高校の卒業式は早い。都内の小学校は三月二十五日が定番だが、高校は三月に入るとすぐに卒業式となる。チャコの通う自由が丘女子高等学校でも三月第二週の土曜日、三月十日に卒業式が挙行された。マコちゃんの通う都立高校も同じ日で、結局、二人のご両親はマコちゃんの卒業式に出席し、僕だけがチャコの卒業式に参加した。後から聞いた話では自由が丘女子高等学校は卒業式にマスコミが取材に来ることを危惧して、最初から都立高校の卒業式に日程をぶつける作戦だったようだ。なるほどマコちゃんは相変わらずスーパーアイドルなので卒業式が重なればマスコミとしてはそちらの方に取材に行く。自由が丘女子としては静かに卒業式ができるというわけだ。
自由が丘女子には僕の番記者が何人か取材に来たものの、平穏に、お嬢様学校らしく卒業式は執り行われ、今世紀最強の双子は揃って無事、高校を卒業した。そして既にお腹の大きくなっているチャコはついにセーラー服を脱いだ。
日曜日を挟んで翌々日の三月十二日、今度はハルナの「卒業式」当日がやってきた。この日はハルナとマコちゃんも参加しているアイドルグループ「チーム」が出演している音楽情報番組「スタジオL」の公開生放送がある。この特別番組で「チーム」のリーダーがハルナからマコちゃんに引き継がれ、ハルナはチームを卒業し、晴れてソロのシンガーとして独立する。マコちゃんとのユニット「ザ柏崎」も解散だ。そしてチャコと僕はサプライズゲストとして呼ばれているのだ。
この日の朝、僕は双子の姉妹を寝かせたまま一人、永田町に出勤した。もう二人とも高校に行かなくていいので早起きする必要はない。マコちゃんは普段は早起きだが、昨夜はリハーサルが遅くまであったようで僕が出かける時間にはまだ寝ていた。僕は朝食の支度をして、双子の姉妹が食べる朝食をダイニングテーブルに並べ、「マコちゃん、今日はハルナの卒業式頑張ってください。見に行かれなくて残念です」というわざとらしいメモをテーブルの上に置き、久しぶりに一人で永田秘書の運転するワンボックスに乗り込んだ。
「先生。」
ワンボックスが発進するとハンドルを握る永田秘書が僕に話しかけた。
「はい。」
「今夜の予定なのですが、プライベートということになっていますけど、ハルナちゃんの卒業式に参加されるのですか?」
「ご存知でしたか。まあ永田さんならあらゆる情報網を駆使してお気づきになると思っていましたが。」
「官房長官自ら今夜の日程は空けるようにという指示でしたのでご家族のことで何かあるのかと思ったりもしたのですが、今日はハルナちゃんの卒業式なのでそうなのかなと。しかしハルナちゃん側にはそういう情報は一切ありませんでしたからサプライズゲストなんですね?」
「そうです。ハルナはもちろん、チームのメンバーにはシークレットということになっていますのでよろしくお願いします。」
「なるほど。テレビ局がやりそうなことですね。承知しました。私もテレビで拝見致します。ハルナちゃんによろしくお伝えください。私も最近はすっかりご無沙汰ですので。」
そう言われてみると僕もハルナにはすっかりご無沙汰だ。最後に会ったのは正月だったのではないだろうか。
国会も年度末を控え、与野党の攻防戦が繰り広げられている。日中は議事堂、官邸、党本部などを慌しく移動し、午後五時頃、既にチャコが待っているであろう議員会館に移動した。議員会館ではチャコは既に応接のソファに座り、僕のことを待っていた。ピンクのマタニティースーツを着ていて妊婦らしい。僕に気付くと座ったまま笑顔で僕に手を振った。お腹が随分と大きくなっていて一々立ち上がるのは面倒なようだ。
「随分、早かったね。……外出先でセーラー服着てないチャコを見るのは初めてじゃないけど、なんか不思議な感じだね。」
チャコの通っていた自由が丘女子高等学校は保守系のいわゆるお嬢様学校であるが、外出先ではプライベートでも制服を着用しなければならないという厳格な校則がある。チャコが卒業してから外出するのはこれが始めてだ。いつもは自由が丘女子高等学校のセーラー服ばかり着ていたので見る方が慣れない。着る方もきっと同じ気持ちだろう。
「そうだね。着るものがなくて困っちゃう。まあ、あと二ヶ月で出産だし、何着も新調することでもないけどね。」
「マコちゃんとは何か話したの?」
「今日、お兄ちゃんが見に来られないのとっても残念がってましたよ。せめてチャコちゃんだけでも来てくれればいいのにって何度も言われちゃった。」
「なんか騙すのも心苦しいなあ。」
「いいじゃない。別に悪い話じゃないんだし。騙すというより、ビックリさせるだけだよ。」
そんな話をしながら少し時間をつぶし午後六時前にテレビ局のスタッフが迎えに来て、迎えのクルマで公開生放送の行われる渋谷方面に移動した。
会場の近くに着くと僕は会場から少し離れたホテルでクルマを降ろされ、チャコとは別行動になった。「ご婦人と殿方は楽屋が別」という。僕は特に気に止めなかった。
ホテルの一室に案内されると既にスタッフが何人か待機していて、しばらくすると野島慎一プロデューサーもやってきた。野島プロデューサーは音楽情報番組「スタジオL」のプロデューサーであると同時にアイドルグループ「チーム」の総監督であり、ハルナの所属する事務所の社長だ。
「やあ、啓ちゃん。ありがとう、来てくれて。忙しいときにスマナイね。」
「いいえ。こちらこそお呼びいただきましてありがとうございます。僕は何分、こういうテレビに出るのは初めてなのでよく分かりませんがよろしくお願い致します。」
「そんなに難しいことはないよ。国会に比べればちょろいもんじゃないかな。それで、早速申し訳ないんだけど、モーニングに着替えてもらえないかな?」
僕は国会帰りでスーツを着てネクタイを締めている。
「これじゃ駄目なんですか?」
「それでもいいんだけどせっかくマコちゃんとハルナの晴れ舞台だからさ。全国ネットの公開生放送というのも番組始まって以来だし、派手に演出したいんだよ。まあ卒業式の主賓だと思ってよ。」
なるほど卒業式で一番高いところに座っていた来賓は第一礼装だった。
「分かりました。それで僕は何をすればいいんですか?」
「一応、台本はあるんだけど、生放送なんでその場の雰囲気で随時変わることは承知しておいてもらいたい。基本的にはマコちゃんとハルナに花束を渡して二人をねぎらってもらえればいいよ。後は司会者が君に何か聞くかもしれないから適当に答えておいてね。それで多分、十分だと思う。今日のハイライトだね。」
「チャコと一緒に登場するんですよね?ここにはチャコはいませんけど。」
「う~ん、それはまだ分からない。最初にチャコちゃんに出てきてもらって、『実はもう一人、特別ゲストにお越しいただいています』って言って啓ちゃんに出てきてもらうことになるかもしれない。その逆になるかもしれないしね。そのときの他局の視聴率も見ながら現場のディレクターが一番いいと思うタイミングで二人にご登場願うからよろしくね。」
「はい。」
「じゃあ、僕は現場に行くので。チャコちゃんとも現地で合流ということでね。」
野島氏は忙しいのだろう。そう言うとそそくさと部屋から出て行った。
それから僕は野島氏の指示通り、モーニングに着替え、軽食でもつまみながら出番を待った。午後七時に番組は始まり、出演のアーティストが次々に楽曲を披露した。僕は控え室となったホテルの一室で他のスタッフ数人とテレビを見ながら八時頃に会場の秘密の楽屋に移動した。秘密の楽屋でもテレビのモニターが公開生放送を中継していてちょうど、チームがユニホーム姿でメドレー曲を歌って踊っている最中だった。今日はチームの卒業式とリーダーの交代が番組のメインなので歌い終わった後にメインイベントが始まるのだろう。チャコとはここでも楽屋が別だった。
歌が終了し、二年前にチャコがこの番組に出演したときと変わっていない司会の男性お笑い芸人と女性局アナがチームの卒業式開会を告げた。男性お笑い芸人がハルナを先頭に卒業生の名前を一人ひとり読み上げ、卒業するメンバーがステージの中央に歩み出た。そして女性局アナが卒業証書を渡す野島慎一プロデューサーの入場を紹介し、野島氏がステージの中央に登場した。他のメンバーと思われる女の子が黒塗りの四角いお盆を持って野島氏の横にピッタリと寄り添っている。恐らくお盆の中に卒業証書が置かれているのだろう。そう思っていると女性局アナが「鈴木春菜さん」とハルナの名前を呼び、ハルナは「はい」と大きな声で返事をして野島氏の前に進み出た。野島氏はお盆から卒業証書を一枚取り出し、会場の方を向いて読み始めた。「卒業証書。鈴木春菜。あなたはチームスタジオLの全過程を修了したことを証します……」
「白石先生、そろそろよろしいでしょうか?」
モニターで春菜の卒業証書授与を見ているとADと思われる男性の若いスタッフが僕に声をかけた。
「はい。また移動ですね?」
「はい。ステージの袖でお待ちいただきます。こちらへどうぞ。」
僕は若いADに先導されて、ステージの客席から向かって左側の袖に三十秒くらいで移動した。今回、卒業するメンバーは五人で次々と卒業証書が渡され、卒業証書の授与は無事終了した。卒業するメンバーはもちろん、後ろに並んで卒業生を見送るメンバーも泣いている。マコちゃんも泣いていた。
「続きまして、リーダーの交代式を行います。それではハルナちゃんとマコちゃん、前に出てきてください。」
男性お笑い芸人がそう言うと泣いているマコちゃんとハルナは前に進み出てステージの中央で向かい合った。スタンドマイクがお互いの前に出される。
「チャコはまだ来ないんですか?」
チャコがまだ現れないので心配になって僕は僕を先導した若いADに聞いた。
「今、連絡が入ったのですが奥様はステージの中央から入場されるそうです。白石先生に先にご入場いただくことになるそうですのでよろしくお願い致します。」
若いADがそう答えるとジーパンをはいた別の若い男性スタッフが大きな花束を二つ持って現れた。ジーパンは黙ったまま僕の脇に立っている。
「これを渡すんですね?」
僕はADに確認した。
「はい。私が合図したら入場していただきますのでよろしくお願いします。」
全国ネットの生放送というのも緊張する。こういうときに限って転んだりしてしまうのだ。ステージではハルナがマコちゃんに何か話し、ユニフォームの左胸に付いているリーダーのエンブレムを外し、マコちゃんの左胸に付けているところだった。二人とも泣いている。本当に感動的なシーンだ。こんな中をチャコと僕が登場したら最高の演出だろう。マコちゃんのセリフの番になった。
「ハルナちゃん、今まで本当にありがとう。それからお疲れ様でした。あたしは今まで妹キャラをいいことに甘えてばっかりだったけど、これからはリーダーの自覚を持って、チームを引っ張っていきます。ハルナちゃん、見守っていてください。」そこまで言うと今度は客席の方に身体を向け「今、ハルナちゃんからリーダーを受け継ぎました新リーダーの白石真子です。私なりに一生懸命頑張りますのでこれからも応援、よろしくお願いしま~す!」と涙一杯の顔で言うと会場から大歓声が起こった。マコちゃんとハルナは抱き合い、他のメンバーも集ってきて握手を交わした。
「みなさ~ん!」
会場の大歓声を鎮めるために女性局アナが少し大きな声で言った。するとADが僕の耳元に口を寄せ「では白石先生、司会者が合図したらご入場願います」と言って隣に立っている若者から花束を奪い僕に渡した。僕は少し緊張して女性司会者の声に耳を傾けた。
「今日はこの二人の新しい船出のお祝いにこの方が駆けつけてくださいました。それではどうぞこちらにいらしてください。」
女性局アナにそう言われ、僕は舞台の袖から大きな花束を持って入場した。みんなが僕に注目する。僕に気付いたマコちゃんとハルナが両手を握り合ってジャンプするのが見えた。
「今日はハルナちゃんとマコちゃんの晴れ舞台ということで二人が日頃からお世話になっている内閣総理大臣補佐官の白石啓一先生に特別にお越しいただきました。先生、どうぞこちらへ。」
僕はそのままステージ中央にいる二人の前に歩み出て「おめでとう」と言いながらハルナ、マコちゃんの順番に花束を渡した。二人は丁寧にお辞儀をして受け取った。二人とも涙があふれている。
「では白石先生からお二人に一言。」
そう言って女性局アナが僕にマイクを向けた。
「ハルナ。卒業おめでとう。今までよく頑張ったね。それからマコちゃん。今日からはリーダーになるんだからもっとしっかりしなきゃ駄目だよ。」
僕がそう言うと二人はいちいちうなずいた。チャコが出てこないのが少し気がかりだったが、さっき野島氏が言っていたとおり、チャコはこの後、最高のタイミングで出てくるのだろう。
「ではお二人にも聞いてみましょう。」
女性局アナがそう言って今度はハルナにマイクを向けた。
「先生には本当にお世話になりました。私が今日、こうしてこのステージに立っていられるのは先生のお陰です。これからもご指導よろしくお願いします。」
ハルナは花束を持ったまま深々と頭を下げ、会場から拍手が沸いた。女性局アナが今度はマコちゃんにマイクを向けた。
「今日は国会があるから来られないって言ってたのに。でもうれしいや。お兄ちゃん、本当にいつもありがとう。」
マコちゃんが涙を拭きながらそう言った。
「それから……」
マコちゃんがちょっと口ごもった。
「まだ何かあるんですか?」
女性局アナがマコちゃんに聞く。マコちゃんがニヤリとし、不敵な笑みで僕を見た。僕はドキッとした。
「はい。お兄ちゃんにはあたしもハルナちゃんもチームのみんなも本当にお世話になりました。だからあたし達からもお兄ちゃんにお礼がしたいんです。今日は特別に最高のプレゼントを準備しました。受け取ってください。プレゼントはこれで~す!」
マコちゃんがそう言ったので僕は(「はあ?」)と思った。(「僕はサプライズゲストだったはずだ。マコちゃんもハルナも僕の登場を知るはずないのにどうして僕へのプレゼントが準備できるのだ?」)と思う間にステージ後ろの仕切りが真ん中から左右に開いた。そして何やら白い衣装に身を包んだチャコが友美ちゃんに手を引かれて現れたのだ。衣装の裾は長く、頭にも白いベールをかぶっている。どこかで一度この格好をしているチャコを見たことがある。二年前だ。チャコはウエディングドレスを身にまとってステージに出てきたのだ。会場から大歓声が沸き起こった。
チャコには普段の堂々さはなく、キョトンとした表情で僕の横に並んだ。僕もキョトンとしている。
「ねえ、なんでそんな格好してんの?」
僕がチャコに聞いた。
「あたしにも分からない。楽屋出る寸前に急にこの格好にさせられて、一緒にいた友美ちゃんに『この格好おかしくない?』って言ったんだけど『いいの、いいの。似合ってるよ』って言われて、手を掴まれてそのままここに。」
二人がそんな会話をしていると「なんか二人ともびっくりしているようですね~」というマコちゃんの声がした。いつの間にかマコちゃんとハルナはマイクを握り並んで立っている。これからこの座を仕切るようだ。
「実はこの二人、今日のサプライズゲストなんですけど、ビックリさせる方のサプライズゲストじゃなく、ビックリさせられる方のサプライズゲストだったんですね。」
マコちゃんがそう言い、続いてハルナが口を開いた。
「はい。実は私もマコちゃんも、み~んな、お二人が今日来ることは知っていたんです。それでお二人をちょっと驚かせようと思いまして。今まで、私もマコちゃんも、チームのみんなも先生とチャコちゃんにはとってもお世話になりましたから、今度は私達から二人に何かお礼をさせていただきたいんです。」
「はい。で、この二人、もう結婚してかれこれ三年になるんですけどまだ結婚式を挙げていないんですね。ということであたし達から二人に結婚式をプレゼントさせていただきま~す!」
マコちゃんがそういうと会場から大歓声が巻き起こった。会場の皆さんもサプライズゲストのことはご存知だったようだ。チャコと僕は顔を合わせた。僕は唖然としていたがチャコは苦笑いしている。
「それで、受け取ってくれるよね?」
マコちゃんが念を押し、チャコにマイクを向けた。チャコは少し固まっていたが、僕の方にチラッと目をやると右手でマコちゃんの握ったマイクを口元に近づけ、「はい!ありがたくいただきま~す。いつも二人を応援してくれてありがとうございま~す」と最高の笑顔で答えた。場内は大きな拍手に包まれた。それから場内の歓声にかき消されて僕にはよく聞こえなかったが、ハルナが何やら聖職者の入場を紹介してステージに聖職者が入場してきた。恰幅がよく、教会でもかなり上の地位にいる人のようだ。
拍手が鳴り止まない中、「チーム」のメンバーに促されチャコと僕は並んでステージの中央へと進み、客席の方を向いた。チームの他のメンバーが譜面台のようなものを持ってきて二人の前に置いた。聖書が置かれているようだ。聖職者は二人の左側、ステージ正面から見て右手にいる。本当の結婚式では聖職者と新郎新婦は向かい合うべきものなのだろうが、テレビカメラの関係なのだろう、ここでは新郎新婦は客席の方を向き、聖職者は客席と新郎新婦を直角に四十五度の半身の姿勢でいる。
「それではただ今から新郎白石啓一さんと新婦白石朝子さんの結婚式を始めます。それでは聖書に手を置いてください。」
聖職者が綺麗なバリトンでそう言うとそれまで大歓声に包まれていた会場は水を打ったような静寂に包まれた。チャコは右手を僕は左手を聖書の上に置いた。
「白石啓一さん。」
聖職者が僕の名を呼んだ。
「はい。」
「あなたは白石朝子さんを妻とし、良しきときも悪しきときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻を思い、妻のみに添うことを神聖なる婚姻の契約のもとに誓いますか?」
「誓います。」
僕はしっかりした口調で言った。聖職者は軽くうなずき、今度はチャコの方に身体を向けた。
「白石朝子さん。」
「はい。」
チャコが静かにしかしはっきりと返事をする。
「あなたは白石啓一さんを夫とし、良しきときも悪しきときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、夫を思い、夫のみに添うことを神聖なる婚姻の契約のもとに誓いますか?」
「……どうしようかな~。嘘。誓います。」
チャコは一瞬間をおいて静かに応えた。会場がどっと沸いた。
「では指輪の交換を。」
聖職者がそう言い、アシスタント役の友美ちゃんが指輪を持ってきて、聖職者に渡した。僕は聖職者の指示に従い、指輪をチャコの左手の薬指にはめ、チャコは僕の左手の薬指にはめた。その間「指輪はあたしとハルナちゃんから二人へのプレゼントで~す」というマコちゃんのナレーションがあった。
「おめでとうございます。新しい夫婦の誕生です。」
聖職者がそう言うと会場は再び大歓声に包まれた。チャコと僕はステージの真ん中でその大歓声に応える格好になったのだが、まだ二人ともキョトンとした感じだ。それからマコちゃんとハルナが二人の傍に寄ってきた。
「結婚おめでとう。今のお気持ちはいかがですか?」
マコちゃんがそう言ってチャコにマイクを向けた。僕よりもチャコの方が饒舌だという判断なのだろう。
「いや~、まだ信じられない。まさかこういうことが仕掛けてあるとはね。でもうれしいなあ。マコちゃん、ありがとね。でも足がこれじゃあねえ。」
チャコはそう言うとウエディングドレスの裾をまくった。足にはスニーカーを履いている。
「それは勘弁してよ。転んじゃうと大変だからね。もう皆さんご存知だと思いますがチャコちゃんは妊娠八ヶ月で~す。」
会場から黄色い声が飛んだ。チャコが続ける。
「でも良くサイズ分かったね。」
「もちろんあたしが衣装合わせしたんだよ。お腹に詰め物してね。タヌキのお腹でね。お兄ちゃんのサイズはお兄ちゃんの秘書さんに聞いてたの。」
なるほど、永田氏、今朝はしらばっくれていたがすべて知っていたのだ。知らなかったのはチャコと僕だけだったようだ。どおりで今夜の僕の予定について誰も突っ込んでこなかったわけだ。
「お兄ちゃんはどうかな?てか、あたしと二人でテレビに出るの初めてだよね?」
そう言ってマコちゃんが今度は僕にマイクを向けた。
「まあ、あしたも国会があるのにどうしようって感じかな。サプライズゲストってこういうことだったんだね。」
「はい。ではお兄ちゃんにちょっとインタビューしてみましょう。お兄ちゃんにとってチャコちゃんはどういう存在ですか?」
マコちゃんが急に僕に振る。もちろん答えなど準備していない。
「まあ、月並みですが『かけがえのない人』でしょうか。」
「本当に月並みですね。今日のチャコちゃんどうですか?」
「まあ、皆さんご存知だと思いますけど、僕はセーラー服を着ているチャコばっかり見ていましたから。その~、なんというか、まだ見慣れないというか……。」
「綺麗ですか?」
「はい。それは認めます。」
僕はそう言ってチャコの方をチラッと見た。チャコははにかんだ。
「じゃあ、今度はチャコちゃんに同じ質問をしてみましょう。チャコちゃんにとってお兄ちゃん、いえ、旦那さんはどういう存在ですか?」
マコちゃんが今度はチャコにマイクを向ける。
「啓一さんは……」そこまで言ってチャコは少し間をおき、「私の哲学です。大切な人とか、神様とか、そんな言葉じゃとても足りないです。」
「まあ相変わらず熱々だね。これ以上聞くとこっちが熱くなってきちゃうんでこの辺でやめときましょう。チャコちゃん本当におめでとう。これからも末永い幸せを祈ってます。では、次は最後の曲ですね?」
マコちゃんがそう言った。番組ももう終盤で最後の曲「卒業」の前奏が始まるのだろうと思ったが「マコちゃん待って!」とハルナがマコちゃんを制した。
「マコちゃん何か忘れてない?」
「ああ~あれね。はいはい、忘れてました。」
マコちゃんがハルナに同意し
「結婚式といえば最後は誓いのキスがお決まりですね。では、二人にやっていただきましょう。誓いのキッスです。」
「当然、くちびるとくちびるでやっていただきますからね。」
普段は大人しいはずのハルナがとても強気にそう言ったのでチャコと僕はビックリして顔を見合わせた。
「ムリムリムリムリ。」
チャコが右手を横に振ってマイクにひろえない声でそう言った。
「どうしたの。別に遠慮しなくていいんだよ。」
マコちゃんが煽る。
「だって公開生放送でしょ?あたしはいいけど啓一さんは現職の国会議員だよ~。そんなのがテレビに流れたら大問題になっちゃうよ。」
チャコがそう言ったがマコちゃんはそれを無視し、「ちょっと押しが足りないかな?じゃあみんなに押してもらいましょう。それ、く~ちびる!く~ちびる!」と言って、「くちびる」コールで会場を煽った。ハルナも同調して煽り始め、会場からは一斉に「くちびる」コールが沸き起こる。
「ほらあ、さっさとやってよ。マキがきちゃってるでしょ。」
マコちゃんにそう言われ僕はチャコと顔を合わせた。
「どうする?」
僕がチャコにそう聞くとチャコはいたずらっぽく笑い
「しょうがないね。やっちゃおうか。」
そう言ったので僕も諦め、チャコを引き寄せてくちびるを重ねた。ここまできて中途半端も嫌いなので五秒くらいそのままでいた。二人が身体を離すと場内の雰囲気は最高潮に達した。
「はい。おめでとうございま~す。」
大歓声の中、マコちゃんがそう言うと僕が作詞し、裕ちゃんが作曲した大ヒット曲、「卒業」の前奏が流れてきた。チームのメンバーが椅子を持ってきてチャコを座らせた。その両脇にマコちゃんとハルナが立ち、三人で「卒業」を歌った。そんな三人を僕は後ろから見守った。やはり卒業式だったからなのだろう、今までの思い出が次々と浮かんでは消え、時々、ハルナと裕ちゃんが二重写しになった。
翌朝、新聞を広げると各紙の社会面に「生放送中のハプニング」というタイトルで昨夜の事件が載っていた。マコちゃんはしてやったり顔でニタニタしながら記事を確認していた。記事には野党側が今回の僕の行動を衆議院の品位を傷つけるものとして批判しているということも書かれていた。まあ、覚悟の上ではあったが。
永田町に行くと、案の定、野党が大騒ぎしていて僕は首相官邸の執務室で待機ということになった。それから三日間、この問題をどうするかというだけの理由で国政は紛糾し、結局、衆議院議長が僕に厳重注意するということで幕引きがはかられた。
金曜日の午後、僕は衆議院議長からの厳重注意を受けるため付き添いの内閣参事官に先導されて衆議院議長室に向かった。参事官が議長室のドアをノックし、「白石補佐官がお見えになりました」と言ってドアを開け、僕は議長室に入った。恰幅のいい衆議院議長は笑顔で僕を迎えてくれた。議長は党籍を離脱するのが慣例だが、元々この議長は僕のいる山口派のメンバーで選挙の時には僕が数百万単位で資金を融通している。その僕に「注意」するのはやはり気が引けるのかもしれない。苦笑している。
「白石君。」
「はい。」
「野党との約束だから厳重注意はさせてもらうよ。まあ気をつけたまえ。」
「はい。」
「本当は野党の連中も厳重注意などどうでもいいことなんだ。野党の連中も、与党はもちろんだけど本当はみんな君に期待しているんだ。この永田町の閉塞感を若くて常識に決してとらわれることのない君なら打ち破ることができるんじゃないかとね。」
「はあ。」
僕は常識人のはずだ。常識にとらわれないのは妻と妻と瓜二つの双子の妹の方だ。
「だから気にすることはないよ。君は君のペースでやればいい。私も君のことは応援しているから。」
「はい。頑張ります。」
「いいよな、君は。何があっても、どんな状況でもいつだって前向きだ。私も見習わないと。」
「ありがとうございます。それでは失礼します。」
僕はそれだけ言って一礼し、さっさと議長室を後にした。厳重注意は本当に形式的なものだった。
午後のスケジュールは「厳重注意」だけだったので今日の執務はこれで終了である。僕は議事堂と議員会館を結ぶ地下の通路を通って議員会館の僕の部屋に戻った。議員会館ではチャコが僕のことを待っていた。月曜日と同じピンクのマタニティースーツを着ている。外出着はまだ一着しかないようだ。
「お帰り!お疲れ様でした。絞られちゃったかな?」
チャコがあまり心配していない表情でニタニタしながら聞いた。
「『まあ気をつけたまえ』って言われただけだよ。本当に形だけだった。厳重注意なんてそもそもどうでもよかったんだろうから。」
「そっか~。もう啓一さんも大物だもんね。」
「なわけないでしょ。周りは色々言うけど……。僕のことはチャコが一番理解してるよね?」
「そうでした。あたしは奥さんだもんね。結婚式もちゃんとやったし。ねえ一服する?」
「いや、もう出よう。チャコはいいかな?」
「は~い。あたしは啓一さんと一緒ならいつでもどこでも大丈夫だよ。」
チャコはニッコリ笑ってそう言い、僕達は議員会館を出てタクシーで上野駅に向かった。
今年も裕ちゃんの命日がやってくる。チャコと僕はこれから東京を離れ、お墓参りのため柏崎に帰省するのだ。上野駅から新潟行きの新幹線が発車するとチャコはあっという間に深い眠りについた。この少女は乗り物に乗ると途端に睡魔に襲われる。そのことを知っているのは恐らくこの世で僕だけだろう。結婚生活というものはそういうものだ。チャコにもチャコしか知らない僕の秘密がいくつもあるのだろう。中には本人である僕ですら気付いていないこともあるかもしれない。そしてそれは「死が二人を分かつまで」増え続けていくのだ。
長岡の駅が近付くと僕に起こされるまでもなくチャコは自然と目を覚まし「ここどの辺?」と聞いた。
「そろそろ長岡だよ。よく起きられたね。」
「寝ちゃった~。啓一さんといるといっつも寝ちゃうね。安心するんだね。」
そう言ってチャコは微笑んだ。
長岡で新幹線を降り、チャコと僕は並んでホームを歩いた。列車が新潟方面に出て行くと上りホームが見え、チャコが僕の腕を叩き、「ねえ、啓一さんあれ見て」といって頭を動かして上りホームのベンチに腰掛けている若い男女の方を見た。大きなスーツケースが一個脇に置いてある。これから二人で上京するのか、あるいは上京する一人をもう一人が見送るのか、そんな風景だった。
「啓一さんと裕ちゃんもあんな感じだったのかな?」
それを聞いて僕はこの駅のホームで裕ちゃんを見送ったときのことを思い出した。彼岸が近づいてきていて日は長くなってきている。
「そうだね。なんか懐かしい気がする。」
「あの二人、なんの話してるのかなあ~。」
僕はそれには答えず、物思いにふけった。本当に人生は不思議なものだ。あのときの自分には今の自分は想像すらできなかった。
「ねえ、啓一さん。」
「ん?」
「二人で初めて柏崎に来たとき、あたし、新幹線の中で『あたしと結婚したこと後悔してる?』って聞いたの覚えてる?」
「そんなことあったかなあ?」
確かそんなことを聞かれたような気もする。
「そう。その答えをまだもらってないんだけど、今、答えてもらってもいいかな?」
チャコはいたずらっぽくそう言った。
「……、この前、マコちゃんたちが結婚式をプレゼントしてくれたよね。」
「うん。」
「あれも素敵なプレゼントだったけど、チャコは裕ちゃんが僕にくれた最高のプレゼントだったよ。」
「今度生まれてくるときも裕ちゃんじゃなくてチャコちゃんを選んでくれるかな?」
「……ああ。約束するよ。裕ちゃんもきっとそれを望むんじゃないかな。」
僕がそう言うとチャコは最高の笑顔を見せた。
僕がこの同じ長岡駅の新幹線ホームで裕ちゃんを見送ってからもう十四年が過ぎようとしている。そして今年もまた春はやってくる。
(『ファーストレディー』に続く)