特異種の討伐からしばし後。
秋の晴れた日の昼下がり。
狩猟ギルドの一階の酒場の片隅、おれと弟子のリラが座っているテーブルから少し離れた、フロアの中心付近にて。
ひとりの男が、土下座していた。
まだ二十代の前半くらいの、赤毛の男だ。
土下座している男を、五人の女性がとり囲んでいる。
「どうしたんだ」
酒場の扉を開けて入ってきた若いギルド員が、異様な雰囲気に怯え、こそこそとおれに問いかけてくる。
「ジェッドの浮気だよ」
「いつものことじゃないか。いや、そういえば四又かけたあと、町から逃げ出したんだっけ?」
「五人目の女のところに隠れていたところを発見されたんだ」
「お、おお……」
若いギルド員は「おれ、二階に用事があるから」と呟き、足早に階段をあがっていった。
二階には狩猟ギルドの受付がある。
「平和だな」
「平和ですねえ」
土下座するジェッドを眺めながら、おれはエールを、リラは薄めた果実酒をぐびりとやる。
ちなみにリラは薄める前の果実酒とカラの水瓶をもらい、水生みの魔法と氷の魔法で適宜、瓶を水と氷で一杯にしたうえで、果実酒を十倍くらいに薄めたものを呑んでいた。
酒場としては商売あがったりな飲み方だが、どうせ今日はがらがらだからな……。
ほかのギルド員は、面白がって眺めている者が数人いるだけだ。
残りは逃げた。
じつに平和な、ギルドの午後の光景である。
「ジェッドさん、わたしは初めてお顔を拝見しましたけど、そんなに美形って感じじゃないですよね。背丈もそこそこですし」
我が弟子となった十五歳の少女は、土下座する青年を眺めて呟く。
うーん、社会のはみ出し者たる狩猟ギルドの一員としては、充分及第点だと思うが……。
「あいつマメなんだよな。あと、金払いがいい。狩人としての腕はそこそこだが、依頼主との折衝がうまいから、よく稼ぐ」
「ああ、稼ぎって重要ですよね。いっそ五人とも囲っちゃえばいいんじゃないですか」
そういえば、彼女はおそらく貴族の出なんだよなーといまさらのように思い出す。
その価値観が、一族の血を後に残すことが第一な貴族社会のものに染まっている様子だ。
まあ、別にひとりの男が何人女を囲おうが、甲斐性、のひとことで済まされるのが我が帝国である。
そこに身分の貴賤はない。
ない、が……庶民においては、貴族社会よりも個々人の感情の方が重視される傾向があった。
具体的には、一夫多妻の場合、妻同士の関係が重要となる。
その点では、ジェッドの女たちは大丈夫そうだな。
なにせ……。
「女の方で相談したらしい。五人で意気投合して、全員でジェッドを支えよう、ということなった」
「めでたしめでたし、じゃないですか」
「ところがジェッドの奴、六人目に逃げようとしてな……」
「うわあ……」
その結果が、これだよ。
「うーん。当人たちがいいなら、六人目がいてもいいんじゃないですか」
「寛容だな」
「所詮、他人事ですから」
それに、とリラは軽い口調で告げる。
「わたしも、貴族の妾の子ですからねー」
自分から言い出してくれると、助かるな。
たぶん彼女の方も、切り出すタイミングを計っていたのだろう。
「おまえの事情を聞いたことがなかったな」
「師匠、わたしのこと聞きたかったですか? ねえ、聞きたいですか?」
おれが水を向けると、わが不肖の弟子は、とたんににやにやしはじめる。
クソガキムーヴはやめろ。
「そうだな、貴族が怒鳴り込んできたら、少し困るな」
「あ、そういうのはナイです。だいじょうぶ、だいじょうぶ」
手をひらひら振って、少女は笑う。
「父からは、絶対に帰って来ないでくれっていわれてるので」
きっぱりそういわれるのも、キツいものがあるな。
本人が気にしていないとしても、それを聞かされる方としては、こう……。
「あ、父はわたしのこと、とても気にかけてくれましたよ。関係は良好です。悪魔に襲われた、って聞いて領地から帝都まで飛んできてくれたくらいには、愛されてます」
「そ、そうか」
「ただ、跡取りはちゃんといるし、姉と妹も政略結婚に使える程度にはちゃんとしてますから。父としては、お家のことが親子の情より大切なわけです」
まっとうな貴族なら、そうだろう。
彼らには、食わせてやらなきゃいけない多くの家臣がいるし、それ以上に多くの領民もいる。
「できすぎた妾の子、ってのはお家騒動の定番だな」
「わたし、天才ですから!」
えっへんと胸を張る我が弟子。
こいつめ……。
「でも、若いころはそうでもなかったらしいです」
「いまでも若いだろ。嫌みか」
「まあまあ。――五歳のとき、高熱を出したんです。もう駄目か、と母は思ったそうですけど、幸いにして生き残りました。熱が引いたとき、わたしは不思議そうな顔で『知らないひとの声が聞こえる』っていったそうですよ。それから、です。急にいろいろなものがわかるようになっちゃいました」
「精霊憑きか?」
「かも、しれません。それから、いろいろと才能が……伸びすぎたんですよね。とくに魔術師として」
神童、といってもさまざまだ。
精霊憑きとは、ヒトならざる存在がヒトにとり憑く現象全般を指す言葉である。
とり憑いた存在が善いものであることも、悪いものであることもある。
国によっては、精霊憑きというだけで迫害の対象になることもあった。
この帝国は……まあ、国是が「使えるものはなんでも使え」だからなあ。
それが善いもの、と判断すれば、そんなに目くじらを立てられることはない。
「で、母が亡くなったあと」
待って、親が亡くなったという話、初耳なんだが?
と思ったのだが、そこはするっと流された。
「父が、正妻の子とモメると困る、ってことで」
だから帰って来るな、か。
貴族っていうのもたいへんだ。
「それで、帝都の学院に?」
「ええ、父はちゃんと学費は出してくれましたし、本を買うお金も、たっぷり。いくらでも勉強しろって。そのかわり、絶対に領地に戻って来るなって……卒業のときにも、わざわざ遠いところの就職先をいくつか紹介してくれたんです。辺境伯の教育魔術師とか、異国の宮廷魔術師なんてものもありましたねえ」
「それを蹴って、おれなんかの弟子になるとはね」
そう呟いたところ、ジト目で睨まれた。
「師匠」
「なんだ」
「自分を卑下するのはやめましょうよ。弟子のわたしが悲しくなります」
「いや、でも狙撃魔術師が底辺なのは事実だからな……」
「でも必要なお仕事です」
少女は、ぷくっと頬を膨らませる。
うーん、そういう話をしているんじゃないんだけどなあ。
こいつは魔術師としては非常に優秀だ。
伊達に、学院を飛び級で卒業していない。
たいていの基礎魔法を完璧に扱ってみせるし、応用だって上手いし、扱える魔力の量も多い。
たとえば治療魔法を使って治療院で働くだけでも、毎日、多くの人を救えるだろう。
石を変形させたり土を掘る魔法を使って土木魔術師として活躍すれば、ひとりでこの町まるまるをつくることができるに違いない。
発想が豊かで理論の習得も完璧だから、研究者になるという手もある。
狙撃魔術師が魔術師界隈で底辺、といわれるのは、そういった魔術師としての才能に溢れた者たちなら、わざわざ狙撃魔術師にならずとも多くの人の役に立てるからだ。
加えて狙撃魔術師にとって重要なのは、魔法の腕でも魔力の量でもない。
動かずにじっと魔力タンクに魔力を溜める根気と、それを敵に悟られない用心深さ、そして狙撃の腕である。
そんなものを磨く者は魔術師にあらず、といわれることも多々あるほど、狙撃魔術師としての優秀さと魔術師としての腕の良さは無関係なのだ。
だから。
彼女がいかに優秀な魔術師であろうとも、狙撃魔術師としての優秀さはまったく担保されていない。
おれがもっとも恐れるのは、おれが彼女の才能を腐らせてしまうのではないか、という点である。
彼女もそれを承知して、それでも、と願い出ているわけではあるのだが……。
「師匠、また難しい顔をしてるー。どーせ、わたしのことで悩んでるんですよね。わたしも罪な女です」
「使われない才能を罪というなら、まあ、だいたい合ってるな」
「あそこで土下座してるひとは、別に才能があるから五又してたわけじゃないですよね。あ、六又ですっけ」
五人の女たちが、代わる代わる、土下座するジェッドの腹に蹴りを入れていた。
ごす、ごす、と鈍い音が酒場に響く。
「性格も才能のひとつじゃないか?」
「女癖も才能なんですかね」
「女を口説くその口で依頼人も上手く口説くからな……。あいつがチームにいると万事円滑に進むそうだ。交渉役だな」
交渉だって、立派な技能だ。
しかも狩猟ギルドのギルド員は、ただでさえ口下手だったり柄が悪かったりで、交渉が苦手な者ばかりである。
おれだって、正直、交渉なんてろくにできない。
上手く交渉していれば、赤竜退治のときだって、もっと大金をせしめることができていたに違いなかった。
いや、別にいまでも充分な金は貰っているから別にいいんだが……。
「なにを隠そう、わたしも交渉は得意なんですよ!」
「おれを相手にはごり押ししかしていなかった気がするが……。いや、おれの弟子だと偽って、メイテルさまをだまくらかしてたな、そういえば」
「その節はたいへんにご迷惑をおかけしました……。また土下座しましょうか? お腹にケリ、入れますか?」
「しなくていいし、ケリは入れない」
近くの卓に給仕しに来たウェイトレスの少女、テリサちゃん十二歳が、おれのことをジト目で睨んできた。
おれは慌てて、リラの言葉を否定する。
「うちの業界、弟子にケリを入れるくらい、普通じゃないですか?」
「そんな古い徒弟制度がまだ残ってるのか? いや、そういえば学院にいたとき耳にしたことはあった気がするな……」
「聞きますよ、結構。若い女だとみるや、妾にしてやるとかいい出す教授とか。わたしみたいな貴族の子女は大丈夫ですけど」
「後ろ盾がないやつが狙われる、ってわけか。世の常とはいえ、嫌な話だ」
そうこうするうち、なおも土下座しているジェッドの周囲を女たちがぐるぐるまわりはじめた。
異教徒の怪しい儀式みたいだな。
「なんにせよ、うちの一門は暴力反対の方針でいく」
「一門ということは、弟子を増やすんですか? わたしのことは遊びだったんですね!?」
「増やさないから安心しろ。あと、あそこの異教徒じみた連中の真似はやめろ」
女たちはジェッドのまわりをぐるぐるしながら、時折、尻や頭にケリを入れている。
と――そのうちのひとりが、ジェッドのそばにしゃがんで、彼の耳もとでなにごとか囁いた。
ジェッドが顔をあげ、ぱっと顔色を明るくする。
その女は、にっこりと笑ってジェッドに抱きついた。
「ところで、師匠」
「なんだよ」
「学院で、洗脳の技術について習ったんですよ。特別講義だったんですけど。はじめは厳しくして、相手が参ったところで優しい言葉をかけるんですって」
ジェッドは女と抱き合い、涙を流していた。
ほかの女たちも、ジェッドをかわるがわる抱きしめ、愛の言葉を囁いている。
「ところでさ」
「はい」
「いまも、その……五歳のころの声ってのは聞こえるのか?」
リラは、にっこりとした。
「さて、どうでしょー」
「師として気になるところなんだが?」
「あ、ごめんなさい。特に……最近は、聞いてないです」
「そうか。なら、いい」
ジェッドと五人の女性がかたく抱き合い、連れ立って酒場を出ていく。
酒場にいた全員が、深く安堵するように息を吐いた。
「この町は平和だな」
「ええ、平和ですね」
おれとリラもうなずき合い、喉に酒を流し込む。
なんでもない、秋のとある午後であった。