死ぬに死ねない中年狙撃魔術師(書籍版6月5日発売)   作:星野純三

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第39話

「これは、なんでしょうか」

 

 手渡された木札を眺めて、マイアちゃんが首をこてんと横に傾けた。

 狩猟ギルドの二階でのことである。

 

 わたしたち三人がこの町に来てから、三日が経つ。

 師匠が留守の間に、わたしとマイアちゃんは、いくつかの依頼を果たした。

 

 で、今日の依頼を果たして酒場に戻ったときのこと。

 ギルドの受付の人から、チケットを二枚も貰ってしまったのだ。

 

 この町で公演される歌劇の特等席のチケットだった。

 自分は仕事があるので行けないから、かわりにみにいって欲しい、と受付のおじさんはいった。

 

 若い子こそ、こういったものをみるべきであると。

 ここ数日で、この人にはだいぶお世話になってしまっているけど……娘のように思われているっぽいのかなあ。

 

 チケットに書かれた公演日は、まさに今夜だった。

 町でいちばんの野外広場で、わざわざ魔法照明をふんだんに使って催されるのだという。

 

「常光歌劇団、かあ。名前は知らないけど、まあ旅の歌劇団なんていくつもあるからね」

「ほう」

「でも、こんな町までわざわざ来てくれる劇団なんて少ないだろうし、きっとチケットをとるの大変だったんじゃないかな。わたしたち、ツイてるね」

「ふむ?」

 

 わたしの説明を聞いても、まだ首を横に傾けている。

 ありゃあ、これはそもそも、前提知識がないな。

 

「マイアちゃん、水草姫の物語、って知ってる?」

「浅学ながら、存じません」

 

 少女は首を横に振る。

 うーん、やっぱりかー。

 

 水草姫の物語、帝国の子どもならどんな村でも子守歌の代わりに聞くおとぎ話なんだけどね。

 わたしも、乳母がなんども語って聞かせてくれたことを覚えている。

 

「星振り王子と妖の魔法使い、はらぺこ竜と七人の小人、あとはうーん、ダッダールの双子泥棒」

「ふむ?」

 

 反応なし、と。

 困惑されてしまったかー。

 

「そもそも、物語、ってわかる? あ、歴史上の出来事とかじゃなくて、誰かが考えた架空のお話」

「概念は存じております」

 

 概念、とな。

 むう、これは強敵の予感。

 

「古くから伝わる、多分に教訓を含んだ散文、あるいは韻文、ときに歌となって語られるものでありましょう」

「マイアちゃん、それを聞いたり本で読んだりしたことは?」

「あいにく、不勉強にて」

 

 不勉強って。

 わたしは、うーあー、と呟いて酒場の天井を仰いだ。

 

 この子に必要なのは、優秀な乳母とかだった気がする。

 なにやってたんだろうねえ、親御さんは。

 

 マイアちゃんは崩し文字もすらすら読むし、難しい単語もたくさん知っている。

 水準以上に優秀な教育を受けているのはたしかなのだ。

 

 でも、娯楽の方面にひどく疎い。

 甘味とかも人里に降りてはじめて知った様子である。

 

 放っておくといつまでもクッキーとか蜂蜜菓子を食べ続けてしまうくらいだ。

 これまでよっぽど抑圧された生活を送っていたのだろうな、とは想像がつく。

 

 実際のところ、彼女は山のなかで黒竜の子として育てられたわけで……。

 普通の家のそれとは著しく環境が違う、というのがまず前提。

 

 そうでなくても、一部のちからこそすべてを標榜する貴族がその子女を幼いころから訓練するという話は、たまに聞くことなのだ。

 それこそ娯楽も余裕も、なにもかもをとりあげて、ひたすらに魔術師としての道を邁進させるのだという。

 

 問題は、そういった教育が報われ大成した、という話をあまり聞かないこと。

 特に帝国の場合、学院で上手く人間関係を築けず、どこかで脱落しちゃうらしいんだよね。

 

 わたしも、そうしてこじらせてしまった貴族の子弟を何人もみてきた。

 悪魔を召喚しようとしたクラスメイトも、そういったひとりだ。

 

 馬鹿だなあ、と思う。

 でもいまとなって振り返ってみれば、彼らに足りないのはオツムだけじゃなかったんだろう。

 

 マイアちゃんをみていると、いろいろと考えてしまう。

 あのクラスメイトは、親の期待を受けて過酷な鍛錬の末に学院に入った。

 

 人と人との関係を上手く理解できずに孤立した。

 あげく、魔術師としての技量でもわたしみたいな飛び級の子に負けて……。

 

 彼と彼の親の頭のなかでは、こんなはずじゃなかったのだろう。

 魔術師として一人前になる、ということの意味を、親も本人も理解していなかった。

 

 彼らは理解できなかったのだ。

 人里離れた山のなかに住む魔術師ひとりであれば、それでもよかったから。

 

 でも帝都で暮らす以上、最低限のものが必要だった。

 あえて言葉にするなら、社会性、とでもいうべきものが。

 

 この先、マイアちゃんに必要になるのも、きっとそれなんじゃないだろうか。

 なにせ彼女には、まず同じヒト同士という、皆があたりまえに共有する常識の基盤すら存在しないのだから。

 

 いやまあ、この子くらい才能があったら立ちふさがる壁をなにもかもなぎ倒してしまうかもしれないけど。

 それはそれで、いろいろと問題が出てくるからね……。

 

 わたしの場合、ロッコとかディナとかジニー先輩という、頼りになる味方がいたのもおおきい。

 いや、わたしよりやんちゃだったロッコ、本の虫すぎたディナはあんまり頼りにならなかったかも。

 

 やっぱりジニー先輩かなあ。

 うん、わたしは、この子にとってのジニー先輩にならなきゃいけないような気がするのだ。

 

 そう、目を瞑れば思い出す、昔日の光景。

 ジニー先輩と学院を抜け出し、男装してタチの悪い酒場で暴れたり、賭けごとの最中に魔法でイカサマしたり、悪所をひやかして……。

 

 ろくなことしてないな。

 ジニー先輩よりはマトモにやらないと。

 

 それはそれとして、いまは今夜の歌劇のことだ。

 演目は、えーと。

 

 石の姫君と一つ目巨人、かー。

 悪い魔術師に石にされた姫君に恋した一つ目の巨人が、己の持つ予言のちからでもって彼女の石化を解くために奔走する話だ。

 

 百年ほど前に、巨匠テラグテによって書かれたお話。

 テラグテの物語は学院の入試問題にもなるくらい有名だし、入学後もテキスト解釈の講義があった。

 

 で、そんななかでも特に有名なひとつ。

 一つ目巨人の予言者は実在したらしいし、亡国の石化した王女というのも実際にあったこと。

 

 でもそのふたつを繋げて恋物語にしたのは、完全にテラグテの創作。

 ついでにいうと、物語の終盤に出てくる悪い魔術師は正体が竜で……っていうのも存在しないこと、のはず。

 

 うん、一般的には、竜がヒトに化けるなんて物語のなかだけ、だからね。

 そのはずだったんだよねえ……。

 

「まあ、ものはためし、だよ。いっしょにみにいこう。どうせ今夜も、師匠は外泊だし」

「承知いたしました」

 

 あまり感情のこもらない声でそういって、マイアちゃんはうなずく。

 うーん、興味なさそうだけど……でも、なにごとも経験だよ、うん。

 

 

        ※※※

 

 

 その日の、夜。

 わたしたちは観劇に向かった。

 

 貴族区の内と外を隔てる壁。

 そのすぐそばにつくられた円形の広場は、高い内壁を利用した照明台の魔道具に照らされ、夜だというのに真昼のように明るかった。

 

 そこに集まったのは、住人の半分以上と思われる、老若男女、合わせて千人近い人々だ。

 半円状の舞台の上で始まった歌劇は、舞台袖にとりつけられた拡声の魔道具によって広場全体に届けられる。

 

 わたしとマイアちゃんのチケットの座席は、中央の最前列に近い、なかなかの場所。

 マイアちゃんは座席にちょこんと座って、これからなにが始まるのか、きょとんとした様子で開演を待っていたのだが……。

 

 それから始まったのは。

 圧倒的な音と光の洪水だった。

 

 ただでさえ存在感のある役者さんたちを、魔法の照明が鮮やかに浮かび上がらせる。

 要所で挟まる役者の張りのある歌声が、石になった姫君の悲劇を、石の姫君に恋した一つ目巨人の燃えるような感情を観衆の心に焼きつける。

 

 筋を知っていて劇をなんどかみたことがあるわたしでも、物語の世界にのめり込んでしまった。

 そして、クライマックスが来る。

 

 一つ目巨人は、ついに姫君の石化を解いた。

 しかし種族違いの恋心を隠し、なにもいわずに背を向けて立ち去ろうとする。

 

 わたしは胸が張り裂けそうな痛みを覚えた。

 その直後。

 

 姫君が巨人に駆け寄る。

 彼女が、石になったあともずっと意識があったこと、彼の献身をみていたこと、そしていつしか巨人に対して抱いていた思慕の情を高らかに歌い上げる。

 

 わたしは他の観客と共に喝采をあげていた。

 夢中になって、手を叩いていた。

 

 すごい。

 歌劇は、やっぱりすごい。

 

 って、そうだ、劇に集中していて忘れてたけど、隣のマイアちゃんは……。

 横を向く。

 

 周囲が拍手喝采で大騒ぎしているなか、マイアちゃんは、静かだった。

 胸もとでぎゅっと拳を握って、前のめりに、懸命に。

 

 呼吸するのも忘れて、口をぎゅっと閉じて。

 一心不乱に、舞台を眺めていた。

 

 その目は瞬きも忘れ、舞台の上の光景をひとつも見逃さないとでもいうかのように。

 その耳は、姫と巨人が手を繋いで歌う歌をひとことも聞き逃さないとでもいうかのように。

 

 舞台で繰り広げられる物語に、魅入られていた。

 彼女が初めてみたであろう物語に、のめりこんでいた。

 

 物語が終わり、ハッピーエンドのなか、姫を肩にかついだ巨人が舞台を降りていく。

 いや、巨人の役を演じている役者は姫より頭ひとつ背が高いだけなのだけれど、舞台の最中はまるで本当に巨人のようにみえたのだ。

 

 姫と巨人の身長差が倍くらいあるようにみえていたのは、魔法か、あるいは立ち位置と姿勢、段差を使った見事な錯覚か。

 スポットライトが、消える。

 

 マイアちゃんが、おおきく息を吐く。

 よくみれば、その双眸から、彼女はとめどもなく涙を流していた。

 

 劇が終わったことにも気づかずに、自分が泣いていることにもまったく気づかずに、役者たちが去ったあとの、スポットライトが消えたあとの舞台を眺め続けていた。

 ずっと、ずっと、ずっと。

 

 アナウンスが公演の終わりと役者たちの挨拶は広場の出口で行うことを告げても、そんなことは耳に入っていないかのように。

 ずっと、ずっと、ずっと、そこで起きた物語はまだそこにあると幻想しているかのように、眺め続けていた。

 

 観客たちが立ち上がり、移動していく。

 役者たちのファンサービスをみに行く者もいれば、もう夜は遅いからと足早に帰宅する者もいる。

 

 そんななか、マイアちゃんとわたしただけが観客席に残っていた。

 照明の消えた舞台を眺めたまま滂沱の涙を流すマイアちゃんを、わたしはじっと眺めていた。

 

 やがて、彼女の肩が震える。

 その瞳が、閉じられる。

 

 彼女の心のなかでなにが起こったのか、わたしにはわからない。

 彼女がいまの舞台をどう受け止めたのか、わたしは知らない。

 

 もういちど彼女がまぶたを持ち上げたとき、その赤い眼が、きらきらと輝いているようにみえた。

 いつもの濁ったような瞳とはまったく違う、澄んだまっすぐな双眸だった。

 

 マイアちゃんが、わたしをみあげる。

 なにかいいかけて、しかしなにをいえばいいかわからない様子で、口をもごもごさせる。

 

 わたしは微笑んで、マイアちゃんの黒い髪をゆっくりと撫でた。

 

「どうだった?」

「続きは、どうなるのですか?」

「えっと、劇はこれで終わりだよ」

「ですが、あのふたりの生は、これからも続いていく。これから、ふたりはどうなったのですか」

 

 ああ、と納得する。

 この子は、あれがつくりごとだと、空想の創作だと理解しなかったのだ。

 

 どこかに存在した現実を演じたものだと。

 あるいはひょっとすると、あの舞台の上に現実そのものが広がっていたのだと、想像したのだ。

 

「そうだね。きっとふたりは、このあと」

 

 言葉を切って、少し考える。

 そうだ、先輩といっしょに孤児院を訪問して、子どもたちと話をしたときみたいに。

 

「マイアちゃんは、どう思う?」

「どう、とは?」

「これは架空の物語だから。歴史じゃ、ないから。舞台の幕が下りた後のことは、誰にも真実がわからない。ううん、そもそもどうなるか決まっていない。だから、わたしたちひとりひとりが、心のなかで考えるの。心のなかで決めるの。そのあとどうなったか。どうなって欲しいか」

 

 マイアちゃんは腕組みして天を仰いだ。

 広場のあちこちで照明が輝いているせいで、星はほとんどみえない。

 

「ふたりは……わたくしは、ふたりが幸せに暮らして欲しいと願っておりますが……」

「じゃあ、きっとそうなんだよ。マイアちゃんが決めたなら、それでいいんだよ」

「まこと、ですか」

「それが物語だよ。いまの演劇から受けとった、マイアちゃんだけの物語」

 

 マイアちゃんは、天をみあげたまま固まってしまった。

 何度もまばたきをしながら、じっと夜空をみつめる。

 

 観客席の照明が落ちた。

 警備のひとに追い出されるまで、マイアちゃんはずっとそうしていた。

 

 

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