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『ひひいろちゃんねる』という動画チャンネルがある。
私の親友のあかねちゃんが某動画サイトで運営していた、ホラー系チャンネルだ。
ここ御魂橋市における様々なオカルト話を中心に扱っていたようで、たまに話を聞く限り界隈では結構な人気を集めていたらしい。
私はあの子の活動には基本的にノータッチだったので、具体的に何やってたかはサッパリだけど……以前たった一度だけ、その動画のひとつに出させられた事がある。
ホラースポット情報の提供者として紹介され、あかねちゃんと二人、適当なスポットでぶらぶらする。たったそれだけの短い動画。
――今、私達の居るこの一帯は、当時のロケ現場そのものだった。
「『ひひいろちゃんねる』……あ~、なんかちょっとだけ覚えてるかも」
……以前、私がここに来た事がある事。その理由。
それらをぽつぽつ伝えたところ、歪いびつは小さく唸ってそう言った。
「確か配信初めてから一年経たずで中堅ラインまで行ってた子だよね? 個人勢っぽいのに凄いな~って思ったような記憶あるよ」
「……そういうのは、知んない……」
「ふ~ん? まぁでも、そっか。お友達と動画撮影で来た事ある心スポねぇ……」
そして考え込むように腕を組むと、改めて周囲を見回す。
私も続いて周りを見るけど、やはり何度見ても同じだ。あの寒い日に訪れた、思い出の景色。
「とりあえず、なんて名前のスポットなの? やっぱり全然見覚えないけど、地名だったら知ってるかも」
「……わかんない。大体のエリアなら分かるけど、そこらの山とか森とかの名前なんていちいち気にしねーし……そもそもここ、ホントはホラースポットって程のとこじゃない」
「え? でもそういう事で動画撮ったんでしょ?」
「動画っつっても、そんなちゃんとした感じじゃなかったから。雰囲気的にはお遊びとか、息抜き回的なヤツっぽくて……ホラー要素ってのも、あれくらい」
そう言って近くの木陰を指差せば、そこには『ご高齢の方々へ』という、お年寄りの転倒事故増加に伴う注意喚起の看板がひっそりと立てかけられていた。
ここら一帯は草木も浅く、勾配もなだらか。山中にしては歩きやすい部類で、付近に住むお年寄りがお散歩コースにしているような穏やかな場所だ。
一方、それゆえ当のお年寄りのケガがそこそこ頻発しているらしく、件の看板のような注意書きがあちこちにあり……それを『曰く』としてこじつけた。
色々と丁度良かったのだ。
あの子にも歩きやすくて、正月から陰気な場所にも行きたくなくて、まぁこんなもんで良いだろと雑に決めた。
だから――この場所には、ホラースポットとしての文脈は無い。それだけは確かな筈だった。
「なるほど、じゃあぼく知んないねこの場所。う~ん、なんだろナ~、やっぱり前の時みたいに、複数人のアレコレが混ざってる感じなのかな……」
「……あんたと私の知ってるホラースポット縛りで、って? あのおまじないからの脈絡なさすぎだろ流石に……」
「まぁそうね。正直ちょっと分かんないから……そろそろ本格的に話聞いてみない? そこのインク動かしてるヒトにさ」
歪いびつはあっさりと思考を放り出すと、私の抱えた手帳に目を向ける。
「何かここの靄って薄めだし、今ならいい具合にアンテナ立ってるんじゃないかな~。もしかしたら、元からここに誘導したかった……とかかもヨ」
「あ……そ、そっか。ねぇ、聞こえてる?」
言われて気付き、手帳を開いて呼びかけてみる。
……が、インクの動きはこれまで通りにぎこちないものだった。
ページをのたうつように文字を組み上げようとしてはまた崩れ、いつまで経っても全く形になりはしない。
いっそこちらとの会話を拒否しているようにも感じてしまい、私は小さく唇を噛み――すると肩口から歪いびつがずずいと乗り出し、
「――ちょっとくらい
ぴたり。
その言葉に、何故かインクの蠢きが止まった。
「ぼくらの助けにはなるんだよね。なら、そっちのやりやすいようにやってよ。
「え? あ、あぁ……まぁ……」
「あ、そうだ、箇条書き形式とかどう? 今の状況と、ぼくらがどう動けば良いのか、詳しいとこは省いていいから簡単に伝えてよ。それなら……
『 …… …… 』
……なんだ?
妙に持って回った言い回しに首を傾げていると、思案するような間があってからインクが再び蠢き始めた。
やはりぎこちない筆跡ではあったが、今までよりも字崩れ少なくスムーズに。
もはや現金とも言えるその変わりようにぽかんとする内、長々とした文章が並べられてゆく――。
『【今起こってる事】
・歪さんがやったおまじないのせいで、よくないオカルトの居る場所と繋がりかけた。
・でもその前に割り込んで、先にこの場所に二人をとりこんだ。ようだ。
・その時、よくないオカルトの※※※も少し入ってしまった。らしい。
・今、それをなんとかしようとしている。
【どう動いてほしいか】
・ぜったい※※※と直で会わない。たぶん気付かれる。
・モヤを深くしている場所にはまだ居るので、入らない。
・今居るこの場所にだけはぜったい入らせないから、ひとまず安心。
【困っている事】
・なんとかしにくいのがいくつか居る。
・今のところ、二人を外に出してあげられない』
「……あー……ぇ、え、っと……、……?」
……どう、反応したものやら。
並べ立てられたその内容がすぐに呑み込めず、言い淀む。
すると一足先に一通りを把握したらしき歪いびつが、顎に手を添え頷きひとつ。
「う~ん、まず発端については見なかった事にして……よくないオカルトっていうのは、タチの悪い怪異って事で良いのかな。それが出て来ようとしたけど、その前に別の怪異がぼくらをこの異界に攫ったという解釈でいい? あ、返事は〇×でいいからネ」
『……〇』
「で、その時に……なんて書いたか読めないけど、ひとつめの怪異から何かしらを巻き込んだ。あのS屋敷とかYトンネルでドタドタギーギー言ってたやつ? もしかして、ぼくが最初に見た死体みたいなのとかもそう?」
『〇』
「ふむ。そして君は今、それらを何とかしている……そうなると、時々聞こえてくる何か引きずる音とか水の音とかが――」
「ちょ、あの……ちょっと待っ……!」
引っかかる部分のほとんどを置いてトントン拍子に進んでゆく状況整理に、やっとこさ待ったをかけた。
そしてもう一度インク瓶……からの箇条書きを読み込んだ後、おずおずと目線を上げる。
「え、えぇ……? いや、これ、こんな……もうちょっと、その……」
……インク瓶の黒インクは、オカルトにとって良くも悪くも劇物だ。
そんなものを動かしている以上、この黒い文字の先に居るのはインク瓶なんだ。
それは分かっている。分かってはいるけれど……これは、あんまりにも、なんか……。
その続きを噤んだままに見つめるも、しかし歪いびつは肩をすくめて苦笑をひとつ。
「……意外とオーディエンスなマインドなんだねぇ。でももう全体的におかしくなっちゃって、確かな事もあんまり無いのに、呑み込めないもの全部をいちいち蹴たぐり回してたって
「…………」
……いくら違和感が際立ち臭っても、害が無ければ蓋をしたまま進むのも時には大切――みたいな事を説きたいのだろうか。
正直、言い返したくはあったけど……その言葉の節々に、訓示の元をなんとなく察せてしまった。
そこに真正面から打ち込めるような言葉も咄嗟に浮かばず、釈然としないままモゴモゴするしかなく。
「それで、この『気付かれる』っていうのは? 雰囲気的に
『……×』
「あー、そこはダメな感じだ。……『なんとかしにくいの』っていうのもあんまり聞かない方が良いのかな。なら――ぼくらを外に出せないっていうのは、どういう事?」
返答は、すぐには返らなかった。
すると歪いびつは少し考え、ひとつひとつ言葉を選んでゆく。
「……出口がない?」
『(反応なし)』
「出る方法自体はある?」
『(反応なし)』
「……そこに何かが、張り付いてる?」
僅かにインクが伸び縮み、歪いびつの目が細まって。
ここから暫く、沈黙が続いた。
……ゆっくりと、張り詰めていくようだった。
私も口を挟むに挟めず、どうしてかハラハラとしながら二人のやり取りを見守り――やがて、ぽつりと呟きが落ちた。
「――エレベーターのある心スポ、この異界の中にどっか無い?」
――瞬間拳を振り上げた私を、一体誰が責められようか。
そして今こそ真正面から打ち込んでやろうとしたが、歪いびつが慌てながら首を振る。
「違うの違うの! 今度マジ! マジでエレベーターあるとこだったら出口になるかなって思ったの! だってあれからエレベーターの都市伝説もネットロアもめっちゃ調べたもん! 異世界行ったり帰ったりするやつめっちゃ知ってるもん! エレベーター博士オブ一家言THEマスタリー!!」
「そんっ……いや、うーん……」
一瞬否定の言葉が出かけたが、実際それでどうにかなったのが前回なワケで。
変な風に通ってしまっているスジに感じるこれまた妙な説得力に、上がった拳がゆるゆる落ちた。
「へ、へへ、そういう事なんでね……で、どっか無い? 傾向的にたぶん有名所の心スポは抑えてるんでしょ? なら異世界エレベーターの聖地Oビルとか、パラレルベーターのTモールは……」
『……×』
「ダメかぁ。じゃあ十階建ての……いや、三階建てくらいのビルでいいから――」
その後も次々とたぶんホラースポットなんだろう地名が上がってゆくものの、私には何がなんだかサッパリだ。
……なんか、知らん話で盛り上がってる友人達の隣に置かれたような疎外感。
片やあんまり知らんヤツで、片や表情も声音も分からないインクの線なのに、どうしてかそんな風に思ってしまい、居心地悪く目を逸らし――その時、歪いびつから訝しげな声が上がった。
すぐに手帳へと目を戻したが、当然〇×ばかりで何も分からなかった。
「……なに? なんかあったの?」
「いや……いきなり反応なくなっちゃって。また調子悪くなったのかな――っと?」
そう話している途中、インクではなく周囲の靄が蠢き始めた。
そして漂う白の濃淡がハッキリ分かれたかと思えば、とある方向に薄い筋道を引いてゆく。
疑問に思うまでも無く、ここまで私達を導いたインク瓶の道案内だ。
「……え、あっち行くの?」
……少し待っても、返事どころか〇×も無い。
どうしたもんかと悩んでいると、また歪いびつが先に一歩を踏み出した。
「流れ的にエレベーターがあるとこ見つけたのかな。知ってる方法使えると良いけど……」
「……こっから、あんまり動きたくない。『ひとまず安心』じゃなくなるんだろ」
「う~ん、まぁまぁぼくも同感だけど……でも、こうなったらしょうがないんじゃない?」
私が渋る気配を見せた途端、周囲の靄が一層濃くなり、見える範囲が筋道だけになってしまった。
その強引で無理矢理な誘導に渋面が浮かぶものの、今の私にどうにか出来る術も無く。
「…………」
手帳のインクがふらふら揺らいで見えるのは、実際にそうなっているのか、それとも私の気持ちのせいか。
最後に一度、この名前の無い場所を振り返るけど……濃い靄のせいで、もう何も見えなくなっている。
……私は、ついと零れかけた言葉を呑み込んで、酷く重たい後ろ髪を引きずった。
*
「……なんだ、ここ」
「…………」
そうして暫く進めば、見上げる程に大きな建物がうすらぼんやり見えて来た。
ホテルのような。旅館のような。或いは……なんだろ、お城とか美術館とか、そんなシルエット。
ふと目を落とせば割れた看板が転がっており、掠れた文字が少しだけ読み取れた。
「えっと……エス、オー……ソドム、なんとか、プリン……セス? 読めねー」
「……………………」
「やっぱ、ここもホラースポットなん? 有名どこの……」
「………………………………」
「……なんだよ。なんか言えよ」
いつのまにかコソコソ後ろに下がって黙りこくっている歪いびつをつついてる内、やがて建物の全容が見えて来た。
全体的に荒廃し、しかし派手な配色や装飾があちこちに残る、独特な雰囲気のある佇まい……。
「……………………………………強いて、言うなら」
やっとこさ、ぽつりと。
背後を見やれば、歪いびつの顔が苦渋と葛藤に満ち満ちたものになっていて、
「――VIPなヒトらが夜ごと集まる、すごくお高い……お風呂屋さんだったとこ、だヨ……ッ」
……コイツ、実は銭湯苦手とかなのかな。
なんでか悲嘆に暮れたようにガックリとくずおれたその様子に、私の首がまた傾いた。