死ぬに死ねない中年狙撃魔術師(書籍版6月5日発売)   作:星野純三

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第37話

 季節は春の中ごろ、エドルであれば、夏はまだずいぶん先のはずだ。

 にもかかわらず、照りつけるような強い日差し。

 

 昼ともなれば、じっとしていても汗がしたたり落ちる。

 心なしか、北方でみあげるよりも太陽がおおきい気がしてならない。

 

 そう。

 おれたちは、帝国の領土の南端にたどり着いたのだ。

 

 帝国の南部は海に隣接していない。

 だが海軍の拠点はある。

 

 密林に囲まれた巨大な湖が、帝国の南に広がっているからだ。

 

 その名も大樹海。

 海と名がついているが淡水で、浮遊樹の林のなかに水棲の魔物が潜む、非常に危険な湖である。

 

 船でまる一日以上かかる湖の対岸には、ギキア建商国をはじめとした数国の港がある。

 帝国の海軍は、それらの国々と頻繁に角をつき合わせているらしく、港には立派な軍艦の姿もみえる。

 

 そんな港町が、鉄角馬車の南の終着駅だった。

 今回、おれたちは湖に入らないが、それでも眼前に広がる広大な蒼い水域をみると、いささか気分が高揚する。

 

「マイアちゃんは、本物の海をみたことがある?」

 

 我が弟子であるリラが、隣をとてとて歩くマイアをみる。

 マイアはかたわらの少女をみあげ、ちいさくうなずいてみせた。

 

「父の背に乗って北方へ赴いた際、拝見いたしました。とても広大で深い青のなかに、無数の白い氷が浮いていました」

「そっかー、寒い時期の北の海じゃ、みるだけだよねー。泳いだりできないか」

 

 リラ的には、父の背に乗って、という部分にはツッコミがないようだ。

 まあ、人里離れた山中に住んでいた貴族であろうマイアの父親である、飛行魔法にも長けていたことは間違いないだろうが……。

 

 ここで数日、のんびりすることも考えた。

 この町のそばには、帝国軍のおおきな基地がある。

 

 ここに来るまでも数多のトラブルが起きた。

 マイアも、もう自分から喧嘩をふっかけるようなことはないだろう。

 

 でもなんとなく、不安なんだよな。

 おれたちがいると、大樹海から化け物が出てきそうな、ナンセンスな不安が鎌首をもたげるというか。

 

 結局、この港町では少し情報を集めたあと一泊だけして旅の疲れを癒やし、馬車を買う。

 ここからは自前の馬車での旅だ。

 

 安全だけを考えるなら隊商と共に移動するべきだが、おれたちの戦力を考えるといささか悠長である。

 リラが馬に肉体強化の魔法を、馬車には構造物強化の魔法をかけて、普通の倍の速さで駆けさせる。

 

 大樹海を囲む密林を避けながら、北東へ向かう。

 隊商であれば、十台くらいの徒党を組んで移動するという、いささか治安の悪い街道だ。

 

 このあたりでは野盗よりも、密林に潜む魔物が怖い。

 町から町へ移動する間に、二回に一回は襲撃を受けるのだとか。

 

 幸いにして、おれたちは幸運な方の二回に一回を三回連続で引き続けた。

 七日後。

 

 なんの襲撃も受けず、三つ離れた町までたどり着く。

 そこが、ひとまずの目的地だった。

 

 グクモという名の、人口二千人ほどのちいさな城塞都市である。

 人類最新の開拓地だ。

 

 

        ※※※

 

 

 密林の中に突き出た砦、というのがグクモの町の正確な表現だろうか。

 背の高い堅牢な壁に囲まれたその町には、剣や弓を手に歩く屈強な男の姿が多かった。

 

 砦の正門、入ってすぐの厩舎に馬車を預け、狙撃魔術師のかさばる荷物をかついで宿まで歩く。

 

「お持ちいたしましょうか」

 

 とまたマイアが申し出てくるのを、丁重に断る。

 

「これは、狙撃魔術師にとって命も同然だからな。非常時ならともかく、普段なら自分で持ち歩いた方がいい」

「なるほど、道理」

「非常時は、頼む」

「もちろんです」

 

 

        ※※※

 

 

 しばしののち。

 おれはリラたちを宿に残し、ひとりで貴族街に向かった。

 

 貴族たちが住むのは、内壁と呼ばれる、町の中心部を囲ったふたつ目の壁の内側だ。

 ここを囲む高い壁は、有事において外側の壁が破壊された際に住民が逃げ込む、最終防衛線である。

 

 しかし現在、内壁の内と外を隔てる門は常時開け放たれていて、見張りもいない。

 王都どころかエドルと比べてすらだいぶこじんまりとした建物が並ぶ一帯のはずれ、庭もなく門番すらいない屋敷の門。

 

 その前に立ち、呼び鈴を鳴らす。

 出てきたのはメイド服を着た初老の女性で、数年前にも訪れたおれのことを覚えていてくれた。

 

「ご主人さまは首を長くしてお待ちです」

 

 あらかじめヤァータを使って連絡を入れていたから、話はスムーズだった。

 魔術師が先ぶれとして使い魔を用いるのは、この国における常識的な行動のひとつなのだ。

 

 無論、商家や他国の貴族とのやりとりであればまた別の様式があるのだろうが、そこまではおれの知ったことではない。

 だいいち、この屋敷の主は、エドルと同様のやり方で問題ない程度には辺境馴れした御仁である。

 

 案内された先は、魔法的な防護が施されたちいさな地下室だった。

 魔法的な空調を使っているのか、少し肌寒いくらいに冷えている。

 

 鼻孔をくすぐる清涼感のある匂いは、東方から輸入される白砂香であろうか。

 出口は分厚い鉄の扉ひとつしかなく、天井に飾られたシャンデリアから白い魔法照明が降り注いでいる。

 

 部屋のなかにはテーブルがひとつと、向かい合うように配置された椅子がふたつ。

 奥の椅子には、小柄ながらピンと背筋を伸ばした身なりのいい老人が腰を下ろしていた。

 

 豊かな髭も少し薄い頭も白髪で、顔中に深い皺が刻まれた、年のころ七十は超えるであろう、柔和な笑顔を浮かべた人物だ。

 彼がエドルの分家のひとりで、この地でとある研究をしていることを知っている者は少数である。

 

「お久しぶりですね」

 

 老人はおれに着席を促し、茶と菓子を勧める。

 おれたちはざっくばらんな挨拶をしたあと、すぐ本題に入った。

 

 まずはメイテルさまから預かった手紙を手渡す。

 老人は手紙に手を当てると封を魔法で解いて、おれの前でざっと中身を改めた。

 

「なるほど、去年の冬、エドルはたいへんだったのですね。なんとか切り抜けることができたようで、ほっとしました」

「こちらには情報が流れて来なかったのですか?」

「高速街道から三日も離れた辺境です、商人も十日に一度、来るかどうか。帝国といっても、こちら側はまだまだなのですよ」

 

 ま、そういうものか。

 長くエドルで腰を落ち着けていたからか、冬の間も費用をかけて街道を維持する向こう側の流儀に慣れきってしまっていたかもしれない。

 

 おれは頭を掻いて、謝罪をした。

 老人は笑って、「そのぶん、こちら側ではまだまだ森を切り開いていくという気概に溢れているのです」と語る。

 

 このグクモも、おれがつい最近まで腰を落ち着けていたエドルも、共に帝国の最前線だ。

 だが山脈を挟んで反対側に他国があるエドルとは違い、南東部の果てであるこの地の先には、ただ密林が延々と広がっている。

 

 他国からちょっかいをかけられることは、ほぼありえない。

 対して、魔物の脅威の度合いはエドルの比ではない。

 

 かわりに森を切り開いていけば、それはすべて人類の新たな領域となる。

 人類最新の開拓地とは、そういうことだ。

 

「手紙の内容について、あなたはご存じですか?」

「わたしはただの運び手です。メイテルさまからはなにも」

「学院に子息を送り出すなら金を出すから、卒業後はエドルに送ってくれ、というのがまずひとつ」

 

 それ、おれが聞いてもいい話?

 去年の冬、いろいろあった結果、エドルは多数の魔術師を失った。

 

 手紙の内容はそれに関するものだろう、と予想していたものの……。

 別にそれ、おれに話す必要ないよね?

 

 貴族の身柄のやりとりなんて、ある意味で軍事機密みたいな話じゃない?

 

「もうひとつは、あなたに手を貸して欲しい、と」

「わたしに、ですか?」

 

 少し、面食らった。

 おれはただの、手紙の運び手、メイテルさまにとってはそれだけのはず。

 

 だったのだ、が……。

 老人は、豊かな顎髭を揺らして笑う。

 

「あなたはきっと、旅先で困難に巻き込まれる。手助けが必要かもしれない、と書かれていました。あの方に、ずいぶんと見込まれておりますね」

 

 おれは苦笑いして頭を掻いた。

 実際に、ここに来るまでの出来事を振り返れば、なにもいい返せない。

 

 メイテルさまのルビーの瞳は、どこまで遠くを見通しているのだろうか。

 いや、さすがに鉄角馬車と密輸の件がわかっていたはずもないから、念のための用心、程度のことだったのだろうが……。

 

 感覚がマヒしていたかもしれない。

 短期間でヘンな子を拾ったり鉄角馬車で二度も襲撃を受けたり、普通はしないもんだよな。

 

 しかもあの事件、いちおうは解決したものの、なぜあのような密輸が行われたのか、危機に陥った密輸人がなぜ悪魔を召喚しようなどと考えたのか、わからないことばかりである。

 無論、そんなもの帝国の騎士たちが解決すればいいことであって、おれとはもう、なんの関係もないことだ。

 

 そのはずなのだ、が……。

 どうしてだろう、不思議と、胸がざわつくのだ。

 

「どうやら心当たりがあるご様子」

「いや、いますぐ助けが必要、ってわけじゃないんですがね」

 

 この人物が信用できることは知っていた。

 境魔結晶について知る立場にいることも。

 

 ちょうどいい、と鉄角馬車での一件を、ざっと語ってみせる。

 老人は黙っておれの話を聞き終えたあと、おおきなため息をついた。

 

「相変わらず、数奇な道を辿っているのですね」

「そんなこともない、と、思うんですが」

「普通の者は、人生でそう何度も悪魔に関する事件と関わることはありません」

 

 それは、そうだ。

 帝国には悪魔関連の対策を担う少数精鋭の部署があると聞くが、彼らですら実際に召喚された悪魔と交戦した経験のない者がほとんどであるという。

 

 どうして知っているかといえば、当時学生のリラを助けた一件の際、事後の調査のため派遣された、帝国におけるその部署の者と実際に話をしたからだ。

 本来であれば自分たちが出るべき事案であったが、近くにいたおれが解決したおかげで出る幕がなかった、といわれた。

 

 なぜか、とても残念そうに。

 召喚された悪魔を観察できる機会が失われた、とも。

 

 いやまあ半分は冗談であろうが……。

 どうにも研究者気質の人物で、もう半分は本当に残念がっていた様子である。

 

 悪魔の出現に従って世界は侵食を受け、不毛の大地が広がる。

 一刻も早くこれを打倒しなければならぬ、という事実がある以上、彼らが間に合わないことは頻繁にあるらしいのであった。

 

 なにせ帝国は広大で、事件は日々、あちこちで起こっている。

 そのどれが重要で、どれが重要ではないか、実際に現地で調べてみなければわからないことは数多あるのだろう。

 

「今回の件も、いずれこちらに報告書が来るとは思いますが……そのときまでに事件が解決しているといいですね」

「つくづく、そう願いますよ。境魔結晶の密輸を企んでいる奴らがなにを考えているにしても、どうせロクなことじゃありません」

「同意見です。あれには触媒として、さまざまな利用方法がありますが、必要ならば正式に申請すればよろしい。わたしのように」

 

 そう、目の前の老人は、境魔結晶の携帯許可を得たうえで研究している数少ない人物のひとりであるのだった。

 おれはよく知らないが、空間と時間の位相がどうのこうの、というあたりを専門にしているという。

 

 なんか、ヤァータと話が合いそうな気がするな。

 まったくのカンだけど。

 

 ちなみに、なんでそんな人物がこんな辺境に引きこもっているかといえば、境魔結晶に関する実験のためである。

 具体的には、実験に失敗して爆発してもいい土地がたくさんあるから、という……。

 

 このひと、温和な貴族の隠居にみえて、実験内容はアナーキーらしいんだよな……。

 本当に、よく知らないし知りたくもないんだけど。

 

「そういえば、境魔結晶の管理って、普段はどうしているんですか」

 

 ふと、疑問に思って聞いてみた。

 鉄角馬車で運んでいる最中に二度も襲撃を受けるほど、一部の魔物を引き寄せるような魔力を放っている物質が、ここには保存されているはずなのだ。

 

「我が家はこの部屋よりさらに地下がありまして。四方を分厚い鉛で覆った部屋をつくり、そこに保管しているのですよ」

「鉛で囲むのですか。そういう方法で境魔結晶の出す放射を遮断できるんですね」

「ええ。もちろん、そういった設備があることを証明できなければ、境魔結晶を手にすることそのものの許可が下りません」

 

 そりゃ、そうか。

 放射が駄々洩れじゃ、この町がなんども魔物に襲われかねない。

 

 おれたちの乗る鉄角馬車を襲ったのも、空を飛ぶ魔物に、地に穴を掘ってくる魔物。

 どちらも、普通の手段じゃ防げないような相手である。

 

「いやはや、それだけ厳重な管理が必要なものなのです。どうして、雑に鉄角馬車で運ぼうなどと考えてしまったのか……」

 

 そこ、だよな。

 雑すぎる。

 

 まあ……もうこの件に関わるつもりなんてないから、どうでもいいんだけど。

 どうでもいい……はずだよな?

 

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