JK妻(シーズン3)   作:山田甲八

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十 政敵事件(後編)

 次の日、僕は誰かに揺り動かされて目を覚ました。目を開けて見てみるとチャコと瓜二つの双子の妹が顔を近づけてニッコリしている。

「おはよう、お兄ちゃん。……昨日はゴメンね。せっかくお兄ちゃんが来てくれたのに拒否っちゃって。……今なら心の準備ができてるよ。」

「マコちゃん……。」

「嘘。お兄ちゃんに電話だよ。聡美ちゃんのお兄ちゃんから。」

 それを聞いて僕は飛び起き、マコちゃんを吹っ飛ばした。階段を駆け下り、リビングの受話器を握った。

「もしもし。」

「ああ、石水君。久しぶりだね。一年ぶりかな。」

 声の主が僕の旧姓を呼ぶ。裕ちゃんの元カレ、黒田聡美アナウンサーの兄で昨年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した天才医師、黒田潔博士だった。

「博士、お電話ありがとうございます。実は……」

「話は全部聡美から聞いてるよ。石水君。今、俺がどこにいると思う?」

「さあ。」

「太平洋の上空だよ。今、そっちに向かってる。」

「来てくださるんですか?」

「ああ。でも誤解するな。君のためでもないし、そいつのためでもない。珍しい症例なんだ。話には聞いたことがあるし、論文も読んだことはあるんだけど現物は見たことがなかったんでね。まあ学者として現物を拝みたいだけだよ。」

「博士……。」

「まあ心配するな。アイデアはあるんだ。もうカルテやレントゲンは全部取り寄せて見させてもらってる。きっとうまく行くと思うよ。」

「ありがとうございます。成田まで迎えに行きましょうか?」

「第五空軍の横田ベースにランディングする予定なんだ。後、四、五時間で着くと思うよ。」

「横田ですか?」

「ああ。俺はパートタイムだけど空軍の軍医もやっているんでね。だから空軍機は乗り放題って訳だ。去年も帰りは成田から民間機で帰ったけど、行きは横田経由だったんだよ。」

「はい。」

「横田に着いたらヘリでなんとかという病院に移動するそうだ。病院では東大時代、机を並べた連中が手術のスタンバイをして俺の到着を待っている。可笑しな話だよな。連中、俺が日本にいた頃は俺のこと馬鹿にしてたんだぜ。それが今じゃ大先生扱いだ。」

「手術、長くかかりそうなんですか?」

「そうだな。持久戦になると思うよ。八時間くらいを予定してる。まあ俺はこういうのは慣れてるけどね。手術代は億単位を要求するところだが君の顔に免じてただにしておくよ。」

「ありがとうございます。本当にお礼の言葉もありません。」

「お礼ならそいつが君に言うべきことだな。石水君。君は俺にとって本当の恩人だ。いや、恩人なんて言葉じゃ軽すぎるかもしれない。俺は君に裕子のことを押し付けて、君から金を巻き上げて、こっちに逃げてきて成功できたんだから。この程度じゃ君の腹は収まらないと思っているよ。」

「そんなことはありません。お礼をしなければならないのは僕の方です。日本には二度と来ないとおっしゃっていたのに。」

「じゃあ、手術が終わったら寿司でもおごってよ。君とまた会えるのを楽しみにしてる。じゃあまた病院で。」

「はい。よろしくお願いします。」

 そう言って電話は切れた。受話器を置いて、振り向くとそこに双子の姉妹が立っていた。チャコはまだパジャマのままで眠そうだ。

「博士からだ。今、日本に向かってるって。」

「そう、よかったね。」

 チャコがニッコリ笑ってそう言った。マコちゃんはキョトンとしていた。

 

 それからハルナはもういないので僕が朝ご飯を作り、三人で朝ご飯を食べているといつもより少し早めに永田秘書がワンボックスを運転してやってきた。僕は玄関で出迎えた。まだスーツには着替えていない。

「おはようございます。」

 永田秘書は少し慌てた様子で僕にあいさつした。

「おはようございます。永田さん、今朝は随分早いですね。根本代表、何か変わったことでもあったんですか?」

「ご存じありませんか?去年ノーベル賞を受賞された黒田博士が来日して、今日、緊急手術が行われるそうです。」

「それなら聞いています。というより僕がお願いしましたから。さっき、博士から電話がありました。」

「そんな噂がもう永田町にも飛び交っています。なぜそんなことをされたんですか?根本代表は先生にとって政敵ではないですか。先生にとってだけではありません。党にとっても、山口内閣にとっても宿敵です。その宿敵が消え行こうとしているんですよ?」

「……」

「敵じゃありませんよ。啓一さんの大切な人です。啓一さんの間違いを色々と教えてくださるんですから。」

 僕が黙っていると自由が丘女子高等学校のセーラー服に着替えたチャコがいつの間にか僕の後ろに立っていてそう言った。マコちゃんもその後ろにいる。永田秘書はしばらく固まった。

「……分りました。先生がそういうお考えなら私は先生の忠実なしもべですのでお考えには従います。しかし、今日一日は永田町にはいらっしゃらずにご自宅で静かにされていてください。」

「はあ。でもなんでまた?」

「山口総理は先生の行動を快く思わないと思います。元々山口派にいらした総理の側近グループはそれ以上でしょう。そうでなくても山口側近グループは白石先生に派を乗っ取られるのではないかと恐れているのですから。今日、永田町では何が起こるか分かりません。それに黒田博士を呼んだのが白石先生ということになるとマスコミもじっとはしていないでしょう。」

「分りました。でも病院には行きたいのですが。博士にもお会いしたいですし。」

「では手術が終わる頃を見計らって私がお迎えに上がります。」

「よろしくお願いします。それと一つお願いがあるのですが。」

「先生。私は先生の公設第一秘書なのですよ。いつまでお願いとかそんなことをおっしゃっているのですか?命令してください。」

「はい。今夜、お寿司屋さんを一件押さえておいていただきたいのです。博士にお寿司をご馳走すると約束したものですから。何時になるか分りませんし、最終的にキャンセルになってしまうかもしれないのですが。」

「承知しました。そういうことはお任せください。それなら私の得意分野です。」

 そういう事情でチャコとマコちゃんだけが永田秘書の運転してきたワンボックスに乗り込み、僕は自宅待機となった。永田氏の指示で電話線は抜き、携帯電話も永田秘書の電話以外はすべて留守電対応とした。僕は久し振りに一人で暇な金曜日を迎え、スタジオ兼書斎にこもり、裕ちゃんの残してきたものと向き合った。ハルナを管理する野島プロデューサーから曲提供の念押しをされていたところだったのでタイミング的にはちょうど良かった。

 

 夕方四時頃、チャコが帰宅した。マコちゃんは仕事で遅いようだ。僕がスタジオ兼書斎にこもっていたのでチャコの方が僕のところにやってきた。

「ただいま~。ここにいたんだ。」

「お帰り。お疲れ様でした。今日はずっとここにこもってるよ。」

「そっか。世間は随分、騒がしいようだね。」

「そうなんだ。」

「テレビも見てないんだ?」

「うん。きっと僕がハッピーになるようなニュースは流れていないと思うし。まあ永田さんが迎えに来るのを待ってるだけだよ。」

「だからスーツ着てるんだね。ねえ、お茶にしない?ケーキ買ってきたんだけど。」

 チャコはそう言ってケーキの入っていると思われる箱を上に上げて僕に見せた。

「ああ。いいね。晩ご飯はどうする?なんの準備もしてないんだけど。」

「え~っ、今日の晩ご飯って豪華お寿司じゃないの?」

「はあ?」

「だって、啓一さん朝、そう言ってたじゃない。永田さんに予約をお願いしてたでしょ?」

「そうだけど、でもチャコも来るの?」

「もちろんですよ。てか、あたし抜きで二人だけでお寿司食べるのずるいと思いますけど。」

「チャコも病院に来るってこと?」

「うん。だからお昼ご飯もあまり食べてないの。啓一さんが黒田博士を誘うってことは相当高級店でしょ。ここぞとばかりにガツガツ食べなきゃ。一貫二千円くらいするのかなあ。」

「……」

「それに黒田博士は忙しくて啓一さんには付き合えないかもしれないでしょ?それなら二人で食べに行けばいいじゃん。まあ永田さんと三人でもいいけど。そしたらハルナちゃんにも連絡して『今、お寿司食べてるんだけど時間あるなら来ない?』って言ってみるのもいいかもね。」

 この子は僕の置かれている状況がよく分かっていないようだ。チャコと僕はダイニングに移動し、僕は紅茶を入れ、チャコの学校でのバカ話を聞きながらケーキをつついた。しばらくすると僕の携帯のバイブレーションが震えた。ディスプレイには「永田守」と表示されている。

「もしもし。」

「白石先生ですか?永田です。」

「お疲れ様です。」

「手術成功しました。」

「そうですか。よかった。」

 僕は胸をなでおろした。

「今、そちらへ向かっています。後、二十分くらいで到着できると思います。お出かけのご準備をお願いします。」

「分かりました。よろしくお願い致します。では後ほど。」

 僕はそう言って電話を切った。

「手術、成功したって。」

「そう、良かったね。」

「で、後、二十分くらいで永田さんが迎えに来るから準備しといてね。」

「あいよ~。あたしはいつでもOKだよ。」

 チャコは笑顔で答えた。そして永田秘書が到着し、チャコと僕はワンボックスに乗り込んだ。

「世間はどんな感じです?僕は今日、ニュースとか全然見ていないのですが。」

 ワンボックスに乗り込むと僕が永田秘書に聞いた。

「まあ、ノーベル賞受賞者による緊急手術が行われるというのでみんな固唾を飲んで見守っていたということでしょうか。手術成功で新聞の号外が出ると思います。」

「そうですか。で党や政府の方は。」

「残念ですが白石先生の包囲網は狭まっています。」

 永田秘書が静かに言った。僕がため息をつくと

「別にいいじゃない。啓一さん人間として間違ったことしてないと思うけど。」

 チャコがそう言ったので僕は笑顔で応えたが気は重かった。

 

 病院が近付いた。

「この時間、病院の外来は緊急時外来受付しか開いていないのですが緊急時外来受付は既にマスコミなど人だかりができていますので職員通用口から入ってください。守衛には話をつけてあります。」

 永田秘書がそう言ってクルマを職員通用口の手前につけた。周囲に人はいない。僕は「ありがとうございます」と永田秘書にお礼を言って、チャコと一緒に車を降り、五メートルくらい歩いて職員通用口から病院の中に入った。中には制服を着た年配の守衛がいて「白石です」と言うと「八階のナースステーションに行ってください」と言われたのでエレベーターの方に移動した。

 日が暮れた病院の暗い廊下をしばらく歩くと長椅子が置いてあり、そこに女性が一人座っているのが見えた。女性は僕に気付くと立ち上がり「石水君!」と僕に旧姓で話しかけた。黒田聡美アナウンサーだ。

「聡美さん。」

「こんばんは。やっと来たね。本当は、マスコミはシャットアウトなんだけど私は執刀医の妹ということで特別に入れてもらってるの。」

「聡美さん、ありがとう。本当に実現できるとは思わなかった。」

「私もお兄ちゃんが本当に来るとは思わなかった。やっぱり石水君の力はすごいね。」

「そんなことないよ。僕の力じゃない。博士にはもう会ったの?」

「ううん。遠目に見ただけ。屋上にヘリコプターが到着してそのまま手術室に入っちゃったから。普通ありえないよね。主治医の先生が『ミーティングなしでいきなりオペなんて無茶だ』って言ったみたいなんだけどお兄ちゃんが『事態は一刻を争うんだ。野戦病院のつもりならできる』って言って手術は始まったみたいだよ。まあお兄ちゃんらしいといえばらしいね。」

「で、博士は?」

「今、一服してるみたい。これから記者会見だって。もう始まってるんじゃないかな。だから石水君、直接、会見場に行けば?本館の大会議室だっていうから。石水君がお兄ちゃんを呼んだことはもうみんな知ってるから石水君なら顔パスで関係者以外立入禁止区域に入れると思うよ。私はお兄ちゃんには会えないかもしれないけど元気な姿が見られたんで満足かな。」

「ありがとう。聡美さんのお陰でうまくいったよ。」

「でもいいニュースばっかりじゃないよ。」

「えっ?」

「何も知らないの?」

「うん。今日は秘書に『永田町には来るな』って言われてて今までずっとうちにいたんだ。ニュースも見てなかったから。」

「そう。官邸がカンカンみたいだよ。まあ当たり前と言われれば当たり前だよね。政敵が沈んでいこうとしているのを自分の飼い犬が助けちゃったんだから。」

「……」

「でもね、私は石水君が正しかったって思ってる。私にどれだけのことができるか分からないけど私は応援してるからね。もちろん報道は客観的にやらせてもらいますけど。」

「ありがとう。」

「お兄ちゃんに会ったらよろしくね。じゃあ。」

 聡美さんはニッコリ笑ってそういうと僕達に背中を向け、病院の長い廊下を歩いて行った。チャコと僕が先を急ごうとすると不意に「石水君!」と聡美さんの声が後ろから聞こえてチャコと僕は振り返った。

「石水君。私、どうして裕ちゃんが石水君のことを選んだのかやっと分った。頑張ってね。」

 聡美さんはそう言って手を振ると廊下の角を曲がって見えなくなった。

「いい話だね。」

 チャコがポツリと言った。

「えっ?」

「啓一さん、黒田アナと結婚すればよかったのに。」

「なんだよ、急に。」

「いつもの嫉妬癖だよ。あたしね、マコちゃんやハルナちゃんには絶対の自信を持ってるんだけど黒田アナにだけは勝てないかなあ~って思ってるの。」

「どうしたんだよ?」

「だって、黒田アナ、あたしの知らない啓一さんをいっぱい知ってるんでしょ。……ゴメンね。変なこと言って。まあ嫉妬深い奥さんを持ってしまったと思って諦めてね。ねえ、あたしちょっとトイレ行ってきていいかな?」

「ああ、いいよ。じゃあ僕はそこで待ってるね。」

 僕はそう言って真っ暗で人一人いない外来受付の前に並んでいるたくさんの椅子を指さし、チャコは僕の視界から消えて行った。

 

 ロビーの椅子に座っていると暗い廊下の向こうに人影が現れた。人影は黙ったまま靴音だけを響かせて僕の傍に来て、黙ったまま僕の隣に座った。

「やあ、石水君。久しぶり。ずっと待ってたんだ?」

 猿顔の天才医師が僕の旧姓を呼んだ。天才は手術着から着替えたようで普通の白衣を着ている。新品で病院が用意したのだろう。

「いや、手術が終わったと聞いたんで今来たところです。博士、ありがとうございました。まさか来ていただけるとは思いませんでした。」

「俺もまさか来るとは思わなかったよ。予定がキャンセルされたりしてな。まあ、あいつも幸運の持ち主だったって訳だ。」

「根本代表は?」

「もう麻酔も覚めて普通に話せるよ。何事もなかったかのようだ。」

「博士は大丈夫なんですか?こんなところにいて。」

「記者会見を途中でほっぽり出して逃げてきたよ。今、主治医が冷や汗かきながら対応してると思う。」

「何かあったんですか?」

「馬鹿な記者が『親友の政敵を助けたことになるんじゃないのか?』ってなことを質問したんだ。それで『医者に敵も味方もあるか。あるのは救えるかもしれないかけがえのない命だけだ』って言って会見を一方的に終わらせたよ。今頃、病院のスタッフが俺のことを探してるんじゃないかな。」

「戻らなくていいんですか?」

「いいよ。今後のことはもう主治医に説明してある。それより寿司をご馳走してくれる約束じゃなかったのかな?」

「ああ、はい。お店は手配していますが、その前に根本代表をお見舞いしたいのですが。」

「ああ、いいよ。俺が連れて行こう。それが終わったらとんずらしような。」

 博士がニッコリ笑ってそう言うとチャコも戻ってきた。

「白石の家内です。ご無沙汰致しております。」

 チャコはこういうときだけ貞淑な妻を装い、丁寧にお辞儀をした。

「奥さん、お目出度だね。」

「はい。よく分かりましたね。」

 僕がびっくりして言った。チャコは、腹は出てきたが自由が丘女子高等学校のセーラー服を着ていて、妊娠とは言われても分からないくらいだ。

「当たり前だよ。俺は医者だよ。そうかおめでとう。まだ若いのによくやるな。じゃあ行こうか。」

 博士に促されてチャコと僕はエレベーターに乗り込んだ。

 

 エレベーターを八階で降り、博士の先導でナースステーションをやり過ごし、面会謝絶の赤札がかかっている病室の前に着いた。博士がドアをノックし、博士、僕、チャコの順に病室に入った。博士が「ご気分はいかがですかな」と言うと昨日会った代表夫人がベッドの脇にいて、代表と夫人は三人の入室者の方を見た。

「白石先生!」

 僕に気付いた夫人がそう叫んだ。僕は二人に一礼した。チャコは僕の後ろにいる。

「白石啓一です。この度の突然のこと、お見舞い申し上げます。」

 そう言ってもう一度頭を下げると夫人が立ち上がり「白石先生。今度のことはなんてお礼を申し上げたらいいか。どうもありがとうございました」と言って深々と頭を下げた。

「いいえ。余計なことをしてしまったかもしれません。」

 僕がそう言うと根本代表が僕と目を合わせ

「まったくだ。どうして死なせなかったんだ。」

 そう言った。

「根本先生にはまだまだご指導いただきたいものですから。」

 僕がそう言うと根本代表は視線を外し、窓の方を見た。

「君はまったく大した男だよ。でも残念ながら私はもう政界は引退だ。さすがに潮時だ。」

「はあ。」

「でも君が望むなら永田町の外から言いたいことはガンガン言わせてもらうよ。」

「はい。よろしくお願い致します。」

 僕はもう一度頭を下げた。

 黒田博士に「じゃあ行こうか。病人に見舞い客の長居は禁物だ」と促され、「はい。では失礼致します」と僕が言い、チャコが「どうぞお大事になさってください」と言って病室を出て行こうとすると、「白石君!」と根本代表の声が聞こえたので三人は振り返った。

「……ありがとう。最後の最後で本物の政治家に出会えた気がするよ。もう思い残すことはない。この国のことよろしく頼むよ。」

 根本代表がそう言い、隣に立っている夫人がもう一度深々と頭を下げた。僕は目礼し、そのまま病室を出た。

 それから博士とチャコと僕は職員通用口から病院を出た。すかさず永田秘書の運転するワンボックスが現れ、三人は乗り込み、永田秘書が予約したお寿司屋さんに向かった。築地方面に向かうようだ。

 

 お寿司屋さんに到着し、永田秘書の先導で奥の個室に案内されるとふすまが向こうの方から開き、意外な人物が顔を見せた。

「お兄ちゃん。遅いよ~。二人とも美人の妹がお待ちかねなんだから。」

「マコちゃん!なんでここにいるの?」

「あたしだけじゃないよ。聡美ちゃんもいるんだよ。」

 マコちゃんがそう言い、座敷に座っているもう一人を見ると聡美さんが座っていて僕達に向かって手を振った。

「二人が行方不明になっちゃったんでどうしようと思ってたらマコちゃんから携帯に電話が来て『これからお兄ちゃんと一緒にお寿司食べるんだけど一緒にどう?』って誘われたの」と聡美さんが言い、僕の後ろにいるチャコが「そうか。マコちゃんもお寿司屋さんのことは知ってるもんね」と言った。

「うん。今朝、永田さんと話してたもんね。だから永田さんに電話して場所とか聞いといたの。永田さんわざわざ電話くれたんだよ。『そろそろです』って。」

 マコちゃんがそう言い、僕がやられたという顔をしていると聡美さんが「はい、号外が出てるよ」と言って新聞の号外を僕に見せた。号外は一枚ペラだが、一面に大きな見出しで横に「根本代表、奇跡の生還」と書いてあり、縦に「ノーベル賞黒田博士執刀」と書いてあった。僕は座敷の聡美さんの対面に座り、号外を見た。

「石水君のことは裏に書いてあるよ。」

 聡美さんはそう言って号外をめくった。裏面には横に「敵じゃない、大切な人」と大きな見出しで書いてあった。

「いいフレーズだったんで使わせてもらいました。うちのテレビ局だけのスクープで系列の新聞でも使わせてもらったよ。ありがとう。」

 聡美さんが静かに言うと、黒田博士が「政治の話はもういいよ。とにかくメシにしよう。こっちは腹ペコなんだ」と言った。「じゃあとりあえずビールでいいかな?」と、もう一度聡美さんがいうと博士が「腹が減ってるんだ。とりあえず特上寿司二人前にしてくれ。俺が二人前食うから」と言った。聡美さんが「はいはい」と言って適当に注文を始め、黒田・白石両家の晩餐会は静かに始まった。

 

 晩餐会が始まって一時間位が過ぎた午後八時頃、「失礼します」と男性の声がしてふすまが開き、永田秘書が現れた。

「白石先生。官邸がお呼びです。」

 僕はため息に近い深呼吸をした。みんなが僕に注目した。

「まあ、しょうがないじゃない。いずれは決着しないといけないことだもんね。」

 チャコがポツリと言った。

「分かりました。今、行きます。」

 僕はそう言い、晩餐会のメンバーの方を振り返って「そういう事情で僕は官邸に行かなければならないことになりました。皆さんは引き続きごゆっくりどうぞ」と言った。

「そうか。頑張れよ。またしばらく会えないと思うが、達者でな」と黒田博士が言った。「はい。どうもありがとうございました」と僕が言って立ち上がるとチャコも立ち上がり「あたしも行くね」と言った。

「はあ?官邸に来るの?」

「うん。官邸ってことはおじいちゃんもいるんでしょ?あたし、結構、啓一さんのお役立ちになると思うよ。」

 僕は一瞬迷ったが、これまでもチャコには助けられてきた経緯がある。

「分かった。でも無理しないでね」と僕が言うとチャコは「はいは~い」と軽く返事をして、永田秘書の先導でお寿司屋さんを出た。

 

 再び永田秘書の運転するワンボックスに乗り込み、官邸に向かった。車寄せでワンボックスを降り、そのままチャコと二人で総理大臣執務室に向かった。総理大臣執務室では山口総理と白石官房長官が応接に座って僕達を待っていた。僕が「失礼します」と言ってチャコと一緒に中に入ると山口総理の対面に座っていた巨漢の官房長官は総理の並びに移動し、僕達に席を勧めた。チャコと僕はもう一度「失礼します」と言って二人の対面に座った。山口総理と僕が向かい合った。チャコの存在は気にしていないようだ。

「白石君。」

 総理は鋭い眼光で僕に話しかけた。

「はい。」

「君はバカだ。」

「はい。」

「だが正しい。……君の勝ちだ。君の手腕をまた見せつけられたよ。」

「はあ?」

 僕が聞き返すと今度は斜め前の巨漢の官房長官が僕に身体を向け「通信社が緊急世論調査をやったんだ。山口内閣、今回の件で支持率を二十ポイントも上昇させたよ」と言った。

「そうだ。私の内閣ができてから支持率は下がりっぱなしだった。まあ私は国民に人気のある政治家ではないから支持率が低いのは仕方のない話だが、それでも下がりっぱなしはひどすぎる。なんとか上がるように側近連中にもはっぱをかけるのだが全然駄目だった。白石君。君だけだよ、支持率アップに成功したのは。しかも就任当初の支持率を上回ってしまった。さすがだな。最初からこうなると読んでいたのか?」

「いや、私は何も。」

「しかも聞くところによると根本は政界を引退するそうじゃないか。まったく君は大したもんだ。内閣支持率を上げ、しかも根本を引退に追い込んだんだから。しかしだな、君には申し訳ないのだが、君には一つのんでもらわなければならないことがある。私は次の予定があるので後は権蔵に任せるからよろしく頼むよ。」

 山口総理はぶっきらぼうにそう言うと立ち上がり、執務室から出て行った。巨漢の官房長官とチャコと僕が残された。

「啓一君。」

 今度は巨漢の官房長官が僕に話しかける。

「はい。」

「本当に君にはいつも驚かされるよ。今回はさすがの私も冷や冷やだった。」

「申し訳ありません。」

「いや、いいんだ。それより君に一つお願いがある。今回の功労者の君には申し訳ないことなのだが。」

「はい。なんでしょう。」

「党の副幹事長と派閥の事務総長を降りてもらいたいんだ。」

「はあ?どういうことでしょう?」

「まあ君にとっては理不尽な話かもしれない。でもどうかのんでもらいたいんだ。臨時国会も終盤に差し掛かっている。政府与党としては重要法案を通したい。しかし野党が抵抗していることは知っているだろう?」

「はい。」

「野党としても面子があるから無条件に政府与党に協力はできないというところだ。だからここは野党の要求ものんで絵画コンクールスキャンダルの主役である君を公職から降ろすということにしたいんだ。そして臨時国会中、君は自宅で謹慎するということにしてもらいたい。もちろん君が無実であることは分かっている。ただ、世間を騒がせたのは事実だし、誤解を与え、世間を騒がせたということで責任を取ってもらいたいんだ。」

「はあ。それは構いませんが。」

 構うはずはない。僕には政治的野心などそもそもなく、党の副幹事長も派閥の事務総長も一年生議員に過ぎない僕には荷が重過ぎるのだ。

「そうか。ありがとう。この埋め合わせはいつかするから。」

 巨漢の官房長官がそう言うと僕の横から「ねえ、おじいちゃん、本気でそんなこと言ってるの?」というチャコの声がした。声色がいつになく低い。

「なんだ?」

「なんだじゃないよ。啓一さんヒーローなんでしょ?今、総理もそう言ってたじゃない。なんでそんな罰ゲームを受けなきゃならないの?」

「政治というのはそういうものなんだよ。野党としても面子がある。黙って与党に協力というのはできないんだ。まあ、それだけ啓一君が大物になったってことなんだから朝子も喜んでいいんだぞ。」

「喜べるわけないでしょ。」

 チャコがまた感情を爆発させ始めた。前もそうだったがこの少女は感情の起伏が激しく、爆発すると手が着けられなくなる。そしてその矛先はいずれ僕に向かうのだ。

「チャコ。仕方ないよ。僕が犠牲になればそれで丸く収まるんだからさ。ここは大人にならないと。」

 僕がチャコをたしなめたが効き目はない。

「あたしは嫌だからね。そんなこと許せるわけないでしょ?啓一さんがこんなに頑張ってるのに、啓一さんが可哀想過ぎる。もしおじいちゃんがそんなこと本気で考えてるんだったらあたし……おじいちゃんの一番嫌がることやるからね。」

「なんだ、その一番嫌がることっていうのは。」

 巨漢の祖父もチャコには押され気味だ。

「あたし、啓一さんと離婚するから。」

 チャコがあまりにもキッパリ言ったので僕も驚いた。

「朝子、何を言ってるんだ。そんなことできるわけないだろ。第一、お腹の子どもはどうするんだ。」

「一人で産んで育てますよ。別に認知なんかしてもらわなくてもいいから。啓一さんもあたしと離婚しちゃえば晴れて『石水』に戻れるんでしょ?そしたらハルナちゃんと一緒に外国にでも行ってのんびり過ごせばいいよ。白石ともおさらばできるね。」

「チャコ。」

 僕にもチャコはコントロールできなくなってきた。

「あたし本気だからね。」

 チャコはそう言って官房長官をにらみつけた。しばらくにらめっこが続いた。

 そのうち巨漢の方がやれやれという顔になった。にらめっこに負けた祖父が解決案を切り出した。

「分かったよ。でも啓一君の謹慎はもう決まったことなんだからそれは今さら撤回できない。だからこういうのはどうだ?来年の一月には通常国会が始まる。その頃にはほとぼりも冷めてるだろうから啓一君には何か美味しいポストを準備するよ。」

「美味しいポストって何?」

 チャコが厳しい口調で確認する。

「その、まあ肩書きは立派でそんなに忙しくないポストさ。」

「約束だからね。……は~、あたし興奮したらなんかお腹張ってきちゃったからもう帰るね。啓一さんももういいでしょ?」

 チャコがそう言って僕を促し、さっさと席を立ったので僕もあたふたと席を立ち官房長官に「謹慎のことは承知しました。後のことは秘書に任せますのでよろしくお願い致します」と言って一礼し、チャコと一緒に総理大臣執務室を出た。

 

 チャコと僕は黙ったまま官邸内を歩き、車寄せまで来て永田秘書のワンボックスを待った。

「よかったね。これで啓一さん、しばらくおうちにいるんだね。」

 周りに人がいないことを確認してからチャコがニッコリ笑ってポツリと言った。

「はあ?」

「だって謹慎ってそういうことでしょ?」

「まあ、それはそうだけど。」

「ハルナちゃんが帰っちゃったからさ。どうしようかなあって思ってたところだったの。啓一さんがおうちにいてくれるなら安心だし、通常国会が始まる頃はあたしもかなり安定してると思うしね。」

「そういうことか。」

 僕はまたこの少女の執事のポストに復帰するようだ。

「そういうこと。でもいいじゃない。通常国会が始まる頃には美味しいポストにつけるって言ってるんだから。まあどういうポストかはあたしが後でおじいちゃんとじっくり交渉しとくから。『啓一さん、あたしの出産を控えていて大変なんだから』って言ってね。」

「チャコ……」

 やはりチャコは僕より何枚も上手だ。

「それと、啓一さん。さっきはごめんなさいね。」

「さっきって?」

「『黒田アナと結婚すればよかったのに』って言ったこと。あれは冗談ですから気にしないでね。」

「ああ、あれか。そんなこと分かってるよ。」

「やっぱり啓一さんに一番ふさわしいのはこのあたしだよね~?啓一さんもそう思うでしょ?」

 チャコが自信たっぷりに尋ねる。「ノー」という答えは想定されていないようだ。

「ああ。僕もそう思うよ。誰よりもね。裕ちゃんよりもふさわしいよ。」

 僕がやれやれという表情でそう言うとセーラー服の少女はニッコリ笑って官邸の敷地の中だというのに僕の腕に絡みついた。

 

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