異女子   作:変わり身

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「怪談」の話(中④)

3

 

 

 

(……逃げらんないな、これ)

 

 

割れ砕け、ガラス部分のほとんど残っていない窓の前。

頭がはみ出ないよう気を付けながら外を眺め、私は口の中だけでそう呟いた。

 

私の左眼に映っているのは、夕焼けの落ちる山景色。

どうやら私の居るこの施設――この廃病院は相当辺鄙な場所にあるらしく、見える範囲には森と山路しか見当たらない。今居るのは高さからして四階か五階くらいだろうから、それで自然だけってのは相当だ。

反対側の窓から何が見えるかは分からないものの……感じる空気は完全に山中のものだし、都会が広がっているなんて事は無いだろう。

 

まぁ、とはいえ私にとってはそこそこ慣れ親しんだ環境ではある。

なんだったら今すぐにでも窓から脱出し、そのままどこか人里に出るまで森を突っ切れる自信だってあった。

 

……あったんだ、けれども。

 

 

(――森ん中、何か居るんだよなぁ……)

 

 

廃病院の敷地外。

一面に広がる山林の隙間に、チラチラと影のようなものが蠢いている。

 

ハッキリとは視認できず、それらが何かは定かじゃないけど……善いものでは無いという事だけは確信できる。

分かるのだ。今おなかに感じているこの冷たさは、そういうヤツを視ている時のアレなのだから。

 

今の所、廃病院の敷地内に入って来る様子は無いが、自分から彼らに姿を晒せばどうなるか。まず間違いなく、ロクな事にはならないだろう。

 

 

(くそ……)

 

 

舌打ちを鳴らし、窓の下に蹲る。

そして細く震える溜息を吐き出して……無意識に、右眼を指先で撫でてしまう。

 

 

「……っ」

 

 

感じるのは閉じた瞼の肌と、でこぼことした荒い筋。

 

不意に触れてしまったそれに総毛立ち、嫌な風に心臓が跳ねる。

そうして、細く震える息を深く深く吐き出して――ゆるゆると、割れた鏡に目を向けた。

 

……そこに映る私の顔に、もう赤黒い眼帯は無い。

そして取り払われたそこには大きな傷も無ければ、ぽっかりと眼孔が開いているという事も無くて……ただ、ぴったりと閉じられた瞼があった。

 

――糸で固く縫い付けられ、決して開かないようにされた、血塗れの瞼が。

 

 

「……ぅぐ、ぅぅぅぅぅ……!」

 

 

何かの間違いだと、夢幻だと思いたかった。

 

でもその醜悪な縫い目は確かにそこに刻まれていて、いつまで経っても消えてくれない。

私は抱えた膝に顔を埋め、込み上げる吐き気をか細い呻きで圧し潰した。

 

 

 

 

 

 

――ひゅどろんチとかいうマスク連中の語っていた、一度入ったらもう二度と出られないという廃病院の怪談。

どういう訳かは知らないが、私はその渦中にあるらしい。

 

ほんと全く意味が分からないし、何がどうしてそうなったのか見当もつかない。

けれど何度思考を巡らせても、そうとしか考えられない状況だった。

 

窓から見える建物の外観に、夕陽の差し込む寂れた病室。

場所も時間帯も、イベント会場のモニターで見た光景とほとんど一緒で、違いは僅か。その違いも部屋が四人用ではなく一人用だったりと、それくらいでしかない。

 

……そして何より、今の私の状態だ。

 

患者衣の姿で、目がこんなんなって、おまけに病室のベッドで目が覚めた。

それはひゅどろんチの動画の中にあった画のままで……だったらもう、そういう事だろう。私は今間違いなく、彼らのつまらない怪談を実体験させられている――。

 

 

(……くそっ! 何で、こんな……!)

 

 

当然、受け入れられる訳がなかった。

 

だって私、このオカルトと何も関係ないだろ。

変な事は何もしていない。さっきまでただの観客として、ぼーっと突っ立って話を聞いていただけだったじゃないか。こんな事に巻き込まれる筋合いなんて絶対に無い筈なんだ。

 

なのに……なのにどうして、こんな目に遭わされなきゃいけない。

何の前触れもなく、気付けばこんなとこに連れて来られてて、訳分かんないまま眼を、こんな、酷い事……!

 

 

「う、ぅぅぅぅぅ~~~~……ッ!」

 

 

荒れ狂う激情のまま、頭をぐしゃぐしゃ掻き毟る。

しかしそれだけでは気が収まらず、駄々っ子のように足を振り回して床を何度もジタバタ叩く。さっき起きてからもう何度目かも分からない、発作めいた癇癪だ。

 

自分でも見苦しいとは思うけど、どうにもならない。

以前は自分から両手の肉をこそぎ落とす覚悟をした私とはいえ、流石にこんな不意打ちみたいな形で片目を潰されて、平然としていられるほどの鉄人じゃないんだ。

知らない内に半分にされた視界が、酷く恐ろしくて、悔しかった。

 

 

「っく、く……お、おちつけ……平気……だい、だいじょうぶっ……!」

 

 

何度も自分に言い聞かせ、震える手で右眼を抑える。

 

その際、掌で目元を強く押し込んでしまうものの、やはり痛みも何も感じず、ただ縫い付けられた瞼の引き攣る感覚だけが鋭敏だ。

冷静に考えれば不穏極まりない状態なのだが、本来感じている筈の苦痛が無いからこそ、ギリギリ耐えられている部分もあった。

 

そうして歯の隙間から抜けるような細い呼吸を繰り返す内、段々と感情の波が引いてゆく。

冷静に、とまではいかないが、少なくとも胸の奥をめちゃくちゃに引っかいていた衝動は多少なりともマシになる。ぐったりと足を投げ出し、右眼からも手をどけた。

 

 

「……くそ、はやく……」

 

 

呻きつつ、自然と胸元へと手が向かう。

そこはいつもインクの小瓶とメモ帳を収めている位置……なのだが、しかしその手は何も掴めず、ほとんど起伏の無い素肌を撫でるだけ。

 

……ああ、そうだった。今の私は患者衣一枚を着たきりだった。

近くに元の衣服が畳まれているなんて事も無く、イベント会場に居た時に持ってた物は全部ナシ。改めてそれを思い出し、弱々しい舌打ちが漏れた。

 

 

(目はこんなで……助け、呼べなくて……外の森にも、何か変なの居て……)

 

 

もう一度窓の外に左眼を向ければ、森の中にはさっきと同様何かの影が蠢いていた。

やはりこっちに近寄って来る気配は無いものの、反対に居なくなる気配も無く、溜息が落ちる。

 

 

(……待ってたら、誰か来てくれたり、とか)

 

 

インク瓶と『親』であれば、その内に助けには来てくれるだろうとは思う。

 

しかしこれまでの経験上何も行動しないというのも不安が残るし、特に今回はこの右眼の事もある。

今のところは痛みも無いし、血も止まってるっぽいとはいえ、眼帯に大きな染みを作るくらいの出血があった事は確かなのだ。

まともな処置をされているかも怪しく、何より脳みそに近い部分でのアレコレな訳で。最悪、助けを待ってる間にぶっ倒れてそのまんまという可能性すらある訳で……。

 

 

(どうしよう……いや、ほんとにこれ、どうしたら……!)

 

 

何一つ訳の分からない状況の中、どう動くのが正解で、どう動いてしまうのが間違いなのか。

それも心底から分からなくて、私はさっきとは別の理由で頭をぐしゃぐしゃと――。

 

 

――……み……さぁん

 

 

「……?」

 

 

その時、何かが聞こえたような気がした。

 

一瞬幻聴を疑ったけど、耳を澄ませば確かに誰かの声が部屋の外から響いて来る。

そしてそれはどうも女の人のもののようで――私を呼んでいるようだった。

 

 

――みたまぐもさぁん。

 

 

(っ、誰か居る? 私の他にも、誰か……!)

 

 

思えばそうだ。私が直前まで居たイベント会場には沢山の人が居たのだから、ここに連れて来られたのが私だけである道理もない。

つまり、一緒にこのオカルトに巻き込まれた誰かが近くに居て、同じ境遇の仲間を探して声を上げている――。

 

反射的にそう思い至った私は、慌てよろめきながらも病室のドアへと縋りつき、

 

 

――今、この状況で、誰が私の名前を呼べるんだ?

 

 

「――……」

 

 

ふ、と疑問がよぎり、ドアの取っ手を引く寸前で手が止まった。

 

 

――みたまぐもさあん。みたまぐもさあああん。

 

 

女の人の声である以上、インク瓶ではない。

 

では『親』か。

実はあのイベント会場に女の人の身体でひっそり紛れていて、オカルトに巻き込まれた今こうして私の事を探している……まぁ無い話ではなさそうだが、だがアイツは絶対に私を『御魂雲』とは呼ばないだろう。だからこその、この名前らしいし。

 

ならイベントスタッフや他出演者――も、無い、か。

私のイベント参加はインク瓶を通しての当日飛び込みで、身分証明の類をスキップしている。貰ったパンフレットやカードホルダーにも私の名前は記入されてなかったし、運営側の認識としてはたぶん『インク瓶の身内の美少女A』止まりの筈で……。

 

……じゃあ、誰だよ、この声

 

 

――みたまぐもさあああああああああああん。

 

 

「…………」

 

 

ゆっくりと取っ手から腕を引き、後退る。

 

私を呼ぶ声は徐々に音量を増し、廊下を反響して間延びする。

ぺたりぺたりと部屋に近付く足音もそれに混じりはじめていて、自然と息が潜まった。

 

 

(……どこ、か)

 

 

気付けば左眼が病室の中を彷徨い、逃げ場所を探していた。

 

ドア。ベッド。窓。ロッカー。クローゼット。棚。洗面台の下。

焦りに揺れる視線が次々と移ろい、やがて窓へと固定。外の森に居る変な影が気がかりではあるが、今はそれを気にしている場合でもない。

 

一瞬だけ、サッと下階のベランダに降りるくらいなら――そう考えた時だった。

 

 

――みたまぐもさああああああああああああああああああああああ。

 

 

(――――)

 

 

ぺたん、と。

窓の外、ベランダ端の壁際に、肌色の何かが掛けられたのが見えて――その瞬間、何かを考えるよりも早く一番近くにあったベッドの下に飛び込んだ。

 

リクライニング機能か何かの機械があってかなり手狭ではあったが、小さく薄い私の身体はどうにか入った。

ダメ押しにベッドの上の毛布を崩して床との隙間を覆い隠し、やかましく跳ねまわる鼓動を必死に抑える。

 

 

(っ……? ……!?)

 

 

……何だ、今の。

そこでようやく、さっき見た肌色について思考するけど――それが明確な像を結ぶより先に、ドアが小さく叩かれた。

 

こん、こん、こん。

「……っ」当然返事なんてする訳も無く、更にぎゅっと身を縮こませる。

 

 

「――みたまぐもさぁん」

 

 

がらりと引き戸が開かれ、足音が室内へと入って来る。

 

鮮明となった呼びかけは、やっぱり普通の女の人の声だった。

おかしいところなんて本当にどこにも無くて、変に怖がり過ぎたかもしれないと錯覚すらしてしまう。

 

そうして無意識に肩の力が抜けて行きつつある中、その声の主はぺたぺたとベッドの方へと近付いて、

 

 

(――は)

 

 

ぺたん。

ベッドの下から見える狭い視界に奇妙な肌色の塊が落ち、再び肩が強張った。

 

 

「みたまぐもさぁん。みたまぐもさぁぁぁん」

 

 

……どう、表現すればいいんだろう。

 

二本あるそれは短く太い肌色の肉塊で、先端は人の足を歪に折り曲げたような形になっていた。

いや、事実足なのだ。その肉塊は繰り返し交互し、ベッドの周りをうろついている。

 

 

「みたまぐもさぁぁぁん。みたまぐもさぁぁぁぁぁん」

 

「……、……」

 

 

声は変わらず続くまま、ベッドを何度も軋ませた。

 

たぶん、ベッドから消えた私を探してる。ベッドの他にも、部屋のあちらこちらを見て回るような音が聞こえ、身が凍る。

崩した毛布に遮られ、それ以上は詳しく視認できないものの……むしろそれで良かったとも思う。

 

だって、見えなければこれ以上変な反応もしなくて済む。私は口と鼻を手で押さえ、じっと動かず息を殺した。

 

 

「みたまぐもさぁぁぁぁぁん、みたま、」

 

 

突然呼びかけが止まり、部屋がしんと静まり返る。

耳の中で心臓の音だけがイヤに大きく響いていて、聞こえていやしないかと酷く不安だった。

 

そうして戦々恐々としていると、今度は窓の方からキィと音が鳴った。

そちらを見る事は出来なかったけど、ピンと来る。さっき一瞬見た、ベランダの肌色だ。

 

 

(……は、入る? 増える、の……?)

 

 

ぞっとして息を震わせるけど、しかし幾ら経てども部屋に何かが入って来る気配が無い。

 

声も物音も無く、そのまま暫くの時が過ぎ――やがて、窓の閉じる音がした。

同時にまた足音がぺたぺたと鳴り、ベッドを過ぎてドアの方へ。引き戸が開き、閉じられた。

 

 

――むつさぁん。むつさぁぁぁん……。

 

 

そして今度は私ではない誰かの名前を呼びながら、病室から離れて行く。

 

 

「……………………」

 

 

……どく、どく、と心臓の音だけが鼓膜を揺らす。

 

どのくらい、身じろぎもせずいただろう。

抑えていた呼吸を少しずつ戻しつつ、私は慎重にベッドの下で体勢を変え、窓を見た。

 

何も無い。窓のどこにも肌色は無く、きっちりと施錠もされている。

続いて部屋の様子を窺うも、見る限りでは何の気配も感じられず……そこでようやく安全を確信し、ベッドの下から這い出した。うわ埃まみれ……。

 

 

「……な、何だったんだ、今の……」

 

 

窓と同じくキッチリと閉められたドアを見ながら呟くが、当然ながら何も分からない。

 

明らかに人間では無かった。

だが一方で声は普通の女の人で、行動もドアや窓を普通に開け閉めしたりと人間臭く、薄気味悪い。

 

 

(……もし、見つかってたら?)

 

 

考えるけど、右眼にされた事を踏まえるとロクでもない結果しか思い浮かばない。

 

またせり上がって来た吐き気を抑え、とりあえず窓から身を隠す。

またあの肌色の何かが来たら堪らない。本当はカーテンをぴっちり閉めたいところだったが、ボロボロに朽ち果てていてどうしようもなかった。

 

 

「…………」

 

 

窓への注意を引きずりながら、こっそりとドアの外を確かめる。

 

イベント会場のモニターで見たのと同じ、舞った埃が夕陽に輝く妖しい雰囲気の廊下だ。

例の声は既に聞こえなくなっていて、左右を見ても何も居ない。その静けさに、私はそっと息を吐き……ふと、病室横の壁に目が行った。

 

 

「……『みたまぐも』……」

 

 

そこには患者用のネームプレートがあり、殴り書きのような汚い字で私の名前が書かれていた。

その不気味さに背筋が泡立つが、同時にはたと思い付く。

 

 

(――あの肌色の、まさかナース気取りとかじゃないよな……?)

 

 

んな馬鹿な……と自分でも思ったものの、しかし何か雰囲気的にそんな気がしなくもない。

以前、検査入院で一日近くを病室で過ごした際、私の様子を見に来たナースの行動が思い出された。

 

 

(だとしたら……また巡回に来たり、とか……)

 

 

……病室に目を戻し、また窓の様子を確認する。

直前に確かめた時と同じく、そこにあの肌色は無い。無いのだが……眺めていると、またいきなり肌色がぬっと出て来るんじゃないかという不安が募ってゆく。

 

 

「…………」

 

 

逃げるように視線を剥がし、もう一度廊下へ。

 

耳を澄ませても例の声が戻ってくる様子は無く、反対の廊下側にも何の気配も感じない。

間違いなく、そこには私しか居らず……この場から逃げるには、今の内だとも思えて。

 

 

「っ……」

 

 

『みたまぐも』のネームプレートを睨み、声に出さないままに唸る。

そうして、私はとても、とても長い事葛藤した末――腹をくくって廊下の先へと駆け出した。

 

 

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