死ぬに死ねない中年狙撃魔術師(書籍版6月5日発売) 作:星野純三
鉄熊団の中心グループが特異種に出会い、壊滅した日の翌日、その昼過ぎ。
城塞都市エドルの狩猟ギルドは、精鋭のギルド員二十人と少しで特異種討伐部隊を組織し、森に分け入った。
午前中におれや領主の部下の魔術師たちが森のあちこちに鳥の使い魔を飛ばし、その結果、森の奥から町の方に近づいてくる特異種を発見したのである。
身の丈がヒトの三倍はあろうかという漆黒の肌のトロルだ。
異形の巨人の魔物が、その身を揺らしながら、のしのしと歩く。
それだけで慌てた様子の小鳥たちが飛び立ち、地面の揺れによって木々が激しく揺れるのだから……。
それはもう、発見は容易なのであった。
問題は、発見できたとしても、人里に近づきつつあるこの巨人をどう討伐するか、である。
伯爵の手勢は、平原での戦いに特化している。
優秀な騎士とて、森のなかに馬で分け入るわけにはいかない。
森のなかでの戦いとなる以上、その主力が狩猟ギルドのギルド員になるのは必然であった。
そのぶん討伐に参加する者たちには、多大な報酬が約束されている。
たった一日でそこまでの手配をやってのけたのは、ギルド長のダダーと伯爵、それに伯爵の妹にして別邸の管理主であるメイテルの良好な関係があってこそのことだろう。
ちなみにおれは、ダダーから雇われて裏で動いているだけの、しがないギルド員のひとりだ。
ギルド長のダダーは、おれとメイテルがかねてからの知己であることを薄々感づいているようだった。
だが彼は、口が堅い。
ある程度は信用できるだろう。
ひょっとしたら、おれがメイテルの愛人かなにかと勘違いしているかもしれないが……わざわざ誤解を正す必要はない。
で、ギルドから与えられた今回のおれの役目は偵察だけである。
お役御免のはず、だったのだが……。
念のため、というべきか。
いまおれは、メイテルの招きで、町の外の丘の上、見晴らしのいい別邸の屋上にいた。
そばにはメイテルの姿がある。
ほかは、数人のメイドだけだ。
やれやれ、である。
こんなところをほかのギルド員や伯爵の手勢にみられたら、どんな勘違いをされるかわかったものではないのだが……。
いや、伯爵はこちらの事情をある程度把握しているか。
赤竜退治のことも、いちおう隠してはいるけれど、彼の情報網ならどこからともなく聞きつけていてもおかしくはない。
でもなあ、今回、頼られても困るんだよな。
狙撃というのは、ある程度、条件が整った状態で初めて機能するものなのである。
そのメイテルは、望遠の魔道具を熱心に覗き込んでいた。
「森に分け入っていくギルド員の姿がよくみえます。あなたもみてみますか」
「謹んでご遠慮いたします」
おれはおれで、カラスの使い魔ということになっているヤァータを放ち、上空から森の様子を観察させている。
「やる気はない、といいながら、朝から狙撃の準備をしているではないですか」
メイテルが望遠の魔道具のレンズから目を離し、おれの方を振り向く。
彼女の言葉の通り、おれは愛用の長筒を手に、朝からずっと、ちょっとした椅子ほどのおおきさがある円筒形の魔力タンクに魔力を注ぎ込んでいた。
「念のため、ですよ。必要がなければ、それがいちばんです」
そもそも、今日、特異種が森の浅層に出てくるとは限らなかった。
それでも偵察する前から魔力タンクに魔力を貯めていたのは、長年の用心が幸いしたというだけのことである。
「かわいい弟子のため、ではありませんか?」
その言葉に、おれは小首をかしげてみせた。
おや、とメイテルがちいさく呟く。
「ひょっとして、わたしは彼女にたばかられたのでしょうか?」
「ちょっと待ってください、詳しい話をお願いします」
「昨夜、町中で、あなたの弟子を自認する少女から、礼儀正しく声をかけられたのです。あれはかなり高貴な出の者ですね、あなたも隅に置けません」
「そういうのはいいですから」
少し声に苛立ちをこめて、彼女の話を遮る。
本来なら、貴族を相手にこんな口を利いたら無礼打ちされても仕方がないが、しかしメイテルは愉快そうな笑みを浮かべただけだった。
「『師の推薦を得て明日の特異種討伐に参加することになっていたが、その師が戻ってきていない』といわれまして。そういうことでしたら、とわたしの方から許可を出しておきました。ダダーとも顔見知りだったようですし、彼が問題ないと判断するなら、と思ったのですが……」
「あいつはおれの弟子ではありません。狩猟ギルドに入っていないし、本格的な強敵狩りの経験もない、学院を出たばかりの魔術師なんですよ」
「将来有望ですね」
「だからこそ、いまここで潰すわけにはいかないんです。あいつには将来がある」
「過保護なことです」
「おれのミスのせいで誰かが死ぬのは、もう嫌なんだ」
「――申し訳ありません」
おれは、はっと顔をあげた。
メイテルは、厳しい表情で森を眺めている。
「余計なことをしました。お詫びいたします」
「い、いえ、その……。おれの方こそ、言葉が過ぎました。謝罪させてください」
「ひとつだけ、申し上げさせてください。姉さんは、あなたと共にいることができて幸せだったのです。人の心がわからないといわれるわたしでも、それくらいはわかりました。姉さんと再会してすぐ、あの笑顔をみて。あなたと初めて顔を合わせたときのことです」
「めちゃくちゃ睨まれたのは覚えています」
メイテルはころころと笑った。
「妬ましかったのですよ。家を飛び出して自由を満喫していた姉さんと、家のしがらみにがんじがらめで、鬱屈としていた自分。それを見比べてしまったのです。我ながら、浅はかなことです」
いまさらの、十七、八年前の感情の告白だ。
おれはなにもいえず、開きかけた口を閉じた。
「困らせてしまいましたね。さて、いまからでも彼女を連れ戻しますか?」
「いえ、そんなことをしたらほかのメンバーも混乱します」
もう遅いのだ。
作戦が始まった以上、彼女を、そしてギルドの精鋭たちを信じるしかない。
彼女が怯えてなにもできない、ならまだいい。
パニックに陥ってほかの者を危険に晒したり、手柄を焦って無謀なことをしなければいいのだが……。
ここからでは、森のなかの様子はわからない。
木々の枝葉によってつくられた天蓋の下であの少女が危険に陥っても、助けることはできない。
「こうなったら上手くやってくれることを祈るだけです」
そもそも、おれはただの狙撃魔術師だ。
今回、おれに出番があるかどうかもわからないのである。
「じっと待つだけ、というのは辛いものですね」
「待ってください、なんであなたの立場でそんな発言が出るんですか。通常の作戦でも、ここで待機するのがあなたの仕事でしょう」
「わたしが普通なら、ですね」
おれは背後で待機しているメイドたちの方を向いた。
全員が、そろって視線をそむけた。
おれはおおきなため息をつく。
男まさり、という評判は聞いていたが……。
「そういえば、あいつもそんなことをいっていたな……」
「姉さんは、わたしのことをなんと?」
「男として生まれたら、希代の英雄になっていた、と」
「そうかもしれませんね」
平然と、この屋敷の主はうなずいてみせた。
もういちど後ろを向くと、メイドたちが揃ってなんどもうなずいていた。
※※※
ほどなくして、戦いが始まった。
森の浅層、この丘の上の屋敷からギリギリみえるあたりで、木々がなぎ倒され、小鳥たちが羽ばたく様子がみえた。
直後、閃光が走る。
たて続けに爆発が起こった。
攻撃魔法が行使されている。
狩猟ギルドのギルド員のなかにも魔術師はいるが、あそこまで破壊力のある魔法を使える者が同行していただろうか。
おれは、弟子入りを希望する少女の顔を思い浮かべた。
焦って、無謀なことをしていなければいいが……。
「うまく散開し、特異種を囲んでいるようです」
遠見の魔道具を覗き込んだメイテルが呟く。
その落ち着いた声で、われに返った。
「戦場が、次第に森のはずれ、こちら側に近づいているようですが……」
「途中に罠を張っているのでしょう」
おれは返事をする。
狩猟ギルドには、罠を専門とする者たちがいて、そのうち数人が今回の討伐に参加していた。
「誘い込んでいるのですか」
「トロルは、いちど戦い始めると、われを忘れて暴れまわるだけになりますから。罠にかけやすいのです」
おそらく、とおれは罠を張った場所を考える。
「あのひときわ高い木のあたりに罠を仕掛けているはずです」
はたして、おれの読み通り、戦場はその高い木のあたりに移動しつつあった。
時折みえる爆発や、なぎ倒される木々の様子から、特異種の誘導は、いまのところ上手くいっているようにみえる。
しかし、戦場が目印となる木のそばまで来たところで……。
酸のブレスが、その背の高い木もろとも周囲の草木を、広い範囲で薙ぎ払う。
一瞬で木々が溶け、次いであちこちで燃え出した。
そのあたりに隠れていたのであろう男たちが、地面に転げ落ちる。
森の木々がなぎ払われたことで、遠く丘の上の屋敷からでも、その光景がはっきりとみえた。
遠見の魔導具を使っていたメイテルは、もっと詳細にその様子を捉えていることだろう。
「罠を見破られましたね」
「頭がいいタイプの特異種ですか。これは……厄介だ」
おれは思わず舌打ちしたあと、無作法をメイテルに謝罪した。
「謝る必要はありません。わたしのかわりに悪態をついてくれたこと、感謝いたします。いまので何人やられましたか?」
「ヤァータ、どうだ」
カラスに擬態した存在であるヤァータは、姿を消す魔法を使い、その罠を仕掛けていたであろうあたりを、ゆっくりと旋回しているはずだ。
ちなみにこれは、通常の姿消しの魔法ではない。
ヤァータがいうには「光学迷彩」というこいつが独自に開発した魔法で、魔力の探知には引っかからない優れものなんだとか。
赤い指輪からヤァータの声が聞こえる。
「おそらく四人……いえ、ひとりは上手く脱出しました。残りの三人は脱落でしょう」
「そうか」
普段からギルドの下の酒場で顔を合わせる者たちだ、彼らの安否も気になるが、いまはまだ狩りの最中である。
残りのメンバーが矢やら魔法やらをたて続けに放ち、黒い巨人を懸命に足止めしているとのことであった。
罠が見破られ、仲間が倒されたのだ、現場は相当に混乱し、動揺していることだろう。
いまは少しでも体勢を立て直す時間が必要だった。
「あなたは使い魔とそういう風に会話するのですね。兄の部下は無言で指示を出していました」
「おれは、魔術師としてできそこないですから、こういう魔導具が必要なんです」
魔導具、ということでごまかしておく。
実際のところ、この赤い指輪がどういうものなのか、おれは詳しいことをまったく知らない。
「ご主人さま、この距離であれば、映像の中継も可能です」
「わかった、やってみてくれ」
「では、網膜リンクを開始いたします」
ヤァータがそう告げた次の瞬間、おれのみえている景色が切り替わった。
思わず声をあげかけて、それを強引に飲み込む。
おれは宙を舞っていた。
空を飛んでいる。
雲の下をゆっくりと旋回する鳥の視点で、森を眺めていた。
そして――ヤァータを通じて、おれはみてしまう。
赤いローブに身を包んだ金髪碧眼の小柄な少女が、少し遅れて樹上から落ちた様子を。
それを、黒い巨人がみつけてしまった瞬間を。
少女が怯えた表情で、身の丈より長い杖を構えて火球の魔法を行使する様子を。
そして、長い杖の先端から放たれた火球が黒い巨人に命中し――。
おおきな爆発が起きたにもかかわらず、巨人は痛痒を覚えた様子もなかった。
少女が後ずさり、しかし地面を這う木の根に足を引っかけて後ろに転倒した。
黒いトロルのおおきな口が、狂暴につり上がる。
「ヤァータ、射撃リンク開始」
おれは反射的に、長筒を構えていた。
「まだ発射準備が整っておりません。充填率七十パーセント」
「構わない、やれ」
「かしこまりました。射撃管制システム起動、ふたつの視点を同期いたします」
頭のなかに、ヤァータから膨大な量の情報が送られてくる。
おれの視点と、ヤァータの視点、双方からの情報を三次元的に処理。
急な情報の洪水に、おれの頭脳が悲鳴をあげていた。
ひどい吐き気を覚える。
呼吸を止め、歯を食いしばってこらえた。
照準、固定。
貯め込んだ魔力タンクから、長筒に魔力を流す。
長筒の先端が虹色に輝いた。
引き金を引く。
長筒の先端から放たれた、ひと筋の糸のように細い光が森に向かって伸びていく。
光は、トロルの胸に突き刺さった瞬間、爆発的に広がった。
太陽のように眩い輝きが、網膜を焼く。
光が収まった。
黒い巨人は、未だ健在だった。
ただ、一点。
その胸の少し下が深くえぐられ、赤黒い脈動する臓器が露出していた。
魔臓だ。
数少ない、この魔物の弱点だ。
失敗だ。
不完全な射撃だった。
狙撃魔術師は、本来なら一撃必殺でなくてはならない。
魔臓が強い光を放ち、周囲の肉が蠢く。
そのおそるべき生命力が、肉を活性化させているのだ。
あとひと呼吸、ふた呼吸で傷の再生が始まってしまう。
だが。
いま、狩りをしているのはおれひとりではなかった。
「いまだ、やれ!」
おれは叫んだ。
その声が森まで届くはずもないのに、あらん限りの声で叫んでいた。
怯えていた少女が、長い杖を構える。
杖の先端から、眩い雷が放たれ……。
雷撃が、魔臓を撃ち貫く。
黒い巨人は、仰向けに倒れたきり、二度と動かなかった。
「よくやりました」
肩を叩かれ、おれはようやくわれに返った。
「怖い顔をしていますよ。そのような激情が残っていたこと、わたしは嬉しく思います」