死ぬに死ねない中年狙撃魔術師(書籍版6月5日発売) 作:星野純三
廊下の隅、木の梯子を登って馬車の屋根に出る。
吹き抜ける冷たい風に身をすくめた。
防音の障壁の範囲外に出たことで、鉄角馬が地面を蹴るちから強い音がリズムよく鳴り響く。
帝国が誇る最新鋭の振動吸収装置のおかげか、揺れはあまり感じない。
あまり広くない屋根の上にあがった二等席の客は、おれたちを合わせて七人。
少し離れたところで、一等席の馬車と三等席の馬車からそれぞれふたりの騎士が、陽を浴びて銀色に輝く全身鎧をまとって姿を現した。
馬車の本来の護衛は、彼らだ。
毎回、前と後ろを合わせて合計五人が標準らしい。
今日は少し数が少ない。
それだけの腕利きだと、期待することにしよう。
「なんだなんだ、可愛らしいお嬢ちゃんに、まだガキまでいるじゃないか」
「おい、やめろ。あの子の赤いローブがわからないのか。学院の卒業生だぞ。その側にいるんだから、小柄な方もみため通りじゃないだろう」
近くの男がリラとマイアを鼻で笑うも、仲間とおぼしき者たちにたしなめられる。
傭兵だか狩猟ギルドの者だかはわからないが、この業界、外見ほどアテにならないものはないとベテランほどよく知っているものだ。
「はーい、帝都の学院の卒業生でーす。よろしくねー」
「んっ」
リラは彼らに対して、陽気に手を振ってみせた。
マイアも真似をして、無表情に濁った赤い瞳を向けながら、不器用に手を振る。
「も、申し訳ございません。まさか帝都の学院の……とはいざ知らず……」
リラたちを嘲った男が、ひきつった顔で頭を下げた。
瞬時に切り替えられてえらいぞ。
帝都の学院の卒業生といえば、帝国におけるエリート中のエリートだ。
貴族であっても才能のあるひと握りしか入学できず、卒業できる者はさらに少ない。
平民の卒業生であれば、なおさら才に溢れていることの証明である。
まあ、リラは貴族の出だけども。
彼らもすぐにわかるはずだ。
このふたりの少女がどれほど優秀で、彼女たちの横にいるおれがいかにこの場で無能かということを――。
ちょっと悲しくなってきたな。
いちおう、通常狙撃用の魔力タンクが必要ない長筒を持参してはいるんだけども。
さて、馬車の進行方向の左手、東の方角を仰ぎみる。
黒い鳥の群れが、黒雲のように広がって近づいてくるありさまがよくみてとれた。
「雷鳴鷹だ」
二等席の客のひとり、弓を手にした偉丈夫が呟く。
その名の通り、雷鳴のような音を響かせ、獲物を驚かせて狩りをすることで知られる、翼を広げた全長がヒトの倍ほどもある巨鳥である。
単体では、ただでかいだけの鳥の魔物にすぎない。
飛び道具を持った狩人がある程度の距離から対処すれば、ほぼ確実に仕留めることができる。
問題は、この鳥が群れとなった場合だ。
互いの出す雷鳴のような音が共鳴し、耳を聾する轟音となって襲ってくる。
雷鳴鷹の群れが人里に出現すれば、音の衝撃だけで家が軒並み崩壊する。
人々とて、近くでこの音の暴力を浴びれば無事では済まない。
聴覚を失うだけならまだいい方で、全身の血が煮えたぎり、苦しんで死ぬ場合すらあるのだとか。
雷鳴鷹の群れの襲撃を受けた村では、人も牛も羊も牧羊犬も、すべてが穴という穴から血を噴き出して絶命していたらしい。
で、この魔物は、そうして殺した者の死骸に群がり、肉を喰らう。
前述の雷鳴鷹の集団に襲われた村は、いたるところでついばまれた者たちの死骸が溢れ、地獄のようなありさまであったようだ。
ぞっとする話だが、狩猟ギルドの目録に載っているエピソードのひとつだから、おそらくは実話なのだろう。
そのとき村を襲った雷鳴鷹は、およそ三十体ほどの群れであったらしい。
いま、雲のように広がっている雷鳴鷹は、はたしてどれほどの数であるのか。
少なくとも、百や二百は下るまい。
ざっとみた感じ、三百体といったところか。
そこそこの町であっても、ちょっとした脅威となる数字だ。
「一体ずつ仕留めるんじゃ、キリがないな。誰か、まとめて始末できる奴はいないのか」
大剣を背負った若い男が、震える声で呟く。
壮年で禿頭の男が、そんな相手の肩に手を置いた。
「鉄角馬車は初めてか? そういうのは、あっちの役目だ」
あっち、と禿頭の男が指差す先は、先頭の馬車と後方の馬車の屋根の上。
それぞれふたりずつの帝国騎士が、腰の剣の鞘に手を当てている。
「総員、抜剣!」
先頭の馬車のひとりが指示が飛ばし、彼らは鞘から一斉に剣を抜く。
漆黒の刃を持った、片刃の剣だ。
一般に帝国剣、と呼ばれる帝国上位騎士の標準装備。
他国の騎士たちが恐れる、権威と武威の象徴である。
「魔力装填!」
その剣先が、黄金色に輝いた。
騎士たちは、一斉に剣を振るう。
剣先から放たれた四筋の黄金色の光は、東の空へ一直線に飛んだ。
黒い雲のように広がった雷鳴鷹の群れに、吸い込まれる。
次の瞬間、激しい爆発が起こった。
視界が白に染まる。
一拍遅れて、衝撃波がおれたちを襲う。
おれをはじめとして予期していた者はそれを身を低くして衝撃波を受け止めた。
「うおっ」
予期できていなかった若い大剣使いがひとり、吹き飛ばされて宙を舞うも……。
リラが素早く杖を振るうと、彼の身体は中空で静止し、すとんと屋根の端に着地する。
「す、すまねぇ、お嬢ちゃん。たいした魔術師だな」
「どういたしまして! それより――来るよ」
彼女の言葉で、皆が東の空を仰ぐ。
爆発によりおおいに数を減らし、あるいは遠くに吹き飛ばされたものの、未だ半分、百五十程度はいる雷鳴鷹の群れ。
そのうち三割ほどが、頭部を下に傾ける。
いましも馬車に向かって急降下しようとしていた。
帝国騎士たちは、さきほどの一撃でおおきく魔力を削られたのか、これ以上先ほどの一撃は放てないようだ。
まあ、あれだけのことを集団でやってのけるだけでも、騎士としては充分に規格外なのだけれど。
他国にとっては恐ろしいことに、これが帝国上級騎士の標準である。
なにせ騎士といっても、貴族の子弟が多く登用され、その魔力量が標準的な騎士団の十倍以上と喧伝されている第六軍の精鋭なのだから。
それこそ、エドルの田舎騎士とは格が違う。
というか彼らがエドルに赴けば、ひとりひとりが魔爵家を開けるだろう。
そんな奴らが、なんでこんなところで馬車の護衛をしているかって?
それだけ帝国がこの高速街道の維持にちからを入れていて、彼らがそれだけ優遇されているからだよ。
つまるところ、金と名誉だ。
貧乏貴族の次男坊や三男坊でも品行方正にこの仕事を五年もやれば出世コースに乗れるとか、まことしやかに噂されている。
実際のところがどうかは、知らん。
ただ、彼らがいずれ劣らぬ実力者であることは、先ほどの一撃だけでもわかろうというものである。
「各々の馬車を守れ!」
騎士の声が飛ぶ。
いわれずとも、とおれは長筒を構え、引き金を引いた。
三つに折りたたみできる、簡易型の狙撃用魔法杖である。
杖の根元に設置された簡易型の魔力タンクは衝撃耐性に特化した特注品で、ひどく効率が悪いながらも移動しながら魔力を貯めることができるというシロモノだ。
ちなみに、なぜ特注品かといえば、これの需要が少ないからだ。
普通の狙撃魔術師は狙撃魔法以外の魔法も使えるので、それで護身すればいい。
おれみたいに狙撃魔法以外への適性がゼロというできそこない魔術師など、そうはいない。
故に、まともな売り物にならない。
この魔力タンクだけで、貧乏貴族なら郎党を一年間まるごと養える程度の金がかかっている。
このことをリラに話したとき、彼女は明るく「そんなものがなくても、師匠のことはわたしが守ってあげますよ!」と励まされた。
いやこれ励まされたのか……?
おれのプライドはズタズタだが?
もともとないに等しいプライドではあるが……。
まあともかく、そんな代物である。
金に糸目はつけなかっただけはあり、性能と安全性を両立させることに成功している。
本気の狙撃魔法とは違い、長筒の先から放たれたのは、細く弱々しい一条の魔力弾であった。
だがそれでも、雷鳴鷹を仕留めるには充分。
おれの魔力弾に胴体を撃ち貫かれ、空飛ぶ魔物は地上に、森のなかへと落下していく。
まわりの者たちも、次々に弓や魔法を放つ。
そのたびに雷鳴鷹が射落とされていく。
問題は、やはり数だった。
リラやマイア、その他ふたりほどの魔術師が複数の目標をまとめて始末しているが、それ以外の者たちは所詮、命中しても一射につき一体。
対して上空から飛来する敵の数は、四十から五十。
騎士たちも魔力の限り魔法を放っているが、それでも数体が弾幕をすり抜けて馬車に迫ってくる。
雷鳴鷹たちが、一斉におおきく口を開いた。
来る。
「伏せろ!」
おれは長筒を捨て、リラとマイアの肩に手をかけると、彼女たちを強引に引きずり倒した。
次の瞬間。
鼓膜が破れるかと思うほど強烈な、音の暴力が馬車の屋根を襲う。
悲鳴をあげ、耳を押さえて、男たちがばたばたと倒れる。
対しておれたち三人だけは、想像したほどの音に襲われていない。
ふたりの少女は、不思議そうな顔で身を起こす。
「馬車を包む防音の結界だ。屋根の上でも、足もとだけは結界の範囲内なんだよ」
「あっ、そっか! すごい、師匠、よく知ってるね」
「前に実験した。まさか役に立つ日が来るとは思わなかった」
マイアが、ふむ、と興味深そうにしているが……いまはじっくり研究している場合ではないだろう。
落とした長筒を拾い、再度、その先を空に向ける。
こういう雑な扱いをしても大丈夫なのが、この長筒のいいところだな。
至近距離まで迫ってきた雷鳴鷹に対して、引き金を引く。
魔力弾は、標的の鳥の魔物の頭部を正確に吹き飛ばした。
胴体だけとなった雷鳴鷹が、おれの脇をすり抜け、高速街道の地面に墜落していく。
「なるほど、術式はおおむね理解しました」
マイアがぶつぶつと呟く。
ほぼ同時に、少し遅れて飛び込んできた数体の雷鳴鷹が、ふたたびおおきく口を開いた。
「また来るぞ、皆、伏せ――」
「こちらで対処いたしましょう」
黒髪赤眼の少女は、どんよりした目で中空を睨むと、軽く右手を振った。
周囲の音が、かき消える。
雷鳴鷹は、口をおおきく開いたまま、しかしなんの音も発することなく落下してくる。
気づけば、馬車の車輪が回転する音も、鉄角馬の蹄の音も聞こえなくなっていた。
周囲の音を消したのだ。
おそらく彼女は、さきほどの一瞬で、馬車にかけられていた消音の魔法を解析してみせたのである。
なんという、魔法の才。
なんという、解析の眼。
リラも、少し驚いている。
無理もない、帝都の学院の教授たちでも充分な時間をかけねば難しい離れ業を、このわずかな時間でやってのけたのであるから。
それほどの、高度な技である。
世界に音が戻った。
「マイアちゃん、今回はいいけど、それ、他の魔術師の前であまりみせないでね」
「ふむ、よくわかりませんが、承知いたしました」
「理由はあとで説明するからっ!」
まあ、まずいよな。
彼女にかかれば、そこらの貴族魔術師が家の秘儀と定めたような魔法ですら解析されてしまいかねない。
己の家の奥義を知られた貴族が、どういう手段に出るか。
考えるまでもないことである。
マイアなら、苦も無く返り討ちにするところまで目にみえるようだ。
結果、血みどろの報復合戦が始まって……などという事態はあまり想像したくない。
ともあれ、いまこの場面において、彼女のちからは有用だった。
ほかの男たちがようやく起き上がり、状況はよくわかっていないながらも得物を手にして反撃を開始している。
おれとリラも、彼らに続く。
上空から次々と飛来してくる鳥たちを、片っ端から叩き落としていく。
※※※
ほどなくして、襲撃は止んだ。
無為を悟った雷鳴鷹の生き残りたちが、高度を上げて撤退していく。
ほぼ全員が安堵の息を継ぎ、その場にへたり込んだ。
まだ立ったままなのは、きょとんとした様子で周囲を見渡しているマイアだけであった。