異女子   作:変わり身

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【わたし】の話(終)

 

 

 

深夜二時。

街の明かりも殆どが消えた、草木も眠る丑三つ時。

 

三月の夜はそんなに寒くはないけれど、どんよりと曇っているせいかどこか湿った匂いが鼻をつく。

いつもは煌々と輝いている筈の星や月も、分厚い夜雲に覆われ今は無く、濃ゆく重たい暗闇が街全体を覆っていた。

 

そんな、ともすれば数歩先すら見失ってしまいそうな暗い昏い街の中を、わたしは恐る恐るのへっぴり腰で進んでいた。

 

 

「……あ、雨ぇー、降りそうだなぁー……」

 

 

あんまりにも心細くて敢えて呟いてみたけど、その声はすぐに暗がりに吸い込まれて、どこに響く事も無く消えて行く。

逆にもっと心細くなって、足の進みが遅くなった。

 

……だけど反対に変な高揚感もあって、胸がドキドキ高鳴っていた。

 

 

――今、わたしは生まれて初めての深夜徘徊の真っ最中。

 

 

昼間にたっぷり眠って眠気を飛ばし、眠るお母さん達にバレないよう、こっそり家を抜け出して。

スマホの小さな光だけを頼りに、とある場所へと向かっている。

 

……目的はもちろん、オカルト探し。

 

わたしは今まで、朝や昼の安全な時間、安全な場所でしかオカルト探しをして来なかった。

だって、子供は夜の六時以降は一人で出歩いちゃダメだし、立ち入り禁止の場所に入るなんてもっての外なんだから。

 

だからこそ、ホラースポット探しにコトちゃんを頼っていた部分もある。

森の中の空き家とか古井戸とか、子供が行ってもギリギリ問題になり難そうな場所をよく教えて貰っていたのだ。

 

――でもきっと、そんなだからダメなんだ。

 

全部が全部じゃないけど、夜になると動きが活発になるオカルトは多い。

特に今日のような雲の分厚い真っ暗な夜だと、いつもより変な気配が増えている……気がする。雰囲気的にはたぶんそう。

 

とにかく、これからすごいオカルトを探すと決めたのなら、そういう深夜の時間帯や廃墟とかに足を運ばないとダメなんだと思う。

炎上は怖いし、お母さんとか学校の先生とか、バレたらきっとものすごく怒られるんだろうけど……胸に燻る悔しさとドキドキが、その不安を限りなく小さなものにさせていた。

 

 

「……わわっ」

 

 

と、そうして街を歩いている途中、慌てて手近な建物の影に身を隠す。

しばらくそのままじっとしていると――やがて通りの向こうから、一台の車が近付いて来た。

 

巡回中のパトカーだ。赤色灯こそ灯っていなかったけど、わたしの『眼』なら遠くからでも視認できる。

幸い、隠れているわたしには気付かなかったらしい。車の姿が完全に見えなくなった事を確かめ、ささっと物陰を抜け出した。

 

……わたしがこうして補導もされずに歩けているのは、間違いなくこの『眼』のおかげだ。

 

何せ、例の視界を広げる機能を使えば、文字通りわたしに死角は存在しない。

パトカーやお巡りさんはもちろん、変質者とか危なそうなオカルトだって、向こうに見つかる前に発見して回避できる。

 

こそこそと隠れ動くには本当にピッタリの力で……コトちゃんのボディーガードだって、必要ない。

 

 

「――……」

 

 

無意識のうち、スマホを握る力が強くなる。

わたしはそれに気付かないまま、小走りでその場を後にした。

 

 

 

その後も人に出くわさないよう気を付けつつ街を進み、十分もかからず目的地に辿り着く。

 

それはもちろん、立ち入り禁止の廃墟――ではなく、行き慣れた自然公園である。

 

本当はコトちゃんとも話した廃墟の遊園地に行ってみたかったけど……やっぱりどうしても、許可や保護者同伴に関して誤魔化せそうになかったのだ。

 

特に今は、コトちゃんの動画の件で特定もされやすくなっている。

この街のどの廃墟に行ったかなんてすぐに分かっちゃうだろうし、その管理者への問い合わせなんてされてしまえば、不法侵入である事が簡単にバレてしまう。

そしたらわたしの学校にも連絡が行って、リアルでも大騒ぎになりかねない。自動的に『ひひいろちゃんねる』も打ち切りだ。

 

……だけどこの自然公園であれば、深夜でも一部のエリアが開放されていて、許可を取る必要もない。

訪れた時間を夜の九時とかっていう事にして、見えないところに保護者が居るとでも言っておけば、きっとバレる事もない……筈。

少なくとも廃墟に行くよりは何倍も安心で、最初の試しに深夜撮影する場所としては手ごろと言えた。

 

 

(……それに、ここにはアレもあるし)

 

 

思い出すのは、六月のあの雨の日。

わたしは改めて周囲を警戒しながら、ゆっくりと自然公園へ足を踏み入れた。

 

鼻先を擽る湿った匂いが、濃くなっている気がした。

 

 

 

 

 

 

深夜の自然公園の中は酷く静まり返っていた。

 

街中以上に灯りが少なく、ほとんど真っ暗。

施設も全て閉められていて、『眼』で周囲を見渡しても、警備員の一人さえ見当たらない。

 

虫の声。そして草葉が風に揺れる音がただ響き、本当に森の中にでも来たかのよう。

昼間の穏やかな景色の面影なんて、まるで残っていなかった。

 

 

「…………っ」

 

 

怖い。

なんか、すごく怖い。

 

街を歩いてた時も結構怖かったけど、近くに民家がある分、そこにちゃんと人が居るって安心感があった。それに、パトカーだって見かけたし。

 

だけどここには周りに自然しか無くて、ホントのホントに一人きり。心細さはさっきと比べ物にならない。

『眼』に限界まで力を込めて周囲に誰も居ない事を確認しても、自然と体が震えてしまう。

 

 

「うぅ……な、な~い、か~な~……い、いない~かな~……」

 

 

とはいえ、いつまでも棒立ちになっている訳にはいかない。

わたしはスマホを録画モードにすると、『いないかなのうた』を口ずさみつつ、そろりそろりと奥へと進む。

 

真っ暗なせいか周囲の景色が記憶にあるものと随分違う気がしたけど、道はスマホの光に照らされていたから、迷う心配はなかった。

 

 

(え、えっと……確か、小屋の近くだったよね……)

 

 

そうして向かうのは、六月にコトちゃんと来た時に雨宿りした小屋の近くだ。

 

あの時わたしは、降りしきる雨の中に変なものを視た。

傘も差さずに地面を見る、コトちゃん曰く『うちの人』。その足元にあった黒い穴。

 

……そしてあの穴の、縁。あれは一体、どういう事なのか。

 

オカルトかどうかも分からない、ただ不気味なだけの光景。でもどうしてか、ふとした拍子に思い出す事が度々あった。

 

 

「…………」

 

 

空を見上げれば、未だに分厚い雲がかかっている。

『眼』で闇の中を覗けば、雲はあの時と同じような濃い色をしていて、きっともう少ししたら雨になるだろう。

 

あの時と、同じように。

 

 

「……あ」

 

 

そうする内、いつの間にか目的の場所に着いていたようだ。

 

休憩用の小屋に、少し離れた場所にある丸い池。

暗いから分かり難かったけど、間違いなく目当ての場所だ。

 

 

(小屋……は、夜だと流石に開いてないよね……)

 

 

小屋の扉をがちゃがちゃと弄るも、鍵がかかっていて入れそうにない。今日は雨宿りは出来なさそう。

わたしは素直に諦め折り畳み傘を取り出すと、そのまま池のほとりへと向かった。

 

あれから思い出す度に何度か調べには来ているため、暗くても『うちの人』が立っていた位置は大体分かる。

今までは、例え雨の日に来ても何も見つけられないままだったけど……雨の夜なら、どうかな。

 

軽く地面を蹴ってみるけど、穴が開いたりとかは無い。

わたしはちょっと離れた位置に立ち、動画用の素材を撮影しながら、雨が降り出すのをただ待った。

 

 

「…………」

 

 

ドキドキする。

 

それは期待からなのか、闇への恐怖からなのか、それとも夜歩きをしている興奮からなのか。たぶん全部かもしれない。

わたしは『眼』での警戒を怠らないまま、震える吐息を細く吐く。と、

 

 

「――!」

 

 

ぽつ、ぽつり。

 

旋毛に冷たいものが当たったかと思えば、それはやがて地面一帯に広がった。

降って来た。わたしは傘を広げつつ、『眼』を皿のようにして周囲の地面を観察する。

 

――あの穴の縁の様子からして、たぶん何も無い所から発生してくるやつだから。

 

 

「…………」

 

 

湿った匂い。

跳ねた雨霧が地面を覆い、薄靄が辺りを包み込む。

 

……穴は、無い。

幾ら待っても現れる事はなく、只々時間だけが過ぎていく。

 

さあさあと降りしきる雨の中。

わたしは傘の下で雨跳ねの音を聞きながら、そこにじっと立ち続けていた。

 

 

 

 

 

 

結局、その場では何も起きなかった。

 

あれから暫く待っても、他の場所を探しても、例の穴はどこにも視えず。

帰りにかかる時間を考えればそれ以上の長居も難しく、泣く泣く引き上げる事となった。

 

未だ止まない雨の中、傘をゆらゆら揺らして園内を引き返し、溜息ひとつ。徒労感に打ちひしがれる。

 

 

(やっぱり、あの『うちの人』が関係してたのかなぁ……)

 

 

一応、彼らが原因という可能性も考えなかった訳ではない。

集まってじっと見てた辺り絶対穴が視えてたんだろうし、幾ら何でも怪しすぎたもんあの人達。

 

とはいえ、わたしはあの人達の顔も分からないし、コトちゃんの反応を思うと今更彼女に問い質すのも憚られる。

現状、『うちの人』についてわたしが出来る事があるかと言うと……。

 

……まぁ、結果として、わたしは今日すごいオカルトを見つける事が出来なかった。

それが今夜の全てである。

 

 

(……でも、夜の探索、結構簡単だったなぁ)

 

 

気を取り直し、傘をしっかり握り直す。

 

家を出る時お母さん達にバレなかったし、パトカーだってちゃんとかわせた。

深夜の街の空気がどんな具合なのか分かったし、夜の暗さにだってちょっとは慣れた。

 

――ひとりで、やれた。

 

 

(だから……今日じゃなくたって、いつか、いつかは――)

 

 

この調子なら、次も、そのまた次もいけそうな気がする。

そしてその時はきっと、今日よりもっと上手く動けるようになっている。

 

慣れていくんだ。だから大丈夫、いつか絶対に見つけられる時が来る。

 

コトちゃんよりずっと再生数を稼げる、すごい動画を作れるネタを――。

 

 

「……あ」

 

 

……と、気持ちを新たにしたその時。

ふと、その存在が頭に浮かんだ。

 

 

(――ネタといえば、あそこにもあったっけ)

 

 

広げた視界に映るのは、少し離れた場所にある広場中央に鎮座する、大きめの噴水池だ。

今は停止しているけど、いつもは高く水を噴き上げていて、綺麗なアーチと水飛沫を作っている憩いの場だった。

 

……六月のあの日、見つけたのは例の穴だけじゃない。

あそこの噴水にも、少しおかしなところを見つけていたのを思い出した。

 

どうしてか雨の波紋を作らない、ぞっとするほど静かな水面の噴水池。

 

あの時は大したものにも思えなくて、写真を一枚撮ってそれっきり。

ずっと穴の方に気を取られていて、存在自体を今の今まで忘れていたけど……。

 

 

(……今は、いいかなぁ)

 

 

よくよく思い出しても、あまりすごいオカルトだとは思えない。

それに早く帰らないと、早起きのお母さんにわたしの不在がバレてしまう。わざわざ立ち寄っている暇は無いのだ。

 

 

(また今度、穴を探しに来た時ついでに行ってみようっと)

 

 

わたしはひとまずそう決めて――最後に一度だけ、噴水の様子を『眼』で確かめた。

 

なんとなく……そう、なんとなくだった。

 

『眼』に力を籠めて視界を広げ、この場所から噴水を覗き込む。

 

本当になんとなくで、出来るからやっただけで、意図なんて何も無くて――

 

 

 

 

 

――その、なんとなくの行動で、わたしは終わった。

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

やはり波紋ひとつ立たない凪の水面に、白と赤の何かが映っていた。

 

……最初は人の顔の輪郭にも見えたけど、違う。

酷く歪な丸みを持った白い塊。そうとしか表現出来ないもの。

 

色合い的にコトちゃんみたいなそれは、靄を思わせるように不定形に揺れ動いている。

そしてその柔らかなその表面に浮かぶ八つの赤斑が、わたしをじっと見つめていて、

 

 

――見つめて、いて?

 

 

「――ぁ」

 

 

――こっちを、見てる。

 

気付いた瞬間、全身が総毛立つ。

まるで肌が裂けたと錯覚するくらい強烈な恐怖に、わたしは弾かれるように駆け出した。

 

 

(み、視えない! 視えない視えない視えないっ!!)

 

 

咄嗟に『眼』を閉じたけど、恐怖は消えない。

周囲の警戒とか人に見つからないようにとか、そんな考えは全部頭から消えていた。

気付いたら傘もどこかに投げ捨てていて、びしょ濡れになりながら力の限りただ走る。

 

 

「な、何……? 何が、何、あれ……!?」

 

 

分からない。

正体はもちろん、オカルトなのかそうじゃないのか。そもそも自分が何を見たのか、何でこんなに怖がっているのかさえも。何一つ。

 

だけど分かる。分からないけど、分かるのだ。

 

アレはダメだって。関わっちゃいけないって。

わたしの心が、『眼』が、魂が。全てが危機を訴えている。

 

だからちょっとでも早く、ちょっとでも遠く。ここから離れて、逃げるんだ。

そうしないと、わたし、わたしは――。

 

 

「――っ、うあっ!?」

 

 

ズ、と。

踏みつけた地面が突然深く沈み込み、バランスを崩した。

 

いや、バランスがどうとかそういう問題じゃない。

立っている地面そのものが突然消えたかのように、私の身体が真下に落ちて――。

 

 

「う――ぁぐぅッ!?」

 

 

反射的に腕を出し、目の前を上に過ぎて行こうとした地面へ身体を引っかける。

体重のかかった胸と肩がものすごく痛かったけど、どうにか落ちずには済んだみたい。

 

 

(な、なに……? わたし、何で落ちたの……!?)

 

 

痛みに滲む涙を堪え、わたしはすぐに下を向き――ひっと喉が引き攣った。

 

――穴だ。わたしの足元に、大きな穴が開いている。

 

それはどこまでも真っ暗で、真っ黒で、どこまで深いのか予想すら出来ない。

わたしはその縁に上半身を引っかけて、辛うじて落下を防いでいる状態となっていた。

 

 

(な、何で!? 穴なんて無かったのに……!)

 

 

あわてて身体を引き上げようとするけど、雨で滑って上手くいかない。

穴の中には足を蹴り上げる壁も無くて、上半身だけで頑張るしか道は無かった。

 

……何で、どうしてこんな事に。

周囲は暗いし雨も降っているけれど、流石にこんな大穴を見落とすなんてありえないのに。

わたしはパニックになりながら、必死になって穴の縁に足を乗せようと持ち上げて、

 

 

「――っ」

 

 

――穴の縁が、解けていた。

 

自分でもよく分からないけど、そうとしか言えなかった。

穴の境界がまるで靄に溶けるかのように曖昧で、酷く不自然な状態になっている。

 

無理に例えるとするなら、地面ではなく空間自体に開いた穴――そのようなもの。

 

……見覚えが、見覚えがあった。

だって、わたしはついさっきまでこれを探していたんだから。これこそが、この公園に来た目的だったんだから。

 

そう、これは間違いなく――あの雨の日に『うちの人』の足元に開いていた、よく分からない穴だった。

 

 

「ひぐっ、なんで、なんで今ぁ……!!」

 

 

図らずも目的を果たした形にはなったけど、そんな事を言ってる場合じゃない。

 

こんなどこに繋がっているかも分からない穴に落ちたら、わたしはきっとろくでも無い事になる。

この暗闇の向こうには、今まで避ける事が出来ていた、良くない事が待っている。そんな確信があった。

 

……やだ。

やだ、やだ、やだ、やだやだやだやだやだやだ――。

 

 

「なんでぇ……! 『眼』、閉じたよぉ……! 視えなくなったよぉ……!!」

 

 

穴から出られない。

雨で滑っているからだと思っていたけど、違かった。

 

少しずつ、穴が大きくなっているんだ。

穴の縁が、暗闇が。少しずつ解けて広がって、わたしを吞み込もうとしている。

 

 

「やだ、やだぁぁぁ……! やめて、やめてよぉ……!」

 

 

ずる、ずる。

穴が広がる。胸元にぴったりとつけていた縁がゆっくりと離れはじめ、わたしの身体が下がっていく。

 

必死に足掻いて、遠のいていく地面に縋り付くけど――足首を何かに掴まれ、そこから動けなくなった。

……恐る、恐ると、下を見た。

 

 

「ぁ、う」

 

 

わたしの足首に、白い靄のようなものが巻き付いていた。

 

『眼』を閉じた筈のわたしにも視える、穴の縁の靄と似たような何か。

糸のように細く柔らかいそれが、穴の奥底から伸びている。

 

その闇の中に、赤斑の浮く白が視えた、気がした。

 

 

「……た、たすけて、ください」

 

 

……震え、掠れて、ほとんど吐息のような声だった。

 

 

「おねがい、です。やめ、やめて、ください……」

 

 

穴の縁がさらに広がり、滑り落ちかける。

肩も腕も痛かったけど頑張って、掴む地面に爪を立てた。

 

 

「ゆるし、て……ごめん、なさい。もう、もうしません。ここに、こない、きません、から」

 

 

足首の靄が動いて、わたしの太腿、おしり、お腹って上がって行く。身体を包み込んでいく。

気持ち悪くて、吐きそうになって、涙が溢れて止まらなくなった。

 

 

「もう、わるいこと、しません。ひぐっ、よる、で、であるきません。だから、かえらせて、く、ください……おうち、おかあさんの、ところぉ……!」

 

 

どれだけお願いしても、穴の広がりは止まってくれない。

靄も胸元から首に上がって、遂には顔、目元にまで。

 

――そして品定めをするかのように、わたしの『眼』をなぞり上げた。

 

 

「っやだぁ! たすけてぇ!! おかあさぁん!! おとうさぁん!! コトちゃ――」

 

 

耐え切れずに叫んだ時、靄が口の中に飛び込んだ。

同時に地面に立てた爪が剥がれ、わたしは為す術もなく穴の中に落ちていく――。

 

 

「――ぁ――」

 

 

そこは夜闇よりもずっと昏く、光の一筋すら差し込まない、すごくすごく怖い場所。

 

わたしはたくさんの靄を注ぎ込まれながら、閉じゆく穴の外へと手を伸ばす。

助けてって、出してって。喉も肺も靄で満たされ息すら出来なくなった中で、必死になって叫び続けた。

 

でも当然、そんなのがどこにも届く訳がない。

爪の剥がれた指先はどこにもかからず闇を掻き、ただ血玉を撒き散らすだけ。

 

 

 

……そうして、全てが黒に沈む間際。わたしはその奥深くに潜むそれを視た。

 

 

 

ぼやけ、薄れゆく意識の底にゆらりと浮かぶ、白と八つの赤斑。

 

今ならば、分かる。

ああ、ああ、そうだ、あれは――

 

 

――あれはきっと、くもだった。

 

 

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