死ぬに死ねない中年狙撃魔術師(書籍版6月5日発売) 作:星野純三
さて、おれがここ数日、宿にも帰らずなにをしていたかというと。
実は、かの老人の、境魔結晶に関する研究に協力していたのだ。
正確にいえば、ヤァータが老人の研究に協力していた、である。
おれはオマケだ。
研究内容は、境魔結晶が発生させる特殊な魔力、そして空間を歪ませるちからに関する調査。
帝都の学院は、長年のデータの蓄積から時間と空間のありようについて仮説を立て、説得力のある数式を組み上げていたらしい。
そうなると、次は式から導かれる数値の検証である。
この地で老人が行っていたのは、この検証、すなわち膨大な実験データの蓄積であった。
これまでは、おおむね満足のいくデータがとれていたのだという。
仮説はデータの裏付けを得て、その確かさが証明されようとしていた。
ところが、最近。
その演算結果から予想される境魔結晶のデータと実際に観測された数値に、いささか無視できない差が生じていたらしい。
いろいろ条件を変え、原因を究明するべく努力していたのだが、いっこうに解決の目処がつかず……。
それどころか、もはや誰の目にも明らかなほど理論値と実測値の差が広がってきているとのこと。
これを聞いて、ヤァータが目を光らせた。
「実に興味深い」
とまでカラスはいった。
おれとヤァータは話し合い、最終的におれは、ヤァータを老人に協力させることにした。
老人は、ヤァータが特別な使い魔であり、この件に関して口外しないという条件を呑んでくれた。
魔法的な拘束力のある誓いまでして、それでもヤァータの助言を求めたのである。
こうして、老人とヤァータの二人三脚による実験データの再検証が始まり……。
おれは毎日、ふたりの様子を眺めながら、しかしヤァータのそばから離れるわけにもいかず、老人のメイドに話相手をしてもらったり遊戯盤で遊んだりと、だらだら時間を潰した。
情けない限りだが、数式とかみてもさっぱりわからん。
学院における基礎教養としての講義の範囲内ならともかく、ことは教授たちが議論するような範疇だ、記号の意味すら理解できない。
で、結果。
理論値と実測値のズレについて、ヤァータが立てた予測は、そのすべてが見当違いだと判明した。
カラスは、骨が折れるんじゃないかと思うほど首をかしげた。
老人は、腰をやるんじゃないかと思うほど実験室のまわりをうろうろ徘徊しては頭を掻いた。
普段、温厚な老人が怒鳴り散らし、メイドは黙って頭を下げた。
家のなかの空気は、ひどく悪くなった。
正直、はやく宿に帰りたかった。
状況を打開したのは、やはりヤァータだった。
「あなたの持つ理論が正しいということをわたしは知っています」
この段階に及んで、ヤァータは自分が異なる文明の産物であることをもはや隠しもしなかった。
老人はそれを理解していて、しかしその点については言及せず、このカラスから得られる知識という禁断の果実の旨味だけを摂取するべく努力していた。
「理論は正しい。しかし測定結果が違う。我々は、この都合の悪い事実から目を背けてはならない」
「つまりどういうことかね、カラスくん」
老人は、ヤァータのことをカラスくんと気安く呼ぶ。
ちなみに、いちばん荒れていたときはクソカラス、と叫んでいたことをおれは知っている。
理論と実験結果の不一致は、かくもヒトの心を荒ませるのだ。
他山の石としたい。
「理論も測定値も正しい。まずはこれを前提に、まっさらな視点でデータをみるのです」
「要するに、カラスくん。きみは、我々がこれまで考慮していない要素が存在する、といいたいわけだ」
「あなたがこの地に居を構え、この地で実験を行っているのは何故でしょうか」
「ここなら、ほかに誰も境魔結晶を使った実験なんてしている者はいない。この付近で境魔結晶が発掘されたという記録もない。境魔結晶はわたしの屋敷にある分だけで、実験による活性状態に置かれた境魔結晶の影響だけを考慮すればいい」
老人は、椅子に座ってしばし考え込んだあと。
おおきなため息をついた。
「つまりは、そういうことかね」
「ええ」
「さっそく試してみよう」
ふたり、いやひとりと一匹の会話を聞いていてもなにがなにやらわからなかったが、彼らの間ではそれで充分だったようだ。
ぽかんとするおれを無視して、新しい実験が始まる。
メイドが無言で茶のおかわりを用意してくれた。
うん、うまい。
それからたったの半日で、成果は出た。
立ったまま羊皮紙の数値を睨んでいた老人は、「こんなことが……」と椅子にへたり込んでしまう。
「なあ、ヤァータ。どういうことか、説明してくれないか」
「ご主人さまを通じて、わたしたちは鉄角馬車で境魔結晶が密輸されていたことを知っています。もし、そうして密輸された境魔結晶がこの地の近くに運ばれ、そこで境魔結晶の活性化が行われていたとしたら、それが干渉を起こす可能性は充分にあり得るということです」
え?
その話、いまの実験の話と繋がってるの?
たしかに、どっちも境魔結晶が関わっているが……。
よりによって、か。
「密輸された境魔結晶を活性化……この町で?」
「理論値と実測値の差から判断して、もっと広い範囲で考えた方がよろしいでしょう。とは申しても、徒歩で一日か二日の範囲だと思いますが」
おれはメイドに頼んで、周囲の地図を持ってきて貰った。
飛行魔法の使い手による丁寧な仕事により、町の西側はほぼ完璧な地図ができている。
ところが、東側、未開拓地ともなるとこれがさっぱりであった。
川すら覆い尽くす密林が広がり、凶悪な飛行型の魔物が遊弋しているため、空からの接近がひどく難しいのであるという。
この地の開拓が、この町の範囲からいっこうに広がらない所以である。
少々、ヒトのちからが増したところで、ジャングルにおける魔物の優位は変わらない。
無論、それを圧倒的なパワーでねじ伏せる個人もいないわけではないのだろうが……。
そんな戦力まで投入するほどの価値がこの地にあるかといわれると、それは微妙なところなのだろう。
現在のところ、細々とした探索隊が密林の奥地に赴き、稀少な草木、鉱物を採集してくる程度である。
それらも、別にこの地でだけ入手できる、といった類いではないらしい。
採算、という概念は重要である。
ことに、貴重な魔術師の命がかかっているときは。
「町の西側にいくつか集落があるな。街道から森に入っているが……こんなところで集落が維持できるのか?」
「それぞれの集落には、ちからのある騎士さまが滞在しているという話です」
メイドがおれの質問に答えてくれる。
なるほど、騎士とその徒党が中心となった集落か。
こんな辺境までわざわざ移住してきたからには、それ相応の理由があるのだろう。
後ろ暗いところがある可能性は、充分にある。
「詳しいデータは、入手できるだろうか」
「ご主人さまの許可をいただければ、一両日中には」
メイドが老人を振り仰ぎ、屋敷の主である彼は重々しくうなずいてみせた。
これで、まあいまできることはおおむね終わりだ。
「ヤァータ。境魔結晶を活性化する理由には、どんなものがあるだろうか」
「データが不足しています。満足のいく返答ができるとは思えません、が……。ろくなことではないという想像はできますね」
「だよなあ」
とんでもないところから、とんでもない情報が出てきてしまった。
頭を抱えたくなる。
※※※
もちろん、境魔結晶の違法な所持に関する犯罪調査など、本来はおれたちがやるべきことではない。
かの老人はこの町の貴族のひとりだが、それでもせいぜい、しかるべき場所へ報告する義務があるだけだ。
で、報告の方は老人に任せることにした。
これで晴れて、自由の身である、のだが……。
宿の一階の酒場にて。
おれは改めて、これまでの経緯を、ヤァータのところだけごまかして、リラとマイアに簡単に説明する。
「ふたりにはなんの関わりもないことだが、協力して欲しい。怪しい集落の簡単な探索だ。専門家が派遣される前に、予備調査をしておきたい」
「もちろん、弟子としてししょーの仕事はお手伝いするよ」
「わたくしは、構いませぬ」
ふたりは特になんの抵抗もなく受け入れたあと、しかし、と首をひねった。
「ししょーがそこまで首を突っ込む必要、あるの?」
「同じく、疑問を解消したく思います」
うん、そこらへんはきちんと説明する責任があるだろうな。
「まあ、いちばんの理由は、その貴族に頼まれたから、ということなんだが……。相手が悪魔崇拝者なら、おれとはいろいろ因縁があるからな」
十五年前。
おれがあいつを失った、あの戦い。
これは後に知ったことだが、あのとき、かの地に悪魔が降臨した理由こそ、悪魔主義者の暴走なのである。
ならば、すなわち。
奴らはあいつの仇、ということである。
マイアがこてんと首を横に傾けた。
「悪魔崇拝者、とは? あのようなものを敬うことに意味があるのですか?」
「悪魔が願いごとを叶えてくれる、と信じる奴は、実際にいるんだよ。マイア、きみが理解できないのはわかる。おれも実際にみなければ、そんな奴らがいることを信じられなかった」
そう、どういう勘違いをしているのかいまひとつわからないのだが、世のなかには根拠もなにもなく、間違った情報を信じ切ってしまう者がいるのである。
そういう人物をいくら説得しても時間の無駄で、むしろその人物の暴走を促すだけであることも。
存在そのものが害悪な者たち。
それらを総称し、悪魔崇拝者と呼ぶのである。
いちおう正確な定義もあるらしいが、おれは詳しく知らない。
境魔結晶を手に入れて暗躍するなら、まあそういう奴らだろう、という程度の理解にすぎない。
「あとは、復讐者だね。なんらかの強い動機があって、悪魔に世界をめちゃくちゃにして貰いたい、って考えるはた迷惑なひとたち」
リラの捕捉に、「そちらは納得がいきます」とうなずくマイア。
「もうひとつ、研究者タイプの悪魔崇拝者もいるらしい」
「研究者……?」
「厳密には崇拝しているわけじゃないんだろうけどな。悪魔という異界の異質な存在に興味を示し、知的好奇心でもって呼び出そうとする輩だ。魔界について興味しんしんだったりもする」
「迷惑な方々ですね」
「控えめな表現だね、マイアちゃん……」
マイアの困惑は、この手の話をするもの、聞くものに共通するものである。
いやはや、迷惑という言葉では表現できないほどに、害悪とでもいうべき存在、それが悪魔崇拝者たちであった。
「そういうことでありましたら、わたくしとしては積極的におふたりをお助けしたいところです」
「あれ、マイアちゃんがやる気まんまん?」
「ヒトだけではなく、大陸すべての者たちにとっての敵、でありましょう?」
まあ、その通りではある。
だからといって命の危険を冒す理由にはならない……と普通にこの帝国で生きる者たちなら考えるところだが。
逆にマイアの場合、帝国、という枠組みに囚われないからか。
彼女にとっては、ただ出会った人々が困るということの方が重要だからか。
思ったよりもずっと積極的に、参戦を決めてくれたのだった。
彼女のことが、また少しわかったような、わからなくなったような……。
まあ、いいか。
おれは改めて、かのご老人から借りた地図をテーブルに広げる。
「集落の配置はこの通りで、ただし頻繁に町と連絡をとりあっているいくつかは除外していいだろう」
「ししょー、怪しいところって具体的にはどんな場所なのかな?」
「不審な人の出入り、施設、あとは……雰囲気、ということになるか。マイア、きみなら境魔結晶が出す放射をみることもできるな」
「無論。とはいえ、充分な遮蔽が用意されている建物に保管しないとは思えませぬが……」
鉄角馬車の一件でも判明したが、境魔結晶の出す放射は、一部の魔物によってそうとうに遠くまで感知される。
集落に無防備に保管した場合、たちまち魔物たちが殺到してくることは明らかであった。
ご老人の屋敷の地下のように、遮蔽を用意するしかない。
「遮蔽された施設がある、という情報だけでも怪しくなるな」
「それなら、この町の土木魔術師に話を聞いた方がいいんじゃない?」
「おれたちが聞いても職務上の黙秘義務に該当するだろうし、話してはくれないだろう。そっちはツテを頼んで、やってもらう」
それこそ、かのご老人に任せるしかあるまい。
ある程度の目処はついた。
「空からの観察は、おれの使い魔がいまやっている」
ヤァータによる偵察は、今回の前提だ。
とはいえ、ヤァータは魔力について詳しくないし、人間観察の目も、どこまで信用できるか怪しいものである。
最終的には、現地に赴いての魔術師の観測が必要となるだろう。
それが特殊な放射を見抜くマイアの目であれば、なおさら頼もしい。
「明後日には、情報が出揃うだろう。行動はそれからだ。準備だけはしておいてくれ」