死ぬに死ねない中年狙撃魔術師(書籍版6月5日発売) 作:星野純三
彼女は死にかけていた。
ひどい怪我を負い、全身から流れ出た血が地面に川をつくっている。
彼女の自慢の赤毛とは違って、ひどく汚れた、赤黒い色だった。
死後の世界には赤黒い川が流れているというが、それはこういうものなのだろうかと、そんなことをおれは考えた。
怪我の原因は、すぐそばで魔臓を失い倒れている、異形の姿をした、赤黒い肌の魔物によるものだった。
悪魔、と呼ばれる存在だ。
ただそこにいるだけで、世界が魔界に侵食されていく、そんな存在自体が害悪というシロモノである。
こいつが魔界から這い出てきてすぐのところで、おれと彼女が遭遇したのは運がよかったのか、悪かったのか……。
少なくとも。
おれが狙撃を外したことで、彼女が槍を手に戦わなければならなくなったのは不幸であった。
彼女の槍の腕は、おれからみれば卓越していた。
彼女自身は「妹にはちっとも敵わない、できそこないの槍捌き」といっていたのだけれど。
それでも、たいていの相手であれば楽にさばける程度の実力があった。
おれが二発目の充填を終えるまでの時間稼ぎに徹するなら、なおさら余裕があるはずだった。
しかし、相手は悪魔だった。
ガープ、と名乗る六本腕の異形を相手に、彼女はなんども傷つき、吹き飛ばされ、それでも勇猛果敢に立ち向かった。
おれを守るために。
おれが二発目を当て、こんどこそこいつを倒すと信じて……。
二発目の狙撃がこいつを仕留めるまでに、彼女は致命傷を負っていた。
おれのミスが彼女を殺したようなものだった。
そして、このおれもまた、悪魔の全身から溢れ出す瘴気を派手に浴びてしまっている。
生きてこの地を離れることができたとしても、そう長くはないだろう。
「ねえ、お願いがあるの」
しかし、虫の息の彼女はいう。
いましも命がこぼれ落ちてしまうというこのときに。
息をするのも苦しそうなのに、手をとって抱き寄せるおれをみあげて、微笑んでみせる。
ぞっとするほど冷たい手をしていた。
おれの体温が彼女に奪われていく。
共に、深淵に引きずり込まれていくような感覚がある。
それでもよかった。
それでよかった。
彼女といっしょなら、どこに連れていかれても後悔はなかった。
そのとき、おれは本気でそう思っていた。
信じていた。
彼女がいなくなったあとの世界になんて、なんの価値もないと。
だが、彼女は告げる。
おれに、最後のお願いをする。
おれが絶対に断れないと、そう知っていながら。
「あなたは、生きて。ぼくの分まで生きて欲しいの」
「なぜ」
「ぼくは、この世界が好きだからだよ」
そんな勝手なことを告げて、彼女は息を引きとった。
その、ほんの少しあと。
おれはヤァータと名乗る存在と出会うこととなる。
その際、治療を受け、おれは一命をとり留めた。
「契約と制約です。わたしはこれよりあなたをご主人さまと認識し、ご主人さまの幸福を追求いたしましょう」
その制約が、ある意味でこの星を救うことになるのであった。
あのときおれが死にかけていたことで、ヤァータのなかの緊急時のプロトコルとやらが起動したのだ。
なにが幸いするかわかったものではない。
※※※
「ところで、ご主人さま。ひとつ誤解を解かなければなりません」
「誤解?」
宿の一室で、おれは、カラスの使い魔ということになっている存在、ヤァータと語り合っていた。
弟子をとることになった、という話の続きである。
「ご主人さまの狙撃について、です」
「ああ、いつもおまえが補正してくれるから、こうして必中を続けていられる。今回は、一撃で相手を倒すことができなかったが……それは、単に威力不足だったというだけのことだ」
「そうではありません、ご主人さま」
カラスはゆっくりと首を横に振った。
「わたしはご主人さまの狙撃の手助けをしていますが、その大半は、ご主人さまが頭のなかで自主的に補正している内容を改めて口にしているだけです」
「どういうことだ?」
「ご主人さまは、ご自分のちからだけで、百発百中の狙撃を成功させているということです」
意味がわからない……。
というわけでもなかった。
昨日、ヤァータと思考をリンクした際、驚異的な演算能力を取得し、その過程で改めて、己の射撃までのプロセスを再検討できていたからだ。
たしかにおれは、ずっと、自分ひとりでは狙撃が成功しないと思っていた。
あの日、あのとき、致命的なミスをして狙撃を失敗し、彼女を失って以来、己の腕にまったく自信を失っていた。
「ご主人さまは、日々欠かさず、狙撃魔法の鍛錬を行ってきました。ご主人さまの狙撃の腕は、あの日とは比較にならないほど向上しております。いつしか、わたしの補助など必要ないと思えるようになっていました」
「そう、なのか」
「それでもわたしの言葉が必要であるというのならば、それはご主人さまが、わたしに見守られていることを心強いと感じているからでしょう。奉仕者として、とても喜ばしく思います。それでこそ、お仕えする甲斐があったというものです」
「口が減らない自称奉仕者め」
「無論、それ以外にも、わたしがご主人さまのお役に立てることはさまざまにございます。この一点をもって、わたしの奉仕者としての価値が著しく減少するということはないでしょう」
「自画自賛はやめろ」
「己を客観的に評価する機能に優れていると自負しております」
えっへんと胸を張るカラスを、おれは冷たい目で眺めた。
「それをいま、おれに伝えることになんの意味がある?」
「ご主人さまが弟子をとるというのなら、まずはご主人さまがご自分を客観的に観察する必要があるのではないかと」
「それは……そうかもしれないが」
おれが彼女になにを教えられるだろうか。
未だに、それはわからない。
だが、これをきっかけに己をみつめ直せ、という口やかましい使い魔もどきの直言は、たしかに一考に値するものであった。
十五年間、逃げ続けてきたことに対して向き合うという行為には、多大な勇気と、ちょっとしたきっかけが必要だったのだ。
「おまえの言葉を素直に信じるなら、狙撃の精度の向上なんて、反復練習しかないんじゃないか」
「加えて、健康な肉体の維持ですね。そちらに関しては、わたしが責任を持って、ご主人さまの体内に投入した端末を用い、健康な状態を維持しております」
「前にいっていた、目にみえないサイズのおまえの使い魔がおれのなかに無数にいる、って話か。気味が悪いな」
「生理的な嫌悪感は、とうに克服したものかと」
「他人に説明する気にはならない、という意味だ」
「もっともですね。この星の知性体には無数の偏見と誤解と無知が広がっており、それを一朝一夕に克服させることは極めて困難です。無論、やりがいのある仕事であると認識しております」
「やめろ。それはおまえの仕事じゃない。勝手におれたちの認識を操ろうとするな」
油断すると、すぐ余計なことをしようとする。
これだから、こいつを野に解き放つ気にはなれないのだ。
※※※
特異種の出現からしばしののち。
おれはリラを伴い、ふたりきりで森に分け入った。
「みせておきたいものがある」
彼女にそう告げての、森での狩りである。
おれは森の浅層で愛用の長筒を構え、茂みに身を隠す。
今回、魔力タンクは持ってきていない。
大物を退治するのでなければ、アレは必要ない。
最初に狙った獲物は、子兎だった。
数十歩の距離で警戒しながらぴょこぴょこ動いている子兎に長筒の先を向け……よく狙って、引き金を引く。
一撃で、子兎の頭部を吹き飛ばした。
次は、小鳥だ。
高速で宙を舞う小鳥を、これも一撃で仕留める。
思った以上に、上手くいった。
ヤァータの指摘の通り、おれの狙撃の腕はこの十五年間で飛躍的に向上していたのだ。
「師匠、すごい、すごい! 魔法の補助もなしで、こんなに当てられるなんて本当にすごいよ!」
「おれひとりじゃ補助なんてできないだけだ。ヤァータがいないと、おれは本当に、狙撃以外役立たずの魔術師なんだよ」
空をみあげる。
木々の天蓋の向こう側で、いまカラスに擬態した存在は優雅に宙を舞っているはずだ。
「ちなみに、リラ。おまえなら、どうやってあの距離の的に当てる?」
「どんな魔法を使ってもいいなら、誘導弾を使うかなあ。高速の分裂弾をまき散らすとか、あっ、あと手っ取り早く爆発魔法で吹き飛ばすとか!」
「そうだな。それが普通だし、優秀な魔術師にとっては、いちばん楽な方法だ。天才ならもっと簡単な方法がいくらでもある。わざわざ、こんな狙撃の腕を磨くことに意味はない」
「でも、一部の魔物とか悪魔が相手なら違う。そうでしょ?」
「普通の人間は、そんな化け物と戦う必要なんてない」
「でもわたしは、襲われたんだ。悪魔を相手に、結界を張って閉じこもることしかできなかった。友達が殺されても、わたしはただ震えているだけだった」
リラは真顔でおれをみあげる。
ちいさな身体が、小刻みに震えていた。
「わたしはね、師匠。わたしができないことをできる師匠のことを、本当にすごいと思うんだ。弟子入りする理由は、それだけじゃ駄目かな」
「これはおれが何年もかけて磨いてきた、ただの技術だ。上手く伝えられるかはわからない。おれはひとにものを教えたことなんてないんだ。すべてが手探りになる」
「じゃあ、ふたりでいっしょに、教え方から学んでいけばいいね」
にぱっ、と。
リラは、花が咲いたように笑った。
おれは一瞬、固まってしまった。
この少女は、彼女とはなにもかもが違う。
髪の色も目の色も、顔のつくりも、身体つきも、声色も、彼女とは似ても似つかない。
なのにいま、おれはこの少女の笑顔に、彼女の笑顔を重ねてしまった。
いや……と首を横に振る。
きょとんとしている少女に「そうだな」とうなずいてみせる。
平然とした態度で、立ち上がる。
「それじゃあ、まずは基礎から始めてみるか」
「はい、師匠!」
元気よく返事をする少女を、もういちど眺める。
やはり、そのどこにも彼女の面影などなかった。
ただの気の迷いだ。
――――???
でもね、師匠。
わたしは、あのひとをみあげて心のなかで呟く。
生まれ変わりって、あると思う?
わたしのなかの誰かが、わたしに対して囁いてくるなんてこと、あると思う?
わたしは、リラは考える。
この心のなかで訴えてくる声はなんなのかと。
生きていてくれてよかった、と安堵する声はなんなのかと。
もっとあのひとのそばにいたい、と感じる気持ちはなんなのかと。
ぼくは、あなたが好き――。
声が、いう。
うるさい、と。
その声を振り払うように、わたしは朗らかに笑ってみせる。
いまを生きているのは、わたしだ。
でも。
それでも。
ねえ、師匠。
こんどは、わたしが師匠を守る番だよ。
天をみあげる。
師匠にとりつく悪い虫が空を舞っているのが、強化された視覚を通して認識できる。
わたしが、あれをなんとかしてあげるから。
いつか、追い払ってあげるから。
そうして、師匠はこんどこそ自由になって。
だから。
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