JK妻(シーズン3)   作:山田甲八

5 / 12
五 外遊事件

「ねえ、お兄ちゃん、中国行くの?」

 一学期も終わりに近付いた平日の朝、ダイニングで新聞を読んでいる妻と瓜二つの双子の妹が僕に聞いてきた。

「うん。来週出発だけど一泊二日だからすぐに帰ってくるよ。近いしね。」

「チャコちゃんも?」

「うん。そう言われてるからね。」

「いいなあ、お兄ちゃんと一緒に海外旅行かあ~。うらやましい。」

「そう言うなよ。これは仕事なんだから。」

「仕事って何やるの?」

「そう言われると厳しいなあ。特に何もないんだ。総理には早めに外遊を経験させたいって言われてるだけだから。だからただついていくだけ。ついていくのが仕事なんだ。」

 週が開けるとチャコと僕は内閣総理大臣の中国公式訪問に随行することになっている。国会は閉会し、僕も少しは暇になってきた。二月の総選挙以来、本当に忙しい毎日を過ごしてきた僕は秘書の選任などようやく後回しにしてきた仕事に取り組めるようになってきた。そして夏休みに入れば柏崎に国会議員になって初めての御国入りだ。

「じゃあやっぱり遊びに行くようなもんじゃない。国民の税金でね。」

 マコちゃんはいたずらっぽく笑った。

「ご意見は謙虚に受け止めさせていただきます。」

「おお、さすがは政治家の答弁だね。まあ、気をつけてね。あっちは治安も悪いし、変な病気も流行ってるみたいだから。」

「変な病気?」

「お腹にくる風邪みたい。病原性大腸菌かな?よく分からないけどなんかお腹にくるみたいだから食べ物とか気をつけてね。」

「マコちゃんも一人でお留守番になると思うけど気をつけてね。」

「ほいほ~い。まあそれは大丈夫。ハルナちゃんと友美ちゃんに来てもらって徹夜のドンちゃん騒ぎやる予定ですから。」

「ハルナが来るの?」

「まあいいじゃない。ハルナちゃん、もうここのおうちの鍵も持ってるし、お兄ちゃんの秘書みたいなもんだよ。」

 妹はニッコリ笑った。僕が何か意見したところでこの妹はどのみち制御不能だ。

 

 週が明け、七月二週目の月曜日、チャコと僕は内閣総理大臣以下数百人の訪中団一行のメンバーとして航空自衛隊第七〇一飛行隊の特別輸送機、通称「政府専用機」に乗り込み羽田を出発した。政府専用機は貴賓室や会議室が設けられていたりはするが、僕のような一番下の随行員にとっては普通の飛行機とあまり代わらない。機内サービスのお姉さんが航空自衛隊の制服を着ているくらいのものだ。

 チャコと僕にとってはこれがはじめての海外旅行ということになる。初めての海外旅行でいきなり政府専用機だ。自由が丘女子高等学校の夏服を着たチャコは当然のことながら舞い上がっている。

「なんかあっという間に政府専用機まで来ちゃったね。ねえ、啓一さん、一昨年の夏休みに柏崎であたしが『政府専用機に乗ってみたい』って言ったの覚えてる?」

「ああ、覚えてるよ。」

 それは忘れるはずもない。チャコは僕の後援会の夏のセミナーで出す中華弁当百人前をピンチヒッターで作ってくれたのだ。

「あたしははるか未来の話と思ってたのに高校の制服着ているうちに乗れるなんて夢見たい。」

「はしゃぐのはほどほどにしてね。これはあくまでも公務なんだから。」

「は~い。でも色々と体験はさせていただきますね。帰国したら『良妻賢母組』で帰朝報告会することになってるんだから。なんかホント、人生バラ色って感じ。いつまでもこういう生活が続くといいなあ。」

 そんな話をしていると

「白石先生。」

 そう呼びかける声があったので顔を上げると総理大臣私設第一秘書の永田氏の顔があった。永田氏の秘密の一面はハルナのメイド喫茶時代からのファンクラブ代表だ。

「ああ、永田さん。ご挨拶が遅れましてスミマセン。私ばかりかチャコまでお世話になってしまいますがよろしくお願い致します。」

 僕は頭を下げた。

「いいえ。こちらこそよろしくお願い致します。ところで白石先生、今、少しお時間よろしいでしょうか?お話したいことがあるのですが。」

「はい。なんでしょう?」

 僕がそういうと永田氏はしゃがみ、僕の耳元に小声でささやいた。ヒソヒソ声だが隣のチャコには聞こえる大きさだ。

「実は恵理香お嬢様が夏休み中、柏崎の白石先生のお宅での滞在を希望されているのです。」

「はあ。」

 僕はそう言ってチャコと顔を合わせた。恵理香ちゃんは内閣総理大臣の孫娘であり、孫の代では唯一総理大臣の血筋を引く将来の後継者だ。

「いかがでしょう?ご迷惑であることは重々承知しているのですが。」

「まあ、夏休みですから少しくらい遊びに来てもらっても構いませんけど、でも恵理香ちゃん高校受験を控えてるんじゃないですか?」

「少しじゃないんです。できれば夏休み中ずっと柏崎でお世話になれればと。」

 僕は突然のオファーにビックリした。

「受験勉強はどうするんですか?」

「白石先生のご自宅から地元の予備校に通う予定です。」

「でもなんでまた僕のところなんですか?大事な夏休みでしょうし、親御さんは心配じゃないんですか?」

「大切な夏休みだからこそなのです。恵理香お嬢様はお察しいただけるかと思いますが、色々と悪い遊びを覚えてしまっていて、東京には悪い友達がたくさんいらっしゃいます。東京は誘惑も多いですし。まあ親御さんとしては柏崎に疎開させたいということです。」

「それなら塾とか予備校の夏合宿にでも参加させた方がいいんじゃないですか?」

「そうもいかないのです。恵理香お嬢様は総理大臣のお孫さんでいらっしゃいますからセキュリティー上の問題もあるのです。柏崎の白石先生のところでしたら警備も万全かと思いますので。」

「はあ。」

「それに何より総理も親御さんも白石先生には全幅の信頼を寄せていらっしゃいますし、恵理香お嬢様も白石先生のところなら是非行きたいとおっしゃっていらっしゃるのです。」

 僕はチャコを見た。僕は断れない性格だ。

「いいんじゃない。あたしは構わないけど。」

 チャコがそう言って話は決まった。

「永田さんもいらっしゃるんですか?」

 永田氏の方を振り返り僕が言った。

「ええ。ハルナちゃん八月の十一日から十八日まで柏崎に帰省して白石先生のお手伝いをするそうですからそれに合わせて柏崎に行く予定にしております。」

「そんな話僕は聞いてませんけど。」

 ハルナの帰省は初耳だ。

「三時間くらい前にハルナちゃんの公式ホームページにアップされていました。ですからそのころには私も恵理香お嬢様の様子を見に行くといって柏崎に行くつもりです。そしてできればハルナクラブの集いができればいいなと思っておりますのでよろしくお願い致します。白石先生にはいつもご迷惑をおかけします。」

 永田秘書はそう言ってペコリと頭を下げた。いつものことながら僕の知らないところで僕の因果関係は進行していく。「はあ」と僕が言うと奥で永田秘書を呼ぶ声がし、永田秘書は「それでは失礼します」と言って声のする方に小走りで行った。僕はチャコを見た。

「よかったのかなあ?」

「いいじゃん。恵理香ちゃん悪い子じゃないし、ここで総理にゴマすっとくのもいいと思うよ。」

「結局、なんだかんだ言って永田さんが柏崎に来たいだけなのかなあ。」

「ねえ、話変わるけど啓一さん秘書さんを募集してるよね。」

「うん。今は全部権蔵先生からお借りしてるからね。まあ公設第一の山崎さんは転身してくれたけど公設第二と政策はいずれお返ししないといけないし。先生にも『君が自分の目で選んだ方がいい』って言われてる。」

「なら永田さんに秘書になってもらえばいいじゃん。永田さん秘書になってくれると色々使えるでしょ。」

「使える?」

「うん。本当は総理にお願いすればいいのかもしれないけど雲の上の人だからお願いできないことってあるでしょ?そういうことをお願いできるかなあと。あちこちに顔が利くだろうし。」

 チャコはいたずらっぽく笑った。この少女も双子の妹同様、自分の利害関係を中心にしか考えられない傾向にある。

「でも総理の秘書を二十年近くやってる人だからなあ。総理のダーティーな部分も見てきていると思う。そんな人を他人の僕に譲り渡すとも思えないんだけど。」

「大丈夫だよ。啓一さん、総理に信頼されてるし、総理の弱点も握ってるでしょ。永田さんにしてもハルナちゃんとますますお近づきになれるし。永田さんにとっても願ったりかなったりだよ。」

「そうか、ハルナか。」

「ねえ、啓一さん。ハルナちゃんって今はスーパーアイドルだけど将来的には啓一さんの秘書になったりするのかな?」

「どうだろう。確かにハルナは二十歳の女の子にしては変わった生活をしてるけど、そのうち落ち着いてきて、普通に結婚して母親になっていくと僕は思ってるけどね。」

「なるほど、ハルナちゃんも良妻賢母になるということね。でも二十年先とかはさ。」

「まあ、一応、僕の一番弟子ということになってるし、僕も今より忙しくなってきたらハルナの力を借りることもあるかもしれないね。でもハルナが僕の秘書になるとしたら柏崎担当だろうね。もう僕より地元に精通してるかもしれない。」

 そんな話をしているうちにあっという間に北京国際空港に到着した。やはり中国は近い。

 

 空港から先はチャコと別行動になる。僕は総理に引っ付いて首脳会談に臨み、チャコは福祉施設訪問やら小学校訪問やらのファーストレディー外交へと向かった。

 僕は随行者としては末席のはずだが官僚ではなく政治家なので形式上の序列は上から十番目くらいになってしまう。総理の鞄すら持つことなく、総理の後について首脳会談の席にも顔を出す。首脳会談の席で総理は僕のことを「将来のホープ」と紹介してくれた。首脳会談は日中関係の温度差を反映してかピリピリした雰囲気で進み、そのピリピリ感は会談終了後の書道展鑑賞や新劇場視察でも薄れることはなかった。

 

 一行は午後六時頃、ようやく滞在先のホテルに到着した。一休みしてこの日は午後七時からこのホテルの大宴会場で晩餐会が開催される予定だ。チャコはもう先に到着しているはずで、僕は総理の後についてこのホテルに入り、そのままチャコと僕に割り当てられている部屋に向かおうとした。慣れない仕事でずっと緊張していたせいか少し横になりたいと思っていた。ホテルのロビーを歩いていると一足先にホテル入りしている永田秘書に呼び止められた。

「白石先生!」

「ああ、永田さん。どうもお疲れ様です。」

 そんなあいさつをすると永田氏は隣にいる日本人を僕に紹介した。

「白石先生、こちらは在北京大使館の山中一等書記官です。」

「山中です。よろしくお願いします。」

「白石です。こちらこそお世話になります。」

 そういって二人はお互いに頭を下げた。

「白石先生、お忙しいところ大変恐縮なのですが、中国外務省のチャン書記官が白石先生とお話がしたいとのことです。そこで申し訳ございませんがこのまま最上階のレストランへ行っていただけないでしょうか?」

 山中書記官が僕に言った。

「はあ。最上階のレストランですね?」

 (「外務省の書記官が僕になんの用だろう?」)僕は不思議そうに念を押した。

「はい。行っていただければ分かるようになっています。」

 永田氏と山中書記官がどこかよそよそしいのが気になったが別に断る理由もない。

「分かりました。では。」

 そう言って僕は僕に割り当てられた部屋には寄らず、エレベーターで直接、最上階のレストランに行った。レストランに顔を出し、キョロキョロしていると僕と顔を合わせて手を上げた男性がいたのでその人がチャン書記官であることがそれとなく分かった。僕はその男性の座っているテーブルまで行き、中国語はできないのでなんとなく英語で話しかけた。

「アー ユー ミスター チャン?(あなたはチャンさんですか?)」

「はい。私がチャンです。ご足労いただきありがとうございます。どうぞお座りください。」

 日本担当なのだろう。多少なまりはあるがとてもなめらかな日本語でチャン氏は応じた。僕は書記官の対面に座った。

「白石です。この度はどうもお世話になります。で、どのようなご用件でしょうか。」

 僕がそういうとチャン氏は目の前のテーブルに一枚のメモを置いた。メモは上下、二行に別れて横書きでメッセージが書かれていた。上は中国語で下は日本語だ。日本語では「私のことは心配しないでください」と書いてある。

「この下の字に見覚えはありますか?」

 チャン氏が日本語の方を指でさし、僕に尋ねた。字は下手な漫画字だ。見覚えがあるか?と聞かれれば答えは「イエス」だ。チャコの字に間違いない。

「はい。妻の字だと思いますが。」

「そうですか。」

「上の中国語はなんと書いてあるんですか?」

「はい。『奥様をしばらくお預かりします』と書いてあります。」

 それを聞いて僕はビックリした。

「それってどういうことです?」

「このメモは今夜、白石先生ご夫妻がお泊りになる予定の部屋から発見されました。奥様がホテルのお部屋に入られてから奥様の姿を見かけたものはいません。前後の状況から判断して奥様は誘拐されたと思われます。」

 血の気が引いた。チャン書記官はなおも続ける。

「お気持ちは察しますが動揺しないでください。恐らく犯人はあなたのことをどこかで見ています。あなたが奥様の失踪に気付いたら何か要求をしてくるでしょう。そのためのメモだと思います。しかしあなたは自分の部屋には入らず、直接ここにきました。どうかこのまま奥様の失踪に気付いていない振りをしていてください。その間に警備当局が総力を挙げて奥様を探し出します。」

「こんな開放的なところでそんな話をしていいんですか?」

「開放的なところだから良いのです。私は警備の人間ではありません。犯人が今、あなたを見ていたとしても何か打ち合わせをしている程度にしか思わないでしょう。犯人に心当たりはありませんね?」

「あるはずありません。僕は中国に来るのも初めてなのです。」

「そうですか。では犯人グループはプロのテロリストかもしれません。ご心配だとは思いますが、幸い、奥様がこのホテルから出た形跡はありません。ですから奥様はこのホテルのどこかで監禁されているはずです。きっと従業員の中に仲間がいるのでしょう。」

 「監禁」という言葉に目まいを覚えた。

「僕はどうすればいいんでしょう?」

 僕は力なく尋ねた。

「とにかく、普通に振舞っていてください。今日はこの後、晩餐会だと思いますが、そのままスケジュールをこなしてください。後はとにかく警備当局の力量を信じてください。」

「はい。頑張ってみます。」

「では。白石先生はここから直接、晩餐会場におこしください。」

 チャン氏はそう言って席を立ち、僕の視界から消えていった。

 僕は激しく動揺した。チャコを連れてきてしまったことを後悔した。しかし僕の振る舞いにチャコの命がかかっている。さっき書記官は「普通に振舞っていてください」と言っていた。僕はしばらくコーヒーをすすりながら気持ちを落ち着け、力を振り絞って階下の晩餐会場に移動した。

 

 晩餐会場では僕は比較的上座の方に着座した。隣に座るはずのチャコの席は空いたままだ。それから出席者が次々と現れ、主賓が登場し、晩餐会は始まった。美味しそうなはずの料理も全然美味しそうに見えない。それでも僕はこの会場内にも犯人の仲間がいるといけないと思い、周囲の人と談笑し、できるだけ普通に振舞った。しかしはしは進まなかった。

 晩餐会はそんな僕の気も知らず、何事もないかのように進行していった。晩餐会でも相変わらずピリピリした雰囲気は引きずったままだ。中盤を過ぎ、これから料理長があいさつをするという。僕は背後に人の気配を感じたので振り返ると先ほどのチャン書記官が立っていた。

「ご心配をおかけいたしました。奥様が見つかりました。」

 チャン書記官が小声で言った。

「本当ですか?ありがとうございます。それで無事でしたか?」

「はい。とてもお元気です。もうすぐこの会場にお見えになりますのでそのままお待ちください。」

 チャン氏はそう言って下がった。僕は少し安堵したが本人の顔を見るまでは本当に安心できない。僕は隣の空いた席を見つめ、この席に座るべき人が来るのを待った。

 しばらくすると大宴会場の正面の扉が開き、料理長を先頭に何人かのコックが晩餐会場に入場してきた。後ろの方のコックはワゴンを押している。これからこの会場で何か料理を作るようだ。調理台もあるし鍋も用意されている。それもビックリだったが、料理長のすぐ後ろの背の高くないコックに見覚えがあったのでもっとビックリした。

(「チャコ!」)

 僕は心の中で叫んだ。チャコはいつものようにニコニコしながら入場した。同じ東洋人だけありまるで違和感はない。料理長がマイクを握り何か中国語でしゃべり始めた。通訳が逐一、日本語に通訳する。

「皆さん、本日の料理はいかがでしょうか?私が当ホテルの料理長、チェン・チャンソンです。実は本日の晩餐会を迎えるにあたり、私はとても重い気持ちでした。現在、中国で流行している新種の風邪の影響を当ホテルのコック陣も受けまして、コックの多くが休んでしまい、人手が足りなかったのです。どうしようかと思っていたところ、日本の訪中団ご一行様の中に中華料理のシェフがいらっしゃり、お手伝いをお願いしたところ快く引き受けてくださいました。とても助かりました。私はもう何年もこのホテルで料理長をやっておりますが若い日本のシェフの実力は中々のものでした。ご紹介しましょう。当ホテルの救世主、白石朝子さんです。」

 通訳がそう言い、拍手の中をマイクが背の高い帽子をかぶったチャコに渡った。

「皆さん、始めまして。訪中団随行員の白石朝子と申します。」

 一言ずつ、通訳が中国語に通訳する。

「あたしは、本当は随行員の一人に過ぎないんですけど、今、中国ではお腹に来るひどい風邪が流行っているそうで、ここのホテルのコックさんも何人もダウンされていてとてもお困りだとお聞きしました。それで、実は私も中華料理の料理人なものですからお手伝いできないかと申し上げましたところ料理長さんから『それなら是非お願いします』と言われましてお手伝いさせていただきました。やはりいざというときに頼りになるのは遠くの親戚より近くの友達ですね。本日は色々とお手伝いさせていただき、あたしも勉強になりました。どうぞご賞味ください。」

 チャコがそこまで話し、通訳が中国語に訳すと会場から拍手が沸き起こった。マイクが料理長に戻った。料理長が中国語で何か話し、通訳が「今日の料理なのですが、朝子さんが『餃子』が得意だというので今、皆様の目の前で餃子を振舞いたいと思います」と言い、再び料理長が中国語で何かを話し、通訳が「本物の中日合作でできたてを提供します」と言った。そして再びマイクを渡されたチャコが「『餃子』こそ日中友好の架け橋です。じゃあ始めま~す」と言うと中国語の通訳が同じ意味のことを中国語で言い、チャコはものすごいスピードで餃子を成形し始めた。

 チャコの腕は調理というよりもむしろショーの領域に達している。その職人芸を日中の首脳が見守る。チャコはアシスタントから左手で皮を受け取ると右手に持ったナイフでタネを掬い取り、あっという間に成形してスープを煮ている鍋の中にどんどん落とした。日本では焼き餃子が主流だが本場中国では水餃子が主流だ。茹で上がった餃子を今度は別のコックが柄のついた平たいザルで掬い取り、皿に盛り付け、参加者に配った。

 餃子の成形が一通り終わるとチャコもできたての餃子を配って回った。そのうち、上座の方に座っている僕のところにも来た。

「はい。日中友好の餃子でございま~す。」

 チャコは満面の笑みで僕の前にできたてを置いた。

「チャコ!突然いなくなっちゃったんでビックリしたよ。こんなことしてたんだ。僕はチャコが誘拐されちゃったのかと思ったよ。」

「あれ~。メモを置いといたけど読まなかったの?」

「中国語で『奥さんをお預かりします』って書いてあったし、チャコは『私のことは心配しないでください』って書いてあったからね。悪い方に解釈したよ。出掛けにマコちゃんが『中国は治安が悪い』って言ってたし。」

「そっか~。それはゴメンね。」

「いいえ、いいえ。結果オーライだよ。ありがとう。この晩餐会、とってもいい雰囲気になったと思う。昼食会はピリピリしてたけど、雰囲気が一掃されたよ。やっぱりチャコはすごいね。」

「それはまあ餃子は日中友好の架け橋だからね。ではごゆっくりね。」

 チャコはニッコリそう言うと、また調理場の方に戻っていった。晩餐会は和やかな雰囲気の中で終わった。

 

 その夜、晩餐会が終わってしばらくしてからチャコと僕は総理の部屋に呼ばれた。総理の宿泊するスィートルームに入ると総理からソファを勧められ、チャコと僕は総理の対面に座った。総理の傍には永田秘書が執事のように待機している。

「白石君。ありがとう。いつものことながら君には本当に助けられている。お蔭様で日中の友好ムードを演出することができたよ。」

 総理はご満悦だった。

「僕は何もしていません。お礼ならチャコに言ってください。」

 そう言って僕はチャコと顔を合わせ、二人で微笑んだ。

「そうだな。チャコちゃんに何かお礼がしたいな。何か希望があれば言ってくれ。」

 総理はチャコの方を向いてそう言った。

「ありがとうございます。じゃあお願いしちゃおうかな。主人のことなんですけどいいですか?」

「もちろん構わないが大臣にしてくれといっても無理だぞ。私は九月には退任するんだ。」

「はい。実は永田さんを主人の秘書にしていただきたいのですが。」

 永田氏がハッとした。

「チャコ!」

 僕はチャコをたしなめた。あまりにも不躾だ。総理は永田秘書の方をチラッと見て、少し考えるそぶりを見せた。

「そうか。永田か。でもそれは申し訳ないけど無理だ。永田は色々なことを知っていてね。親戚はおろか同じ派閥ですらない白石君のところで働かせるわけにはいかないんだ。」

 総理が静かに言った。やはり後ろめたいことはあるのだろう。

「でも赤の他人というわけでもないと思いますけど。主人は総理の一番大切な恵理香ちゃんの師匠筋にあたるんですよ。」

 チャコは自信満々の笑顔で言った。少し間があった。

「総理。恵理香ちゃん夏休みは柏崎に来るそうですけどあたし、自由が丘女子の先輩としてみっちり鍛えちゃいますよ。」

 チャコがダメを押す。

「……そうだな。確かに白石君は恵理香の師匠筋で私も敬意を払わなければならない人だった。……分かった。いいよ。永田も優秀な男だ。大切なことは墓場まで持っていってくれるだろう。永田のためにもそれがいいかもしれない。どうだ?」

 総理が後ろを振り返り、控えている永田秘書に言った。

「はい。もちろん白石先生の下で働かせていただけるならばこんなに光栄なことはありません。」

 永田秘書はきっぱりと言った。

「じゃあそうしよう。お前もようやく公設秘書だな。長い間ご苦労だった。」

「総理。本当によろしいんですか?」

 僕が心配になって聞いた。

「ああ。私はもう政治家としては上がりだ。私のところにいるよりこれから総理大臣への階段を上っていく君のところにいる方が彼のためにもなるだろう。君のところにいれば総理大臣秘書官になれるかもしれないし、バッチをつけて赤じゅうたんを踏めるかもしれないしな。」

「ありがとうございます。夏休み中の恵理香ちゃんのことはお任せください。」

 チャコがそう言って頭を深々と下げ、僕も「ありがとうございます」と言って頭を下げた。それから少し雑談をしてスィートルームを出た。出るときに永田氏と目が合った。永田氏は満足そうな笑顔で会釈をし、僕もそれに応えた。

 

 次の日も新型工場の視察など総理の精力的な日程に付き合い、夕食会があってそれから中国を発った。政府専用機は夜の十時頃羽田空港に到着し、クルマで首相官邸に移動した。官邸では訪中団の解散式のようなものが行われ、官邸を出たのは十二時近かった。僕は明日、特に用はないがチャコは学校がある。

「白石先生!」

 チャコと二人で官邸からクルマに乗り込もうとすると後ろからそう呼ぶ声がしたので振り返ると永田氏が立っていた。

「永田さん。どうされました?」

「碑文谷のご自宅まで送らせていただきます。早速、今日から秘書としてお世話になりますのでよろしくお願い致します。」

 永田氏はそう言ってペコリと頭を下げた。

「今日からですか?」

 僕はビックリした。まあ国会は終わっているが。

「はい。総理にも今からでいいと言われました。もちろんしばらくは私設秘書ということで構いませんし、給料も要りません。手弁当で結構です。」

「いいえ。もう今日はもう遅いですし自宅まではクルマで送ってもらいますからいいですよ。」

「まあそうおっしゃらずに。ハルナちゃんにも、秘書就任のご挨拶をさせていただきたいですし。」

「ハルナが家にいるんですか?」

 この有能な秘書はハルナのことなら師匠の僕が知らないことでも知っている。

「ええ。今日、マコちゃんの家でドンちゃん騒ぎをやるとブログに載っていましたので。」

 結局、黒塗りのクルマの後ろにチャコと僕が座り、助手席に永田秘書が座って碑文谷の自宅に帰宅した。

 

 帰宅した頃には日付が変わっていた。家はもう寝静まっていると思いきや、明かりが煌々とついていた。しかし、玄関を開けると女の子の声はせず、静まり返っていた。チャコと僕、永田秘書の三人は明かりのついているリビングのドアを開けた。そして恐ろしい光景を目にした。マコちゃん、ハルナそして友美ちゃんの三人はいるにはいたがマコちゃんと友美ちゃんはソファで、ハルナはカーペットの上で寝ていた。缶ビールの空き缶があちこちに転がっていてテーブルの上には食べかけの料理がそのまま。宴の後という感じだった。ハルナと友美ちゃんからはアルコール臭がただよってくる。冷房がガンガンに効いていてこのままでは寝冷えしそうだ。

「どうしよう?」

 僕がどっちに聞くでもなくポツリと言った。

「とにかくベッドは三つあるから女の子はベッドで寝られるね。あたしはマコちゃんと同じベッドでいいから。」

 チャコがあたりまえのように言った。

「チャコはもう寝ちゃうの?」

「仕方ないでしょ。手伝ってはあげたいけどあした学校なんだから。ちゃんと起こしてね。啓一さん申し訳ないけど後片付けよろしくね。」

「とにかく運ぼう。」

 そう言って僕は永田秘書と二人で三人のアイドルを二階のベッドへと運んだ。チャコは歯を磨き、「じゃあおやすみなさい。お疲れさまでした」と言って二階のマコちゃんの部屋へと消えていった。永田秘書と僕が散らかったリビングに二人残された。

「永田さん。後は私が一人でやりますのでいいですよ。今日はもう遅いですしお帰りください。」

 僕は永田秘書に言った。

「いいえ。そういうわけにはいきません。先生の方こそお休みください。後は私ができる範囲で片付けておきますので。」

「こんなこと永田さんにお願いするなんてできませんよ。」

「いいえ。これも秘書の仕事ですよ。」

 永田氏は平然としている。恐らく彼の二十年以上に渡る秘書人生もこういうことの連続だったのだろう。

「ねえ、永田さん。僕の秘書になるとこういう生活の連続ですよ。特に妻と双子の妹の世話は見かけよりずっと大変です。チャコは永田さんに無理難題を吹っかけるつもりのようですし。それでも構いませんか?僕の秘書になるという話は撤回していただいてもいいのですが。」

「いいえ、撤回するなんてとんでもないです。ハルナちゃんから色々と聞いていましたが私は先生が本当にお優しい方だということがよく分かりました。総理なら後はお前がやれの一言で終わるところです。それなのにそんなにお気遣いをいただきまして。実は私、先生が秘書を募集しているという話は聞いていたのです。でも中々総理に言い出すことができず、どうしたものかと悩んでいたところだったのです。今さら総理を裏切ることもできませんし。今回のことは本当に私の希望通りなのです。ですからこのくらいは平気です。これから長いお付き合いになると思います。どうぞよろしくお願い致します。」

 永田氏は深々と頭を下げた後、顔を上げてニコッとした。本当に嬉しそうだ。

「そうですか。じゃあ、あの少女達の残骸ですけど、二人で訪中の打上げでもやりますか?」

「はい。ご一緒させていただきます。」

 永田秘書は満足そうな笑顔でそう言った。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。