異女子   作:変わり身

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「友達」の話(下)

 

 

 

「えー、このイヤリング? あの子と一緒に選んだやつだよお」

 

 

無事にアパートを後にし、次の場所へと向かう途中。

つけている藍色のイヤリングについて尋ねれば、黒髪女は懐かしげな顔でそう言った。

 

 

「中学の頃クリスマスに、お互いのプレゼントって事で色違いのお揃いにしてさ。結構良いのでお高めのだったから、ひゃーひゃー言いながら買ったんだぁ。なつかし」

 

「……結構付き合い長かったんだな。幼馴染とか?」

 

「んー、中学一年生からの付き合いって幼馴染でいいのかな? いいんだったら、そう」

 

 

……中一の時に出来た、友達か。

自分の事に当てはめて思わず遠い目になったが、今は懐古している時では無いと焦点を戻す。

 

 

「タマちゃん世代はわかんないかもだけど、ワタシら世代の時は人気あるブランドだったんだよお。……こ、これ欲しいとかだったら、同じの頑張って探すからそれで勘弁してくれるとぉ……」

 

「だからいらねーんだっつの」

 

 

先の『持ってるもの命以外全部あげる』発言を思い出してか、恐る恐ると窺って来る黒髪女にぺしっと軽い蹴り一発。

こいつには私がどんな鬼畜に見えてんだ。

 

 

「……でも、そっか。友達絡みなんだな、そのイヤリング……」

 

「そーなのよー……え、何かあったの、これ」

 

「んん……」

 

 

……どう答えりゃいいんだろうな。

どこか期待の色を滲ませてくる黒髪女に、私は暫くうんうん唸り、

 

 

「……いや。つーか、どういうヤツだったんだ、あんたの友達」

 

「え?」

 

 

そもそも、判断をつけるための情報が全く無い事に気が付いた。

 

黒髪女は散々『あの子』だ何だとのたまっているが、具体的にどんな人となりをしていたとか、そういったパーソナルな部分は殆ど知らない。精々、夢見がちだったという事くらいだ。

 

だから、さっき一瞬だけ見えたあの指先を『あの子』絡みだと決めつける事も、無関係かもと見做す事も、今の私には難しかった。

 

 

「えー、いきなりじゃんね? ……まーでも、そーだねぇ、そーだなぁ……」

 

 

そうした突然の問いに黒髪女は一瞬目を丸くした後、特に理由を問い返す事も無く、顎に指を添え虚空を見る。

しかしすぐに視線を戻すと、ヘラリと笑って進行方向を指差した。

 

 

これから私達が向かう先――都会エリアに繋がる橋だ。

 

 

「せっかくだし、着いてからにしようよ。思い出巡りツアー、自分語りガイド付きでーす」

 

 

 

 

 

 

「――あの子とはねぇ、中学校の入学式に行く途中、偶然一緒になったんだぁ」

 

 

人でごった返す大通り。

黒髪女はまず今まさに通り過ぎたバス停を見つめ、穏やかな声で語り始めた。

 

 

「そこのバス停に並んでる時、隣になってね。制服同じだったから、新入生ですかーって聞いたら、そうでーすって」

 

「ふぅん……」

 

 

そういうのってよくあるんかね。

私も続けてバス停をよく観察するが、幽霊のようなものは見当たらない。

幽霊なんて見慣れている訳じゃないけど、気配的に見分けくらいはたぶん付く……筈。

 

私の様子から黒髪女も察したのか、特に何を聞いて来るでも無く話を続けた。

 

 

「優しくて、明るい子だった。ワタシは中学ってどんなんだろって緊張してたけど、あの子はすごくウキウキしてた。おしゃべりする内、すぐに仲良くなったんだぁ」

 

「……その頃のあんたには、まだ緊張するような可愛げあったんだな」

 

「だって小学校の仲いい子達とは学区別で離れちゃったんだもん。で、そしたらあの子とはクラスも同じで、席もお隣さんでねぇ。それから三年間ずーっと一緒で、二人でいろんな事したよ」

 

「他に仲いいヤツ出来なかったの?」

 

「出来たし、居るよぉ。でも一番近くに居るのは……一番の親友って言えるのは、あの子」

 

「それは知ってる……」

 

 

じゃなきゃ、あそこまでしないだろうしな。

カラオケでの一件を思い出し渋い顔になっている私に対し、黒髪女は『あの子』と過ごした日々を思い出してか優しげな顔。

 

そうして目を細めてどこか遠くを見つめていた彼女は、次に付近にあるショッピングモールを指差した。

 

 

「お休みの日には、よくあそこでショッピングしたんだぁ。でもワタシもあの子もお小遣い少なかったから、ウィンドウショッピングばっかりだったねぇ。楽しかったな」

 

「……買わないのに何で行くんだ? 楽しくなくない……?」

 

「え、買わないから楽しいんじゃん……?」

 

 

互いに『何言ってんだコイツ』と首を傾げる。

ともあれ、そのままモール内に連れ込まれ、色々と引きずり回された。

 

 

「よく行ってたのは服屋さん。あの子ってフリフリ系のファッションが好きだったんだけど、なかなか合うサイズ見つかんなくてねぇ。その内色々自作し始めて、ワタシもそれに付き合わされて――」

 

 

服屋、小物屋、手芸屋、アクセサリーショップに、化粧品店。

基本私の行かない場所で、ある意味新鮮ではあった。

 

でも、そのどこにも『あの子』の姿は見つからない。

黒髪女による思い出語りがただ延々と続けられ、顔を見る事の無いまま『あの子』の像が補強されて行く。

 

 

「……高校に上がってからはね、もっといろんな所に行ったよ。お小遣いも増えたから、映画見たりとか、旅行とかも結構するようになってね。旅行先は県外とかだから今日行くの難しそーだけど、映画館とかならほら、すぐそこにあって――」

 

「…………」

 

 

やがてショッピングモールを出て、他の場所を回った。

 

常連だったという様々な遊び場や飲食店、都会エリアから飛び出し、他の場所。これまで通った学校や、何の変哲もない通学路にまで足を運んだ。

途中には黒髪女の知り合いと会う事もあり、思い出話にまた花が咲く。その時の彼女が浮かべていた笑顔は、きっと当時のものだった。

 

……けれど、それでも、『あの子』は居なかった。

 

どれだけ注意し、目を凝らしても、何も変わらない。

彼女の存在は、黒髪女の語る思い出の中にだけしか見当たらず――そして当然、それらも無限にある訳じゃない。

 

 

「えっと……あ、ここねぇ、大学受験の勉強場所でお世話になった喫茶店。あの子、自分の家じゃ捗らないって言うからさ。苦いの苦手なのにコーヒー頼んじゃって、ミルク溢れるくらい入れててぇ……あと、あとね……学校も行っちゃったし、他は……」

 

 

そうして歩き続ける内、徐々に黒髪女の言葉数が少なくなった。

記憶を振り返るような間が多くなり、その足取りにも迷いが滲み始める。

 

日々の些細な思い出はまだあれど、他人に語れるものは尽きかけようとしているのだろう。

その内に歩みも完全に止まり、私もまた立ち止まる。

 

ふと見上げれば、空の端に夕焼けの紅が見えていた。

 

 

「……ね、ほんとに居なかった? これまでの……」

 

「明るい茶髪で小柄な人だろ。似た背格好の人は何度か見たけど、みんな生きてたよ」

 

「…………そっか」

 

 

私の答えに黒髪女は目を伏せる。

 

『あの子』が居なくて気落ちしている……という事も無くはないとは思うけど、そうじゃない。

きっと、次の一歩を踏み出しあぐねているだけだろう。

 

 

「……じゃあ、行こっか。あの子が居るかもしれない、第一候補」

 

「ん」

 

 

そんなん最初に行けよ――。

口から出かけた文句を呑み込み素直に頷けば、黒髪女は申し訳なさそうに苦笑する。

 

まぁ、彼女の気持ちも分かるのだ。

他に可能性がある場所があったなら、私だってそうした。そこに希望を抱いて、その場所に行くのを先延ばしにしていた。

 

だって、当然だ――親友が自殺した場所なんて、誰だって行きたくは無いんだから。

 

 

「――あの子が身投げした駅。すぐそこなんだ」

 

 

そう言って道先を指差す黒髪女の指先は、少しだけ震えているようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

黒髪女の言う通り、件の駅にはすぐに着いた。

 

都会エリアと住宅街エリアの境目当たり。

新しくも古くも無い、こじんまりとした駅だった。

 

 

「ここもね、よく使ってた駅なんだ」

 

 

その駅舎を遠目から眺めつつ、黒髪女はぽつりと呟く。

 

 

「ワタシとあの子の家からだと、ここが集合場所として使いやすかったの。ここからいろんな所に行って、帰って来てた。文字通り、ワタシ達のプラットホーム」

 

「…………」

 

 

……だから、ここで命を絶ったのだろうか。

ここから、旅立ちたかったのだろうか。

 

『あの子』が本当は何を思っていたのかは分からないけど、イヤな話だとは思った。

 

 

「それで……どう、かな。居る……?」

 

「ちょっと待って」

 

 

おずおずといった黒髪女の言葉に、よくよく周囲を観察する。

 

複線を挟むホームは雨よけ屋根があるだけの開放的なもので、駅舎の外からもよく見えた。

私は侵入防止の金網に顔をつけ、その内側に目を走らせる。

 

そろそろ街から家へ帰宅する人達で込みそうな時間帯だが、人気はまだそれほどだ。

人探しというか、幽霊探しもやりやすい状況ではあったが――。

 

 

「……居ない、か……」

 

 

ホームに立つのは生者ばかりで、やはり『あの子』らしき姿は無い。

まぁ駅舎の中はここからでは見えないので、そこに居る可能性はあると言えばあるけども……。

 

 

「……いや」

 

 

ここまで来たんだ。答えを出すのは、そこもちゃんと調べてからにしておこう。

私はホームから目を離し、振り向きついでに何気なく線路の方へと目をやって、

 

 

「――…………、」

 

 

止まる。

 

ホームから少し離れた線路の先に、何か居た。

最初は動物か何かと思ったけど、違う。こちらに背を向け、しゃがみ込んでいる人間だ。

 

首が下がっているために髪色はよく見えないが、白い服を着た小柄な女性である事は分かった。

電車に轢かれてもおかしくない場所に居る彼女は、しかし全く動かずに、ただじっと地面を見つめている――。

 

 

「……なぁ、あれ」

 

『……うん、君の思っている通りだろう』

 

 

メモ帳を翳しインク瓶の判断を仰げば、間髪入れずに肯定が返る。

 

――なら、間違いない。幽霊だ。

私は彼女から決して目を逸らさないまま、黒髪女を手招いた。

 

 

「! い、居たの……?」

 

「たぶん……で、どうすんの、こっから」

 

 

期待と恐怖の入り混じる黒髪女の手を引き、線路でしゃがむ誰かに少しずつ近づきながら、インク瓶へと問いかける。

彼曰く、もし幽霊を見つけられれば黒髪女を一時的に霊視できるようにするとの事だったが、具体的な方法までは聞いていなかった。

 

 

『そうだね。とりあえずこのメモを隣の彼女に渡してくれ』

 

「はいよ、ほれ」

 

「えっ、あ、ど、どーも……?」

 

 

指示に従いインク蠢くメモ紙を差し出せば、黒髪女は戸惑いつつも受け取り、恐る恐ると眺め始める。裏表をひっくり返したり、慎重ではあるが興味深げだ。

そうして観察される最中にもインクはその形を変え、黒髪女宛ての文章を紡ぎ出す。

 

 

『珍しいのは分かるが、動かさずにおいてくれ。君の方も動かず、次に表示させる文字を右眼で見つめていて欲しい。出来るだけ、メモに眼を近づけて』

 

 

――<視>

 

 

すると、会話文から少しの間を開け、そんな一文字が記された。

 

……意味が分からん。

私達は揃って首を傾げたが、やがて黒髪女は文に従い、おずおずとメモ紙に右眼を近づけた。

 

 

「え、え? ええと、右眼で、この字をです――、っ!?」

 

 

――ぴちゃん。

 

その瞬間、文字が跳ねた。

紙の上にあった<視>がその形を保ったまま浮き上がり、至近距離にまで接近していた黒髪女の右眼に飛び込んだのだ。

 

「うぐっ……!?」堪らず黒髪女は右眼を抑え、蹲る。

焦った私は彼女を支えつつ、メモ紙に浮かぶ文字へと詰め寄った。

 

 

「ちょおっ、あ、あんた何して……!?」

 

『落ち着きなよ、危害を加えた訳じゃない。痛みや苦しみの類は無い筈だ』

 

 

淡々としたその言葉に黒髪女に目を向ければ、確かに怯みこそしているものの苦しんではいないようだった。

彼女は何が起きたのか分かっていない表情で、右眼をパチパチ瞬かせている。

 

 

「……え、っと……何? 何が起きたの……?」

 

『僕のインクで君の瞳を一時的に覆った。これなら霊視が可能になっている筈だが、どうだい』

 

「え、えぇ……どうって……」

 

 

黒髪女はインク瓶の説明にも困惑した声を上げ、きょろきょろと辺りを見回す。

よく見れば、その右の瞳は深い黒に染まっており、まるでカラーコンタクトをつけているかのようだった。

 

そしてやがて線路の先に目が向いて――その瞬間、黒髪女は血相を変えて走り出した。

 

 

「あっ、おい!? 一人で行くなって……!」

 

「ねぇっ! あれ、あそこ居る、あのっ……!!」

 

 

視線は明らかにしゃがんだ人影に注がれており、視えている事が窺える。インク瓶の言った通りだ。

 

ともかくすぐに追いつき呼び止めたけど、聞く耳持たず。

必死に誰かの名前を呼びながら、遠くに見える人影へと追い縋る。

 

――そしてその名前は、きっと『あの子』のものに違いなかった。

 

 

「――っ、あ、あれ……?」

 

 

しかし唐突に、黒髪女の足が止まった。

 

一体どうした――と声をかける前にすぐ気づいた。

先程まで線路にしゃがみ込んでいた人影が、影も残さず消えていたのだ。

 

 

「えっ、どうして……? そんな、居たよ、居たよね!? さっきまで、あそこ……!」

 

「落ち着けよ、そんな騒いだら変に刺激するかも――、っ」

 

 

取り乱す黒髪女を宥めつつ周囲を見回せば、また別の位置にしゃがむ背中を見つけた。

今度は線路を挟んだ向こう側。少し離れた高架下の影になっている場所だ。

 

同時に黒髪女も気付いたらしく、勢いよくその方向へと振り向いた。

 

 

「……っ! い、居た……! 居たぁ――」

 

「だあああもおおおお落ち着けってぇ……!!」

 

 

すると今度は金網に縋りつき、よじ登って向こう側に向かおうとする。

私は咄嗟に黒髪女の肩を掴み、その腕を強引に金網から引き剥がした。そのまま腰に抱き着き、動きを封じておく。

 

 

「あぐっ……は、放してよお、タマちゃぁん……!」

 

「いいから待てっつーの! もしかしたら、カラオケの時みたいなヤバイ事になるかもしんないだろうが!」

 

 

しゃがんでいる彼女に声をかけたら、振り向かれて襲われる――とか。

黒髪女的にはそれでもいいんだろうが、私はゴメンだ。

 

 

「だから迂闊に近づくんじゃなくて、もうちょっと慎重に……」

 

「で、でも、また消えちゃうかもしれないじゃん! そしたら、また出て来てくれる保証なんてない……!」

 

「それは、」

 

 

……短時間とはいえ、実際に一度見失っている以上言い返し難かった。

そしてそう言い淀んでいる最中も、黒髪女は私を引きずってでも『あの子』の下へ近づこうと踏ん張っている。

 

無論、コイツが幾ら力を込めたところで、私の身体はビクともしない。

とはいえ私の頭じゃ宥める言葉もすぐには出て来ず、思わず助けを求めるように辺りを見回し、

 

 

「……ん?」

 

 

疑問。

 

……今、周囲には黒髪女を監視する『親』が居る筈だ。

なら当然、この状況もどこかから見ている筈で……なのに、どうして口を挟んで来ない?

 

アイツの目がある場合、本当に危ない時は何だかんだと言い訳しながら助けに入って来る筈だ。今までがそうだった。

だとしたら、放置されている現状は、どういう事になるのだろう。

 

 

「…………」

 

 

高架下の人影を見る。

金網を二つ挟んだ向こうでしゃがみ込んだままのそれは、やはり動く気配が無い。

不気味と言えば不気味ではあるが、それだけだ。これまでの猛獣タイプに感じていたような胃の底に溜まる冷たさは、無い。

 

 

「は、な、し、て、よお……!」

 

「…………」

 

 

最後に、インク瓶の様子を窺った。

 

メモ紙は黒髪女の手の中でくしゃくしゃに握り締められており、ピクリとも動かない。

紙と彼との繋がりが切れた訳ではない。単に静観しているだけだ。

 

そう――いつも口うるさいアイツが、『オススメしないよ』の一言すらかけて来ない。

それらの意味を察せないほど、私の頭はすっからかんではなかった。

 

 

「――ああもう、分かったよ!!」

 

「っえ、きゃあっ!?」

 

 

私は掴んでいた黒髪女の腰を持ち上げると、くるりと反転させて肩に担いだ。

 

いわゆる俵担ぎ。

じたばた暴れる彼女を無視してしっかりと抱え込み、線路の左右を確認する。

 

 

「ぐえっ、ちょ、タマちゃ、おなか、肩ささって、くるし……」

 

「うるせー! パパっと運んでやるからだーってろボケ!」

 

「っ……わ、かったぁ……!」

 

 

左右どちらにも金網が途切れている部分は無く、通れそうにはない。

一旦ホームまで戻れば中を通って渡れるだろうが、さっき黒髪女が言っていたように、『あの子』から目を離せば、次の瞬間また消えていてもおかしくはない。遠回りもあまりしたくはなかった。

 

――であれば、道は一つである。

 

 

「そっちでも掴まってろよ、下手したら落っこちるんだから――なっ!」

 

「え、きゃあああああああああ!?」

 

 

私は一度金網から距離を取り――勢いよく助走をつけ、金網を駆けあがるようによじ登る。

勿論、肩に黒髪女を乗せたまま。

 

 

「ちょお、ぐえっ、あ、あーぁぁぁぁ……!」

 

 

金網は丸パイプ型で結構な高さがあり、私が身を上げる度に黒髪女も大きく揺れる。

とはいえ、バランスを崩す程には至らない。すぐに登り切り、金網を飛び越えその内側へと落下した。

 

 

「……ぁぁぁぁああああ――おぐっ!!」

 

「ごめんとは言っとく!」

 

 

そうして着地した際、衝撃で私の肩がより深く黒髪女の腹にめり込んでしまったが、こればかりは私と彼女との身長・体格差的にどうしようもない。

 

そのまま再び駆け出して、目前に敷かれた二本の線路を横断。反対側の金網をさっきと同じ要領で登り越えた。

渡り終えるまで二十秒もかかっちゃいない。『あの子』もまだ、消えずに高架下に居る――。

 

 

「これで良いだろ。ほら――」

 

「――う、んっ……!」

 

 

一度黒髪女を下ろせば、途端に高架下へと走っていった。

 

よろめき、転びそうになりながらも、決して止まる事はなく。

強引な運び方への泣き言も私への恨み言も置き去りに、ただ『あの子』の名前だけを呼び続けながら、必死になって手を伸ばしていた。

 

……だけど、

 

 

「――あ」

 

 

だけど、ダメだった。

 

彼女の指先が『あの子』の背中に届こうとした瞬間、またもその姿がふっと消え去った。

当然黒髪女の手は空を掻き、そのままとうとうバランスを崩して倒れ込む。地面の砂利が弾け、黒髪が扇のように広がった。

 

 

「あっ、だ、大丈夫か!?」

 

「…………」

 

 

慌てて黒髪女に駆け寄り助け起こそうとしたものの、その前にゆっくりと身を起こす。

 

何も言わない。

彼女の顔も垂れた黒髪に隠され、表情を窺い知る事は出来ず。

 

 

「――……」

 

 

辺りを見回してみたけど、『あの子』の姿は今度こそどこにも見当たらない。

少し待ってもみたけど、違う場所に現れる様子も無し。

 

……黒髪女の危惧通りだ。どう言葉をかけたらいいのか、分からなかった。

 

 

「……なぁ、その。なんて言うか――……、?」

 

 

それでも無理矢理言葉を捻り出そうとしていると、黒髪女がどこかに手を伸ばしつつある事に気が付いた。

 

震える手で、少しずつ、じりじりと。

その行く先を目で追えば、それは高架橋の桁の影。少し飛び出たコンクリートと地面の隙間に伸びており――。

 

 

「――っ」

 

 

そこにあったものを認めた瞬間、私は短く呻き声を上げた。

 

――肉片。

赤黒い、そして腐り乾いた肉の欠片と思しき小さなそれが、その隙間に挟まっていた。

 

 

「な……っぐ、それ……」

 

「――あの子、だよ」

 

 

黒髪女はそれを躊躇なく隙間から掻き出すと、掌に乗せて広げた。

不快な匂いの類は無かった。その肉片から湿り気はほぼ失われており、軽く触れるだけでボロボロと崩れ落ちていく。

 

 

「……ぐちゃぐちゃになっちゃった後、こんなとこまで飛び散ってたんだ。警察とか、駅員さんとかも見落として、ずっと見つからなくて、こんなになって……」

 

「や……で、でも、なんでそうだって分かるんだよ。何か、ほら、猫とか動物の死骸とかかもさ……」

 

「ううん、分かるよ。だってこれ、耳だもん。丸くて小さい、あの子の耳」

 

 

身を引きながらの私の言葉を否定して、黒髪女はぐずぐずになった肉片の中から小さな何かを引き抜いた。

乾いた血肉で汚れ切ったそれを、彼女は指の腹で拭い――そこでようやく、私はその正体に気が付けた。

 

 

「……それ、い、イヤリング……?」

 

「うん。さっきに話したやつ。ワタシと色違いでお揃いの、クリスマスプレゼント」

 

 

黒髪女がつけている藍色のものと同じ形をした、薄紅色のイヤリング。

それに黒髪女は愛おし気に頬を寄せ……やがて涙が一筋、そこに流れた。

 

 

「きっと、これを拾いたかったんだねぇ。拾おうとして、でも出来なくて、ずっとしゃがみ込んで、じっと見てて……」

 

「……なら、さっき消えてた線路のとこにはもう片方が?」

 

「どうかなぁ……ここに誰かを呼びたくて、ああしてたっていうのが、ありそうかも。そういう、かまってちゃんな所もあって……あって、ねぇ……っ」

 

 

そこまで言って、黒髪女は耐え切れないという風に背を丸めた。

『あの子』の肉片とイヤリングを胸に抱き、押し殺した嗚咽を繰り返す。

 

 

「っう、うれ、しいなぁ……これ、たいせつに、し、しんじゃっ……まで、てもとっ、に、おこう、って……くれて」

 

「…………」

 

「え、えへ、えへへ……ぅ、うれしい、よぉ……」

 

 

何事かの呟きと共に、地面に小さな水染みが増えていく。

私は先程とは別の意味でかける言葉を持てないまま、ただ彼女の背中に手を添える事しか出来なくて、

 

 

「――っ」

 

 

その時、視界の端を妙なものが擽った。

反射的に視線を向ければ――それが、あった。

 

 

「…………」

 

 

……手。手だ。

細く白い女の手が高架橋の桁の裏から伸ばされている。

 

そしてその根元には、手の主らしき髪の一房だけが覗いていた。

先っぽの少しだけ跳ねた、明るい茶髪――。

 

 

「――……」

 

 

十中八九、『あの子』だろう。

その手は明確に黒髪女に向かっていて、求めるように揺れている。

 

当の彼女はそれに気付いてはいないけど――どうしたらいいんだ、これ。

これまで逢ったのがろくでもないオカルトばかりだったせいで、こういったある種まともなオカルトに対する正解が分からない。

 

 

(いいのか? いいのか、これのままで……!?)

 

 

逃げるべきか。

それとも、このまま見守っておくべきなのか、どうすれば――……、

 

 

「――え?」

 

 

ふと、インク瓶のメモ紙を見る。

 

どうやら、いつの間にか黒髪女の手から零れ落ちていたようだ。

強く握り締められたのか、くしゃくしゃの状態で彼女の足元に転がっていて――。

 

――ぴくり。

その時、『あの子』の指が小さく跳ねた。

 

 

「あ……」

 

 

そして黒髪女に伸ばしていた手が止まり、そのまま動かなくなった。

いや、それどころか少しずつ高架橋の桁の影へと戻り、引いていく。

 

その光景に、私はどこか寂しさのようなものを感じ――そこで黒髪女も気付いたようだ。

弾かれたように頭を上げると『あの子』の手を認め、濡れた右眼を丸くした。

 

 

「ぁ、あ――ま、待って!!」

 

 

咄嗟に身を乗り出して手を伸ばす黒髪女だったが、これも、届かなかった。

また前のめりに倒れ、小さく呻き、

 

 

「――――」

 

 

――だけど、今度は『あの子』の方から手が伸ばされた。

 

その白い指先が黒髪を掻き分け、藍色のイヤリングをやわらかに撫でる。

それは先のアパートで垣間見た光景と同じもの。黒髪女が身を起こした時には、既にその手は消えていた。

 

桁影から僅かに見えた明るい茶髪も、どこにも無い。

後に残ったのは、黒髪女が握る肉片と、薄紅色のイヤリング。

 

……代わりに、黒髪女の藍色のイヤリングが片方だけ、失くなっていて。

 

 

「……ぅ、う、うぅぅぅぅぅ~~~……!!」

 

 

何かを、察したのだろうか。

黒髪女は再び体を丸めると、今度は外聞もなく泣き喚き始めた。

 

……夕焼け。藍の差し込む紅空に響く泣き声が、背後を通った電車の音に塗り潰されて、掻き消えた。

 

 

 

 

 

 

六月も近くなれば、午後六時近くになっても完全に暗くはならなかった。

なりかけの夜空の隅には夕陽が残り、流れる雲に色濃い陰影をつけている。

 

 

「…………」

 

 

一面の藍に差し込む、僅かな紅――さっきまでとは、逆の配色になった空。

人気のない公園のベンチから、私は一人ぼんやりとそれを見上げていた。

 

 

――あれから少し経ち、私達は高架下から近くの公園へと移動していた。

 

 

だって、あそこにはもう、『あの子』は居ないんだ。

 

私も黒髪女もどうしてかそれを確信していて、留まる理由もあまり無かった。

そして何より、泣きじゃくる黒髪女を落ち着かせるには、線路横の高架下は騒がしすぎると思ったからだ。

 

もっとも、彼女を立ち上がらせた時にはある程度冷静さを取り戻していたように見えた。

現に今も「お化粧直ししてくる」と私から離れ、一人で公衆トイレに籠っている。

 

結構時間がかかっているが、涙で色々と崩れていたしこんなもんだろう。たぶん。

 

 

「…………」

 

 

まぁ、正直、後追い的な意味での不安はなくはない。

けれど凶器は持っていない筈だし、それに――薄紅色のイヤリングを握って駆けて行ったその姿は、そういった人のそれでは無いと思ったのだ。

 

……とはいえ、心からそれを信じられているかと言えばそうでも無く。

 

 

『そんなに不安だったら、様子見てきたらどうだい』

 

 

そうしてチラチラ忙しなく公衆トイレの様子を窺っていると、見かねたらしきインク瓶がそうメモ紙を揺らした。

 

黒髪女に握り締められ皺だらけになっていたが、意思疎通に問題はなさそうだった。

 

 

『化粧直しと言っても方便だろう。近くに寄り添ってあげるだけでも、救いになる事はあると思うが』

 

「……んなベタベタするほど仲良くねーっつの」

 

『そうかい?』

 

 

トイレから視線を引き剥がしつつ答えれば、インク瓶はどこか含み持たせてそう返す。

 

……何かムカつくなその字体。

私は更に紙をくしゃくしゃにしてやろうと、ウルトラ美少女握力でぎゅっぎゅと握り、

 

 

「……そういや、あんたさっき何かした?」

 

 

その寸前ふと思い出し、独り言のように呟いた。

するとメモ紙がほんの僅かにカサリと動く。一瞬私の身動ぎによるものかと思ったけど、この無駄に高性能な身体がメモ紙自体の動きであると感じ取っていた。

 

 

『何の事だい?』

 

「高架下でさ、『あの子』の手が黒髪女に触ろうとした時。あんた……っていうかそのメモ紙から、黒い火花みたいなのが散って……そしたら手が引っ込んだ、ような気がしたっていうか……」

 

 

そう、あの一瞬、私の目はその現象を捉えていた。

本当に小さい、それこそ砂利が風に舞った程度のものだったが、あれは間違いなく火花だった……と、思う。たぶん。きっと。……ほんとぉ?

 

何か言ってる内に自信が無くなって来たけど、インク瓶には悟られなかったようだ。

暫く黙り込んだ後、どこか言葉を選ぶような文を紡いだ。

 

 

『……彼女は、友達になら殺されても良いと思っていた』

 

「ん? ……黒髪女の事?」

 

『ああ。つまり、友達と一緒に居られるならば、死んでもいいと心底から想っていた訳だ』

 

「……う、うん」

 

 

理解しがたい……なんて言うつもりは無いけど、肯定はしたくない思考である。

 

だが、そんなの今更の話だろう。

彼が何を言いたいのか、まだよく分からな、

 

 

 

『でもそれは、一方通行の想いだったのかな』

 

 

 

「……え」

 

 

……分からなかった、んだ、けども。

 

 

『……友達の方は、どう想っていたのだろうか』

 

「どう、って……」

 

『一緒に居るために死を選べる程に仲が良かったのであれば、その友達もまた、同じ想いだったんじゃないのかな』

 

「……それは……えと、」

 

『だけどもう、彼女は死者の側だ。その立場から、友達と一緒に居る事を願うのであれば……』

 

「………………………………」

 

 

インク瓶はそこで一度文を切った。

だけど、そこまで言われれば私にだって察せられる。

 

「一緒に居られるならば、死んでも良い」

 

……その言葉は、生者と死者、どちら側の立場でだって口にする事が出来るのだ。

 

 

『……イヤリングで我慢してくれて、よかったよ』

 

「…………」

 

 

その意味とか、そもそもインク瓶は何をやったのかとか、そういったものの説明は無かった。

しかし私も聞く気が失せ、只々無言の時が過ぎてゆく。

 

 

「――ごめーん、おまたせ~」

 

「!」

 

 

すると、間延びした声がその沈黙を破壊した。

 

振り返れば、今まさにトイレから出て来た黒髪女が、言葉とは裏腹にのんびりこちらに向かっていた。

さっきまでの取り乱しようが嘘のような、いつも通りの雰囲気だったけど――その目元には、化粧でも隠せない僅かな赤みが差していた。

 

 

「やー、ほんとごめんねぇ。ちょっと色々やってたら、思ってたより時間喰っちゃって……あれ、どしたのこの空気」

 

「……いやぁ……?」

 

 

言えねーよ。あんたにゃ特に。

 

白々しくすっとぼける私に黒髪女は怪訝な表情になったが、すぐに「ま、いーけど」と流してくれた。

そして徐に黒髪の一房に手を差し込むと、軽く持ち上げ左耳を露わにし――そこにあった小さな薄紅に、私は思わず息を吞んだ。

 

 

「……あの、あんた、それ」

 

「じゃーん、あの子のイヤリング~。どお? 似合う?」

 

 

それはあの子の肉片に埋まっていた、薄紅色のイヤリングだった。

 

張り付いていた血肉は綺麗に落とされ、元の輝きを取り戻している。

細かな傷は残っているけど、よく見なければ分からないレベルだし、色々気にしなければまぁ普段使いは出来るだろう。

 

……いや、出来るんだろうけどさぁ……。

 

 

「……ほ、本気か……?」

 

「いー感じでしょ? もう片方と合わせればほら、藍と紅でバランスオッケー」

 

 

黒髪女は屈託なく笑いながら右耳も晒し、イヤリングを二つ並べて見せつける。

それらは彼女の(見た目だけは)涼しげな美貌によく似合っていたけれど……薄紅色の方が気になって仕方ない。

 

パーツの隙間に落とし切れなかった肉片挟まってたりしないだろうな――と、そこまで考え、ふと気付く。

 

 

「……ねぇ、あんた、アレどうしたの?」

 

「なにがぁ?」

 

「や、あの……『あの子』の、耳」

 

 

そう、コイツは肉片塗れだったイヤリングすら大切にするような女である。

一緒に拾っていた『あの子』そのものたる肉片を、汚れとして洗い流したり、廃棄物などとして扱う姿が想像できなかったのだ。

 

そんな恐る恐るの問いかけに、黒髪女はにっこりとした笑みをひとつ。

そして胸元からあるものを取り出すと、宝物を扱うようにそっと掲げた。

 

……たぶん、化粧水か何かの瓶。

でも、今その中に詰められていたのは、それではなく。

 

 

「――ずーっと、いっしょ♡」

 

 

「そっ…………………………………………っかァ~……………………」

 

 

即座に瓶から目を逸らし、吐き気を堪えて絞り出す。

 

いや、いい。

もう何も言わん。好きにしてくれ。お幸せに。

 

そうしてグッタリと項垂れていると、瓶を仕舞い込んだ黒髪女が私の手を取りくいくいと引く。

……肉片触った手なんだよなこれ。嫌々と顔を上げれば、濁りの無い瞳が柔らかく私を見つめていた。

 

 

「ね、ね。これからご飯食べに行かない? 勿論ワタシの奢りでさ」

 

「えぇ……さっきのアレの後でよく誘えんな、あんた……」

 

「今日のお礼もしたいし、それに――今度は、キミのお話も聞かせてほしいんだぁ。お友達の事とか、色々」

 

「はぁ?」

 

 

何言ってんだコイツと思ったけど、考えてみればそうおかしな事でもないように思えた。

 

前のカラオケの時と、今日一日。

私は黒髪女の話をたくさん聞いて、『あの子』の事をたくさん知った。

 

楽しかった思い出。話したくなかっただろう顛末。ほとんど全部、赤裸々に。

 

……したら、まぁ。今度は私のターンなのだろうか。

イヤだなんだと思う前に、それがストンと落ちてしまった。

 

 

「……やっぱり、ダメ?」

 

「んん……や、でも、門限とか――……」

 

 

嘘くさくしょんぼりとする黒髪女から視線をずらし、その背後を見る。

そこにはやはり物陰に隠れる『親』が居り、じっとこちらを見つめていて……やがて渋々といった様子で頷いた。いいんかい。

 

私は暫く唸り続けた後、最後に深く息を吐いた。

 

 

「……はぁ。どうせ昨日の電話みたいに、断っても引かねーんだろ。分かったよ、大人しくご馳走になってやるよ……」

 

「やったぁ! じゃ、とっておきのとこ連れてったげるねぇ。すっごいオシャレでムーディなお店~」

 

「逆に行きたくねーよそこらのファミレスにしてくれよそれなら」

 

 

誘いを了承すれば途端に黒髪女はイキイキし出し、私を引っ張って歩き出す。

その感触にカラオケの日の朝を思い出したけど、どうしてか、あの時と違って不安は無かった。

 

繋がれた手を辿り、なんとなしに見上げれば、黒の隙間に藍と薄紅が揺れている――。

 

 

「ね、それでタマちゃんの仲良しさんってどんな子なの? あの動画の子だよね?」

 

「……、……そーな。何から話せばいいんだろ。えっと――」

 

 

唇は思ったよりも重くはならず、思い出も滑らかに流れ行く。

 

完全に夕陽の沈んだ夜空の下。

街の灯へと続く橋の上で、私は――私の友達の話を、ぽつりぽつりと語り始めた。

 

 




主人公:この後高級店に連れていかれたが、緊張で味が分からなかったようだ。黒髪女は嫌いではないが、あんまりベタベタされたくはない。

黒髪女:主人公にベタベタになった。曰く付きの物品を持った事で今後色々大変かもしれないが、何が起きてもそれを手放す事は無いだろう。
    本名は「クロユリ トキミ」で、クロとトキが同じ字であるらしい。

あの子:イヤリングを拾いたかったのに、拾えなかった。黒髪女と同じ気持ちだったが、彼女が拾ってくれたという事だけでも満足はしていたのかもしれない。

『親』:ハラハラしながら見守っていた。夕飯、冷蔵庫に入れておくか……。


次回から暫く過去編が続く感じになります。
のんびりお付き合い頂けると嬉しいです。
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