「五条さん、お疲れ様でした」
「お疲れ。伊地知、さっき言った補助監督の記録よろしく」
「はい」
僕が高専に戻ってきたのは午後10時を回った頃だった。1時間ほど前に黒崎が戻ったとの知らせをメールで受けている。職員室にいるみたいだから直接向かうことにした。
「五条さん」
職員室へ向かう途中の廊下から名前を呼ばれる。呼ばれるより前からそこに黒崎がいるのは視えていたから特に驚くことはなかった。
人当たりの良さそうな顔はいつもより強張っている。きっと宮永に起きた事の顛末を聞いたんだろう。もしこいつが仕組んだことだったらこの顔も演技ってことになるけど。
「──2級以上じゃないと任務の単独行動は認められてないのは分かってるよね?」
「はい」
「それを承知の上で、どうしてあの場に宮永を一人にしたのか説明して」
「調整ミスが出たのでピックアップに行くようにと指示がありました。それを終えた後で携帯を確認したら宮永さんから『別の補助監督が迎えに来てくれたので大丈夫です』と送られてきていたので、宮永さんの任務後に割り当てられていた担当の呪術師の方を迎えに高専に戻りました」
黒崎が携帯の画面を見せてきた。確かに送信者名は宮永になっていて、受信時の時刻は16時52分。なるほど、状況については何となく察しがついた。
黒崎が仕組んだわけじゃなさそうだ。でもそれはあくまで
やっぱり補助監督の送迎記録も見ないとはっきりしたことは分からなさそうだった。
「わかった。今日はもういいよ」
「はい」
「分かってると思うけど、これから宮永の任務に同行させることは無いから」
黒崎は頷くと踵を返して去って行った。
不意にポケットに入れてあった携帯が震える。硝子からのメールだ。医務室にいるから来い、とだけ書かれたメールに目を通して閉じる。この時間まで働いてるとか同期揃ってブラックすぎてウケる。
「やっほー、硝子」
「やっと来たか」
「メールもらって1分しか経ってないんだけど?」
硝子は僕の言葉を無視して「座って」と椅子を顎でしゃくった。
「宮永は?」
「大したことなかったから普通の手当で済んだよ。五条からメールで言われてた捻挫の方も湿布で十分。本人はちゃんと自己申告してきた」
「そ、じゃあ問題ナシ?」
「怪我はね」
硝子の意味深な返事。
宮永は割とタフな性格だから今日のことがトラウマになるとは考えにくいんだけどな。
「『君は五条悟のせいで死ぬ』だって」
「はあ?」
「“知り合いの振りをして五条先生のことを冷やかしに来た男の人”に言われたって理子が言ってた。本人はお前に言わなくていいって言ってたけどね、内容が内容だから流石にそういう訳にもいかないだろ」
「へえ、なるほどねえ」
今日の任務帰りに宮永が聞いてきた質問の意図はそういうことか。この間来た男の顔を思い出す。面倒くさ。
随分悪質な悪戯だけど、任務で等級違いの呪霊を目の当たりにして思い出したのかもしれない。予言やその類の術式じゃないって僕が否定したから、宮永本人は単なる偶然だと思っているだろう。
「ちゃんと見ててやんなよ」
「わかってるよ」
「なら良いけど。これからあの子の任務はどうする訳?」
「3年が長期任務から戻ってきたら理子と会わせて、等級が上がるまではそこと組ませようかなって。黒崎はそもそも任務同行の許可が剥奪されるだろ」
硝子は「そうだね」と言いながらデスクの上を片付け始めた。今日の仕事はもう終わりらしい。
「元とはいえ、仮にも準1級だった人間が4級を現場に置き去りにしたんだから仕方ないね。2年生がいると良かったのに」
呆れたように呟く硝子に「少子化だから仕方ないね」と最近ニュースで観た単語を思い出して適当に返す。
3年は1、2年に比べると長期任務が増えるから学校にいない日が増える。よっぽどのことがなきゃ個人の等級も上がってるから、それに伴って任務量も多くなるのだ。
「五条はもう任務ないの?」
「今日は終わったよ」
「そ、じゃあ女子寮一緒に来てよ」
「女子寮?なんで」
思わず尋ねた僕に向かって、硝子は湿布を掲げてみせた。
「予備渡すの忘れたから渡しに行くの」
「ふーん?でも僕まだ任務あるから今度にするよ」
既に補助監督を待たせている。硝子と話してる最中から携帯は鳴ってるし、これ以上メールと電話で催促されるのは鬱陶しくてしょうがない。
「あの子はまさか自分の命が狙われるかもなんて考えないよ」
医務室を出ようとしたときに脈絡なくそう言われて、思わず硝子を振り返った。
「普通に生きてきてそういう思考にはならない。呪術師の人生が常に危険と隣り合わせだって教えるのは私達の役目なんだから」
***
想定外の呪霊が現れたあの任務の翌日、座学のために教室に来てくれた補助監督の人から今日の午後に予定されていた私の任務が無くなったと伝えられた。
急なお知らせでびっくり。今は繁忙期で人手が足りないと聞いていたから尚更。
「お知らせするのが遅れてすみません」
「それは全然気にしてないんですけど…どうして無くなったんですか?」
「宮永さんの任務を1週間差し止めるよう、五条さんが指示したそうです」
「五条先生が?」
予想外の理由だった。自分の口が開いていることに気付いて閉じる。
「それだけ言って任務に出られたようなので補助監督側も理由が分からず、とにかく今後1週間の宮永さんの任務を別の方に任せる方向で調整しています」
そんな無茶な、と思ったけど、どうやらそうでもないらしい。私の等級が低いために任務の難易度も高くないから、代わりを探すときに等級が限定されないぶん楽なんだと補助監督の人は教えてくれた。
「体術の練習は怪我に障りがない程度であれば許可がおりています。五条さんも悪化しない範囲でやるようにとのことでした」
足の捻挫も痛みはほぼ引いたし、家入先生の許可もおりてるなら五条先生はきっといつも通りの体術練習をやるだろうな。うわーしんどい。
「任務ない分いっぱい練習できるね!」とか言われる未来しか見えない。生徒は私だけだから中学の時みたいに簡単に見学もできないからな…先生の時間を無駄にはしたくないし。
「こちらが宮永さんにやっておいてほしいことだそうです」
「ありがとうございます」
授業の終わり際になって渡されたのは一枚のプリントだった。体術の基礎トレーニングが簡単に書かれている。
「五条先生からですか?」
「はい」
印刷された文字の下に「何かあったら遠慮なく連絡すること!⚯」と手書きで付け加えられている。
この⚯は……もしかして先生のサングラスかな。トレードマーク的な?五条先生もそういうことするんだ。
「今日の午後は来られないそうなのでそれをやっておいてほしいそうです」
「なるほど。わかりました」
チャイムが鳴って補助監督の人が出ていった。
この後1時間自習をしたあと昼休みになる。午後の任務が無くなったならその時間を体術の自主トレにすれば良いかな。
休み時間だけどお構いなしに自習用の現代社会のプリントを解き進める。所要時間は30分ぐらい。理系科目は教科書を見ながらでもこの倍はかかるので、つくづく自分は文系脳なんだなと思った。
早めに食堂に行ってもいいんだけどそんなにお腹は空いてないし、任務がなくなったのに自習までサボってると思われたら心外すぎる。
「そうだ、書庫室行こう」
一人で呟いてから、某テレビCMみたいだと気づいて笑えてきた。
プリントを教卓に置いて廊下に滑り出る。しんと静まり返っていて、ここで熱唱しながらスキップしたって、誰も気づかないだろうと確信を持てるぐらい人の気配もしない。
書庫室へはすぐにたどり着いた。熱唱もスキップもさすがに実践に移すのはやめておいて正解だったなと思う。だって書庫室には先客がいたから。
「あれ、また会ったね!」
屈託なく笑ったのは以前にもここで会った一つ年上の先輩だった。
「先輩はよくここに来るんですか?」
「そうだよ~、お気に入りの場所なんだ」
そうなんですね、と相槌をうちながら本棚を見て回る。
部屋の奥に位置する棚の中に今までの生徒の名簿録を見つけて手に取った。入学前に提出した写真付きの履歴書がファイリングされてる。
当然最新のページは私だ。写真映り悪すぎてウケる。
「…?」
私の前のページは当然、今一緒にいる先輩かその同期の人でなきゃおかしい。でもそこにあったのは私より2学年上、3年生の先輩のものだった。先輩のページが無い。
「どっかに紛れちゃってるとか?」
深く考えず、遡る形でページを捲っていると伊地知先輩の履歴書が出てきた。あんまり変わってなくてちょっと面白い。そのまま次のページに移ったときだった。
「え?」
思ったより大きな声が出て、それが聞こえたのか書庫室の反対側から「どうかした~?」と先輩の声が聞こえてきた。でも私はそのページを馬鹿みたいに凝視したまま、石みたいに固まっていた。
『灰原雄 2006年度入学』という文字の横には、証明写真が貼られている。そこに写っていたのは今いる先輩の顔と全く同じだった。
つまり、私と一緒に書庫室にいるあの人は、五条先生の一つ下の後輩ってことになる。履歴書に書かれてることが
「あ、見つけちゃった?」
すぐそばから声が聞こえた。
私が返事をしないから見に来たんだろう。灰原先輩がすぐそこに立って、困ったように笑って私を見ている。
「…どういうことですか、これ」
声が震えないように気を付けて私は聞いた。先輩は困った顔のまま私が指さしたところ見て「書いてある通りだよ」と言った。
『任務中の死亡により除籍処分』
私と先輩の間で、赤いインクで記された文字だけが鮮明に浮き上がって見えた。
長らく更新を止めてしまっていて大変申し訳ありませんでした。
今後ともお付き合いいただけたら嬉しいです。