異女子   作:変わり身

72 / 117
「案内」の話(中)

 

 

 

「……ッ!」

 

 

体重をかけた片足が丸木に沈み、身体全体がぐらりと傾く。

同時に木の割れる音が足の下から響いて顔が青くなるけれど――沈む足はそこで止まり、吊り橋をただ揺らすだけに留まった。

 

……遥か眼下で流れる渓流に、幾つかの木片が水柱を立てていた。

 

 

「……お、おい、おい……!」

 

『タマのおねえさんなら、ここも簡単ですねっ。さ、はやく、はやく!』

 

「は、な、わぁっ!?」

 

 

耳元のガラケーから元気な声が響いた瞬間、もう片足が橋の上へと乗せられた。

 

当然、私の意思なんかじゃない。

むしろ全力を込めて抵抗しているのに、私の足は全く言う事を聞いてくれない。脳みその命令を丸っと無視して、朽ちた吊り橋を渡らせようとしているのだ。

 

そう、まるでガラケーからの声に――あーちゃんによる案内の声に、支配されているかのように。

 

 

「――お、おまっ、お前! これっ、私に何した……ッ!」

 

『そのまま、まっすぐ~。落ちないように気を付けてぇ、がんばれ~』

 

「んのっ――、っ!?」

 

 

もうお姉さんモードを取り繕う余裕も無かった。

確実にこの状況の元凶だろうあーちゃんを怒鳴りつけたが、返ってくるのはこちらを嘲るせせら笑いだけ。

ロクに会話する気が無いのが分かり、そのふざけた態度に頭が煮立ち……しかしその瞬間に床の丸木を踏み抜きかけ、すぐに冷や水を浴びせられた。

 

 

(くそっ、今ゆっくりコイツの相手してる場合じゃない……! どうにかして、地面に……!)

 

 

胸に渦巻く疑問や激情を苦労して脇に置き、今を凌ぐ事だけに集中する。

 

まだ吊り橋に乗って数歩の所。一息に跳び退ればそれで話は終わりなのだが、言う事を聞かない足がそれを許してくれそうにない。

それに加えて、右手もガラケーを耳に当てた形から全く動かす事が出来ず、自由に動かせるのは左手と頭、それから腰回りくらいだ。

 

幾ら地下深くに落っことされた経験もある私と言えど、足の動かない状態で川に落ちて無事でいられる自信は無い。

一歩進む度に激しく揺れる吊り橋に冷や汗をかきながら、左手でボロボロの綱を必死に掴む。

 

 

(ぐ……だ、ダメだ、何やっても足が止まんない。つーか、ここまで来たら戻るにしたって……!)

 

 

首を捻じ曲げ背後を見れば、陸地はすっかりと遠ざかってしまっていた。

道中の木床も一度踏まれたせいか罅割れや歪みが目立っている部分も多く、往復して耐えられるかどうか。

 

こうなったらいっそ、どうにかして渡り切った方が良いかもしれない――そんな事を考えた時だった。

 

 

「――うわっ!?」

 

 

突然、両足の自由が戻った。

 

しかし何とか足を動かそうと、滅茶苦茶に力んでいた最中だ。当然両の足それぞれが別の方向にすっ飛び、盛大にバランスを崩してズッコケる。

左手の綱に縋って致命的な事態になるのだけは避けられたけど、遠くの綱の根元からブチブチと非常に不穏な音が聞こえ、また青くなる。

 

 

(な、んだ……? いや、んな事より、今のうちに――、っ!?)

 

 

とりあえず足が動かせるようになった事だけを理解し、すぐに後方へと下がろうとしたものの、その瞬間再び両足が動かなくなった。

そしてさっきと同じく、自動的に前へと進み始め……そんな私の様子が伝わったのか、耳元で嘲り笑いが鳴り響く。

 

 

『えひ、どうしたんですかぁ? ほら、はやく渡ってくださーい』

 

「このっ……もういいだろ!? あんたこれ、何かやってんならさっさと止めろよ!!」

 

『やでーす。はやく案内通りに進んでくださーい、ほーら、いちにーいちにー』

 

「――~~ッ!!」

 

 

そのクソガキ極まる煽り方にいい加減ブチ切れ、反射的に左手を綱から外して右手の握るガラケーを引き離しにかかる。

しかし幾ら力を入れてもビクともせず、電源ボタンもガチガチに固まっていて押し込めない。むしろその動きのせいで身体を大きく揺らしてしまい、またコケかけた。

 

「くそぉっ!」咄嗟に足を踏み出し、丸木に深いヒビを入れた事を代償にギリギリ転倒せずに済んだものの、結局ガラケーをどうにかする事は出来そうもなく――それを嘆く寸前、再び足に自由が戻っている事に気が付いた。

 

 

(な……いや、もしかして、これ)

 

 

ふと思い付くものがあり、ゆっくりと前へと歩き出す。

すると足は当然のようにすんなりと進み、勝手に動き出そうとする気配も無い。

 

……しかし反対に道を戻ろうと下げてみれば、途端に足の自由が利かなくなる。

さっきまでと同じように、自動的に橋の先へと向かようになってしまい……自分から歩みを進めようとした瞬間、また足は自由を取り戻す――。

 

 

「――戻ろうとしたら。というか、案内から外れようとするのがダメなのか……?」

 

『……、……』

 

 

小さく呟いた途端、耳元からの煽りがぴたりと止まった。これ以上ない答え合わせだ。

 

片手は変わらず動かないままだけど、両足が自由に動くのなら話はだいぶ違ってくる。

私は頭の中から後退の二字を綺麗さっぱり削除すると、視界を前方へと固定。その先に続く木床の崩れ加減と歯抜け具合を見定める。

 

 

(スッカスカだな、ほんと……)

 

 

そのボロさはとっくに分かっちゃいるが、歯抜けの方もまた酷い。

 

丸木の一本分が抜けているくらいならまだ良い方で、酷いところでは六本分くらい纏めて抜けている穴もちらほらあった。

流石に普通に歩き跨ぐのは無理そうだが、かといって横の綱を伝っていくにしても、さっき縋った時に聞こえた不穏な音が脳裏をよぎる。

 

 

(……助走付けて跳び越えるしかないか? や、でもこの橋耐えられんの……?)

 

 

足裏で感じる不安定さに危機感が煽られるものの、後ろに下がれない以上選択肢は無い。

私は何度か深呼吸を繰り返し、そして頼りない足元から比較的確かな部分に足を置き――なるべくそっと、蹴り出した。

 

 

「っ」

 

 

しかしそれでも足の下からバキンという異音が鳴り響き、吊り橋が大きく上下に揺らされた。

思わず立ち止まりそうになる身体を必死に堪え、細かく刻んだ歩幅でそろそろと橋の上を駆け渡る。

 

そして最低限の勢いを付けたうえで、ひとつ目の歯抜けの穴を飛び越して――。

 

 

(――は)

 

 

踏み切りにした場所と、着地点。その両方が圧し折れた。

 

 

「脆すぎだろ!?」

 

 

体重をかけないようにとか、橋を崩さないようにとか、そんな配慮なんて最初っから意味なかったようだ。

慌てて足場から飛び退き走り抜けるも、踏みつける端から次から次へと崩れ落ちてゆく。

 

いやもうダメだこれ。後先も何も考えられず、ただ全力で走る事しか出来なくなって。

そうして何度も転げ落ちそうになりながら走る内、やがて歯抜けの最も広い部分に辿り着く。

 

橋の終わりのすぐ手前、丸木六本分以上の幅のある大きな穴――私はその縁に足先を引っかけ、全力で宙に飛び出した。

 

 

「――っ!」

 

 

その衝撃が最後の一押しとなったのか、背後で吊り橋が崩落していくのが分かる。

 

向こう岸まではあと僅か。けれど木床の脆さのせいで踏み切る勢いが足りなかったのか、徐々に私の身体が崖下へと落ちていく。

たとえ左手を限界まで伸ばしても向こう岸には届きそうになく、耳元でそれはそれは嬉しそうな笑い声が漏れ――ならば代わりにとすぐ横で揺れている綱を引っ掴み、力任せに引き寄せた。

 

 

『……はー?』

 

 

私の身体が強引な軌道で引き上がり、根元から千切れた綱と入れ替わるように躍り出る。

その勢いでどうにかギリギリ向こう岸にまで到達。不格好な体勢で地面に落下し、びったんごろごろと跳ね転がった末近くの木にぶつかりようやく止まった。

 

 

「――いっ!? っくぉぉぉ……!」

 

 

そして打ち付けた頭を抱え悶える最中、遠くで一際大きな水音が轟いた。

 

涙で滲む目を向ければ、先程までそこにあったオンボロ吊り橋は綺麗さっぱり崩れ去り、瓦礫の全てが渓流の底へと沈んで行く。

……一歩間違っていれば、間違いなく私もそこに混じっていただろう。痛む後頭部をさすりつつ、その光景にゾッとして――。

 

 

『…………わー、タマのおねえさん、すごーい。これもいけちゃうんだぁ。はーぁ』

 

「!」

 

 

あーちゃんの心底ガッカリしたようなその声に、我に返った。

 

これまで相当どたんばたんとやっていたのに、ガラケーは未だ通話状態のまま、私の耳にくっ付いている。

ようやく少しは落ち着いて問い詰められる状況となり、私はすぐにまた電話口へと食って掛かって、

 

 

『んーとぉ、じゃあ次、あっちでーす。はいどーぞ』

 

「はぁ!? お前まだそんな――っく、また……!」

 

 

が、また足の自由を奪われ出鼻を挫かれた。

座り込んでいた身体が起き上がり、山の奥、何処か知らない場所へと勝手に進んで行く。

 

……さっきと同様、あーちゃんの案内に従えば自由は戻るのだろう。

それは分かっているのだが、私の反発心が中々それを許さない。その癖、歩かされる自分の身体にまた腸が煮えくり返り、あーちゃんの鼓膜を破壊する勢いで怒鳴り散らした。

 

 

「いい加減にしろよっ!! 何なんだよお前!? やってる事ぜんぶ意味分かんねーんだよ!!!」

 

『えひ、ただ案内してるだけでーす。あっ、そこ右でーす』

 

「話聞けっつってんだろ!! おい! おいってば!! ……くそっ!」

 

 

しかし彼女は私の怒声など全く気にせず、ただ嘲り笑いを返すだけ。

幾ら言い募っても意味は無く、舌打ちを残して歯を食いしばる。

 

 

(ほんと何なんだコイツ……!? 霊能力者なのか? それとも……)

 

 

何にせよ、他人の身体の自由を奪って動かすなんて異常な事をやってのけている時点で、オカルト絡みなのは間違いない。

私はすぐさまインク瓶に助けを求める事を決め、自由な左手を懐に伸ばした。

 

……つい先日新しく補充されたばかりだってのに、もう出番だよ。

私は押し殺したような細長い息を吐き出して、そこにある小瓶とメモ帳を引っ掴み、

 

 

『――えいっ』

 

 

ぱしん。

その時、懐から引き抜いた左手が勢いよく弾かれた。

 

 

「……あ?」

 

 

突然の衝撃に、呆けた声が漏れる。

 

見れば、ガラケーを握る右手がいつの間にか耳元から離されていて、振り抜かれたような姿勢で固まっていた。

そしてその先には、空っぽの左手がぶらんぶらんと揺れている。

 

――『何故か』勝手に私の右手が動き、左手を叩き落とした。

それを理解した瞬間、私の血の気がさぁと引いた。

 

 

「なっ、ちょおっ!?」

 

『一発は一発で~す』

 

 

意味分からん一言を無視して背後に首を捩じれば、地面に小瓶とメモ帳が転がっていた。

 

咄嗟に拾い上げようとしたものの、勝手に動き続ける足が駆け寄る事を許さない。

やはり吊り橋の上での通り、『後ろに戻る』のは案内から外れると見做されるようだった。うそだろ。

 

 

「あ、あぁ~……!」

 

 

すぐそこに落ちているのに。まだ手の届く場所にあるというのに。

にもかかわらず無情にも遠ざかっていく小瓶とメモ帳に、私は情けない声で左手を伸ばし続けるしかなく――そんな哀れな姿を嘲笑う声が、いつの間にか耳元に戻っていたガラケーから流れ出す。

 

 

『あれ、スマホじゃなかったんですねー? なにあれ、あんなので何しようとしてたんですかぁ?』

 

「お、お前、こンのっ……! クッ、バッ、ボッ……!!」

 

『えひゃ、何言ってるか分かりませーん』

 

 

やはりあーちゃんが私の右手を操ったらしい。

そのやり口に幾つもの罵倒が口を突くが、怒り過ぎて上手く口が回らない。

 

そうする内に小瓶とメモ帳は山の緑へと埋もれていき、やがて完全に見えなくなった。

ガックリと膝を突きたくなるも、やっぱり足は止まらないまま。甲高いけらけら笑いが本当に気に障る。

 

 

(く、ならスマホ……いや)

 

 

ポケットのスマホに手を伸ばしかけ、ぐっと堪えた。

 

さっきのあーちゃんのセリフから言って、スマホを操作しようとした所でまた妨害をされるのは目に見えている。

これさえ失ってしまえば、もう本当に誰にも助けを求められなくなってしまう。使うにしても、どうにかして彼女の気を逸らしてからじゃないとダメだろう。……ポケットん中でスマホ操作するコツ、黒髪女に教わっときゃよかった。

 

 

「ああ、くそっ……!」

 

 

……こうなったらもう、取れる選択肢はあまり無い。

私は何度か深呼吸を繰り返し、可能な限り気を落ち着かせ……嫌々とあーちゃんの案内に従った。両足に自由の戻る一方、手酷い屈辱が胸に澱む。

 

 

『あ、もういいんですか? イヤイヤのワガママさんでも、ちゃんと案内してあげるのに』

 

「……、……どこに」

 

『んーとですねぇ……えへ、あーっ、過ぎちゃったぁ!』

 

 

――そんな白々しい叫びが上がった瞬間、私の身体は左方の茂みに飛び込んでいた。

 

 

「は、なぁっ!?」

 

 

両足の自由を取り戻した直後で油断していた。

 

咄嗟に顔を庇って枝が目に刺さる事は防げたものの、幾つかの切っ先が肌を裂いた。おまけに茂みの向こうは半ば崖に近いような急斜面であったらしく、そのまま斜面を転がり滑る。

 

 

(ぐ、く……今度は不意打ちかよ……!)

 

 

一瞬何が起きたか分からなかったが、動かない足にすぐ察する。

 

単純に私の身体を操ったのか、それとも案内ルートを敢えて告げず無理矢理ルートから外れる状況を作ったのか。

正直判断はつかなかったけど――さっきの叫びから言って、たぶん後者。ひとまずはそう信じ、自分から転がる方向へと身体を倒せば、途端に足がまた自由を取り戻す。正解。

 

 

(やっぱこっちがルートか! ならっ――!)

 

 

ふと気付けば、目の前に斜面から突き出た木の枝が迫っていた。

斜面に合わせた傾斜の付いたそれは太く鋭く、直撃すれば幾ら私でも百舌鳥の早贄状態となるのは確実だろう。

 

両足が動かないままなら上手く避けられずそうなったかもしれないけれど――今の私にとっちゃ良いバンパーだ。

さっと枝を躱してすれ違いざま蹴り飛ばし、力技で姿勢を制御。どうにか斜面に足の裏から着地して、そのまま滑るように下っていく。

 

 

『……んあー』

 

 

そしていつ耳元から案内が来てもいいよう注意深く集中するも、しかし結局二度目の不意打ちは無く、ざりざりと傾斜終わりまで到着。

 

そして平らな地面に足を付け、そこでようやく深い深い安堵の息を吐き出した。

 

 

「はぁーっ、はぁーっ……ど、どうだ、渡ったぞ、この道も……!」

 

『…………すごーい、さすがー、かっこいー、つまんなーい』

 

「くそ、とうとう取り繕いもしなくなりやがっ――と」

 

 

会話の途中、また勝手に足が動き出す。

 

しかし私ももう大きくは取り乱さず、すぐに案内に従い自分の意思で歩いていく。

一歩一歩慎重に歩を進める私に、耳元でつまらなさそうな吐息が流れた。

 

 

「……もう油断しねーぞ。二度と不意打ちなんかされねーからな」

 

『あっそですかー。んじゃあっちでーす。べろべろべろべろ』

 

 

あからさまにテンションを下げつつも、変わらず私を馬鹿にする振る舞いに青筋が走るが、ここで怒鳴ってはさっきの焼き直しである。

努めて冷静さを保ち、改めてしっかりと問いかける。

 

 

「……なぁ、お前本当に何なんだ? どこの誰で、何でこんな事してるんだ?」

 

『あーちゃんでーす。案内してまーす』

 

「…………何がしたいのかって聞いてんだよ。こんな山ん中で、どこに案内するっての」

 

『そんな事よりもっと速足で歩いてくれませんかぁ? ゆっくり歩く嫌がらせやめてくださぁい、迷惑でーす』

 

 

ちょっと前までコレと楽しくおしゃべりしてたとかマジ?

 

ともあれ、怒鳴りつけても冷静に問い詰めてもずっと変わらずこの調子なら、助けてくれと説得したり、何か情報を聞き出すなんて無理だろう。

……どうする。未だぺちゃくちゃと続く煽りに、怒りに混じって焦りが滲む。

 

 

(……とりあえず、ここまで直接何かしてこないって事は、コイツはほんとに『案内』しか出来ない……んだよな?)

 

 

『案内』という体で人の身体を操り色々とやってくれやがっているあーちゃんだが、一方でその力を使って自傷行為に走らせたりはしてこない。

一応、『一発は一発』とか訳分らん事言って小瓶とメモ帳を持った手を叩き落としたりはして来たけれど……それもたぶん、私が助けを求める事で、間接的に案内から外れようとしたからだろう。

 

そもそも最初の吊り橋の時だって、直接崖の下に落とそうとはしてこなかったのだ。

あんなのを渡らせるより、さっきの斜面みたいに崖へ飛び込ませた方が手っ取り早く酷い目に遭わせられるにもかかわらず。

 

つまりコイツは、ろくでもない道にこそ案内はするが、最低限人の足で渡れる場所にしか案内出来ない。

その途中で事故に遭わせて死なせてやりたいという意思は見えるものの、直接私を殺したり、或いは自害させるような真似は不可能なのだろう。……たぶん。

 

 

(……私を嬲るために敢えてやってない、って可能性もあるけど……まぁ、地形はこっち有利だしな)

 

 

ちらりと周囲の様子を確認する。

 

ここはそれなりに自然が深く起伏も激しめの山ではあるが、過酷な深山幽谷って程でもない。

あーちゃんが案内しそうなろくでもない道なんて、それこそ先の吊り橋や急斜面くらいのもの。

 

吊り橋は結構危なかったけど、あんなピンポイントなロケーションなんて中々無いだろう。

なら、その他にありそうな道となると――。

 

 

『――はいっ、次はこの先ですっ! どうぞっ!』

 

 

と、そうこう考えている最中、あーちゃんの甲高い声が耳を打つ。

どうやら次のろくでもない道に着いたようだ。私はふんと小さく鼻を鳴らし、目の前にかかる邪魔な葉っぱをかき分けた。

 

 

(――やっぱりな)

 

 

予想通り、その先にあったのは高く切り立った崖だった。

斜面を滑り降りたのだから、今度は登れという事らしい。

 

パッと見では、大体七、八階建てのビルくらいの高さだろうか。

しかも断面はほぼ垂直で、登るための梯子のようなものも無い。フリークライミングしか登る方法は無く、普通の人ならハードモードも良い所だ。

 

――が、当然私にとってはそんなに難しい道でもない訳で。

 

 

(よし、この程度なら――)

 

 

私は軽く身体をほぐし、一息に崖へと接近。手ごろな出っ張りに足をかけ、跳ねるように登攀する。

 

片手がガラケーで塞がっていて少しばかりやり難いが、その代わり派手な凹凸が崖のあちこちに散らばっていて、足を引っかける場所には困らない。

土質もそこそこ硬めで私の力でも早々崩れず、すいすい崖の上へと登っていく。

 

 

(案内されるのがこういうのとか、さっきの斜面くらいの道ばっかなら、油断さえしなきゃたぶん全部いける。そしたら、その内『親』が気付いて来る……!)

 

 

少なくとも、門限の十七時を越えたらヤツらは絶対私を探しにかかるだろう。

 

そうなればスマホの位置情報なり目撃情報なりでこの山に居る事も突き止め、のこのこ追って来る筈だ。

そこまで粘れば私の勝ち。『親』頼りになるのはまだ気に食わないけれど、この際あれこれ言っていられない。

 

崖はもう七割ほどを踏破した。私は大きめの出っ張りで一息つくと、ラストスパートをかけ――。

 

 

『えへ、えひひ……』

 

「……?」

 

 

そうしていると、やけにあーちゃんが静かな事が気にかかった。

 

先程まで非常に煩かった煽りも鳴りを潜め、ずっとくつくつと嗤っている。

……どうにも嫌な予感がしたけれど、今更案内から外れ引き返す事も出来ない。私はその不気味さを振り切るように、最後のひと距離をジャンプ。頂上の縁に左手を引っかけ、そのまま身体を崖上に引き上げた。

 

よし、やっぱりこのくらいならどうにでもなる。

私は零すような小さな笑みを浮かべると、ガラケーの向こうに勝利宣言じみた踏破報告を送り、

 

 

「――……」

 

 

発しかけた言葉が、止まった。

 

……崖の頂上に立ち、顔を上げた私の目に飛び込んで来たものが一つあった。

 

少し離れた坂の上。うっすらと続く獣道の先に、ぽつんと佇む長方形。

それは山の緑とはまるで馴染まず、周囲の風景を酷く浮いたものへと変えている。

 

ドア。建物も何も無いその場所に、ただ一枚のドアだけが立っていた。

 

 

「…………」

 

 

おそらく、山小屋か何かの解体残りだろう。

街中でもたまに見る光景で、そんなに珍しいものでもない。

 

だが……だが、私は知っている。

ああいった意味のない扉の向こうに、どこにも繋がらないものの先に、何があるのかを。

無用の長物の先に現れる、無用の場所がある事を。

 

 

『――えひ、んひひひっ。見ーえたぁ、進め、すすめっ!!』

 

 

――トマソン建築。

今度の案内は、そのドアの向こう側へと続いていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。