異女子   作:変わり身

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【私】の話(中⑧)

 

 

 

「この街に流れる川はね、ある意味では御魂雲の血流でもあるんだ」

 

 

とある川、とある橋。

その欄干に身体を預けて透き通る水面を眺めつつ、インク瓶はそう言った。

 

 

「君の言うところであるオカルトを誘引し、殺される事で殺し返す。その霊能の性質上、まともな最期を迎えられない身体は多い。だけど全体的な総数から見ればそれ程でもなく、過半数の身体は一般的な最期を迎える事が出来ている」

 

「…………」

 

 

私はその少し先に立ち、彼の言葉に耳を傾ける。

……そんな場合じゃないんだけどなぁ。

 

 

「寿命、病、事故、犯罪……死因は色々あるだろうけど、どれも余人に理解は出来る死に方となる筈だ。そして人が普通に亡くなれば、その後処理も当然普通に発生する」

 

「…………」

 

「そう、お葬式だ。彼らの身体はその殆どが人間社会に溶け込み適合している訳だから、死には弔いが必要になる。周囲へのポーズだね」

 

 

何も言っていないのに、勝手に話が進んでいく。

私が半眼となる最中、インク瓶はゆっくりと屈伸を繰り返しながら、細長く息を吐き出した。

 

 

「……この街の葬儀屋と火葬場のほぼ全てには、君の親御さんが紛れ込んでいる。自分の死体を管理しやすくするためという事もあるけれど、一番は骨を効率よく回収するためさ。火葬した後の、遺骨をね」

 

「……は?」

 

「人間の血液がどう造られるかはもう習ったかい? 産まれて数か月は肝臓や脾臓で造られるけど、その後は骨髄からとなる。つまり、骨から血が生まれ、流れていく」

 

 

その呟きと共に、インク瓶の視線が川に戻る。

丸眼鏡に水面の光が反射して、どんな目をしているのかは分からない。

 

 

「――川の始点。流れの起こりや枝分かれの根本などの川底に、その骨を埋めているんだ。そうする事で川を己の血流なのだと見立て、御魂雲の霊能を一部発現させている」

 

 

……少し。

いや、だいぶ。

いやいや、全部なんも分かんねぇ。

 

そのドン引きの表情を受けてか、インク瓶から苦笑が落ちた。

 

 

「僕のおまじないと似たようなものだよ。遺骨に造血機能なんて残ってないし、川底に埋めたって川の水は血液にならない。だけど、そこに意味は生まれるんだ。少なくとも、地面の下を蠢く『くも』にとってはね」

 

 

コツ、コツ。

彼の爪先が、橋の石畳を叩く。

 

 

「この橋だってそうさ。古来、橋を渡るという行為には厄払いをはじめ様々な意味があるが、その一つに『あの世へ渡る』という意味もある。そして、この街に居る君の親御さんの身体が……御魂雲の魂が橋を渡る事で死を見立て、僅かながらにその霊能へ繋げている。この街の橋と身体の数を考えると、一日にどれだけあの世に渡っているのかな。数えるのもバカらしい」

 

「…………」

 

「引いた川は誘引、架けた橋は死。それぞれに込められた御魂雲が、地下の『くも』を土地の外に出ないよう絡め捕り、抑えつけている訳だ」

 

 

……流れる川の、遠方を眺めた。

 

幾つも枝分かれしながら街中を切り分け、それらを橋が繋いでいる、小さな頃から見慣れた光景。

私はそれに何の疑問も覚えた事は無かった。そうなっている理由に興味を持った事も無かった。

けれど、今は。

 

 

「――この街を真上から見た時に蜘蛛の巣が浮かび上がるのは、つまりはそういう事なんだ。『くも』の巣であり、御魂雲の巣でもある。表に出せない町史の一部さ」

 

 

インク瓶はそう締めて、欄干に手をつきふくらはぎを伸ばし始めた。

私は今の話を自分の中で嚙み砕きつつ、暫く川を見つめ……その内、視線を彼へと戻した。

 

……沈黙。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

ぐっぐっ。

ぐっぐっ。

インク瓶の足が交互に伸びる。

 

……うん、まぁ、そーな。

気持ち悪い内容だったし、呑み込めたとは絶対に言えないけれど、重要な話ではあったかもしれない。

それは認めてやる。認めてやるんだけれども……。

 

 

「……ねぇ、足攣ったのまだ治らんの?」

 

「……クソっ。もう少し、もう少しだけ待ってくれ……!」

 

 

そんな話、足攣ったの治るまでの時間稼ぎに使うんじゃねーよ。

私は足の痛みに苦しむインク瓶を横目に、焦燥感を溜息に混ぜて吐き出した。

 

 

 

 

 

 

あかねちゃんが、ヤバいオカルトの穴に落ちたかもしれない――。

 

インク瓶達の話でその可能性を示唆された直後、私は勢いよく駆け出した。

 

彼らに何を問う事も忘れ、椅子を倒し、扉を蹴り開け、縺れる足を無理矢理に引きずって。

どこへ行こうとか、何をするとか、何一つ考えてなかった。ただ――あかねちゃんの所に行かなきゃって、それしか頭になかった。

 

……でも、そんな風に走ったって現状何が出来る筈も無いんだ。

結局、玄関を出たところでどこに行ったらいいのか、どうすればいいのかも分からなくなって、途方に暮れるしかなくて。

 

そうして、定まらない爪先で足踏みしている内に、追いかけてきたインク瓶が手を差し出した。

 

 

『……どうしたらいいのか分からないなら、一緒に件の自然公園に行こうか。僕なら君の血が目覚めた理由も含め、新しい発見が出来るかもしれないよ――』

 

 

……あんまり認めたくは無かったけど、それは確かに救いの手だった。

 

自然公園は既に私や警察が散々調べた場所ではあるが、そこにオカルトの知見は無かった。

私の持つそれは水溜まりよりも浅いものだし、それはきっと警察も同じだった筈だから。

 

そしてオカルトが視えるようになった今も、知識が無い事に変わりはない。

例え何かが視えたとして、それだけじゃどうにもならないって事は、ここ一日で身に染みていた。

 

だがインク瓶が居れば、その部分を補える。

彼がオカルト関係へ深い知見を持っているという事は、もう疑う余地はないのだから。

 

私は一も二も無く差し出された手に飛びつくと、そのまま引っこ抜く勢いで自然公園へと引っ張り走った――。

 

……んだけれど、それがダメだった。

私の全力疾走にインク瓶の足が耐え切れなかったようで、その両ふくらはぎが揃って限界を迎えたのだ。

そう、この救いの丸眼鏡は、私が思うよりもずっと脆い貧弱眼鏡だった訳である。

 

 

 

 

 

「……逸るのは分かるが、もう少し丁寧に扱ってくれないかな。君と違って繊細なんだよ、僕は」

 

 

あれから数分経ってようやく落ち着いたのか、インク瓶は深く息を吐き出し恨みがましい目を向ける。

……色々と言い返したいところだったが、流石に自重。バツの悪さに頭の後ろを掻き撫でつつ、川の向こうに目を逸らした。

 

 

「やー……でもさ、ちょっと走ったくらいで足攣るってのも……」

 

「跳ねただけでバスの窓にヒビを入れられる人間の『ちょっと』は、僕みたいな枯れ枝にとっちゃ『殺す』なんだよ。ごらん、この足の震えを。哀れだろう」

 

「貧弱なのは自覚してんのな……」

 

 

恥じるどころか堂々と情けない姿を見せつけてくるインク瓶に、呆れ混じりの溜息一つ。

そういえば、バスでも停車時のゆるいブレーキにすら耐え切れずバランス崩してたっけな。……弱すぎんか?

 

 

「私が言うのもアレだけどさ、そんなんで大丈夫なの? バスとか真っ赤なぐしゃぐしゃとか、いつもあんなの相手にしてんじゃないの……?」

 

「……立ち回りでどうにか出来る場合も多いけど、僕にも多少は霊能の心得がある。見ての通り、何とか今まで生き延びられてるよ」

 

 

霊能という言葉に、左手のおまじないを見る。

彼の霊能とは、この黒いインクを操る力の事だろうか。改めて考えると訳の分からん現象だ。

 

……というかそもそも、コイツ自体はどういう立場なんだ?

 

オカルトライター。霊能力者。あの『うちの人』が頼るほどのヤツ。

輪郭の情報はある程度揃っているけど、本名含めたその内側はまだ何も分かってない。ただ流れのまま、何となく信用しつつあるだけだ。

 

いやまぁ、今まさに体力ナシ眼鏡というどうでもいい事は知れたけど、そういう事じゃなく。

 

 

「……さて、じゃあそろそろ出発しようか」

 

 

そうやって色々と考えていると、インク瓶がひょこひょこと歩みを再開させた。

 

そうだ、今はコイツの詳細なんて二の次だ。

早く自然公園に行って、あかねちゃんの手掛かりを見つけ出さないと――。

 

 

「一応言っておくけど、もう引っ張るのはよしてくれよ。またやられたら、次はきっと肉離れを起こしてもっと時間を食う事になるぞ」

 

「ぐ……だから何で自分が酷い目に遭う瀬戸際で上から目線になれるんだ……!」

 

 

インク瓶の手を掴みかけていた腕を引き、歯ぎしりをする。

そんなもどかしさMAXの私に、彼は小さく鼻を鳴らした。

 

 

「そんなに急ぎたいなら、君の親御さんに送って貰えば良いだろう。さっきは思いつく余裕がなかったんだろうけど、今からでも呼べば……」

 

「…………」

 

「……はぁ、悪かったよ。さっきの今だものな。公園ももうすぐそこだし、このまま行こう」

 

 

私の顔を見たインク瓶は途中で言葉を止め、何でか素直に謝って来た。

……いや別に、特に変な顔とかしたつもりないんだけどな。ぺたぺた触って確かめたけど、どんな表情を浮かべているのか、自分でも分からなかった。

 

 

「……その、地下に居る蜘蛛って、何なんだよ」

 

 

ともかく、仕方なくインク瓶の速度に合わせながら、呟くように問いかける。

気を抜けば駆け出したがる足を宥めるためにも、この際聞ける事は少しでも聞いておきたかった。

 

 

「さっきのと家での話でぼんやり把握した気になってるけど……具体的にはどういうやつなんだ。つーか、そうだ、地下ってどこにあんのよ、開けてくる穴の向こうとか、落ちたらどうなるとか、ええと、ええと……!」

 

「……悪いけど、それらの件に関しては僕も外様だ。これ以上詳しく知りたければ、実際に対峙している君の親御さんに聞くのが確実だが……」

 

「うぐ……」

 

 

咄嗟に辺りをきょろきょろ見回すが、こんな時に限って一つも無表情が見つからない。

 

まぁ居たら居たでインク瓶を挟まなければいけないだろうし、そもそも本当にあかねちゃんが蜘蛛の穴に落ちたと確定している訳でもない。

自然公園への道を逸れてわざわざ探しに行くのも躊躇いがあり、とりあえずは後回しだと割り切った。

 

 

「じゃ、じゃあ……その『うちの人』の事。あんな沢山居るのが本当は一人で、私の『親』だったとかさ。信じられない……いや、っていうか、なんだろ、上手く呑み込めない……」

 

「全部事実だよ。君の『親』は身体を山ほど持っていて、君はその全てと血が繋がっている。正真正銘、彼らの全てが肉親だ」

 

「……そんな断言されてもさぁ……」

 

 

『うちの人』の身体は数万人単位で、しかもそれを全部別々に動かしてるとか、そいつら全部に私と同じ血が流れてるとか、すんなり入ってくる訳ないだろ。

信じる信じないとかの前の段階でつっかかっていて、一方でどうしてかあまり疑ってない自分も居て、心の置き所が定まらない。

 

そう情けない声で呻く私を、インク瓶はちらりと一瞥。

「……子供の、それも女の子に聞かせていいものかは分からないけど」と前置きし、どこか慎重に語り始めた。

 

 

「御魂雲の血は崩れない。たとえ誰と交わろうとも、設けた子供はその全てが御魂雲となる。種でも、畑でも、そこに御魂雲の血が一滴でも垂らされれば、それが何より優先されるんだ」

 

「……、……」

 

 

……反応し難い。

変にボカされてるのが逆にアレ。私は小さく眉を下げ、押し黙り――。

 

 

「だから――彼らは、自分自身としか交配をしない」

 

 

続いて落とされた生臭い一言に、体温が下がった気がした。

 

 

「……は?」

 

「産まれてくる子供の全てが御魂雲の魂を宿すんだ。普通に人の輪へ混ざれば、そう遠くない未来に人類そのものが御魂雲に乗っ取られかねないだろう。彼らは人間の敵にならないよう、基本的に自分の身体同士でしか子を成さず、個の群れの内で完結したサイクルを数百年に渡り続けている。一度遺伝病か何かで痛い目を見たらしく、身体それぞれの血の濃さも考えて組み合わせたりしているらしいよ」

 

「ひゃ……え、……え?」

 

「もはや霊能がどうとかいうより、そういった生態の種族に近いのさ。万の身体も、それを動かす力も、それを踏まえれば少しは現実感が出て、呑み込みやすくはならないかい」

 

 

なる訳ねぇだろ。

……と言いたくはあったけど、おおまかな流れ自体は、私の頭でも想像出来なくもなかった。

 

つまり、大昔にそういう霊能を持っていたヤツが居て、ソイツが子供を作って少しずつ身体の人数が増えていって、ああこりゃヤバいと察して自分だけで増えるようになったと。

そして長い時間をかけて増えてくうちに色々あって……そんで、最終的に私が産まれたと。そういう事なんだろう、きっと。

 

…………。

 

……ん?

 

 

「あれ? 何かおかしくない……?」

 

 

違和感。

 

……今の話が本当なら、一つだけどうしてもおかしい事がある。

御魂雲から産まれた子供全てがその魂を……『うちの人』の意識を持つのであれば、何で――。

 

 

「――何で、私は私なんだ……?」

 

 

そうだ。私は断じて『うちの人』の身体の一つではない。

この意識は私だけのものだし、記憶だってそう。『うちの人』の魂とかよく分からんキモいもんなんて、身体のどこにも介在してない。私は私、ちゃんとした一個人だ。

 

これじゃあ、今までの話と明らかに矛盾しているじゃないか――そう口にしようとしたその時、私は自分の名前を思い出す。

 

――御魂雲 異。

 

 

「――……」

 

「……君が君である理由は、僕には分からない。それについては話してくれなかったからね、彼女」

 

 

さっきの私の呟きを聞き取ったらしきインク瓶の言葉に、我に返る。

のろのろと顔を上げれば、彼の視線には隠し切れない気まずさが滲んでいた。

 

 

「気分を悪くしてごめんね。やっぱり、君にとっては嫌な話だったようだ」

 

「いや……何てーか、その……」

 

 

……どう、伝えればいいんだろう。

胸のそれを上手く言語化出来ないまま、私は暫く唸り続け……やがて溜息と一緒に出てきたのは、それとは別の問いかけだった。

 

 

「……あんたは、『うちの人』とどういう関係なんだよ」

 

「僕?」

 

「ん。何か話す時の口調も砕けてたし、割と仲良さげっていうかさ……」

 

 

一応、それも気になっていた事ではあったのだ。

 

彼と接している時の『うちの人』はどこか感情豊かに見えて、私にとっては気持ち悪い感じになっている。

ただの知り合いとか協力者ではなく、もっと近い距離に居るような気がしていた。

 

それを尋ねれば、インク瓶は少しだけ目元を緩め、

 

 

「率直に言えば、同級生さ。高校生の頃、その身体の一つと同じクラスだった。この界隈に浸ってから本格的に交流するようになって、今まで続いてるよ」

 

「さっきまでの話と温度違いすぎだろ」

 

 

得体のしれないオカルト話から、青春時代の思い出話にまで一気にシフトしたが。

いや、これもこれで私にとってはキモめの話ではあるけども……。

 

 

「さっき君の家で話した時、僕の隣に居た女性の身体さ。(えだなし)という名前で、普段は穏やかで内向的な人格が設定されている」

 

「……人格設定」

 

 

私以外の人の前では普通に振舞っているので、それの事だろう。

……以前はただ気持ち悪いと思うだけだったけど、色々聞いた今だと感じ方もまた変わってくる。

 

 

「それ、身体全部が……何万人分それぞれが別の場所で、同時に別キャラ演じてるって事だよな……?」

 

「そうなるね。本人曰く演技ではなく、どれも本心ではあるらしいけど」

 

「……何か、頭おかしくなりそう」

 

 

『うちの人』の脳内がどうなっているのか、想像するのも恐ろしい。

そうぐったりしていると、インク瓶は意味ありげな目を私に向けた。

 

 

「彼女達の人格は、早々剥がれる事は無い。それこそ、死の間際だってそれぞれの人格を貫けるほどなんだけど……」

 

「いや、どこが……?」

 

 

私の前だと人格どころか人間味ごとあっさり剥がれ、無表情の無反応になってますけど。

それが『うちの人』の素顔かどうかはさておいても、設定した人格を演じ切れていないのは確かだろう。

 

 

「僕もそれが分からないんだよな……御魂雲の身体にはそれなりの数会ってきたけど、あんな風になった事はなかった。諸事情とやらも明かしてくれないし、何を考えているのか……」

 

「……言っとくけど、私に心当たりは無いからな」

 

「分かってるよ。何一つ知らされてないなら当然――……ああ、とりあえずここまでにしようか」

 

 

途中、インク瓶が唐突に話を打ち切った。

 

一体どうして……とは思わない。

その理由は分かっているし、もう少し話を続けるようだったら私の方から打ち切っていた。

 

知らぬ内にまた速足になり、インク瓶の背中を追い抜いていく。

 

 

「さて、じゃあ案内してくれるかい。君が血を噴き出して倒れたっていう広場まで」

 

 

私達の目の前に広がるのは、綺麗に整えられた木々の道。

早く辿り着きたくてたまらなかった、自然公園への入り口だった。

 

 

 

 

 

あかねちゃんを探す人数は、昨日よりもだいぶ減っているようだった。

 

警察も別の場所を優先して探しているようで見える範囲には居らず、何人かの警備員や職員さんがうろついているだけだ。

……いや、ひょっとしたら彼らも普通に仕事をしているだけで、ここでの捜索は切り上げているのかもしれない。ここ数日で顔見知りとなった警備員を見かけた際、気まずい顔でそそくさと離れていく姿に、そう察した。

 

 

「ここが、その場所か」

 

 

道中に見たそんな様子に私の焦りが増していく中、インク瓶は件の広場に着くなり噴水池へと近づくと、革手帳を広げて動かなくなった。

何かを調べるでも探すでもない彼の姿に、流石に不安を抑えきれずその服の裾を引っ張った。

 

 

「ね、ねぇ、何してんだよ。色々調べたりとかしなくていいの? その、私も手伝うから……」

 

「……ふん。今調べているところだよ、ほら」

 

 

そう言って見せられた手帳のページの中では、黒いインクがうにょうにょと蠢いていた。

文字どころか図でもなく、まるでアメーバのような挙動を見せるそれに、私の肌が泡立ち弾ける。

 

 

「うぇっ……え、なにしてんのこれ……?」

 

「簡単に言えば、この広場にオカルトがあるかどうかを探っている。この街だと障害が多くて色々と難しいから、少し待って貰えると有難いね」

 

「……う、ん」

 

 

……具体的に何してんのかイマイチ分からなかったけど、サボっている訳じゃないらしいので良しとした。良いのか?

ともあれ、そうしてソワソワしながらインク瓶の作業が終わるのを待っていると、ふと彼の目線が私の左手を向いている事に気が付いた。

 

 

「……どうやら、何とか役には立てているみたいだね、そのおまじない」

 

「え……あ、あぁ、そう……なの?」

 

 

左手を掲げ、そこに刻まれたおまじないを眺める。

 

例のヤバそうな夢を遮断するとの事だったが、実際に効果が出るかは不透明という微妙なもの。

バスの一件から眠っていないので私に実際の程は分からなかったが、インク瓶は何かしら判断が付いたようだ。

 

 

「ここに来るまでの間、オカルトに遭遇しなかっただろう。ちゃんと目隠しが作用していると見ていい筈だ」

 

「……まぁ、昨日の夜に比べれば全然視なかったけど……」

 

 

昨夜は走った分だけ変なものに遭遇したのに、この道中では何も無かった。

今まで考えが至らなかったが、言われてみると確かに疑問ではある。

 

 

「夜自体がオカルトが活発化する時間帯ではあるんだけど……そもそも君が彼らに遭遇しやすくなっているのは、血が目覚めた事もあるが、悪夢を見せている存在によるものが大きいと思っている。それが君を見ているから、他のオカルトも君に目が行きやすくなっているんだ」

 

「……ソイツが号令か何か出してるって?」

 

「いいや。だが君らだって、アイドルや芸能人がハマっているものには自然と興味を持つだろう? オカルトだって似たようなものさ。大きな存在感を持つものが一点に視線を注いでいれば、その対象もよく目立つ。その大本の視線から隠れられれば、他から絡まれる頻度もまぁまぁ減る」

 

「厄介ファンに絡まれてるってんじゃねーんだぞ……!」

 

 

何か一気に俗っぽい感じになったけど、当事者としちゃたまったもんじゃない。

途端左手のおまじないの重要度が増し、掠れないようそっと握った。

 

 

「大体何なんだよ、そのアイドルオカルト。どこでそんなんに目ぇつけられたんだ、私……」

 

「……確証は無い。確証は無いが、これで……」

 

 

その時、インク瓶の手帳が大きく揺れた。

同時に不定形だったインクが形を定め、数行の文章を並べたように見えた。

 

 

「――、……」

 

 

インク瓶は何故か一瞬だけ痛ましげな顔になったかと思うと、すぐに難しい表情をして例の噴水池を覗き込んだ。

 

 

「……何か分かったの?」

 

「そう、だね……どうもこの噴水は、カメラのようなオカルトみたいだ」

 

「は?」

 

 

噴水とカメラが繋がらず、首を傾げる。

インク瓶はそんな私に小さく鼻を鳴らし、おもむろに空を仰ぐ。小さな雲が多少かかった、青い部分の多い空。

 

 

「空に分厚い雲がかかり、雨が水面に落ちている間。そこを覗き込んだ者が思い浮かべているもの、その現在を映し出すらしい」

 

「え……」

 

「つまり――何かを探しながら覗き込めば、それが今どうなっているのか中継されるって事」

 

 

――それを聞いた瞬間、私は縋りつくように噴水池に身を乗り出した。

 

頭の中であかねちゃんの姿を強く強く思い浮かべながら、目を皿にして水面を見つめ――「いてっ」革手帳で頭をぺちっと叩かれた。

 

 

「雲のかかった雨の時って言ってるだろ……今覗いたって意味は無いよ」

 

「ぐっ……で、でもぉ……」

 

「まず君がやるべきは、冷静になって考える事だ……おかしいと思わないのかい?」

 

「……、何が」

 

「君はここで血を噴き出して倒れたんだろう? おそらく、それが君の血の目覚めさせるトリガーとなっている。でもこの噴水にそうなる要素、ある?」

 

 

そこまで言われて、はたと気づいた。

 

確かにインク瓶の言う事が正しければ、この噴水のオカルトに人を傷つけたり、血をどうこうしたりといった変な要素は無い。

私がこれまで遭遇してきた中で、ダントツでおとなしいオカルトと言えるだろう。

 

 

「え、じゃあ……どうしてあんな痛い思いしたんだよ、私」

 

「僕がそれを聞いているんだけどねぇ……改めて、ここで何があったんだい?」

 

「…………」

 

 

空を見上げるも、雲はあれど雨の気配は程遠く、噴水の水面にも変化はない。

……大きく、大きく息を吐き出して。私は渋々、あの時の事を思い出してみる事とした。

 

 

(つっても、なぁ……)

 

 

もや、と思考が濁る。

あの苦痛を思い出す事を身体が嫌がっているかのように、どうにも記憶がぼんやりしていて、ハッキリとしない。

 

……あの時、私はここで何をされた? 何を聞いた?

池の淵に手をついて、ゆっくり、ゆっくりと記憶を探っていく。

 

 

(……雨、降ってて。あかねちゃん探し回ってて、それで、池の水面がまっ平らになってて……)

 

 

そう、そうだ。私はそれが気になったから、池を覗いた。

そしてあかねちゃんを探しに戻ろうとして、気づけば水面が真っ黒になっていたのだ。

 

いや、正確には真っ暗などこかだ。今さっきインク瓶がしてくれたオカルトの説明を信じるのなら――あれは、あかねちゃんが居た場所だった?

 

 

(あんな……光の無い、暗いとこに……やっぱり、穴――、っ)

 

 

途端、駆け出そうとする足を抑える。

 

それはもうやっただろ。どうせどこにも行けず、足踏みする事になるだけだ。

今私がやるべきは、冷静になって考える事――。

何度も自分にそう言い聞かせ、すっ飛びかけた思考を戻す。

 

 

(……それで、そこにある何かを見ようとして……でも、見えなくされた。映っていた暗闇が、何かに遮られて……)

 

 

後ろから誰かが目隠しをした……どうしてかそれが分かって、そのすぐ後にあの激痛が、

 

 

(――違う)

 

 

ズキリ。目の奥と全身の血管とが熱を持ち、軋みを上げる。

 

……そうだよ、地べたを転げまわる前に、何かを聞いたじゃないか。

雨音に紛れてしまうくらいの、小さな小さな掠れ声。

 

それと一緒に目隠しが、震える影が上にズレていって。

きっと、瞼を上げるような、眼を開かせるような動きで。

 

そして……それが、払われ切って――。

 

 

「――みえ、ろ」

 

 

ぽつり。

無意識に、零れた。

 

 

「……何だい?」

 

 

それを聞きとったらしいインク瓶が声をかけてきたけど、私に反応する余裕はなかった。

 

だって、思い出したから。

 

あの時、あの凄まじい苦痛が襲い来る直前、どこからか聞こえたあの声は。

掠れ、ざらついていたけれど。叫び続けた果てのように、血に滲んでいたけれど。

 

幻聴だって、聞き間違いだって思いたい。でも私が間違える筈ないんだ。絶対、絶対に、あれは。

 

 

「――あ、あかねちゃんの、だった」

 

 

呟く声が、震える。

 

 

「聞いたんだ……倒れる前、ここで、変な声……」

 

「……そう」

 

「伝えたいの、分かんない。ガラガラで、殆ど聞こえないような、掠れたやつで。でも、あれ、あ、あかね……ちゃ……、……」

 

 

――どうして、そんな声になった?

 

 

「……ぅ……」

 

 

耳の奥で、血の下がる音が聞こえた。

 

考えが纏まらない。淵につく手が折れかけて、また水面を覗き込む。

望むものは映らずに、ただ、ひどい顔だけがあった。

 

 

「……その友達が、みえろ、と言った?」

 

 

そっと、触れてくるような声音だった。

無言のまま、ほんの僅かに顎を引く。

 

 

「……あかねちゃん、だっけ? あまり、詳しく聞いてないけれど」

 

「……、…………さやま、あかねちゃん。私の、親友」

 

「――さやま?」

 

 

突然、インク瓶の声に硬さが混じる。

思わず振り返れば、彼の眉間に僅かなシワが寄っていた。

 

 

「な、何だよ……何か、気付いた……?」

 

「いや……そういう訳じゃないんだが……」

 

 

何とも歯に物が挟まったかのような物言いだったが、何か分かったのなら何でも教えてほしかった。

そのまま縋りつくように見つめれば、苦々しい顔で目を逸らす。

 

 

「……その子、名前はどう書くの?」

 

「え……ち、調査する山、金銀銅の銅で、査山銅ちゃん……だけど……」

 

「…………」

 

 

……何だよ。名前がどうしたっていうんだ。

一体何がそんなに気にかかっているのか、インク瓶は暫く唸り続け……やがて、小さく息を吐く。

 

 

「……大昔、同じ字面の査山と書く霊能力者一族が居たって話を思い出したんだ。それだけ」

 

「え……あかねちゃんの、ご先祖様って?」

 

「既に途絶えたとされる血統だよ。話では千里眼の――いや、別に関係ない事だ。それより他の場所も見に行ってみよう。休む時間も惜しいんだろ、君」

 

「は? あ、ちょっ」

 

 

インク瓶は革手帳をそっと閉じると、一方的な言葉を残して広場入口へと歩き出す。

そのあからさまな誤魔化し方に、その背を困惑したまま見送った。

 

 

(……なに、あれ)

 

 

よく分からない反応だ。

本当に関係ないならあんな風には言わないだろうし、何かしらあるのは察するけど……大昔の霊能力者の話がどう今に繋がるのかが見えない。

 

千里眼がどうとか言ってたけど、それに何の――……、

 

 

――『視、、ろ』

 

 

「――ぁ?」

 

 

再び脳裏に声が蘇り、反射的に左手のおまじないに目をやった。

そして反対の手で目元をなぞり、呆然と立つ。

 

 

「……え、と……」

 

 

……頭の中に、とある画が浮かんでいた。

でも、どうしてそうなるのかが全然分からなくて、受け入れられない。

 

私はそのまま暫く呆け続け……気づいた時には、無意識にまた水面を覗き込んでいた。

けれどやっぱりおかしなものは何も映らず、青空と多少の雲だけが噴水の飛沫に揺れるだけ。何も視えず、聞こえもしない。

 

 

「――……」

 

 

スマホ。

開く画面は天気予報。指定の日時は今日、これから。

 

――本日は日中晴天。しかし、深夜頃から次の日の早朝にかけて、雨の恐れ。

 

 

「……っ」

 

 

一度きつく目を瞑り、ゆっくりと開き。

スマホを強く強く握りしめ、空の端っこを睨み上げた。

 

そこには夜の気配なんて、まだひとかけらすらも無かったけれど――私の目には、その向こう側に揺蕩う真っ暗な雲が見えていた。

 

 

 

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