異女子   作:変わり身

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「怪談」の話(中⑩)

 

 

 

オカルトを視認できるようになってからの数か月間、奇妙な姿形をしたものについてはそこそこ多く視て来たと思う。

 

最初に遭遇した真っ赤なぐしゃぐしゃしたヤツを皮切りに、不気味でおぞましいヘンテコを多種多様。

他にも『親』関係で変な風になった人間の死体とかも結構見て来てしまっているし、異形だのグロだの、そういったものについては些かの耐性が付いてきている自覚はあった。心底イヤな事だけど。

 

 

――だが、そんな私でも、突如として視界に飛び込んだ『それ』の形貌を、すぐに受け止める事が出来なかった。

 

 

「しつれい しまぁす」

 

 

ぺたり。

どこにでも居るような若い男の声と共に、開け放たれた窓のサッシを『それ』が跨いだ。

 

 

(――……、て?)

 

 

そう、手。

巨大な右手が、そこにあった。

 

サイズとしては、大人の男の人と同じくらいだろうか。

中指以外の四つの指を床に突き、残った中指は頭部の如くピンと立つ。五指それぞれを五体に見立てた、前傾姿勢の獣のようなものを形作っていた。

 

窓の外に巨人が居たりする訳でも無く、本当に素手だけがひとつきり。

意味が分からず、ただただシュールで……もしかしたら、人によっては愛嬌すら感じるのかもしれない。

 

……だけど、それはシルエットだけを見ればの話だ。

ほんの数秒、その肌色に目を凝らすだけで、すぐにおぞましさがやって来る。

 

 

「しつれい しまぁぁぁす」

 

 

――その皮膚の裏側には、人間が丸々一人分詰め込まれていた。

 

親指と小指は脚の形で、人差し指と薬指は二の腕の形。

それぞれの指の長さに合わせ、肘や膝の関節を窮屈そうに曲げている。

 

中指の先は頭部の形が浮き出ていて、掌の付け根部分にかけて細長く窄まりながら伸びている。

掌も男の胴体の形になっており……目を落としていけば、とある部分の皮膚が変な風に盛り上がっているのが見えた。たぶん、その下に性器がある。

 

……手の部位それぞれが、そっくりそのまま人間の各部位に置き換わっている訳じゃない。

シルエットも皮の形も右手のそれの癖に、中身だけ違うものが入ってる。まるでバラバラにした人間の身体を、強引に手の形をした皮袋へと詰め込んだかのようだった。

 

 

「しつれい しまあああああああああああす」

 

 

ぺた、ぺたり。

呆気に取られている内に、その手は――これまで私が肌色のヤツだの肉塊だのと呼んでいた『それ』は、完全に室内へと降り立っていた。

 

そして間延びした声を張り上げながら、まるで睥睨するように中指の頭をゆっくりと振る。

その腹には顔の形のシワがあり、眼鼻は勿論、口の部分も皮で塞がれていた。なのにさっきから響き続ける男の声は酷く明瞭で、それが静かに怖気を煽る。

 

 

「――、……、………………」

 

 

誰も、何も、声を出せず、動けない。

 

そんな凍り付いた時の中で、『それ』は四つの指を曲げ――力を溜めるかのように深く身を沈み込ませた。

 

――来る。

瞬間的に悟った私は、咄嗟にインク瓶の姿を探して、

 

 

「――憤ンンンンンンンヌッ!!」

 

 

喝声。

 

『それ』が動き出す寸前、横合いから飛び出した何かがその体躯を吹き飛ばした。

いち早く我に返ったらしい剛拳おじさんが、『それ』に渾身のタックルを決めたのだ。

 

おじさんのガッチリ体型から来る衝撃はかなり大きかったようで、『それ』も堪らず体勢を大きく崩した。

しかし手足の指で床を掴むようにして踏ん張ると、すぐに身を引き起こし――そこに再びおじさんが飛び掛かり、腕力で無理矢理抑え込んだ。

 

 

「逃げろ諸君! この場に居ては危ない! どこか、鍵のかけられる場所へ――ぬぅッ!?」

 

「おちついて くださあああああい ぁあ ああああああい」

 

 

だが『それ』の膂力も相当なものらしく、徐々に剛拳おじさんを押し返してゆく。

おじさんもダメ押しとばかりに何度か頭突きや殴打を入れたものの、今度は怯む様子も無い。その背は見る見るうちに反って行き、あっという間に形勢逆転されてしまった――。

 

 

「ぐぬぅぅぅぅぅ……窓の鍵は、全て閉めたと思ったのだがなぁ……! く、おぉぉぉぉ……!!」

 

「はああああい しょちしますねえええええ しょちを しまああああああ――」

 

「――おらあぁぁぁぁッ!!」

 

 

――ので、続いて私も飛び掛かり、『それ』に跳び蹴りを叩き込んだ。

 

肌色の肉に私の足の先がめり込んで、間違っても人体が発しちゃいけない音が響く。

とはいえ相手は人っぽいけど人じゃない。今度こそ目算通りにクリーンヒットした勢いのまま、剛拳おじさんに圧し掛かっていた『それ』に全力を通し切る。

 

 

「お、ぉぢ、お゛――」

 

 

巨大な右手の掌部分が直角に折れ曲がり、床と平行にすっ飛び壁に激突。鈍い音を立て、ずるずると崩れ落ちた。

 

……が、やっつけられた訳でも無いようで、『それ』はすっくと四本の指で立ち上がり、鈍い動きながらも歩き出す。

その挙動もじわじわ元に戻っていて、思わず動揺してしまう。

 

 

「か、カンペキ入ってたじゃぁん……! 何なんだよアレ……!」

 

「また助けられたなお嬢さん! 凄まじい一撃であったが、しかし彼奴等め、ご覧の通り幾度殴ろうがまるで意に介さんのだ! おそらく痛みをはじめ感覚の類を持っておらん!」

 

「……ミンチになるまで殴れって?」

 

「恐ろしいなお嬢さん! 可能であるのなら一考したいが、しかし時間をかけていればやがて増援が来てしまう――故に霊侭坊除霊団、一時退却であるッ!!」

 

 

剛拳おじさんの号令に、周囲の人もやっと我に返ったようだった。

各々悲鳴を上げながら逃げ出し、我先にと扉へと殺到する。

 

私も急いでインク瓶に駆け寄ろうとしたが、その動きを察したのか、それより先に当人からの声が飛んだ。

 

 

「僕の事は良い! 何が起きたかよく分かっていないけど、逃げるんだろう!? なら僕よりスミト君についてやってくれ!」

 

「えっ、で、でも――」

 

「彼が現状について何かを知っているなら、おそらくいの一番に行動を起こしている! 知識があるというのはそういう事だ!」

 

 

その言葉に黒キノコの居た物陰を見れば、既にそこには誰も居なかった。

室内を見回してもその姿は無く、どうやら誰よりも早くこの場から逃げ出していたらしい。

 

 

「あ、アイツ、いつの間に……!?」

 

「やっぱり居ないんだね? 彼からはまだ何も聞き出せていない、完全に見失わないうちに行ってくれ! 早く!」

 

 

インク瓶は半ば怒鳴りつけるようにそう叫ぶけれど……でも、今のズタボロの彼を見捨てて行ける訳が無い。

けれど一方、色々知ってるっぽい黒キノコを逃すマズさが分かんない訳じゃ無かった。

 

どうしよう。視線がインク瓶と扉と『何か』とを激しく移ろい、足先が数瞬彷徨って――その僅かな間に、大柄な人影がインク瓶へと駆け寄った。

 

片足などの欠損で動けない人達を担いだ、剛拳おじさんだった。

 

 

「インク瓶君は私が請け負おう! 委細は分からんが、その方が良いと見た!」

 

「っ、ありがとうございます。という訳だから、君はスミト君を――」

 

「……ああもう! 分かったよ行くよ行きゃいんだろ!!」

 

 

既に数人担いでる状態なのに、インク瓶まで軽々と持ち上げた剛拳おじさんの姿に、ウロウロしていた足先が定まった。

 

 

「おち おちついぃぃぃぃ くださあああああああい」

 

 

回復しつつあるとはいえ、『何か』の挙動はまだまだ鈍い。

剛拳おじさんが何人担いでいたとしてもすぐに追いつかれる事は無いだろうし、たとえ危なくなったとしても、おじさんならば見捨てる事も無いだろう。これまでの自称・霊侭坊除霊団団長とやらの言動から、そこらへんは疑っていなかった。

 

それでも引っ張られる後ろ髪はあったものの、ひとまず無視して急ぎ扉へ向かって走り出す。

 

 

「くそっ! さっさと捕まえて、元に……!」

 

 

そのまま扉を蹴破る勢いで外に出てみれば、先に逃げた人達が三々五々に散っていくのが目に映る。

 

みんな気が動転し、集団行動の概念が頭から消えているんだろう。

この後の事を思うと舌打ちが出そうになるものの、かといって一人一人呼び止めている場合でもない。

 

申し訳ないが今は黒キノコ優先だ。私はバラバラに走って行く背中の中に、彼のものが無いかを探して廊下を走り――。

 

 

――そうして、インク瓶達から完全に意識を離してしまったのが、いけなかった。

 

 

「――?」

 

 

背後。クローザーで勝手に閉じた扉の中から、騒々しい物音が響いた。

誰かの悲鳴を伴うそれに、私は黒キノコを探す足を止め振り返る。

 

……剛拳おじさんは、まだ出て来ない。

 

「っ……」酷い胸騒ぎがした。

私はその衝動のまま踵を返し、さっき飛び出たばかりの扉を力任せに引き開けて、そして、

 

 

「――あ?」

 

 

――そこに広がっていたのは、三体に増えた『何か』の姿だった。

 

見れば私から見て左側の窓が幾つか新たに開け放たれていて、おそらくそこから侵入してきたのだろう。

増えた二体の『何か』はそれぞれ右足と左手の形をしていて、細かい造形は右手のヤツとそっくりだった。

 

そして――インク瓶や剛拳おじさん達が、それらに組み伏せられていた。

 

 

「――――」

 

 

……反射的に駆け出したけど、遅かった。

 

その時には既に『何か』はやたらと機敏な動きで窓へと戻り、ガラスを割らないように気を遣ったような動きで外に出ていた。

おまけにわざわざキッチリ窓を閉めて行って、それがまた不気味さを煽る。

 

いや、違う。今はそんなのどうでもいい。

我に返った私はすぐにインク瓶の下へと駆け寄り、その身を引き起こしてやり――目を見張る。

 

 

「え……?」

 

 

――インク瓶の右腕が、戻っていた。

さっきまで肩口から先が存在しなかったそこに、ちゃんとした右腕が一本垂れさがっていたのだ。

 

新しく生えた――と、一瞬思ったけれど、よく見れば肩口と腕とで肌の色が若干違い、接合部は溶接したようなケロイド状になっている。

 

 

(――別の人の、くっつけられた?)

 

 

導かれたその想像に呆然としていると、インク瓶が小さく呻き、ぼやけた視線を私に向けた。

 

 

「! 大丈夫か!? あんたこれ、何が……」

 

「う……君、なんでまだ――ッが!?」

 

 

しかし彼が口を開いた途端、言葉は苦痛の声に変わった。

 

右肩を強く抑えながら身体を捩じり、私の腕の中で激しく藻掻く。

見ると右腕の接合部周りの肌にねじれたようなシワが作られていて、何か悪さをしている事がハッキリ分かった。

 

 

「ぐぁ……ぎ、ぐぅぅぅぅぅッ……!!」

 

「ね、ねぇ、どうしたんだよ! ねぇって! く、くそ、このぉっ……!」 

 

 

慌てるままインク瓶の肩を抑えて右腕を引っ張ってみても、ぴったりくっついていて取れやしない。

むしろインク瓶の苦痛の声が激しくなってしまい、すぐに離した。

 

どうしたらいいんだ、こんなの――そう途方に暮れた時、すぐ近くで新たに二つの悲鳴が上がった。

 

 

「ぐぬ、ぅぉぉぉおっぉおおぉ……!」

 

「ああ、ぁぁぁあっ、ああぁぁあああああ……!!」

 

 

近くで倒れていた剛拳おじさんと、彼に担がれていた人達の一人だ。

どうやらインク瓶と同じような状態になっているらしく、剛拳おじさんは右耳を、もう一人は左足を抑えて苦しんでいて――。

 

 

「うっ……!」

 

 

剛拳おじさんの顔が、大きく歪んでいた。

 

やはりくっついていた新しい耳を中心として、深くねじれたシワが皮膚に刻まれ、瞼や唇を捲り上げている。

その異様としか言えない状態に混乱していると、おじさんが苦しみながらも私の方に視線を向けた。

 

 

「ぐぅ……す……すまない……! 右方から、襲撃、察知……出来ず……っ、インク、皆、をぉぉ……ッ!!」

 

「え、あ、おじさ、」

 

「逃げ……お嬢さん、だけでも……私は、私達は、ぁ、ぁあ、あぅ――ぅぅぅぅうぅぅおおぉぉぁぁぁあぁぁぁぁぁ――!!」

 

 

――ぼりゅ、ばきん。

酷く嫌な音が響き、剛拳おじさんの頭部が右耳の中へと吸い込まれていった。

 

自分でも意味が分からない。でも、そうと表現する外が無かった。

 

おじさんの顔が右耳の接合部分から完全に呑み込まれ、小さかった耳が歪に膨らむ。

それきりおじさんの悲鳴は途切れ、身体もぐったりと弛緩するけど、しかし右耳は止まらない。首から下も鈍い音と共に取り込んで、更に大きく大きく膨らんでゆく。

 

 

「……は、あ……?」

 

 

その内、おじさんの大きなガタイは全て右耳の内側に収まってしまった。

 

耳の内側部分が胴体。外側の曲線部分に腕と脚。そして耳朶の位置に頭部が来る。

右手の『何か』と同様、張り詰める皮の形から嫌でもそれが分かってしまう。

 

そんなあまりにも現実感の無い光景に思考が追い付かない中、耳朶の中の剛拳おじさんがぐりんと私の方を向き、肉のしなる大きな音が聞こえて、

 

 

「――うぐっ!?」

 

 

その時、強く胸を突き飛ばされた。

 

インク瓶だ。貧弱な彼らしく大した力では無かったけれど、呆けていた私を倒れ込ませるには十分で――次の瞬間、彼の身体が肌色の塊に弾き飛ばされた。

 

 

「が、はっ――!?」

 

 

飛び掛かって来た剛拳おじさんだったもの――右耳の形の『何か』の突進から、私を庇ってくれたのだ。

 

インク瓶はそのまま『何か』と共にゴロゴロと転がり、大窓に激突。幸い外に落ちはしなかったが、ガラスにヒビを作って苦しそうにせき込んだ。

 

 

「インク――」

 

「――ゴミ捨て場だッ!!」

 

 

――その大声が、助けに動こうとした私の身体を縫い留めた。

 

 

「っ……なん、」

 

「確証は無いが、病院のどこかにある筈だ……! いらないもの……不要な身体、パーツを棄てる役割の、場所がっ。スミト君に聞いて、そこへ……っ」

 

 

続けてそんな事を言われるけれど、全く意味が分からなかった。

しかしインク瓶は困惑する私に無理矢理笑みを浮かべ、苦痛を押し殺して言葉を重ねる。

 

 

「そう、そこで……合流、しよう。ぼ、僕の予想が正しければ、きっと、落ち、合える……から――」

 

「何言ってんだよ!? 訳分かんない……つーか、聞けって事はあんただって場所知んないんだろ!? 落ち合うも何も無いし、それに……!」

 

 

叫び返し、インク瓶の右肩を見た。

 

さっき見た時よりも皮膚が大きく歪んでいて、身体も不自然にねじくれている。

明らかに右腕の中へ身体が吸い込まれつつあり、このままでは剛拳おじさんのような、肌色の『何か』に変えられてしまう。

 

そうなったら、きっともう、二度と。

 

 

「――やだっ! いやあああああああああ!!」

 

「っ」

 

 

目前にまで迫っている最悪の未来に息を震わせていると、甲高い叫び声が上がった。

 

振り返れば、そこには左耳を失った女性が――先程剛拳おじさんに担がれていた内の一人が、左足の形をした『何か』に覆い被さられていた。

 

……左足。さっきおじさんと一緒に苦しんでいた人だろう。完全に『何か』へと変貌してしまったそれは、女性に新たな左耳をくっつけたようだった。

痛ましい絶叫が響き渡り、女性の身体はおじさんと同じく耳の接合部へと吸い込まれていく。

 

骨と肉が潰れ、肌色の中へと詰められる。

酷くおぞましいその光景を、私はただ見ている事しか出来ない。止める術が、無い。

 

 

「……分かる、だろ。これからここに、間違いなく変なのが増える。早く、行くんだ」

 

「で、でも……でもぉ……!」

 

「僕がこれまで、嘘を吐いた事、あるかい。確かに、か、確実に合流できるとは言えな、い、が――ぐ、ぁぁ、ぁ……!」

 

 

つっかえが外れたかのように、インク瓶の右胸までが一息に吸い込まれた。

肺が潰れたのか彼の口端から血の泡が弾け、その右眼からも血のようなものが流れ落ちる。真っ黒で粘性のある、どこか見慣れた細い筋。

 

 

「――無事、で……ッ!!」

 

 

……囁くような掠れ声を、最期に。

インク瓶の全身が、酷く、酷く聞き苦しい音を立てて、その右腕の中へ、と――。

 

 

 

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