死ぬに死ねない中年狙撃魔術師(書籍版6月5日発売)   作:星野純三

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第47話 ひとつ目巨人と竜の姫君6

 夜明けの少し前。

 集落を中心として、灰色に染まった世界が広がり続けている。

 

 星明りは、もはやどこにもみえない。

 かわりに、異質に変化した大気が鈍色の雲のように重苦しい光を放ち、周囲の異様な景色を映し出している。

 

 その光のなかで、草木が枯れ、鳥や虫が地面に落ちて痙攣しながら息絶えていく。

 四つ足の猪型の魔物が逃走の途中で灰色の世界に飲み込まれ、その表皮がはだけて肉が剥き出しとなり、目玉が飛び出て、穴という穴から体液を周囲に飛び散らせながら断末魔の声をあげる。

 

 そんななか。

 おれとマイアのいる丘の周囲だけが、未だ緑に色づいていた。

 

「アライアンス? エターナル? それは、どういう……」

 

 マイアが語った言葉。

 初めて聞く単語たち。

 

 彼女がおれの知らない知識の持ち主で、凄腕の魔術師であることは理解している。

 一般には知られていない者たちを認識している可能性も、想定してはいた。

 

 とはいえ、突然こうも初耳の単語を並べ立てられては、困惑せざるを得ない。

 いや、だが、しかし……。

 

 おれは腹をくくり、うなずいてみせた。

 ここで問いただして時間を浪費することは無意味だ。

 

「なんとかできる方法があるなら、やってくれ」

「承知」

 

 マイアはもういちど前を向くと、片手で結界を維持したまま、灰色に染まった天を仰いだ。

 高らかに宣言する。

 

「天にまします原初の七十七柱よ、いと尊き銀翼の守護者よ、蒼天に還りし数多の光輝持つ界卵種よ!」

 

 朗々と、少女は謳いあげる。

 

「この大地の緑と息吹に永遠の祝福を、大地と空に生きる者たちに永遠の自由を与えたまえ。我ら孵卵第八世界(エアル=ターラ)に生きる命を代表して願い立てまつる。七つの宣誓と義務により、神々の御名をお借りして対界協定(アライアンス)の発動をお許しあれ。来たれ、同じ志を抱きし我らが同胞、我らが同盟者! 我が名は――」

 

 かん高い音が、響いた。

 それはおれの耳には聞こえないほど高い音の一端であり、彼女の唇が発した、おれの知らない単語であった。

 

 少女は灰色の空の更に外へと呼びかけるべく、おおきく息を吸い――。

 そこで、ぴたりと止まった。

 

 少女は再度、おれの方を振り返る。

 ルビーの双眸が、わずかに震えているようにみえた。

 

 その動揺の原因がおれであることは、すぐに理解できた。

 

「わたくしは――」

「信じるよ」

 

 だからおれは、即座に返事をする。

 ちから強く、うなずいてみせる。

 

「きみがやるべきと判断したことを、やるんだ。それがなにかはわからないが、必要なのだということだけは理解できる。おれは、きみを信じよう。きみが誰であったとしても、なにを隠していたとしても、いまこのとき、おれはきみを世界の誰よりも信じよう」

「承知」

 

 少女はちいさなうなずきを返すと、再度、前を向く。

 天を仰ぎ、口を開く。

 

 音が、響いた。

 空気が激しく震えた。

 

 抑揚のついた、かん高い音。

 それは咆哮だった。

 

 おそらくはおれの可聴域の外にも広がる、遠く遠く響く音。

 その音には、強い魔力が乗っていた。

 

 故に音は、音本来の速度をはるかに超えて大気を伝わり、どこまでも遠くへ響き渡った。

 そうして、呼んでいるのだ、彼女は。

 

 なにを?

 援軍だ。

 

 この絶望的な状況をなんとかできる存在。

 このようなときのために世界に潜んでいた存在。

 

 それをいま、彼女は呼んでいる。

 彼女は本来、そういう者たちの間で育った存在なのであると、いまや肌で理解できていた。

 

 旅の間にずっと覚えていた違和感。

 彼女を形成するもののなかで、なにかおれの知らないものがあるという感覚。

 

 その正体が、これだ。

 そもそもが、彼女はヒトとして育てられた存在ではない。

 

 なぜならば。

 いま。

 

 少女の頭には、黒く輝く二本の角が生えているから。

 彼女のスカートの下からは、まるで蜥蜴のような、鱗に覆われた長い尻尾が伸びているから。

 

 理解できてしまった。

 彼女がどのような存在なのか。

 

 同時に、これまで彼女が語った言葉を思い出す。

 弟がいた、とさきほど語っていた。

 

 彼女の弟は彼女の庇護下にいたが、それを厭うて、人里に下り……。

 そして、ヒトによって殺された。

 

 仇について、語り合った。

 そのとき彼女がおれに対して向けた視線、その意味も、いまなら少しは理解できるような気がした。

 

 ちょっと前、百年後の竜について語り合った。

 彼女がみせた表情には、はたしてどのような気持ちがこもっていたのか。

 

 考えてみれば、ヒントは数多くあった。

 いまさら振り返ってみれば、ではあるが……。

 

 彼女のそばから羽ばたいておれの肩に停まったカラス、ヤァータ。

 こいつは、果たしてどこまでを知っていた?

 

 いや、いい。

 いまは、いい。

 

 そんなことより、これからのことだ。

 いったい、彼女はなにをやろうとしていて、そしてこの先、なにが起こるのか――。

 

 咆哮は、長く続いた。

 少女は途中で二度、血を吐いた。

 

 ついには立っていられず、四つん這いになる。

 それでも、なお顔をあげ、叫び続けた。

 

 少女の姿が変化していく。

 ヒトから、獣のような姿へ。

 

 服が裂け、黒い鱗が全身に生じる。

 その身が次第におおきくなっていく。

 

 少女がいた場所には、いまや馬よりもふたまわりほどおおきな、黒い蜥蜴のような生き物が存在していた。

 黒竜が、そこにいた。

 

 竜は四つの足で丘の上で大地を踏みしめ、長い首をもたげて、天に叫び続けていた。

 灰色に染まる空の彼方、東から曙光が上るころ――。

 

 唐突に、影が差す。

 灰に染まった空に、なにか巨大なものが現れたのだ。

 

 みあげてみれば、それはおれの知るどんな船よりもおおきな魚だった。

 それを実際にみたことはなかったが、ギルドの図鑑で名前だけは知っていた。

 

 鮫。

 とてつもなく巨大な、銀色に輝く鱗に覆われた鮫が、そこにふわりと浮かんでいた。

 

 続いて、瞬きひとつする間に。

 その鮫のそばに、更にふたつ、別の存在が出現していた。

 

 ひとつは、鮫と同じくらい巨大な、赤褐色で楕円形の殻だ。

 よくみればそれは、非常識なほどおおきな亀の甲羅だった。

 

 赤褐色の甲羅から、黄土色の四肢と頭部がにゅっと姿を現す。

 亀の頭部に輝く双眸が、青く輝いていた。

 

 もう一体、こちらはひどくちいさな存在だった。

 といってもそれは鮫と亀が比較対象として規格外に巨大なだけで、実際のサイズはヒトの身の丈よりひとまわり大柄なくらいだろうか。

 

 全身が黒い体毛に覆われた、二足歩行の人型の存在だ。

 顔すらも黒く深い体毛に隠れ、ただ双眸だけが青く輝き、ぎょろりと周囲を睥睨しているそれは、どうやら熊のようだった。

 

「鯨はァ、どうしたァ。このあたりのはずだろォ」

 

 頭のなかに、太い声が響いた。

 亀の声だと、なぜだかわかった。

 

「あやつはヒトに殺された。故に千年ほど寝る、とふてくされた連絡が、ついこの間な……」

 

 別の声が頭のなかに響く。

 こちらは鮫の声だ、と理解した。

 

「鯨を殺したのは、そこな者である」

 

 熊の声が頭のなかに響く。

 竜となったマイアも含めた、その場の全員の視線がおれに集まった。

 

 全身の毛が逆立つような、怖気が走る。

 おれは動くこともできず、その視線にただじっと耐える。

 

 やがて――。

 呵々と哄笑する声が、みっつ、同時に頭のなかで響いた。

 

 三体の化け物が、一斉に笑っている。

 そう理解した。

 

「鯨のやつめ、他所様に迷惑をかけすぎである」

 

 熊が、落ち着いた口調でそう告げた。

 おれを包んでいた圧力が一気に弱まる。

 

 おれは、安堵の息を吐いた。

 生きた心地がしなかったぞ……。

 

「なにをしたのだァ、あやつゥ」

「町の近くで昼寝をしていたのである。寝相で転がるたびに町のなかで暴風が吹き荒れ、一帯がまともに住めなくなったところを、そこのヒトがやってきて仕留めたのである」

「あやつの昼寝中の結界を破るとはァ、ヒトもたいした進歩をしたものだなァ」

 

 亀が、のんびりした口調でそう語る。

 黒竜が首を巡らし、「皆さまがた、いまはこの事態への対処を」と口を挟んだ。

 

「賢竜の娘、立派になったなァ」

「亀殿こそ、お久しゅう。父の亡骸を海に還していただいたこと、厚くお礼申し上げます。それよりも、いまはこの――」

「心配せずとも、灰の侵食は止めたァ」

「――なんと」

「止めた、といっても、我らが全力でもって世界の書き換えを阻害しているだけである。あまり長くは保たないのである」

 

 熊が、理性的な声で亀の言葉を補足する。

 どうやら、もっとも体躯のちいさなこの個体が、気ままな上位種とおぼしき彼らとおれたちの橋渡し役のようだ。

 

「異界化未臨界制御に関する技術、何度屠ってもみつけてくるのである。まったく、ヒトの子らの己が世界を呪うこと、執念深いことであるよ」

「熊殿。それは、あくまでもヒトの一部です。わたくしは……」

「賢竜の娘、わかっているのである。だがね、こうもあちこちで騒ぎを起こされては、愚痴のひとつもこぼしたくなるというものである」

「それでェ、原因はァ、なんだァ。……あァ、いい、わかったァ。鮫ェ」

「むっ、受けとった。これより皆に流す」

 

 話に割り込んだ亀の言葉を受けて、鮫がそう告げた次の瞬間。

 おれの頭のなかに、数多の記憶が流れ込んできた。

 

 この地で生きたヒトの記憶だ。

 開拓団としてこの集落をつくった者たちの人生が、圧縮されて、これでもかとばかりに頭のなかを駆け巡る。

 

 知識の暴力だった。

 圧倒的な物量が、おれのちっぽけな人生を押し流しかけて――歯を食いしばり、かろうじて、意識を保つ。

 

 ほんの一瞬、懐かしいあいつの笑顔が脳裏をよぎった。

 その笑顔に手を伸ばして、おれは洪水のような記憶の濁流に耐えた。

 

「ただのヒトにはいささか無茶だが、いまは時が惜しいのである」

 

 熊の声が遠くに響いた。

 濁流が少しだけ緩くなったような気がした。

 

 流しこまれた記憶はあまりにも膨大で、その大半は次の瞬間には忘れてしまった。

 それでも色濃く残るものがあった。

 

 怨念。

 そして、妄執。

 

 つまりは、濃縮された怒りの塊であった。

 彼らは人を呪い、国を呪い、大陸を呪い、世界を呪っていた。

 

 思いの強さだけで人を殺せるなら、確実にひとりふたりは殺せただろう。

 だが心に染みついた怨讐の念は、それだけで留まることを許せなかった。

 

 帝国を、滅ぼす。

 たとえ世界を道連れにしても。

 

 我らからすべてを奪ったこの世界を、滅ぼす。

 たとえこの身すべてが尽きようとも。

 

 それは歴史だった。

 彼ら個人の歴史を、なんの編集もせずにぶつけられたのだ、おれのような平凡なヒトの身では手に余ろうというものである。

 

 彼らは、違うのだろう。

 頭上に浮かぶ三体、そして目の前の黒竜、こいつらはきっと、それだけの情報を苦もなく咀嚼できるのだろう。

 

 根本的に、生物としての格が違う。

 故に、情報の授受のやりかたも異なる。

 

 本来、自分はこんなところに混ざっていていい存在ではないのだ。

 そう、絶望的な気分になり――。

 

「よォし、決まりだァ」

 

 亀が、笑う。

 続いて熊が、おれを見下ろして告げる。

 

「ヒトよ、鯨を仕留めた魔法は使えるのであるな?」

「あ、ああ。この魔力タンクに魔力を貯めている最中だ。ただの悪魔が一体なら充分に撃ち貫ける予定だったが、この状態ではどうかな」

「理解した。では、後詰めは任せるのである」

 

 つまり、なにもするな、ってことね。

 まあそうだよな、こんな上位存在の群れにあって、おれなんかが役に立つはずもない。

 

「失敗の可能性は充分にある、ということです」

 

 黒竜が、そんなおれに、気を抜くなといった。

 まあ、それはそうだな。

 

 せいぜい、この化け物たちの戦い方を特等席で見物させて貰うとするさ。

 おれの出番がないことを祈るとしよう。

 

 




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