*
「――ありぁーした~」
店員の雑な挨拶を背に、コンビニを出た。
片手に下げたエコバックには、多くのお菓子と飲み物類。
そこそこ長い時間お手洗いを占領しちゃっていたので、その料金代わりのつもりだった。
ちょっぴり買い過ぎた気もしなくはないけど、ま、いいでしょう。
だって今日一日ワタシはずっと歩いて走って動き続けていたのだ。少しくらいお菓子パーティしてもカロリー的には許容範囲内だと思うし――もしかしたら、これがお礼になるかもしれなかったから。
「……わ、きれー」
空を見上げれば、色鮮やかな夕焼けが広がっていた。
普段は何気なくスルーしている景色なのに、こうしてしみじみ眺めてみると心揺らされるものがあるから不思議である。
同じ色したイヤリングに指を添わせつつ、のんびりと夕焼け道を楽しんだ。
「ふん……ふふん、ふ~ん……♪」
のたのたと、ふらふらと。
まだ疲労の色濃く残る脚を引きずるのは結構辛かったけど、苦では無かった。
気分的には鼻歌を口ずさむ余裕すらあり……そうして歩いている内にとある路地に差し掛かる。
……つい十数分ほど前、必死になって走った道。
ワタシはその前で立ち止まり、少し待機。変な物音も、誰かの怒声も聞こえてこない事を確認し、やっと一歩を踏み出した。
「…………」
時間帯のせいか、それとも元々の事なのか。
道に人気はまるで無く、妙に静まり返っていた。
鼻歌も自然と止めていて、ワタシのヒールの音だけが嫌に大きく響き、やがて止まる。
道の途中、左右に広がるブロック塀の一部分。
そこに、ひとつ奇妙な光景が作られていた。
「……こうなるんだ」
――塀の中ほどあたりのブロックの隙間から、少量の布片がはみ出ていた。
服の裾にも見えるそれはどうしてか赤黒く濡れそぼり、先っぽからぽたりぽたりと雫が落ちる。
塀の根元には同じ色の小さな水溜まりが広がって、ぷんとした臭気を辺りに漂わせていた。
はてさて、これは一体何じゃろな。なんて空惚けつつ、その赤黒い布片へと近付いた。
よくよくじ~っと見てみると、微かに上下に揺れている。
「こぼしてますよー」
布片近くの塀を指先でつついてみる。
すると固い塀の表面にシワが波打ち、布片がちょっとずつ塀の中へと吸い込まれていく。
その光景はまるで、外に飛び出てしまった食べ物を取り込まんとする口のよう。耳をすませば、塀の内側から咀嚼音も聞こえた気がした。
「……爽やかな味とか、したりする?」
なんとなく問いかけてみたけど、返事は無い。
口みたいではあるけど、お喋りしてはくれないようだ。
ワタシは軽く息を吐き、向かいの壁に背中預けて、その口の食事風景を――トンネルくんが爽やか先輩をもぐもぐしている様を、見守った。
*
――爽やか先輩に追いかけられ、目の前に口腔と化したトンネルくんが現れた、あの最後の時。
結果として、ワタシはトンネルに入らない事を選んでいた。
まぁ当たり前だ。幾ら頭のおかしくなった男の人に追い詰められていたとしても、自分から得体のしれない口の中に入って行く訳が無い。
ワタシはすぐにトンネルをスルーして、落ちてたものを蹴り飛ばしながらただ逃げた。
必死に走って、何度も角を曲がって、捕まらないまま道を抜け。
そして目に付いたコンビニに飛び込み、雑な「らっしゃぁせ~」を背に受けながらお手洗いに籠城。そのまましばらく息を潜めた。
……けれど、どれだけ待っても爽やか先輩が追い付いて来る事は無く。
やったぁ、と。ワタシは安堵と薄い笑みをもって、お手洗いの鍵を開けたのである。
「……おクスリって、怖いよねえ」
じわじわと短くなっていく布片――血に塗れた爽やか先輩の衣服の裾を眺めながら、周囲に聞かせるように敢えて呟く。
あの裾が本当に先輩のものという証拠はないけど、十中八九彼のものだろう。
でなければ、ワタシはこの道を走っている最中に捕まっている。追いつかず、今になってもどこにも気配が無いという事は、つまりはそういう事である。
きっと、ここでトンネルを視た時、ワタシが今度もそこに入ったって『勘違い』しちゃったんだろう。
入ったらどうなるかなんて、これ以上なくあからさまな有様だったのに。
これまでと違ってトンネルが開いたままだったんだから、ワタシが入ってない事なんてすぐ分かった筈なのに
その判断すら出来なくて、ワタシを追いかけるつもりでトンネルに入ってしまって――結局、こんな風になっちゃった。あーあ。
「……あ、ごちそうさま?」
と、なんやかんやと考える内、残っていた布片が完全に塀の中へと消えていった。完食。
……ワタシはそろそろとそこに近寄り、先ほど買ったお菓子を幾つか、塀に残った赤黒い染みの前で振ってみる。
「あのお、よかったらこれも食べる? 一応、ありがと代なんだけどぉ……」
反応は無かった。
再びトンネルが開く気配は無く、染みがつつつと垂れるだけ。ただの塀に戻っている。
それならばとあちこちに視線を振ってトンネルくんを探してみるけど、見つからない。
朝からずーっとワタシについて来てたのに、いきなり影も形も無くなってしまった。
とはいえ、それはそれで困る事なんて無いのだが――その時、不意に囁きが耳を擽った。
……トンネルくんかと思ったけど、違った。いつもの見知った誰かの気配。
同時に近づいて来る足音が聞こえ、ワタシはイヤリングから指を離して振り向いた。
「――もう居ねェよ。あのトンネル」
そこに居たのは、鋭い目つきをした女性が一人。
根元あたりだけ黒に戻った金髪に、両耳にこれでもかと開けられたメタルピアス。
男物を適当に着崩した服装も中々にイカツく、分かりやすーくガラが悪い。
――
以前のキャンプでご一緒した、ワタシのお友達の保護者役をやってた人だった。
……まぁ、特に驚きはしなかった。
「えっとぉ……お久しぶりです? 偶然ですねぇ、こんなところで――」
「そういうのいいよ。……薄々、何かしら察してンでしょ、トキのも」
一応にこやかに挨拶すれば、冷たく叩き落とされる。
そして思わず口を噤んだワタシに鼻を鳴らして、じろりと件の塀を見やった。
「……口いっぱいに頬張れて、一応満足はしたんだろうね。暫く開かないよ、あいつ」
「……なんで分かるんですかぁ、そんなの」
「年季」
二山さんはよく分からない事をぶっきらぼうに吐き捨てると、それきりワタシを無視して塀にずかずか歩み寄る。
そして根元に広がる水溜まり――血だまりの前で立ち止まり、その中に沈む小さな何かをつまみ上げた。
「……、」それは血でねとねとに汚れた車のキー。
爽やか先輩がワタシの鞄に仕込んでいた、GPSキーホルダーのついたもの――。
「やったろ、オマエ」
じろり。
二山さんから注がれた冷たい視線に、ワタシはこてんと首を傾げた。
「んー……?」
「この鍵、わざとあのトンネルもどきの真ン前に置いたんだろ? 道標として、さも『ワタシこのトンネル通りましたよ』みたいにさ」
「えー……?」
ちょーっと、意味が分かんないかもー。
……そんな体で振る舞ってはみたものの、二山さんの視線の冷たさは変わらない。
どうやら完全に確信されてしまっているらしく、ワタシは内心舌を出す。
「うーん……確かに、そのキーをこの道に捨てたのはワタシですよぉ? でも逃げるのに必死だったんで、どこにやったかなんてよく覚えてないですねぇ」
「……それで通すつもり?」
「まぁ、蹴っ飛ばすくらいはやっちゃったかもですけどお……そんなの、ねぇ?」
何せ、頭が変になってしまった男の人に襲われるかどうかの瀬戸際だったので。
何を蹴っ飛ばしたのか、それがどこに飛んでいったのか。普通、そんな事を気にかけていられる状況じゃないワケで。
そう、だから知らない。分かんない――。
「……はぁぁぁ……」
にっこりと笑うワタシに、これ以上は水掛け論にしかならないと悟ったのだろう。
二山さんはただただ苦い顔して溜息を吐き、終わりにキーを放り捨て、
「――何が、許せなかった?」
「……………………、」
……無視するか、適当に合わせとくか、ちょっと迷った。
でも知らんぷりで流してしまうのも、何か引っ掛かりが残ってしまう気がして。
「……カンケーないお話、なんですけどぉ」
ワタシは白々しく前置いて、懐の小瓶に手をやりぼんやりと夕陽を見上げた。
「ワタシねぇ、とっても仲良しだったお友達が居るんですよ。中学からずーっと一緒で、大学も一緒の大親友」
「…………」
「けど……つい半年くらい前に、亡くなりまして。ワタシの居ない所で、悪い先輩に色々されちゃったみたいで――それで、電車に飛び込んじゃった」
ちらりと二山さんの様子を窺うけど、その表情に変化はない。
……やっぱり、そこらへんも既に知っていたみたい。
「ワタシ、そこは呑み込めちゃったんですよ。夢見がちな子だったから、そうなっちゃうかーって思っちゃってた。でも……」
そこで視線を移し、塀の下を見る。
すると血だまりの縁にさっきのキーが転がっていて……なんとなく、水場の傍で揃えられた靴の構図を想起した。
「……そこの、爽やかだった先輩。変なおクスリやってたっぽいですねえ」
「……あン?」
「さっき言った悪い先輩達とも関わりあって、おクスリのやり取りもしてて……あの子がされた色々の中にも、あったんじゃないかなあ……」
それで言わんとする事が伝わったのだろう。
怪訝そうだった二山さんの表情に理解が浮かび、不快げな舌打ちが鳴った。
「先輩、今日一日ずーっと見苦しかったですよねぇ。妄想全開で、取り乱してて……そっちも見てたでしょ、どこかから」
「…………」
「……ああいう風に、なっちゃってたのかな。頭の中ぐちゃぐちゃになって、訳分かんなくなって……もしかしたら、あの子もほんとは飛び込む気なんて――」
「終了」
全てを言葉にする前に、二山さんが手を叩いた。
そして転がっていたキーを雑に血だまりの中へ蹴り戻し、またワタシに目を向ける。
その冷たい瞳には、今はどこか違った色が見え隠れしているようにも感じられて。
「……トキのさァ、もう手放しなよ、そいつ」
「……え」
突然、その目がワタシの胸元に向けられる。
……いや、正確にはその中に収まる小瓶だ。咄嗟に隠すように両手で抑え、身を捩る。
「な……何が、ですかぁ? ちょっとよく、分かんない……」
「その屍肉、今の話の子だよね」
「…………」
その声音は二山さんにしては柔らかく……ワタシは促されるように、懐から小瓶を取り出した。
――それに入っているのは、乾いて黒ずんだ人間の肉片。
大好きなあの子の耳だったもので、今のワタシにとって何より大切な宝物。
「死んだ人間の一部をお守りにする事自体は、別に悪い事でもない。遺髪だの遺骨だのを持ち歩いてるやつだって、それなりに居る」
「だ、だったら……」
「……よりにもよって死んだ場所からくすねた屍肉で、よりにもよってオマエがずっと持ち続けてる。お守りどころか、曰く付きとして揺り戻されるに決まってンでしょ」
「……?」
最後の方の意味が分からず首を傾げるも、二山さんは無視して再び例の塀に目を向ける。
赤黒い筋を垂らす、あのトンネルくんのあった場所。
「あのトンネルもどきも、たぶんオマエ一人だったら追われてない。そいつが居るから、目ェ付けられたの」
「は……?」
「左耳、何か聞こえてんだろ」
「っ」ハッとしてイヤリングを抑えれば、また囁き声が耳を擽る。
その示す気配を追った先、見慣れた冷たい瞳が細くなり。
「気配か物音か、そういうのだよね。あたしらの監視だって、そいつ拾った日を境に段々気付かれるようになったし」
(……やっぱり……)
……目の前の二山さんや、街ですれ違う知らない人。そして、昼間の自転車のおじいさんも。
前々から、同じような気配を持った者がワタシの日常風景に紛れ込んでいる事には気付いていた。
キャンプの時、同じ気配を持つ『タマちゃんの保護者の二山さん』と出会った事で色々うっすら察し、仕方ないかとスルーしていたのだが……こう改めて明言されるとゾッとするものがある。
じりじりと後退るように距離を取るけど、二山さんは気にした風も無く鼻を鳴らすだけで。
「……視えたら気付かれるように、気配を感じた事も悟られるんだ。近づいて、オマエが視えないヤツだと分かれば離れてくのも多いけど……あのトンネルもどきみたいな、最初から誰にでも視えるようなのはそうじゃない。そのまま絡まれて、それで……」
ちゃぷ、と。
爽やか先輩の血だまりが、風も無いのに小さく揺れて。
「――
……その一言は、いやに大きくこの場に響いた。
「――いいですよお」
だから、間髪入れずのその一言も、いやに大きく響いていた。
「……、…………あ?」
「……この子、かまってちゃんなんですよねぇ」
呆気に取られている二山さんをよそに、そっと小瓶に目を落とす。
小さなガラスの中であの子が揺れて、とろりとほぐれて広がった。
「ワタシの隣に居た時は、ねーねー、ねーねーっていつもべったりくっついて、頭をぐりぐりしてきたり。ワタシが別の事してると、遠くでわちゃわちゃ踊ったり……」
「…………」
「死んじゃってからも、あんまり変わってないみたいで。イヤリング拾えないからって、線路の中でしゃがんでたり……耳元で、ずーっとひそひそ囁いて……」
苦笑しながらイヤリングに触れれば、また囁きがこしょこしょと。
相変わらず、何を言っているか分からなかったけれど――それでも良かった。
「……どうせ、先のスケジュールもまっさらになっちゃってますからねぇ。なら、ちょうどいいじゃないですか」
「その末にいつか死ぬっつってンだけど」
「だから、いいですよお、って」
もとより、あの子がしたい事なら殺されたって構わないと思っていたのだ。
あの子と一緒に居る事の先に死が待っているのだとしても、背を向ける気にはならなかった。
それに……なんとなくだけど、分かっている。
きっと、向こうも同じ事を思ってる。
生者のワタシと、死者のあの子。違う立場で、同じ気持ち――。
「『――いっしょに居られるなら、死んだって良いよねぇ』」
そしてそれが、今のワタシと今のあの子の時間だというのなら。
出来るだけ頑張って、末永~~~~~~~~~~く付き合ってあげたいものだった。
「…………あっ、そ」
それを聞いた二山さんは、酷く疲れた顔で溜息ひとつ。
くるりとワタシに背を向け、さっさと道の先へと歩いていってしまう。
「え……あの?」
そのあっさり加減に逆に動揺し、思わず声を掛けてしまった。
……ワタシとしては、二山さん達の集団にはなんとなく対オカルトの警察みたいなイメージを持っていた。
なので以前のビル会や、さっきの爽やか先輩の件を踏まえ、捕まえられたり無理矢理この子を没収されたり、そんな風になる事も警戒していたのだが……。
「割れ鍋と綴じ蓋でもう勝手にやってなよ。……オマエといいアレといい、ほんッと……」
しかし二山さんはそのような動きはもとより、注意すらもせず。
何事かぶちぶちと愚痴を落としながら、不機嫌に舌打ちを繰り返すだけ。
(……あんまり、そういうノリじゃないのかなぁ、この人達)
何もされなくて正直ホッとはしたものの、同時に妙なモヤモヤ感。
ワタシは半眼で遠ざかってゆく彼女の背中を見送って――その視線を察したようにふと立ち止まり、ダルそうに首だけこちらへ傾けた。ビクッとした。
「あー……別にオマエがいつ死のうがどうでも良いンだけどさァ。六日に死ぬのだけはよしといてくんない」
「……な、何で?」
「……アレの誕生日」
アレ?
ぱちくりと瞬くワタシだったが、二山さんはそれ以上続ける事無く、なんだかそそくさ立ち去った。
……ぽつんと残され、イヤリングに触れても囁きは無い。
茜色の道に、ワタシの影だけが伸びてゆく。
(……アレって、タマちゃんの事かなぁ)
少しずつ藍滲む夕焼け空を眺め、ぼんやり思う。
思い返せば、前のキャンプの時もタマちゃんの事アレって呼んでた気がするし、たぶんそう。
話した時には色々言ってたクセに、なんだかんだちゃんと気にかけてあげているらしい。意外、でもないか? わかんないや。
「……お誕生日のお祝い、どうしよっか」
懐に入れた小瓶をそっと撫で、呟く。
とりあえず、スカスカのスケジュールにチェックをひとつ。
プレゼント何が良いかなとつらつら考えながら、ワタシも二山さんとは逆の方向に歩き出し……通りがかり、爽やか先輩の血だまりが目に入る。
「…………ふん、ふ~ん……♪」
まぁ、特に、思うものも無く。
ワタシはそのまま通り過ぎ、鼻歌混じりに鞄を揺らした。
黒髪女:この後お菓子パーティをした。プレゼントは初心者用メイクセットか藍色のアクセサリーかで迷っているようだ。トキミのトキは刻と書くみたい。
あの子:もう居なかったのに揺り戻されている。屍肉も彼女である事に変わりないようだ。
爽やか先輩:ビル会とは別に、市内の中東コミュニティから妙な薬物のやり取りをしていた。しかし売人二人と急に連絡がつかなくなり、だいぶ焦っていた様子。爽やかな味はしない。
アゴ男:ビル会の騒動の生き残りとして当初は疑いの眼で見られていたが、その能天気さでそう時間もかからず疑いは晴れたようだ。でもその能天気さ故に大体の人から適当にあしらわれるので善し悪しである。
『親』:自身も大勢の人間を見捨ててきた自覚はあるので、行き過ぎなければセーフ判定のようだ。現在娘のお誕生日をどうするかでいっぱいっぱい。
・二山:黒髪女と知り合いなので接触担当に選ばれた。黒髪女は性格も喋り方も気に食わないが、多少の情はあるので主人公の誕生日を教えてやった。
・自転車のおじいさん:善良な人格で、咄嗟に助けに入ったようだ。後でお礼の言伝が届けられた。