異女子   作:変わり身

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遅まきながら明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


「家」の話(中④)

 

 

 

――私の身体が、『■■■ こと』の形になりつつある。

 

それを自覚した途端、突然全身が鉛を吸ったかのように重たくなった。

 

 

「ん、なっ……!?」

 

 

ガクン、と膝が折れる。

咄嗟に踏ん張り堪えたけれど、その脚にも大した力が籠められず、体幹さえも安定しない。

 

一体どうして――なんて考えるまでも無い。

身体自体がほとんど別物になっているんだから、いつもみたいに動ける訳が無いのだ。

 

山猿とまで呼ばれた馬鹿力や瞬発力も、全部なし。

文字通り本当の意味での無力感に、これまで感じた事の無い色の不安と絶望が頭の中を埋め尽した。

 

 

「く、くそっ! くそぉっ……!!」

 

 

もはや意味の無い罵倒しか口に出来ない中、ひとまず壁に縋って身体を支え、必死に深呼吸を繰り返す。

 

身体の内側も変化しているのか、肺の取り込む空気の量がずっと少ない気がしてまた動転しかけ、歯を食いしばってひたすら耐えた。

 

 

(……なに、が。何が、起きて……)

 

 

ぐちゃぐちゃの頭で考えるけど、すぐに思考が散って纏まらない。

けれど何もしないままでいれば、どんどんと私にとってマズい方向へ進んで行くのは明らかだ。ほとんど無理矢理に思考を回し、ひとまず改めて自分の状態を確認する。

 

 

「ぅ、ぐ……ほんとに、私のじゃ、ない……」

 

 

肉のたるみ、骨の節くれ、筋の張り。

見るだけじゃなく触れて確かめてみたけれど、やっぱり身体の容姿が変わっているのに間違いはないようだった。

 

『■■■ こと』、その形。

肌は真っ白のままなのに形だけがそうなっているというのがまた気持ち悪く、肉体の変化という異常をより鮮やかに実感させられてしまう。

 

この分では、さっき思ったように内臓も――その先を深く考えるのが本当にキツくて、咄嗟に壁に額をぶつけて掻き消した。

 

 

「っぎ、ぅぅぅぅ……!!」

 

 

当然、本棚の時に作ったコブを強かに打ち据え悶絶する羽目になったものの、その激痛で多少なりとも吐き気は紛れた。

 

そうしてぐったりしながら顔を上げれば、鏡に映る青白い顔と目が合った。

それは形の変わってしまった首から下と違って、私のままの目鼻立ちだったけど……その上に散る見慣れないそばかすを、震える指で撫でつける。

 

 

(これ、ほっといたら、の、脳みそまで……)

 

 

頭部の殆どは私のままとはいえ、こうしてそばかすが現れている以上、変化は確実に及んでいる。

 

それが脳みそにまで至ってしまえばどうなるか。そんなの考えるまでも無くて、考えたくも無かった。

 

 

「っ……早く、早く……!」

 

 

今はとにかく行動するしかない。

おぼつかない足をどうにか動かし、何か無いかと洗面所の中を探る。

 

もっとも、洗面台の他にはタオルを入れる棚くらいしか無い狭い部屋だ。

壁と床を調べてる時に大体見てしまっているし、天井を調べようにも今の身体の状態じゃそれも難しい。棚の上にも上手く登れず、やっとこさ登れても長くバランスを保てなくて、天井をどうこうするどころの話では無かったのだ。

 

隣のお風呂場も似たようなもの。結局新しい発見は無く。這う這うの体でリビングまで戻り、ぜぇはぁ言いつつ膝を突いた。

 

 

「くっそぉ……鈍すぎんだろこの身体……!」

 

 

別人の身体をあてられた事で何かしらの拒否反応でも起きているのか、それとも普通の女の子の身体能力が元々こんなもんなのか。

とにかく動き難いったらなくて、無茶もあまり通せそうになかった。

 

 

(……天井、今はやめとくしかないか。下手に落っこちたらたぶん普通にダメになるわ、このぷにぷに)

 

 

本ばっか読んでねーで運動しろやおなか回りだいぶやわっこいぞ『■■■ こと』……!

 

なんてブチブチ言っても仕方なく、隠し扉探しは後回し。

せめて動いてる内に身体の重たさがマシになる事を期待しつつ、リビングの中を見回した。

 

直接の脱出には繋がらないと思い、各部屋のタンスや棚などはまだあまり調べてはいなかった。

何か現状の打開に繋がるような手掛かりがないか、手近なものから順に片っ端から開けてゆく。

 

……指先だけはほとんどいつも通りに動いたけれど、それも『■■■こと』の器用さだと考えるとおなかの底が冷たくなる。ただただ無心で物を漁った。

 

 

(本棚、食器棚……こっちのは保険の書類に……何かの権利書、借用書。薬箱に、でっかいCD……レコードってヤツ? で、ここは文房具類と――、っ)

 

 

その途中、とあるタンスの引き出しに、また作りかけの『■■■ こと』のポスターを見つけた。

 

先ほど見たものとは別のタイプで、一回りくらい小さいサイズのポスターだ。

これには『■■■ こと』の写真が張り付けられていたけど、内容自体は大体同じものだった。

 

引き出しの奥には、また違う作りのポスターが何十枚とあり、それらを貼り出した場所を書き留めたメモも細かに残されている。

もっとも、『〇〇さん家の東』とか『△△スーパーの小道』みたいな書き方ばかりで、どこの地域までかは分からなかったけど……その数は十や二十では済んでおらず、捜索への必死さが伝わった。

 

 

「……親が、作ったんかな」

 

 

……思いを巡らせると胸が痛んだものの、こっちだって変に同情してらんない。

イヤな気分を振り払うように引き出しを閉め、また次の引き出しへ手を伸ばす。

 

そうしてその後も開けられる所は粗方開けたが、目を引くものは見つからなかった。

 

どこもかしこも色褪せた日常の残り香が漂うばかりで、色々と覚悟して開けた冷蔵庫の中もからっぽで拍子抜け。

身体も重たいままでまだ天井を調べられる状態になく、現状リビングはここで一区切りとするしかないようだった。

 

 

(残りは玄関、子供部屋、寝室……前ふたつはまぁまぁ見た、か……?)

 

 

ならばと、寝室のドアに目を向ける。

 

玄関はその狭さ故に壁と床を調べた際に大体見たし、子供部屋も壁床に加え天井と本棚ひとつを調べている。

それらに比べれば寝室はあまり手を付けられていない。優先して調べるならばここだろう。

 

私はもう体力の限界を訴えて来ている身体に舌打ちしつつ、よろよろと寝室へ足を運んだ。

 

 

「つっても、そんなにだな……」

 

 

おそらく夫婦二人が寝る部屋だけあってそこそこに広かったが、家具自体は少なかった。

 

仏壇、クローゼット、三面鏡の化粧台と、たぶんレコードのプレイヤー台。目に付いたのはその程度で、調べても特におかしなものは出て来なかった。

 

強いて言えば、クローゼットに衣服が少なかったのが気になったくらいだろうか。

コートやシャツはほとんどが女物で、夫婦で使っていたにしては夫の影が若干薄めな気がした。まぁ、だから何だって話だが。

 

 

(あとは襖の中……うーん、布団しかない)

 

 

そして最後に押し入れのふすまを開けてみたけれど、畳まれた布団が重なっているだけ。

どれも黄ばんでうっすら埃が積もっており、長らく敷かれていない事が窺えた――と、

 

 

(あ、そういや、この奥の壁は調べてなかった)

 

 

ふと隠し扉の探し忘れを思い出し、押し入れの中をスマホのライトで照らし出す。

 

所々の壁紙が剥がれ、木の素肌が顕わになった薄い壁。半分以上は布団で隠れているけど、今の私じゃ全部取り出すのも骨が折れる。

なので押し入れの中に文字通り押し入り、中から探る。踏んだ布団から舞い上がる埃に咳き込みながら、布団を押し除け壁を確かめ――幾度目か足の踏み場を変えたその時、足の裏に小さな異物感が伝わった。

 

 

(……なんだ? 何か埋まってる?)

 

 

踏んだ感触的に、どうも重ねられた布団の下の方に何か固い物があるようだった。

 

なんだろ。その時点でもう隠し扉は無さそうだとは察していたので、壁叩きはそこで切り上げ、押し入れの外から布団の重なりに手を突っ込んだ。

そしてヘタった綿の重たさに苦労しながら引っ張り出せば、金属製のクッキー缶がひとつ。『親』が季節の贈りものでよく貰ってくるような、いわゆるお菓子のカンカンである。

 

 

「んー……?」

 

 

正方形で平べったく、軽く振れば紙が擦れ合うような音がする。

 

中身が何かは分からないが、わざわざこんな所に隠すくらいなんだから、何かしら大切なものではある筈だ。

私は多少の期待を膨らませつつ、錆でざらつくその蓋をどうにかこうにかこじ開けた。

 

 

「……新聞?」

 

 

まず目に入ったのは、古い新聞の切り抜きだった。

 

『女子中学生、行方不明』――そんな見出しから始まるそれは、当然『■■■ こと』の失踪事件に関する記事だ。

さっきポスターで見たものと同程度の情報が載っており、加えて両親や友達の短いインタビューも纏められている。

 

どんな小さな情報も見逃さないよう、片っ端から集めていたのだろう。

その他にも、複数の新聞や週刊誌の切り抜きが多く収められていて……日付が経つごとに記事は小さく、数も少なくなっていった。

 

そしてついには、情報提供の求めが数行並ぶだけの扱いにまで縮小。以降の日付は無く、その付箋程度の紙片が最後の切り抜きとなっていた。

 

 

「…………」

 

 

次に出て来たのは、『調査報告』と手書きの付箋が張られた書類の束だった。

一枚目の隅に水端探偵事務所とあり、どこかの探偵に個人的な依頼をかけていたらしい。

 

始めの方は甲だの乙だの頻発するお堅い契約書面だったけど、ペラペラ捲る内に具体的な調査内容に行き当たり、ざっとだけ目を通した。

 

 

(……九月六日当日の行動。友人たち数名と集まり、一度……、……? なんて読むんだ、これ――あ、そうか、これが『ムツさん』か)

 

 

途中、読み方の分からない人名に眉を顰めたが、すぐに『■■■ こと』の日記にあった『ツの分からないムツさん』の事だとピンと来た。

 

この記録ではその子の家に集まった後みんなで外出し、それきり『■■■ こと』だけが行方不明になったそうだ。

彼女の友人達もどうしてそうなったのか分からないようで、いじめがあった様子もない。他に発見された新事実も無く、手がかりはそこで完全に途絶えていた。

 

……最後。『申し訳ありません』と締めくくられた書類の上に、バラバラに千切られた探偵事務所の名刺がバラ撒かれている。

 

 

「……、」

 

 

他にも複数の事務所に依頼をかけていたようだが、結果はどれも芳しくはなかった。

幾つも、幾つも、似た書類と破れた名刺が続いていて――やがてそれらの中に、占術鑑定書とか透視結果などといった、嫌な感じの字面が紛れ込むようになっていた。

 

 

「……あぁ……」

 

 

……でも、どれだけ探しても、縋っても、『本物』には逢えなかったんだろう。

『■■■ こと』は、ずっとずっと見つからないまま。ただ、スピリチュアル系の書類の比率が増えてゆく。

 

そして遂には、捲る紙束全てが胡乱な語彙で埋め尽くされるようになり――。

 

 

「――……」

 

 

缶の底。

最後に捲った紙の下に、一枚の封筒と指輪がひとつ入っていた。

 

封筒には何か新興宗教と思われる団体名が記され、中を覗けば手紙とお札が一枚ずつ。

取り出して見てみれば手紙は多大な寄付への感謝状で、お札にはそれっぽいお経みたいなのがびっしりと。

 

 

そして指輪の方には、リビングの写真立てにあった母親らしき人の名前が掘られていた。

……結婚指輪。ここまで来れば、流石に分かる。

 

――ここにしまわれていたものは、ひとつの家庭が壊れていく様だった。

 

一人娘が蒸発し、両親は手を尽くして探したけれど見つからず、霊感商法に縋りつくしかなくなって……片割れの見当たらない結婚指輪が、その結末。

あの写真の中にあった幸せは、全て崩れてバラバラになってしまった――。

 

 

「……、……」

 

 

……さっきのお札を、ひっくり返す。

すると空白の隅に、震える小さな字が一言書き残されていた。

 

――『かえして』。

 

それを見た時、私はどうしようもなくやり切れない気持ちになって、

 

 

「――ぅ、ぐっ!?」

 

 

その時、頭がガクンと後ろに引っ張られた。

 

いや、違う。後頭部がいきなり重たくなったのだ。

慌てて頭に手をやれば、編まれた毛束のような物が指に触れる。顔の前にまで回せる程に長いそれは、どう見ても三つ編みにされた黒髪で――次の瞬間、強い眩暈に襲われる。

 

これまでにも何度か経験して来たものだが、それらの比じゃない。

私は思考すら儘ならないまま、バランスを崩して膝を突き………………、

 

 

「……あ」

 

 

目が向いた三面鏡。

さっき調べたきり開きっぱなしだったそれに映った私の姿に、呆けた声が漏れた。

 

――首から上、まだ私自身の形を保っていた部分が、ほとんど『■■■ こと』の形になっていた。

 

 

「――――」

 

 

輪郭は膨らみ、鼻や口は大きくなって、髪の毛も真っ黒な三つ編みに変わり、肌の色も濃くなっている。

 

私の形を残しているのは、もう右眼と周辺皮膚の僅かな部分だけしか無い。

反対側の左眼は瞳が黒く染まり、視力も大幅に落ちていた。左右で揃わない視界が、平衡感覚をよりおかしくしているようだった。

 

 

「ぅぐ……うぁぁ……!」

 

 

呻く声は低く、そして少しだけ掠れていた。

それが『■■■ こと』の肉声なのだとぼやけた頭で理解しながら、私は歯を食いしばって身を起こす。

 

 

(……私だ。私は、まだ、私だ……!)

 

 

そうと考えられるのであれば、まだ変化は脳みそまでには行っていない。自分に何度もそう言い聞かせ、よろめく足でリビングへ向かう。

 

だが、もう一刻の猶予も無い。

早く脱出しなければ、帰らなければ。全て失う、奪われる。

何をどうすれば良いのかなんて分からないけど、それでもどうにかしなきゃ、私は。

 

 

「はぁーっ……はぁーっ……!」

 

 

全ての感覚が狂った身体を引きずり、なんとかドアに手をかける。

そして半ば倒れ込むようにしてリビングに転がり込んで――そこで、私は完全に動けなくなった。

 

 

「………ぁ………?」

 

 

……中央のテーブルに、一組の男女が腰掛けていた。

 

優しそうな顔つきの男性。

おっとりとした雰囲気の女性。

どちらも柔らかな笑顔を浮かべ、無言のままこちらをじっと見つめている。

 

……私は、その顔に覚えがあった。

それはまさにテーブルの上、さっき私が適当に置いた写真立ての中にある顔。その表情。

 

――『■■■ こと』の両親が、そこに居た。

 

 

「……な、んで」

 

 

震える『■■■ こと』の声にも、そいつらは何も反応しなかった。

まるで人形みたいにニコニコしてるだけで、身動ぎの一つすらしない。

 

あまりにも意味不明で不気味な姿に、私はふらりと足を引こうとして……でも、出来なかった。

それどころか、私の意思とは逆に前へ一歩を踏み出していて、

 

 

「『――おかあさん、おとうさん……』」

 

 

私のものじゃない口が勝手に動き、そう呼びかけた。

そして一歩、また一歩と、私はぎこちない動きでテーブルに近付いてゆく。

 

 

(や、やめろ……! 動くな……とまれ、止まれよぉ……!!)

 

 

その頃にはもう、全身の自由が効かなくなっていた。

どれだけ抵抗しようとしても意味は無く、指先を跳ねさせるくらいが精々だ。

 

唯一、右眼だけはキョロキョロ自由に動かせたけど……それで一体何が出来るって言うんだ。

焦り、取り乱す内心とは裏腹に、身体はテーブルの傍に立ち――残ったたった一つの椅子を、そっと引く。

 

 

(――ダメだ、これ)

 

 

察した。

今、この家族揃ったテーブルについた瞬間、私は幸せになるのだろう。

 

ああ、そうだ、そうなるんだ。

異常な家に生まれた私が、かつて憧れた普通の家の子供になる。

 

私は、異は、正真正銘の『こと』として在る事が出来るようになって、この家は失われた刻を取り戻す――。

 

 

「『――ただいま』」

 

 

『■■■ こと』がそう言って、テーブルに手をついた。

そうして、笑う両親の笑顔を注がれながら、椅子の上にゆっくりと腰を下ろし、て、

 

 

「――――」

 

 

……その、手。

テーブルの上に置かれた私の手が、スマホを握り締めている。

 

私の抵抗の残滓だろう。跳ね回った指が当たった末にか、メッセージアプリが開かれたその画面には、短い一文が表示されていた。

 

私の気付かない内、きっとこの家に閉じ込められる寸前に届いていた、新着のメッセージ。

辛うじて自由に動く右眼が、掠めるようにそれを捉え――瞬間、私は自由の効かない身体に逆らい、テーブルに思いっきり頭を叩きつけていた。

 

 

「ぎ、ぃッ――!!」

 

 

たぶん、相当な無茶をした。

無理に折り曲げた首筋と背骨から異音が響き、額に激痛が走る。意識だって簡単に飛びそうになって、意地でどうにか繋ぎ止めた。

 

……でも、『■■■ こと』には耐えられなかったみたいだった。

あまりにもあっさりと身体の自由が戻り、そのまま倒れかけた所をテーブルに縋って踏ん張った。蹴倒した椅子が転がり、けたたましい音が狭い室内に反響する。

 

 

「――……かえってきて、ほしかったんだろ……」

 

 

そうして朦朧とする意識の中、自然と口をついていた。

 

 

「あの子を……この家の、『こと』を……かえしてほしくて、また、逢いたくて……」

 

 

それが誰に対してのものか、自分でもよく分からない。

そこに居る母親か、それとも父親か、或いはこの家そのものか。定まらないまま、ただ紡ぐ。

 

 

「だから……私だったんだろ。同じ、『こと』で。同じ、誕生日で……同い年で……家に帰るのも、家族の事も嫌がってたから……だったら――うちの子に、しちゃおうって……」

 

 

言いながら頭を持ち上げるけど、両親は変わらずニコニコしたまま私を見つめ続けている。

……その笑顔が、私には酷く哀しいものに見えてならなくて。

 

 

「……ごめん、なぁ」

 

 

気付けばそう呟いていた。

 

 

「ちがうんだよぉ……本気じゃ、なかった。……もう帰りたくないなんて、そんなの、ホントな訳ないじゃんかぁ……」

 

 

何かを取り繕う気にもなれず、丸裸の心だけが流れてゆく。

 

……きっと、この家で見てしまったからだろう。

愛されていた子供の姿を。その捜索に手を尽くした末、ダメになってしまった両親の様を。そして――。

 

「……っ」スマホの画面を見る。

そこに映るのは変わらず、『親』からの短いメッセージ。

 

 

――『帰ったら、ちゃんと伝えたいと思っている』。

 

 

「…………帰りたいよぉ」

 

 

小刻みに揺れる情けない声。……私の、言葉。

 

 

「ここじゃ、無いんだ。私は『■■■ こと』じゃなくて……御魂雲の、異で……この家の、あんたらの子でもないし……なれも、しない……」

 

「…………」

 

「ごめん、ごめんな。でも、頼むよ……かえ、帰りたいんだよぉ、私――」

 

 

脳裏に浮かぶのは、嫌いな筈の無表情。

しかし今この時に限っては、その顔に右の視界がじわりと滲み、そして、

 

 

「――かえして……っ」

 

 

――………………。

 

……かつてこの家で願われ、叶わなかったその言葉。

それを口にした途端、テーブルにつく『■■■ こと』の両親が僅かに俯いた気がした。

 

顔はずっと笑顔のままだから、勘違いかもしれない。

けれどどうしてか、私は彼らを深く傷つけてしまったように思えた。

 

 

――………………おかえり、なさい。

 

 

嘆くように家が軋み、視界が真っ暗に染まる。

そして急激に遠ざかる意識の中、どこか遠くで鍵の回る音が鳴った――ような気がした。

 

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