れるべきだということ。

 

男は私の返答を聞くなり笑みを深め、私の耳元に口を寄せてきた。いやきっも。五条先生早く来ないかな。

 

「───」

 

驚いて顔をあげれば、男は悪意を隠そうともせず私を見つめている。突然本性を現した衝撃で固まっていると、場違いにも程がある明るい声が降ってきた。

 

「宮永~何してるの~?」

「先生の知り合いの方が来ていたので話してました」

「…知り合い、ねえ」

 

五条先生は顔を傾けてサングラス越しに男の顔を覗き込む。軽蔑の色が放たれている。かたや男の瞳からは恐怖と驚き──畏怖の色が見えた。どういう関係かは知らないが、力関係だけは目に見えてはっきりしている。

 

「宮永」

「あ、はい」

「先にグラウンド行ってて。僕この人とちょっとお話あるんだ」

「はーい」

 

いるのも気まずいし、と思って私は早々にその場を立ち去った。あの男から放たれていた紫が目の奥にこびりついて離れない。

 

 

「で。何の用?」

「…何の話か私にはさっぱり」

 

ここまで来てしらを切る気か。僕は仕方なく、コイツの胸ぐらを掴んだ。ひ、とその口から悲鳴とも呼べない情けない声が漏れて顔がますます青褪める。

 

「死にたい?」

「ひいっ!」

「情けねーな」

 

ぱっと手を離す。陰でこそこそ悪口を言うくせに、実際に僕を目の前にすると何も言えなくなるコイツのような人間には心底うんざりだった。

 

「教師になった僕を冷やかそうって魂胆?鬱陶しいから帰ってくれるかな」

 

笑顔で告げた後、わざと冷ややかな視線を向ける。それだけで更に縮みあがったソイツは泡を食って駆けて行った。

上層部の手先かと思ったけど、あそこまで肝の小さい奴を送り込むとも思えない。恐らく本当に、ただ僕のことを快く思っておらず冷やかしに来ただけなのだろう。

ただ、あの男と話していた時に宮永の呪力が大きな揺らぎを見せたことが気になっていた。呪力の乱れは心の乱れだ。何かしら彼女が動揺することが起きたと見て間違いないだろう。

 

 

「宮永~」

 

日陰での柔軟が終わった頃、五条先生がグラウンドに現れた。私が振り返るといつも通り手をひらひらさせながら近づいてくる。

 

「話終わりました?」

「うん」

「あの人誰だったんですか」

「教師になった僕を冷やかしに来た暇人。今思い出したけど、アイツ僕が進路決めた時も来たんだよね。何が楽しいんだか」

 

心底鬱陶しそうな声に、有名人も大変だな、と他人事のように思う。さっき買った水を飲もうと手に取ったとき、五条先生が「宮永さあ」と話し始めたので顔を上げた。

いつの間にサングラスを外したのか、青色の双眸がこちらを見下ろしている。オレンジと緑──懸念の色が私に向けられていて、思わず瞬きを繰り返した。

 

「アイツになんかされた?」

「何もされてないですよ。五条先生の名前出したらいきなり距離詰めてきましたけど」

 

少し考えてから答えると、五条先生深くため息をついてサングラスを掛け直した。

 

「ああいう人間は次から無視していい。僕も気を付けるけど、いつも高専にいるわけじゃないからね」

「はーい」

「じゃ、始めよっか」

 

五条先生に続いてグラウンドを降りた。

初任務の後、何度か任務に行く中で刀を使った祓霊方法が自分に合っていると気付いた。それを先生に話した後から体術の時間で剣術を取り入れた練習が始まり、現在に至る。

 

「はい、ダーメ」

 

あっという間に地面に転がされて、視界いっぱいに青空が広がる。五条先生はひょい、と覗き込むように顔を向けてきた。砂を払って起き上がる。

 

「自分の手元に気を取られすぎ。足元ガラ空きだからすぐひっくり返されんの、分かる?」

「はい」

「ま、受け身の取り方も知らなかった時から1ヶ月でここまで来れてるし、筋がいいのは確かだけどね」

「どうすれば足元守れますか?」

 

五条先生は「うーん」と言って考え込む。聞いている感じだと五条先生は子どもの頃から体術に触れてきたみたいだから、私みたいなド素人に言葉で説明するのは難しいのかもしれない。

 

「経験の問題もあるけど、視野を広く持とうって意識は持ってた方がいいかな」

「視野を広く…」

「相手の動きをもっと俯瞰的に把握するってこと。全体的な動きもそうだけど、全体ばっかり見て細部の攻撃に対して反応が遅れるのはもちろんダメ」

「なるほど」

 

なるほど、と言ったは良いけど実践に移せるかと言われれば間違いなく否。五条先生もそれを分かっているのか笑って肩をすくめた。

 

「まあ追々ね。早く強くなってほしいのはほんとだけど」

「頑張ります。もう一本お願いします」

「ガッツがあっていいね〜!宮永の好きなタイミングでかかってきな」

 

***

 

都心の喧騒が遠くに聞こえる路地裏で、一人の男が携帯電話を取り出している。

 

『どうだった?五条悟の教え子は』

「別にどうってことない、普通のガキだったよ。わざわざ高専まで見に行く必要あったのか?」

『本当にただの子どもかどうか、直接確かめる必要があったからな。五条悟との関係はどんな感じだ?』

「どこにでもいる教師と生徒って感じだな。流石の五条も俺が生徒目当てで来たとは思ってなさそうだったが」

『自分が狙われすぎると、かえって他の人間が目的だと気付かないものだからな』

 

携帯の向こう側から言われた言葉に、男は口角を持ち上げた。

 

「呪術師としては最強でも、教師としてはまだまだ嘴が黄色いな」

『手抜かるなよ。その子どもが今以上に強くなる前に潰せ』

「わかってる」

 

通話が終了する。乾いたビジートーンだけが小さく響いていた。





他人の感情が一々見えてたら生きづらそうですよね
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