やはり俺たちのバレンタインデーは間違いだらけである。   作:kuronekoteru

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雪ノ下雪乃〜贈り物にはリボンを添えて〜

 

 大学受験の二次試験も直前、最後の追い込みを図る予備校からの帰り道。俺は世間一般で言うところかは不明だが、パートナーである雪ノ下と二人で帰路へと着いていた。

 今年は未だに雪さえ降らせない千葉の冬空の下ではあるが、暖房が効いた環境の後であれば厳しい寒さに感じてしまう。

 

 隣で歩く彼女は、贈ったカシミヤの手袋で白魚のような指を覆わせていた。俺は外套のポケットに粗雑に手を突っ込むことで暖を取っている。触れ合う機会を減らしてしまったことに幾分かの後悔はあるのだが、俺が見ていない場所で凍えさせるよりは良かったであろう。

 

 ふと、マフラーに顔半分を阻害されている横顔を見やると、こっちを見ていたであろう雪ノ下と視線がぶつかった。だが、すぐにぷいっとそっぽを向くかのように歩く方へと視線を送る。

 

「……予備校でも貰っていたわね」

「あんなの、義理も義理だろ」

 

 予備校では、お徳用パックを買った女子達が応募者全員配布の勢いで渡し回っていた。応募していないのだが、何時の間にか机の上に置かれていた物を返すのも気が引けたので、一応貰ってはいる。流石の俺でも何の情感も入っていない物に動揺をする筈もない。

 

「そうじゃないのも、そこに入っているのでしょ?」

「…………」

 

 彼女は俺の肩に掛かる鞄をそっと見やると、直ぐさまに視線を前へと戻した。

‎ マフラーで薄い唇を覆い隠してはいるものの、目は口ほどに物を言うようで、あからさまな非難の意思がその瞳には宿っている。

 

 機嫌的に時期は悪いかもしれないが、彼女の家という明確な終着点が近いこともあり、俺は一日ずっと気掛かりだったことを訊いてしまった。

 

「その、なんだ……雪ノ下からは貰えないのか?」

「……まだ入るの?」

 

 彼女が指しているのは、鞄の容量であるのか、それとも胃袋の空き具合なのか、はたまた……。だが、いずれにしても問題は微塵もありはしない。

 

「期待してた分だけ、ちゃんと空いてる」

「…………期待、ね」

 

 ふっと笑うような小さな声が耳朶を打った。雪ノ下は肩に掛けた鞄の紐に手を差し込むと、少しだけ位置をずらした程度で元の場所へと手を戻してしまう。

 そこからは、また二人の間に静寂が訪れた。歩みを進める度に刻一刻と彼女の住むマンションが近付いてくる。大した間も無く、気が付けば見慣れたエントランスが目の前に拡がっていた。

 

 そこで彼女はくるりと振り向き、入口の照明を背に纏って真剣な眼差しを見せる。

 

「本当に、欲しい……?」

「絶対に欲しい」

 

 俺は迷わず言い切っていた。それもそうだろう、雪ノ下から貰えなかったら三日三晩枕を濡らすまである。嘘です。多分三日じゃ済まないだろうから。

 

「……なら、着いてきて」

 

 そう口にして、彼女はエントランスの入口を開き、エレベーターへと足を運び始める。俺もその後に続く形で、そこへと乗り込んでいった。

 

 

 暫く入っていなかった彼女の部屋は、相も変わらず整理整頓が行き届いており、本当に生活しているのかすら疑いそうになる。雪ノ下が紅茶を入れている間、俺はただソファーへと腰を掛けて大人しくしていることしか出来ない。

 

 やがて、嗅ぎ慣れた茶葉の香りが漂ってくると、静かな足音と共に彼女が現れた。

 

「紅茶、比企谷くんのはもう飲みやすいと思うから」

「……さんきゅ」

 

 最近はどうも、器を事前に温めなかったり、注ぎ方を工夫したりで猫舌の俺に配慮をしてくれている。きっと、俺よりも猫舌を可愛がっているのだろうが。

 

 カップとソーサーを置いた彼女は又してもキッチンへと舞い戻る。それを見送った俺は注がれたカップに口を付けると、紅茶の程良い酸味と渋味が身体を内から温めてくれた。その味と温度に内心で感謝を告げていると、雪ノ下が再びリビングに顕現した。

 その手には、煌びやかな装飾の施された赤いリボンでラッピングされた四角い小さな箱。きっと俺が心底欲していた、彼女からのバレンタインチョコレートであろう。

 

「……それをくれるのか?」

「まるで飢えた狼ね。あげないと比企餓死くんになってしまうのかしら」

「まぁ、間違いなく死にたくはなるな……」

 

 冗談交じりに伝えると、彼女の頬が次第に赤みを帯びていく。最近の彼女は本当に防御力が薄い。恐らく胸部装甲と同じくらい。

 

 期待の目で見つめていた四角い箱は、俺に渡されることなく目の前で雪ノ下の手によって開封されようとしていた。まさか、今のを読まれてしまったのだろうか。許してください、俺はそこも良いと思ってるから……。

 終いには蓋まで外されてしまうと、中には棒状の柔らかそうな黒い物体が規則正しく横並び。恐らく、生チョコで作られた物なのだろう。

 

「比企谷くんは、手で触れるの禁止だから」

 

 一見、生チョコに付属されている謎フォークもありはしないので、手で掴む以外に取りようがない。まさか、この俺に犬食いしろってことだろうか? おいおい、そのチョコを食べるためになら、下らないプライドなど幾らでも捨てるぞ。

 

「──欲しかったら、……どうぞ」

 

 そう口にした彼女は、そっと指で一本を摘むと自身の口へと咥えた。俺は鈍感ではないので意図は理解出来るのだが、その行為に対して踏み留まってしまう。

 

「ん……」

 

 躊躇している間に一口、また一口と噛み進められていく。このまま見ているだけでは、俺は口にすることも出来ない。それだけは嫌だった。

 

 俺は意を決して顔を近付け、間違えても触れてしまわぬように一口分だけを嚙み切った。その瞬間に口に広がる芳醇なカカオの香りと生クリームの濃厚な甘みが幸福感を連れてくる、……とか思いたいが味など分かりはしない。

 

 雪ノ下の口に残った、奪いきれなかった分は彼女が平らげてしまう。そして、ちろと舌先で薄桃色の唇を舐め取る仕草。それが妙に艶めかしくて、否応にも鼓動が高鳴ってしまう。

 

「もう欲しくはない?」

「……いや、まだ食べたい」

 

 揶揄うような笑みで言葉を投げられ、敗北濃厚な勝負に再戦を希望すると、大切な一本が再び彼女の口に咥えられる。ポッキーゲームじゃないんだから、それはまた11月にやろうね。いや、やるんかい。

 

 今回はなるべく回収しようと、俺は真剣な眼差しで普段よりも艶めく唇先をを見つめる。そして、ゆっくり丁寧に顔を接近させていき、何とか半分よりも先の場所で噛み切った。これだけ口に含めば流石に味も何となく分かる。なるほどなるほど、甘くて美味しい。

 

 この恥ずかしい餌付け方法は兎も角、未だに食したい気持ちは衰え知らず。続けてのおかわりを所望しようと視線を運ぶと、彼女は奪い切れなかった部分を咥えた儘であった。そして、ソファーに手を付いてゆっくりと近付いてくる。

 

 その長い睫毛を有した瞳は潤み、陶磁のような白い肌を朱に染めている様相にどうしようもなく見惚れ、惹かれてしまうのは必然で、俺はうっかり目測を見誤ってしまった────。

 

 生チョコレートよりも柔らかくて甘い何かに、一瞬唇が触れる感触。びくりと跳ね上がる彼女の肩を両の手で抑え、このまま思わず奪い尽くしたくなる衝動も抑えるべく、その肩の上に自身の顔を退避させた。

 

 呼吸が酷く荒くなる。壊れそうな程に早い鼓動も、溶けてしまいそうな程に熱い体温も自分だけではない。密着した雪ノ下の甘い匂いが更に心臓を強く叩いていく。

 彼女が口に含んだチョコレートを飲み込み喉を鳴らす音すら、今の俺には強い毒となっていた。あの時は冗談にしか聞こえなかったが、これではまるで本当に飢えた狼ではないか。

 

「……もう、欲しくはない?」

「…………欲しい、出来れば残りは全部」

 

 正直に言葉にすると、雪ノ下は俺の背中にゆっくりと手を回して更に密着度を上げていく。俺まで同じようにしてしまったら、もう歯止めが効かなくなりそうだった。見えることのない、彼女の表情は今どうなっているのだろう。

 大学受験前の大事な時期、高校卒業前、そして何よりも大切にしたい。幾らでも脳裏に咲く理由を思い浮かべては、綺麗に並べて鎮めていく。この高鳴る鼓動も、動物的欲求でしかない悍ましい気持ちも。

 

 やがて、互いの心臓が心地良い拍まで落ち着きを見せた頃、漸く二人の間に距離が生まれた。

 

「……残りは、家で食べてもいいか?」

「…………そう、構わないわよ」

 

 俺の言葉に雪ノ下はあからさまに残念そうな表情を浮かべる。ごめんね、口渡しで食べたら味がわかんなくなっちゃうんだもの。

 申し訳ない気持ちでテーブルの上に置かれた、すっかり冷めてしまった紅茶を口に含ませた。冷えたことで強調される渋みが、水飴の如き甘美な毒を洗い流してくれるのに丁度良い。

 

‎ 俺が飲み干す間に、彼女はチョコレートの入った箱を静かに閉じてくれていた。リボンは付け直さず、テープだけで簡易的に。

 そして差し出されたその箱を、感謝を伝えて受け取り鞄へと大切にしまった。

 

「……そろそろ帰るわ」

 

 明日も早いからと理由を付け、急ぐようにソファーから立ち上がる。そのまま外套に袖を通して、朝よりも随分と重くなった鞄を手に取った。

 

 玄関までの僅かな道程は黙って歩き、靴を履いて冷たい取っ手を押し込み扉を開いた。そして、身体を半分だけ翻して見送りに来てくれた雪ノ下に顔を向ける。

 最後に感謝を述べよう。どうしようもない俺からの、心を籠めた感謝の言葉を。

 

「さんきゅーな、……ちゃんと大事に食べさせてもらうから」

「少し、待ってもらえるかしら」

 

 雪ノ下の手には箱の封に使わなかったリボン紐が握られていた。そして、そっと俺の右手を取ると、選んだ一本の指にくるりと巻いていき、こそばゆい動きで最後に綺麗な蝶結びを添える。男向けのお洒落ではなさそうな見た目に、気恥ずかしさで苦笑いが零れ落ちた。これは一体何が目的なのかと、彼女に問うために面を上げると……。

 

 視界に映ったのは、雪ノ下の稚さを感じる、照れ交じりの可愛らしい微笑。

 

「────残りは、ホワイトデーにね」

 

 紡がれた言葉の後、そっと優しく押された勢いで外廊下に両足が出てしまう。小さく手を振る彼女を見惜しむ間もなく扉は閉じられ、施錠される音が俺の赤くなった耳を打った。

 

︎ ︎ ︎俺は勘違いをしてしまっていると、白くなった息に目もくれずスマートフォンを取り出す。そして、生チョコレートの消費期限を検索した。どうやら数日が限界で、ひと月など到底持ちそうにもない。

 

 本日は考えなくてはいけないことが山積みであるのに、俺の頭は彼女の言葉の真意を読み取ることだけで一杯だった。きっと、何かを勘違いしている。そう疑い続けることでしか、この熱を冷ますことは出来そうにもない。

 

 先程までの出来事を何度も反芻しながら、ひとり悶えてエレベーターに身を乗り入れる。行き先を指定する手の薬指には彼女に巻かれた赤いリボン。

 

 

 それが一瞬、俺が心底欲しがっていた贈り物かのように煌めいて見えた。

 

 




バレンタイン記念ということで、3作品投稿させて頂きました。
少しでも、俺ガイルのアニメ10周年の大切な年が盛り上がることを一ファンとして期待しています。

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