異女子   作:変わり身

66 / 117
「山」の話(中⑤)

 

 

 

――酷い叫びが、響き続けている。

 

聞く者の心胆を寒からしめる、正体不明の大絶叫。

悍ましいとしか言いようの無いそれが方々に狂った震えを撒き散らし、山全体を包み込んでいた。

 

一体何が叫んでいるのか、そしてそれはどこに居るのか。何も、何も分からない。

人とも獣ともつかないその声量はどこであっても均一で、位置の特定も出来そうになかった。

 

私達はただ、耳奥から脳みそが弾けてしまいそうな苦痛に耐える事しか出来ず――そうする内に絶叫は徐々に一つの束と化し、草葉の向こうへ流れて消えた。

周囲には夜の山の静けさが戻り……一方残った酷い耳鳴りが鼓膜を跳ねる。

 

 

「……くそ、やっぱ段々間隔早まってないか……?」

 

 

だいぶ強めに頭を振ってノイズを払い、ぽつりと呟く。

 

誰に向けるでもない独り言だったけど、前に立つ二山は自分への言葉だと勘違いしたようだ。

背中越しに「ああ」と頷きをひとつ返し、止まっていた歩みを再開させる。

 

 

「間違いなく刻んできてるよ。それがどういう意味かはイマイチだけど……トキのを見つけるの、なんとなく急いだ方が良い気がすンね」

 

「うぅ……このままじゃこっちが先にイカレちゃう……」

 

 

何もかもが不確かな中、精神的な重圧と聴覚へのダメージだけが明確に積み重なっていく状況に溜息を零し、私は黒髪女の荷物の中に光を向ける。

 

そこにある『あの子』の容器は、変わらずに特定の方角へ向かって蠢き続けている。

今、私達が歩いている方向とほぼ相違なし。私はライトをそちらに戻し、行く手を塞ぐ葉っぱを強く払いのけた。

 

 

――この山中に度々響き渡る、謎の悍ましい叫び声。

二山と合流してから暫く、明らかにその頻度が高くなっていた。

 

 

しっかりと時間を確かめていた訳では無いが、一人での行動時に初めて聞いた絶叫と、二山と一緒に聞いた二度目の絶叫の間には、それなりの間隔があった筈だ。

なのに三度目の絶叫から少しずつその間隔が短くなり、二山と黒髪女を探し始めてまだ十分も経ってないのに、今しがたの絶叫でもう六度目まで行っている。

 

流石に思い違いとするのも無理があるし、短い時間に連続で痛めつけられている鼓膜と脳みそもそろそろぶっ壊れそうだった。

 

 

「……さっきの叫び声、また別の方向に流れてったけど、ほんとにこのままで良いのかな」

 

 

こめかみをぐりぐり押して気持ち悪さを誤魔化しつつ、ふと明後日の方へと視線を向ける。さっきの絶叫が流れて行った方角だ。

 

今はとりあえず『あの子』の蠢く方向……二度目の絶叫が流れて行った方向へと進んでいるが、三度目以降の絶叫の事は放っておいても良いのだろうか。

おまけに度重なる絶叫で『あの子』も直接的には姿を現さなくなっているし、このまま小さな腐肉の蠢きを信じて進むべきなのかどうか、不安になる部分はあった。

 

 

「……良いも何も、それしかねェだろ。今更何言ってンの」

 

「や、ほら……あの叫び声の流れてく方に人が埋まってるとしたらさ、さっきから聞こえてるヤツの先にも誰か居るかもだろ。なら……」

 

「だろうけど、トキのの居場所に関しちゃその屍肉をコンパスにするのが一番可能性あるでしょ。他ンとこに何か居るにしても、そのうち来る他のあたしらに投げとけよ」

 

「…………」

 

 

しかしそんな私の心配は二山にバッサリと切り捨てられ、口を噤む。

 

まぁ正論である。

今の私達に余計な行動をする余裕があるとは言えないし、ここで急に進路を変えるのもただ迷走するだけだ。

 

例え不安はあれど、今は黒髪女と繋がる可能性の高い『あの子』の腐肉に賭けるしかない。それは分かっているのだが……。

 

 

「……くそ、そろそろ何か見つかんないのか。いい加減もう――、っ!?」

 

 

じりじりと胸を炙る焦りに駆られるままライトを振り回していると、一瞬白いものが反射した。

 

ビクッと肩を震わせて注視すれば、そこにあったのはこれまでに何度も見たビニール紐のようだった。

紐は例によって木と木を繋ぐように張られていて、山の奥の方にまで続いている。光を受けて放つ光沢がとろりとしたダマとなり、見ようによっては粘つく蜘蛛の糸を思わせる雰囲気だ。

 

 

「ま、またこれか……ビックリさせんなよなぁ……」

 

「…………」

 

 

そうして上がった肩をゆるゆる戻していると、二山がじっとビニール紐を見つめていた。

 

いや――いっそ睨んでいると言った方が正しいだろうか。

どうしてかそんな険しい顔つきで見える範囲のビニール紐を観察していて……そうかと思えば、徐にそれを潜り越え草葉の中に分け入っていく。

 

……『あの子』の腐肉も、それと同じ方向へと蠢いていた。

 

 

「……何? 何か見つけた……?」

 

「いや……たぶん、トキののとこまで近い。ちょっと周り気にしとけ」

 

「は? ……何で分かんの?」

 

「あー……、……」

 

 

少しの間思案するような唸り声が続いたが、具体的な言葉を結ぶ事なく立ち消えた。

私との会話がめんどくさくなって流された……という訳では無い。そこで周囲の草葉が途切れ、開けた場所に抜け出たからだ。

 

――広がったのは、狭い平地に幾つもの小山が並ぶ光景。

そしてその全てに写真付きの枝が刺さっている事を理解した瞬間、私も言葉を失った。

 

 

「……え? ちょっ――ぐえっ!?」

 

 

……あの小山全部に、誰かが埋まってる?

思い至った瞬間に走り出そうとしたけど、二山に襟首を掴まれ引き留められた。

 

「何しやが――」すぐに振り払って怒鳴りつけようとしたけど、ライトを消して草葉の中に戻っていた彼女の姿に意図を察した。私も慌ててスマホをしまい、手近な木陰に転がり込んでおく。

 

 

(な、何だよ、オカルトか何か居たのか……!?)

 

(居たらマズいって話だよ。いいから黙っとけバカ)

 

 

雑な言い草にまた青筋が立ったが、ぐっと堪えて我慢の子。

 

そして逸る心を抑えて暫く息を潜めるけど、特に異常は起こらない。

何かが現れたりもしなければ、例の絶叫も無く、ただ静寂だけが続き……やがてひとまずの安全を確信したのか、二山がスマホに再び光を灯した。

 

 

「……何も出て来ないか。一回埋めたらほったらかし……?」

 

「考えるのは後で良いだろ、今は早く……!」

 

 

訝しげな顔で呟いている二山を置いて、木陰から飛び出した。

そして手近な一つに駆け寄り、そのてっぺんの枝にくっ付いている写真へライトを向ける。

 

そこに写っていたのは、おそらくキャンプ客の一人だろう知らない男の人だった。

そしてそれも盗撮されたもののようで、やはり今回の被害者は私達だけではなかったらしい。

 

本当はすぐにでも掘り起こしてあげるべきなんだろうけど……今は黒髪女だ。小さく「ごめん」とだけ残して、一旦次の小山へと走った。

 

 

「違う……ここも違う……くそ、これも……!」

 

 

そうして一つ一つ枝の写真を確認していくけど、黒髪女のものが見つからない。

どれもこれも知らない人の写真ばかり。それもみんな盗撮で、正面を向いた顔なんて一つも無かった。

 

……本当に、この盗撮写真は何なんだ。

何で私や、この人達なんだ。誰が撮った、何が埋めた。

その意味は何だ。こんなお墓みたいにして、どうして――。

 

 

「……っ、おい! そっち見つかったか!?」

 

 

やがて一人じゃ耐え切れなくなって、二山の方に呼びかける。

 

ヤツは私と反対側を回っていたようで、とある小山の影からライトの光が伸びているのが見えた。

……んだけれど、さっきからピクリとも動かない。どうもただぼーっと突っ立っているだけらしい。

 

 

「おいってば……! 何やってんだよ、あんたも探せよ……!!」

 

「……アレ」

 

 

流石に看過できず近寄って肩を揺らせば、二山は視線をこちらに向けないまま、ライトの先を見ろと顎をしゃくる。

私は訝しみながらも、その示す先に目を向けて――ほんの一拍、呼吸を止めた。

 

 

「……は?」

 

 

光に照らされていたのは、一本の細い木だった。

 

周囲を見ればそこら中に何本も立ち並ぶ、無数の内のただ一本。

……しかしその一本だけが他とは違い、奇妙な形貌を呈していた。

 

 

「何だ、これ……」

 

 

――その木は、細い幹の中ほどあたりが大きく膨らみ、ほとんど球の状態になっていた。

 

まるで無理矢理スイカを入れられたゴムホースか、或いは臨月の妊婦のようだった。

病気にかかった木には瘤が出来ると聞いた事があるけれど、明らかにそれとは別の様相だ。

 

そしてよくよく見れば、その膨らんだ上部には小さな洞がひとつあり、そこに枝が一本、無造作に突っ込まれて……い、て、

 

 

「え……う、嘘……!?」

 

 

やっと気付いた。

慌てて走り寄って枝を確かめると、そこには予想通り写真が一枚張り付けられていた。

 

写っているのは、楽しげな顔でカレーの具材を切っている、髪の綺麗な女子大生――黒髪女。

 

――この中に、居る?

 

 

「冗談だろ!? な、何でこんな……くそっ、待ってろ、今――!」

 

「――バカ、考えなしに触ンなっ!」

 

 

そうして幹の膨らみに手をかけた途端、強い制止が飛んで来る。

思わず動きを止めれば、ろくに固定もされていない枝がぐらりと傾いだ。

 

 

「な、何だよいきなり……!」

 

「……あたしらの時は、その枝外したら死にかけたんでしょ。もし今度もそれと同じ風になったら……」

 

「……!」

 

 

その言葉に数歩下がり、改めて元の木の細さを見る。

 

私のウエストよりは確実に太いけど、そこらの電柱よりは確実に数回りほど細い。

人間一人を詰め込むなんて、本当だったら致命的に幅が足りないように見えた。

 

……土に埋められていた私と二山は、枝を外したと同時、重量の戻った土に圧し潰されかけた。

じゃあ今回は? 土じゃなくて、木の中に入れられていて、それで枝を外したら……。

 

 

「まさか……枝外したら無理矢理に元の細い木に戻ってく……とか……?」

 

「……めちゃくちゃ不安定な形になってるし、枝が無くなった途端、普通にバランス崩して折れてトキのが出てくる可能性はあるけど――そんな都合よく期待すンのもだいぶ頭悪ィね」

 

 

私達の時の事を思えば、自然ととある画が浮かぶ。

 

内部でバキボキと何かを潰しながら細身に戻り、その洞から潰れた臓腑と血液を噴き出す木の姿。

突飛かつ最悪な光景だったが驚くほど簡単に想像出来て、口を抑えて小さく嘔吐く。

 

 

「そもそも、普通はこんな風になる訳ないんだ。何やったって異常な結果になると見た方がいいよ」

 

「じゃ、じゃあどうすんだよ。コイツ、こんなのどうやって助けたら……!」

 

「……一応トキののとこには着けたんだ、後はもう他のあたしらが来るのを待とう。こっから何をするにも、手数も何も足りなさすぎる」

 

 

二山は曖昧にそう言って、暗闇に並ぶ小山を見渡した。

 

そうだ、黒髪女だけじゃなく、ここにはまだ沢山の人が埋められている。

彼らの事も掘り返してやらなきゃならないし、その後も介抱やら何やら必要となる筈だ。そうなると二山の言う通り、私達二人じゃ手が足りない。

 

 

「……くそっ」

 

 

強く歯噛みして、黒髪女の入っているだろう木に目を戻す。

その木肌には目立った罅割れも無く、人間を無理矢理突っ込んだ痕跡なんて一つもない。

 

本当に何をどうやったんだ、これ。

苛立ち、しかしどうする事も出来ないまま、私はただ幹の膨らみを睨み続けて、

 

――からん。

 

 

「……っ」

 

 

突然、例の枝が洞の中で小さく揺れ、反射的に身構えた。

 

風か小虫の仕業だろうか。小山のものと違って固定されてないから、いちいち揺れて肝が冷える。

その最早適当に突っ込んだだけなんじゃないかと邪推さえする有様に、枝を抑えてあげるべきかあたふた迷い――そして、気付いた。

 

 

「……あれ、この枝、なんか長くなってない……?」

 

「あン?」

 

 

見間違いかと思ったが、間違いない。

 

はじめに見た時は先端の写真が洞の縁に触れていたのに、今は少しだけ離れていた。そして洞は小さく、角度のせいに出来る程の可動域も無い。

これはどういう事になるんだ? そう眉を寄せていると、同じく枝を眺めていた二山の表情がどんどん険しくなっていく。

 

 

「……違う。長くなってんじゃない。洞の方が浅くなってんだ」

 

「え?」

 

「――だから、木が元に戻ろうとして萎んでンだよ!」

 

 

――反射的に幹の膨らみに目を戻す。

 

特に異変は無く、大きさに関してもあまり違いが分からなかったけれど……よく見れば、例の枝がカタカタと風も無いのに揺れている。

ついさっきまでは何気ない、何てこと無い光景でしか無かっただろうそれが、今となっては酷く恐ろしいサインに思えてならなかった。

 

 

「な、なんで……枝が刺さってれば大丈夫なんじゃ」

 

「誰か知らんがやっぱ適当な事しやがって、クソッ……!」

 

 

駆け寄った二山が膨らみの部分を抑えるように触れるものの、当然枝の揺れは収まらない。

幹の中から音はしていないから、中身が潰されるまでにはきっとまだ余裕はある。しかしそれもいつまで持つかは分からず、焦りだけがただ募る。

 

そしてそうこうする内、更に洞が浅くなったらしい。

枝がぐらりと大きく揺れたと思えば落ちかけて、咄嗟に掴んで押し戻す――。

 

 

「――っの……! ああもう、ちょっとこっち持ってて! 方法無いなら私が行く!」

 

「はぁっ? オマエに何が出来るって――」

 

「力尽くしか出来ねーんだよ!!」

 

 

私は枝の固定を二山に押し付けると、勢いを付けて木の幹を駆け登り、膨らみの部分の上に腰掛けた。

そしてそれより上部の幹を腋で挟むように抱え込み――そのまま全身を使って思いっきり折り曲げる。

 

 

「――んぐ、ぅぅぅぅぁぁぁあああああああッ!!」

 

 

めき、めき。ぱき、ぴきり。

私の常人外れの膂力に幹が悲鳴を上げ、幾つもの細かな木屑が弾けて空を舞う。

 

それなりの手応えだ。しかし真っ二つにするにはまだ足りない。

私は膨らみの頭部分にがっしりと足を絡め直し、もっともっと力を込めた――のだけれど、

 

 

(かっ……てぇぇぇぇ……ッ!!)

 

 

木肌に罅は入っているし、幹自体はこれでもかというくらいしなり曲がってもいる。

確実に良い所まではいっている筈なのに、まるで鉄の芯材でも入っているみたいに、最後の一押しが通らない。

 

これが元々の木の強さなのか、それともオカルトで妙な変質でも起こしているのか。素手で木を折ろうとするのなんてこれが初めてだから、どっちなのか判別がつかなかった。

 

 

「うんぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅ、く、くぅ……!!」

 

 

こうしている間にも、幹の膨らみが小さくなっていく。

絡めた足が少しずつずり落ちて、尻の下、膨らみの内側で人体が軋み始める嫌な感覚が伝わって来る。

 

だけど、今の状態が精いっぱいだった。

どうしようもなく、何もしてあげられず。ただ歯を食いしばって唸り続けるしか出来なくて――。

 

 

「おい、インク!!」

 

「っ!?」

 

 

突然、怒鳴り声が飛んできた。

見れば、枝を抑えている二山が片手をこちらに向けている。

 

どうして――そう問い返しそうになった口を引き結び、躊躇なく黒インクの小瓶を投げ渡した。

 

 

「――イチかバチかだ……!」

 

 

受け取った直後、二山は乱暴にその蓋を開け、枝先の写真に強く振り付ける。

遠心力で飛び出たインクは血飛沫のように写真を汚し、黒髪女の姿を黒く塗り潰す。そしてそのままとろりと垂れて、木の幹にも幾つかの水滴が落ち、

 

 

「――うわっ!?」

 

 

瞬間、炸裂音と共に激しく弾けた。

 

写真にかかったインクも火花を上げるみたいに泡立ち、周囲に飛沫をまき散らす。

私の顔にも勢いよく飛び咄嗟に顔を逸らし……その時、写真から垂れたインクが枝を伝って洞の中へと流れていく姿が見えた。

 

二山はそれを後押しするように、より深く枝を洞へと捻じ込んで――直後、木肌から大量の木屑が舞い上がる。

 

 

「くっ……!」

 

「なっ、げほっ……!?」

 

 

まるでこの木自体がインクを嫌がり、鳥肌を立てたかのよう。

 

いきなりの事に思わず吸い込みむせかえり、その拍子に手元でバキッと音が鳴った。

反射的に視線を落とせば、あれほど強靭だった木の幹に大きな裂け目が入っていて、

 

 

「――ふん、ぬぁあああああああああああああぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

何が起きたのかは分かんないけど、ここだと思った。

緩みかけていた腕にもう一回だけ力を通し、思いっきり腋を締め上げる。

 

すると一際大きな音を上げて裂け目が広がり、膨らみ部分の上部があまりにも容易く折れ砕けた。

それなりの高さの木だ。折れた部分は大きな音を立てて倒れ込み、木肌の一部を大きく捲れ上げながら落ちていく。

 

当然、膨らみの部分もそれに巻き込まれ、玉ねぎの皮を剥くようにその内側が晒された。

 

――そこに収まっていたのは、胎児のように丸まった黒髪女の姿。

ほぼ真上からそれを視認した瞬間、私はその背に抱き着き全力で引っこ抜いていた。

 

 

「――飛び降りろッ!」

 

 

二山は叫んで枝から手を離し、私は黒髪女を抱きしめ幹を蹴る。

抑えの無くした枝はすぐに洞から零れ落ち、同時に膨らみの部分が元の細さにへっこみ戻った。

 

しかし木肌が大きく捲れ剥がれていたせいか、その勢いに耐え切れなかったようだ。捲れ上がっていた部分を起点に深い亀裂が幾つも走り、やがては破裂するように砕け散る。

そうして大きな木片が降り注ぐ中、私は黒髪女を抱いたままゴロゴロ地面を跳ね転がった。

 

 

「んがっ!? ぐっ……いってぇぇぇ……!」

 

「ぅ……ぐ……」

 

 

……何か前にもあったなこんなの。

どことなく覚えのある重さと痛みに呻いていると、胸元から苦しそうな声がした。

 

どうやら少し強く抱きしめすぎてしまったらしい。

慌てて腕を解いて解放すれば、黒髪女は大きく息を吸い込んで……そのまま穏やかな寝息を立て始めた。

 

 

「これで起きないんかい……」

 

 

パッと見大きな怪我も無く、その呑気に眠りこける顔を見ている内、自然と深い溜息が零れ落ちた。

無論、安堵じゃなくて呆れによってだ。念のため。

 

 

「……無事?」

 

 

そうしてぐったりしていると、いつの間にか近付いて来ていた二山が声をかけて来る。

とりあえず黒髪女の頬をぺちぺちやってみるけど、目覚める気配は無く。

 

 

「……起きないけど、あってたぶん擦り傷くらいじゃないか。霊的にはどうのとか、そういうのはよく分かんないけどさ……」

 

「……、……トキのに関しちゃ見たところ変な気配もしないし、単に気絶してるだけだね。……そうじゃなくて、オマエは」

 

「へ? ……や、別に、なんともない、けど」

 

「……あんな強引に木ィ折っといて……? ま、まぁいいや……じゃこれ」

 

 

どこか引き気味の様子で蓋のされたインクの小瓶が差し出され、ぼんやりしたまま受け取った。

……半分と少し、減っている。

 

 

「……あの、結局あんた、これで何をどうしたの……?」

 

「見た通りだよ。インクで強引に干渉して、あの木に何かしら起こるのを期待した。正直、何が起こるかは賭けだったけど……結果としてはラッキーでしたね、ってンでいいでしょ」

 

 

そっと、二山の爪先が黒髪女を優しく小突く。

 

どうも彼女自身、何かの確証があっての行動だった訳でも無いらしい。

ちょっと前、インクの扱いがどうとか色々言ってたクセに……とは思わんでも無いが、そのおかげで黒髪女が助かったんだから、適切ではあったのだろう。

 

……とはいえ、インクの量が半分以下になったのはやはり痛い。

これでは到底連絡手段としては使えず、ガックリと首が落ちた。

 

 

「はぁ……どうすんだよぉ、これからぁ……」

 

「さっきここで待機っつったでしょ。トキのが助かったんだから動く理由ねェし、ソイツ背負って山ン中うろうろするのもダルい――……、……」

 

「……?」

 

 

話の途中で黙り込まれ、顔を上げる。

 

すると二山の視線があらぬ方向、さっき折った木の残骸を向いていた。

それもどこか険しい顔で、睨みつけるような目つきだ。話しかけるかちょっと迷ったけど、やはり気になり声をかけ、

 

――その時、とんでもない大絶叫が轟いた。

 

 

「――!?」

 

 

誇張無く地面が震え、肌には疼痛さえ走る。

 

それはこれまで何度も聞いた絶叫と同じものに思えたが、それの比じゃない。

最早衝撃波とも錯覚するような狂った叫びが跳ね回り、自分の声さえ聞こえない程だった。

 

 

(な、なんだ!? これ、今までのとは全然……、っ!?)

 

 

この無駄に性能の良い耳が余すところなく受け取る大音響に意識すら霞み始めた中、ある考えが脳裏をよぎった。

 

これまでのものよりも大きな叫び。強く震える地面に、肌に感じるほどの衝撃波。

そうなるっていうのはつまり、この絶叫が、かなりの至近距離から発せられているからで――。

 

 

「っ! ――!」

 

 

ハッとして、二山を振り返る。

私と同じく苦悶の表情で耳を抑えている彼女は、しかし先程と変わらずとある一点を睨み続けていた。

 

――折れた木の残骸の、断面部。この絶叫は、その空洞から鳴っていた。

 

 

(は、ぁ……!?)

 

 

そう、空洞だ。

 

さっき見た時はそんな風にはなっていなかった。

不格好な切り株でしか無く、中身だって幹がしっかり詰まってた。なのに今は、底の見えない空洞が通っている……。

 

 

(――く、ち……なのか……?)

 

 

ぐわんぐわんと揺れる頭で、そんな風に思う。

 

その空洞には、歯も舌も唇だって何も無く、口だと思える要素は無い。

けれど私は、感情のある肉の声を上げるそれを、確かな啼き声を発しているあの穴の事を、他に何と呼べばいいのか分からなかった。

 

じゃあ――じゃあ、だとすれば、あれは何の口なのだ。何が絶叫を上げている。

 

見た通り、折られた木の啼き声か。それとも根っこの広がる土のものか。

いや、もしかしたら、もっと広義のものなのか。例えば……そう、自然の、森の、この山自体の――。

 

 

「――ッ!」

 

 

衝撃。

思考がマーブル模様を描く最中、突然背中を強く突き飛ばされた。

 

膂力の割に軽い身体はいとも容易く投げ出され、宙を舞う。

膝はとっくの昔にぐらぐらになっていて、踏ん張る事も出来なかった。

 

そうしてゆっくりと回る視界の中に、その下手人の顔がハッキリと映り込む。

 

二山だ。

いつの間にか近くまで走り寄っていたらしき彼女が、私を突き飛ばした姿勢でそこに居た。

 

酷く焦ったような顔をして、視線は真横を向いている。

血走り限界まで見開かれたその目つきに、私の視線もそれを追う。

 

 

(――え)

 

 

……私は最初、それを巨大な大蛇が這って来ているのだと思った。

 

だが、違う。それは土の塊だ。

地面から盛り上がった大量の土塊がうなりを上げる津波となって、すぐ目前にまで押し寄せていた。

 

地崩れでも土石流でもない。流れる範囲は限定的で、意思ある軌跡を描いている。

そして濃い土の匂いを振り撒きながらくねり狂って高く跳ね、さっきまで私が居た場所に突っ込んで来ていて、

 

 

「――!!」

 

 

咄嗟に手を伸ばす。届かない。

 

――大口を開けた土砂土塊の濁流が、二山を頭から圧し轢いた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。