異女子   作:変わり身

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「ランチセット」の話

 

御魂橋市は魚釣りの身近な街である。

 

そこかしこに川が流れているからだろう。幼少期から川遊びの一環という事で川釣りに触れ、そのまま趣味としている人が結構居るのだ。

また歴史・文化的な根付きも深いとの事で、小中学校では地元文化の勉強と称し川釣りの体験授業を行っているところも少なくない。

この街に住んでいれば、たぶん誰もが何かしらの形で一度は釣りに触れるのではなかろうか。……言い過ぎ?

 

ともあれ、かくいう私も川釣りにはそこそこ親しんでいる方だ。

 

趣味と言うほどの熱意やウデは無いが、ふとした時に「やるかー」みたいな気分になる。

暇な時には釣り堀にも行くし、適当に山歩きをしている際にイイ感じの川を見かけたら、マイ釣り竿を持ちのんびり糸を垂らす事もままあった。

 

――んで、その日の私もそんな感じ。

暇な日に田舎エリア近くの森中を歩いていたら雰囲気の良い川辺を見かけたので、なんとなく釣りの気分になっていた訳である。

 

 

 

 

「ほっ」

 

 

とぷん。

十月に入り少しは冷たくなった川の水面に、小さな飛沫がひとつ跳ねる。

 

私が投げ入れた釣り針の波紋だ。

後は適当に竿を揺らして流れる針の位置を整え、腰を据えて魚がかかるのをのんびりと待つだけだ。

 

完全な我流、単なるお遊びでのやり方だったが、魚を捕る事が目的でもないのでこれでよし。気楽に足元の岩に座り込み、流れゆく浮きをぼんやり眺める。

 

 

(にしても、割と居んなー、人)

 

 

そうして景色を眺めていると、ぽつぽつと人影が目に付いた。

 

私はただの気まぐれで来ただけだからよく知らんけど、有名な釣りスポットか何かだったりするのだろうか。各々が川岸や川の流れの中に立ち、それぞれの釣り竿を傾けていた。

かなり広めの川だからみんな遠く離れており、特に話しかけたりとかも無いのだが……なんとなくチラチラ警戒されているような感じもする。

 

まぁ、さもありなん。

森の中に佇む真っ白美少女の絵面って、神秘的とか思う前になんかちょっと怖いやつチックなアレもあるもんな。私も夕方お寺の前通りがかったら悲鳴上げられた事あるからニュアンスは分かるよ。誰が山の怪異じゃ。

 

ともあれ静かな分には良い事かと特に気にせず、一人川辺の空気を堪能する。

 

 

(あー、秋だなー……)

 

 

さわさわと頬を撫でる風は心地よく、少し前までの暑さなんてまるで残っていなかった。

 

ここが森中の、それも川辺という殊更に涼しい場所だからと言えばそれまでだけど、街中でも少なくとも汗をかく事は無くなった。

本格的に夏から秋へと移り変わった事が文字通り肌で分かり、何とも感慨深いような気分に――と。

 

 

「おっと、来た来た」

 

 

その時、手元の竿がピクリと揺れた。何かしらエサに喰いついたらしい。

 

本当ならここから魚との攻防が始まるのだろうが、私の膂力なら一瞬でカタがつく。

拮抗すらなくあっさりと竿が上がり、釣れた魚が空を舞う。手早く糸を手繰り寄せれば、どこか愛嬌のある膨れ面が掌に乗った。

確か……ハゼってヤツの仲間だっけ。以前行った水族館で見た気がするけど、細かい種類は覚えてなかった。

 

 

「んー、天ぷらとか美味しそうだな、おまえ」

 

 

お昼は天丼にでもしよっかな。

などなど思いを馳せつつ、ハゼ(仮)から針を外して川にリリース。新しくエサを付け直し、また竿を振った。

 

私は基本的に釣った魚は返す派である。シンプルに釣りをしている時間自体が好きなので、釣果そのものには大してこだわりが無いのだ。

強いて言えば、釣れた魚の種類でご飯のおなかを決めるくらいか。今は天ぷらのおなか!

 

 

(……他の人も釣れてんな。やっぱ穴場スポットかなんかかね)

 

 

あちらこちらで水飛沫が上がり、そこに時折歓声が混じる。

見回すと、他の釣り人も結構な釣果を上げているのが見て取れた。

 

特に目立つのは、川の上流に陣取ったガチ釣り装備のグラサンおじさんだ。

私が一匹釣り上げるまでの間に何度も竿を上げており、クーラーボックスの中に魚の山を作っている。しかしその割に特に喜んだ風も無く、黙々と釣りを続けていた。

 

 

(プロの人とかかな。カッコよ)

 

 

そうしている内にもまた一匹魚を釣り上げ、クーラーボックスの中に落としてゆく。

私は自分の竿もそこそこに、ぼけーっとグラサンおじさんの雄姿を眺め、

 

 

「うおぉっ!? ちょ、すごっ……!」

 

「?」

 

 

突然、下流から焦ったような声が聞こえた。

 

そっちを見れば、若い男の釣り人が必死に竿を引いていた。

相当な大物が引っ掛かっているようで、折れんばかりに竿がしなり、水面からもバシャバシャと激しい飛沫が上がっている。

男の方もへっぴり腰で仲間も居らず、釣り上げられそうな雰囲気ではなかった。

 

 

(うーん、ありゃ逃がしちゃうなぁ……)

 

 

助太刀しに行くか一瞬迷ったけれど、流石に横槍が過ぎるか。

なんとも言えないもどかしさを感じつつも、私は大物が逃げていく様をそっと見守るに留めておいた。のだが。

 

 

「――よっしゃああああああ!!」

 

 

数分後。そこにはとてつもなく大きな魚を釣り上げ、雄たけびを上げる男の姿があった。うそーん。

 

あれだけ無理そうな展開だったのに、よくもまぁ持ち直したもんだ。

思わずパチパチと拍手を送ってやれば、他の釣り人も同じ気持ちだったのか複数の拍手が続く。

それに男も気をよくしたのか、釣った巨大魚を照れ臭そうに周囲へ掲げた。

 

 

(いやでっけー……川魚ってあんなのも居るんか)

 

 

それは男の身長の半分ほどもあるような、やけに艶々とした青魚だった。

 

鱗は薄く、身は肉厚。遠目からでも脂が乗っているのがよく分かる程に丸々太った、まるで食べられるために育ったような巨大魚だ。

少なくとも水族館で見た事は無く、パッと見どういう種なのかは分からなかった。

 

というか、よくあんなのがこんな浅い川泳げてたな……ヌシとかか?

どういう訳かピクリともせず男にされるがままの巨大魚を、改めてまじまじと眺め、

 

 

――うぅん……。

 

 

「……?」

 

 

どこかで、誰かが低く唸った気がした。

 

ほんの一瞬の事で聞こえた方向も分からず、続くような声も無い。

……グラサンおじさんの声が上から流れて来たのかな。ちらと見やれば、おじさんは皆と同じく巨大魚の方をじっと見つめていて――その時、下流で大きな水音が鳴る。

 

振り向けば、さっきの若い男の釣り人が巨大魚を川へリリースしたところだった。

 

 

「え……」

 

「あはは……えーと、じゃ、失礼……?」

 

 

そしていそいそと荷物を纏めたかと思えば、さっさと帰って行ってしまった。

かなりの大物を釣り上げたにしてはあまりにも淡白な引き際に、他の釣り人共々ぽかんとしてしまう。

 

 

(……入れられるモン、無かったんかな)

 

 

あれ程の巨大魚だ。入り切るクーラーボックスもあんまり無いだろうし、そうなるとあっさりとリリースするのも分かる気がするけど……それにしたってもうちょっと何か、なぁ?

 

 

「……ま、いっか」

 

 

ちょっともったいないとは思ったものの、所詮は見知らぬ他人事。

すぐに気持ちを切り替え、自分の竿に意識を戻した。

 

でもまぁ、人生で一回くらいはああいう大物釣ってみたくはあるよなぁ。

つらつらとそんな事など考えつつ、のんびりと竿を前後に揺らし――それからそう間を置かずに、また激しい水音がした。

 

 

「あぁっ!? き、来た……!」

 

 

今度はサンバイザー付きの帽子を被った、背の高いおばさんだ。

さっきの若い男の釣り人同様握る竿が大きくしなり、水面に飛沫が上がっている。

 

そしてこちらも趣味釣り人であるらしく、ロクな装備を持っていない。

たぶんその内に力負けして取り逃してしまう……ようにしか、見えなかったのだが。

 

 

「――や、やったぁっ!」

 

「おー」

 

 

しかしそのような下馬評を覆し、釣り上げ成功。

見事な大物を岸に揚げ、さっきと同じように周囲から拍手が送られた。

 

おばさんが釣ったその魚は、やけに艶々とした青魚だった。

鱗は薄く、身は肉厚。遠目からでも脂が乗っているのがよく分かる程に丸々太って……あれ?

 

 

(……さっきの魚、だよな)

 

 

そう、それはどう見ても、先程の若い男の釣り人が釣ったものと同じ巨大魚だった。

 

一瞬同じ種類の別個体かとも思ったけど、あんなデカいのがそう何匹も居るとは思えないし、何より大きさ、色艶、形の全てが記憶のそれと一致している。たぶん同じ個体と見て間違いない筈だ。

 

 

(せっかく逃がされたのに戻って来たのか? バカだね~……)

 

 

あの魚も私には言われたくないだろうが(は? んだコラ蹴っ飛ばすぞ)、なんともマヌケな行動に呆れ笑いが零れ落ち、

 

 

――んんん……。

 

 

「!」

 

 

また唸り声が聞こえた。

 

男とも女ともつかない、何かを迷っているような声。

今度は気のせいなんかじゃない。キョロキョロと周囲を見回したものの、しかし誰の声だったのかはやはり分からず――そうする内に、また水音。

 

さっきの若い男の釣り人をなぞるように、あのおばさんも巨大魚を川に返していた。

 

 

「……あのぅ……ええと、さようなら……?」

 

 

そしてそのまま小さく会釈をすると、竿を畳んで素早く立ち去って行ってしまった。

 

おばさんの荷物には、クーラーボックス自体が無かった。

若い男の釣り人と同じく釣っても保存する事が出来ないんだから、リリースする事自体は別におかしい事では無い。けども。

 

 

「……………………」

 

 

……やけに、静かだった。

 

誰も何も言わず、じっと糸を垂らすだけ。

川のせせらぎと風に揺れる葉っぱの音に、ただただ耳をそばだてる。

 

森のどこかで小鳥が鳴いた。

透き通った水面の下を魚の影が幾らかよぎり、しかし私の針にはかかる事無くすり抜けて。

 

 

「――おおっ!?」

 

 

水音。

下流に陣取っていた痩せぎすのお爺さんの竿が、引いていた。

 

激しい水飛沫に、折れそうな程にしなる竿。

既に二度ほど見た光景で、このままでは逃がしてしまいそうという印象も変わらない。でも……。

 

 

「…………」

 

 

きっと、他の釣り人達も同じ事を思っていた。

みんな揃って竿を下げ、お爺さんの奮闘を静かに見守り――やがて、水面から巨大な影が飛び出した。

 

――それは、やけに艶々として、丸々と太った青魚だった

 

 

「お……おーっ、おーっ!」

 

 

興奮したお爺さんが歓声を上げ、嬉しそうに巨大魚を抱きかかえる。

 

……間違いない、同じ魚だ。

若い男の釣り人と、背の高いおばさん。二人が釣り上げたものと全く同じ個体だった。

 

あり得ない、とまでは言わない。

確率だの生態だの細かい話は分かんないけど、無い話じゃないってのくらいは私にだって分かってる。

 

けれどどうしても背筋が粟立ち、無意識に送っていた拍手も拍子が外れて……。

 

 

――あぁ……うぅん……。

 

 

「…………」

 

 

……唸り声。

 

すると痩せぎすのお爺さんはぴたりと落ち着きを取り戻し、スッとその場にしゃがみ込む。

その足元には折り畳み式の大きな魚籠のようなものがあり、件の巨大魚も収められそうだったけど……それをスルーし、川へと返した。

前の二人と、同じように。

 

 

「へへへ……では、失礼して……」

 

 

そしてぎこちない愛想笑いを最後に、魚籠を抱えて立ち去った。

 

草と砂利を踏む足音がしばらく続き、その内消える。

後には、さらさらとした川の音色だけが残り――誰からともなく、下げていた竿を上げた。

 

 

「……………………」

 

 

なんか変だ。どこかがおかしい。

そんなのこの場の全員が分かっている。分かっているのに、竿を下げない。離れられない。

 

――なにか、異様な空気に支配されている。

 

 

「――あーっと……さ、さよなら……?」

 

「――……では、これで……」

 

 

そして一人、また一人と。

同じ巨大魚を釣り上げては、川に返して去ってゆく。

 

その際には必ず例の悩ましげな唸り声があったが、意味を結ぶ事は無かった。

ただしっくり来ないというような吐息を落とし、その度に竿の数が減る。

 

元々そんなに大勢居たという訳でもない。一時間もしない内、気付けば残っているのは私と……上流のグラサンおじさんだけになっていた。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

会話は無い。

互いに目線すら合わせないまま、じっと動かず竿の先を睨み続ける。

 

別に勝負をしている訳でも無いのに、妙な緊張感すら漂っているようだった。

おなかの底が冷たくざらつき、頭の奥で鼓動が小さく響いている。滲んだ手汗でグリップが滑り、服の裾で軽く拭って握り直した。

 

 

「――っ!?」

 

 

その瞬間、竿が大きく揺れた。

 

すっぽ抜けそうになったところを慌てて掴み、そのまま力の限り竿を引く。

間違いなく件の巨大魚だ。私の膂力でも中々に手応えがあり、これまでこれを釣った釣り人達に思わず感心してしまう。

 

とはいえ、私なのである。

竿はしなれど身体はぶれず、普通の魚同様に力づくで巨大魚を釣り上げた。

 

 

「よっ、と……うおおでっか」

 

 

遠目からでもデカいデカいとは思っていたが、こうして目の前で見ると殊更にデカい。

何故かピクリとも動かないから落ち着いて持っていられるが、もしビチビチ暴れられたら私の身長じゃ抱え込めもしないだろう、と。

 

 

「…………」

 

「……あ、ども」

 

 

パチパチ。たった一人分にまで減った拍手が虚しく響く。

言うまでも無くグラサンおじさんからのものだ。

 

 

「…………」

 

 

釣りの最中は決して合わなかった視線が噛み合い、サングラスに白が差し込む。

その表情はむっつりとしたしかめっ面で、先に巨大魚を釣られて怒ってるのかとちょっとビビったけど、雰囲気的にそういう感じではなさそうだ。

 

かと言って、どんな感情なのかはサングラスに遮られて分からない。

……あとは唸り声さえ落ちれば、魚リリースして帰れるんだけどな。どことなく気まずい沈黙の中、早くそれが聞こえてくる事を願って、

 

 

――おぉ。

 

 

「……え」

 

 

しかし、聞こえて来たのはこれまでの迷うような唸り声ではなかった。

 

むしろどことなく嬉しそうな、どちらかと言えば感嘆のような。

思わず呆気に取られていると、視界の隅でグラサンおじさんが小さく顔を歪めたのが見えた。

 

……なんだよ。巨大魚を手にしたまま眉を顰めていると――ふと、周囲の様子が変わっている事に気が付いた。

 

 

「ん……?」

 

 

目に見える何かが変わった訳じゃない。

ただ、穏やかに吹き抜けていた風が止まり、この川辺全体がしんと静まり返っている。

 

川の飛沫、葉っぱの揺れ、鳥の声。その全てが鼓膜から遠ざかり、まるで全く別の場所のようにも思えてしまう。

 

 

「……なんだ……?」

 

「…………」

 

 

……なんだか、空気が重たい。

 

静かすぎて変な圧でも感じてしまっているのだろうか。

視線というか意識というか、そういったものを向けられている気がして落ち着かない。

 

グラサンおじさんからのものじゃない。かといってつぶさに周囲を見回しても、その原因みたいなものは見当たらず。

おなかの底を引っかかれるような感覚が少しずつ積み重なり、焦燥感へと変わってゆく。

 

 

「……、……っ」

 

 

知らない内に、呼吸が浅くなっていた。

 

釣った巨大魚を足元に寝かせ、その隣にしゃがみ込む。

……どうしてそうしたのか、自分でも分からない。だけど、こうするのが正しいのだと思った。

何がどう正しいのかは、分からないけど。

 

 

「……はっ……はっ……――」

 

 

何か。何かが。

何かが私を見つめている。

 

何かが私を値踏みしている。

 

何かが私に納得している。

 

何かが私に頷いて――そして、私にすると、決め、

 

 

――コン。

 

 

「っ……、……?」

 

 

その寸前、小さな金属音が静寂を切り裂いた。

 

反射的に振り向けば、グラサンおじさんが釣り竿を持って立っていた。

足元には開かれたクーラーボックスがあり、竿の先っぽでコン、コンと小突いている

 

そのボックスの中には、最初見た時と同じく、大小様々な魚が山を築いていて――。

 

 

――おっ。

 

 

「っ!?」

 

 

私の時よりも大きな感嘆が響き、感じていた重圧が全て消え去った。

堪らずその場に四つん這いとなり、ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返す。

 

 

(な……何……なにが……!?)

 

 

そうして混乱に喘いでいると、とぽん、と小さな水音がした。

のろのろと顔を上げれば、グラサンおじさんが川に釣り針を投げていて。

 

 

「……返しとけよ」

 

「……は? え、うわっ」

 

 

一瞬何の事か分からなかった。

しかし身体が勝手に動き、横に寝かせていた巨大魚を川の中へと押し戻していた。

 

巨体に相応しい量の飛沫が跳ね、冷たい水を頭から被り……すると渦巻いていた混乱や焦燥が嘘のように引いていき、気付けば呼吸も落ち着いている。

そんな唐突に訪れた平静に、むしろ薄ら寒さが湧き上がった。

 

 

「……あ、あの……」

 

「…………」

 

 

おずおずとグラサンおじさんに話しかけたが、無視された。

 

それきり何を言っても反応は無く、異変も起きず。

元に戻った空気の中、釣りをする気も無くなった私は手持ち無沙汰にぼうと立ち、時間だけが無為に過ぎてゆく。

 

 

「……おじさん、は」

 

「やめとけ」

 

 

その声かけは無視される事は無く、ぶっきらぼうに返される。

……おじさんに伸ばしかけていた手が、ゆるゆると落ちた。

 

 

「……や、でも、これ……なんかだいぶ、その」

 

「いい」

 

 

おじさんはほんの少しだけ柔らかい声音でそう重ねると、荷物の中からボロボロの釣竿を取り出し、傍らにそっと置く。

 

 

「いいんだ」

 

 

かなり年季の入ったもので、竿の中ほどから真っ二つに折れている。

それにどんな意味があるのかは知らないけど……このまま釣りを続ける理由にはなるんだろうなと、心底から察してしまって。

 

 

「……ありがとう、ございました」

 

 

返事は無かった。

私も無言のまま、川辺から離れて森の外へととぼとぼ歩く。

 

――やがて、川の方から一際大きな水音と何かの歓声が上がり、それきりだった。

 

 

 

 

 

 

お昼ご飯は、お蕎麦屋さんの暖簾をくぐった。

 

そこそこの行きつけで、天ぷらなどの揚げ物系に強い店。

その食券販売機の前で腕を組み、メニューを睨んでうんうん唸る。

 

 

「うぅん……」

 

 

まずは王道の天ぷら蕎麦。

一通りの種類の天ぷらが食べられるのは嬉しいが、今はあんまりお蕎麦のおなかでもない気がする。次。

 

 

「んんん……」

 

 

こちらも定番、海老天丼。

高く聳え立つ海老天は目を引くけど、出来れば他の種類も食べたいところ。次。

 

 

「あぁ……うぅん……」

 

 

彩り魚定食。

……うーん、お寿司とか色々あんのはいいけど焼き魚もあんのがな。次。

 

 

「――おぉ」

 

 

秋の山海しらす丼。これはなかなか良いんじゃないか?

丼がしらすなのはちょっとズレるが、魚の天ぷらがいっぱいあって大変よろしい。

 

とりあえずこれにしようか。

私はいそいそと財布を開き……その折、足元にある日替わりメニューの看板が目に入る。

 

 

「おっ」

 

 

旬の鮮魚の丼そばセット。

天ぷらは川魚中心で、お蕎麦と丼が両方入って量もよし。今のおなかにピッタリだ。

しかもおまけとして、お刺身お寿司の小鉢セットもくっついてくるらしい。

 

私はこれだとひとつ頷き、日替わりメニューのボタンに指を伸ばし――。

 

 

「――……」

 

 

……よぎるのは、魚でいっぱいのクーラーボックス。

私は眉を顰めて指を引き、乱暴にしらす丼の方のボタンを押し込んだ。

 




主人公:多少ぴりりと来そうだが、そういうのもたまには良いらしい。ただボリュームが少ない。

若い男の釣り人:王道ではあるが、今日は違うものの気分だったらしい。スタンダードも善し悪し。

背の高いおばさん:嫌いでは無いものの、これもちょっと違ったらしい。サンバイザーが刺さりそう。

痩せぎすのお爺さん:そもそもあんまり好みじゃなかったようだ。干物かー……。

グラサンおじさん:色々とちょうどよく、おまけのお魚セットも嬉しかったらしい。また来たの。


間隔が空いてしまってすいません。
色々とお待たせしておりますが、ちょっとずつ進んでおります。頑張りマッスル。
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