六月にはいると二月末召集の特別国会もいよいよ終盤になる。選挙から特別国会としては異例の長期間となる国会開催だったため議員も疲弊しているようだ。延長は予定されていない。国会開会早々、初当選にも関わらず党の副幹事長に大抜擢されてしまった僕は党の役員会やら幹事会やら朝から晩まで会合が忙しく政治家になってしまったと実感させられる毎日を送っている。
一方、妻のチャコは通学するお嬢様学校、自由が丘女子高等学校の「良妻賢母」養成特別コースに半ば強制的に入れられてしまい、それはそれで忙しい毎日を送っているようだ。中間テストも終わり、期末テストが始まるまでの小休止の間、チャコの学校では修学旅行が予定されていて、三年生のチャコはもちろん参加する。旅程はカナダ一週間、さすがはお嬢様学校だ。
夫婦水入らずの時間も国会中は貴重だ。そんな事情で夫婦の時間といえば修学旅行の準備ということになる。
「カナダに修学旅行だっていうのに浮かないねえ。初めての海外旅行で緊張してるの?」
碑文谷の自宅で修学旅行の準備をしながらチャコに聞いた。
「楽しみではあるんだけど不安もあるのよ。」
「言葉が通じないとか?」
「そんなのボディーランゲージでなんとでもなるよ。そうじゃなくて、あたしは『良妻賢母組』でしょ?『良妻賢母組』だけ一日、特別メニューがあるの。」
「特別メニューって何?」
「それが当日まで分からないのよ。まあハードなメニューにはなると思って諦めてる。まさかナイアガラの滝に飛び込めとは言わないだろうけど。」
「ならいっそのこと『良妻賢母組』やめたら?チャコはもう『良妻』なんだからいいでしょ?」
「あらそう?うまいこと言うね。でもやめたくはないんだな。せっかくただのラーメン屋の娘からセレブまで昇りつめたんだからここでやめてしまうのは惜しいのよ。」
「じゃあどうしたいの?」
「つまりね、『良妻賢母組』にいながらにしてハードなメニューを回避する方法があればいいの。」
「そんなうまい話あるか?」
「探せばきっとあるよ。例えば啓一さんの権力を使うとかね。啓一さんも考えといてね。」
チャコは無邪気に笑ってそう言った。僕の力に期待しているようだ。僕は国会では文部科学委員会に所属している。しかしあたり前だが僕には私学の課外活動に干渉する力などあるはずがない。僕は軽くため息をついた。話題を変えた。
「ところでチャコがいない間、マコちゃんと僕がここで二人でお留守番ということになるんだよね?」
「そうだね。あたしがいない間、マコちゃん、ここぞとばかりに甘えっ子さんになると思うけど、まあ優しくしてあげてね。」
チャコはいつものようにニッコリ笑ってそう答えた。
「でもマコちゃんも忙しいだろうし、顔合わせるのは朝くらいじゃないのかな?土日も仕事がびっしり入ってるでしょ?」
スーパーアイドルのマコちゃんは国会議員の僕よりハードスケジュールだ。
「そうでもないんだな。マコちゃん、『チャコちゃんがいない間はあたしがお兄ちゃんの面倒ちゃんと見るから』って随分気合入ってるの。あたしがいない間は極力、仕事は入れてないみたいだよ。自分が奥さん役やるんだって。まあこんな機会は滅多にないだろうからマコちゃんの夫婦ごっこに付き合ってあげてね。」
「まあ今に始まったことじゃないけどマコちゃんまさかチャコのベッドで寝るとか言わないだろうね?」
「さあ、どうだろう。でも福岡じゃ隣のベッドで寝てるんでしょ?まあ大丈夫だよ。マコちゃん、大好きなお兄ちゃんに甘えたいんだろうけど夫婦関係を破綻させるようなことはしないと思うよ。夫婦関係を破綻させちゃったらお兄ちゃんの妹ではいられなくなるもんね。」
「チャコは平気なの?一週間もマコちゃんと僕を同じ屋根の下に二人っきりにしておいて。」
「たぶん、愛に自信があるんだと思う。啓一さんなんだかんだいってあたしに一途でしょ?啓一さん真面目だからなあ。ハルナちゃんとも柏崎で一ヶ月同棲したけど結局、何もなかったじゃない。」
言われてみれば確かにその通りだ。マコちゃんと僕は義兄妹としては仲の良い方ではあるがそれ以上ではない。
「ところで啓一さん。話変わるんだけど、最近、妙な噂を耳にするの。啓一さんも聞いたことあるかなあ?」
「妙な噂?」
「うん。あたしが高校卒業した後、マコちゃんとユニットを組むっていうんだけど?」
僕はドキッとしたが平静を装った。
「いや、聞いたことはないなあ。でも二人のユニットを見たいっていうファンの人は多いと思うからファンの間で自然発生してるんじゃないの?」
「そうかなあ。ねえ、案外啓一さんが発信源だったりするんじゃない?」
チャコがそう言ったので僕はさらにドキッとした。
「確かに僕はそれを希望していなくはないけどね。チャコには裕ちゃんの歌を歌ってもらいたいから。まあ発信源は案外近くにいるかもしれないよ。」
僕がそう言うとチャコはしばらく考えて
「なるほどね。そういうことか。で、啓一さんも傍観してるってわけだ。」
「まあ、僕の力量では阻止できないよ。でもマコちゃんは本気でチャコと組みたいみたいだよ。」
「なんでだろう?」
「『ザ柏崎』が終わっちゃうからじゃない?来春ハルナがチームを卒業すれば『ザ柏崎』も解散でしょ。かといってマコちゃんにはソロで歌う実力はないし。マコちゃんとしては寂しいんじゃない?チャコも付き合ってあげればいいのに。」
「そっか。でもあたしは駄目だ。あたしはもうセレブの仲間入りだからね。いつまでもキャピキャピした女の子と一緒に歌ってるわけにはいかないの。代議士の妻にもなったことだし。」
チャコはセレブの笑顔でそう言った。
それから土日があり、月曜日の早朝、いよいよチャコは修学旅行に出発することになり、僕が学校までクルマで送っていった。お嬢様学校だけあり、他の生徒も家族が見送りに来ていて、女生徒達は成田空港に向かうバスに乗り込み、カナダへと旅立っていった。帰宅すると昨日、帰りの遅かったマコちゃんは起きていてダイニングで新聞を読んでいた。
「おはよう。もう起きたんだ。チャコ出発したよ。今、学校まで見送りにいってきた。」
「おはよう。お兄ちゃん!いや、今度の日曜まではダーリンかな?一週間よろしくね。やっと二人きりになれたね。」
チャコと瓜二つの双子の妹はいつもこんな調子だ。思わずため息が出そうになるが、そこはこらえて受け止めた。
「こちらこそよろしくね。なんかマコちゃん随分、気合入ってるって聞いてるけど、無理しないでね。マコちゃんも仕事忙しいだろうし、僕も忙しいから。」
「まあそう遠慮なさらずに、料理とかバッチリ作りますからね。」
「作るのはいいけど後片付けもやってね。それとゴミの分別も。」
「はいは~い。……それはそうと、お兄ちゃん、今度の土曜日空いてるよね?」
「そういう聞き方してくるってことはもう秘書の山崎さんに確認してチェック済みなんでしょ?僕のスケジュール。」
「あっ、ばれちゃった?」
「で、マコちゃんもスケジュールは空いてるんだ?」
「空いてるというよりも無理くり開けたのよ。その代わり、日曜日はお昼から深夜までびっしりお仕事入っちゃったけど。次の日、月曜日なのにどうしようって感じ。」
「で、土曜日何かたくらんでるの?」
「う~ん、たくらむってほどじゃないんだけど、野島先生がお兄ちゃんに会いたがってるのよ。色々相談したいことがあるんじゃない?表向きは新しい本社ビルを披露したいみたいだけど。」
野島氏はマコちゃんが所属するアイドルグループ「チーム」や僕の一番弟子ということになっているハルナを管理する音楽プロデューサーだ。昔は裕ちゃんと仕事をしていたこともある。その縁で僕とのつながりができ、昨年以来、「チーム」やハルナ、そしてマコちゃんとハルナが組む「チーム」の派生ユニット「ザ柏崎」でミリオンを連発しているのだ。傾いていた事務所の業績は急速に改善し、ついに六本木に自社ビルを持ったという話もつい最近聞いた。
「なるほどね。この前も言ってたけど、ハルナがチームを卒業するんでその後をどうするかということかな。『ザ柏崎』も解散することになるだろうし。」
「そうか。今のままが永遠に続けばいいと思ってたから少し寂しいね。でもプロデューサーさんっていっつも先のことまで考えてるんだよね。お兄ちゃんもそうでしょ?」
「僕は自分が音楽プロデューサーだとは思ってはいないからなあ。まあ分かったよ。じゃあ土曜日の午前中に自慢の自社ビルに伺わせていただきますって野島さんに伝えといてね。」
「ほいほ~い。」
マコちゃんは軽く答え、コーヒーカップを一すすりした。
次の土曜日、午前十時頃マコちゃんと僕は僕の運転で六本木の野島事務所本社ビルに向かった。マコちゃんはなぜか自由が丘女子高等学校の夏服を着ている。
「ねえ、今さらなんだけどなんでその格好なの?」
助手席で眠そうなマコちゃんに聞いた。
「そりゃもちろんあなたの奥さんをやるからよ。」
「行き先は野島さんのところでしょ?マコちゃんはマコちゃんでいいと思うんだけど。それに野島さんはチャコのカナダ行きは知らないかもしれないけど、もしチャコが修学旅行に行ってることを知ってる人に会ったら大変なことになると思うけど。」
「まあ大丈夫だよ。チャコちゃんでないとできないこともあるの。それより眠いんで少し寝かせてね。」
そう言ってチャコに化けたマコちゃんは助手席で眠り、眠っているうちに六本木の野島事務所本社ビルに着いた。六本木に自社ビルを持ったといっても間口は狭く、奥行きの長い七階建ての中古だ。内装にはお金をかけたようだがいかんせん年代モノだった。身の丈にあった買い物をしたようで、下の方の階は賃貸に出しているようだ。野島慎一プロデューサーは入口のところで僕たちの到着を待っていた。
「やあ、啓ちゃん!じゃなかった白石先生。よくおいでくださいました。」
野島氏はいつも通りの派手な装いだが今までになく腰は低い。
「やめてくださいよ、そんな言い方。」
「いや。今度は本当に偉い先生になっちゃったからね。どう?このビル?啓ちゃんのお陰で自社ビルも持てるようになったよ。本当に白石先生さまさまだよ。マコちゃんは?」
「マコちゃんはまだ寝てますよ。土曜日の午前はいつもそうなんです。」
チャコ役のマコちゃんが言った。当然ながら野島氏は双子の見分けがつかない。
「そりゃそうか。昨日も遅かったんだろうから。」
野島氏は納得の表情で僕たちをビルの中へと案内した。一階から三階は賃貸に出していて、四階からが事務所、六階が社長室で七階は空き室だった。社長室には美人秘書が三人並んで座っていた。きっとアイドルになり損ねた元アイドルの卵だろう。僕たちは社長室の応接に野島氏と向かい合って座った。
「どうだった?感想を聞かせてもらってもいいかな?」
野島氏は自慢げだ。
「素晴らしい内装ですね。」
「ああ。随分とお金をかけたからね。エレベーターは新品を入れたし。今までは結構、行き当たりばったりのどんぶり勘定だったけど、せっかく自社ビルも持てたんで少しは堅実に経営するよ。だから下を貸してるんだ。」
「そうですか。」
「それで、マコちゃんから少し聞いてるかもしれないんだけど、今後のことについて少し啓ちゃんに相談したいんだ。」
「ハルナの卒業後ですか?」
「それもある。啓ちゃんには申し訳なかったけど、四月からハルナをチームのリーダーにさせてもらってる。」
「別に僕に断ることもないと思いますけど。ハルナは野島さんの事務所所属。言わば従業員なんですから。」
「でも啓ちゃんの一番弟子だからなあ。事前に了承を取りたかったんだけど、啓ちゃんもそれどころじゃなかっただろうから。」
「選挙ではマコちゃんが選ばれたそうですね。」
「うん。でもマコちゃんまだ高校生だからね。だから来年はマコちゃんがハルナからリーダーを引き継ぐことになる。一大イベントになるね。女性アイドル人気ナンバーワンとナンバーツーが人気アイドルグループのリーダーのエンブレムを引き継ぐんだからね。『スタジオL』で特別番組が組まれると思うよ。公開生放送でね。」
「で、その後はどうなるんです?」
「それなんだけど、どうだろう?『ザ柏崎』も解散ということになるけど引き続きハルナに裕ちゃんの曲は提供してくれるのかな?啓ちゃんも忙しくなっちゃったから少し心配なんだけど。」
「そうですね。それは構いませんが後一年くらいが限度じゃないでしょうか?」
「一年か。まあハルナの今の人気もその辺までかもしれないね。」
「次はどうするつもりなんですか?」
「それを啓ちゃんに聞きたいんだ。啓ちゃんは、ハルナはどうすべきだと思う。」
「そうですね。僕としては卒業して一年くらい今のままでやって、それから海外にでも行くといいと思います。」
「海外か。何かあてがあるの?」
「別にありません。ただ日本を出れば違う自分が見つかるんじゃないかなと。行き先はどこでもいいと思います。とにかく裕ちゃんの後継者という殻を破ってハルナの個性で勝負できるようになって帰ってくればいいのかなと。」
「そうか。まあ今が売れすぎているといえばそうなんだけど。」
「だから野島さんとしてはハルナの稼ぎで蓄えを作っておかないといけないですね。今のうちに。」
「そうだな。本当は啓ちゃんに共同経営者として事務所に入ってもらいたいくらいだよ。でもどだい無理な話だよね。」
「まあそうですけど今の野島さんなら有能な経理マンを雇うくらいはできますでしょ。あの美人秘書三人分よりも安い給料で。」
「……その通りだ。君と話していると本当に勉強になる。で、マコちゃんはどうするのかな?もちろんチームのリーダーにはなってもらうのだけど。」
「マコちゃんは今度はあたしとユニット組むんです。」
野島氏の問いに今度はチャコ役のマコちゃんが答えた。
「ねえ、それってホントなの?噂は聞くんだけど。」
野島氏は僕に聞いた。僕はチャコ役のマコちゃんを見た。チャコ役のマコちゃんはニコッとして
「本当ですよ。あたしが卒業すればお嬢様学校のシールドともおさらばですからね。『ザ柏崎』も解散しちゃうし、でもマコちゃんの歌唱力じゃソロは無理でしょ?」
「そうか。それはありがたい。ではまた前みたいにチームとのコラボもやってもらえるかな?」
「コラボどころか『チーム』に入ってもいいと思ってます。まあオーディションが突破できればの話ですけど。『チーム』のオーディションもかなり激戦になってるみたいですから。」
「オーディションなんて……チャコちゃんなら特待生でいいよ。そうか。それなら来春が楽しみになってきたぞ。で、啓ちゃんはいいのかな?」
チャコ役のマコちゃんはもはや僕には制御不能だ。
「まあ、僕としては流れに任せます。チャコも何分、気まぐれですので。今はこう言ってますが一時間後には別のことを言ってるかもしれませんし。」
「そうか。まあ政治家の妻としての役目もあるだろうから『チーム』に入るのは無理かもしれないけど特別メンバーということでもいいし、最低でもコラボはまたやりたいね。CDとプロモーションビデオだけでもいいから。よろしくね。」
野島氏はチャコ役のマコちゃんに向かってそう言った。
「でもいい話ばかりじゃないんです。」
チャコ役のマコちゃんがボソッと言った。
「何か問題でもあるの?」
「ええ。肝心のマコちゃんがそんなに乗り気じゃないんです。」
「なんでだろう。」
「きっと、あたしの方がかわいいし、歌も踊りも上手だからじゃないですか。」
チャコ役のマコちゃんがそう言うと野島氏は肩をすくめた。話題が変わり、それから十五分ほど世間話をしてチャコ役のマコちゃんと僕は野島事務所本社ビルを後にした。
「いやあ愉快だね~。これでどんどん話が大きくなるといいなあ。」
駐車場まで歩く道でマコちゃんが無邪気に言った。
「ねえマコちゃん。もうチャコも感づいてるよ。変な噂が流れてるって。」
「感づいてもらわないと困るんだな。チャコちゃんにも意識してもらわないと。そうやってチャコちゃんが断れない状況を作り出すの。」
僕は軽くため息をついた。話題を変えた。
「それでこれからどうするの?まあ豪華ランチということになるんだろうけど。」
「そうだね。でもその前に議員会館行っていいかな?」
「まあいいけど、この前来たばっかりじゃない?」
「この前はあたしが着いたら途端にお兄ちゃんも来ちゃったからあまり探検してないのよ。あの辺りをちょっと探検してみたいと思ってね。これでも政治家の妹だから。」
「でもマコちゃんが面白いと思うようなものはないと思うけどなあ。」
「いいのいいの。あしたラジオにゲストで呼ばれてるんだけど、最近印象に残ったことを何か話さないといけないの。だからネタ探しだよ。いつもは行かないところに行ったら何かいいネタが見つかると思うの。」
「まあマコちゃんがよければそれでいいけど。」
それで妹と僕はクルマで永田町に移動した。
議員会館に到着し、僕の事務室に行くと応接にチャコとマコちゃんの祖父、白石権蔵参議院議員が座っていたのでビックリした。
「あっ、先生。何かご用ですか?」
僕は巨漢の政治家に声をかけた。
「ああ、ちょうど良かった。今、山崎に言って君に電話をしようと思っていたところだったんだ。」
「何かあったんですか?」
僕が聞くとほぼ同時にマコちゃんが僕の後ろから「あっおじいちゃんこんにちは~」と元気にあいさつした。
「朝子!どうして日本にいるんだ?カナダに修学旅行に行くんじゃなかったのか?この前、カナダに行くっていうんで餞別を渡したじゃないか。」
祖父に小遣いを無心しているとはさすがはチャコだ。
「やだなあ、おじいちゃん。マコちゃんだよ。孫の見分けくらいつけてよ。」
マコちゃんがあまりにもあっさり正体を明かしたのでビックリした。今までにはなかった展開だ。
「なんだ、真子だったのか。でもどうして朝子の制服を着ているんだ?」
「それはお忍びだからよ。マコちゃんスーパーアイドルでしょ?普通の格好してるとファンの皆さんが寄ってきちゃうじゃない。それはそれでうれしいんだけどプライバシーを守りたいときもあるの。この格好でお兄ちゃんと一緒にいるとどこから見てもチャコちゃんでしょ?お忍びで行動できるってわけ。」
「ああそういうことか。」
巨漢は納得したようだった。
「で、ご用件はなんでしょう?」
「ああ。急にこっちにきてすまなかったな。まあ座ってくれ。」
そう言ってマコちゃんと僕は巨漢の対面に座った。巨漢は続けた。
「実は今日の午後、政経文化パーティーが開かれるんだ。私は当初、別の用があって参加する予定ではなかったのだが、急遽、その別件がキャンセルされてな。パーティーに出席することになったんだよ。それでどうせ行くなら君も連れて行きたいと思ってな。今、山崎に聞いたところだと今日の午後、公式行事は入っていないということだけどどうだろう?午後は何か予定はあるのかな?」
「いえ。特にはありません。マコちゃんとブラブラしようと思ってたところですから。」
「じゃあ君も来てくれないか?本当は夫婦同伴がいいのだが君一人でも十分だ。朝子はカナダだし仕方ないな。」
巨漢の政治家がそう言うとマコちゃんが
「なーんだ。せっかくお兄ちゃんとデートできると思ってたのに。まあいいや。お仕事じゃ仕方ないもんね。じゃあ、あたしはチャコちゃんに化けて久しぶりに街を探検するね。」
そう言った。すると
「今、なんて言った?」
巨漢の参議院議員はドスの利いた低い声でマコちゃんに聞いた。
「えっ?『チャコちゃんに化けて街を探検する』って言ったんだけど。」
マコちゃんがそう言うと巨漢の政治家は自分の膝を叩いた。「パチン」と軽い音がした。
「そうか!なあ真子。モノは相談なのだが、今日、そのまま朝子ということで啓一君と一緒にそのパーティーに来てくれないかな?」
僕はハッとしてマコちゃんを見た。マコちゃんとしては願ってもない展開だ。しかしマコちゃんは冷静というかしたたかだった。
「え~っ!そんなの無理だよ。確かにあたしは女優だけどチャコちゃんの役なんてやったことなんかないし。」
今さっきやったばかりなのに妹は白々しく言った。
「そこをなんとかお願いできないかな?君達が夫婦で来るとみんなも喜ぶと思うんだ。」
「でもねえ~。」
マコちゃんが出し惜しみをする。
「夫婦でないと駄目なんですか?マコちゃん、一人でブラブラするなんて久しぶりなんで一人にしてあげたいんですが。」
僕が別の方向に舵を切った。
「では正直に言おう。私が啓一君夫婦に来てもらいたいんだ。君達夫婦はマスコミの注目の的だ。パーティーに出席すれば当然、マスコミは寄ってくる。そうすると傍にいる参議院の大物の私にもコメントを求めてくる。そうすればこの国会も終盤の時期に私も政治的に影響力のある発言を発信できるってわけだ。」
結局、この二人の利害は一致しそうだ。しかし、マコちゃんはもう一押しした。
「分かったよ。おじいちゃんのためね。難しいけどやってみるね。でもあたし、プロの女優だからノーギャラというわけにはいきませんからね。」
マコちゃんが少し渋い顔でそう言うと巨漢はニッコリ笑って
「分かった分かった。ギャラは弾むよ。じゃあOKだね。パーティーは二時から大手町の財界ホールだ。腹一杯にしてきてくれよ。受付に来れば入れるようにしておくよ。もっとも君は党の副幹事長で最大派閥の事務総長だから最初から顔パスかもしれないけどな。」
「食事は出ないんですか?」
「もちろん立食パーティーだがガツガツするのもみっともないからさ。」
巨漢はズボンのポケットから財布を取り出し「とりあえず食事代だ」と言って福沢諭吉先生のブロマイドを二枚テーブルの上に置くと「もちろんこれはギャラとは別だ」と言い、「じゃあ二時に会場で」と言って事務室から出て行った。
それからマコちゃんと僕は近くにあるホテルに徒歩で移動し、豪華ランチを食べ、しばらく国会議事堂周辺をうろうろしてから大手町に移動した。午後二時十分前くらいに会場である財界ホールに到着し、顔パスで受付を突破した。まだ始まる前だからかそれほど混んでいなかったが既に政財界の知った顔や文化人も出席していた。僕たちはやはり注目の存在のようであちこちから声をかけられた。開会とほぼ同時に巨漢の祖父もやってきて僕たちに合流し、出席者と歓談した。歓談を繰り返していると取材に来ているテレビのクルーが見えた。そのクルーの中にマイクを握った見覚えのある女性がいた。黒田聡美アナウンサーだった。聡美さんは裕ちゃんの大学時代の同級生でマコちゃんとは同じクイズ番組で共演する仲だ。現在、アメリカにいる兄の潔氏は昨年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した天才的心臓外科医で僕の親友ということになっている。聡美さんは僕達に気付くと手を振り、クルーごと僕達の方にやってきた。
「石水君!来てたんだ。」
旧知の聡美さんは僕のことを旧姓で呼ぶ。
「ああ、白石権蔵の露払いだよ。」
「取材してもいいかな?」
「いいけど、申し訳ないけどカメラは勘弁してもらえないかなあ?チャコはあくまでも一般人だから。マコちゃんとは違うよ。」
カメラ撮影されてしまうと今、この時間、この世にチャコが二人いることがばれてしまう。
「ああ、そうか。うん。分かった。でもインタビューするくらいはいいでしょ?」
「まあ、差し障りのない程度なら。」
「じゃあ朝子さんに聞きますね。」
聡美さんはチャコ役のマコちゃんの方を向いた。
「来年はいよいよ高校も卒業だと思いますけど、卒業後は本格的に代議士の妻として活動開始ですか?」
聡美さんはチャコ役のマコちゃんにマイクを向けた。マコちゃんは聡美さんのマンションでお泊りしたこともあるくらいなのだが聡美さんも双子の区別はつかないようだ。
「まあそれもありますけど、一つやりたいことがあるんです。」
「やりたいことってなんですか?」
「あたし、マコちゃんとユニットを組みたいんです。『ザ柏崎』のハルナちゃんの後釜ということで。」
「そうなんですか?それってもう企画されてるの?」
「いいえ。残念ながらマコちゃんがあまり乗り気じゃないんです。理由はよく分からないんですけど。だから黒田さんもマコちゃんのお友達だからマコちゃんにあたしとのユニットをやるようそれとなく言ってみてくださいね。」
「分かりました。私からも言ってみますね。」
聡美さんはニコッとして僕の方をチラッと見た。
「石水君の方はどうかな?国会ももう終盤だけど。」
「まだよく分からないよ。まだまだ勉強中の身だね。」
「でも石水君、最大派閥の事務総長でしょ。九月には党の代表選もあるだろうし。一年生の石水君がキングメーカーになるんじゃないかっていう噂もあるくらいだよ。まあ噂はそれだけじゃないけど。斉藤総理も石水君には気を使ってるみたいだし。」
「どうせろくな噂じゃないんでしょ?僕なんかまだひよっこだよ。聡美さんも色々教えてね。」
「はいはい。石水君も何かあったら教えてね。どうもありがとうございました。ではまた。」
そう言って聡美さんのクルーは僕たちから離れていった。
「ほっほっほっほ~。このパーティーいいね。ここ来て正解だったわ。」
チャコ役のマコちゃんはいたずらっぽくそう言った。
「マコちゃん、ちょっとやりすぎじゃないかなあ?」
「いいのいいの。こんなチャンス滅多にないから。とにかく撒けるときにタネを撒いておかないと。」
それからチャコ役のマコちゃんは卒業後の進路を尋ねられると「マコちゃんとユニットをやりたい」と言いまくった。そのうち上座の方が騒がしくなり、よく見ると斉藤総理が到着していた。さすがに総理大臣の周りは黒山の人だかりだ。SPも張り付いているのだろう。僕は遠巻きに総理の様子を眺めていたがそのうち総理の方が僕に気付き、右手を上げて僕の方に歩いてきた。僕はドキッとした。総理が自ら一年生議員に声をかけるなど異例のことだ。
「やあ、白石君。君も来ていたんだね。」
総理は豪快に笑いながら言った。
「はい。権蔵の連れのようなものです。」
「権蔵君が君の連れかもしれないよ。チャコちゃんも来たんだね。」
「いつも主人がお世話になります。」
チャコ役のマコちゃんはペコリと頭を下げた。こういう状況はマコちゃんは慣れていないはずだがその辺は名演技だ。
「白石君。この間はどうもありがとう。」
「はあ?」
「恵理香のことだよ。」
「ああ。はい。恵理香ちゃん、その後いかがですか?」
「よく勉強しているよ。本人は自由が丘女子を希望しているようだ。まあうまく行けばチャコちゃんの後輩になれるかな。入れ違いにはなってしまうのだろうが。」
「そうですか。恵理香ちゃんが後輩になってくれるとあたしはうれしいな~。」
チャコ役のマコちゃんはチャコのように言った。
「ところで白石君。この前、私が総理大臣でいる間に一緒に仕事をしようと言ったね。」
「はい。」
確か総理大臣公邸でそんなことを言われた気がする。
「色々考えたんだが、来月、中国を公式訪問することになっているんだ。それに随行員として君も連れて行きたいのだがどうだろう?」
「はあ?」
「まあ、急な話だが予定しておいてくれ。君の後見人の権蔵君や派閥の親分には私の方から言っておく。チャコちゃんも来てくれるかな?」
総理がチャコ役のマコちゃんの方を向いて言った。
「はい。学校がぶつからなければいいんですけど。」
「ああ、それくらいならなんとでもなるよ。そんなに長期間じゃないし、いざとなれば私が自由が丘女子の校長に電話をかける。いい卒業旅行になると思うよ。」
「は~い。ありがとうございま~す。」
チャコ役のマコちゃんがそう言うと総理は他の人に声をかけられ、そちらの方に歩いていった。
結局、妹は最後までパーティー会場に残り、チャコの卒業後の希望をそれとなく撒き散らした。パーティーが終わると僕たちは早めに帰宅し、チャコ役のマコちゃんはマコちゃんに戻った。そして慢性的に睡眠不足のスーパーアイドルはあっという間に深い眠りに着いた。
次の日、日曜日の午後、僕が一週間分の食材を買い込んで買い物から帰宅すると既にチャコが帰ってきていてビックリした。
「ただいま~。一週間ぶりだね。」
チャコは長旅の疲れも見せずニッコリ笑ってそう言った。お土産をリビングに並べている。洗濯物もたくさんあるようだ。
「お帰り。早かったね。迎えに行こうと思ってたのに。」
「予定より早く学校に着いちゃったの。啓一さんを呼んでも良かったんだけど、恵子ちゃんが送ってくれるって言うから恵子ちゃんのクルマで送ってもらっちゃった。運転手付の超高級車。」
「そうか。お帰りなさい。お疲れさまでした。どうだった?」
「良かったよ~。本当に、素晴らしい修学旅行でした。ありがとうね。」
「で、『良妻賢母組』の特別メニューはどうだったの?」
「それがね、本当に素敵な企画だったの。あちらのセレブと交流したんだよ。向こうのお嬢様グループとパーティーやって、それからペアになってお嬢様のおうちにお呼ばれされたの。」
「じゃあチャコもそのお嬢様の家っていうかもうお城なのかな?行ったんだね?」
「そう。国会議員の妻であるあたしは最強のタマだからさ。当然、お相手さんも最強のタマなわけ。なんでも英国王室の血筋を引く由緒あるお家柄のお嬢様だそうで、大邸宅で大歓迎を受けました。」
「そうか。よかったね。」
「うん。『良妻賢母組』に入ってて良かったよ。もう『良妻賢母組』やめられないなあ。」
チャコの満足そうな笑顔を見て僕もうれしくなった。
「ところで啓一さん、あたしが日本にいない間、何かあったよね?」
チャコのトーンが変わった。心当たりはあるのでドキッとした。
「何かって例えば何?」
チャコは黙って新聞の切抜きを僕に渡した。スポーツ紙の芸能面の記事のようだ。記事は「白石朝子が高校卒業後、双子の妹真子とのユニットを希望しているが真子にはその気はないようだ」という内容だ。
「どうしてこういうことになるのかな~?」
チャコが静かに聞いた。ちょっぴり怖い。
「まあ、チャコがいない間、マコちゃんがチャコとして色々発言していたということだね。」
「で、お目付け役の啓一さんは黙って見てたんだ。」
「僕の力じゃマコちゃんは抑えられないよ。いっそのことチャコもマコちゃんに付き合ってあげればいいのに。」
「そんなの絶対に駄目!だってあたしはセレブ。もうイギリス王室の血筋を引くお方ともお友達なんですから。」
「じゃあどうするの?マコちゃんどんどん外堀を固めてってるよ。」
「いいよ。あたしには切り札があるから。」
「切り札?」
「そう。いざとなったら妊娠しますから。お腹が大きくなっちゃえばマコちゃんも一緒にやろうとはさすがに言えないでしょ?」
「……」
僕は絶句した。
「そうだ。それだよそれ。」
チャコがそう言って膝を叩いた。「パチン」と軽い音がした。
「えっ?何?」
「妊娠よ。妊娠。妊娠すればすべてがうまく行く。」
「はあ?」
「赤ちゃんができちゃえば『良妻賢母組』も気を使ってくれるでしょ?あたしにハードなメニューを押し付けることもできないだろうし、それでいて『良妻賢母組』から抜けなくても済む。どう?」
「チャコ。」
「ねえ、もっと感動してよ。あたしは今、『自分は天才なんじゃないか』って思ってるところなんだから。」
こっちの少女もコントロール不能になってきた。
「じゃあそういうことで夏休み明け頃には妊娠しますので啓一さんもご協力お願いしますね。まあ啓一さんの協力がなくても妊娠することは不可能ではないけどあたしは啓一さんの協力が欲しいから。じゃああたしはこれから実家にお土産を届けに行ってきますね。後片付けよろしくね~。」
チャコはそう言うと颯爽とリビングから消えていった。