異女子   作:変わり身

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「山」の話(中②)

3

 

 

 

夏は時間感覚がしばしばルーズになる。

陽が伸び空の変化が緩やかになり、朝昼夕の境目が曖昧になるからだ。

 

森とか山の中で過ごしていると特にそう。

元々が木々や葉っぱの影で薄暗いし太陽も隠れがちなもんだから、空の変化がより分かり難くなる。そうして時計をうっかり見忘れていたりすると、気付いた時には昼食時を飛ばしていたなんてザラだった。

 

今回のキャンプもその例に漏れず、知らない内に結構な時間が過ぎていたようだ。

敷地内をあちこち回っていた最中、アゴ男から「そろそろお夕飯の支度するよ~ん」とメッセージが飛んできて、やっと夕方になっていた事に気が付いた。

 

 

「…………」

 

 

……去年に友達家族とキャンプに来た時は、晩ご飯はもっと遅い時間、それこそ完全に陽が落ち星々の瞬き始める時間帯だった。

 

今回はそれよりずっと早く、おそらく調理終わりにようやく夕暮れとなるくらいだ。

なんでもアゴ男的には陽のある内に諸々を済ませ、夜はまったり焚火を囲んで過ごすのがイイらしい。

 

まぁ、それが彼のこだわりなんだろう。星空の下でのご飯じゃない事はややガッカリではあったが、代わりに夕焼け空の下でと考えれば、それはそれで楽しみな部分もあった。

 

 

「……はぁ」

 

 

……あったが、しかし、別の理由で気が乗らねー。

 

このままメッセージ気付かなかった事にして戻んないどこうかな。

一瞬そんな事を思えども、メッセージにはもう既読マークを付けてしまった。私はまた小さな溜息を吐き、来た道を引き返していった。

 

 

 

 

 

木陰の拠点に戻ってみれば、既に晩ご飯の準備が始まっていた。

 

みんなそれぞれ火を起こしたり食材を切ったり、遠目からでも順調に作業が進んでいる。

……なんとなくボケっと眺めていると、やがて黒髪女が私に気付き近寄って来た。

 

 

「あ、やーっと帰って来たあ。ひどいじゃん、ワタシ置いてっちゃうとかさあ」

 

「え? あぁ……」

 

 

そういや釣りの後いつの間にか居なくなってたなコイツ。

どうやらズカズカ歩き続ける私に追いつけず、気付かない内に振り切っていたらしい。

 

 

「いいだろ別に、最低限エサの付け方は教えてやったんだからさ……」

 

「えー、タマちゃんと色々遊びたいって思ってたのに~……えっと、それはそれとして、だいじょぶ?」

 

「……何が」

 

 

突然トーンを変えた黒髪女に、敢えて察しないフリをする。

するとその視線が少し離れた場所にある炊事棟へと移動し、私も釣られてそれを追い……そこの調理台で魚の下処理をしている『親』をうっかり見つけ、察しないフリが数秒ももたず爆散した。クソが。

 

 

「…………」

 

「……釣りの時、二山さんと何かケンカっぽくなってたけど……気持ち、落ち着いた?」

 

「……ケンカって言わねーよあんなの。私とアイツは、アレが普通なんだ」

 

 

そうだ、あの程度のやり取りなんぞいつもの事。私と『親』の間じゃ珍しくもなんともない。

 

……そう答えたけど、自分でも説得力が無い事は分かってる。

このままだとまたいらん事を言われそうで、無理矢理に話題を切り替える事にした。

 

 

「それより、晩ご飯ってどうなってんの。アイツが魚やってるって事は、塩焼きに変更とか……?」

 

「ううん、最初の予定通りメインはお昼の残り使ったカレーで、おさかなはオマケ。二山さん、あの後釣ったおさかなリリースしちゃったみたいなんだけど……せっかくの機会だしワタシも塩焼き食べてみたかったから、お願いしてまた釣って貰ったんだあ」

 

 

余計な事しやがって……!

 

焼き魚が出て来ないよう、晩ご飯の分込みで沢山お肉持ち込んだというのに。

カレーもあるから良いっちゃ良いとはいえ、なんかモヤる。

 

 

「あー……まいいや。じゃあ準備の方はどうなってんの。手伝いとかは……」

 

「今はアゴ君とワタシでカレーやってて、ヒゲ君がお米炊いてるとこかな? お手伝いは、そーだなぁ……」

 

「――そんじゃあニャマ先の方手伝ったげてー!」

 

「うわっ」

 

 

黒髪女が悩んでいると、その後ろから突然長いアゴが飛び出した。クーラーボックスを抱えたアゴ男だ。

思わずビクッと飛び跳ねてしまったが、彼は全く気付かずヘラヘラ笑う。

 

 

「串焼きにするってんだけど、あれ意外と手間かかんのよねぇ。釣った本人だからって全任せもなーってさぁ」

 

「……や、あの、」

 

「こっち終わったら手伝おっかなぁとは思ってたんだけど、タマちゃん帰って来てくれて助かったわぁ。じゃ、あっちよろしくね! 俺が気ぃ回したって伝えなくていいけど伝えても良いからね! ねっ!」

 

「ちょっ」

 

 

そうして好き勝手まくし立てたかと思うと、私の答えも聞かずウキウキと『親』とは別の炊事棟へと走り去っていった。

 

これまでの様子から言って、どうせ「こういう細やかな気回しがモテんのよ」的な事を考えているんだろうけど、ものすんげぇ余計なお世話である。

残された私と黒髪女の間をひゅるりと風が吹き抜けて……やがて、おずおずと黒髪女が手を上げた。

 

 

「……二山さんのところ、ワタシが行こうか?」

 

「けっこーでーす……」

 

 

だって私『親』とケンカしてないもんね! 普通の事だって言っちゃったもんね!

 

……自分の言葉で首絞められんの、髭擦くんの時に続いて今日二回目だぞ。

私は暗澹たる胸中そのまましおしお顔になりながら、『親』の居る炊事棟へと足先を向けたのであった。ちくしょう。

 

 

 

 

 

「……どんな感じ、料理」

 

「!」

 

 

『親』が作業している炊事棟は、主に水回り作業メインの場所として用意されているものらしい。

時間帯のせいかまだ人の少ない調理場入り口から声をかけると、『親』は弾かれたように頭を上げた。

 

 

「ど、うした。何の用だ」

 

「アゴの人がこっち手伝えってさ。で、何かある」

 

「……そうか」

 

 

『親』はどこかぎこちなく頷くと、調理台に並べられていた魚を見せる。

 

釣りの時に見せられたのと同じくらいの結構な量だったが、既に全ての下処理が終えられていた。

見た感じ準備が始まってそう経ってないのに、とんでもない手際の良さである。

 

 

「えぇ……私が手伝える事あんの、これ」

 

「これから串を打ち、焚火で焼く。そちらにおいて手を貸してもらえるのであれば、時間短縮には繋がる」

 

「……いちいち微妙に引っ掛かんだよなぁ、言い方」

 

 

若干イラっと来たが、まぁ今更だ。

私は『親』に渡された鉄串を持ち、指示通りに魚に串を打っていく。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

無言。

 

ここで私の手際が悪ければまた違ったのかもしれないが、残念ながら魚を触る事にも串をぶっ刺す事にもそんなに抵抗感は無い。

すいすいと順調に作業は進み、そのまま何か言葉を交わす間もなく下準備完了。やはり会話も無いまま、拠点へと戻った。

 

 

「……あれ、私達だけか」

 

 

他のヤツらも炊事棟に行っているのか、テント周りは焚火台の準備だけが残されていた。

魚焼くのはみんな帰って来てからかな――そう思っていたのだが、焚火台から少し離れた場所で新しく焚火の土台を作り始めた『親』に、流石に声をかけざるを得なかった。

 

 

「え……なに、待たないの、皆」

 

「鍋調理と魚を焼くのでは使う火の種類が違う。それに夏場の魚は足も速い、念のため早めに焼き始めてしまいたい」

 

「ふーん……」

 

 

そういうもんかと特に反論も無く、私も準備の手伝いに掛かる。

 

レンガを置き、ブロックみたいなマッチを擦り、その上から薪を乗せ、扇風機みたいな道具で火の勢いを加速。あっちぃ。

そうして作った炭火の周囲に塩をまぶした魚の串を立て……後は焦げすぎないよう折を見て、くるくるひっくり返していくだけだ。

 

こっちの作業も多少の説明だけでテキパキと進み、その間雑談の類は無し。

焚火を挟んで向かい合い、魚を見るふりして視線を逸らし。気まずい沈黙が私達の間に横たわる。

 

……皆は、まだ戻らない。こっちの進行度が早すぎるのだろう。

髭擦くんだけでも帰って来ないかな。ようやっと茜色の差し込み始めた夕焼け空を見上げ待ち侘びていると、『親』の足先が砂を擦った音がした。

 

 

「……手際」

 

「あ?」

 

「随分と手際が良かったが、経験があるのか」

 

 

たぶん、さっきの準備や焚火の手伝いの事だろう。

無視しても良かったが、なんとなく付き合ってやる。

 

 

「……去年、キャンプ自体は経験してるしな。魚に串入れんのはした事なかったけど、魚触んのに慣れてりゃこんなもんなんじゃねーの」

 

「そうか……そのキャンプとは、お前と親しかった――……、……」

 

 

何かを言いかけ、止まる。

どうやら私にとってデリケートな部分に触れかけた事に気付いたらしい。

 

私も問い返したりという事も無く、また沈黙。

焚火の熱に流れる汗を拭う中、パチパチと炭の弾ける音だけが続いた。

 

 

「……嫌いなのか」

 

「毎回ぶつ切りで聞いてくんのやめろよ……なに、あんたの事が?」

 

「違う、魚の事だ」

 

 

こころなし大きな声で返された。

そして『親』の視線が少しずつ下がっていき、やがて焼き目の付き始めた魚を見つめる。

 

さっきの釣りの時の事で流石に察したらしい。私は小さな溜息を落とし、串を一本ひっくり返す。

 

 

「……魚ってーか、焼いたヤツな。出れば食べるし、嫌いって程でもねーけど……ただ、進んでは食べないかなって感じ」

 

「…………そう、か。てっきり、好物なのだと思っていた……」

 

「…………」

 

 

『親』は呟き、項垂れるようにまた視線を下げた。

 

この辺は私の食べ方が悪い気がするのだが、かと言って謝る気も起きない。

それきり会話も続かず、黙って他の串もひっくり返していき、

 

 

――カシャ。

 

 

「……?」

 

 

ふと、どこからか音が鳴った。

 

カメラのシャッター音だろうか。きょろきょろ周囲を見回すけれど、どこで鳴ったのかは判然としない。

……まぁでもキャンプ場で人も多いし、どっからでも鳴るわな。すぐに興味を失い、魚の焼き加減に意識を戻す。

 

 

「……はぁ」

 

 

香ばしい匂いが漂い始めるけれど、食欲はほとんど擽られない。

それから鍋と飯盒を抱えた髭擦くん達が戻ってくるまで、つまんない顔で焚火を眺め続けていた。

 

 

 

 

 

 

結局、私が魚の塩焼きを食べる事は無かった。

 

自分で焼いといて損な話だとは思うが、食べる気にならなかったのだから仕方ない。

晩ご飯にはアゴ男達の作ったカレーだけを貰い、私の分は他のヤツらに押し付けた。

 

……『親』はまたチラチラと私を見ていたけれど、知るもんか。視線から逃げるように背中を向けて、カレーだけでおなかをいっぱいにしてやった。

皆はうまいうまいと塩焼きを齧っていたが、理解出来ない感覚である。絶対カレーのが何倍もおいしいよ。

 

ともかく、そうしてご飯を終えた時にはいい加減空も暗くなり始めていた。

 

瞬き始めた星空の下、残った焚火でマシュマロを焼いたり無駄にそこらの枯れ枝を放り込んで燃やしたりと遊んでいると、調理道具の片づけを終えたアゴ男が注目を引くように手を打った。

 

 

「よーし、そろそろチェックインいける時間なんで、暗くなり切んない内に泊まるとこ行っとくだけ行っときましょ! とりあえず大切なもん纏めちゃってなー」

 

「……ああ、そういや部屋取ってんだっけ」

 

 

うっかり忘れてたけど、このままテント泊まりじゃないんだったか。

やはりどうにも肩透かし感が拭えないけど、テントでの寝泊まりより快適なのは確かである。私としても寝やすくある分には文句は出ない。

 

……出ない、けれども。

隣で一緒に焚火で遊んでいた髭擦くんをくいくい引っ張り問いかける。

 

 

「なぁ、泊まるとこってどんなん? 普通のホテルみたいなヤツ?」

 

「ん? いや、俺もあそこ泊まった事は無いから詳しくは知らんが……山小屋に近い感じとは聞いたな。小さめのバンガローみたいな部屋だとかなんとか」

 

「……よく分かんないけど、つまり狭いんだな」

 

 

そっと、荷物を纏めている『親』を盗み見る。

 

……男女別で部屋取ってるとして、今コイツと一緒に狭い部屋に放り込まれるのヤダな。

間違いなくテントより寝心地悪くなる。想像して苦々しい気分になりながらも、私はヘタクソな愛想笑いでアゴ男へと擦り寄った。

 

 

「へ、へへ……あのぅ、部屋割りなんすけど、男女分けじゃなくて大人と子供とかで――」

 

「あ、言い忘れてた。予定では二部屋取ってたんだけど、何か一部屋使えなくなったらしいんで、俺とヒゲくんは慣れてるしテント使う感じでいきまーす。女の子組はそのままお部屋でね。それでいいっしょ、ヒゲ君も」

 

「……え、あ、ああはい、俺は別に構いません、けど……」

 

 

ズッコケた私に、髭擦くんの憐れみを帯びた白目が突き刺さっていた。こっち見んな。

 

 

 

 

 

案内された宿泊施設の部屋は、髭擦くんの言う通り山小屋のような一室だった。

 

施設の二階。十畳くらいのワンルームで、それぞれの隅に木組みのベッドが三台と簡素なソファが一台。

家具もエアコンや小さなライトがあるくらいで、本当に寝るだけの部屋という感じだ。

 

壁も床も木で出来ていて、私としてはかなり好きな雰囲気だったけれど……一緒に泊まるのがコイツらじゃなぁ。

各々部屋の様子を眺めている『親』と黒髪女に、げんなりと首を振る。

 

 

「ほんじゃ俺らはテントに戻ってるからさ、後は自由行動って事でね。とりあえず焚火の前でギターでも弾いてっから、よろしくな!」

 

「出歩く時はライト忘れるなよ。あと戸締りも」

 

 

アゴ男と髭擦くんら男子組はそう残し、さっさと立ち去って行ってしまった。

男二人、雑談混じりになんとも気楽な様子だったが――残された女子組の空気といったら、もう。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「……う、うーんと……」

 

 

上から順に、沈黙、沈黙、引き攣り笑い。

昼から引きずる気まずさがずーっと残っていて、流石の黒髪女も反応に困っているようだった。

 

……私は敢えて大きく溜息を吐き、適当なベッドに荷物を放るとお風呂セットを持って扉に手をかけた。

 

 

「あ、あれ、タマちゃんどっか行くの? この空気の中ワタシ置いて?」

 

「……シャワー浴びて、そのままぐるっと歩いて来る。眠たくなるまで帰んない」

 

「ならワタシも一緒に行くよお。ちょっと待ってー!」

 

 

ドタバタと自分の荷物を漁り始めた黒髪女を横目に、外に出る。

……背中に何やらもの言いたげな視線を感じた気もするけど、気のせいだろうと無視をした。

 

 

「……ふぃー」

 

 

扉を閉めると途端に息がしやすくなり、ほっと一息。多少ゆっくりめの足取りで、出口の方へと歩いていく。

 

目的地の入浴施設はこの建物には無く、外に出て少し歩いた場所に銭湯があるらしい。

何でそんな面倒な配置にしたんだよとは思うが、まぁ色々とあるんだろう。この建物も木造だし、湿気の問題とかかな。

 

などとつらつら考えながら下の階に降りていくと、とある部屋の前にカラーコーンが置かれているのが見て取れた。

その部屋の扉は中途半端に開かれていて、周囲にたむろする従業員が難しい顔を浮かべている。

 

……何かあったんかな。ちょっぴり気になり、通りがかりに扉の隙間をチラっと覗き込んでみる――と。

 

 

(うわ、どうしたんだこれ……)

 

 

僅かに見えた部屋の中は、酷く荒れていた。

 

床板は剥がれ地面と繋がる穴が開き。壁の至る所には土くれが飛び散っている。

隙間から見えただけでこれなのだから、部屋全体ではどれだけの惨状になっているやら。考えるだけで軽く引く。

 

 

「ほんと酷いな……酔って暴れたんですかねぇ」

 

「にしたってやり過ぎだよ。ここの客まだ見つかんないの?」

 

 

従業員の会話を盗み聞けばどうも事件事故ではなく、単にこの部屋の客がやらかしたらしい。

 

……アゴ男曰く、取っていた二部屋の内一つが使えなくなったとの事だったが、もしかしてここの事だろうか。

だとしたら傍迷惑な話である。そうゲンナリしている内に黒髪女が追い付いて来る足音が聞こえ、歩く速さを元に戻して部屋の前から立ち去った。

 

 

 

 

 

外に出た時には、陽はとっぷりと落ちていた。

 

山道には街灯が点々と設置されていて全く光が無いって訳じゃなかったけど、やっぱり山中の濃い暗闇をカバーしきれるほどじゃない。

スマホのライトが無ければ足元も怪しく、私はともかく黒髪女は歩くのをだいぶ慎重になっていた。

 

 

「おっとと……こう暗いと地面のくぼみとかも分かんないねぇ」

 

「影だか穴だか分かり難いんだよな……コケると枝とか目に刺さるかもだから気を付けろよ~」

 

「こ、怖い事言わないでよお……」

 

 

からかい混じりに軽く脅かせば、私の後ろに回り込んで引っ付いて来る。

私の歩き道をそのままなぞるつもりらしい。敢えて穴ぼこ飛び越えたろかな。

 

 

「……にしても、あのお部屋に戻るのキツいなぁ。どうするタマちゃん?」

 

「…………」

 

 

すると突然そんな事を言われ、ほんの一瞬足取りが乱れた。

 

……また仲直りしなよ的なアレか。

ウンザリと肩を下げたが、しかし黒髪女はにっこりと笑い、拠点のテントが張られている方角に目をやった。

 

 

「アゴくん達はテントで寝るらしいけど、車は空いてるよね。車中泊とか出来るかどうか、ちょっと聞いてみる?」

 

「……え」

 

 

その予想から外れた提案に、思わずぱちくりとする。

そんな私に黒髪女は苦笑を零し、慰めるように私の白髪を優しく梳いた。

 

 

「まぁねぇ……そういうのって難しいからねぇ。あの子がそうだったから、なんとなく分かるよ」

 

 

黒髪女はそう言って、自分の手荷物へ目を落とす。

どうやらお風呂に行くにもまだ『あの子』を持って――いや、連れてきているらしい。

 

 

「……確か、家族と仲悪かったんだっけ、その人」

 

「そうそう、ワタシも小さい頃からあれこれお節介しちゃって、全然ダメだったの。かえって仲悪くしちゃった時もあって、悪い事したなぁ」

 

「…………」

 

 

何と返せばいいのか分からず、黙って歩き続ける。

どうしてか、撫でられている部分に感覚が集中してしまう。

 

 

「……結局、あの子は仲直りしないまま家を出ちゃったけど――たぶん、それも途中だったと思うんだよねぇ」

 

「途中……?」

 

「そ、山あり谷ありで行きつくとこの、まだ半分。一旦離れて頭冷やすパートっていうか、まだまだ山登りしてるとこだった気がする」

 

「…………」

 

 

分かるような、分からないような。

考えていると黒髪女が私の顔を覗き込み、またすぐ近くで薄紅色のイヤリングが揺れた。

 

 

「キミと二山さん、どういう関係かはやっぱり分かんないけどさ……お互い、ナイフで切りつけ合ってやるぜーとか思う程のアレじゃないよね」

 

「私ら何だと思ってんだ」

 

「じゃあまあ、しょうがないよお。タマちゃんのイライラも、二山さんが何かおかしいのも、お互い気まずいのも。キミらのそれはまだ途中で、全部に続きがあるの。きっと」

 

「…………」

 

 

……ともすれば軽くも取られる言葉だったが、私はそうは感じなかった。

 

その続きが途切れてしまった『あの子』の事を詳しく知っているからだろう。

言葉の裏に伴う重たい実感に、私のちゃちな反発心など跳ねる間もなくぺったり押し潰されていた。

 

 

(……途中、ねぇ)

 

 

果たしてこの『親』へのイライラに、続く先などあるのだろうか。

色々と反芻してみるものの、やっぱりあんまりピンと来ず――すると突然、まだ髪を弄り続けていた黒髪女が私の旋毛を覗き込み、スマホのライトを当てて来る。何しとんじゃ。

 

 

「わぁ……ほんとに根元まで真っ白なんだあ。これ地毛なんだよね?」

 

「……、……そーだよ。つーかいつまで触ってんだ、離れろ」

 

 

そのアホ行動に我に返り、頭を振って黒髪女の手を振り払う。

しかし懲りずにまた私の髪を撫で、指の隙間に通していった。

 

 

「汗かいてるのにサラッサラ~、お手入れ何使ってるのお? オイルとかは?」

 

「……名前知んないけど、ウチにあるシャンプーだけ。いいから触んなし」

 

「うっそだあ……って言いたいけど、タマちゃんだからなー。それならお風呂で洗いっこする時、お姉さんが色々教えてあげよおねえ。うへうへ」

 

「誰がするかよホント触んなキッッッッッモ!!」

 

 

気持ち悪さにさぶいぼが立ち、跳ねるように距離を取る。

 

どうやら真面目モードは終わりらしい。せっかく年上としてちょっと見直してたのに台無しだ。

私はさっきまで撫でられていた感触を掻き消すように髪をかき混ぜ、黒髪女を置いて道を突き進み……、

 

 

「…………」

 

 

ふと首を傾げ、立ち止まる。

そしてきょろきょろ周囲を見回している内に黒髪女も追いつき、ぜぇはぁと膝に手をついた。

 

 

「もー、置いてかないでよお……どしたの?」

 

「や……お風呂場の道って、こっちで合ってんだよな?」

 

 

パンフレットのマップでは、入浴施設はさっきの宿泊施設を出て数分ほどの場所にあると書いてあった筈だ。

 

しかし、幾ら歩けど施設の姿が見えてこない。

感覚ではマップに書かれている距離なんてとっくの昔に踏破しているというのに、私達はまだ山道の中だ。

 

 

「んー……ここ一本道だったよな。横道とかあったっけ?」

 

「ううん、そういうのは無かったと思うけど……あれ?」

 

 

後ろにライトを向けた黒髪女が困惑の声を上げ、私も続いて振り返る。

 

 

――ついさっき通り過ぎた、雑草だらけの暗い道。

その両端にある木と木の間にビニール紐が張られ、真横に線を引いていた。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

黙り込む。

 

……私達が通って来た時は、こんなものなんて無かった。

こんな通行止めみたいのがあったら絶対に気付くし、あの高さだと通り過ぎる時に身体のどこかしらに引っ掛かっているだろう。

 

つまり――このビニール紐は私達が通り過ぎた直後に張られた、という事で。

 

 

「……誰か、居んの」

 

 

ライトを雑木林の中に向けるも、人の気配は感じられない。

恐る恐るビニール紐に近付き観察してみるけど、特に変わった様子も無し。何か塗られたり書かれたりもしていない、ごく普通のビニール紐だ。

 

……目的も、意図も、何もかもが全く分からず、ただただ不気味だった。

 

 

「……くそ、気持ち悪いな。とりあえず……、…………」

 

 

このままこうしていてもしょうがないし、ひとまず先に進んでしまおう――そう黒髪女を促そうと振り返り、その言葉が立ち消えた。

 

――居ない。

 

 

「……は? お、おい……?」

 

 

さっきまでそこに立っていた彼女の姿が、どこにも見えなくなっていた。

 

咄嗟に周囲に呼びかけるけど、返事は無い。

黒髪女の居た場所には『あの子』の入った大切な荷物とスマホが落ちていて、点きっぱなしのライトが雑草を照らし上げている。

私は困惑の抜けないまま、ほとんど無意識にそれらに手を伸ばす。

 

 

――そうして顔を上げた時、目の前には大きく開いた口があって、

 

 

「――え?」

 

 

どちゃり。

 

……湿り気を帯びた、変な音。

濃い土の匂いをした闇が、私のすべてを呑み込んだ。

 

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