十一月に入り、臨時国会も中盤になると僕はちょっとしたスキャンダルに巻き込まれた。僕が全国少年少女絵画コンクールの審査に手心を加えたのではないかというのだ。チャコの担任の高倉先生のお子ちゃまとの関係はもちろん知られていない。問題は妻のクラスメートが審査員特別賞を受賞したことが偶然にしては出来すぎているということだった。
手心を加えたのは事実なので僕としては認めても良かったのだが、それを認めてしまうとチャコが内閣情報調査室を私的に利用したことなど色々な不都合が明るみに出てしまいよろしくない。結局、僕は党本部の調査にも「知らなかった」で通し、面倒なことは秘書やチャコの祖父の白石権蔵官房長官に任せていた。
そんな十一月のある水曜日の朝、目が覚めた僕がダイニングに行くと既にマコちゃんとハルナは起きていて、マコちゃんはダイニングテーブルに新聞を広げて読んでいた。ハルナはキッチンで朝食を作っている。
「あっお兄ちゃんおはよう。」
僕に気付いた妹がそう言うとキッチンのハルナも手を止め「おはようございます」としおらしくお辞儀をした。
「おはよう。相変わらず早起きだね。何かビッグニュースでもある?」
「まあ相変わらずお兄ちゃんのスキャンダルだね。今日は少し大きめに出てるよ。世の中も暇だね。」
今日、国会では国家基本政策委員会合同審査会、いわゆる党首討論が行われる予定になっている。党首討論で野党第一党は僕の絵画コンクールスキャンダルに割り当ての二十六分間すべてを使うと通告してきているのだ。そんな事情もあって、僕は国家基本政策委員会のメンバーではないが今日は傍聴に来るよう言われている。
「ああ。今日は党首討論があるからね。それで野党は僕のことを攻撃するらしい。」
そう言って僕はダイニングテーブルのマコちゃんの対面に座った。
「で、実際に手心は加えたんでしょ?」
妹は無邪気に確認した。この妹に事実を伝えるとライトスピードで情報が広がることは既に実証済みだ。
「それは色んな人に聞かれたけどホントにたまたまなんだよ。大体、恵子ちゃん、絵の家庭教師もついてるくらいなんだから彼女の実力を認めてあげてもいいのに。なんだかチャコのクラスメートだってだけでいわれのないイチャモンつけられるんだから彼女がかわいそうだよ。」
「そっか。やっぱりたまたまなのか。聡美ちゃんにもそう答えたんでしょ?」
「ああ、聡美さんの取材も受けたからね。マコちゃんも聡美さんの取材受けたんだ。聡美さん何か言ってた?」
「取材というより雑談だよ。お兄ちゃん、恵理香ちゃんのことでも取材受けたことがあったんでしょ?」
「ああ、夏休みに恵理香ちゃんが柏崎の僕のところにいたことでね。」
「そのときも『肝心なところはごまかしてたけど事実関係はあっさり認めたから、これだけ否定してるってことはやっぱり偶然なのかなあ』って言ってた。」
裕ちゃんの元カレの妹の黒田聡美アナウンサーは、アナウンサーの肩書きのはずなのだが、僕と旧知だということでこの問題の取材には引っ張り出されているようだ。
「僕は、嘘はつかないよ。」
「まあ、お兄ちゃん、そんなに器用じゃないしね。」
「それ誉め言葉じゃないんですけど。」
「いいじゃないの。お兄ちゃん誉める人はいっぱいいるんだから。それとハルナちゃん、今日でいったん事務所の寮に引き上げることにするって。」
ちょうどハルナが「失礼します」と言ってコーヒーカップを僕の前に置いた。
「ああ、そうなんだ。まあチャコのつわりも落ち着いてきたしね。仕事、忙しくなってきたんだ。」
「はい。もうチームの卒業が近付いてきましたから。」
ハルナが静かにそう言うとマコちゃんが
「卒業準備で卒業予定者はみんな忙しいよ。あたしも来年の三月には高校卒業だしね。それでいよいよチームのリーダーを引き継ぐことになる。」
「でも事実上、既にマコちゃんがリーダーみたいなもんでしょ。」
「そうかもしれないけど正式にリーダーになると重みが違うよ。チームの人気も落ち着いてきたし、ハルナちゃんが抜けちゃうしね。何か仕掛けないと。」
「マコちゃん随分、しっかりしてきたね。」
「そうだね。いつまでも子どもでいたかったけど。」
「チームの卒業式って何かやるの?野島さんは前、一大イベントになるって言ってたけど。」
「それがまだ分らないの。野島先生、色々考えてるみたいなんだけどまだ教えてもらってない。本当はお兄ちゃんにも来てもらいたいんだけど、無理だよね。三月の下旬になるだろうし。」
「そうだね。通常国会が開会中だし、年度末じゃかなり忙しいだろうね。」
そんな話をするうちにチャコが起きてきて三人で朝ご飯を食べた。チャコはもう学校には行かれるようになったが朝の電車はかわいそうなので、朝はクルマで僕と一緒に登校する。方角が一緒のマコちゃんも同乗するので最近は三人で同じクルマに乗り込むのが朝の風景だ。
八時前に公設第一秘書の永田氏がワンボックスで迎えに来た。永田氏はハルナがメイド喫茶でバイトをしていた頃からの熱烈なハルナファンでハルナの秘密のファンクラブ、「ハルナクラブ」の代表だ。
「ハルナの見送りもこれが最後かな。来てくれてありがとう。お蔭様で随分と助かったよ。」
僕がそう言うとハルナは
「いいえ。私の方こそ、お邪魔させていただきましてありがとうございました。お蔭様で『ハルナクラブ』の集いを東京でもさせていただくことができました。」
それを聞いて僕にはピンと来るものがあったのだがそのときは「野島さんによろしく」とだけ言って三人でワンボックスに乗り込んだ。ワンボックスは目黒区を下り、マコちゃんとチャコをそれぞれ学校の前で降ろしてから永田町に向かった。
「永田さん。ハルナ、今日でいったん、事務所の寮に引き上げるそうです。相変わらず自分の仕事は忙しいでしょうし、チャコのつわりも落ち着いてきましたので。」
僕はハンドルを握る永田氏に話しかけた。
「はい、それは承知しております。さっき、ハルナちゃんのブログに載っていましたので。」
「そうですか。……これは僕の勘なんですけど、ひょっとしてハルナを僕の所に呼んだのは永田さんなんじゃないんですか?」
「はい。東京で『ハルナクラブ』の会合を開きたかったのですが、ハルナちゃん入院してしまうくらい忙しくて、とてもそれどころではなかったものですから。奥様がご懐妊されて、先生の身の回りのお世話をする人が必要だと思いましたのでちょうどいいと。」
「でもどうやって?ハルナの事務所の野島さんとお話されたんですか?」
「ええ。奥様のご懐妊のニュースが流れて、これはチャンスと思いましてすぐにハルナちゃんの所属する野島事務所の野島社長に面会を求めました。『白石啓一先生の秘書だ』と申しまして。それで『先生の奥様がご懐妊されたのですが先生もお忙しいので選挙のときのように鈴木春菜さんをしばらくお貸しいただけないでしょうか』とお願いしたんです。」
「よくOKが出ましたね。」
「社長さん、もちろん最初は渋っておいででした。スケジュールが何ヶ月先までも埋まっているとおっしゃっておられまして。『他の子じゃ駄目ですか?』ともおっしゃられたのですが、『鈴木さんは先生の一番弟子ですし、お互いに慣れていらっしゃいます。それに先生は秘密事項のようなことも扱っておいでですので信頼の置けない人でないと駄目なのです』と申し上げました。それでも渋っておいででしたので、『もし、鈴木さんをお貸しいただけないのならば残念ですが、これまでのような鈴木さんへの曲の提供は難しくなるかと存じます。先生もお忙しいですから』と申し上げ、ようやく首を縦に振ってくださいました。お蔭様でハルナちゃんは先生のところに来て、ハルナちゃんのファンの集いをすることができました。」
僕は永田氏に気付かれないように小さなため息をついた。どうりでハルナの行動が速かったわけだ。この有能な秘書は僕のために色々と動いてくれるが自分の都合が最優先だ。
「永田さん。」
「はい?」
「今日、まあ明日でもいいんですけど、ハルナの事務所の野島社長と会う日程を組んでもらえませんか?ハルナのこと、僕から直接、お礼を言いたいので。」
「承知しました。」
永田氏は主人に忠実な執事のように答えた。
それから議員会館に到着し、午前中は議事堂と議員会館を行ったりきたりしながら慌しくスケジュールをこなした。お昼を挟んで午後はもっぱら議事堂で過ごし、党首討論は予定通り午後二時から開始された。議長が開会を宣言し、トップバッターの野党第一党党首、根本代表を指名して議事が始まった。
根本代表は山口総理とは対照的に紳士的な風貌の持ち主だ。しかし、その風貌とは裏腹に攻撃の手は厳しく、与党議員からは恐れられ、嫌われていた。上背は総理と巨漢の官房長官の中間くらいだろうか。
「本日は総理の懐刀で官房長官の、もう後ろ盾と言ってもよろしいんですかね。白石啓一先生のことで私の持ち時間を全部使いたいと思います。既に総理はお聞きになっていると思いますが、白石先生、いや、官房長官とごちゃごちゃになるといけませんので失礼ながら啓一先生と呼称させていただきましょう。啓一先生が全国少年少女絵画コンクールの審査で重責を担われ、奥様の、奥様がまだ現役の高校生というのも驚きですが、奥様のクラスメートの受賞に手心を加えたということがまことしやかにささやかれておりますがいかがでしょうか?」
根本代表は着席し、総理が「委員長」と言って発言を求めた。議長が「山口総理大臣」と言って総理が立ち上がり、マイクに向かった。
「それについては本人にも確認しましたがまったくの偶然ということでした。なんでしたら本人がこの議場におりますので本人に答弁させても構いません。」
周りからは盛んに野次が飛んだ。今度は根本代表が「委員長」と手を上げ、議長が「根本君」と言って質問に立った。
「ところで総理は啓一先生からどのくらいの資金提供を受けていらっしゃるのですか?一説では億単位だとも言われているのですが。」
代表が座り、今度は総理が立つ。
「それを質問されるなら野党第一党の中にも白石君の資金提供を受けている議員がいるという話も聞きますよ。そっちの方がはるかに問題じゃないですか。政権与党の一議員に野党の議員が飼いならされているのですから。そもそもここは国家基本政策委員会の席ですよ。国家の基本問題について議論しなければならないんじゃないんですか?それなのにそんな絵画コンクールの入賞に手心を加えたとかそんな問題をちまちま議論して。政策で勝負したらどうですか?政策じゃこの山口に勝ち目がないというならさっさと負けを認めたらどうですか?」
総理が毅然とそう言い、与党席からは歓声が沸き起こった。今度は根本代表が立つ。
「国家の基本的な問題だから追及しているのですよ。総理大臣が二十代の青年に懐柔されているかもしれないのですよ。しかもその青年。ものすごい野心の持ち主だと聞くじゃありませんか。代表選のときは斉藤派を引き締めるために、いや、これはやめておきましょう。別に私は啓一先生にうらみがあるわけではありません。ただ私は……。」
そこまで言ったところで根本代表の声が途絶え、次の瞬間にドタドタと大音響が議場に鳴り響いた。僕は何が起きたのか一瞬分らなかったがその後、根本代表の辺りに人だかりができ、「救急車を呼べ~」、「AEDを持って来い!」と言った声が飛び交っていたので根本代表が倒れたのだと察知した。議場はしばらく騒然とし、そのうち救急隊が到着した。担架にのせられたと思われる根本代表は何十人もの人に囲まれながら議場を後にし、委員長が閉会を一方的に宣言して合同審査会は終了した。
結局、野党第一党党首が倒れるという予想外の幕切れで党首討論は中止となり、傍聴席にいた僕は議員会館に引き上げた。
僕が議員会館に戻るとしばらくして永田秘書がやってきた。情報を仕入れてきたようだ。
「根本代表、神楽坂のセントラル病院に入院されましたよ。」
「そうですか。それで様態は?」
「意識不明の重態だそうです。詳しいことは不明ですが、心臓発作というのが多数の意見でした。まあ、野党にも私の知人が多数おりますので探ってみます。」
「よろしくお願いします。……それで、僕もお見舞いに行きたいのですが……どうでしょう?」
「先生がですか?」
「ええ。今回、根本代表が倒れた遠因は僕にあるようですし、僕も何か責任を感じているものですから。」
「それは考えすぎだと思います。それこそたまたまですよ。たまたま先生のことを質問しているときに倒れただけだと思いますけど。それにもし、先生に原因があるとしたら我が党にとって先生は殊勲者です。根本代表のいやらしい攻撃には斉藤前総理も泣かされてきましたからね。先生がこれを退治したとなると山口総理も白石官房長官も喜ばれると思いますが。」
確かに政治の世界はそういう血も涙もない厳しいものなのかもしれない。しかし僕としては気分が悪い。そもそも僕には政治的な野心などないのだ。
「それにしても僕としては気分が悪いです。」
「分りました。でも今日は集中治療室に入っていて面会謝絶だそうですし、先方もとても見舞い客を受け入れる余裕はないと思いますので明日以降ということで調整してみます。」
「よろしくお願いします。」
「先生。今日はお気疲れなさったでしょうからもうお帰りください。根本代表が倒れてしまって今日のスケジュールはほとんどキャンセルになってしまいました。おうちの方はハルナちゃんが帰ってしまって奥様一人で大変でしょうし、後のことは私がやっておきますので。」
そう言えばチャコのことも気になっている。
「はい。では、お言葉に甘えます。よろしくお願い致します。」
僕はそう言って議員会館を後にし、運転手付の黒塗りで午後六時頃、国会開会中にしては少し早めの帰宅をした。
自宅に着き、呼び鈴を鳴らし、玄関を開けるとチャコが「おかえりなさ~い」と元気に出迎えた。玄関に男物の靴が置いてあり、お客さんが来ているようだ。
「ただいま。誰か来てるの?」
「うん。啓一さんにお客さん。随分、お待たせだよ。」
「ハルナは帰ったんだね?」
「うん。」
「マコちゃんは?」
「今日はお仕事みたいだよ。」
チャコはニッコリそう言って、僕の鞄を取り上げた。
リビングに顔を出すとソファに座っていた野島慎一プロデューサーが立ち上がり、「やあ啓ちゃん、じゃなかった白石大先生。お帰りなさいませ。お邪魔致しております」と言って僕に深々と頭を下げた。
「野島さん。どうされたんですか?僕の方からお伺いしようと思っていたのに。」
「いやいや。今日、啓ちゃんの秘書の永田さんという方から連絡をもらって、啓ちゃんが僕に会いたいって言ってるって聞いたんで、大先生にご足労いただくのも申し訳ないんで僕の方から尋ねてきたんだよ。」
「やめてくださいよ、そんな言い方。それよりハルナのことありがとうございました。別にハルナに来ていただかなくても良かったのですが秘書が気を回しすぎまして。色々予定が入っていたと聞きました。申し訳ありませんでした。」
僕は野島氏に頭を下げ、席を勧めて二人は着席した。チャコがお茶を入れて入ってきてテーブルの二人の前に置き、お盆を持ったまま、僕の隣に座った。
「いや、僕の方こそ永田さんには感謝だよ。もう少しでハルナへの曲提供がストップになるところだって聞いたからね。」
「はあ?」
さすがは永田氏だ。目的達成のためには手段を選ばない。それにしても野島氏としてはハルナの私的なファンクラブの集まりのためにほぼ二ヶ月間、ハルナのスケジュールを再調整しなければならなかったわけで少し可哀想な気もした。
「まあ、そうなんだろう。啓ちゃんも忙しくなったからね。」
「いや、僕はそれほどでもありませんよ。所詮は一年生議員なんですから。」
「でも官房長官になった裕ちゃんの親父は自分の後ろ盾は白石啓一君だって言ってはばからないそうじゃないか。普通逆だけどなあ。」
「あれも大袈裟ですよ。」
「でもあの親父にそれだけのことを言わせるのはそれだけでもすごいよ。あのでかい親父とは一度だけ会ったことがあるんだけどそのとき僕はあの親父にお茶の入った湯のみを投げつけられてね。三十万円もしたスーツをお釈迦にしたんだ。だから今、あの親父がへりくだっているところをみてなんだか気分がいいよ。それだけでも啓ちゃんには感謝したいくらいだ。」
「そんなことがあったんですか。」
「まあ裕ちゃんとあの親父は音楽のことでは対立関係にあったからね。で、引き続きハルナへの曲提供はお願いできるんだろうね?」
「ええ、ペースは落ちるかもしれませんが頑張ります。」
永田氏が、僕が断れない状況を作り出している以上、止むを得ない。
「ありがとう。それからついでと言ってはなんなんだけど、マコちゃんとハルナもいないところで啓ちゃん、それとチャコちゃんにも一つお願いがあるんだけどいいかなあ?」
「なんでしょう。」
「ハルナの卒業式のことなんだけど。」
「ああ、チームを卒業するんですね?」
「うん。ようやくプロジェクトが具体的になってきたんだけど、来年の三月十二日、スタジオLの公開生放送二時間スペシャルをやることが決まったんだ。それで番組の中でハルナの卒業式をやるんだ。そしてリーダーのエンブレムをハルナからマコちゃんに引き継ごうと思うんだ。」
「はい。」
「それでここからがお願いなんだけど当日、君たち夫婦にサプライズゲストとして来てもらいたいんだ。」
「サプライズゲストですか?」
「そう。本人達には内緒にしておく。ただでさえエンブレムの引継ぎは感動的なシーンだ。その後に二人をプロデュースした啓ちゃんが花束を持って現れるわけだ。そして花束を渡して二人をねぎらう。二人とも啓ちゃんのことは大好きだし、本当に恩人だと思ってるから二人は感極まるってわけだ。そんな中で『卒業』の前奏が流れてきてチャコちゃんも一緒に、啓ちゃんにも入ってもらっていいんだけど、みんなで『卒業』を歌って感動のフィナーレとなるわけだ。どうだろう?」
「僕は構いませんが、如何せん、通常国会中で年度末が近付いてますからね。お約束できるかどうか。」
僕がそう言うとチャコが「でも、夜でしょ?仕事が入るとしても断れるんじゃない?断れそうもなかったらあたしがおじいちゃんに頼んでなんとかしてもらうよ。おじいちゃんももう、啓一さんのやることには文句はつけないと思うけど」と言った。
「でもなあ。」
「そういう企画があるならあたしからも啓一さんにはぜひお願いしたいな。ハルナちゃんも今までとっても頑張ってきたんだからさ。最後は啓一さんに直接、卒業を祝福してほしいな。」
チャコにそう言われて僕もその気になってきた。マコちゃんやハルナにも世話になっている部分がある。
「分りました。なんとかスケジュールは調整しましょう。」
「ありがとう、啓ちゃん。じゃなかった、白石大先生。」
そう言って野島プロデューサーは笑い、しばらく雑談をして帰っていった。
次の日、僕はあちこちでマスコミ各社のインタビューを受けた。色々な人が色々なことを尋ねていったが、総じて僕が政権与党最大の宿敵を撃破したといった調子だった。
相変わらず国会での仕事は忙しく、僕は議事堂と議員会館と党本部を行ったり来たりして日中を過ごした。午後七時頃、永田秘書が「今ならお見舞いに行っても大丈夫かもしれません」と言ったので花束を持って永田氏の運転するワンボックスで病院に向かった。
病院に到着すると、僕は永田氏をロビーに残し、一人で病室に行った。病室の前には秘書と思われる人物のほか、見覚えのある国会議員が数人、たむろしていて、ドアには「面会謝絶」の赤札がかかっている。たむろしている数人は僕に気付くと一斉に身体を僕の方に向けた。
「白石啓一です。お疲れ様です。お見舞いさせていただきたいのですが。」
僕が秘書と思われる人物に話しかけるとその人物は「せっかくですが面会謝絶です。お引取りください」と静かに言った。僕に対して悪意はないようだ。
「分りました。では失礼します。これお見舞いです。」
僕はそう言って持ってきた花束を秘書に手渡そうとした。しかし秘書が受け取ろうとしなかったので後ろの議員に目をやり、白鳥晋司議員と目が合ったので強引に白鳥議員に手渡し、「失礼しました」と言って頭を下げ、病室の前を後にした。
病院の廊下を少し歩いていると前方から六十歳くらいのご婦人が歩いてくるのが見えた。ご婦人は「白石先生!」と僕に声をかけたので、僕は立ち止まった。
「白石先生。お見舞いにいらしてくださったんですね。根本の家内です。」
「あっ、奥様でいらっしゃいましたか。お邪魔しています。この度は突然のこと、お見舞い申し上げます。」
僕はそう言って頭を下げた。
「白石先生も大変なようですね。」
「何か僕のせいで根本先生がこんなことになってしまったようで。」
「いいえ、そんなことはありません。本当のことを申し上げますと、根本には心臓に持病があったんです。いつどうなってもおかしくない状況で、お医者様からは政界引退を進言されていたんです。」
「そうだったんですか。」
「根本は白石先生のことを本当に高く買っていました。『あいつは絶対に総理大臣になる。だから俺が鍛えるんだ』って言っていました。今回のことも先生の将来を見据えてのことだったんです。だから悪く思わないでくださいね。」
「悪く思うなんてとんでもありません。本当に何もしてさしあげられなくて申し訳なく思っています。それで、お加減の方はいかがですか?」
「後、三日くらいだそうです。日本には根本の病気を治せるお医者様はいないそうです。」
「そうですか……。」
「でもいいんです。あの人、議場で倒れてそのまま旅立っていくんです。政治に命を懸けてきた根本らしい生き方だったと思います。ゴメンなさい。お忙しいのにお引止めしてしまって。失礼します。」
夫人は一礼すると病室の方へ歩いていった。僕は後姿を見送った。
それから僕は党本部に行き、党の幹部に状況を説明し、今後の党としての対応を協議してから永田秘書の運転するワンボックスで家路に着いた。何かとても気が重かった。僕としては根本代表を救いたい気持ちだ。でも僕は党内では政敵を倒したヒーローなのだ。
家には午後十時頃着いたがまだチャコは起きていてリビングでテレビを見ていた。僕は「ただいま~」といってへたれこむようにチャコの隣に座った。
「お帰りなさい。だいぶお疲れのようだね。」
「疲れたね。マスコミは僕が政敵を倒したみたいに言ってるよ。」
「そうみたいだね。敵じゃないのにね。」
「えっ?」
「だってそうでしょ。啓一さんの悪いところを指摘してくれる大切な人だよ。啓一さん最近天狗になってるし。」
「天狗?僕が?」
「啓一さんにはその気はないかもしれないけど、啓一さん、資金力は豊富だし、国民の人気は高いし、みんな啓一さんには気を使い始めてるでしょ。おじいちゃんも。」
「そうかもしれないね。」
「だから根本さんみたいな人が啓一さんには必要だと思うよ。これから啓一さん、総理大臣への階段を上っていくんだから。」
「根本さんの奥さんにもそんなことを言われたよ。確かにチャコの言う通りかもしれない。僕はそんな柄じゃないのに。」
「で、どうなの。根本さんは?」
「新聞に載ってる通りだよ。後三日くらいだそうだ。」
「そう。なんとかならないのかなあ。」
「日本に治せる医者はいないそうだ。こればっかりは仕方ないよ。寿命なんだから。」
「そっか。でも残念だね。日本にも黒田アナのお兄さんみたいな人がいれば良かったのにね。」
チャコがそう言った。僕は目を閉じた。頭の中がカチャカチャと音を立てる。
「今なんて言った?」
僕はやや低い声で聞き返した。チャコがビックリする。
「ええっ。その~、日本にも黒田アナのお兄さんみたいな人がいれば良かったのにって言ったんだけど。」
僕はニヤリとした。
「……その手があったか。マコちゃんは?」
「とっくのとうに寝てますよ。」
それを聞いて僕はリビングを出て階段を駆け上がった。チャコも後からついてくる。そしてマコちゃんの部屋に入り、ベッドの上で眠っているマコちゃんを叩き起こした。
「マコちゃん!ゴメン、起きてくれるかな。急用なんだ。」
「……お兄ちゃん。そんな…、急に来られても困る。心の準備ができてないよ……」
「えっ?違う。聡美さんだ。聡美さんと緊急に話がしたいんだ。連絡とってもらえるかな?」
「ああ、聡美ちゃんか。そうだよね。やっぱり元カノの方がいいもんね。でも聡美ちゃんもう寝てると思うよ。朝の番組のレギュラーなんだから。」
そう言うとマコちゃんはベッドの脇にある携帯を手に取り、電話をかけた。しばらく間があり、先方が出たようだ。
「あっ聡美ちゃん?マコちゃんです。ゴメンね。こんな夜中に。……もう寝てたよね?……なんかお兄ちゃんが急に聡美ちゃんの声が聞きたくなっちゃったんだって。」
そう言ってマコちゃんは携帯を僕に渡し、そのまま再び深い眠りについた。
「もしもし。ゴメンねこんな遅くに。」
「どうしたの?急に。」
「根本代表の話は知ってるよね?」
「うん。」
「お兄さん、黒田博士に連絡を取って欲しいんだ。」
「お兄ちゃん?」
「博士なら治せるかもしれない。」
「ええっ、そんなの無理だよ。」
「聡美さん、夏に党本部で僕に取材したとき言ったよね。できることはなんでもするって。」
「ねえ石水君。正気なの?政敵でしょ?」
「敵じゃないよ。僕の間違いを指摘してくれる大切な人だ。」
僕がそう言うと二階に上がってきたチャコと目があった。チャコはニッコリ笑ってうなづいた。
「……分った。いいよ。でも期待しないでね。お兄ちゃん、日本には二度と来ないって言ってるんだから。」
「それは分ってる。でもよろしくね。」
「はい。じゃあまた連絡します。お休みなさい。」
「お休みなさい。」
そう言って電話は切れた。
「うまく行くといいね。」
チャコがそう言って微笑んだ。