JK妻(シーズン3)   作:山田甲八

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For me at the time of “The boyfriend of celery”

(これは「民法の一部を改正する法律(平成三十年法律第五十九号)」施行前の物語である。)

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場所、施設名等の固有名詞はたとえ実在のものがあるとしてもすべて架空のものとして描かれている。


一 メイド事件

 二月最後の水曜日の午前、僕は着物姿のハルナと上越新幹線の上り電車の中にいた。第三日曜日に衆議院総選挙の投開票が行われ、僕は次点候補に法定得票数すら与えないという圧勝を納めた。次の月曜日には特別国会が召集される。そのため一週間は地元であいさつ回りに駆け回り、日曜日の夜に上京する予定だった。しかし、僕が既に所属している山口派の派閥会合が今日、開催されるということで予定よりも早い上京となったのだ。

 ハルナの着物姿もこれが見納めかもしれない。ハルナと僕は芸能関係記者が待ち構えているかもしれない東京駅はあえて避け、上野駅で降りてタクシーに乗り、ハルナは所属事務所に、僕は永田町の議員会館に向かった。永田町では僕の妻の祖父にあたる参議院の大物、巨漢の白石権蔵参議院議員が待っていた。豪快な笑顔で握手を求められた。

「いやあ、啓一君。当選おめでとう。最初から結果は分かっていた話だが私は本当にうれしいよ。ようやく悲願の柏崎の議席を取り戻すことができた。」

「僕の方こそ色々とお世話になりました。これからはもっとお世話になると思いますのでどうぞよろしくお願い致します。」

 僕はそう言って頭を下げた。

「いやあ、世話になるのは案外、私の方かもしれないよ。早速、派閥の事務総長を引き継いでもらわないといけない。選挙前は『なんであいつが一年生で事務総長なんだ』と言っていた連中がいたがもうそういう声も聞こえなくなってきた。」

「はあ、事務総長といっても何をやればいいのですか?」

「まあ早い話が金庫番だ。それでこれからが大事なのだが、選挙が終わってみんな資金繰りに苦しんでいる。それで苦しい仲間に資金を融通してやって欲しいんだ。」

「はあ。それで金庫の中はどのくらいお金が入っているのですか?」

「お金なんかないよ。すっからかんだ。選挙の後はいつもそうなんだ。」

「では融通する資金はどうやって調達するんですか?」

「まあそれは君の力量でなんとかやってもらいたい。幹事長の山口はそれを見込んで君を事務総長に大抜擢するんだ。初当選でいきなり事務総長だ。君としても実力の見せ所というわけだ。」

 そんな話だろうとは思っていた。しかしどのくらい資金を準備したらいいのかは皆目見当がつかない。確かに僕は裕ちゃんの莫大な印税収入を管理してはいるがそれで賄いきれるだろうか。

「分かりました。しかし具体的にはどうすればいいのでしょうか?」

「これから派閥の会合があって君が私から事務総長を引き継ぐ。そうしたらすぐに平河町にある派閥事務所の事務総長室にこもってもらいたい。それから相談者が次々と現れるだろうから相談に乗ってくれればいい。」

「今日は早めに帰宅したいのですが。」

 東京に戻るのは三十日ぶりだし、チャコのことも気になっている。

「そうか。東京は久しぶりだな。では今日の相談は五時に閉めることにしよう。みんなには私から言っておくよ。」

「ありがとうございます。それで融通というからには貸し付けということですね?」

「そうだな。派閥の資金を貸し付けて出世払いということだ。要領が分かっているやつは印鑑証明書と登録印鑑を持ってくると思うが、新人はそういうことを知らないかもしれない。だからそういう奴には日を改めて印鑑証明書と登録印鑑、それと借用書に印紙が必要になると思うので印紙を持ってくるように説明してやってくれ。もちろん資金は先に融通してやって欲しい。どこも火の車だからな。」

「分かりました。なんとか頑張ってみます。」

「早速、君の実力を発揮する機会だ。頑張ってくれ。柏崎の方が心配かもしれないがもしよければ私がこの週末にでも柏崎に行ってあいさつしてくるよ。」

「はい。ありがとうございます。」

 それはそれで僕の方もありがたい。

「それと一つ注意して欲しいのだが、他の派閥の連中が無心してくる可能性がある。どこの世界にも背に腹は代えられない連中がいるからな。かわいそうだがそういう連中は断ってくれ。あくまでも派閥は派閥だ。派閥の大将が面倒を見る話だ。君も断るのは嫌だろうから断りにくかったら私の名前を言えばいいよ。権蔵に言われていると言えばあきらめてくれるだろう。」

「分かりました。」

「中には他の党で無心してくるやからもいるがそんなのは問題外だ。」

「はい。」

「じゃあよろしく頼むよ。」

 巨漢は本当にうれしそうだった。長年の夢がかなったのだ。

 

 それから僕は巨漢の参議院議員と昼食を食べ、近くのホテルに向かった。ホテルでは派閥の臨時総会が開催され、満場一致で僕が事務総長に選ばれた。そして終了後、予定通り、派閥事務所に移動し、相談者の面接を受け付けた。午後五時終了の予定が、結局、七時頃までかかり碑文谷の自宅に三十日ぶりの帰宅をしたのは午後八時頃だった。

「ただいま~。」

 僕がそう言ってドアを開けるとダイニングからメイド服姿の女性が現れた。メイド服はしおらしく僕の前まで来ると頭を下げ「お帰りなさいませ」と丁寧に言った。僕はビックリした。

「ハルナ!……どうしてここにいるの?」

「はい。日曜日まで柏崎にいる予定でしたので来週の月曜日まで仕事が入っていないんです。ですからこちらにうかがわせていただきました。先生、お風呂とお食事どちらを先になさいますか?」

「あっ、ああ、……じゃあ食事の方を。チャコは?」

「リビングでテレビ見てますよ。」

 ハルナはニッコリ笑ってそう言い僕の鞄を取り上げた。僕はリビングのドアを開けた。チャコがソファに座ってテレビを見ていた。

「ただいま。」

「あっお帰りなさい。久しぶりのおうちだね。どうもお疲れさまでした。ご飯先にハルナちゃんといただきましたよ。」

 チャコはいつものようにニコニコしている。

「ねえ、どうしてハルナがいるの。しかもメイド服着て。」

「まあいいでないの。ハルナちゃん暇そうだし。それにお師匠様にご恩返ししたいんじゃないの?」

「それにしてもメイドをやらせるのはやりすぎじゃない?」

「あまり難しく考えないで。これはメイドごっこだよ。」

「メイドごっこ?」

「うん。柏崎でハルナちゃんの秘密のファンクラブの集まりがあったとき、あたしメイド役に徹したじゃない。メイド服着て。そのお返しがしたいんだと思うよ。」

「それにしてもなあ……」

「ねえ、啓一さんは鈍感だから分からないかもしれないけどもっとハルナちゃんの気持ちも分かってあげてね。」

「ハルナの気持ち?」

「そう。どうしてハルナちゃんは啓一さんの傍にいたがるのか。」

 僕は深く深呼吸した。

「どう理解しろっていうんだよ?チャコは知らないかもしれないけど僕はもう結婚していて妻がいるんだよ。」

 僕は少し怒った口調で言った。少し間があってそのうちチャコがゲラゲラ笑い出した。

「何がおかしいんだよ?」

 僕は相変わらず怒った口調だ。

「ゴメンなさい。……そうだよね。啓一さんの考えの方が正しい。そうじゃなくてね、師匠としてハルナちゃんの気持ちを分かってほしいの。啓一さんに奥様がいること、奥様のことをとても愛していらっしゃることは分かってるよ。ハルナちゃんもそれはわきまえてる。もちろん啓一さんが独身だったらハルナちゃんも『この人と結婚してもいいかな』とは思うんだろうけど。啓一さん優しいし。」

「どういうこと?」

「つまりね、ハルナちゃん、モデルさんでしょ?もっとフリフリのかわいいのとか自分が似合うと思う服を着たいのよ。でもこの前も言ったと思うけど事務所の管理が厳しいでしょ?着るものに注文をつけられるの。自分のおうちといっても事務所の寮だし、ルームメイトもいる。でも啓一さんのところだと自由が効くじゃない。野島さん啓一さんには逆らえないし。だからハルナちゃんにとっては啓一さんの傍が唯一、自分をさらけ出せる安全地帯なんだよ。」

「ふうん。そういうもんなんだ。」

「そう。だからもっと女心を研究してね。」

「はい。分かったよ。……ねえこれ何?」

 僕はリビングのテーブルに置いてあるベルが気になった。前はなかったはずだ。

「あっ、これね。これはメイドごっこのアイテム。」

 そう言ってチャコは「チャリンチャリン」とベルを鳴らした。しばらくするとハルナが入ってきた。

「お呼びでしょうか?」

「ハルナちゃん。悪いけどコーヒー入れてもらえる?」

「かしこまりました。先生。お食事の用意ができていますが。」

 ハルナは僕の方を向いて言った。

「ああ、今行くよ。」

「あたしはテレビ見てていいかなあ?まあハルナちゃんと今後の打ち合わせでもしてね。ハルナちゃん、日曜日までこのおうちにいたいみたいだから。」

「はいはい。」

 そう言って僕はリビングからダイニングに移動した。ダイニングテーブルの上にはいかにも「私がこねました」というハンバーグと付け合せ、サラダとスープとライスが並んでいた。僕は椅子に腰掛けた。ハルナはキッチンでコーヒーを入れている。

「なあハルナ。」

「はい?」

「日曜日までここにいるの?」

「はい。最初からその予定でしたから。でも明後日は月曜日の取材の打ち合わせがあるそうでちょっとだけ出かけます。最初は、私は打ち合わせに出ない予定だったんですけどせっかく東京にいるならと野島先生に言われまして。」

「そう。……ねえハルナ。」

「はい。」

「メイド服好きなの?」

「はい。好きかと聞かれれば好きだと思います。メイド服とかフリフリの服、結構自分に似合っていると思っていますから。」

「もしよければ僕の方から野島さんに意見してもいいんだよ。ハルナはハルナであって裕ちゃんではないと。」

「はい。ありがとうございます。でもいいんです。野島先生のおっしゃるようで。……私、先生にもとても感謝していますけど、野島先生にも感謝しているんです。この世界の入口に案内してくださった方ですから。」

「うん。」

「ですから、野島先生のご指導には従いたいんです。お気遣いくださいましてありがとうございます。でも先生のところでこういう格好をしていることは野島先生には内緒にしておいてくださいね。」

「ああ、それは別に構わないよ。僕はハルナの気持ちを確かめたかっただけだから。」

 僕がそう言うとハルナはニコッとした。そして入れたてのコーヒーをリビングに持っていった。僕はハルナお手製のハンバーグ定食にパクついた。

 

 次の日、チャコとマコちゃんと僕はハルナに見送られて家を出た。ハルナと僕が夫婦でチャコとマコちゃんが娘のような雰囲気だった。マコちゃんは「うちにもメイドさんが来た!」と言ってはしゃいでいた。チャコとマコちゃんは学校に行き、僕は銀行に行ってひたすら振込みをした。資金は確保でき、午前中にはヘルプ要請のあった振込みをすべて完了させることができた。それから平河町の派閥事務所で書類を整理しているとお昼過ぎに山口幹事長がやってきた。

「よう、孫!元気か?」

「あっ、幹事長。お疲れ様です。」

「聞いたよ。もう全部用立ててくれたそうだな。」

「お蔭様でうまく行きました。」

「うまく行きすぎだよ。まあこうなるとは思っていたけど。私が前の野上派の事務総長をやっていたときは一週間かけても資金の手当てができなくて親分に泣きついたものだったけどな。」

「はあ。」

「それで、他の派閥の連中には貸してないだろうな?」

「はい。何人かいらっしゃいましたが丁重にお断りしました。あっ、ただ無派閥の方にはお貸ししています。」

「そうか。……で、無派閥の連中にはうちの派閥に入ることを条件にしたのかな?」

「いいえ。」

 僕は内心(「しまった」)と思った。

「そうか。随分気前いいな。でもそれが正解だよ。私が事務総長のときは派閥に入ることを条件にお金を貸してね。後で野上先生に大目玉をくらったよ。『それは一見正しいように見えるが所詮は金のつながりに過ぎなくなる』ってね。当時、私は今の君より二周りも年が上だったがそんなことも分からなかった。それが分かるとはさすがだな。」

「恐れ入ります。」

 僕はただ断れない性格なだけだ。

「仕事は順調かな。」

「はい。後、五名ほど書類不備の方がいらっしゃいます。」

 僕はそう言って貸付リストを幹事長に渡した。

「けしからんやつだなあ。誰だ。山本と古川と吉崎と中谷と大沢か。よし。私の口から注意しておくよ。」

「いえいえ。皆さんお忙しいでしょうからお時間のあるときで構いませんよ。」

「白石君。こういうことは最初が肝心だ。少し脅しておいた方がいい。『この山口は怒らせてもいいが権蔵の孫だけは絶対に怒らせるな』と言っておくよ。」

「はあ。」

「それからある程度のお金はキャッシュの形で手元においておいた方がいい。何が起こるか分からないからな。」

 そう言って幹事長はリストを僕に返し「じゃあ、よろしくな」と言って派閥事務所を出ていった。それから一時間もしないうちに書類の揃わない五人の国会議員が次々と現れ、平謝りに謝っていった。僕は恐縮した。

 それから僕は小さなアタッシュケースを持って再び銀行に行き、幹事長の指示通り現金一千万円をつめて午後四時頃に今度は議員会館に行った。まだ僕の部屋はなく、権蔵議員の部屋を使わせてもらっている。事務所には山崎秘書がいた。山崎秘書は元々巨漢の参議院議員の秘書だったが僕の公設第一秘書に転身することになっている。

「若先生。お客様がお待ちです。」

 山崎秘書にそう言われてソファの方を見ると六十手前くらいの年恰好の紳士が座っていた。どこかで見た顔だ。紳士は僕に気付くと立ち上がって深々と僕に一礼した。

「お忙しいところ突然、お邪魔しまして申し訳ありません。はじめまして。私、白鳥と申します。ご相談があってまいりました。」

 紳士はそう言って僕に名刺を差し出した。名刺には大手外食チェーンの持株会社の名前と「代表取締役」という肩書きが書いてあり、「白鳥晋司」と少し大きめの活字が印字されていた。その名刺を見て僕は思い出した。白鳥晋司といえば、一代で大手外食チェーンを成功させた実業家で、事業は順次、五人の子ども達に継承し、自身は今回の総選挙で東京の選挙区から野党第一党の候補者として出馬、当選した人物だ。

「実は昨日、偶然、総理大臣秘書の永田君に会いまして。」

「ああ、永田さんですね。」

 総理大臣私設秘書の永田氏のもう一つの顔はハルナの私設親衛隊長だ。

「永田君は私の大学の弁論部の後輩なんです。それで相談しましたところ『白石先生なら助けてくれるかもしれない』と言われましてこうしてやってきました。』

 白鳥氏は僕に一枚の名刺を渡した。名刺には「内閣総理大臣秘書 永田守」と書いてあり、永田氏の直筆で「いつもお世話になります。白鳥先生をよろしくお願い致します。」と書いてあった。

「分かりました。どういったことでしょう?僕にできることでしょうか?」

「実はお金を一千万円ほど融通していただきたいのです。」

「どうして僕のところになんかにいらしたんですか?政治資金であれば党に相談するのが筋だと思いますけど。」

「おっしゃるとおりです。でももう他に頼れる人がいないんです。世間は私をビジネスで成功した大金持ちのように言っていますが、事業はまだ成長中。新しい投資にお金が必要で実は資金繰りに苦労しているのです。」

「はあ。」

「資金計画は順調だったはずなのですが私の選挙と娘がやっているお店の五号店の出店が重なって短期的に資金がショートしてしまったんです。めぼしい資産はすべて担保に取られていてこれ以上、新規の借り入れができない状況なのです。明日までに一千万円準備できないと不渡りを出してしまいます。初対面でこんなお願いをするなど非常識かもしれません。しかしもう他に頼れる人がいないのです。どうかよろしくお願い致します。」

 白鳥氏は一度頭を下げた後、懇願のまなざしで僕を見つめた。こういう視線は苦手だ。永田氏が僕ならなんとかしてくれるかもしれないと言っていたということにも心を動かされる。一千万円なら今、持ってきたアタッシュケースの中にある。

「白鳥先生。申し訳ありません。お力にはなりたいです。しかし党の締め付けが厳しく、他党の方に融通するなどということはとてもできないのです。どうかご理解ください。では次がありますので。」

 次の用などなかったのだが僕は現場を離れることにし、白鳥氏に一礼するとアタッシュケースを握り、後ろは振り返らずにそのまま議員会館を出た。そして地下鉄から直通の東急に乗り少し早い家路に着いた。

 

 学芸大学の駅で降り、しばらく歩くと前方に着物姿の若い女性が歩いていた。買い物袋をぶら下げている。僕は追いつき声をかけた。

「ハルナ。お買い物かな?」

「あっ、先生。お帰りなさいませ。」

 ハルナは立ち止まってしおらしく一礼した。

「荷物、僕が持とうか?」

「ありがとうございます。でもこれは私に持たせてください。先生がお優しいのは分かっていますけど、私が持たないと格好悪いですから。それにそんなに重くないですし。」

「そう。今日も着物なんだ。」

「はい。東京ではさすがにメイド服で外出するのは気がひけますので。でも不思議ですね。着物だと誰も私だと気付かないんですよ。」

「まあこっちではハルナの着物姿、見慣れていないだろうからなあ。チャコは?」

「私が出かけるときはまだ帰ってきていませんでした。」

「そう。」

 ということは碑文谷の家の合鍵をハルナも持ったということだ。渡したのがチャコかマコちゃんかは分からないが。

 家に着くと鍵は開いていて見知らぬ女性の靴が置いてあった。お客さんが来ているようだ。チャコが元気にリビングから出てきた。

「お帰りなさ~い。ハルナちゃんと一緒だったんだ。」

「うん。駅降りたらたまたま買い物帰りのハルナに会ってね。」

「ハルナちゃん今日も着物だったんだ。素敵だね。」

「誰か来てるの?」

「うん。啓一さんにお客さんだよ。」

 そう言われて僕はアタッシュケースをハルナに渡し、リビングに行った。リビングでは二十歳くらいの女性がソファに座っていた。一度会ったような気もするが思い出せない。女性は僕に気付くと立ち上がり一礼した。

「どうもご無沙汰いたしております。今日は突然お邪魔して申し訳ありません。」

「あっ、こんにちは。スミマセン。どこでお会いしたんでしたっけ?」

 僕がそう言うと

「啓一さん忘れちゃったかな?白鳥明日香先輩。二年前に文化祭で会ってると思うんだけど。自由が丘女子が誇る伝説のパティシエだよ。」

 チャコにそう言われて僕は思い出した。チャコの通う自由が丘女子高等学校の二年前の文化祭の模擬店バトルでチャコのクラスと一騎打ちになり、策を弄して売上高で勝利したものの、最後は策に溺れ反則負けを喫したクラスのキャプテンだった子だ。あの時はメイド服を着ていたはずだが今日はパリッとしたスーツを着こなしていて大人の女性といった感じだ。

「思い出しました。まあ座ってください。」

 僕がそう言って椅子を勧めると白鳥明日香は「失礼します」と言って腰をかけた。僕は白鳥明日香の対面に座り、チャコは僕の隣に座った。

「実は先生にお願いがあってまいりました。」

「はあ。」

「今日、父にお会いになりましたね?」

 そう言われて僕の思考回路がカチャカチャと音を立てた。

「白鳥先生のお嬢様だったんですね?」

「娘ではありますけどお嬢様かどうかは怪しいです。父は一代で今の地位を築きましたから。朝子さんのように何代も続いている家系とは違います。」

「お父さんに言われて来たんですか?」

「いえ。今朝、父が『白石先生が最後の砦』だと言っていたんです。さっき『駄目だった』と電話があったものですから。……白石先生が朝子さんのご主人様であることはもちろん知っていました。ですから昔のよしみでなんとか助けてもらえないかと。父には内緒でうかがわせていただきました。父は私と先生の奥様である朝子さんが自由が丘女子の同窓であることは知らないと思います。」

「ならば事情はお分かりいただいているはずです。他党はおろか他の派閥の人にお金を貸すことも止められているのです。僕の力ではなんともなりません。お助けしたい気持ちはあるのですがこればっかりは無理です。お父様が当選後すぐに離党して我が党に入るというわけにもいかないでしょう。どうか勘弁してください。」

 僕がそう言うと、白鳥明日香は悲しそうな表情になった。

「私、本当に親不孝な娘だったんです。五人兄妹の末っ子で、わがままに育てられて、そのまま大人になってしまいました。高校を出て、親は進学を希望していたのですがどうしてもケーキ屋さんがやりたくて、親のお金でお店を出させてもらいました。一年ちょっとの間に原宿、新宿、品川、目黒と四つもお店をもたせてもらって、今度、五店目を自由が丘に出す予定なっています。私、父がそんなにお金で苦労していることなんか全然知らないでわがままばかり言っていました。自分が真っ先に助けなければならないのに、何もできなくて。……もう白石先生だけが頼りなんです。なんとかお力をお貸しいただけないでしょうか?」

 僕は黙った。本当はなんとかしてあげたい。でも今の僕には何もしてあげられない。

「ねえ、今の話なんだけど。」

 僕が黙っているとチャコが割り込んできた。

「啓一さんが白鳥先輩に貸しちゃえばいいんじゃないの?」

「えっ?」

「啓一さんと白鳥先輩、まったく知らない間柄じゃないんだからさ。」

「そうか。」

「それで、なんか言われたら二人が親子だったなんて知らなかったって言えばいいじゃん。」

「……それならいっそのこと僕じゃなくてチャコが貸すことにすればいいんじゃない?」

「あたしが?だってあたしまだ未成年だよ。」

「未成年だけどチャコは結婚してるでしょ?結婚してると成年擬制といって成年とみなされるんだよ。」

「でも選挙のときは未成年だからってさんざん言ってたじゃない?」

「あれは公職選挙法。これは民法だよ。理屈が別なのさ。まあ法律的な話は難しいけど、ようするにチャコは一人で完全に有効な契約ができるわけだ。」

「よく分からないけど……まあいいや。じゃああたしが白鳥先輩にお金を貸すということでいいね?」

「明日香さんはまだ未成年ですよね?」

 僕が白鳥明日香に聞いた。

「はい。今度の誕生日で二十歳になりますけど、誕生日はまだ先ですので。」

「では借用書は明日香さんの名前で、法定代理人ということでお父様に作成してもらってください。持ってきていただくのはいつでも構いませんから。」

 僕がそう言うとチャコが

「でもお金ある?」

「それがたまたま持ってるんだよ。幹事長に言われて派閥の予備費を準備したんだけど、お金の入ってるアタッシュケースそのまま持って帰ってきたから。持ってくるよ。」

「あっ、さっきのやつね。じゃあハルナちゃんに持ってきてもらおう。ゴメンなさい。お茶も出してなかったね。」

 チャコはそう言うとテーブルの上にあるベルを「チャリンチャリン」と鳴らした。しばらくしてメイド服姿のハルナがリビングに入ってきた。

「お呼びでしょうか?」

「ああ、ハルナちゃん、啓一さんのアタッシュケース持ってきてくれるかな?それとお茶入れてもらえる?」

 チャコが言った。ハルナは「かしこまりました」と言って下がった。視線を白鳥明日香に戻すと白鳥明日香はとてもビックリした表情だ。それはそうだろう。第一線のモデルにしてスーパーアイドル、そしてファッションリーダーがここの家ではメイドをやっているのだ。ありえない話だ。

「スミマセン。今の方、鈴木春菜さんですよね?」

「ええ、そうですよ。」

 チャコが答えた。

「本物ですよね?」

「今のが本物じゃなかったらあたしとマコちゃんみたいですよ。」

「白石先生のところでメイドさんやってるんですか?」

「まあ、ハルナちゃんは啓一さんのお弟子さんだから色んなことやってもらってるんです。柏崎では啓一さんの奥さん役もやってもらったし。」

「すごくかわいかったんですけど、やっぱりプロですね。実は私も恥ずかしながらファッション雑誌の読者モデルとかやっているんですけどさすがにかないません。」

「ああそうだったんですか。そういえば先輩、自由が丘女子にいた頃、ファッション雑誌に掲載されてイエローカードもらってましたよね。」

 チャコがそう言うと二人は顔を合わせて笑った。二人の母校、自由が丘女子高等学校はいわゆるお嬢様学校であるが、校則が大変に厳しい。外出するときは休日でもプライベートでも必ず制服を着用しなければならないという信じられない校則もあるのだ。そして校則を一度破るとイエローカードが一枚渡され注意され、もう一度破ると二枚目のイエローカードが渡され警告され、さらにもう一度破ると今度はレッドカードが渡され、停学や自宅謹慎など処分の対象となるのだ。チャコはその二枚のイエローカードを入学して一ケ月ほどで手にするという学園レコードを持っている。

「そんなこともあったかな。でもどうして春菜さん、外ではああいう格好しないんですか?とってもかわいいのに。いつもキャリアウーマン風にパリッと着こなしてばかりで。それはそれで素敵ですけど。」

「事務所の方針なんですよ。ハルナちゃん、裕ちゃん……白石裕子の後継者ということになってるから白石裕子のイメージを壊さないために。白石裕子は東大出身の元女子アナ。才色兼備のバリバリのキャリアウーマンでしたからね。」

「そうなんだ。もったいないなあ。あんなにかわいいのに。」

「ねえ、先輩、一つお願いしてもいいですか?」

「もちろんいいですよ。私にできることなら。」

「先輩が読者モデルやってる雑誌でお嬢様にフリフリを着せる企画をやってもらえませんか?できればメイド服も着たりして。」

「う~ん、私にはそんなに権限ないからなあ。ただの読者モデルだし。まあ、編集の人に話はしてみるね。」

 白鳥明日香がそこまで話すとお茶を入れたハルナがアタッシュケースを持って入ってきた。お茶をテーブルに並べ、アタッシュケースを僕に渡した。そしてしおらしく一礼するとリビングから出て行った。

 僕はアタッシュケースを開け、白鳥明日香に中に入っている福沢諭吉先生のブロマイド千枚を見せ「ここに一千万円あります」と言ってアタッシュを閉じ、テーブルの上に立てた。

「ケースごとお貸しします。ケースは差し上げます。返済は出世払いということでいいですけど、必ず明日香さんがご自身で稼いだお金で朝子に返済してくださいね。」

「よろしいんですか?このお金、何かにお使いになる予定だったのではないですか?」

「いえ。これは本当に予備費です。こんなに早く役に立つとは思いませんでした。」

「ありがとうございます。このお金は父ではなく、必ず私がお返しします。本当にお礼の言葉もないです。今度、是非、お店の方にもご夫婦でいらしてください。」

「今度は自由が丘に出店するの?」

 僕が聞いた。

「はい。でもまだ準備中です。まだお店のコンセプトが決まらないんです。自由が丘はもちろん母校のある街ですから私にとっては第二のふるさとです。だから今までのお店とは少し違うことをやってみたいんです。ただまだアイデアが湧かなくて。」

「ではそのうち学校帰りに『伝説のイチゴショート』ごちそうになりにいきますね。」

 チャコがニッコリ笑ってそう言った。

 

 次の日、僕が議員会館に行くと既に白鳥晋司氏が僕のことを待っていた。応接のソファに座っていた白鳥氏は僕に気付くと立ち上がって一礼し、僕は黙って手のひらをかえして座るよう勧めた。僕は白鳥氏の対面に座った。白鳥氏はチャコを名宛人とする借用書を僕の目の前に広げ「この度はどうもありがとうございました」と言って椅子に座ったまま深々と頭を下げた。

「白鳥先生。誤解しないでください。お金は妻が明日香さんにお貸ししたんです。お金は明日香さんが自分の力で稼いだお金で妻に返済してもらいます。僕は明日香さんのお父様が白鳥先生だったということを今、知ってあまりの偶然にとてもビックリしているところなんですから。」

「はい。」

「……白鳥先生。」

「はい?」

「明日香さんは昨日、自分は『本当に親不孝な娘だった』とおっしゃっていました。」

「はい。」

「でも明日香さんが一番親孝行でしたね?」

「……おっしゃるとおりです。いつまでも子どもだと思っていましたけど、もう明日香に任せてもいいのかもしれません。」

 そう言って二人は顔を合わせお互いに微笑んだ。

「先生と僕は野党と与党。国会では意見が対立する場面も出てくるかと思います。その時はこの国のために徹底的にやりあいましょうね。」

 僕がそう言うと白鳥氏は微笑んだまま静かに「はい」と答えた。

 

 僕はこの日も銀行と派閥事務所と議員会館を行き来しながらバタバタとすごし、午後六時頃に帰宅した。

「ただいま~。」

 玄関を開けると「お帰りなさ~い」と僕を出迎えたのはマコちゃんだった。いつもはスウェットとか室内着のはずなのにまだ都立高校の制服を着ている。

「マコちゃん。どうしたの?なんで制服なの?」

「今帰ってきたとこなんだけど、なんだかすごいことになってるよ。」

 そう言ってマコちゃんは手招きし、僕をダイニングに誘導した。僕がダイニングに入ると「お帰りなさいませ~」と明るい声で三人のメイド服の女性が元気に僕にあいさつした。ハルナと白鳥明日香、そしてもう一人、チャコもメイド服を着ている。

「ねえ、何やってるの?」

「見れば分かるでしょ。メイド喫茶ごっこだよ。ご注文はケーキセットでよろしいでしょうか?」

 チャコが答えた。

「お腹空いてるんだけど、ご飯はないのかな?」

「ご飯はまだ。とりあえず、メイド喫茶ごっこに付き合ってよ。お客さんが来なくて困ってたんだから。まあ座ってよ。」

 チャコがそう言ってマコちゃんと僕をダイニングテーブルに並んで座らせた。チャコはキッチンでコーヒーを入れるようだ。

「今日はどうしたの?」

 僕が聞くと

「今日、取材の打ち合わせで野島先生と出版社に行ったんですけど、ミーティングの席で明日香さんにお会いしたんです。ビックリしました。」

 ハルナがそう言って白鳥明日香と顔を合わせて笑った。

「そう。思わず『ええっ』とか言ってお互いに指さしちゃいました。」

 今度は白鳥明日香が答えた。

「へーっ。じゃあ取材って明日香さんが読者モデルやってる雑誌だったんだね。」

「はい。ミーティングには私も参加させていただきました。『お嬢様のフリフリ』というタイトルの記事になると思います。春菜さんにはフリフリはもちろん、メイド服も着てもらう予定です。ひょっとしたら来月号の表紙は春菜さんのメイド服姿になるかもしれません。」

 僕はハルナを見た。

「野島さんは大丈夫だったの?」

「はい。実は私が柏崎にいる間、事務所の方に私のメイド服姿が見たいというリクエストが多く寄せられていたそうで、野島先生もどうしようかと思っていたそうなんです。明日香さんが『最近のお嬢様はかわいいと思えばメイド服でも着る』と言ってくれまして。明日香さん、本物のお嬢様ですから野島先生も了解してくれました。」

 ハルナははにかんだ。うれしそうだ。

「私も自由が丘店のコンセプトを決めることができました。」

 今度は白鳥明日香が言った。

「自由が丘店は女性限定の会員制メイド喫茶にすることにしました。美味しいケーキを食べながらファッションの話とかできるお店になるといいなあと思っています。あっ、女性限定といっても白石先生は特別会員にさせていただきますからいつでもいらしてくださいね。」

 二人はもう一度顔を合わせて笑った。とても幸せそうだった。

 そんな話をしているとお盆にコーヒーとケーキを載せたメイド服のチャコが現れ「ケーキセットお待たせしました」と言って僕の脇に立った。

「本日のケーキは伝説のイチゴショートでございます。」

 チャコはそう言って僕の目の前にケーキを置いた。

 

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