死ぬに死ねない中年狙撃魔術師(書籍版6月5日発売) 作:星野純三
雪が解けて、春が来る。
都市の壁の内側に閉じこもっていた人々が、一斉に動き出す。
街道を馬車が行き交う。
町に新しい人々がやってくる。
森の生き物も動き出す。
巣ごもりを終えた熊が腹を空かせて徘徊する。
鳥が歌をさえずり、宙に羽ばたく。
生命活動が活発化する季節が、やってきた。
※※※
我が出会ったその奇妙な三つ足のカラスは、それを
カラスは、とある狙撃魔術師の使い魔をしているらしい。
我が使い魔たるカラスは自我を持たない、我の忠実なしもべである。
対してこの三つ足のカラスは、やたらと自己主張が強い様子であった。
なによりも、その知識に比類なきものがあった。
賢者と呼んで差し支えがなかった。
この大陸の者たちがとうていあずかり知らぬことを、何故か数多く知っているようだった。
くだんのカラスと初めて接触したのは、冬の最中。
カラスの端末が、我の棲み処である山脈の奥深くにやってきたときのことである。
その冬にやってきた多くの人類とは違い、この奇妙な訪問者は礼儀をわきまえていた。
我の存在に気づくと、まず丁寧な挨拶の言葉をもって接触してきた。
牙には牙にて、言葉には言葉にて返すのが我らの礼儀である。
故に我は、三つ足のカラスには対話で応じた。
結果、我は多くのことを知った。
山脈のそばの森、その向こう側に存在する、壁に囲まれたヒトの集落には、カラスが主とみなす存在がいるということ。
その主を守るためであれば、カラスはあらゆる手段を講じるであろうこと。
しかし、主と敵対しないのであれば、多くの点で妥協する用意があること。
それには、我の存在を主から隠蔽することも含まれること。
どうやらこのカラスは、あまり主に対して忠実な家来ではないらしい。
「我が主の指示すべてを忠実に実行することは、我が主の安全を確保するに際して、必ずしも最善であるとはいえません」
カラスはそううそぶき、彼の主に対して平然と嘘の報告をあげた。
山脈はカラになり、我はすでに他所へ居を移したであろう、と。
時系列を無視すれば、必ずしも間違いではない。
その真偽をたしかめるため、貴族たちが山脈にヒトを派遣するころ、我はすでに立ち去った後であろうから。
この冬、ヒトになんども干渉されて、我はいい加減、うんざりしていたからだ。
潮時であった。
数百年ばかり、旅に出るのもいいだろうと思い始めていた。
そんなとき現れたのが、三つ足のカラスであった。
そのカラスは、こんなことをいったのである。
「我が主は、しばらく旅に出るおつもりです。山脈の主に目をつけられた自分には、ほとぼりが冷めるまで姿を消す必要があるだろう、と考えた様子です」
と。
どうやら、カラスの主人は、我のことを狂暴で獰猛で粘着質な厄介者と捉えている様子であった。
甚だ遺憾である。
我はただ、加えられた攻撃に対して、おおむね同等の反撃をしただけだというのに。
それがコミュニケーションというものであろう?
コミュニケーションは大切だ。
ヒトと適切な関係を維持するためには、ヒトに習ってコミュニケーションをとる必要がある。
少なくとも、我は過日、父よりそう習ったのだ。
知性と知性は、コミュニケーションすることでより高みに至る。
そのための努力を怠ってはならぬ。
努力を怠るとき、知性は退廃し、いかな長き命とて無為なるものに堕ち果てるであろう、と――。
それは、父の口癖のようなものであった。
とはいえ。
ヒトからの我に対するおおきな不審は、言葉で解決できるものではないだろう。
我らの間に横たわる深い溝を一朝一夕に飛び越えることは難しい。
なによりヒトは、あまりにも生き急ぎすぎるものだからだ。
「まずは隗より始めよ、という言葉があります」
カラスはそんなことをいった。
隗、とはなにか知らぬが、ことを為すなら自分から動けということらしい。
このカラスは別の世界から来たというが、その世界の者はいいことをいう。
よって我は、自ら動くことにした。
我もまた、彼らの旅についていくのだ。
実に名案である。
「どうして、そうなるのです?」
「我はお主の言葉を正確に理解したからだ」
「正確……?」
カラスが、首を横に傾けた。
首の骨が折れやせぬかと、少々心配になる。
鏡の前で、改めて己を確認する。
ヒトでいえば十二、三歳くらいの少女の姿だ。
黒い貫頭衣を羽織り、腰のあたりを紐で結んだだけの服。
肌はヒトであれば病気かと思うほど白い。
足もとまである艶のある長い黒髪。
そして、鏡をじっとりとみつめる、つりあがった紅蓮の双眸。
「ふむ。どこからどうみても、そこらの平凡な村娘だな」
我は満足げに腕を組み、ふんすと鼻を鳴らす。
三つ足のカラスが、ますます首を横に傾けた。
いましも転びそうで、いささか不安になる。
「なにか申したいことがあるなら、遠慮なく述べよ。角と鱗はすべて隠したはずだが、見落としがあるだろうか」
「わたしもヒトの格好について詳しいわけではないのですが、村娘を名乗るにはいささか、そう、泥臭さが足りないように思われます」
「泥臭さ……泥を身体に塗るのか?」
「比喩表現と捉えてください。そもそも、ヒトの村娘がひとりで旅をするのは極めて不自然です」
我は、ぽんと手を叩いた。
「貴重な助言、感謝する。ほかにも気づいたことがあれば、遠慮なく申して欲しい」
我とカラスは、検討を重ねた。
どうすれば自然に、カラスの主と合流できるか。
カラスとしては、己の主に害を為さぬと我が信用できるならば、むしろ積極的な同行を望んでいるのだという。
何故、と問えば……。
「我が主は、弟子をとってから、以前よりも活動的になりました。過去の傾向も加味して分析した結果、我が主は、関わり合いの深い者が増えるほど活動を活発化させると考えられます」
とのことであった。
我の存在を新たな刺激とする、ということなのだろう。
つまりこれは、我と三つ足のカラス、相互に利がある取引、ということだ。
しばらくこの山脈で過ごしてきた我も、新たな刺激を望んでいたのだから。
父は少し前に亡くなった。
父の知性を少しも受け継いで生まれなかった巨躯の弟は、我の監視下から逃れ森を侵略した末、カラスの主たちに殺された。
腹違いの弟について、思うところがないわけではない。
あれはひどく愚鈍で、我の姿をみては怯え、肉とみれば飛びついて喰らうだけの存在であったが、それでも父から託された唯一の肉親であった。
とはいえ、あれは自ら望んで我の庇護の下から離れたのだ。
その結果、ヒトに討たれたとしても、それは自然の営みのうちというものであろう。
この点に関して、我に遺恨のようなものはない。
それがきっかけとして、山脈に注目が集まり、我を黒竜と断じて討伐に赴いた者が現れたことが問題であったというだけである。
父の死後も父の痕跡を用いて山脈を不可侵な土地と錯誤させていた、そのツケがまわってきたのだろう。
いつまでも、大樹の陰に隠れているわけにもいかぬ。
これは、ちょうどよいきっかけである。
前向きに、そう考えることとしよう。
「では、参ろうか」
かくして我は、春の訪れを前に、山を下りた。
このあたりの山や森を棲み処とする魔物など、父のもとで長年に渡って魔法の研鑽を積んだ我にとってはものの数ではない。
かといって、こんな見た目は子どもである我が、あまり強力な魔法を行使しては怪しまれる。
使い魔を放ち周囲を確認しながら、魔物を避けて動いた。
人里に出る。
過去にもなんどか辺境の村や町を訪れたことがあったから、ヒトとの接触に不安はなかった。
貴族の娘と間違われることはままあったが、我は優秀な魔術師であるから、これは致し方ないところだろう。
いちいちいいわけをするのも面倒なので、「内密に頼む」とだけいって、出自についてはごまかすことにしている。
「やはり、我が主に怪しまれず接触するのは難しいでしょうね」
いくつかの村に立ち寄ったあと、急に飛んできたカラスはそういった。
我は「何故だ」と不満を露わにして訊ねる。
「いまの我が、出奔した貴族の令嬢にみえないというのか?」
「ひどく怪しいのです。まず一人称を直しましょう。そうですね、『わたし』や『わたくし』あたりがよろしいかと」
我は首をかしげてみせた。
ヒトが困ったときにとるポーズだ。
「
「先ほどの村での話をいたしましょう」
「みていたのか」
「はい。あなたは物取りが体当たりしてきた際、素早い身のこなしでこれを転倒させたのみならず、その場で頭を掴んでの拷問に及び、罪を白状させた後、駆けつけた警邏の者に引き渡しました」
「不手際がありましたか? ヒトは罪人を自ら裁かず、公の権力に引き渡すのでしょう?」
カラスはしばし当惑したように黙り込んだあと、話を再開する。
「あなたは十二歳の世間知らずのご令嬢という設定です。これはとうてい、世間知らずの者のやることではありません」
「しまった」
我は口に手を当てた。
令嬢はそうする、と聞いたからだ。
「その場でくびり殺すべきでしたね」
「そうではありません」
なぜだか、ひどく怒られた。
我はまだまだ、ヒトの世に詳しくないらしい。
毎日が勉強である。
それもまた、一興といえよう。
「そろそろ、おぬしの主に会いに行ってもよいのではないか?」
「いましばし、頑張りましょう。特訓です」
「むう」
我は口を尖らせて、抗議してみせた。
カラスは「いまの表情は、実に年頃の少女にみえます」と褒めてくれた。
※※※
かくして、しばしの時が経つ。
ようやくにして準備を終えた我は、カラスの導きに従い、とある町で偶然を装い、かの人物とその弟子に邂逅することとなろう。
さて、これから先になにが待っているのか。
不思議と胸が、高鳴った。
「まだ、だいぶ心配なのですが……」
カラスが、ぶつぶついっている。
まったく、こやつは心配性だなあ。
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