高級住宅街に繋がる道を少し逸れ、幾つかの橋を渡った先。
商店や工場の多い、野暮ったい下町の雰囲気を強く残すその区域に、俺の住む家がある。
――石屋『ひげずり』。
その名の通り、俺の生家である髭擦家が家業として営む、石に関する諸々を取り扱う石材工務店だ。
家族の話では戦前から代々続く老舗であり、小規模な地域密着型で手堅くやっているらしい。
そのため近所では「石の事なら髭擦に」なんて言われるほどには親しまれているようだ。……石屋ってそんなに身近か?
さておき、今代の店主は俺の祖父で、六十を越える高齢ながらまだまだ現役で働いている。というか他に従業員が居らず、爺さん一人だけで店を回している状態だ。
爺さん自身は特に無理をしている様子もなく淡々と石を削っているが、忙しい時などは俺が店の手伝いに駆り出される事もままあった。
もっとも、幾ら図体がでかいとはいえこっちはまだ中学生だ。
流石に直接仕事に関わる事はあまりなく、もっぱら食事の準備だとか店番だとか、そういったサポートがほとんどである。
特に今の夏休みシーズンなどはお盆の時期と重なる上、九月にはお彼岸が控えている事もあり、墓石まわりの仕事で爺さん自らお寺へ赴く機会も多くなる。
特にここ数日はそれなりに忙しく、俺が店番を努めるような日が続いていた。
「…………」
かりかり。シャーペンの走る音が、クーラーの効いた応接間の中に響く。
当然、店の帳簿を付けている音……な訳がなく、夏休みの宿題の問題集を解く音だ。
店番とは言っているが、接客の機会は滅多に無い。
今の時代直接的な来店客は少なく、来るのは大抵が依頼の電話くらいのもの。その連絡を爺さんに取り次ぐのが俺の主な役目である。
それ以外の時間は暇も良い所で、よくこうして宿題や趣味の時間に充てていた。
「……昼か」
そして問題集がひと段落してふと時計を見れば、時刻はちょうど十二時を回った所だった。
爺さんは今日も朝からお寺の方に向かっていて、昼までには戻って来るとの事だったが……まぁ、この分ではもう少しかかりそうだ。
いつもの経験でそう判断した俺は、とりあえず昼飯を済ませておこうと席を立ち、店の入り口に鍵を閉めておく。
最近、この近所にも空き巣強盗が出たと聞く。
たとえ短時間と言えど、店を空にするのであれば注意しておくに越した事は無い――と、その時、応接間の固定電話が古臭い電子音を張り上げた。
慌てて部屋に戻り、経年劣化で黄ばんだ受話器を取り上げた。
「――はい、石屋『ひげずり』です。お電話ありがとうございます」
『あ……えっと、やあです』
「……、」
若い男の声だった。そしていきなりのフランクさに面食らい、咄嗟の返事が出て来ない。
すると向こうもその反応に慣れた様子で、すぐに『すみません』と続いた。
『その、そういう名で……「安」と「中」で
「あ、ああ、はい、安中さんですね。把握しました」
変わった読みだな……いや、
ともかく気を取り直し、メモ用のペンを持ちながらいつもの定型句を口にする。
最初の頃は緊張でどもりまくっていたが、今となってはスラスラと慣れたものだった。
「申し訳ありません、只今店の者が外出しておりまして。後ほど折り返しお電話させていただきますので、ご用件を――」
『や、あの……すみません。そういうのじゃなくて、あの……』
「……? ええと、では、どういう?」
『――ぼく、御魂雲、なんですけど……』
「――……」
そうして出てきた名前に、また返事を忘れた。
……みたまぐも。みたまぐも?
ええと……では、なんだ。
という事は、つまりあれか。あのー……えー……。
「……タマ、いえ、異さんの、ご家族の……?」
『あ、はい、そうです。その御魂雲です……一応』
――御魂雲。
俺の親しい友人である御魂雲異ことタマの家族であり……そしておそらく、どちらかと言えば
どういう理屈か記憶や意識を共有した身体を沢山持っているらしく、その年齢層も赤ん坊から老人まで老若男女隔て無し。
いつもタマと話している時は感情を感じさせない無表情だが、そうでない時は身体それぞれ違う人格として振る舞っているようで、このどこかおどおどした様子の『安中』もその一人という事なのだろう。
生まれた時から霊感を持ち、オバケだの何だの意味不明な
初対面時での事をはじめ個人的な苦手意識も色々とあり、本人(?)はもとよりタマにも詳しい事は聞かないままで、特に親しいという訳でもなかった。
そんな大した関わりのない人が、何故わざわざ連絡を――そう首を傾げかけ、しかしすぐに以前あった出来事を思い出し緊張が走る。
「……まさか、またタマが危ない目に遭ってるんですか?」
俺と同じく、タマも霊感を持っている。
そして俺と違い、あいつは何故かやたらと
ともかく割と頻繁に
今回もまた何か起こったのだろうか。俺は即座に腰を浮かし、店番をほっぽり出す事を決め、
『いえ、あの、すみません、そういうのじゃないです……あれなら今、お友達と楽しくやってるんで、はい……』
「え? あ、ああそう……なんですか?」
しかし続いた否定に肩透かし、ゆるゆると腰を落ち着ける。
「ええと……今あいつ確か、隣町にまたキャンプ行ってるんですよね? それで、普通に無事だと」
『はい、同じクラスのお友達と一緒に、昨日から……まぁ、特に問題なく遊んでます、リアルタイムで』
「そうですか……」
そう、タマは今、友人と御魂雲の一人とで市外に小旅行に行っている。
少し前に俺とタマ達で行ったキャンプ。その際、予定が合わずに来られなかった共通の友人がいたのだが、そいつに対する埋め合わせとの事らしい。
実を言うと俺もそれには誘われてはいたものの、こっちも色々と予定があり残念ながら不参加と相成った。
前のキャンプがとんでもない結果に終わってしまったので、今回何も起きずにあいつが楽しめているのであればホッとする。……のは、良いのだが。
「……いや、じゃあ、本当に何故俺に電話を……?」
『あ、はい。あの、今ぼくが連絡して、御魂雲って言ったのはですね。今からする話、その方が手っ取り早く伝わるかなって……』
「……? 話、とは」
『……なんというか、不躾な感じになっちゃうと思うんだけど、その――』
――君の家、大丈夫?
ぴく、と。
小さく、肩が跳ねた。
「――……すいません。言っている意味が、ちょっと」
今度は返事を迷わなかった。
しかし開けてしまった僅かな間に何かしらを感じ取られたのか、受話器の向こうで疑問の息遣いがした。
『……ぼく今、お墓参りのポーズでお寺に来てまして。そこでその、君のお爺ちゃん? を、見かけて……うわぁって思って。で、君が店番してるっていうから電話して……という流れで……』
「…………」
『……分かってます、よね? 君、たぶんウチのあれ……あの子より、視る力ずっと強い感じですし……』
……何だろうか、どうもこの『安中』の口ぶりからは、タマに対する怯えのようなものを感じる。
そういう人格の身体という事だろうか……いや、そんな事を考えている場合でもないのだが。
『ぼくは……ぼく達は、君に感謝をしています。ウチのあれとお友達になってくれたり、助けてくれたり、色々、ほんとに』
「……いえ……」
『だから、君が危なそうな時は、ぼく達が何とかする……したいなぁと、思う、んだけれど……』
「…………」
尻すぼみになる『安中』の声は頼りないものだったが、その言葉を信じていいという事は俺も分かっている。
以前、とある卵の
そんな彼らが、わざわざ助けを申し出て来た。その意味は、決して軽いものではないのだろう。
……だが、なぁ。
「……ありがとうございます。ですが、大丈夫です。本当に……何も、無いので」
絞り出すような声になってしまった。
流石にもうとぼけ切る事は出来ないと思ったが、同時に何かしらは伝わってくれたようだ。『安中』は少しの間黙り込み、やがて迷うように小さく唸る。
『う……そ、そう、ですか…………本当に?』
「はい、大丈夫なんです」
『……、……、……ううん、じゃあ、まぁ……一旦、気のせい、でした……』
すると非常に不承不承とした様子だったが、『安中』はそう言って引き下がってくれた。
俺はそれに安堵の息をそうと分からないように吐き――しかし間髪入れずに付け足しが飛ぶ。
『で、でも、もし何かありましたら、いつでも力になれる、ので……それだけは、覚えておいて頂きたく……』
「……はい、ありがとうございます」
その後幾つかのやり取りの中で『安中』を含めた複数の身体の連絡先を伝えられ、やっと話に区切りがついた。
『では……』とやはり心配の色を多く含んだ声音を最後に通話を終え、受話器を戻して溜息ひとつ。ぐったりと椅子に背を預け、天井を仰いだ。
「……気持ちは、ありがたいんだがなぁ」
ぼんやり呟き、そのまま暫く思案にふける。
しかし当然、何が浮かぶ筈も無く――やがて腹がぐぅと鳴り、今が昼時だった事を思い出す。
……まぁ、考えるのは後にして、今度こそ昼飯にするか。
とりあえずそう気を取り直し、やたらと重たい腰を上げた。
「…………」
店舗一体型であるこの家は、一般的な家よりだいぶ横に細長い作りになっている。
家の玄関から入って半分手前までほどが店舗部分。
応接間や作業室、墓石・石像などの商品展示部屋があり、外には庭の代わりに石材加工のための機材や重機が並ぶ工房が併設されている。
そしてその後方にくっ付いている居住部分は、応接間奥から伸びる一本の廊下によって繋がっている。
まぁ通路と言ってもごく短く、数歩も歩かない内にさっさと通り過ぎてしまう。店と住む場所とを明確に区切るという、ただそのためだけの空間だ。
……少なくとも、俺以外の家族にとっては、その筈だ。
「……ふむ」
軽く息を吐き、件の応接間奥の扉を開けた。
途端、嫌な籠り方をした熱と、湿った木の匂いが鼻をつく。
廊下は床も壁も板張りで、横幅だけはそれなりにある。しかし距離が距離のため窓は設置されておらず、家具の類も一つも無い。本当に、通り過ぎるだけしかない通路。
――その、真ん中あたり。俺から見て右手側の壁に、それは居た。
「みゐぞうめりゥば あァはなちャ ん」
手だ。
壁の一部、天井近くから床にまで走った細長い隙間から、一本の青白い手が生えている。
柔らかな肌。細く長い指に、つるりと丸く赤い爪。どれも明らかに女性のものだった。
二の腕の中ほどまでが這い出るそれは、隙間の奥から響くか細い声を纏わせながら、何かを探すように隙間の周囲を掻いていた。
「…………」
きっと、怖がらなきゃいけない光景なんだろう。
けれど俺は特に怖気づく事も無く、ゆっくりと歩み寄る。いつも通りの、何気ない足取りで。
「しきまァき ひィつ たわみてゑ」
「……あぁ」
声は小さく掠れ、何を言っているのかよく分からなかったが、適当に返してその前に立つ。
すると手はピクリと反応し、緩慢な動きで俺の輪郭へと触れる。
腕、肩、首、頬、そして頭と、旋毛の上。それはまるで子供を撫でるように柔らかな手つきで、くすぐったさと共に穏やかな気持ちが溢れて来る。
俺は抵抗する事も無く、ただ静かに目を細め――直後走った小さな痛みに眉を顰めた。
「っ……」
手の力が少しだけ強まり、頭皮に爪を立てたのだ。
多少皮膚がつねられる程度だったが、髪の毛が指に絡まり、緩く引っ張られてゆく。
そして指は引っ掛かりを残したまま髪を抜け……また、何も無い場所を掻き続ける。
「みゐぞうめりゥば あァはなちャ ん しきまァき ひィつ たわみてゑ……」
「…………」
髪の隙間を摩りながら少しの間それを眺めた後、俺は隙間の前から離れ、廊下の先の居住部分へと到着。速足で台所に移動し、昼飯の用意に取り掛かる。
と言っても、そんなに手の凝ったものを作るつもりは無い。
精々が握り飯を幾つかと、冷蔵庫から朝食のおかずの残りを持って行くだけだ。
そうして手早く料理を用意すると、俺はまた速足で店先へと戻り、
――がたん。
その時、リビングの窓の外で物音がした。
「む……」
……空き巣の話を思い出し、若干の警戒。
でかい図体を縮こめながら、そろりと窓を覗き込み――ホッと胸を撫で下ろした。
(なんだ……帰ってたのか、爺さん)
そこに居たのは、俺の爺さん――祖父の髭擦
お寺での仕事が終わったらしく、車の積み荷を庭の隅へと降ろしている。
俺は一旦昼飯を置き、爺さんへと声をかけ――。
「っ……」
瞬間、『それ』に気付き、思わず声が止まった。
「……おぅ、こっちに居たのか」
窓を開けた俺に気付き、爺さんが荷物を抱えたまま振り向いた。
豊かな口髭の目立つ厳つい顔に、背が高く姿勢も通ったがっしりとした身体つき。
とても高齢とは思えない逞しさのある、いつも通りの爺さんの姿。
――その浅黒い両の二の腕に、無数の黒い手跡が刻まれていた。
「店、客あったか」
「…………」
「……どうした」
捲り上げたシャツの腕の根元から、手首の辺りにまで。
まるで刺青のように、真っ黒な手の跡がびっしりと刻まれている。
無論、爺さんはそういったお洒落をする人じゃない。むしろそういったものを毛嫌いしている類の人間だ。
しかし本人はその手跡をまるで意識する事無く、いや、そもそも気付いていないかのように、黙り込む俺に訝しげな目を向けている――。
……俺は軽く息を吐き、何でも無いと首を振った。
「いや……お客さんは来なかった。電話は、俺の知り合いから一件あったくらいだ。他は何も無かったな」
「……そうか。留守番、助かった」
「ああ……」
……少し、迷った。
けれど、黙っているとダメになるという予感もあって、
「……あと、なんというか――あの廊下、今度からもっと端の方を通った方が良い、かもしれない」
「――……、」
躊躇いながらそう伝えれば、爺さんはピクリと口髭を震わせ、動きを止める。
しかし、それもほんの一瞬。
すぐに何でも無いように動き出し、抱えていた荷物を地面に置いた。
「……分かった」
「…………」
爺さんはそれだけを残し、また車へと戻っていった。
何も聞かれず、詳しくも言わない。
ただ、暗黙のそれだけがそこにあり、奇妙な冷たさが胃の底に落ちてゆく。
「…………」
……そっと、廊下の方を見る。
開きっぱなしの扉の先で、青白い手がさっきと変わらず揺れていた。
今回が今年ラストの更新となります。
今年も拙作にお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
来年もまったり続けていきたいと思っておりますので、のんびりとお付き合い頂けると嬉しいです。
それでは皆様よいお年を~。