異女子   作:変わり身

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「バグ」の話

 

・起

 

 

 

女が最初にそれを発生させたのは、慌ただしい朝の事だった。

 

その日の彼女はツイていなかった。

愛用の目覚まし時計は電池が切れ、うっかりスマホのアラームも設定し忘れて。眼が覚めた時にはいつもの起床時間を大幅に過ぎていた。

 

最早どうあがいても始業時刻に間に合わない事が確定し、焦燥と混乱のまま準備にどったんばったん駆けずり回っていた最中――その現象は、発生したのだ。

 

 

「――ぎゃっ!?」

 

 

ごつん、と。

いきなり額に衝撃が走り、女は堪らず尻もちをついた。

 

一体、何にぶつかった。女は額と臀部の痛みに呻きながらもその場所を確認し……しかしすぐに首を傾げた。

 

 

(何も無い……?)

 

 

そう、女の見上げたそこには何も無かった。

部屋の中央あたり。家具も電灯の紐も無く、額をぶつけるようなものなど何一つとして存在してはいなかった。

 

では何か飛んで来たのかとも思えど、それらしき物もどこにも転がっていない。

……額をどこにぶつけたのかが、分からない。

 

 

「……って、そんな事してる場合じゃない……!!」

 

 

悩みかけたが、すぐに状況を思い出し、準備を再開。

どうにか最低限の身だしなみを整え、己の勤める会社へと向かったのだった。

 

そうして遅刻をイヤミで不快な女上司に詰られつつもその日の業務を終わらせ、住まいのマンションの一室に帰宅。

朝に散らかしたままの部屋に溜息を吐き、片付けを始め――また衝撃。朝の時と同じ場所、同じ角度、同じ強さで額を打たれ、これまた同じく尻もちをつく。

 

 

「いっ……え、え?」

 

 

しかし見上げてみても、やはりそこには何もない。

焦って周りの見えなかった朝とは違い、飛んで来た物はなかったとも断言出来る。

 

本当に、何も無い空間――。

「…………」……女は少し考えた後、恐る恐るとその何も無い場所へと手を翳した。

 

 

「――っ!?」

 

 

ばちん。その手がその空間へと入った瞬間、叩かれたような衝撃を受けた。

そしてそれはやはり、朝とさっきと全く同じ角度と強さのもので。

 

 

「……、……」

 

 

女はもう一度その空間に手を入れた。衝撃と共に弾かれる。

今度はハンカチを投げ入れてみた。あらぬ方向に弾かれる。

 

……何も無い空間から、叩かれている。

 

 

「……どういうこと……?」

 

 

些細ではあったが、確かな異常でもあるその現象に、女は暫く困惑から脱する事が出来なかった。

 

 

 

・承

 

 

 

――空間に、衝撃が焼き付いている。

徹夜であれこれと調べた結果、女はそう結論付けざるを得なかった。

 

 

(……意味わかんない)

 

 

部屋の中央付近、女の額に当たる高さ。

その空間に入ったものは、何であれ一律に同じ衝撃を受けるようだった。

 

腕をそれなりの速さで振り回した程度だろうか。

少なくとも女に尻もちをつかせる程度の衝撃が、ずっとそこに留まり続けているのだ。

 

明らかに物理法則を無視した超常現象。そんなものが自室の一角に出現してしまったという現実に、女は頭を抱えた。

理解不能な物への恐怖にではなく、その面倒臭さに。そういう図太い女だった。

 

 

「邪魔~~~……!」

 

 

今後この部屋で過ごすにあたり、触れたら問答無用で突き飛ばされる空間が存在しているというのは、あまりにも不便に過ぎた。

 

この空間は女の掌ほどの大きさで、今のところは広がりも動きもしていない。単に避ければそれで済むのは確かだったが、色も気配も無い空間そのものを意識し続けるのは難しい。

その正確な位置を把握しそこね、毎日のように額を打たれ続ける己の姿が容易く浮かぶ。

 

 

(どうしよう……業者呼ぶ? ……いや何の? なら警察……ううん、まず管理人……っていうか、誰か呼んでどうにかなるものなの? ああもう、事故物件だなんて聞いてない……!)

 

 

引っ越しをするという選択肢は無かった。

 

以前は安アパートで暮らしていた彼女だったが、つい最近に空き巣の被害に遭ったため、セキュリティのしっかりしたこのマンションに越してきたばかり。

退居をするにはあまりにも早く、またその手間も大きい。こちらが逃げるのではなく、問題を消す方向にしたかった。

 

 

(昨日までは絶対こんなもの無かった。だったら、原因はここ数日の事の筈。それが分かればどうにか……!)

 

 

何も分からない中、ひとまずの取っ掛かりをそう決めて。

それから女は仕事の合間を縫っては、空間についての様々な調査検証を行うようになった。

 

女も研究職という事もあってか、知的好奇心は旺盛な方だった。

途中から調査自体に熱が入り始め、やがてはのめり込んでいった。

 

女がまず行ったのは、部屋に設置しているカメラの映像を確認する事だった。

以前被害に遭った空き巣の件で不用心を反省し、備えとして数台の防犯機器を導入していたのだ。

 

そのカメラが記録した映像から例の空間を認識した前後の部分をピックアップし、徹底的に精査した。

そうして、どたばた慌てて多くの物を落とし散らかす自分の姿にいたたまれなくなりつつも、何度も映像を見返し――そして、女はとある光景に気を留めた。

 

例の空間が発生する直前、慌てる女の腕が大きく振られたその一瞬。

その腕の降られた場所、角度、そして勢いが、例の空間のそれと全く同じに思えたのだ。

 

実際に映像を見ながら体験比較すれば、最早そうとしか感じられず。

その仮定をもとに試行錯誤を繰り返し――そして、あまりにもあっさりと結果は出た。なんと例の空間を意図的に発生させる事に成功してしまったのである。

 

その方法は酷く簡単なものだった。

 

あの朝、慌てふためく最中に偶然に行っていた、とある動作。

それをした直後に身体の一部を一定の速度以上で振り、何も無い空間を叩く。たったそれだけで、入ったもの全てにその衝撃を与える異常空間が発生するようだった。

 

素手で振れば、素手で叩かれた衝撃が。棒を持って振れば、棒で叩かれた衝撃が。

刃物を持とうが足で蹴ろうが関係なく、振ったものの衝撃がその場に留まり続けるのだ。

 

……女はその現象を『攻撃判定バグ』と呼ぶ事とした。

コンピューターゲームを趣味とする彼女にとって、その認識が一番しっくりと来たからだ。

 

 

(……でも、そんな、世界をバグらせるほど変な動きしちゃってたの、私……?)

 

 

あの時は確かに慌て過ぎて珍妙なダンスをしてしまった自覚はあるけども、そこまで……?

この部屋が曰く付きという訳では無かった事に安堵はすれど、異常現象の生みの親となってしまったという事実は結構ショックな女であった。

 

ともあれ、バグの発生する条件が分かれば、その後の理解も更に深まった。

 

このバグは二つ以上同時には存在出来ず、新たなバグが生まれれば以前のバグは消えてしまう事。

『とある動作』を行った後、1.6秒の間何もしなければバグは発生せず、以前のバグだけが消滅する事。

女以外の者が『とある動作』をしても何も起こらない。一方で彼女であれば、『とある動作』を実演せずとも、その録画映像を手元で再生させるだけでバグを発生させられる事――。

 

最初に受けたショックも、それが自身にしか引き起こせないと判明すると、言い知れぬ優越感と変わる。

まるで自分だけに宿った超能力。ゲームの登場人物になったような気分になり、年甲斐もなく浮足立ち……。

 

 

(――これ、ちょっと遊んでみたいねぇ)

 

 

――ふと、そんな魔が差してしまったのも、ある種仕方のない事ではあった。

 

 

 

・転

 

 

 

女は、職場の女上司にそれなりの恨みを持っていた。

 

イヤミで狭量、おまけに粘着質なお局様。

いちいち些細な事でケチを付けてはネチネチと擦り続ける性質であり、職場の殆どの人間から良く思われてはいない。

 

女もその例の漏れず、女上司を嫌っていた。

つまらないミスをいつまでも持ち出されては、長々と続くイヤミと小言で仕事を妨害され、仕方なく残業をする羽目になった事も一度や二度ではない。

 

新作ゲームの配信日にそれをされた日には、後ろから引っぱたいてやりたいと強く思ったもので――そして今、それをやってやるのである。

 

 

 

「……よし」

 

 

朝の会社ビル、オフィスのある五階エレベーター扉前。

上がって来るエレベーターの表示を見ながら、待ち伏せをする女はスマホを強く握りしめた。

 

女上司は自分よりも遅く出社した部下をいびるため、誰よりも早く出社する。

いつもは憎々しく思っていたその行動だったが……今となってはターゲットを間違えないための一助足り得る。

 

そうして表示板の光が四階に灯った時、女はスマホの画面をタップした。

 

そこに流れるのは、バグの起点となる『とある動作』の録画映像だ。

相変わらず間抜け極まりないその動きが終わるのを待ち、女は思いっきり虚空に平手を振り抜いた。

 

丁度、女上司の頭が通り過ぎるであろう位置。

それを終えた女は素早く物陰に身を隠し、こっそりと様子を窺った。

 

 

「……くく、く」

 

 

緊張し、胸が高鳴る。

中学生の頃、気に入らないクラスメイトに悪戯をした時のような気分になる中、エレベーターの扉が開く。

 

その中から現れたのは、予想通り嫌いな女上司の顔で――扉から一歩外に出た直後、スパン!といい音が鳴り響く。

同時に女上司の頭が後ろから叩かれたように大きく揺らぎ、前のめりに倒れ込む。否、実際に後頭部へとその衝撃を受けたのだ。

 

 

「っ痛……!? え!? えっ!?」

 

(くっ……くくっ、くっ、く……!!)

 

 

そうして床に這いつくばり、突然の事に驚き戸惑う女上司の顔といったら、もう。

女は溢れ出そうになる笑いを苦労して堪えながら、暫くその場で肩を震わせていた。

 

 

 

 

本人にその自覚は無かったが、女は所謂いじめっ子であった。

 

幼少の頃より気に入らない者が居れば自分から絡みに行き、悪戯と称した嫌がらせを繰り返す。

自身が不快だったという事だけを免罪符に、躊躇なく他人を貶められる人間だった。

 

社会に出た事でその悪癖も多少は鳴りを潜めたものの、その本質が改められたという訳では無い。

立場を得た事で気軽に手を出せる相手が少なくなっただけに過ぎず、不快に思う者達を指をくわえて眺めていた状態だった。

 

――そんな彼女が、誰にもバレないように嫌がらせを出来る手段を手にすれば、どうなるか。

 

 

「――くく、くくくく……!!」

 

 

結果として、女はタガを外した。

 

彼女が不快に思う人間など山ほど居る。

先の女上司のように性格の悪い者、セクハラをして来る者、自身よりも立場が上の者、自分より美人な者、良い人ぶりが鼻をつく者……。

老若男女問わず、正当な理由での嫌悪から理不尽な妬み嫉みまで。種類も数も幅広い。

 

そして女は彼らに対し、やはり躊躇いなくバグを利用した嫌がらせを行った。

 

単純に殴りつけ、足を引っかけ転ばせて。顔に目立つ痣を作らせ、重要な仕事の最中にちょっかいをかけ台無しにする。

どれだけ派手に動いても女には疑い一つかかる事は無く、むしろ他人に擦り付けて笑う事もあった。

 

そうして不快な者達が傷つく度に、溜め込んでいた鬱憤がすっきりと晴れ渡り。

気分を良くした女は、やがては職場のみならず、その外にも標的を探すようになっていった。

 

通勤途中に横に立って来る中年男性や、買い物中に喧しく騒ぐ子供、わざとらしく幸せを見せつけて来る家族連れ。

そういった不快な連中を見つけてはバグを利用し、その様を見てほくそ笑み――そんな折、女はその少女を目にとめた。

 

 

(……うーわ、なにあれ……)

 

 

朝の住宅街を歩くその少女は、白く、そして美しかった。

 

アルビノ、というものだろうか。

髪も肌も雪の如く真っ白で、爛々と輝く真っ赤な瞳が印象的だった。

そしてその顔立ちも、丁寧に拵えられた日本人形のように整っており……女はそれはもう不快になった。

 

 

(相当調子乗ってるねぇ、あれ)

 

 

そんなにか。

そんなに目立ちたいか。

 

ファッションか自前かは知らないが、あれで堂々と外を出歩ける神経が信じられない。

その容姿をこれでもかと見せびらかす、厚顔極まる鉄面皮加減が鼻について堪らなかった。

 

これは少し痛い目を見て、慎ましさを覚えた方が良いだろう。

そんな身勝手な理屈を捏ね回し、女は早速少女の進行方向にバグを発生させた。

 

前側から足元を蹴飛ばす足払い。

女はごく自然な仕草でそれを行うと、素知らぬ顔でその場を離れ、遠くの物陰からこっそり様子を窺った。

 

 

(顔面から地面に突っ込みますように)

 

 

その醜態を想像して忍び笑っている内に、どこか憂鬱気な少女はバグの置かれた場所へと近づいていく。

そして何も知らぬまま、遂にその空間に一歩踏み入れ――「うわっ!?」瞬間、バグによってそれを崩され、勢いよく前方へと倒れ込んだ。

 

 

(よーし!)

 

 

何度やっても、この瞬間が一番気持ちいい。

女は小さくガッツポーズをしながら、少女のお綺麗な顔面が地に激突する様を楽しみ――。

 

 

「――あっぶね!」

 

 

が、そうはならなかった。

 

倒れ込んだ少女が咄嗟に地面へ手をついたかと思うと、そのまま前方倒立回転飛び。踊るように宙を舞い、何の危なげもなく着地した。

 

 

「っと。……えー、これからテストだってのにコケるってさぁ……」

 

 

そうして「縁起わりー」とボヤきつつ、掌の砂利を払ってその場を立ち去った。

 

怪我も無ければ、動揺した様子もない。

足を蹴られた感触があった筈なのに、それすら気にも留めていない。

女の悪戯は、全くの無意味だった――。

 

 

「――は?」

 

 

遠ざかってゆく白の背に、これ以上ない不快感が湧き上がった。

 

 

 

・滅

 

 

 

それから数日、女は白い少女をつけ狙うようになった。

 

といっても女に仕事がある以上、常に付き纏った訳では無い。

今回の件から割り出した少女の登校時間に出勤時間を合わせ、幾許かの遭遇時間を捻出したのだ。

 

そうして女は、その短い時間で少女に様々な悪戯を仕掛けた。

 

後頭部を思いっきり引っぱたき、階段を降りようとするその背中を押し、またある時は少女の周囲に居る通行人の方を狙って暴行の冤罪をかけてやった。

どれも今までの不快な者達に仕掛けてきた悪戯で、タイミングや空間配置のコツも完璧に掴んでいる。

 

それらは全て外れる事無く、白の少女の身に襲い掛かり――そして全てが不発に終わった。

 

後頭部を引っぱたいても「いてっ」で済まし、不思議そうな顔で辺りを見回すだけ。

階段から落としても、足払いをかけた時と同じくアクロバティックに着地。

そして冤罪をかけてやった時など、何故か少女の潔白を証明する無表情の集団が都合よく湧き、騒ぎを収めて行ってしまう。意味わからん。

 

他の悪戯も全て失敗し、見たかった展開は尽くが潰されてしまう。

これまでの悪戯がずっと順調だった反動もあってか、それらの失敗による不快感は酷く大きなものに感じられていた。

 

 

(あーおもんな、生意気、くっそムカつく、つまんねー……!)

 

 

ここまで来ると諦めるのも屈辱的で、女はどうにかして少女に一泡吹かせてやりたいと躍起になり――やがてその手には、金属製のハンマーが握られていた。

 

女の腕でも振るえる小型のものだが、金属相応の破壊力はある。

幾らあの少女が運動神経抜群とは言え、これで殴られればただでは済まないだろう。

 

――にもかかわらず、やはり女には躊躇の類は欠片も無かった。

 

これは仕方がない事なのだ。今までの軽い悪戯で痛い目を見なかった少女が悪い。

女の中で、それはまっすぐ筋道通った理屈であった。

 

 

(くく、見てなよ……)

 

 

そうして迎えたとある日の朝。

女はここ数日ですっかり見慣れた少女の通学路の一角に隠れ、静かにチャンスを窺った。

 

少女の通る道の中で、一番細く入り組んだ路地。ここならばバグも当てやすく、また身を潜められる横道も数多い。

女は握り締めたハンマーをゆらゆらと揺らしながら、じっとその時を待ち、

 

 

(! 来た!)

 

 

路地の入口に近づく白い影を認めた瞬間、女は路地の少し先まで走り、ポケットの中のスマホをタップする。

そして『とある動作』の動画を流すと、「えいやー!」全力でハンマーを振り抜いた。

 

下から上に、あの美しい顔面が砕かれるよう願いを込めて。あまりに力を籠めすぎたせいか女自身も振り回され、危うくバグに触れそうになり肝が冷えた。

 

あの少女の頭が通るであろう位置を正確に狙えたかはあまり自信が無かったが、この路地の狭さであれば身体のどこかしらに当たる目算は高い。顔がベストとはいえ、それが崩れるのなら最悪他の部位でも構わなかったのだ。

 

ともかくバグを発生させた女は、そこから少し戻った横道に入り、何食わぬ顔で単なる通行人を装った――と、

 

 

「あー……だりー……」

 

 

丁度その時、白い影が視界を擽った。

例の少女がやって来たのだ。

 

 

(……く、ふ……くひ、ふ、ふ……!)

 

 

……人を。それも中学生くらいの子供を、殺してしまうかもしれない。

後に引けなくなった今になって冷たい汗が滲み出るが、それ以上に興奮した。

 

ドキドキと胸が高鳴り、呼吸が乱れる。チカチカ視界が明滅する。

女の潜む横道を通り過ぎた少女が、目の中に濃い軌跡を焼き付けた。

 

 

(もう少し……もう少し、そのまま……!)

 

 

一歩、二歩。少女がバグに近づいていく。

進む方向も頭の位置も、怖いくらいに想定通り。

 

少女は何も知らない。何も見えない、予期しない。

そして遂に、ハンマーを振り抜いた空間に、その綺麗な顔面が重なって――。

 

 

「――ガッ!?」

 

 

……酷く、鈍い音だった。

同時に少女の頭が勢いよく後方に反り、短い悲鳴が空に散る。

 

――顔面に、当たった。

 

 

(や、った……ッ!)

 

 

女の背筋に快感にも似た痺れが走った。

吐息は過呼吸のように荒くなり、身を隠している事も忘れ、横道から大きく身を乗り出す。

 

どうなった。顔は潰れたか。歯は折れたか。気絶したか。死んだか。

様々な期待に目を輝かせ、女は背中から倒れ行く少女を見つめて、

 

 

「いっ――てぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

(……は?)

 

 

 

がばちょ。

崩れかけていた少女の体幹に突如として力が戻り、バネ仕掛けの如き力強さでその上半身が引き起こされた。

大きくよろめいた事で頭の位置も後退し、先程より少し手前に移動している。バグは、虚しく空振っていた。

 

 

「ん……っだ今のぉ!? 鼻っ、ぐ、痛っ……うわ血ぃ出てんじゃん……!!」

 

 

少女の顔には少量の鼻血こそ垂れていたが、それ以上の怪我は無く。

まるでちょっと転んで擦りむいた程度の気軽さで、鼻を抑えて小さく呻く。

 

 

(えっ……えっ、えっ)

 

「……あー、ひっさびさに石投げかぁ? 誰だどっからだ出てこいクソが!!」

 

 

そうして何を勘違いしたのか、元々足元に転がっていた石ころを睨むと、バグの横を通り抜けつつ前方にある横道を覗き始め……女は逃げるように頭を引っ込めると、こちらもまた目を白黒とさせた。

 

……それだけ?

全力で振ったハンマーに顔面を殴られたのに、ものすごい音してたのに。

倒れも気絶も死にもせず、ただ鼻血出して、それだけ……?

 

 

「……くそ、あーもー……! これぜってー単語幾つか抜けたぁ……最終日なのに最悪……」

 

 

そして何も見つけられずに諦めたのか、少女はやがて溜息ひとつ。

何やらぶちぶちと零しつつ、鼻を擦りながら立ち去った。

 

女はただ茫然としてそれを見送り――直後、激しい不快感が身を焦がす。

 

――馬鹿にされた。そう思った。

 

 

(ムカつく! ムカつくムカつくムカつくッ!! もう一回だ、もう一回――!)

 

 

瞬間的に意識が沸騰した女は我を失い、勢いよく横道から飛び出した。

このままじゃ気が収まらない。あの憎たらしい少女を追いかけ、先回りして、もう一度バグを置くのだ。

 

 

(鼻血程度じゃ済まさない。そのすまし顔、確実にぐちゃぐちゃにしてやるから……!)

 

 

後先など何も考えていなかった。

激情に縺れる足で狭い路地を駆け、不快極まる少女の足跡を追いかけて、

 

――カツン。

 

 

「――?」

 

 

その時、目の前にスマホが落ちた。

女が片手に握っていたものがすっぽ抜けたのだ。

 

取り乱すといつもこれだ。そんなどんくさい自分に舌打ちも落としつつ、女は走りながら身を屈めて手を伸ばし――そこに映った停止中の『とある動作』の動画に、ふと気付く。

 

 

(あれ……そういや私、ここのバグちゃんと消し、)

 

 

 

 

 

 

「――終わったぁ~……!」

 

 

金曜日の放課後。

テスト週間のラスト一日をどうにか乗り切った私は、下駄箱から外に出た瞬間にそりゃもう大きな伸びをした。

 

あまりの解放感にこのまま空に昇っていきそう。

喉の奥から細長い声を漏らす私に、一緒に出てきた足フェチが苦笑した。

 

 

「おつかれさ~ん。まぁでも、流石にアタシも疲れたわ……あとは何点取れてっかだな~」

 

「やだ……しんない……きこえない……」

 

 

てんすうってなーに? おいしーの?

 

せっかく人が解放感に浸ってるのに、水を差すのはやめて頂きたいものである。

来週のテスト返しを思い湧き出し始めた憂鬱を、溜息として吐き出した。

 

 

 

私の学校におけるテスト形式は、一日二科目。自習時間とテストとを交互に行う午前中のみの授業日程を、月曜から金曜まで五日間続けるというものだ。

 

おそらく他の学校と比べてもかなり余裕を持たせたスケジュールなのだとは思うが、実際にテストを受ける身からすると、無駄に緊張を引き伸ばされてまぁ疲れること。

私はもとより足フェチも同じ感じであるらしく、帰り道での口数も何となく少ないような気がした。

 

 

「で、実際どうだったの、手応え。アタシ抜きでの勉強対策の効果はどんなもんでしたかね」

 

「地味に根に持ってんな……」

 

 

そうして肩を並べて歩いている最中、足フェチが突然そう問いかけてきた。

 

どうやら勉強について頼らなかった事が気に入らなかったらしいが、当たり前だろう。

成績のために身体差し出すハメになるとかそれはもう淫行教師のパターンなんよ。

 

 

「……まぁ、前のテストよりはマシかもな。あん時は色々慣れないわ集中出来ないわでほぼ赤点だったけど、今回は……三つ……いや二つくらいに減ってる……と、いいよな……」

 

「あれ、自信なさげじゃん。髭擦が勉強頑張ってて見直したーとか言ってたけど」

 

「アイツなんでそういうの対面で言わねーの?」

 

 

ともあれ。

 

 

「……いや、何か、今週ずっと運悪くてさー。縁起悪いっつーかなんつーか……」

 

「あぁ、前そんなの言ってたね。階段から落ちかけたんだっけ?」

 

 

そう、今週の私はどうにも運が悪かった。

 

月曜日にはコケかけるし、次の日には誰かに後頭部を叩かれ、その次の日は足フェチの言うように階段からも落ちかけた。

他にも変な奴に冤罪吹っ掛けられて『親』に助けられるわ何だと色々とあり、挙句の果てには今日の朝だ。

飛んできた石が顔面直撃するなんて、小学校時代でも二回くらいしか経験ないぞ。

 

どれも大した事じゃなかったけれど、何かもう悪意に晒されてんじゃないかってくらいツイておらず、調子という意味ではたぶんあんまり良く無い筈だ。

 

 

「テストも番号で答えるやつとかお祈りでやったとこ結構あるし、当たってる気全然しないわ……」

 

「あっはは、まぁ元気だしなって。ほら終わったテストの事なんて忘れて、楽しい事考えようぜ!」

 

「おめーが話振って来たんだろが」

 

 

などとグダグダ話しつつ、歩く事暫し。

街中を抜け、帰り道の細い路地に差し掛かった時……向こう側から髭擦くんが歩いて来るのが見えた。

 

ほぼ同時に彼の方も私達を認識したのか、軽く手を上げ駆け寄って来る。

 

 

「お前達も今帰りか。偶然だな」

 

「うん、まぁ……そっちはどうしたん? あんたも帰り道あっちでしょ?」

 

 

そう言って、髭擦くんのやってきた方向を指さす。

 

髭擦くんの帰り道は、私の帰り道と重なる部分がそこそこある。

私が向かっている細い路地もその一つで、そこから逆行していたのが少し気になった。

そんな私の問いかけに、髭擦くんは「あぁ……」と眉を寄せ、

 

 

「……この先なんだが、道が通行止めになっててな。仕方ないから引き返してきたところだ」

 

「え、なんで? 工事でもやってんの?」

 

「いや、事件か何かあったらしい。警察が集まっていて、物々しい雰囲気だったぞ」

 

「えぇ……」

 

 

思わず道の先を見る。

ここからじゃ何も異変は無かったけど、どことなく近寄りがたい雰囲気が出てる気がした。

 

 

「どうも女の人が頭をカチ割られてたらしくて、現場検証だか何だか……」

 

「うわー、殺人事件ってやつ?」

 

「いや、死んだのかどうかまでは知らんが」

 

 

髭擦くんはそう肩をすくめるが、通学路で傷害事件とかおっかない話である。

日々オカルトでおっかない目に遭ってはいるものの、リアル事件だとやっぱ身近さがね……。

 

なんとなく場の空気もちょっぴり冷たくなり、流石の足フェチも微妙な顔で目を伏せて――いやあれは髭擦くんの足見てるな。ノーカン。

 

 

「……まぁ、あれだな。お前だったら平気そうだよな」

 

 

するとその空気を変えるように、髭擦くんがいつもの白目で私を見た。

 

 

「えっと、何の話?」

 

「いや、お前だったら例え犯人に殴られてもカチ割れず、むしろハンマーの方が砕け――待て、分かった、またアレな事言ったんだな俺は、謝るから足下ろせ、すまんかった」

 

 

必死に腿をガードし謝るその無様さに免じ、振り上げた足を下ろしてやる。

……決して足フェチの視線が怖かった訳では無い。ほんとに。

 

 

「いや、悪かった……普段のお前見てると、どうしてもな……」

 

「……まぁ、確かに頑丈さには自信あるけどさぁ」

 

 

とはいえ、そんな人外みたいに言われるのもちょっとばかし気に食わない。美少女って言ってんだろ。

私はぷりぷり憤慨しつつ、髭擦くんにペチッと軽い蹴りを入れ――まだ赤みの残る鼻の頭を、そっと撫でた。

 

 

 

「――私だって、鼻打ったら鼻血が出るんだ。誰かの頭をカチ割る力で殴られて無事とか、流石にそこまでバグってねーよ」

 

 

 




主人公:一時期髪と目を黒くしようと思った事もあったが、色々あった末に「何であんなクソボケどものためにめんどくせー事しなきゃならんのじゃい」の境地に達した。

足フェチ:ムキムキの足とスベスベの足が仲良くていいなぁと思っている。

髭擦くん:彼に対応した警察官は『親』の一人だったが、最後まで気付かなかったようだ。

バグ女:悪用される恐れがあるので『とある動作』の詳細は伏す。

『親』:何この触ると痛い空間……怖……。
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