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「切り取られてるね」
不気味なほどに静まり返った、闇色に染まった山緑の中。
角の立つスマホの光に目を細め、『親』は……違う、二山は、短くそう吐き捨てた。
「……何が」
「あたしらが居る場所。たぶん、キャンプ場のどこかの一帯がまともじゃない具合に封鎖されてる」
「は?」
声をかければ、あまり要領の得ない説明が返る。
その感じに普段の『親』の名残みたいなものを見つけたけど、ぶっきらぼうな言い方や気怠げな態度には明確な人間らしさがあった。
……やっぱり、気持ち悪い。
口の中だけで舌打ちをして、二山を見ないよう目を逸らし。そして呟き混じりにまた問いかける。
「……地面から引っこ抜かれたばっかだろ。何でそんなの分かんの」
「あたしがあたしだからだよ。オマエが目の前に居ても、『二山』のままで居られてるってのが、何よりの根拠」
思わず視線を元に戻せば、うんざりとした顔の二山と目が合った。
今度の舌打ちは我慢できずに外に漏れ、すると対面からも同じ音。私達はお互い苦々しげに顔を顰め、同時に明後日の方角へ目をやった。
――私が二山を掘り出してからしばらく。未だコイツは二山のまま、いつもの『親』へと戻っていない。
最初は、流石の『親』も生き埋めにされた事で酸欠にでもなって、意識が混濁か何かしているのだと思った。
しかし冷静さを取り戻せるくらいの時間が経っても何も変わらず、二山の人格は剥がれないままいつもと違う目を向けて来る。
……少しずつ、少しずつ、胸騒ぎが酷くなった。
そうしてとうとう堪え切れなくなって、何か異常が起きたのか問いかけて……そうして返ってきたのが、さっきの話だった。
「……あたしらがオマエの前で先祖返り起こすのは、身体の人格全部がグッチャグチャになるから」
昼の気まずいものとは違う鋭さのあるギスギス感の中、二山は苛立ちを隠さず話を続ける。
「それぞれの身体が、オマエに全然違う感情を持ってる。その全部が混じったり打ち消し合ったり……そんな感じでグチャった末、はじめのあたしが浮き上がるの。そういうヤツ」
「……知ってる。インク越しに聞いてた」
「ああ……そう言えば盗み聞きしてたンだっけ? 趣味わる」
文句だったらあの貧弱眼鏡に言えや。
……普段なら反射でそう返せている筈なのに、どうしてか上手く出て来ない。
喉が詰まったかのように一拍躊躇ってしまい……結局、その言葉はどこかへ流れて消えてしまった。
「とにかく、沢山居るからそうなるの。逆に言えば、誰も居なけりゃへーきなの。分かる?」
「……他の身体全部と繋がりを切れば、人格はぐちゃぐちゃにならない……」
「そ。まぁ、あたし達は総てでひとつだから、自分からそういう事すンのはムリだけど――結果的にそうなる時ってのはある」
二山は顔を上げると、何かを探すように周囲へとライトを振る。
立ち並ぶ草木の先には闇ばかりが広がっていて、先なんて全く見通せず――やがてとある一方に光を留めると、何やら難しい顔をし始めた。
「……今のあたしは、スマホが機内モードで動いてるみたいなもん。近くに他の身体も無い。たった独りだから、あたしはオマエの前でも『二山』のままでいられてんの」
「…………」
「逆に言えば、『二山』で居るためには、今この場が空間的にも霊的にも外界と断絶状態になってなきゃいけないワケ。イコール現状クローズドサークル確定。ハイおわり」
「え」
いい加減面倒になったのか、それとも私に付き合うのに飽き飽きしたのか。
二山はつらつらまくし立てたまま説明を切り上げると、ぽかんとする私の抱えている荷物に目を向けた。
「……それより、そっちはアレ持ってないの」
「あ、アレ?」
「インクだよ。ずっと携帯してンでしょ? アレはかなり特殊なもんだから、この状況でも繋がるかもしんない」
「――あっ!?」
言われてやっと黒インクの事へと意識が向いた。
生き埋めをはじめ色々とあり過ぎて、考えが回っていなかった……!
半眼を向ける二山から逃げるように懐を探れば、瓶はきちんとそこに収まっていた。
砂利塗れではあったが中身も零れていないようで、私は大きな息を吐き……続いて別のポケットを探った瞬間凍り付く。
「……なに、どした」
「め、メモ帳が無い。ここ、入れてた筈なのに……!!」
ポケットをひっくり返しても、出てくるのは土ばかり。
きっと生き埋めになっている時に零れたのだろう。
慌てて他のポケットや抱えている荷物も探すけど、お風呂に入りに行く途中だったから、着替えとかボディソープくらいしか持ってない。黒髪女の荷物も同様で、徐々に血の気が引いていく。
「紙、あんた何か紙持ってない!? レシートとかティッシュとか、そういうのでもいいから……!」
「無い。葉っぱとか服のタグとかじゃダメなの」
その提案にすぐさま服を捲り上げ、適当なタグに少しだけインクを垂らしてみるけれど、繊維に染み込むだけでピクリとも動かない。
例えそこにサイズだか洗濯方法だかが書かれていても、衣服の一部判定らしい。
そこらの葉っぱでも同様で、神経質なインク瓶らしい実に心の狭い判定と言えよう。ちくしょうめ。
「くそ……そうだ、あの盗撮写真……!」
「やめときなって、そんなの絶対まともなもんじゃない。何にも分かってないんだから、下手に干渉して妙な反応起こされたらヤバいよ」
足元に転がる写真のくっついた例の枝を拾い上げれば、すぐに制止されてしまう。
……まぁ確かに、蜘蛛に始まり足の裏に張り紙に水族館のパネルその他、これまで色々なオカルトにこのインクを使ったが、大抵弾けたり震えたりそもそも無反応だったり、そんなんばっかだった。
二山の写る盗撮写真がそれらと同様の反応をするかは分からないけれど、間違いなくオカルト絡みである現状、それ関係の代物が連絡手段として使えるかは微妙な所。
最悪、インクをただ無駄にするだけとなるかもしれない。
「紙ぐらいならまだどっかで拾えるかもでしょ。その写真使うのは最後の手段にしとけよ」
「……な、なら、あんたの荷物! 埋まってたとこに何か……」
「無い。手ぶらでここに運ばれてんだよ、あたし」
さっきから二山がライトにしているスマホも、黒髪女のものを勝手に使っているだけだ。
自分のスマホすら持っていないのだから、本当に何も持ってないのだろう。一縷の望みが潰えた気分になり、ガックリと頭が落ちる。
「くそぉ……つーか運ばれたって、あんたそもそも何があってこんなとこに埋められてたんだよ。部屋で留守番でもしてたんじゃねーのか」
「……オマエらが風呂場に向かった暫く後、部屋の壁破って何か入って来たンだよ。いきなりで反応も出来なくて……気付けばそこに埋められてた。覚えてんのは、やたらとキツい土の匂いがしたくらいか」
「土……」
私も意識が消える間際、濃い土の匂いを感じていた。
まぁ山道だったし特に違和感はなかったけど――屋内に居た二山が同じものを感じたというなら、私達を生き埋めにした何かの匂いだったのかもしれない。
そう考えを巡らせていると、しゃがみ込んでいた二山がふらつきながらも立ちあがる。
「とにかく、そのインクは使えないんでしょ。あのメガネの知恵が無いのは痛いけど……言ってる場合でもない。行くよ」
「え……い、いや、どこに、どうやって……?」
「アレ」
そうして、おざなりに揺らされたライトの先を無意識に追いかけて――「っ!?」思わずビクッと背筋が跳ねる。
……『あの子』だ。
そこにあった木の影に再び『あの子』が現れ、手と髪先を覗かせている――。
「うぇ、な、何で……さっき消えて……!?」
「オマエ今、アレの屍肉持ってんでしょ。持ち主ンとこにかえりたがってんだよ」
ちらと、二山の視線が黒髪女の荷物を向く。
さっき漁ったきり開きっぱなしの手提げ袋の中で、中身の見えない容器が小さく揺れた。
「えぇ……明らかにヤバいのになってねーか、コイツ……」
「……残ってる量が量だから相当不安定っぽいけど、アレについて行けば少なくともトキのが居るとこには着くと見ていい。この状況じゃひとまず合流しとくべきだろ」
「……黒髪女の事だよな? やっぱりアイツもどっかに居るのか、その、ずっと、う、埋められてるまま……」
「埋まってるかどうかは知んないけど……まぁ、そうだとしてもまだ平気なんじゃないの」
二山はそこで一度言葉を切り、『あの子』の示す先へと歩き出す。
最悪の想像をしていた私は最後の一言に一瞬だけ呆け、慌ててその後を追いかける。
「な、何でそんなの言えるんだよ。もし生き埋めになってんなら……もう、かなり、じ……時間……」
「土の中、それもあんな息すら出来ないとこなんて、普通は五分も埋まってりゃ大体死ンでんだ。でもオマエもあたしも死んでない。たぶん、余計な事せず大人しくしてりゃ早々には窒息しないようになってるんだよ」
「余計って何の――」
言いかけ、二山を掘り起こしていた時の事が頭をよぎる。
二山が埋められていた小山は最初こそ軽い砂のようにサクサク掘り進められたのに、その途中で……そうだ、刺さっていた例の枝を崩した瞬間に質量を増し、ただのクソ重い土砂となっていた。
思えば、私も最初は呑気に寝ていられたのだ。そして夢の中で何かを握り折った途端、一気に苦しくなってたような……。
「……この写真、というか、枝か? これが刺さってる間は、大丈夫とか…?」
「あたしは実際に見てないから頷けないよ。まぁオマエがそう考えるならそうなんじゃないの」
「…………」
いつもと違う突き放した物言いに、やはり戸惑う。
ともあれ一旦無視をして、先ほど回収した枝を眺めてみるが、やはり盗撮写真がくっついている事以外は特に異常な部分もなかった。
まさか、忍者が水遁の術で使う筒みたいなアレだった、なんて事は無いだろうが……。
(いや、つーかそれだと私、『あの子』に助けられたっていうより殺されかけてない……?)
夢の中で手渡され、そして握り折った棒のようなもの。あれがもしかしたら件の枝だったのでは……?
あの時現実ではどうなっていたのかは分からないが、夢でそれを折った途端に死にかけて目が覚めたという事は、もう間違いないのでは……?
いやふざけんなよ。あんなの私だから何とかなったようなもんだろ。普通の人ならまず土から出られず死んでんぞ。
この目的のためなら人の命を勘定外に置くようなムーブ、流石は黒髪女の親友なだけあると逆に感心すらしてしまう。
「とにかく……黒髪女がすぐどうこうなる状態じゃないってのだけは、確実なんだよな?」
「……少なくとも死んではないでしょ。だったら屍肉のアレも出てこねェと思うし」
「そか……」
無意識に深い吐息が落ちかけ、気付いて口を引き結ぶ。
それきり会話は特に続かず、草葉を掻き分ける音だけが響き続けた。
「……なぁ、結局、今何が起こってんだよ」
その気まずい空気に耐えかねて……って訳じゃないけど、ここしか無いと思って問いかける。
「閉じ込められてるとか、何かオカルトが居て捕まると土に埋められるとか、そういう一つ一つは分かったけど……原因としては、その、どんなの――」
「それを調べるためにメガネに取り次いでほしかったんだけどさァ」
返って来たのは鬱陶しげな声で、また肩が跳ねた。
しかし今度はぐっと堪え、腹に力を込めて睨み返す。
「そ、それに関しちゃ、私だけのせいじゃないだろ……つか、あんただってここにはオカルトとかは何も無いって言ってたろうが。釣りん時、自信満々に」
「ぐ……実際、長い事何も無かったんだよ。だからこのキャンプ場には他の身体も配置してなかったンだ」
言い訳がましくはあったものの、その気まずげな表情に嘘は無いようだった。
じゃあほんと何なんだよこの状況――と考えかけ、ふと嫌な推測が脳裏をよぎる。
「もしかして……わ、私のせいでオカルトが湧いた、みたいな――」
「ねェよ。幾ら目立ってても、それを見る目が周りに無きゃ何も起きないの。自意識過剰」
二山は私の懸念をバッサリと切り捨て、ハンと鼻で笑われる。
……最初は励まされたのかとも思ったけど、違う。コイツは今心底私をバカにしている。こめかみに軽く青筋が走った。
「……そうだ、何かおかしいんだ。予兆も気配も、ウワサだって無かった。そういうモノだったとすりゃそれで終わりだけど、でも……」
「…………」
けれど私の苛つきなんて無視をして、二山は何やらブツブツと呟き始めた。
……考え事をする時、『親』はじっと黙考する事がほとんどだ。ここでも違いが浮き彫りになり、また少しだけ息が詰まり、
「――……あんた、元に戻るんだよな」
だから、だろうか。
く、と息を吐いた拍子、ぽろりとそれが零れてしまった。
「は? 何が」
「……、……や、だから、ここの外に出られたら『親』に戻るのかなって……」
いっそこれも聞き流してくれたら良かったのに、耳聡く聞き付けやがった。
咄嗟に誤魔化す事も出来ずもごもご返すと、二山は「あー」と少し思案して、
「……多分、今頃外じゃ他の身体がキャンプ場に向かってる。あたしらが外に出なくても、そのうちのひとつでも……あたしと真逆のヤツがこの中に入って来れば、あたしはすぐに剥がれ落ちるだろうよ」
「……あんたと真逆?」
「つまり――オマエの事が好きな身体って事」
「――……」
……その言葉の裏はすぐに察したが、特にショックとかは無かった。
黒髪女から色々聞いていたし、これまでの態度もある。二山の人格が私を嫌ってる事なんて、とっくの昔に分かってるんだ。
ただ、どうしてか、足取りがほんの僅かに鈍くなり――そうして少し距離の離れた私を、二山が小さく振り返る。
「何。オマエだってあたしら嫌いなんだろ。だったらあたしみたいのが居るのは望む所でしょうよ」
「……別に、何とも思ってねーよ。思い上がんな」
思ったよりも小さな声になっちゃったけど、しっかり返して歩く速さも元に戻す。
するとそれの何が気に食わなかったのか、二山から大きな舌打ちが鳴った。
「そういうしまっちゃうとこなンだよなぁ、気持ち悪ィの」
「……は?」
「……もうこんな機会あるかどうかも分かんないから言うけどさ――あたしは、オマエが生まれた時からオマエの事が嫌だったわ」
「っ……」
――今度こそ、一瞬足が止まってしまった。
一方で二山は振り返りもせず『あの子』の後を追い続けていて、どんどんと前へ進んで行く。
「あたしらはさ、ひとつなンだよ。沢山居て、思う事もやる事もバラバラだけど、全部ひとつで繋がっていて、分かんない事なんて無い。それが普通なワケ」
「…………」
「でも、オマエは違う。間違いなくあたしらのひとつなのに、ちゃんと繋がってない。それがただただ不気味で堪んない――」
「っ……考えてる事なら、これまで何度も伝えただろうが!」
あまりにも勝手なその言い分に我慢出来ず、反射的に声を上げた。
そうだ、私は『親』が『うちの人』だった時から何度も会話をしろと言い続けて来たし、不満や文句も隠さず叩きつけて来た。
それで私の事が分かんないなら、それはもう完全にそっちの理解の無さが問題だろうが――そう言い返せば、二山は振り返らないまま軽く肩をすくめて、
「――あたしらさ、オマエが焼き魚が苦手って話、一度も聞いた事なかったンだよね」
「…………」
うぐ、と言葉に詰まった。
その隙を縫って、更に続く。
「毎回あんなガツガツ食べてたのに、ンな事ある? そりゃ好きだと聞いた事なかったけど、あれで嫌いとか思う訳ないじゃん。それでいきなり機嫌悪くなられても知らんわ」
「……んなの、顔見てりゃ分かるだろ」
「分かんないの。それがダメだから、あたしは――あたしらは、オマエが」
二山はそこでようやく振り返り、私をじっと見つめる。
その目はやっぱり『親』のものと違う、嫌悪感を隠さないものだったけど……なんとなく、それだけじゃないような気もした。
「好き嫌い、思考、感情、心――本当なら全部共有されてるもんが、まるで見えやしない。これが他人ならそれが当然だから気にもならないけど……」
「…………」
「――心底、気味悪ィよ。ずっとずっと、『あたし』はオマエの事をそう思ってる」
……『二山』にとっては、そのまま額面通りの意味なんだろう。
そしてそれはきっと『親』にとっても同じ事で、紛う事なき本心のひとつでもある筈だ。
ごく自然にそれが伝わり、ゆっくりと視線が下がった。
(……けれど)
でも、そんなのお互い様なんだ。私だってコイツを気持ち悪いと思ってるし、何考えてるとかもよく分かってなくて、それに……。
だから、腹が立つとか傷ついたとか、そんな風に呑み込むべきものでもなくて、私は――。
――絶叫。
「!」
「っ……なんだ!?」
びりびりと地面が揺れ、精神が臓腑ごと震わせられる。
さっき二山を見つける前にも聞こえた、正体不明の叫び声だ。
山全体に轟き渡るそれはやはり耳を塞いでも意味は無く、鼓膜を突き抜け脳深くへと突き刺さる。
私と二山は動けないまま、その場にただ立ち竦み――やがて前と同じように声の全てが収束し、明確な軌道を描いて流れてゆく。
「ぐ……な、なんだ、今の……!?」
「……少し前、同じ叫び声がしてた。今のみたいにクソ煩くて、どこに向かってんのかハッキリ分かって……それを追った先に、あんたが埋まってたんだ」
「はぁ……?」
怪訝な顔をする二山をよそに、周囲にライトを振る。
するとやっぱりというべきか、今回も『あの子』の姿が消えていた。
怖がっているのか吹き飛ばされたのかは不明だが、どうやら彼女は今の叫びを聞くとどこかに消えてしまうらしい。
……しかし、恐る恐ると黒髪女の荷物を覗き込めば、彼女の入った容器がどこか一点を目指して蠢いていた。
そしてそれは、今しがたの叫びが流れて行った方向にも思えて。
「…………」
「…………」
二山を見る。その手のスマホは、迷いなく件の方向を照らしている。
……ややあった後、ライトの光がもう一つ、その光の上に重なった。