死ぬに死ねない中年狙撃魔術師(書籍版6月5日発売) 作:星野純三
昨日に続き鉄角馬車が襲撃を受けたのは、太陽が南中してからしばらく経ったころだった。
ちょうど皆が油断しているであろう時間である。
馬車が、不意にがくんとおおきく揺れた。
次の瞬間、身体がふわりと浮いて――天地がひっくり返るほどの衝撃が来る。
衝撃の直前に身体が浮いたのは、マイアが魔法を行使したからのようだ。
彼女はいつの間にか、おれとリラの手を掴んで、目を閉じていた。
いまおれたち三人は、馬車の個室の真ん中で、薄い水の膜のようなものに覆われてふわふわ浮いている。
そして三人以外のすべてが、ぐるぐると回転していた。
回転する部屋のなかで、おれたちの鞄や杖がしっちゃかめっちゃかに飛び交っている。
窓ガラスが割れて、破片が部屋中に飛び散った。
「しばし、ご辛抱を」
「マイア、なにが起きた」
「馬車が吹き飛び、地面を転がっております」
揺れが収まり、おれたちを包んでいた水の薄膜が消える。
おれたちの足が、かつて馬車の天井だったところに着地する。
どうやら、馬車は上下逆さまになった状態で静止したようだ。
いやーこれ、マイアが魔法を使ってくれなかったら、リラはともかくおれは怪我を負っていたに違いない。
呑気なことをいってはいられない。
周囲の部屋から、悲鳴と苦悶の声が聞こえてくる。
リラやマイアのような魔術師は他の組にはいなかったから、きっとひどい有様だろう。
とはいえ、彼らを助ける前にまず、自分たちの安全を確保しなければ。
おれたちは互いに目配せをすると、そこらに散らばった私物のなかから自分たちの武器をみつける。
通路側のドアを開こうとして――押しても引いても動かないな、これ。
フレームが歪んでしまったのか。
まあ、こんな事態は想定されていないだろうから仕方がない。
「こっちから出よう!」
リラがガラスの割れた窓の枠に蹴りを入れた。
堅牢なはずの壁面が、まるで羊皮紙のようにたやすく歪む。
肉体強化の魔法を使っているのだろう。
彼女が二度、三度と蹴ることで、なんとか人がひとり通れるくらいの隙間が生まれた。
「よしっ」
「これ、弁償を要求されないかねえ。まあ、そんな場合じゃないか」
リラを先頭として、外に出る。
馬車が上下逆さになって転がっているのは、森のなかだった。
すぐ近くに街道がみえる。
差し渡しがヒトの身の丈の三倍以上はある、森を切り開いてつくられた高速街道だ。
その中央に巨大な穴が開いていた。
先頭の馬車の半分が、その陥没に埋まっていた。
おれたちの後ろの三台目は、互いを繋ぐ金属部がちぎれ、ひっくり返って街道のはずれに転がっている。
そして先頭の馬車が埋まった穴のなかで……。
巨大ななにかが、蠢いていた。
金属がきしむ音が響く。
「地面から魔物が襲撃してきたのか」
めきゃり、と音がした。
先頭の馬車が持ち上がる。
頑丈で巨大な馬車は、樹の幹よりも太い二本の黒い大顎に挟まれて、無残にも押しつぶされていた。
巨大なクワガタのような外見を持つ、馬車の数倍の身の丈をもった魔物が、地面に空いた大穴から這いあがってくる。
漆黒の甲殻、そしていま馬車を挟んでいる鋏のような大顎。
蟲のような複眼が紅く不気味に輝いて、周囲を睥睨している。
「
おれは、呆然と呟く。
その大鋏は竜の鱗すら砕くといわれる、破格の化け物だ。
幸いにして、帝国が誇る馬車は未だ切断されてないが……。
それもいつまで保つことか。
本来は山奥にのみ棲息する存在である。
それが、なんでこんなところに。
「ししょー、あれ強い? 殴ってきていい?」
「やめておけ。竜を相手にすると思え」
「え、そんな厄介なの?」
「あの甲殻は竜のブレスすらも防ぐ、といわれている。おそらく、魔法的な防護壁を展開しているんだろう。普段はおとなしい魔物なんだが、自分の餌をとられると思ったらしつこく追ってきて、大顎で砕こうとする」
「いまめちゃくちゃ凶暴になってるけど」
「こんなところで大暴れしている理由はわからん」
燃えるように紅く輝く複眼を眺める。
四本の脚をばたばたさせて暴れる様子は、怒気、というより正気を失って暴れているような感覚を覚えた。
いずれにせよ、あれでは危なくてとても近づけない。
下手な攻撃も、相手を刺激するだけだろう。
「朋友を助けに参ります」
と――止める間もなく、マイアが駆けだした。
「朋友? え、待って、マイアちゃん!」
「ひょっとして、馬たちのことか? 動くな、リラ」
「でも、ししょー……」
「マイアに任せよう。彼女なら、上手くやる」
「ん。そう、だね」
マイアが鉄角馬たちを救助できるならそれは幸いなことだ。
問題は、むしろおれたちの方であって――。
地面が揺れ、森の周囲がいくつも陥没を起こす。
追加で五体の
※※※
おれは樹上の太い枝の陰に潜みながら、魔力タンクに魔力を溜めていた。
六体の大型の魔物を相手に、まともに戦う、なんてことはいっさい考えなかった。
リラと共に、まずは己の身の安全を確保した。
なにが気に食わなくて暴れているかは知らないが、奴らがひたすらに攻撃しているのは馬車だけで、その中身であるヒトにはいっさい興味をみせていなかったことが幸いした。
いやまあ、さっさと脱出できなかった人々が、執拗に転がされる頑丈な馬車のなかでどうなっているかはわからないんだけども。
無事であることを祈るのみである。
おれたちの乗っていた真ん中の馬車からは、客たちがよろめきながら這い出してきた。
だが先頭と最後尾の馬車からは、ひとりも出てきていない。
最低でも四人はいるはずの帝国上級騎士たちも出てきていないのだから、彼ら騎士たちが結界を張って客を守っている可能性が濃厚か。
だからこそ、あの大顎をもってしても未だに馬車が切断されていないのだ。
それならば、彼らの魔力が続く間になんとか状況を打開する必要があるわけだが……。
これ騎士たちは、結界を張るだけで精一杯っぽいなあ。
マイアは、穴のなかから四頭の鉄角馬をあっさりと救助してみせた。
おれは彼女に対して「馬たちを駅に運べ」と指示を送る。
マイアは鉄角馬の一頭にまたがって、その耳もとになにやら囁いた。
四頭の馬は一斉に高くいななき、南に向かって元気に駆け出す。
その姿は、たちまちのうちにみえなくなった。
馬車を牽くよりずっと速度が出ていたから、無事ならばそろそろ駅に到着している頃合いである。
つまり、援軍のアテはできた。
これ以上の無理はする必要がない。
おれが備えるべきは、非常事態に対してである。
そう判断して、樹上で魔力タンクに魔力を溜めることにしたわけだ。
ちなみにおれたちの馬車から逃げ出した客のうち、昨日も共に戦った四人は、森の木々に隠れながら時折、
誰も攻撃はしない、というか極力魔物の注意を惹かないように身を潜めていた。
考えることは、誰しも同じということだ。
リラの攻撃でもろくに打撃を与えることは難しいだろうから、迂闊に手を出さないのが最善である。
その
延々と、執拗に先頭と最後尾の馬車を攻撃している。
鋭いおおきな顎で車体を挟み、持ち上げ、地面に叩きつけたり、あるいは突っついたり。
頑丈で知られる帝国馬車でも、そのあちこちがベコベコにへこんでしまっていた。
もちろん車輪なんかとっくに外れているし、あの様子じゃ二度と、馬車としての用途には使えないだろう。
内部の人々は騎士たちが守ってくれているとして……荷物の方も、無事では済むまい。
うん?
一瞬、思考をよぎるものがある。
待て、待て、待て、待て。
いまおれはなにを考えた?
荷物――そう、荷物だ。
昨日と今日、前代未聞の二度に渡る魔物の襲撃と、リラが感じたという荷物に対する違和感。
巨大な割れた顎は捕食者と戦うときや、貴重な樹液争奪戦に勝ち残るため、及び交尾の相手を同族と争うために用いられるという。
その
執拗に馬車を攻撃している。
「リラ、馬車からなにか――臭いか魔力か、そんなものが出ていないか確かめられないか」
「師匠? あ、
リラはやってみる、と告げると目を閉じた。
彼女は魔力タンクに魔力を溜めず、おれの護衛に徹してもらっている。
実際のところ、
おれがこうしているのは、単に他にやることがないというのがひとつ、そして――これ以上厄介な事態になったときの備え、なのである。
はたして、彼女はしばしののち、まぶたを持ち上げる。
口もとに手を当てて、囁く。
「昨夜は気づかなかったけど、先頭の馬車から、ちょっとヘンな魔力の波みたいなものが……漏れて、いる? うわ、気持ちが悪い感じ。――待って、わたしこれみたことがある? え、でも……嘘。そんなの、ありえない。で、でも……」
「落ち着いて話せ。順番に。きみはたしか、魔力の区別ができるんだったな。どこで同じ魔力をみた」
「初めて師匠の狙撃をみたとき」
「は?」
「――うん、間違いない」
かちかちと、歯が鳴る音。
リラの顔をみる。
少女はいま、ひどく青ざめ、震えていた。
「悪魔」
ぼそりと、そう呟く。
理解した。
彼女がなにを思い出しているのか。
同時に、あの馬車から溢れてくる魔力の源がなんなのか。
「どうして忘れていたんだろう。あの宝石から出ていた、魔力。あのいびつで、禍々しい感じ。同じなんだ、あれと。悪魔が出てくる直前と」
「境魔結晶か」
おれは舌打ちした。
境魔結晶、と呼ばれる特別な宝石が存在する。
一般には秘匿された情報だ。
何故、秘匿されているかといえば、それがとある目的のために使用された場合、周囲に尋常ではない被害をもたらすからである。
具体的には、悪魔の召喚だ。
そう、悪魔。
魔界と呼ばれる異なる世界の存在。
ただ存在するだけでこの世のコトワリを書き換えるモノを、そう呼称する。
かつて、おれは二度、悪魔を退治している。
一度目はまだヤァータと出会う前であり、二度目はリラを救ったときだ。
一度目のとき、おれは大切な人を失い、自身もまた侵食を受けて虫の息のところをヤァータに救われた。
ヤァータによれば、もともとの身体の情報を用いてイチからおれの身体をつくり直すほどの荒治療が必要であったらしい。
召喚された悪魔の近くにいたリラが助かったのは、彼女とその同級生が頑丈な結界を張り、そのなかに閉じこもっていたためだ。
それも、あと半日は保たなかった、ギリギリのところだったという話である。
あのとき、結界の外では、キャンパスに絵の具を手当たり次第にぶちまけたかのような、なにもかもがいびつに歪んだ景色が広がっていた。
悪魔が退治されたあとも、歪みの幾分かは戻らず、広い範囲で生命が死に絶えていたという。
ひとたびこの世に現出した悪魔は、ただ存在するだけでそれほどの被害をもたらす。
にもかかわらず、悪魔を呼び出す者がいる。
それは悪魔が願いを叶えてくれるという噂を信じたせいであったり、常人には理解しがたい実験のためであったり、もっと純粋に世界の破滅を望んでいるからだったりするのだが……。
過去、悪魔の召喚に伴う被害を恐れた帝国は、これに関する研究を禁止した。
悪魔の召喚に必要な触媒である境魔結晶については、その存在を秘匿することで対処した。
おれがこのことを知っているのは、悪魔を退治する仕事を受けた者、悪魔を退治した者に対して限定的な情報公開が行われたからである。
リラの話を聞いて、ピンときた。
彼女は、同級生が悪魔を召喚したときその場にいて、そのとき触媒にした境魔結晶をその目でみているはずなのだ。
その境魔結晶がなぜ、馬車の荷物に存在するのか。
そんなことは、どうでもいい。
昨日の雷鳴鷹。
今日の
重要なのは、おそらく魔物たちの目的が境魔結晶であるということだ。
別にあれは悪魔を召喚するためだけの存在ではない。
ある種の魔物がその独特の放射を好み、その性質を用いて境魔結晶を探す、という話を以前に聞いたことがあった。
普通のヒトでは、たとえ魔術師でも感知できない、微弱だが遠くにもよく伝わる魔力であるという。
もし境魔結晶に関する研究まで禁止されていなければ、その性質を使ってどのようなことができただろうか。
いや、そもそも禁止されているからといって、帝国が本当にいっさいの研究をしていない、などということがあるのだろうか。
何故、こんなところに境魔結晶があるのか。
それが帝国上級騎士の警備する、本来は絶対に安全なはずの馬車の荷物として詰め込まれているというのか。
「し、ししょー……ぜんぶみなかったことにして、いまからでも逃げようよ」
「マイアが駅に報告しに行っちまったしな」
うーん、帝国の闇とか、これっぽっちも知りたくないんだけどなあ。
こちとら清廉潔白な落ちこぼれの中年男性にすぎないんですわ。
勘弁して欲しい。
思わず、おおきなため息が出る。
「とりあえず、荷物についてはなにも知らんってことにする」
「そ、そうだね、ししょー」
「それ以上のことは、あとで考えよう。リラ、騎士たちに余計なことはいうなよ」
「う、うん」
さて、実際のところいまここでできることなんてなにもないわけだ、が。
状況を観察して、なにか変化が起こるまで見守るしかないわけだ、が。
しばしの、のち。
具体的には太陽がだいぶ西の空に傾いてきたころ。
「ときにですね、ししょー。先頭の馬車のなかで、なにか儀式が行われてるっぽい魔力の流れがあるんですけど」
だいぶ身体の震えが収まってきたリラが、そんなことをいいだした。
「というか、ですね。わたしこの魔力の流れ、知ってるんですけど」
「なにが起こってるんだよ、あのなかで!」
魔物たちは、飽きずに馬車を小突いたり、はさんで壊そうとしたり、熱心な破壊活動にいそしんでいる。
馬車のなかがどうなっているのか、たとえ結界が張られていたとしても考えたくないのだが……。
そんな状態で、儀式?
ろくでもない予感しかしない。
「帝国騎士はどうした!」
当然、馬車のなかにいるはずの彼らも、この事態に気づいているだろう。
もしかして、結界を張るのに手一杯なのか?
次の瞬間。
先頭の馬車のなかで、おれでもわかるほど爆発的な魔力の放出が起こった。
馬車が漆黒の渦に包まれる。
その周囲にいた
残る四体は、泡を喰ったように残りの馬車を放り出し、森のなかに逃げ去った。
はっはっは、これで魔物問題については片づいたな。
別の問題が出たんだけど。
というか、大問題が誕生しちゃったんだけど。
漆黒の雲のようなものが周囲に滞留し、それが次第に広がっていく。
地面の雑草がその雲に触れると、たちまちのうちにどす黒く染まり、枯れ落ちる。
あれは、毒だ。
この世界全てにとっての、毒だ。
空間そのものを浸食する、圧倒的な猛毒。
ただそれが広がるだけで世界を滅びへと誘う、あまりにも異質な世界から漏れ出したモノ。
「リラ、下の奴らに連絡、すぐ逃げろ!」
「わかった! ししょー、気をつけて!」
リラが地面に飛び降りる。
ほぼ同時に、ヤァータがおれの手前の小枝に舞い降りた。
こいつはずっと頭上を遊弋し、周囲を監視してくれていたのだ。
「警告します、ご主人さま。空間の歪みが発生、拡大しています。過去のデータから、悪魔出現の前兆と一致しています」
「出るんだな、あそこに」
「その可能性が高いと思われます」
おれは先頭の馬車を――いや、それがあった場所を睨む。
いまは黒いもやのようなものに包まれた、その場所を。
やるしか、ない。
長筒を構えた。
魔力タンクに溜まっている魔力は心もとないが、幸いにして悪魔の出現前、このタイミングなら……。
「ヤァータ、射撃リンク開始」
「了解しました、ご主人さま」
ヤァータの視界を通して、空間の歪みがはっきりとみえた。
いま、あの闇のなかで、この世界と別の世界を繋がる道が生まれようとしている。
その道を通って、なにかがやってくる。
ひどく邪悪な、なにかが。
その前に。
道そのものを、破壊する。
ひとたび世界と世界を繋ぐ道が安定してしまえば、不可能なことだ。
だが、安定化する前のいまならば。
もっとも不安定な部分に衝撃を与えることで、できかけの道を破壊する。
ヤァータとなんども話し合った結果、理論上はできるはず、ということになっていた。
チャンスは一度きり。
外せば終わり。
空間の歪みが、ほんのわずかに広がる。
その瞬間を狙い定めて――。
おれは、長筒の引き金を引いた。
細く鋭い白光が迸る。
白光は闇の雲に衝突して、派手な爆発を起こした。