死ぬに死ねない中年狙撃魔術師(書籍版6月5日発売) 作:星野純三
ギルド長に頼まれていた森の巡回は、大過なく終わった。
他所から流れてきた狩人たちが、腕試しも兼ねて森の浅層をまわり始めたからだ。
城塞都市エドルの人手不足を知って、目ざとく集まってきた者たちである。
他の森ではやっていけなかったような半端者たち。
あるいは、以前このあたりに暮らしていたものの、なんらかの理由で拠点を移した者たち。
数は少ないながらも、そういった者たちが、雪上を走る角鹿馬車でやってきた。
彼らの素行については未知数であるが……。
ギルド長は、経験を積んだ狩人がギルドに加入するのは助かることだ、といっていた。
しばらくは古参との間でもめごとが絶えないとしても、である。
まあ、仲裁や裁定は彼の仕事で、おれには関係がない。
そういうわけでおれは、今日も酒場で昼から呑んでいた。
リラもいっしょだ。
外は吹雪なため、師弟そろって、ぐだぐだする日である。
暖房の利いた酒場で呑む、冷えたエールがうまい。
つまみは、羊のチーズをふんだんに入れた香草のサラダだ。
リラは相変わらず葡萄酒を水で割って、腸詰めや串焼きをガツガツと食べている。
食欲が旺盛でなによりであった。
「師匠って、肉が嫌いなわけじゃないですよね」
「この年になると脂がな……」
「本当に年だからですか? じつは昔から脂身が苦手だったりしません?」
どうだったかな、と首をひねる。
そういえば、あいつとふたりで旅をしていたころも、脂っこいものを避けていたような……。
「もしかして、これってただの、おれの好みだったのか?」
おれはおおきく目を見開いた。
いまにして気づく、衝撃の新事実である。
「わたしは、ずっと前から知ってました」
「観察眼のある弟子で、師としては誇らしいよ」
「師匠のことは、いつもよくみてましたから!」
リラが、えっへんと胸を張る。
おれの一挙手一投足を観察したところで、なんら有益な情報は得られない気がするが……まあいいか。
「えらいぞ、我が弟子」
「そんなえらい弟子なのに、師匠は最近、別の女の子と楽しく話をしていたとか」
ジト目になっておれを睨んでくる。
なんのことだ? と少し考えて、テテミッタのことだと気づく。
「ブラック・プティング戦でサポートをしてくれた見習い魔術師のことは覚えているだろう。彼女の相談に乗っただけだよ」
「じゃあ、わたしの相談にも乗ってくださいよー」
「今日はやけにからむな。悩みがあるならいつでもいってくれ。弟子のことは最優先だ」
「え、あ、うん、その……」
リラは頬を朱に染めて、うつむいた。
なにを照れてるんだ。
「魔法関連の相談はおれじゃなくて、学院の卒業生に持っていけよ」
「師匠がずっとこの町を拠点にするかどうか、知りたいんです。場合によっては、家を借りた方がいいかなって。錬金術の道具、本格的に増えてきちゃって宿じゃ手狭なんですよね」
ああ、そういう話か。
たしかに、おれと相談する必要がある事柄だ。
というか、今後のことについてきっちり話をしていなかった。
おれのミスだ。
「場合によっては、その……。師匠といっしょに家を借りて、とか! わたしお掃除とかお料理もできちゃったりしますよ!」
「魔術師の師弟ならよくあることだが、おれたちは狙撃魔術師だ、そこまでする必要はないんじゃないか」
「むう」
「なんでふてくされる」
実際のところ、ヤァータのことがあるので、いくら弟子のリラとはいっても、他人と同じ家で暮らすのはためらうものがある。
聡い彼女のことだ、ヤァータが少し特別な存在であることを薄々気づいているかもしれないが……。
「話は戻りますけど、師匠はこの町にずっと住むんですか」
「そのつもりだった、んだが……」
おれはちらりと周囲を見渡したあと、小声になった。
「黒竜に目をつけられたかもしれん。ほとぼりが醒めるまで、河岸を変えることも考えなきゃならん」
「ああー、それがありましたか」
リラは、苦虫を噛み潰したような顔になる。
彼女はおれとあのカラスが会話していたときその場にいたのだから、そんな反応にもなろう。
「その場合、きみまで無理についてくる必要はないが……」
「いえ、もちろんご一緒させていただきますとも! 師匠のいるところ、どこにだってわたしの姿があるのです。一番弟子ですから!」
リラはぐっと胸もとで拳を握り、前のめりになった。
一番、のところにずいぶんとちからが入っている。
「いまのところ、二番目はいないけどな」
「つまりわたしは、師匠の特別ってことです!」
なにが嬉しいのか、えへらと笑う一番弟子。
うん、うちの弟子はとてもかわいい。
「そもそも、師匠が目をつけられたなら、わたしもって気がするんですよね」
「その可能性は、充分にある」
あの黒竜、つくづく厄介な存在だ。
理性的にみえるから、こちらがこれ以上なにかしない限り、向こうからこれ以上この町を攻撃してくることはなさそうなのだが……。
「そもそも、本当に黒竜なんですかね」
「正直なところ、わからん。傍証だけだからな」
かの存在が、自ら「我は黒竜である」と名乗ったわけではない。
ヒトが勝手に状況証拠を積み重ねて、山脈の奥に黒竜がいるであろうと推察しているだけである。
まあ、黒竜であろうとなんであろうと、あそこになにか強大な存在が潜んでいることは、もはや明らかだ。
それが迂闊に手を出すことまかりならぬ、厄介な相手であるということも。
ここの領主としても、帝国としても、しばらくはあの山脈に触らないと決めたようである。
これ以上、かの存在を刺激することに意味はない。
帝都の狩猟ギルド本部も、ようやくそう悟ったようであった。
ここに至るまでに払った犠牲はおおきいが、かといってこれ以上の、想定され得る損害を許容してまで討ちとるべき相手ではない、と。
「正体がわからなければ、対策も打てない。山脈に棲むやつは、実に上手くやった」
「狙撃魔術師って、相手のことをよく調べたうえじゃないと戦えませんもんね。昔なら、特種魔法で無差別に滅ぼすって手も使えたんでしょうけど」
「特種魔法……?」
「あ、師匠は知りませんか。貴種の命を捧げて使う魔法です。いまとなっては、一部の貴族にしか伝わっていないんですけど。命を捧げるためにそんな魔法を覚えるなんて、馬鹿な話ですよね」
ああ、メイテルがいっていた、あれか。
痕滅魔法。
以前は貴族の義務として習得されていた、生贄の魔法。
いろいろな呼び名があるのだな。
たぶん、リラがいっている「特種」というのは帝都の学院における呼び名だ。
一般的には失われてしまった魔法であっても、それらを保存し、分類し、研究している者たちがいるのである。
メイテルは、痕滅魔法を習得している、と語っていた。
ならはたして、おれと旅をしていたときのあいつ、メイテルの姉である彼女は……。
どうだったのだろう、と思う。
あいつが家を出奔した理由のひとつには、そういった貴族の家の風習に嫌気が差したからではないか。
いまとなっては真偽は定かではないが、ふとそんなことを考えてしまう。
あいつは、おれを守って死んだ。
だからこれは、あいつが己の命を惜しんだ、という話ではない。
命を捧げる義務という、窮屈な生き方に対する反発。
自分の生き方は自分で決める、という決断。
たしかに、あいつらしいかな、と思うのである。
もちろんそれは、貴族としてはてんで駄目な考え方なのだろう。
だがおれは、彼女のそんな考え方が嫌いではなかった。
「ちなみに、リラ、きみの家はどうだった」
「あ、うちはそういうの全然ですね。帝国の大半で、もうやめちゃってるんですよ。そんな時代じゃない、って」
時代は移り変わり、自分の命の使い方は自分で決める。
それだけのちからが必要なときは、狙撃魔術師に任せればいい。
ここのような辺境ならともかく、外との争いが少ない土地では、なおさらだろう。
そういう時代になったのだ。
メイテルだって、あのときは己の命を切り札にするといっていたが……。
それは無暗に切ることができない、本当に最後の最後に残された手段である。
黒竜とおぼしきあの存在は、そこまで気づいているのだろうか。
狙撃魔法の対策をブラック・プティングにほどこしていたのだから。
おれには、そこまで理解した上での行動に思えるのだ。
「昔なら、その特種魔法ってやつを山脈にぶっぱなしていたってことか」
「かも、しれませんね。覚えている人がたくさんいれば、手札を一枚、とりあえず切ってみる気にもなります。ことに、一族の頭数が多くて当主のちからが強い家なら」
己の威信を保つためなら、ためらいなく身内を生贄にしてみせる、ということだ。
それが結果的に、もっとも犠牲が少なくて済む方法である、と。
「貴族ってクソだな」
思わず呟いてしまった。
だがリラは、「本当にそうですよねー」とけらけら笑って同意を示す。
「父は、きっとだから、わたしを外に放り出したんです。わたしに対して『笑って死ね』っていいたくなかったから。でもそんな父でも、ほかの自分の子どもには、きっと必要があったら『笑って死ね』っていうんです。それが貴族だから」
少女はまっすぐにおれをみつめる。
その瞳の色も髪の色も、顔立ちも、なにもかもがあいつとは似ても似つかないというのに、なぜだかおれは、彼女のなかにあいつの姿を重ねてしまった。
「わたしの命の使い方は、わたしが決めます。いまのわたしは、師匠の後ろにどこまでもくっついていくんです」
※※※
夕方、おれは宿の二階の一室で、窓を開け放ち、飛んできた三つ足のカラス、ヤァータを招き入れた。
突き刺さるような冷気と共に暖房の利いた部屋に飛び込んできた我が使い魔は、テーブルの上に着地すると、ひとつカァと鳴く。
窓を閉めて、改めて暖房の魔道具を起動しながらヤァータのそばに赴く。
「偵察は、どうだった」
「山脈は現在も異常ありません。黒竜の痕跡どころか、山脈のなかには現在、魔物の一体も発見できません」
「魔物が消えた、か……。ブラック・プティングに食われた、とかじゃないだろうな」
「その可能性もありますが、あれだけの範囲ですべての魔物が消えるというのは、いささか不自然です」
それも、そうか。
ヤァータには再三、山脈付近を偵察させているのだが、今回はさらに踏み込んで、山脈の内部を詳しく調べさせたのだ。
結果、山脈に魔物の姿がいっさいみられない、というこのが判明してしまった。
あまりにも奇妙である。
黒竜はどこに行ったのか。
あるいは、いまも隠れているのだろうか。
あるいは、面倒を避けるため、別の場所に消えたという可能性もある。
すでに二度、この町から、帝国から、仕掛けられているのだから……これ以上の干渉を厭うて引っ越ししてしまった、というのも充分に考えられることであった。
「ヤァータ、きみの考えを聞きたい。黒竜はどうなった」
「情報が不足しています。考えというほどの推測はできません」
「それでも、もっとも高い可能性について語ることはできるだろう」
こいつとのつきあいは、長い。
だんだんと、答えを得る方法についてもわかってきた。
カラスは、ひとつ頭を振ると……。
しぶしぶといった様子で語り始めた。
「現在、もっとも高い確率を占めるものは、『黒竜は存在しなかった』という可能性です」
「あの山脈に隠れていたなにかは黒竜じゃなかった、ということか? ブラック・プティングをつくり出した存在は黒竜ではなかった、と?」
「ブラック・プティングをつくり出したものすら、あの山脈には存在しなかった可能性もあります」
「詳しく説明してくれ」
「これには数限りない可能性があります。あくまでも、もっとも確率が高い可能性の話です。その高い確率というのも、せいぜい二十パーセントを少し越える程度です」
「じゃあ、そのうちのひとつは? 適当に、高い可能性のひとつをいってみてくれ」
「では、ひとつを。他の国の者が、かの地に黒竜が存在すると我々に思い込ませたかった」
なるほど、それは充分に考えられることだ。
国と国の境であるあの山脈に、いっそうデリケートな存在の可能性を匂わせることで帝国の進出を阻む、という作戦である。
ただし、その場合……その他国というのは、優秀な狙撃魔術師が混じった五十人ほどのチームを全滅させたうえで、ブラック・プティングというとんでもない化け物をつくり出したということになる。
そのような誰も聞いたことがない技術を秘匿している国が、近隣にあると考えるのは……いささか荒唐無稽に思えてくる。
あえてその可能性が高いとヤァータが語ったのは、このカラスの格好をした存在が魔法技術について詳しくないからであろう。
そのくらいの推察ができるくらいには、おれはヤァータのことを理解していると思っている。
「その可能性は除いていい。近隣諸国には帝国ほどの魔法技術はないし、帝国の魔術師はブラック・プティングなんてものをつくれないという前提で再度、考察してくれ」
「では、黒竜に類する存在は実在し、しかし山脈から移動したという可能性がもっとも高くなります」
「予測が一気に変わったな。そうか、今回の背後にヒトの意思が介在する可能性がまるまる消えたからだな」
「ご主人さまのおっしゃる前提によればブラック・プティングという動かしがたい証拠がある以上、そこにはヒト以上の魔法を用いるものが確実に存在していると考えられます」
それもそうか。
ブラック・プティングという新たに発見された魔物の新規性は、帝国にとってもそれだけ衝撃的だったのである。
あれをつくり出した魔法技術によって、第二、第三のブラック・プティングが生まれれば、それは狙撃魔術師にとっておおきな脅威となるだろう。
おれだって、次にまたあれの本体の魔臓を確実に射貫けるとは限らない。
あれの死骸は帝都の学院に回収され、徹底的に研究されているはずだから、いずれ有効な知見が得られる可能性はあるが……。
それには、いましばらくの時間がかかることだろう。
「いまのところ、ブラック・プティングを確実に倒せるのは痕滅魔法だけらしい。逆にいえば、その気になればたったひとりの犠牲であれほどの化け物を始末できるということだ。黒竜らしき存在からみれば、ヒトの群れはたいそうな脅威に映るだろう」
「はい。だからこそ、山脈から移動したのでしょう」
「どこに行ったか、わかるか?」
「いっそうの秘境に移動した、という可能性がもっとも高いと考えられます。もっとも、黒竜らしき存在の具体的な性能をわたしは未だ掴んでおりません。断定は困難です」
結局のところ、わからないことだらけ、ということだった。
一度、会話を交わした限り、高い知性と諧謔を理解した、厄介な存在であることは間違いないのだが……。
「以降も山脈の偵察を続けてよろしいでしょうか」
「ずいぶんと熱心だな」
少しだけ、違和感を覚えた。
だがまあ、こいつがおれに不利益なことをしない、というのはよく理解している。
「春になれば、いちどこの町を出る。しばらくは旅をすることになるだろう。それまでは引き続き、監視を頼む」
「かしこまりました」
おれは窓を開けた。
ヤァータは疲れた様子もみせず、暗くなった空にふたたび飛び立つ。
その姿は、闇に紛れてたちまちみえなくなった。
羽音も、降り続いける雪に埋もれて消えた。
窓を閉めて、ため息をつく。
「旅、か」
安定した、と思っていた。
この町に身を落ち着けるときがきたのだと。
そうはならなかった。
おれはいつまで、彷徨うのだろうか。
これから、なにを求めて生きていくのだろうか。
ふと。
あいつの顔を思い出す。
なぜだか、あいつの顔が、リラの笑顔に重なった。