異女子   作:変わり身

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【私】の話(中②)

 

 

 

駆け付けた公園にはまだ幾人かの警察官が居り、細々と捜索を続けていた。

 

人数は昨日よりも少なくなっていたけど、まだ警察が動いてくれていると分かる光景に、膨らみ続ける焦りがほんの少しだけ小さくなる。

 

……もっとも、手近な警察官に尋ねてみたところ、ここに残っている彼らは既にあかねちゃん本人の捜索より、その痕跡探しに比重を置きつつあるようだった。

 

というのも、この公園はかなり広いし自然も深いが、草木が伸び放題の前人未踏って訳じゃ無い。

様々な施設が揃っている分あちこち整備されており、人の目の届かない場所は狭い範囲に留まっているのだ。

よって人数を揃えての山狩りなどをするまでも無く、あかねちゃんが園内に居ない事は現状ほぼ確信出来ているらしい。

 

……だったら、私はどうすればいいんだ?

 

聞いた限り有力な痕跡もまだ見つかっていないようで、あかねちゃんへの手掛かりは先の傘以外に無い。

これでは探す当てのない状態に逆戻り。園内より公園の周囲一帯を探すべきなんじゃないかとか、やっぱり廃墟や空き家空きビルに目を向けた方が良いんじゃないかとか、無軌道の迷いが再燃する。

 

 

(……いや、でもまだ、警察が見てないとこに居るかも……)

 

 

昨日は本格的に探し回る前に倒れてしまったので、私自身が調べていない場所は山ほどある。

もしかしたら警察が見落としてるかもしれないし、傘以外の手掛かりだってあるかもしれない。

たぶん、他を探しに行くよりはまだ可能性はある筈なんだ――そう、縋り付くしかなかった。

 

それから私は、足取りに滲む迷いを見ないフリして、ひたすらに園内を走り回った。

 

森も、広場も、施設も、湖も、公衆トイレの中だって。

無駄に良い身体能力をフルに使って、それこそ草の根分けてあかねちゃんの姿を探し続けた。

 

……でも、失せ人探しのプロである警察が見つけられないものを、素人の私が早々に見つけ出すなんて出来っこなくて。

結局どこを探してもあかねちゃんは見つからなくて、ただただ時間だけが過ぎて行く。

 

そうして日が沈みかけた頃には目ぼしい場所は殆ど周り切ってしまい、残すは施設のスタッフルームとか警備員の詰め所とか、基本立ち入り禁止の場所だけだ。

警察が痕跡探しにシフトした理由を、これでもかと突きつけられた気がした。

 

 

(やっぱり、別の場所を探すべきだったのかな……)

 

 

捜索の最中、警察官や警備員に出くわす度に捜査の進展があったか尋ねても、返事は芳しくはなく。

むしろ倒れた件を引き合いに家に帰るよう促されたり、徒労感だけが積み重なった。

 

 

「……もう、三日……」

 

 

雲一つない夕焼け空を見上げ、ぽつりと呟く。

 

あかねちゃんが居なくなってから過ぎた時間だ。

これだけの時間が経って、まだ見つかっていなくて……今、あかねちゃんはどうしているんだろう。

 

ケガはしていないだろうか。体調は大丈夫なのか。

お腹は減っていないか。泣いてはいないだろうか――。

 

考えれば考えるほど心配が膨れ上がり……それが最悪の想像へと至る前に、首を振って思考を散らした。

 

 

「…………」

 

 

そうする内に、とある広場に差し掛かる。

昨日私が倒れた、噴水広場だ。

 

ここは昨日既に探した場所だし、正直行く意味は薄いけれど……念のため、軽くでも見ておいた方が良いかもしれない。

昨日の苦痛を思い出して渋い顔を作りつつ、広場に入る。

 

 

「……まぁ、無いわな」

 

 

昨日と同じく探せる場所は探したけど、あかねちゃんの姿もその手掛かりも無し。

別に期待していた訳じゃないのに、やっぱり溜息が漏れた。

 

――で、だ。

 

 

「う……」

 

 

敢えて近寄らないようにしていた噴水池に、恐る恐ると目を向ける。

 

昨日の時は雨だった事もあり噴水機能は停まっていたが、今日は絶賛稼働中。

謎の仕掛けも今は起動していないようで、その水面は美しく透き通っている。

そうして噴き上がる水柱が夕陽に照らされキラキラと輝いていて、昨日の真っ黒具合が嘘のよう。

 

 

「……っ、……」

 

 

びくびくしながら噴水に近づくけれど、昨日と違って痛みも何も起きずホッと一息。

 

まぁ当然だ。昨日の苦痛とこの噴水に因果関係なんてある筈も無いんだから。

そんなの考えるまでも無く分かってる。分かり切ってるのに……どうしてかそう思えない自分も居て、ちょっと混乱してもいる。

 

……ほんと、何だったんだろう。

突然流れた血涙と、血管の中が全部沸騰したような、あの凄まじい痛みと熱さは――。

 

 

(……そういや、あの時なんか聞いた……よな?)

 

 

正直なところ、当時の記憶は苦痛に塗り潰されていて曖昧だ。

倒れる直前に何か音か声を聞いた気はするけど、気のせいだと言われれば否定も出来ない。

 

実際、昨日と同じく噴水の傍に立ち周囲を見回してみるけど、今は何も聞こえなかった。

噴水にスピーカーが付いているという訳でも無さそうで、音の出所も掴めない。

 

……あの時私は、本当に何かを聞いたのか?

 

 

(……分かんない)

 

 

口の中で呟き、噴水池の縁に手をかけ改めて水面を覗き込む。

噴水によって絶え間なく揺らされ、落ちる飛沫が無数の波紋を作り続ける、真っ紅な水面――ただそれだけ。

 

あのぞっとする程の静けさは、どこにも無かった。

 

 

「…………」

 

 

ふと、空を見上げれば。

水面と同じ色をした夕焼けに、薄暗い雲がひとつふたつと浮いていた。

 

 

 

 

 

それから間もなくして、私は自然公園を追い出される事となった。

 

常識的に考えて、警察の居る場所を中学生が遅くまでうろつける訳が無いのだ。

警察官の私を見る目が厳しくなってからもだいぶ粘ったのだが、とうとう直接注意され諦めざるを得なかった。

 

私としても園内の捜索に行き詰まりを覚えていたのは確かではあるので、素直に帰宅する風を装って、そのまま別の場所の捜索に移る事にした。

こういう時に門限や親の事を考えなくていいってのは、私の家庭環境の数少ない良い所だろう。完全に不良だなこりゃ。

 

まぁ相変わらず捜索場所の当ては無いままなのだが、自然公園に傘が落ちていた事を踏まえ、ひとまずは公園近辺を探す事にした。

 

現状は公園の周囲に警察官が若干多くうろついているので、目をつけたのはそこから少し距離を取った、私達の通う中学校近くの街中辺り。

廃墟や空き家が少ないため、私の注目の外にあったエリアだ。

 

……こんな街中に、あかねちゃんは居るのか?

そんな疑問が脳裏を掠めるけど、たぶんどこを探したっておんなじ事を思うのだろう。私は一度頭を振り、フードを深く被り直して街の中へと踏み入った。

 

 

(……くそ、やっぱ人混みはめんどくせーな)

 

 

しかし、それでもなおじろじろ集まる視線が鬱陶しく、舌打ちを鳴らす。

 

人の居ない廃墟や少なめの自然公園と違い、街中の人目はそれなりに多い。

急ごしらえで用意した衣服のためフードが浅い事もあってか、私に目を向けて来るヤツもそこそこ居り、自分の悪目立ち加減を痛感する。

 

 

(つーかそもそも、見回りの警察も居るだろうからあんまり派手には動けないし、どう動くのがいいんだこれ……?)

 

 

冷静になると、そこらへんを何も考えてなかった事に気付く。

 

今までは探す場所を廃墟の中に絞っていたから、街中は単なる移動経路に過ぎなかった。

だがここには目ぼしい廃墟や空き家が少なく、直接街の中を探さなければならない。

あかねちゃんの名前を大声で呼び回る訳にもいかないし、そこらの家に押し入って勝手に探し回る訳にもいかないのだ。

 

 

(警察みたいに聞き込みとか……か? ……いや私に出来んの?)

 

 

通りがかりのビルのガラスに映った真っ白けを眺め、唸る。

こんなんがそこかしこに話しかけに行ったら、人混みの中であかねちゃーんと叫び回るよりも、何か……絶対変な面倒事とか呼び寄せるっていうか何というか――。

 

 

「い、いや、ぐじぐじ言ってる場合じゃねーだろ……!」

 

 

ぱちんと頬を叩き、気を切り替える。

 

そうだ、考え付いた事は何でもやると決めた筈。

なんのかんのと二の足を踏ませようとする躊躇いを振り払い、私は丁度よく目が合った通行人のもとへと踏み出した――。

 

 

 

 

 

 

「ひでー目に遭った……」

 

 

ダメだった。

 

人混みから離れた道の外れ。

私は適当な縁石に腰掛け、ぐったりと息を吐き出した。

 

……いや、最初は上手く聞き込み出来ていたと思うのだ。

 

やった事は道行く人に話しかけ、「この子見ませんでしたか」とスマホに映ったあかねちゃんの写真を見せるだけ。

こっちの意図はシンプルかつ明確だった筈で、実際話しかけた人達だって多くが困惑しつつもキチンと返事をしてくれていた。……その殆どが「知らない」だったのはさておいて。

 

だが、少し夜が更け込み始めた頃あたりから、流れがおかしくなった。

 

話しかける通行人から妙に警戒されるようになったかと思えば、逆にグイグイ来られたり。

中には近づかずとも向こうから話しかけて来るようなヤツも出て来て、思うように聞き込みが進まなくなったのだ。

 

……ハッキリと言ってしまえば、パパがどうだの立ちんぼがなんたらだの、そういうアレが蠢き始める時間帯になっていた訳だ。

 

私もそういった目を向けられるのは(不本意だし納得も出来ねーけど)慣れちゃいるが、直接絡んでくるヤツを軽くあしらえる器用さは無い。

今はあかねちゃん探しで焦っている事もあり、あっという間にイライラが募り――いきなり尻を触って来たロリコン相手にそれが爆発。

一悶着起こして無駄に人目を集めてしまい、慌てて逃げ去る羽目になってしまった。

 

当然、まだあかねちゃんの手掛かりの一つも得られていない。

分かった事と言えば、ああいう場だと私はコスプレでアレするアレに思われるって事だけだ。なんもかんも最悪じゃボケ。

 

 

「あぁぁぁ……どうすりゃいんだよぉ……」

 

 

聞き込みを再開するにしても、また騒ぎになる可能性があるんじゃおちおちやってもいられない。

かといって他にどう探せばいいのかもパッと浮かばず、私はまた途方に暮れた。今日何度目だよ。

 

 

「うぅぅ……」

 

 

そうしてにっちもさっちもいかなくなった私は、もう一度だけあかねちゃんに電話をかけた。

今度こそ出てくれるんじゃないか――そんな希望があったと同時に、街のどこかから着信音が聞こえるかもしれないって思い付いたから。

 

 

(何だっけ、ナントカってグループの、ナントカって曲……)

 

 

……曲名はともかく、その旋律は覚えてんだから別に良いだろ。

私はさっさとスマホを耳に当て、周囲の様子を窺った。

 

そんな都合よく行かないって分かってる。だけど、縋るしかないんだ。

片耳にコール音が響く中、私は他の音を聞き逃すまいと集中し、静かに感覚を研ぎ澄ませ――。

 

 

 

 

 

――そうして、私は生まれて初めて、『それ』を捉えた。

 

 

 

 

 

「…………?」

 

 

少し離れた道の端。

そこにぽつんと佇む一本の朽ち木の裏に、真っ赤な何かが『視えた』。

 

最初は視間違いだと思った。

立ち枯れ、乾き罅割れた木肌が街灯に照らされて浮かんだ陰影か何かだと、そう思ったのだ。

 

でも、すぐに違うって思い知らされた。

 

それは視間違いでも何でも無く、確かな事実としてそこに在り――やがて、くずおれるようにして朽ち木の陰から広がった。

 

 

「は……」

 

 

空白。

頭が『それ』の理解を拒み、思考が止まる。

 

……何だ、あれ。

 

表現が出てこない。

まるで……何だ、真っ赤なクレヨンでぐしゃぐしゃに書きなぐった線の集まり、というか。

硬く流れて、なのに柔らかく蠢き、ずっと渦を巻いている。

 

どう見ても生き物じゃないし、かといって液体とか気体とか、そういう感じもしなくて。

本当に、全く、根っこから意味の分からないもの――。

 

 

「……、……」

 

 

どう反応すればいいのか、心の底から分からなかった。

恐怖は無く、焦燥もせず。ただただ凪の困惑が滲み続け、私の動きを鈍らせる。

 

耳元で鳴る電話のコール音だけが、がらんどうの頭の中を跳ね回っていた。

 

 

「…………」

 

 

その真っ赤なぐしゃぐしゃは、どうやらこちらに近づいているようだった。

 

ずるずると、ずるずると。

地面に零れた水が広がっていくように、少しずつ私のもとへと這い迫る。

 

現実感の無いその光景には不気味さと同時にどこかコミカルさもあって、危機感なんてまるで抱けなかった。

そして取るべき行動も定められないままぼんやり眺め続ける内、真っ赤なぐしゃぐしゃは途中にある街路樹の一本に差し掛かり――。

 

ずるん、と。

奇妙な音を立てて、その中に吸い込まれていった。

 

 

「…………あ?」

 

 

立て続けに起こる意味不明な出来事に呆気に取られていると、真っ赤なぐしゃぐしゃを吸い込んだその街路樹が一際大きな異音を立てた。

 

ぱきん、という、何か乾いた物が割れるような音。

 

いや、実際に割れたのだ。よく見れば、木肌に無数の罅が入っている。

急激に幹が干からび、ささくれ立って。青々としていた枝葉も細まり、地面に落ちた。

 

そうして、新たに朽ち木が一本そこに増え……割れた木肌の内から、さっきの真っ赤なぐしゃぐしゃが溢れ出す。

 

 

「――……」

 

 

気付けば私は腰を浮かせ、ゆっくりと後退っていた。

 

耳元のコール音がやけに煩い。

心臓が嫌な動きをし始め、呼吸が浅くなっていく。

 

真っ赤なぐしゃぐしゃが変わらずこっちに流れて来ている。

右にも左にも逸れる様子は無い。後退ればその分進路を曲げて、明確に私を追っているのがイヤでも分かった。

 

コール音が煩い。

一度電話を切ろうとしたが、どうしてかスマホを握る手が動かない。下がらない。

 

真っ赤なぐしゃぐしゃがさっきよりも近い所に居る。

 

……あれが私の所にまで来たらどうなる?

さっきの朽ち木を見た。つい数分前まで瑞々しい葉を付けていた、それ。

 

 

「――っ……!」

 

 

でも、身体が動かないんだ。

 

ゆっくり後退る以上の事が出来ない。

何で。このままじゃヤバいかもって分かってんのに。

コール音が煩い。

 

息苦しい。視界が細かく揺れている。

コール音が煩い。

変な混乱の仕方をしているのが自分でも分かる。

何で動けない。コール音が。

 

ぐしゃぐしゃはもうすぐそこまで来ているのに。

目の奥が熱い

怖い。

赤。

血管が痛む。

コール音。

私が。

気持ち悪い。

喧しい。

コール音。

コール音。

コール音――が、止まっ、て、

 

 

 

 

 

 

『  』

 

 

 

 

 

 

――耳元でその掠れた囁きが聞こえた瞬間、私は弾かれたように駆け出した。

 

 

「――かはっ! は、ぁっ! はぁ……っ!?」

 

 

いつの間にか息すら止めていたらしい。

私は必死で肺に酸素を取り込みながら、スマホの画面を見る。

 

絶対、声が聞こえた筈だ。

だけど画面は呼び出し中のままとなっていて、コール音も絶えず響き続けているままだった。

 

幻聴? いや、んな訳あるか。

落ち着いて聞こえた声を思い出したいとこだけど、今そんな状況じゃない事くらい分かってる。

 

走りながら背後を見れば――そこには予想通り、真っ赤なぐしゃぐしゃが私を追って流れて来ていた。

 

 

「く、くそっ、くそっ!! 何なんだよ! 何なんだよお前ぇ……っ!!」

 

 

多少まともに頭が回るようになっても、やっぱり答えは出ないまま。

意味不明で理解不能で、その意図も目的も何一つの見当がつかない。

 

……オカルト。

ふとその単語が脳裏をよぎり、しかし即座に握り潰した。

 

 

(正体だのそんなん後だ後! どうすんだこれから!? 振り切れんのか!?)

 

 

見かけによらず、意外と俊敏であるらしい。

真っ赤なぐしゃぐしゃは私の健脚でも引き剥がせず、着かず離れずの距離で流れ続けている。

 

振り切る事は容易ではなく、逆に気を抜けば一瞬で追いつかれてしまうだろう。

 

 

(くそ、電車かバス……いや、乗り込んでる間に追い付かれ――、っ!?)

 

 

考える内、ふと前方に歩いて来る数人の通行人の姿を認め、血の気が引いた。

 

こんなのを引き連れて近寄ったら、今度は彼らがターゲットになるかもしれない。

そうなったら最悪の巻き込み事故だ。気が引けるなんてもんじゃ無く、私は無理矢理に進路変更しつつ通行人達に呼びかけた。

 

 

「あ、あんたら! 早くこっから逃げろ!! これっ、後ろのっ、何かヤバくてっ!!」

 

「……?」

 

 

しかし通行人はそんな私に怪訝そうな目を向けるだけで、誰一人として驚いたり逃げたりする様子は無かった。

こっちを見た以上、真っ赤なぐしゃぐしゃの姿も見えている筈なのに、どうして――。

 

 

――『あはぁ、まぁコトちゃんは視えないもんねぇ、そういうの』

 

 

(――視えて、ない?)

 

 

唐突に。

いつか聞いたあかねちゃんの言葉が思い出され、それを悟った。

 

……嘘だろ?

本当にそういうヤツなのか?

この真っ赤なぐしゃぐしゃは、本当の本当に、そういう――

 

 

「っ!」

 

 

悪寒。

咄嗟に大きく跳ね飛べば、足の下をぐしゃぐしゃが掠めた。

 

 

「――だァから! そういうの後だっつってんだろ!」

 

 

また余計な事を考えた。

 

私は自分自身を叱責し、通行人に近づかないよう横道に入った。

真っ赤なぐしゃぐしゃは当然のように私の方を追って来て、恐怖と安堵を一緒に感じる。

 

……だが、外れとはいえ街の中だ。

都合よく人気の無い場所がある訳もなく、途中他にも幾人かの通行人と出くわした。

 

中には逃げ場の無い細道での遭遇もあったが――どの場合においても、真っ赤なぐしゃぐしゃが彼らを襲う事は無かった。

はじめはその理由が分からなかったけど、何度も繰り返すうちに何となく察する。

 

――視えてないからだ。

きっとアレは、自分の事を視えないヤツには興味が無い。

 

だから視える私だけを追って、視えない通行人はスルーする。

……荒唐無稽で、合ってる保証も無かったが、動きからして間違いである気もまたしなかった。

 

 

(でも、だからって街ん中行くの無理だろ……!)

 

 

これまでの通行人達は全員視えなかったようだから良かったものの、もし視えるヤツが居たらと考えるとぞっとする。

警察を呼ぶのも同じ理由で躊躇して、迷う内に人の居る方向からどんどん離れる事となり、焦りと疲労が重なっていく。

 

私の体力だって無尽蔵って訳じゃない。

このままだと、その内体力が切れて……それで、どうなるんだ?

 

 

(………………、)

 

 

先程の朽ち木が再び頭をよぎる。たぶんきっと、正解だ。

 

ああくそ、どうしたらいいんだマジで。

最近そう思う事ばっかりで、もう、どうすればいいのか、私――

 

 

「!」

 

 

泣き言が零れそうになったその時、また道の先に通行人の影を見た。

 

横道の無い一本道。

もう舌打ちする間すら惜しく、私はなるべく道の端に寄って通行人の横を駆け抜けようとして――ソイツの顔に浮かぶ無表情に気が付いた。

 

――『うちの人』の、一人。昼に病院前で遭った、金髪の青年だった。

 

 

「……っ……!」

 

 

……助かった、だなんて。ヤツら相手に初めて思ったかもしれない。

 

何でここに居るのかなんてどうでもいい。

私は唇を噛んで表情の変化を抑え込み、必死に大声を張り上げた。

 

 

「――車! 車持ってきて! 今度はちゃんと乗るから!! バカって言ってすいませんでした!!」

 

 

真っ赤なぐしゃぐしゃに関しては言わない。

どうせ視えないんだろうし、説明している暇もないのだ。

 

問題は私の言葉を聞くかどうかだが、今はもうコイツに縋るしかない。

私はコンビニ袋を下げる彼の横を通り過ぎざま、適当な合流場所を怒鳴り伝え――。

 

 

「…………」

 

「っ?」

 

 

気付く。

常に私に冷たい視線を送り続けていた無機質な目が、こっちを向いていない。

 

というか意識自体を向けていないようで、すれ違う私の背後をじっと見つめたまま、微動だにせず、

 

 

「……え? ――なっ、おまッ!?」

 

 

それの意味するものをすぐに察し、慌てて足を止めた。

しかしこの健脚の勢いはすぐに殺せず、アスファルトを滑るまま青年と相当な距離が開いていく――。

 

 

(コイツ、視えてんのか……!?)

 

 

ざりざりと減速しながら振り向けば、やはり青年は私に背を向け、道の向こうを見つめている。

 

明らかに真っ赤なぐしゃぐしゃを捉えている。

私よりも優先してそちらの方に意識を向けている以上、そうであるとしか思えなかった。

 

 

「お、おい! 逃げろよ! 視えてんだろ!? そこにいるヤツ!!」

 

「…………」

 

 

必死に叫ぶも、いつも通り反応は無い。

 

さっきの私のように、アレのヤバさが分かっていないんだ。

そう思った私は、足首が嫌な音を立てるのも構わず強引に反転し、青年へと走った。

 

真っ赤なぐしゃぐしゃはもうすぐそこまで迫っている。

なのにピクリとも動こうとしない青年に舌打ちを鳴らし、私はその手を引っ張って、

 

 

「――うぐ」

 

 

だが、その手が触れる寸前、青年が動いた。

 

小さく身を捻り腕を躱すと、代わりに持っていた袋を私の胸に押し付けたのだ。

いつもなら何てことない軽い力だったけど、反転するのに無理したせいか足首が滑り、容易く押し返されて尻もちをつく。

 

 

「っ、何す――」

 

 

そうして、怒りと困惑のまま顔を上げたその時――青年と少しの間目が合った。

 

 

「――――」

 

 

……それはいつもと変わりない冷たい瞳だったけど、ほんの僅かに違う温度を持っていたようにも思えた。

しかしその差異を推し量る前に視線は外され、青年の顔が前を向き、

 

 

――次の瞬間、彼の全てが真っ赤なぐしゃぐしゃに吞まれ、消えた。

 

 

「……ぁ」

 

 

ずるり、ずるり。

ぐしゃぐしゃの中から何かの音が聞こえる。

 

それと同時に徐々にぐしゃぐしゃが消えて行き、やがてその内側から青年の姿が現れた。

……さっきの街路樹のように、ぐしゃぐしゃが彼の身体の中へと吸い込まれたみたいだった。

 

 

「な……なぁ……?」

 

「……、……」

 

 

青年は答えない。

 

見た目には特に異常は無かった。

ただ、酷くぎこちない動きで、ふらふらと私から離れ、

 

 

「ひ」

 

 

――ぱつん。

風船が破裂するような音を立て、その肌に無数の亀裂が走った。

 

街路樹の時と同じだ。

皮を割り、肉を裂き、真っ赤な中身をぱっくりと晒している。

 

そしてその亀裂からは、血の一滴すら流れない。

 

 

「……う、え」

 

 

だというのに、青年の身体は見る見るうちに血色を失っていった。

 

開かれた肌から覗く肉の赤みがくすみ、しぼみ、最後には灰色に干からびていく。

 

……やがて、ぱきんと乾いた音が鳴った。

直後、青年の身体が力なく地面に倒れ込み、それきり全く動かなくなった。

 

大人の男性とは思えない程、軽い衝撃――そこに、血肉の重みは、無く。

 

 

「……お、おい……おい、って……」

 

 

ややあってどうにか我に返った私は、倒れたままの青年に恐る恐ると近づいた。

 

投げ出された腕や足はミイラのように乾き切り、枯れ枝よりも細くなっていた。

うつ伏せだったから顔までは確認できなかったけど、地面に広がる金髪はきしんで真っ白になっていて、胸の上下もしていなくて。

 

一目見るだけで、もうダメだって事がこれ以上無く分かってしまい――。

 

 

「――……」

 

 

……ダメって、何が?

 

咄嗟に気付かない振りをしたけど、それで誤魔化せる訳もなく。

じわじわと、実感として、目の前の光景を現実のものと理解する。

 

 

――どうしようもなく、死んでいる。

 

 

「――ひ、きゃあぁぁぁっ!?」

 

 

死体、それもこんな異常な死に方のものなんて見た事が無く、私はいとも容易くパニックになった。

 

尻もちをついたまま後退り、持ったままのコンビニ袋を強く抱きしめ、情けない悲鳴を張り上げる。

 

 

(何でっ、なん、死、死んで――いや、殺されっ……!?)

 

 

――そうだ、これは殺されたんだ。

 

それを思い出した瞬間――ミイラとなった青年の死体が、また乾いた音を立てた。

 

すると肌に刻まれていた裂け目から、真っ赤なぐしゃぐしゃが溢れ出す。

それは街路樹を朽ち木に変えた時と寸分違わぬ光景で、私はまた引きつった声を上げた。

 

 

(逃げっ……に、逃げなきゃ……!)

 

 

そうして震える足を必死にいなし、この場から逃げ出そうとして……ふと、違和感。

青年の死体から溢れ続けているぐしゃぐしゃが、全く動きを見せていない事に気が付いた。

 

 

「……え……?」

 

 

とろり、とろり。

それはその場に力なく広がるだけで、私を追ってこようとはしない。

 

まるで、ただの血液のよう――そう思っている内に、今度はぐしゃぐしゃが少しずつ黒ずみ、泥のように濁り始めた。

そうして、最後にはただの黒い粘液となり果てて、その中心に青年の死体を浮かべたまま沈黙。

 

……私の震える吐息だけが、いやに大きく周囲に響いた。

 

 

「えっ? え、ぇ……?」

 

 

――何だ? 何が起きた……?

 

戸惑いのまま周囲を見回すも、状況に変わりはない。

私と、死体と、粘液になったぐしゃぐしゃと――それだけだ。

 

 

「……ぁ、え……」

 

 

……何もかも、訳が分からなかった。

 

あのぐしゃぐしゃは何だったのか。

 

『うちの人』の青年は何をしたかったのか。

 

何が起こって彼は死んで、どうしてぐしゃぐしゃは動かなくなったのか。

 

何故、何故、何故――。

 

 

「……ぁ、ああ、違う、違う。くそ。今、今は、早く……!」

 

 

これ以上考え込むと思考が止まる気配を察し、頭を大きく振ってリセットをかけた。

 

そして震える手でスマホを取り出すと、警察へと連絡する。

 

バカな私には現状の事は何も分かりはしないけど、やらなきゃいけない事くらいは分かる。

黒い粘液の中に沈む青年の死体を見やり、込み上げる吐き気を堪えた。

 

 

「ぐ……ぅ、うぅぅぅ……」

 

 

だが、指が震えて上手く110が押し切れない。

 

パニックがまだ収まっていないのだ。

私は何度も深呼吸を繰り返し、ゆっくりと、落ち着いて、長い時間をかけてスマホを操作し、そして、

 

 

「――っ!?」

 

 

……そうして、最後の0を押そうとしたその瞬間。突然、その腕を背後から掴まれた。

 

反射的に振り向けば、そこにあったのはいつも見ている見覚えのない無表情。

男子高校生くらいの『うちの人』が、やはり冷たい視線を向けていた。

 

 

「な……なん、だよ。離せよ……!」

 

「…………」

 

 

いつの間に近づかれていたのか、分からなかった。

 

嫌悪のまま軽く腕を振れば容易くその手は引き剥がせたが、もう一度スマホを押そうとすればまた腕を掴まれる。

それを数回繰り返す内、警察に連絡されたくないのだと察した。

 

 

「……何、考えてんだ? 見りゃ分かんだろ、し、死んでんだぞ、あの人……」

 

「…………」

 

「け、警察呼ばなきダメだろ!? 何で平然としてんだよ、仕事仲間なんじゃないのか!?」

 

「…………」

 

 

こんな状況にあっても、どれだけ言い募っても、やはり反応は無い。

 

ほんと何なんだコイツら……!

いい加減付き合ってられなくなった私は、憤りのままぶん殴ろうとして――ふと青年の死体の方から、足音がした。

 

慌てて振り返れば、また別の『うちの人』が複数人、黒い粘液を踏み越えその死体に近づいている。

 

 

「ちょっ……何してんだあんたら! 勝手にそんな――……、……」

 

 

そうして、彼らを止めようとしたその時、道の向こうから何人もの人間が歩いて来るのが見えた。

 

それは一人二人なんてものじゃなく、纏まった数の集団だ。

その誰も彼もが無表情。無言のままにずらりと並び、私に冷たい視線を注いでいる。

 

……あいつら全員、『うちの人』だ。

その余りの人数と、それが近づいて来る圧に、私も思わずたじろいだ。

 

 

「な……何? こんな数揃えてどうしたってんだ、あんたら……」

 

「…………」

 

「……だから、何か言ってくれよぉ……! 分かんない……もう、もう何も分かんないんだよ、あんたらの事、やってる事、今起きてる事も全部、私、何も――」

 

 

そう呟きを落とす内、数人の『うちの人』により青年の死体が引き上げられ、毛布に包まれどこかに運ばれ始めた

 

いや、それだけじゃない。

地面に広がる粘液も、大勢の『うちの人』が集まり何かの処理を行っている。

 

それこそ、ドラマとかで見る警察のようだった。

黙って見ている内にあの真っ赤なぐしゃぐしゃによる痕跡が次々と片付けられていて、元の寂れた道の光景を取り戻して行く――。

 

 

「――ひっ」

 

 

死体が運ばれて行く最中、かけられていた毛布がズレた。

 

それも運が悪い事に、頭の部分。

干からび、落ちくぼんだ眼窩が私を捉え――思わず漏れてしまった悲鳴に、『うちの人』が一斉に私を見た。

 

 

「…………」

 

 

ヤツらの冷たい視線は、さっきと一切変わっていない。

その筈なのに、どうしてか私を責めるような色を持っているように思えてならず、

 

 

「……あ」

 

 

気付き、そして自覚した。

 

 

(……そう、だ。責められるよ、私……)

 

 

そもそも、真っ赤なぐしゃぐしゃに追われていたのは誰だ。

この道まで逃げて来たのは、死んだ『うちの人』の青年の居る場所まで誘導したのは。

 

……そしてどうして青年が、私を待ち構えるようにこの場所まで来ていたのか――。

 

 

「……っぐ、ぅ……」

 

 

視線が下がり、自然と手に持ったビニール袋が目に入る。

 

死んだ『うちの人』の青年が、最期に私へ押し付けたもの。

震えながら中を覗いてみれば――そこに入っていたのは、昼に私が罵声と共に投げつけた、血と吐瀉物で汚れた衣服とレインコート……だったもの。

 

――キチンと洗濯され、綺麗になった着替え達。

 

 

「あ、あぁ……」

 

 

――代わりにそれ持ってって洗濯でもしとけボケ!!

 

そうだ。そうだよ。

彼はその頼みを聞いたが故に私を探してここに居て、そして当の私に真っ赤なぐしゃぐしゃを擦り付けられ、死んだのだ。

 

……注がれる『うちの人』の視線が酷く恐ろしいものに感じられ、ガタガタと全身が震え出す。

 

 

「…………」

 

「……あ、あの……ごめ、」

 

「…………」

 

「ちが、そんなつもり、なくて……わた、私……」

 

「…………」

 

 

無言、無反応、無表情。

さっきまで苛つきしか感じなかった筈のそれが、今じゃまともに見られない。

 

一歩、二歩。

無意識のうちに後ろに下がり……「っ」そこに居た誰かに、軽く背中をぶつけてしまう。

 

咄嗟に顔を上げれば、それは先程の男子高校生ほどの『うちの人』。

至近距離――真上から注がれるその冷たい視線に、私は堪らず逃げ出した。

 

 

「うぁ、あ、あぁ……!」

 

 

だけど、どこを向いても同じ視線と目が合った。

無機質で、冷たくて、仲間を死に追いやった私を責め立てる無数の瞳に囲まれている。

 

……その時の私は、それに耐え切れなかった。

 

 

「――――!!」

 

 

根元が千切れそうになる程フードを下げて、縺れる足で駆け出した。

 

……きっと私は、自分が思うよりもずっといっぱいいっぱいだった。

あかねちゃん、身体の異変、真っ赤なぐしゃぐしゃ、死体、殺人、『うちの人』――いろんな事が一気に起きて、なのに何もかもが分からずどうしようもなくなって、ただ逃げた。

 

行先も後先も、頭に無くて。

膨らみ続ける恐怖と罪悪感に駆られるままにひた走り、私は夜闇の中へと沈んでいく。

 

 

――どれだけ逃げて、走っても。

 

私の背中に絡みつく冷たい視線は、いつまでもいつまでも、決して離れてはくれなかった。

 

 

 

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