JK妻(シーズン3)   作:山田甲八

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二 お花見事件

 四月六日、今年も新学期が始まり、妻のチャコもマコちゃんも高校三年生に進級した。来年の三月にはいよいよ卒業だ。ただ二人とも普通の高校生とはかなり異色なので進路指導がどうなるのか興味あるところだ。

 特別国会も一ヶ月を過ぎ、国会という新しい職場にも少しずつ慣れてきた。年度末年度初めの忙しさも一段落し、僕は午後七時頃久しぶりに早めの帰宅をした。碑文谷の自宅ではチャコが晩御飯の支度をして僕の帰りを待っていた。

「お帰りなさい。お疲れさまでした。」

「ただいま。どうだった?久しぶりの学校は?」

「ビックニュースが一つあるよ。担任は高倉先生が一年ぶりに返り咲き。」

「へ~。チャコとしてはグッドニュースかな?」

「そうだね。厳しくはあるけど、こっちは弱点握ってるからね。」

 高倉女史は一年のときの担任だ。お嬢様学校よろしく、完全貞操といった感じの真面目な教師だが裕ちゃんおたくだ。それが災いして一年生のとき、チャコの歌番組出演を巡ってもめた際に悪魔に魂を売り渡してしまい、担任をはずされてしまったのだ。

「そっか。まあ高倉先生は知った顔だし、僕としては良かったけど。」

「きっと啓一さん鼻の下伸ばしちゃうよ。」

「なんで?」

「高倉先生、眼鏡外したんだよ。レーシック手術受けたんだって。だから本当に裕ちゃんにそっくりの美人教師になっちゃったよ。」

「へ~そうなんだ。でももうあまり会うこともないだろうけどね。学校にもそんなに行かないだろうし。去年もそんなに行かなかったでしょ?」

「啓一さんにその気がなくても向こうが来るんだな。きっと家庭訪問に来ると思うよ。なんてったってここは裕ちゃんのおうちだからね。あの裕ちゃんの追っかけが来ないわけないよ。だから啓一さんが逃げても無駄だよ。美人教師に口説かれるの覚悟しといてね。」

 チャコは相変わらずだ。僕は軽くため息をついた。話題を変えた。

「ところで十六日の午前って空いてるよね?土曜日なんだけど。」

「うん。そんな先まで予定は入ってないし、大体、土曜日の午前中は寝てるか家事やってるかのどっちかだよ。何かあるの?」

「うん。お花見に誘われてるんだ。」

「お花見?随分遅いね。もう散っちゃってるでしょ?」

「いや、新宿御苑なんだ。御苑は八重桜で遅咲きだからちょうど見ごろなんだって。」

「へ~、そうなんだ。で、誰に誘われたの?」

「総理だよ。内閣総理大臣主催の桜を見る会というのが毎年この時期にあるんだ。まあ招待されるのは何百人といるんだけどね。」

「ねえ、啓一さん。せっかくのところ悪いんだけどマコちゃんと一緒に行ってもらってもいいかなあ?あたしの代わりに。」

「だってチャコ空いてるんでしょ?」

「そうなんだけどマコちゃんと一緒に行って欲しいのよ。」

「なんで?」

「啓一さん、選挙の投票日にマコちゃんとデートするって約束してそれっきりになってるでしょ?」

「まあ、お互いに忙しいからね。」

「マコちゃんもいい加減に欲求不満が溜まってきてるからさ。せっかくの機会だし、マコちゃんに優しくしてあげて欲しいの。」

「まあ僕は構わないけど、後はマコちゃんのスケジュール次第だね。」

「でも土曜日の午前中はさすがに仕事入らないんじゃない?」

 そんな会話をしているとちょうど、妻と瓜二つの双子の妹が帰ってきた。

「ただいま~。」

 制服は着ているが一仕事してきた後のようだ。マコちゃんも今日から新学期だ。久しぶりの学校でマコちゃんも疲れたようだ。いつもの元気がない。

「お帰り、マコちゃん。ちょうどよかった。ねえ、次の次の土曜日って空いてるかなあ?」

 チャコが聞いた。

「何かあるの?」

「啓一さんがお花見に誘われてるんだって。だから久しぶりにマコちゃんとツーショットなんてどうかなあって思って。」

「遅くない?もう桜散ってるでしょ?」

「遅咲きの桜なんでその頃が見ごろなんだって。」

 チャコがそう言うとマコちゃんの血色が甦った。

「そういうことならもちろん行くよ。来週の土曜日ね。ちょっと待ってね。」

 マコちゃんはそう言って鞄の中から手帳を出してスケジュールをチェックした。

「ああっ。残念だけど土曜日の午前は仕事が入ってるわ。ち~、いつもは土曜の午前なんか仕事入らないのに~。」

「休めないの?」

 チャコが聞く。

「チームとかあたし一人の仕事ならなんとかなるんだろうけどこういうときに限って『ザ柏崎』なんだよ。ハルナちゃんと一緒だし、代えは効かないからなあ。ああ、残念!」

 マコちゃんは本当にくやしそうだ。

「まあ、またそのうち機会はあるよ。」

 僕がそう言って慰めるとマコちゃんの回復は早く

「そうだね。またいつかデートしてね。それはそうと学校からお兄ちゃんにお手紙で~す。」

 マコちゃんがそう言って僕に一枚の紙を渡した。紙には『進路指導アンケート』というタイトルが付いている。

「何これ?」

「見ての通り、進路指導のアンケートだよ。」

「あて先は保護者様になってるけど僕が書くの?」

「あたり前でしょ。あたしの保護者はもうお兄ちゃんなんだから。お父さんやお母さんよりずっと頼りになる。まあ適当に書いといてよ。芸能活動続けることになるだろうし。で、チャコちゃんはどうするの?」

 マコちゃんがチャコに振った。

「どうするって?」

「進路よ、進路。進むべきみち。進学するの?」

「そっか、三年生になるとそういうことも考えなきゃいけないんだね。全然考えてなかった。」

「まあ、チャコちゃんは代議士の妻だからもう進路が決まっていると言えなくもないか。代議士の妻から大臣の妻になってゆくゆくはファーストレディー。輝かしい進路だね。先生どうやって進路指導するんだろう。」

 マコちゃんが言った。僕もチャコの進路には無関心だった。もし進学を希望するのであればそれはそれでその希望はかなえてあげたい。少しゆっくり卒業後の生活について話をしなければならないと思った。

 

 しかし、結局、国会開会中は忙しく、中々チャコに付き合ってあげることもできないまま第三土曜日の朝を迎えた。ここのところ夜が遅いことが多く、早寝早起きのはずの僕も土日は朝、起きられなくなってしまっている。この日も朝だと思って慌てておきると既にチャコはベッドにいなくて、嫌な予感がした。

 僕は階段を降り、ダイニングのドアを開けて嫌な予感が的中していることを知った。ダイニングでは自由が丘女子高等学校の制服を着た少女が新聞を読んでいた。

「おはよう。マコちゃん。」

「お兄ちゃんおはよう!よく眠れたかな?」

 新聞を読んでいる少女は他の人から見ればチャコそのものだが僕には見分けがつく。

「まあね。ねえ、なんでチャコの制服着てるの?」

「そんなの聞くだけ野暮だと思うけど。」

 確かにその通りだ。チャコの通う自由が丘女子高等学校はいわゆるお嬢様学校であるが、外出するときはプライベートでも制服を着用しなければならないという厳格な校則があるのだ。マコちゃんがチャコの制服を着ているということはこれからマコちゃんがチャコとして僕と一緒に外出するということだ。僕はもう一つ野暮な質問をした。

「チャコは?」

「さっき、あたしのマネージャーさんが迎えにきて出かけて行ったよ。まあ大丈夫だよ。今日は『ザ柏崎』の仕事だし、いざとなればハルナちゃんがなんとかするよ。」

 「ザ柏崎」はマコちゃんとハルナが組む、二人が所属するアイドルグループ「チームスタジオL」から派生したユニットだ。一応、僕が産みの親ということになっている。僕は深いため息をついた。

「今日はマコちゃんが僕の奥さん役をやるんだね?」

「あたし奥さん役じゃないからね。奥さんだからね。今はあたしがチャコちゃんなんだからお兄ちゃんの奥さんはこのあたしに決まってるでしょ?」

「はいはい。分かりましたよ。」

 今日は何百人といるゲストの一人だし、大人しくしていれば時間は過ぎていくだろう。僕はそう軽く考えてクルマで新宿御苑に移動した。

 

 御苑に到着し、受付を通ると、受付付近に見慣れたメイド服姿の女性が二人立っていたのでビックリした。二人は身長差が十センチほどある。

「あっ、お兄ちゃん!」

 メイド服の小さい方がそう言って僕に手を振った。マコちゃん役のチャコだ。

「チャ……、マコちゃん!どうしてここにいるの?」

「今日のお仕事って御苑でお花見だったんだよ。あたし達も招待されてたの。もっと早く気付けば変な小細工しなくてよかったのにね。」

 マコちゃん役のチャコがそう言うと

「な~んだ。マコちゃんも来てたんだ。せっかく啓一さんと久しぶりのツーショットだったのに。」

 チャコ役のマコちゃんがそう言って僕の腕に絡みついた。

「なんでメイド服なの?」

 マコちゃん役のチャコに聞いた。

「それが官邸サイドのリクエストなんだって。こないだはお孫さんをだしにしてたけど、実は総理の趣味なのかなあ?」

 そんな話をしているとスタッフがやってきて「総理が呼んでいるので奥に行ってほしい」と告げにきた。メイド服姿の二人と自由が丘女子高等学校の制服を着た少女、そして僕の四人は奥の方に移動した。ハルナももうメイド服姿での外出がOKになったようだ。奥の方には総理がいて、既に何人ものゲストに囲まれていた。そのゲストの中にあきらかに「場違いでしょう」と思われる少女が一人いた。ピンクを基調としたド派手のフリフリワンピースを着ている。頭は髪の毛が上と両サイドに三ヶ所立っていて角が生えているようだ。きっと頭の中に針金が入っているのだろう。マコちゃんのCDジャケットの写真で同じような頭を見たことがある。顔はまだ幼いがつけまつげをしていてチークも入れている。場違い少女は僕たち四人に気付くと僕たちの方に寄ってきた。

「こんにちは~!斉藤孝明の孫の恵理香で~す!わあ!ハルナちゃんとマコちゃんだ!本物だあ!かわいい~!」

 少女はチャコやマコちゃんをしのぐ天真爛漫ぶりで自分から自己紹介した。総理の孫のようだ。

「あなたが総理のお孫さんですか?総理からお話は聞いていましたが。」

 僕がそう言うとどこからともなく永田秘書が現れ「白石先生」と僕を女の子四人から引き離した。お孫さんと三人の女の子はキャッキャキャッキャ盛り上がっている。

「白石先生。今日はお越しいただきありがとうございます。『ザ柏崎』のお二人にもお越しいただきましたが見ての通りの事情です。」

「なるほど、お孫さんのリクエストだったんですね。メイド服も。」

「はい。総理は恵理香お嬢様には本当に甘いですから。それで先生。総理から一つお願いがあるんです。」

「ハルナと一緒に写真を撮るとかですか?」

「いえ。実は恵理香お嬢様は芸能界に入りたいと希望されているのです。今日、ここにいらしたのも白石先生とお近づきになるためです。」

「はあ?」

「恵理香お嬢様は高校にも行かず、中学を卒業したらすぐに芸能界入りをされたいそうです。しかし総理は反対しておられます。もちろんです。恵理香お嬢様は総理のお孫さんの代で斉藤家の血筋を引く唯一の方です。いずれはご本人かお婿さんに家を継いでもらわなければなりません。ですからきちんと進学して斉藤家を継ぐにふさわしい人になってもらわなければなりません。」

「はい。」

 確か去年、官邸で総理と会ったとき、お孫さんは中学二年生だと言っていた。そうだとすると今は中学三年生。高校受験生になっているはずだ。

「今日、恵理香お嬢様が先生に色々お話をされると思いますが以上のことどうかお含みおき下さい。私も一緒にお嬢様に付き添っていられればいいのですが今日は内閣総理大臣主催で私は総理の手足となってバタバタ動き回らなければならないものですから。せっかく来てくれたのにハルナちゃんとお話もできません。」

 永田氏のもう一つの顔はハルナのメイド喫茶時代からの私設ファンクラブ代表だ。

「分かりました。気をつけます。」

「よろしくお願い致します。」

 そう言うと永田氏は僕のところから足早に離れていった。本当に忙しそうだ。永田氏が離れると少し離れたところにいた四人の女の子が僕のところによってきた。

「ねえ啓一さん。」

 チャコ役のマコちゃんが僕に話しかけた。

「恵理香ちゃん、芸能界に入りたいんだって。」

 いきなり直球だ。

「よろしくお願いしま~す。できればハルナちゃんに弟子入りさせてもらいたいんですけど。」

 恵理香ちゃんは屈託のない笑顔でそう言った。

「でもそれは駄目だなあ。ハルナちゃんはまだお兄ちゃんのお弟子さんの身分なの。自分がまだお弟子さんの身分なのに弟子を取るわけにはいかないよ。」

 メイド服姿のマコちゃん役のチャコがたしなめた。さすがはチャコだ。

「ハルナちゃんが駄目なら啓一さんのお弟子さんということにすればいいんじゃない?二番弟子がなかなか来なかったんだからちょうどいいじゃん。」

 自由が丘女子高等学校の制服を着たチャコ役のマコちゃんが言った。できの悪い妹は、悪気はないのだろうがよく僕の足を引っ張る。

「ああ、それなら白石先生に弟子入りさせてください。ハルナちゃんの妹弟子ということで。よろしくお願いしま~す。」

 初対面の姉弟子をいきなり「ちゃん」づけで呼ぶ角が三本生えている生物は僕にペコリとお辞儀をした。僕は断れない性格だ。

「弟子にするにしても芸能界に入るためにはどこか芸能プロダクションに所属しないと駄目だよ。だから今すぐの芸能界入りは難しいと思うなあ。恵理香ちゃん、まだ中学生なんだからとりあえず今は勉強してさ。高校に行ってそれからでも遅くないんじゃないかな?」

 またマコちゃん役のチャコが言った。

「でもさ、マコちゃんのいるガーネットかハルナちゃんの野島事務所なら入れるんじゃない。啓一さんの推薦があるって言えばさ。」

 かわいい妹はもう一度僕の足を引っ張った。

「じゃあそれでお願いします。早速、今日、事務所に連れて行ってもらってもいいですか?」

 僕は回りを見た。総理も永田秘書もはるか遠くで忙しそうだ。僕は嫌な顔をしたが僕の意図ができの悪い妹に伝わるわけがない。結局、お花見終了後、マコちゃんの所属する芸能プロダクション「ガーネット」の事務所に移動するということになった。僕は回りに悟られないように自然にマコちゃん役のチャコの傍に行った。

「なあ、チャコ。実は総理から恵理香ちゃんの芸能界入りはなんとしても阻止してくれって言われてるんだ。」

「そうだろうとは思ったけどここまできちゃったね。まあ、後はあたしがなんとかするよ。事務所にはあたしもついていくからさ。なんといっても今はあたしがマコちゃんなんだから。」

 マコちゃん役のチャコはそう言ってニッコリ笑った。今はチャコに全部任せるしかない。

 それからお花見はお開きとなり、マコちゃんのマネージャーさんのクルマに乗り込む恵理香ちゃんとチャコ役のマコちゃん、そしてマコちゃん役のチャコを見送った。ハルナは他の仕事でここから別行動になる。それから僕は永田町に移動し、派閥の勉強会に出席した。新人議員の僕は勉強しなければいけないことがたくさんあり、土日は大概、勉強会が入っている。

 

 結局、勉強会は夜の部も開催され、碑文谷の自宅に帰ったのは夜の九時頃だった。チャコはまだ起きていた。マコちゃんはまだ帰ってきていないようだ。

「ただいま。」

「お疲れさまでした。今日はありがとう。マコちゃんと一緒に行ってくれて。」

 それを聞いて僕は忘れていた嫌なことを思い出した。

「それで、あの後どうなった?」

「結局、ガーネットに所属することになったよ。」

 それを聞いて僕は目まいを覚えた。

「それは駄目だって言ったのに。」

「しょうがないよ。事務所に入れなきゃ帰らない状況だったんだから。社長さんは嫌がってたけどあたし役のマコちゃんが『啓一さんの強力な推薦がある』って言って押し切った。」

「総理にはなんて言い訳すればいいかな?」

「とりあえず『毒をもって毒を制す』と答えておけば?』

「うん……」

 そんな話をしていると電話が鳴った。僕の家の電話の着信音は僕が作詞し、裕ちゃんが作曲した大ヒット曲「卒業」だ。チャコがリビングに出て行き、受け答えをしたタイミングがあってダイニングのドア越しに顔だけ覗かせた。

「啓一さん。噂をすれば永田さん。」

 僕は居留守を使いたいくらいだったがチャコがもう僕の在宅を言ってしまっているのだろう。あきらめてリビングに向かい、受話器をとった。

「もしもし。」

「ああ、白石先生。今日はお疲れさまでした。今、よろしいですか?」

「はい。なんでしょう?」

「恵理香お嬢様のことです。今、総理に質問されたのですが、恵理香お嬢様が真子さんの所属している芸能プロダクションに入ったとおっしゃっているそうなのです。本当にプロダクションに入ったのですか?」

 僕は目を閉じた。もう総理の耳に入ってしまったのだ。本人が自慢したのだろう。

「本当です。」

「どういうことなんですか?総理はお嬢様の芸能界入りには断固反対していると申し上げたはずですが。」

「それはですね。毒をもって毒を制するということですよ。」

「ああ、なるほど。白石先生の作戦というわけですね。それなら納得です。総理にもそう報告しておきます。」

「よろしくお願いします。」

「まあそんなことだろうと思っていました。白石先生に限って間違いはないでしょうから。お休みのところ申し訳ありませんでした。失礼致します。」

 そう言って電話は切れた。とりあえず一時しのぎはしたがこんな状況、いつまでも続けられるわけがない。振り返るとそこにチャコが立っていた。

「で、これからどうなるの?」

 僕は不安そうにチャコに聞いた。

「恵理香ちゃん、あしたからとりあえずマコちゃんと行動を共にするよ。あしたは日曜日だし、中学生を引っ張りまわしても大丈夫でしょ?」

「本当に芸能人になっちゃうんだ。」

「彼女の夢がかなったってことかな。まあ、あしたはあたしも空いてるし、付き添ってあげるからそんなに心配しないでね。」

 僕の不安をよそにチャコは不敵な笑みを浮かべている。チャコはいつだって前向きだ。

 

 次の日、恵理香ちゃんは朝早くから僕の家に来た。昨日と違いさすがに頭に針金は入っていなかったが服装は相変わらずだし、付けまつげをしてチークも入れている。それからマコちゃんのマネージャーさんがクルマで迎えに来て、恵理香ちゃん、マコちゃん、チャコの三人は出かけていった。僕はしばらく家事をやり、お昼過ぎに永田町で開かれる派閥の勉強会に出かけた。

 派閥の勉強会では僕を含め二十人ほどの新人議員が先輩議員や有識者の話を聞いた。午後四時頃から本日のトリを務める山口幹事長が登場し、講義を始めた。十分ほど経過すると幹事長の秘書が現れ、幹事長のところに来てメモを渡し、一言二言耳打ちした。幹事長は僕の方に目をやり「白石君!」と言って僕を呼び寄せた。僕は幹事長の下に駆け寄った。

「なんでしょうか?」

 幹事長は僕にメモを見せながら

「総理が君に急用だそうだ。すぐに公邸に行ってくれ。」

 僕は緊張した。恵理香ちゃんに何かあったのだ。あるいはマスコミに嗅ぎつかれ、「総理の孫、芸能界入り!春菜の妹弟子」といったネットニュースが流れたのかもしれない。僕は衝撃のあまりその場で倒れそうになった。

「白石君。総理の方を優先してくれ。もうこっちには戻ってこなくていいから。」

「はい。」

 幹事長にそう言われ、僕は荷物をまとめて研修会場を出て会場と目と鼻の先の総理大臣公邸に向かった。公邸は首相官邸の隣だ。足取りは重かった。グッドニュースのはずはないし、僕の予感は当たるのだ。

 

 公邸に到着し、玄関で来意を告げると奥から総理ご本人が現れて応接間に案内された。応接間に入るとソファに一人の少女が座っているのが見えた。中学生のようで制服を着ている。少女は僕に気付くと立ち上がりしおらしくお辞儀をした。その時、僕はようやくその少女が斉藤恵理香と同一人物であることに気付いた。

「恵理香ちゃん!どうしたの?どうしてここにいるの?」

 僕はビックリして思わず大きな声を上げた。

「おじいちゃんにあいさつに来たんですけど、先生にも一言ごあいさつさせていただきたいと思いまして。先生にはお世話になりました。」

 言葉遣いもがらりと変わっている。本当に品行方正な女子中学生だ。長い髪を二つに結んでいる。つけまつげもしていないしチークも入れていない。総理が座るよう手で椅子を勧めたので僕は座り、総理と恵理香ちゃんは僕の対面に並んで座った。

「白石先生。私、もうアイドルはいいんです。私、ようやく本当にやりたいことが見つかりました。これから一生懸命勉強して高校に行きます。色々ご指導ありがとうございました。」

 そう言って恵理香ちゃんはペコリとお辞儀をした。

「それで先生、一つお願いがあるんですけどいいですか?」

「なんだろう?」

「私、せっかく事務所に入れてもらったのにデビューせずにこのまま芸能界を引退してしまいますけど、引き続き、先生の弟子ということにしていてもらいたいんです。先生にはこれからも色々とご指導をいただきたいですから。いいですよね?」

 僕は総理の方をチラッと見た。総理はニコッと笑ってうなずいた。

「ああ、いいよ。でも僕は厳しいからそのつもりでいてね。」

「はい。これで私は引き続きハルナちゃんの妹弟子ですね。友達にも自慢できます。では私はこれから勉強しますのでこれで失礼します。」

 恵理香ちゃんは立ち上がり「失礼します」と一礼して応接間から出て行った。総理と僕が残された。

「白石君!」

 総理が僕に声をかけた。

「一体君は恵理香に何を教えたんだ?」

「はあ。恵理香ちゃんからは何もお聞きになっていないんですか?」

 こっちが聞きたいくらいだ。何が起きたのか僕にもまったく見当がつかない。

「聞いたのだが教えてくれないんだ。おじいちゃんにはもう少し後で話すと。」

「では、僕からも話すことはできません。どうか恵理香ちゃんを信じてもらえないでしょうか?そのうち彼女の口から話すときが来ると思います。そう遠くないうちに。それまで待ってあげてください。」

 僕はまったく見当がつかなかったがとにかくそう言ってごまかした。

「……分かった。君を信じよう。それにしても君は本当にすごい男だな。今まで誰一人として手綱をつけることができなかったあのじゃじゃ馬をわずか一日で手なづけてしまったのだから。本当にビックリだ。君の実力を見せ付けられたよ。」

「恐れ入ります。」

「しかし、残念だよ。もう少し早く君と出会っていれば、君と恵理香を一緒にすることができたかもしれなかったのにな。そうすれば君を私の後継者にできたのに。」

「総理……。」

「今のは冗談半分、本音半分だ。さっき、恵理香を弟子にすると言っていたがどうか政治のことも教えてやって欲しい。君が師匠なら私も安心だ。」

「はあ。」

「白石君。私の党代表の任期も九月までだ。総理大臣もおしまいになる。その前に一度一緒に仕事をしよう。」

「はあ。」

「何か探しておくから覚えておいてくれ。」

 総理は終始上機嫌だった。

 

 それから僕は碑文谷の自宅に急いだ。幹事長には「戻らなくていい」と言われているので研修会に戻る必要はない。もうチャコは帰宅していてリビングでコーヒーを飲みながらお笑い番組を見ていた。

「ただいま~。」

「お帰りなさい。随分早かったね。」

「ねえ、一体何があったの?」

「どうしたのいきなり。」

「ゴメン。実は研修中に総理に呼び出されたんだ。それで総理大臣公邸に行ったら恵理香ちゃんがいたんだよ。それも今朝来た恵理香ちゃんとはまるで別人で、中学校の制服着て、言葉遣いも丁寧で品行方正なお嬢様に変身してたんだよ。」

「ああ、そうか。制服はちょっとビックリだけど、まあそんなもんかと思ってた。啓一さんのところにもあいさつに行ったんだね。」

「ねえ、一体何があったの?彼女、別人になっちゃったんだけど。」

「何もないよ。あの後、『これから修行です』って言ってマコちゃんの付き人をさせたの。あのわがままなお嬢様にマコちゃんの付き人なんて務まるわけないじゃない?お昼過ぎまでそんなことやってたかな。それでへとへとになったところを見計らって、『アスカケーキハウス』に連れて行ったの。原宿のお店ね。」

「ああ、白鳥明日香さんのお店だね。」

「そう。原宿なら白鳥先輩ご本人がいるしね。それで伝説のイチゴショートを食べさせたってわけ。そしたらどうなったと思う?」

「なるほど、アイドルはやめてパティシエになるって言い出したんだ。」

「そう。本当に美味しいものは食べた人の人生も変えるね。それで白鳥先輩に『どうしたらパティシエになれますか』って聞いて、白鳥先輩『とにかく勉強しなさい』って、『私が中学生のときはいっぱい勉強して高校生のときにはフランスに留学した』って言ったの。」

「そうか。ありがとう。チャコは分かってたんだ。こうなるって。」

「ここまでうまく行くとは思わなかったけどね。要は彼女、恵まれた生活なのに本当に打ち込めるものが見つからなくてくすぶってたんだよ。何はともあれ彼女も将来の方向性が決まって良かったね。」

 肩の力が抜けた。ホッとした。

「ねえ、啓一さん?」

「ん?」

「あたしもね。進路決めたよ。」

「ああそうか。チャコも三年生だったね。進学するの?」

「ううん。」

「じゃあ、マコちゃんと一緒で芸能界入り?」

「そうでもないなあ。」

「何?」

「あたしねえ、……母親になることにする。恵理香ちゃん見てたらかわいくてさあ。ああいう娘がいたらいいなって思っちゃった。」

「ええっ?まだ早過ぎない?」

「別に早くないよ。あたしはお母さんが十八歳のときの子どもなんだから。」

「うん。」

 なるほど「母親」という選択肢もチャコにとっては「進むべきみち」なのかもしれない。

「それでまだ三十路のお母さんをさっさとおばあちゃんにしちゃうんだあ。こればっかりはあたし一人じゃできないから啓一さんもよろしくね。」

 チャコはニッコリ笑ってそう言うと手に持ったコーヒーカップを一すすりした。

 

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