死ぬに死ねない中年狙撃魔術師(書籍版6月5日発売) 作:星野純三
月のない夜だった。
満天の星空だ。
しかし星々の頼りない明りだけでは、森のなかを見通すことが難しい。
おれはいちおう、眼鏡型の暗視の魔道具をかけていた。
魔力の消費が非常に少ない、狙撃魔術師が愛用するタイプだ。
それでも、小高い丘の上でおれと少女ひとりというのは、気持ち的にひどく心細いものがあった。
いやまあ、その少女は野生の大魔術師なんだけども。
そこらの魔物どころか、騎士が小隊を組んで襲ってきても、彼女には敵わないだろう。
たぶんこの場に寝っ転がっていても、おれは安全である。
実際に、マイアはおおむね魔力タンクのそばに座っているのだが、時折立ち上がっては姿を消し、またすぐ戻る、ということを繰り返している。
丘に近寄る、おれに害を為す可能性がある生き物の気配を感じとり次第、適宜、排除してくれているのだ。
魔物だけではなく、毒蛇などの害獣も、だ。
「手間をかけるな」
「あなたが脆弱であることは、よく承知しております。心配せずとも、あなたが魔力を貯める間、害意あるものには舌一本、触れさせませぬ」
暗闇で赤い双眸を爛々と輝かせ、マイアは落ち着いた様子でそう語る。
「味方であるあなたが、いざというときどれほど頼りになるか、よく存じておりますれば」
おれ、きみの前で狙撃したことないけどね。
鉄角馬車での悪魔騒動のときも、彼女はその場にいなかった。
あー、でもリラからいろいろ聞いていたりするのか。
そんな彼女は、時折、他の者たちの動向も知らせてくれた。
「ロッコ殿は見まわりの兵を捕らえ、尋問しております。集落の者たちは、やはり、出身を偽ってこの地に集まったとのこと」
「出身……いったい、どこから?」
「東方の小国のようです。隣国の侵攻を受け、落ち延びた王族とその護衛、それが彼らであると語っておりました」
「王族と、そのとりまきか……。そんな奴らが、何故、こんなところに」
「彼らは、帝国に強い恨みを持っているようです。故国の侵攻の背後には帝国の暗躍があったと確信している様子」
「まあ、それはありそうな話だが」
東方の小国群は、西の帝国と東の大国の狭間にある緩衝地帯である。
ふたつのおおきな国同士の思惑が複雑にからみ、翻弄される立場にある。
帝国も、かの地には多くの諜報を放っている。
直接、間接を問わず、さまざまな干渉を行っていることは想像に難くない。
政治とは、そういうものだ。
だからおれは、政治になんて関わりたくないのだ。
貴族なんて、ろくなものじゃない。
マイアと、そういったことを話した。
「関わりたくない、という意思には強く同意いたします。しかし、あなたもわたくしも、こうして渦中にいる」
「すまないな」
「なぜ、謝るのです?」
「関わったのは、おれのわがままだ。きみまで巻き込んでしまった」
「それは違います。わたくしは、望んでここに来ました」
マイアは言葉を切り、天をみあげた。
夜空に無数の星々が瞬いている。
ヤァータによれば、あれらの星のひとつひとつが、この大地を照らす太陽と同じようなものであるという。
そして、あれらの星のいくつかには、この世界のような豊かな大地が存在し、ひょっとしたらおれたちと言葉を交わせるような知性体がいるのであるとも。
無論、マイアはそんなことは知らないだろう。
彼女が星をみあげて、なにを想うのだろうか。
「本音を申しますと、知りたかったのです」
「知りたかった? なにを?」
「悪魔を召喚する、などという愚かな行為を、なぜ彼らは選ぶのか。わたくしは、それを知りたいと願いました」
悪魔崇拝者の考え方を学んだところで、百害あって一利なしだと思うんだが。
この少女、時々、善性の塊みたいな考え方をするんだよなあ。
強大なちからを持つ、無垢な存在。
それがこの、少女の姿をした魔術師なのだ。
「ひとつ目巨人も、その国の出だそうです」
「ああ、例の劇団員のことか。やっぱり、くだんの劇団は全員……」
「ひとつ目巨人は姫を石化から解いた後、姫の今後を案じてひとりで去ろうとしました。なぜ、ひとつ目巨人はこのような愚かなことに手を貸すのでしょうか」
「役者と役をいっしょにすると、頭がこんがらがるぞ」
「理屈ではわかっているのですが……わたくしは、かの演劇を、お話を、良いと感じました。感動、というのだそうです。リラが教えてくれました。なのに彼は……わたくしに感動を与えてくれた彼は、どうしてその気持ちを……」
困ったな。
この子、生まれてからこのかた、ほとんど物語に触れて来なかったせいで、虚構に対する耐性がないにもほどがある。
「ひとの気持ちが単純なものではない、と理屈ではわかっているのです。歴史は、そう語っています。語り部は、歴史上の人々の気持ちも語るのです。わたくしは彼らの語りを、ひとつ残らず覚えております」
「歴史については習っているんだな」
「ええ。父は、わたくしを己の後継者となるよう鍛えてくれました。父だけで足りない分は、父の知己を頼りました」
そこだけ聞くと、いい父親なんだよなあ。
まあ、これもまた、ひとは一面だけで判断することができない、ということなんだろうけども。
「昔、王子がいました。彼は父である王から次代の王と期待され、厳しく鍛えられました。しかし王子は、王を逆恨みし、王と敵対する勢力と組み王を破滅させました」
「なにかの物語か?」
「歴史です」
実際にあった出来事、という意味だろう。
「わたくしは思いました。なんて愚かな王子なのだろう。わたくしには王子の気持ちは理解できない、と語り部にいいました。語り部は『それなら、それでよいのだ。いまは、そういうこともある、と心の片隅に留めておくだけでいい』と語りました」
「実際に、きみはずっとそれを覚えていた」
「わたくしはすべての出来事を記憶しております」
完全記憶能力か。
一部の魔術師が、秘儀としている魔法のひとつらしいが、詳しいことはよく知らない。
「以前、わたくしには弟がいる、と語ったことがありますね」
「ああ、聞いたことがある」
「弟のことは、大切に思っていたつもりです。父が亡きあとは、なおさら。ただひとり残った肉親でしたから」
夜空をみあげたまま、少女は語る。
「弟は、いささか粗暴で、理性に欠ける嫌いがありました。故にわたくしは、厳しくその行動を制限しました。いつの日か、己を律することができるよう、その日まで、と。しかし弟は、わたくしにあれこれと命じられるのが、よほど嫌だった様子。あるとき、わたくしの棲み処から、その姿が消えておりました」
「そう、か」
「人里に下りた弟は、そこで揉め事を起こし、殺されました。わたくしの庇護下から離れればいずれはそうなると、わたくしにはわかっておりました。ならば、もっと厳しく弟を拘束すればよかったのでしょうか。弟がどれほど嫌がっても、それでも」
なにも返事ができなかった。
彼女もまた、返事を求めての発言ではない気がした。
「弟を失い、わたくしは、ひとりになりました。三日三晩、考え、わたくしは父を逆恨みした王子の歴史に思い至りました。やはり、わたくしには王子の考えも弟の考えもわかりません。ですが、同じことが起きたことだけは理解できました。わたしの行動は正しかったのか、もっといい方法があったのか、いまでもわかりません」
わかったとしても、それはどうしようもないことなんじゃないか。
そういおうとして、しかしそれは、言葉にならなかった。
マイアは、おれと視線を合わせない。
ただ、星空を眺め続けている。
「わたくしは知りたいのです。ひとつ目巨人と姫君の行いに、なぜわたくしは心を動かされたのか。わたくしはなぜ、演劇の続きの物語を書こうと思ったのか。わたくしが書いた物語のなかで、ひとつ目巨人と姫は、誰にも受け入れられない。どうして、わたくしはそのような物語しか思い浮かべられないのでしょうか」
彼女のなかで、ゆっくりと芽生えかけているものがある。
その萌芽に、彼女自身が気づいている。
同時に、彼女は戸惑っているのだ。
溢れ出る感情の制御に、ひどく苦心している。
この集落に彼女を連れてきたのがよかったのかどうか、おれにはわからない。
だが彼女は、そのちいさな身体で苦しみながらも、己の答えをみつけ出そうとしていた。
「マイア、ひとつ聞かせてくれないか」
「なんなりと」
「弟は殺された、といったな。きみはそのとき、殺した奴を恨まなかったのか」
マイアは視線を下ろし、おれをみつめた。
ルビーの双眸で、じっと、じっと。
なぜだか、ひどく落ち着かない気分になった。
やがて少女は、ふっとまた目をそらして、天をみあげた。
「一時は、恨みました」
ぼそりと、ちからなく呟いた。
彼女の感情が、なぜだか伝わってくる。
どうやらこの少女は、そのことをたいへんに恥じているようだった。
ひとがひとを恨むことなど、当然あってしかるべきだとおれは思うのだが……。
なんだろうか。
この違和感は。
「ですが、その者は弟の過ちの始末をつけただけのこと。わたくしが恨むのは、筋が違うのです」
「それで、割り切れるのか」
「割り切らなくては、わたくしは己の信条を曲げることになります。それはわたくしがわたくしでなくなるということです」
なる。ほど。
この子の行動の規範は、いっけん奇妙だが、しかし徹底して、彼女なりの合理性に満ちているのだ。
はたして、おれの沈黙をどう捉えたか。
マイアはおずおずと「それとも、ここは神に誓うべきであったでしょうか」と訊ねてくる。
「いや、別にそこは、好きにすればいいんじゃないか。おれはなにかを神に誓うほど敬虔じゃないし、かといって徹底して己を律することができるほど強い意志もない」
「あなたは、充分に強い意志の持ち主だと思いますが……。そこは置いておきましょう」
そうしてくれると助かる。
この子がおれみたいな奴になる必要はないのだ。
「どのみち、それはもうよろしいのです」
そう語りながらも、マイアは天をみあげたままだった。
夜の森を風が吹き抜け、枝葉のこすれる音と蟲の音が鳴り響く。
「きみは自分なりの強固な価値観を持っていて、しかもそれを現実と、帝国の価値観とすり合わせようと努力できる。たいしたことだと、おれは思う」
「そういってくださると、安心いたします」
しばらくまた、沈黙が続いた。
時折、マイアが動く気配があって、彼女の気配が消えて、また戻ってくる。
丁寧で、完璧な仕事だ。
そしてまた、時折、本隊が得た情報を提供してくれる。
「尋問の結果、更なる情報が得られました。彼らの主は、彼らに対してひとつの約束をしました。必ず、帝国を滅ぼしてみせると。彼らは皆、その大儀のためにこの地に集った様子です」
「祖国をとり戻す、じゃないんだな」
「祖国は草の根も生えないほど蹂躙され、なにも残っていない。もはや過去はとり戻せない。これはすべて、帝国のせいである。故に帝国を滅ぼす。彼らの主張は、以上の通りです」
不毛すぎる。
なにより迷惑すぎる。
無論、彼らの怒りと慟哭をおれが理解できるなんてことは、口が裂けてもいえない。
絶望と諦観の果てに、暗い復讐に走るというのも、理屈ではわかる。
だからといって、これを放置できるはずもない。
まあ、おれたちが放っておいても、いずれ帝国の方でなんとかするだろうが……。
そのときには、相応の被害が出ているだろうからなあ。
「すでに、彼らの計画の準備はほぼ整っている、とのことです。巡回が帰還しなければ、集落全体が警戒態勢に入るでしょう」
「いつ決行してもおかしくないってことか」
被害を最小限に抑えられる場所にいるのは、おれたちだけなのだ。
いま、ここで、やるしかないという証拠が出揃ってしまった。
「それに伴い、ロッコ殿は作戦の開始を早めることを決定しました。夜明けを待たずに突入するとのこと」
「そうなるか」
援軍を待つ余裕はない、と判断したということだ。
同時に、自分たちだけで片づけられる相手である、とも。
本隊は、優秀な魔術師が三人と騎士が十人。
相手の王族が相応のちからを持っているとしても、充分になんとかできる戦力ではある。
「おれとしては、できれば魔力の充填にもう少し時間をかけたいところなんだが」
「あなたはあくまで予備計画、無理はなさらぬように、と承っております」
そうなんだよな。
おれの仕事は、本隊が失敗した場合の尻拭いだ。
本隊がすべてを上手くやってしまえば、なんの問題もない。
彼女たちの実力から鑑みて、手際よくやってしまう可能性の方が高い。
「マイア。勝利条件を変えよう」
「勝利条件、ですか」
「きみが書いた物語のことだ。姫と巨人は町に受け入れられず、あてどもなく彷徨う、ときみは書いた」
「はい」
「では、きみが思い描くふたりの勝利条件はなんだろうか」
マイアが、またも天を仰いだ。
夜空に輝く無数の星々の光は、ひどく頼りない。
「ふたりは、幸せになるべきだと考えます」
「その幸せを、具体的にはどう表すべきだろうか」
「ふたりが子を為し、末永く共に生き、どちらかの寿命による死を看取る。歴史の講義をしてくれた語り部は、民の幸せ、という語をそう表現しておりました」
なるほど、民の、か。
無論、為政者の立場から記述すれば、また違う表現が生まれるだろう。
姫にはもはや民はいない。
巨人に部下はいない。
だからふたりの幸せは、必然的に民の幸せになる。
彼女は、おそらくそのように思考したのだ。
「ですが」
しかし、少女は続ける。
賢い彼女は、思考をそこで終わらせない。
「それは、ふたりだけでは難しい。巨人だけなら、まだなんとでもなりましょう。ですが姫には、難しい。姫はヒトに傅かれて生きるものです」
「そう、かもな」
「それに、巨人とて、無数のヒトに襲われては敵いません。ヒトの群れが襲ってくれば、逃げるほかありますまい。ふたりは、生きる限り逃げ続けることとなります。ヒトの群れから離れるとは、そういうことです」
ヒトがふたりを襲う、ということは彼女にとって前提なのか……。
いや、そうか、彼女がみる帝国とは、まさにそういう存在だ。
限りなく膨張していく人類の生息圏。
傲慢に増長していくヒトの群れ。
その外に生きているモノたちは、ヒトに立ち向かって躯となるか、ヒトから逃げるか。
あるいは。
「きみの書く物語の続きを楽しみにしている」
「承知」
少女は、ゆっくりとうなずく。
ためらいがちに、しかし、ちから強く。
ブックマーク、評価等いただければたいへん喜びます。
感想、すべて読ませていただいております。
いつも本当にありがとうございます。