異女子   作:変わり身

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「怪談」の話(中⑨)

 

 

 

「――うむ、ここだ」

 

 

その後も幾度か足音を躱しながら歩き続けた末、とある角を曲がった先でようやく剛拳おじさんの足が止まった。

 

そこにあったのは、フロアの一角を塞ぐ大規模なシャッター扉だ。

いきなり見えたそれに軽く面食らっていると、おじさんはシャッター横に設置されている扉に近寄り、数回ほどノックした。

 

 

「霊侭坊除霊団団長、霊侭坊巖常だ。無事であった者を連れ帰還した。開錠を求む」

 

「あっ、は、はい」

 

 

すると扉の向こうから男の人の声が聞こえ、ガチャリとカギが開かれた。

 

出て来たのは私と同じく片眼を失っている患者衣の女性で、剛拳おじさんの姿にホッとした表情を浮かべ――そんで真っ白けの私を見てギョッとする。んだコラ。

 

 

「ハッハッハ、安心したまえ。このお嬢さんはインク瓶君の秘蔵っ子、除霊の素質もある心強い味方だとも。さ、諸君も入ると良い」

 

 

その女性の戸惑いをニッカリ笑顔で流しつつ、私達を扉の先へと手招いた。

 

そうして促されるまま扉を潜れば、そこには広い空間が広がっていた。

 

たぶん、元は入院患者とお見舞いの人が談笑する、壁の無いフリースペースとかだったんだろう。

全面ガラス張りの窓部分からは夕陽こそ差し込んでいたが、通路と繋がっている部分は全てシャッターで封鎖されている事もあり、広がる橙が却って閉塞感を強めているようだった。

 

内装もやはり廃墟らしく荒れてはいたものの、まだ使えそうな椅子や机が多く並んでいて、そんな部屋のあちこちに患者衣の人達が十数人ほど屯していた。

 

剛拳おじさんが言っていた、他の無事だった人達だろう。彼らの視線がこちらに一斉に注がれ、思わずたじろぐ。

 

 

「……ひゅどろんチの残り三人、誰か居る?」

 

「え? あ、あぁ、うんと……」

 

 

耳元に落ちた問いかけに目的を思い出し、ざっとスペースの中を見回すが、パッと見それらしき顔は無いように思えた。

黒キノコに視線を送ってもふるふると首を振られるだけで、どうやら件の三人はこの中には居ないようだ。落胆混じりの吐息が私の耳を擽った。

 

 

「諸君も知っているかもしれんが、かの悪霊どもは意外と理性があるようでね。窓や出入口の鍵さえ閉めていれば、シャッターを破り押し入ろうとする事も無いようなのだ」

 

「……だから、ひとまずここに人を集めている訳ですか」

 

「うむ、身体の欠損により動けないものも多く居る故、事態解決まではこの場所に隠れていて貰っている。君達も一度しっかり身体を休めるといい」

 

 

剛拳おじさんはそう言ってしっかり扉の鍵を閉め、「では、私は彼を」と気絶男を空いているソファへと運んで行く。

そして男を寝かせた途端、周囲からぞろぞろと人が集まりおじさんを取り囲んだ。

 

 

「ぶ、無事でよかった……! どこかから叫び声が聞こえたし、もう帰って来ないんじゃないかと――」

 

「外はどうなってたの!? 途中電話くらいあったでしょ、ねぇ、通報とかは――」

 

「あの、今回見つけたの、あの人達だけなんですか……? 他に見かけた人は――」

 

「うむ、諸君らには心配をかけてしまったようだな。だが安心したまえ! この巖常、確かに諸君の前に居るのだからね! ハッハッハ!」

 

 

やはり身体のどこか一部が欠損している彼らの表情にはみな必死さが滲み、それぞれが縋りつくように問いかけている。

おじさんはそんな一人一人を力強い笑顔で受け止めつつ、きちんと宥めてやっていた。

 

随分な頼られようだ。除霊団団長を自称していた時点で予想はしていたが、ここでは彼がリーダーのような立場に立って纏めているらしい。

 

 

「……落ち着けたら、手早く聞いておきたい事があったんだけどな。この雰囲気じゃ難しいか」

 

 

するとその光景へ目を眇めていたインク瓶が、苛立たし気に鼻を鳴らす。

そしてぐったりとソファの背に身を預け、脇腹あたりを抑えて目を閉じた。

 

……その表情は痛みを堪えるように強張っていて、呼吸にも時折呻き声が混じっている。だいぶ、辛そうだった。

 

 

「……そんなんで無理すんなよ。ここ安全っぽいしさ、ちょっと休んだ後でも……」

 

「こんなオカルト由来の領域、安心して気を抜ける場所なんてある訳ないだろ。いつでも『話が違う!』と頭を抱える準備をしときなよ」

 

 

そこはいつでも動けるよう覚悟しとけとかじゃないんかい。

いや言いたい事は分かるけども。

 

 

「その時その場では安全に見えたとしても、たった数秒後にひっくり返される事もある。似たような経験、君にもあるんじゃないか」

 

「……まぁ、ホッとした途端にオワーってのには覚えあるけど」

 

「現状がそうなるとは断定しないが、制限時間の文字を頭の片隅に置いて損は無いと僕は思う。だからこそ、今の内に色々と済ませておきたいところだ。……ねぇ、スミト君もそう思わないかい?」

 

「え?」

 

 

いきなり黒キノコへと水が向いた。

先の暴行の事が頭にあるのか、少しでも存在感を薄めようと近くの物陰で身を縮めていた彼は、唐突な指名にぱちくりと目を瞬かせた。

 

 

「……えっ、は? ……え何?」

 

「話、聞いてたよね? すべき事は今の内に」

 

「あー、えー……そう、ですね……? ハハ、ハ……?」

 

 

明らかに適当に話合わせてる風だったが、それでもインク瓶はうんうんと頷いている。

その意図がまるで読めず、私もただ困惑に首を傾げるしか無く……。

 

 

「僕自身、大して動ける状態じゃないんだ。身体は痛むし、目も利かないしね。正直、今後何かあったら真っ先にリタイアする可能性が高い」

 

「……は、はぁ……そっすか」

 

「そうなんだよ。だから――本当に、今しか無いかもしれないね」

 

「…………、……あー……」

 

 

優しく言い含めるようなその声音に、黒キノコはどうしてか言葉を詰まらせた。

 

そして暫く迷うように唸ると、やがておずおずとインク瓶に一歩近寄り――しかし未だ周囲からチラチラ見られている事にハッとして、謝るように頭を下げると、またおなかを抑えて物陰に引っ込んだ。

 

それをしっかり視認していたという訳ではないだろうけど、雰囲気で色々察したらしい。インク瓶は溜息と共に首を振り、眼鏡の位置を直そうとする指先が空ぶった。

 

 

「……え、えっと、何? アイツやっぱ何か知ってる、的な……?」

 

「……たとえスミト君のお兄さんが全てを決めていたとしても、彼だってイベント出演者だったんだ。ステージで使う映像制作にあたってはメンバーに台本なり何なり用意してた筈だろうし、何一つ把握していないなんて事はまず無いよ」

 

 

……正直そういうイベントの裏側的な事情はよく分からんが、これまで数多くのオカルトイベントに首を突っ込んで来たインク瓶が言うならそうなんだろう。

思い返せば、ひゅどろんチは少なくとも剛拳おじさん達より人気のグループみたいだったし、ノリ任せに見えてもエンタメ演出的な部分は意外とちゃんとしていたのかもしれない。

 

 

「でも、やはり今は何かを聞き出すのは難しそうだ。よっぽど暴行の件がトラウマになっているのか……或いは」

 

 

インク瓶はそこで一旦言葉を切り、顎に手をやり黙考の構え。

それきり続きを話し出す気配も無く、会話は終了。私も言い募る事はせず、沈黙が落ちた。

 

 

「……はぁ」

 

 

そうして何をするでもなく突っ立っていると、なんだか身体がイヤに重たく感じてきた。

会話と一緒に緊張も途切れたのだろうか。立っているのがどうにもダルくて、インク瓶の隣で膝を抱え、クッションに深く沈み込む。

 

……真っ白けの私が気になるのか、それとも『解説』のインク瓶と話がしたいのか。周囲の視線は未だにチラチラ煩いままだけど、こんな状況だとそれにすら安心してしまうから不思議である。

 

とはいえ、視線の中にはちょっとイヤな感じのものも幾つかあった。

まぁ私としては無視しても良かったが……インク瓶に暴行したヤツらの例もある。最低限の警戒はしとくべきかと、私は敢えて威嚇の雰囲気出ししてギロギロと――。

 

 

「――うっ……」

 

 

そうして周囲にガン付けしている最中、とある女性と目が合い思わず呻いた。

 

それは窓際の椅子に座る、どんよりとした雰囲気を纏った中年くらいの女性だった。

欠損部位は鼻のようで、ぺったんこになった顔の中心に張り付けられたガーゼには、大きな赤黒いシミが滲んでいる。

 

――そしてその女性が、私をただただじーーーーーーーっと見つめ続けているのだ。

 

どれだけ身体をずらしても、座る位置を変えても、視線はガッチリ私に固定されていて動かない。

勘違いではなく、明らかにロックオンされている――。

 

 

(何だあの人。こわ……)

 

 

なんとなく見覚えのある人の気がしたが、流石に顔の確認のために見つめ返す気にもなれず。

私は努めて女性の存在を見ないフリして、視線を切ろうとインク瓶の影にコソコソ移動した。

 

 

「……どうかしたのかい」

 

 

するとその動きを感じ取ったのか、インク瓶がじろりとこちらを見下ろした。

目つきと相まり咎められているようにも感じ、なんとなく目を逸らす。

 

 

「や、その……ちょっと変な目線、あってさ……絡んできたら、やっつけるからさ……」

 

「……まぁ、どうせ僕には見えないからね。こんな細枝で良ければ、好きに盾にしなよ」

 

「……ども」

 

 

正式に許可が下りたので、しっかり盾に出来る近めの位置に陣取った。

そうして左の視界に感じていた圧が途切れ、ひとまずホッと一息。再び沈黙が戻り、警戒を切らさないままぼんやりとして、

 

 

「――……申し訳ない、とは思っているよ」

 

 

ぽつり。

突然、すぐ近くからそう零された。

 

 

「……? 何が?」

 

「……君を、こんな目に遭わせてしまった事だよ。ほとんど、僕のせいだから」

 

「……、……な、何で……?」

 

 

言っている意味が分からず困惑していると、インク瓶は少しの間躊躇い、やがて白状するように続ける。

 

 

「今回のイベント――君に参加するよう勧めたのは、僕だろう。あれが無ければ、君はあの会場に居なかった筈なんだ」

 

「……あ」

 

 

言われてやっと思い至った。

そういや確かにそうだった。インク瓶がイベントに参加してけと言ったから、私は会場に残ったんだ。

 

彼の言葉が無ければとっととビルから離れていたし、イベントが終わるまで寄り付きもしなかった。

だったら、言う通りじゃないか。私がこのオカルトに巻き込まれたのは、右眼がなくなったのは、こんな目に遭ってんのは――ぜんぶ、

 

 

「ッ……」

 

 

その先を浮かべたくなくて、反射的に唇の裏を噛んだ。

鋭い痛みで思考を散らし、舌に滲む鉄錆の香りに集中する。……イヤな事、考えるな。

 

 

「……別、に。全部あんたのせいってんじゃないだろ。参加するって決めたのは私で、あんたはオススメしただけで……それに、こんな事になるなんて予想できる訳ねーし……」

 

「――いいや。何かしら起こるだろうとは思っていたよ」

 

 

――だけど、その一言で私の努力は跡形も無く吹っ飛んだ。

 

 

「…………は? え……な、なん……」

 

「あの時点で、既に予兆のようなものはあったからね。オカルトの生起自体は半ば確信していた。……そんな場所に、敢えて君を留め置いたんだ。僕は」

 

「――、……、っ――」

 

 

心の中、確かだったものが、思いっきりぶっ叩かれたみたいだった。

 

左だけの視界が揺れる。反射的に右眼の縫い目に指が行き、すぐに離した。

何かを言おうとして、言葉が出ない。何も言えず、何を言うべきなのかも分からない。

 

自分でも驚くほどにあっさりと、色々なものがぐちゃぐちゃになって――気付けば、無意識に伸びた手がインク瓶の患者衣をぎゅっと握り締めていた。

 

彼はそんな私に後悔の滲む顔で目を瞑り……やがて押し殺したような吐息と共に、そっと指先だけ重ねてくれた。

……いつの間にか冷え切っていた私の手指に、その温もりがゆっくりと伝わってゆく。

 

 

「本当にごめん。けれど……おそらくこれが様々な意味で最善の筈なんだ」

 

「……いみ、わかんない。なにがどう良いんだよぉ、こんなの……!」

 

「……君をイベント会場に連れて来たのが、例の怪人――センシティヴ邦だからだよ」

 

 

ぱちくり、と。

 

未だ頭はぐるぐるとしていたが、いきなりアレの名前を出されれば流石に困惑が勝る。

輪をかけて意味が分からず、思わず首が傾いでしまった。

 

 

「……え、と」

 

「君が会場に来た理由、街中で恥を晒す彼の姿を見かけたのがきっかけだったんだろう?」

 

「ん……」

 

「彼は基本的に意味の分からない男だが、意味の無い事はあまりしない。君が彼に遭遇してしまい、その素っ頓狂な行動に誘われたのであれば、そこには間違いなく意味がある」

 

 

インク瓶は本当にイヤそうに言い切るけれど、疑念の類は一切感じられない。

……そこに二人の歪な信頼関係のようなものを垣間見た気がして、なんかヤだった。

 

 

「……えっと、つまり……わざとあんな変な事して、私を釣ったって?」

 

「ああ。まぁ嘘は吐かない男だから、その振る舞い自体は心底からの本音なんだろうけど……それを表に出す場所とタイミングは好きに選べるよね、という話」

 

「…………」

 

 

あの歯茎剥き出しでポスターを威嚇してた行動の裏に、ちゃんとした思惑があった……?

そんなバカなと思えども、アレと長年の付き合いらしいインク瓶の言う事だ。そう簡単に否定できるものでも無く。

 

 

「彼の持つ、未来予知じみた力。それを踏まえて考えると、君がこのオカルトに巻き込まれる事で、何かが好転するのかもしれない。いや、きっと既にそうなっているんだろうね」

 

「……こんな、眼とか手とか、なくなってて?」

 

「……確かに、一見すると酷い状況ではあるよ。だけど――それでも現状はどこかで最悪の展開を免れている状態なんだと、僕は思っている」

 

 

インク瓶はそう結ぶと、私の手に触れていた指先を引き上げた。

反射的に手がそれを追いかけようとして、しかし寸前で抑え、握り込む。

 

そしてそのまま会話が途切れ、沈黙が続く事、暫し。

 

 

「……あの、さ」

 

 

ぽつり。彼に触れられていた部分を擦りつつ、呟く。

 

 

「……なんだい」

 

「さっき、何かしら起きるだろうと思ってた……って言ってたけどさ。じゃあ……これも、それも、なるって分かってたの……?」

 

 

私の右眼と、インク瓶の右腕。

順番に指差して問いかければ、苦虫を嚙み潰したような顔が返った。

 

 

「……いいや。具体的に何が起こるかまでは分からなかった。ここまでの事態になると掴めていたならそもそも――ああ、いや」

 

 

途中、突然言葉を切った。

 

……たぶん、グダグダ言い訳じみた感じのヤツを言いそうになったんだろう。

 

コイツの事だ。今更だとか、都合がいいセリフになるとか、色々と面倒臭く考えすぎているに違いない。

彼の渋面からそれが手に取るように分かり――だからそれだけで、なんだか安心してしまった。

 

 

「――そっか。じゃあ、いいや」

 

 

強張っていた身体から力が抜け、ソファの背にもたれ込む。

そんな私をインク瓶は複雑な表情で見つめ、すぐ目を逸らした。

 

 

「……僕が言うのもなんだが、いいのかい、そんなので」

 

「ここまでなんて予想してなかったんだろ。そんであんただって腕なくしてて、なのに今もこれがまだマシなんだって思ってて……なら、信じてやるよ、私も」

 

「そう言ってくれるのは助かるけどね、でも、」

 

「――私が居なかったら、あんたは『最悪』になってたんでしょ」

 

「――……」

 

 

黙り込む。

 

そう、どういう理屈なのかは分からんが、インク瓶曰く私がこの場に居るからこそ最悪の状況を回避できているらしい。

 

なら私が居なければ、当然その『最悪』とやらはそのまま降りかかってくる訳で。

例え私が巻き込まれずに済んだとしても、イベント出演者のインク瓶はどうやったって回避できなかった訳で……。

 

 

「……そりゃ何も知らさないで巻き込んで来たのは腹立つけどさ。知んないとこであんたが、死ん……いなくなったりすんのも、違うじゃん」

 

「元々そういうお仕事なんだけどねぇ……」

 

「それこそ知らんわ」

 

 

何より、今回のオカルトはまだ終わっていないのだ。

インク瓶の判断した『最善』の答えも出ていないのだから、何を思うのにもまだ早い。

 

 

「全部終わって……それで結果が全然最善じゃねーだろってなったら、流石にめちゃくちゃ怒ると思う。……謝ってくんなら、そん時でいい」

 

「……そう。なら、そうするよ」

 

 

そう伝えればインク瓶から苦笑が零れ、やっと空気が弛緩した。

もっとも状況に変わりは無いから、私達の間だけだけど。

 

 

「つーか、何だよいきなり。誰のせいだのなんだの私気付いてなかったんだから、全部終わるまで知らんぷりしとけばよかったろ」

 

「……さっき、スミト君に今の内だ何だと色々言ったろ。なのに僕自身がだんまりなのも、説得力が無いよなってね」

 

 

チラ、とインク瓶の視線が近くの物陰の方へと向かう。

 

彼にはちゃんと見えないだろうが、そこでは黒キノコが非常に複雑そうな顔でこちらの様子を窺っている。

つまり、今の私とのやり取りを敢えて見せ、発破か何かをかけたかったらしい。

 

……まぁ今更口先で利用されたとか思わないから別にいいけど、じっとり半眼にはなった。

 

 

「……そうだね。この際、ついでに伝えておこうか」

 

 

ふと、インク瓶の視線が私の右眼の方を捉え、そう切り出した。

 

 

「下手に希望を持たせるのもなんだから、あまり口にしたくはないけど……それもそれで、酷ではあるようだから」

 

「……何の話だよ」

 

「君の右眼に、僕の右腕――ここで欠損した部位は、まだ確定した訳じゃないかもしれない。そんな作り話」

 

 

……ギチ、ギチ。

どうしてか、からっぽの筈の右瞼の裏で、何かが蠢いた気がした。

 

そして彼の言っている意味も分からず、私はどういう意味かと問いかけようとして――その時、背後から強く頭を引っ張られた。

 

 

「んぐっ!? な、ひっ……!?」

 

「ごめんなさいねぇ。ちょっとよく見せて頂戴ねぇ……」

 

 

そうして無理矢理振り向かされた先にあったのは、鼻の削がれた中年女性の顔。

さっき私に熱視線を送っていた、変な女の人だった。

 

いつの間に近寄ってたんだ。

女はその両手で私の両頬を包み込み、縫い付けられた右眼を至近距離から覗き込んで来る。

 

その瞳はギラギラと異様な光を放っていて、ひゅっと息を呑み込んだ。

 

 

「なっ……ん、だ。何すんだよ、あんた……!」

 

「ちょっと、ねぇ、ちょっとでいいのよ。こんなに綺麗な子の醜い傷なんて、見せてもらう機会なくて……!」

 

 

女は無遠慮に私の右眼を弄り回し、興奮したように息を荒らげ――しかし突然怪訝な表情を浮かべたかと思うと、指先を右眼の中に突き込もうとする。そこにはやはり痛みや感触といったものが無く、ただ怖気が走った。

 

 

「ちょっ、やめっ……!? い、いい加減ぶん投げんぞ……!」

 

「あぁ……でも、あなた、これ、違うのねぇ……。惜しい……惜しいなぁ、もうちょっと、ねぇ、もうちょっと醜く……!」

 

「はぁ!? 何を――」

 

「――地圀君! それ以上はやめておこう! うむ!」

 

 

いい加減腕力に訴えようかと思ったところで、事態に気付いたらしき剛拳おじさんが割って入って来た。

 

そして地圀と呼ばれた女を背後から羽交い絞めにすると、そのままずるずると引き剥がしていく。

その間も女は私に手を伸ばしていて、慌ててインク瓶の背中に身を隠す。

 

 

「……すまない、状況が見えなくて動けなかった。地圀さんの名が出ていたが、彼女に何かされたのかい?」

 

「な、何だ……なんなんだあのどんよりババァ……! 右眼ぐりぐりとか、意味分かんねぇ……!」

 

 

ある意味センシティヴ以上の異常行動に、最早混乱しか無かった。

その様子にインク瓶も大体の事を察したのか、困ったような息ひとつ。

 

 

「……地圀幸さん、件のイベント出演者の一人だよ。作風としては残虐描写の強い、いわゆるスプラッタ系、グロテスクホラーを書く人で……まぁ、見ての通り癖のある人だね。ここに居たのか……」

 

 

聞けばなんでも、グロテスク描写に並々ならぬこだわりがあり、取材と称して病院に手術の見学を希望したり、近くで事故があれば喜び勇んで突撃してしまうタイプの人らしい。はた迷惑な。

 

 

「だ、だからって何で私なんだよ……! 身体欠損してるヤツなんて、今となっちゃ自分含めてたくさん居るだろ……!」

 

「……君のような容姿で酷い傷を負った少女なんて、実際ほとんど見ないからね。地圀さんの作風から考えると、垂涎ものの取材対象だと思うよ」

 

「クソが!亅

 

 

自分の美少女加減に相応しい美しき悪態をついていると、どんよりババァを宥め終えたのか、どこか疲れた様子の剛拳おじさんが戻って来た。

当のババァはまた元の窓際に戻ってはいたものの……未だ私に熱視線を送り続けているままだ。どうもまだ諦めてないようだ。

 

 

「うぅむ……申し訳ない。彼女には何度か注意していたのだが、まだ不足だったようだ」

 

「……既に何度かやらかしているんですか、彼女」

 

「欠損部分を見せてくれと周囲の者に迫ってね。創作意欲に溢れているのは結構な事ではあるのだがな! ハッハッハ!」

 

 

そう笑い飛ばす剛拳おじさんだが、やけっぱちのように聞こえてしまうのは私の気のせいだろうか。

なんとなく微妙な視線を向けていると、おじさんは咳払いで場を仕切り直し、インク瓶へと向き直った。

 

 

「さて、それはともかくとして、何か私に話があるのでは無かったかな? 遅くなってしまったが、先の病室でそのような事を言っていたと思うが」

 

「ええ、それはそうなのですが……」

 

 

答えつつ、私の方へ視線を向ける。

たぶん、さっきの話の途中だった事を気にしているのだろう。

 

……欠損が確定していないだの何だのという話。気にならないと言えば嘘になるが、まぁ後から聞けばいい話だ。

今はおじさんとの話を優先しとけと、背中をぽんぽん叩いてやった。

 

 

「……ありがとう。では、会場のステージで霊侭坊さんの語られていた怪談について、少しお聞きしたい事があるのですが――」

 

 

するとインク瓶は立ち上がり、剛拳おじさんの支えを受けて窓の方へと歩いていった。

 

一瞬ついて行こうか迷ったものの、同じ窓際に居るどんよりババァの視線がネックである。

……まぁ、おじさんが居るなら大丈夫だろう。とりあえずそう決めつけ、いそいそソファの裏に回り込み、ババァの視線を切っておく。

 

 

「…………」

 

 

そうして一息ついていると、物陰の黒キノコと目が合った。

 

無論、これまでと同じくすぐに逸らされてしまったが……その顔色は青白く、苦しそうにおなかを抑えて丸まっている。

思い返せば、出会ってからずっとおなかを抑えていたような。ここまで来ると、腹痛でも催しているのだろうかと若干心配になってくる。

 

 

(……インク瓶の予想が正しければ、なんか知ってんだよな、コイツ……)

 

 

……インク瓶が聞き出す前に倒れられても困るか。

仕方ない、ちょっとは介抱でもしといてやるかと、仏心を出した私は黒キノコへと歩み寄り、

 

 

――あっ、開けちゃった。

 

 

「――――」

 

 

ぐりん。

また勝手に首が回った。

 

向いた先は、どんよりババァの居る窓際。

しかしいつの間にか、そこには誰も居なくなっていた。障害物が無くなって、ヒビだらけのガラスから差し込む夕陽がよく見える。

 

 

(……開けちゃった、とは)

 

 

何を?

そう首を傾げるけど、()()()()はガラス窓から動かない。ババァの居た場所を、じっと見つめている。

 

 

「…………」

 

 

窓の近くでインク瓶と剛拳おじさんが話している。

二人は外の景色について何やら意見を交わしているようで、見る場所や角度を変えつつ敷地外の森の方を指さしていた。

 

そうする内、インク瓶達がババァの居た窓の所に近付いてゆくけれど――なんだ、なにか、嫌な予感がしてならない。

 

 

「……はっ……はっ」

 

 

気付けば息が上がり、動悸が嫌な感じに跳ねている。

私は衝動に突き動かされるまま、フラフラと浮かされたような足取りでインク瓶達の方へと、

 

 

――きたよ。

 

 

ギチ。

右瞼の裏で、何かが身動ぐ。

 

直後、窓の外に肌色の何かが落ち――私が見つめていたその窓を、何の障害も無く引き開けた。

 

 

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