異女子   作:変わり身

90 / 117
「怪談」の話(中⑪)

4

 

 

 

走る。

 

 

「はっ……は……ッ」

 

 

橙色に染まる廊下。

積もった塵と埃とを舞い上げながら、ひたすらに走る。

 

右眼が利かないせいで何度も壁に身体をぶつけては、足が縺れて床を転がる。けれどその度すぐに起き上がり、とにかく前へ。

物音で『何か』に見つかるかもしれないという警戒も頭に無かった。ただ――インク瓶の言葉だけが、頭の中を回っている。

 

 

――『無事、で……ッ!!』

 

 

「――……ッ!」

 

 

噛み締めた唇が破け、血の筋が顎を伝う。

 

疲労とは別の理由で息が激しく乱れ、膝から力が抜けかけるけど、ここで蹲ってる訳にはいかない。

一刻も早くあの黒キノコのヤツを見つけて、聞き出して、向かわなきゃいけないんだ。アイツが知ってるっていう場所――インク瓶の言ってた、要らない身体を棄てるゴミ捨て場へ。

 

そう……そうだ、そこで落ち合うんだ。合流するんだ、インク瓶と――。

 

 

「――う、ぅぅぅぅぅ……!」

 

 

何度も何度もそう自分に言い聞かせるけど、上手くいかない。

無駄だと、無理だと、否定ばかりが浮かんでくる。けれど今の私が縋れるものはそれしか無くて、必死に心を騙し続けた。

 

 

――インク瓶がどうなったのか、私は最後まで見届けていない。

『そう』なる前に駆け出して、そのままこうして走っていた。

 

 

……もしその光景を最後まで見届けてしまえば、その瞬間、きっと私はその場から動けなくなっていただろう。

ぽっきりと心が折れて、膝を突き、目の前に生まれた『何か』に情けなく縋って――そして右眼の中に新しい目ん玉をブチ込まれて、もう一体『何か』が生まれて全部おしまい。

 

あの一瞬、そんな未来がありありと浮かんで……だから私はインク瓶に背を向けた。

逃げたとか、見捨てたとか、そんな風に言い換えたっていい。だけどそうしなくちゃならなかった。

 

だって、言ったんだ。合流できるって、無事でいてと言ってくれたんだ。だから、だから――。

 

 

「――どこ行ったんだよ黒キノコぉ!! スミトぉぉぉぉッ!!」

 

 

大声で叫び、手近な壁を蹴っ飛ばす。

夕暮れ差し込む廊下に怒声が木霊し、ヒビだらけのガラスがびりびりと震えた。

 

 

「知らんうちに消えやがって!! 出て来い――とは言わないけどさぁ!! せめて何かやれ! 音! 声!! こっちだけが分かるヤツっ……!!」

 

 

本音を言えば、黒キノコには他に言いたい事がたくさんあった。

 

だが下手に責めるような事を言えば、アイツはきっと隠れたまま出て来なくなるだろう。これまで見て来た人を過剰に警戒する様子からして、まず間違いない。

なので、ともすれば吐き出しかけるイヤな言葉を我慢して、必要な呼びかけだけを口にする。

 

 

「こっちでバケモン引き付けとくから!! そんで絶対逃げて撒いて、それから向かうからさぁ!! だから何でも良いから反応――、っ!」

 

 

しかし、流石に騒ぎ過ぎたようだった。

 

ぺたぺたという『何か』の足音が前方の曲がり角から聞こえて来て、私は慌てて反対側へと引き返す。

一応ある程度は力尽くでの抵抗が出来ると分かったとはいえ、捕まったら終わりなのだ。好んで相対したくはなく、引き付けるにしてもせめて黒キノコからの反応があってからにしたかった。

 

私はまた防火扉でも無いかと視線を振りつつ、更に足を速めて、

 

 

――あ、みーつけた。

 

 

「――っ」

 

 

ぐん、と。

突然右側から頭が押されたような感覚がして、身体が傾いだ。

当然バランスを崩し転びかけ、反射的に壁に手を突き立ち止まる。

 

するとすぐ目の前に、ちょうどトイレの出入口があった。

背後の足音は近い。私は咄嗟に目についた多目的トイレに飛び込むと、しっかりと扉を閉め――ようとしたのだが、鍵がぶっ壊れていた。嘘だろ。

 

 

「や、やば――……、あ?」

 

 

慌てて別の場所に逃げようとしたものの、その時また勝手に首が回った。

 

そうして向けられた視線の先に、壊れた収納式ベッドが横倒しになっていた。

すぐ近くでは、元々それが設置されていたらしき部分の壁が崩れていて……その隙間の先に、妙なスペースが存在している事に気が付いた。

 

 

「何だ……?」

 

 

コンクリートで作られた筒状の空間が、ずっと上方向に伸びているのだ。

おまけに壁にはご丁寧に梯子状の凹凸があり、明らかに人が登っていける造りになっている。ダクトにしてはしっかりしすぎた、言うなればちょっとした隠し通路だった。

 

 

――あの男の人、ちょっと変な所に居るみたいだよ。

 

 

突然現れたその光景に戸惑っていると、『何か』の足音が扉のすぐ前でピタリと止まった。

 

まずい。私は即座に床を蹴り、その隠し通路に身をねじ込んだ。

壁の隙間は狭くはあったが、少し肩を縮めればどうにか先に抜けられた。そのまま梯子状の凹凸を頼りによじ登り――直後、コンコンとノックの音がトイレに響く。

 

 

「しつれい しまああああああす」

 

 

扉が開かれ、穏やかな女性の声をした『何か』が床のタイルを踏みまわる。

 

……もう少し上の方に移動しておくか迷ったものの、幸い『何か』は隠し通路の存在に気が付かなかったようだ。

ざっと見て回っただけですぐにトイレを後にして、足音が遠ざかる。じっと息を潜めていても戻ってくる様子は無く、詰めていた息をそっと吐き出した。

 

 

「……で、何だここ」

 

 

しっかりと手元の凹凸を握り直しつつ、改めて隠し通路の中を見る。

 

壁の隙間越しからは狭そうに見えたが、実際入ってみると意外と広めの空間だった。

本来は収納式ベッドごと壁をずらして入って来る形だったようで、そこから上方へと続く経路が一本きり。夕陽は届かず、照明の類も無い。ほとんど真っ暗闇である。

 

 

……怪しくねー?

――でも、この先だよ。

 

 

「……くそっ」

 

 

私は暫し逡巡し、やがて振り切るように上に進む。

どうしてか、こっちに行くべきのような気がしていた。

 

 

 

 

 

 

隠し通路を少し登れば、通路は真横に折れ曲がっていた。

どうやら基本的にフロアの天井裏あたりに作られているようで、そのまま平行に伸びてゆく。

 

そこでも変わらず空間的な余裕は多少あり、背を伸ばし切れるまでじゃないけど、中腰になれるくらいには広かった。

とはいえ真っ暗だから閉塞感は半端なく、不安と息苦しさとが胸を潰す。……時折、通路の外から誰かの悲鳴が聞こえて来るから、尚更。

 

 

(……剛拳おじさんのとこに居た人の声、とか)

 

 

ふとそんな事が頭をよぎるが、だとしても今はどうにも出来ない。

ごめん、とだけ口の中で呟いて、以降は考えない事にした。深く思えば、気がおかしくなりそうだった。

 

そうして黙々と通路を歩いていると、その内右方の壁についていた手が空を切った。

一瞬曲がり角に来たかとも思ったけど、まだ前方にも道は続いている。どうやら分かれ道に差し掛かったようだ。

 

 

(いや、これどっち――)

 

 

――に行ったらいいの、と迷う前に首が右の道を向いた。

ああ、こっちか。特に疑問にも思わず、そちらへと舵を切る。

 

 

「……あ、まただ」

 

 

だが少し行くと、また分かれ道。

 

今度も首の向いた方向に進むけど……暫くすると、すぐに新しい分かれ道に行き当たる。

その後も何度も何度も分岐点に出くわし続け、時には分かれ道どころか四辻になっている場所もあった。もしこの通路全体を地図にして眺められたら、きっと蜘蛛の巣みたいな大迷宮になっているに違いない。

 

 

(もしかして、これまでのどっかにも入口あったり……?)

 

 

こんなそこかしこに道があるのなら、出入口が一つきりって事は無いだろう。

 

今まで通って来た廊下や、通り過ぎて来た病室や給湯室。

ひょっとしたら、剛拳おじさんが拠点としていたあのスペースにだって、ひょっとしたらさっきの隠し扉みたいなものがあったのでは……。

 

当時は何も気付けなかったけれど……こう多くの分岐点を見ていると、そんな疑念がふつふつと。

 

 

(……もっと、もっと周り、よく観察してれば……)

 

 

……まぁ、ほんとに他に隠し扉があるかどうかは分かんないし、そもそもこんな隠し通路があるなんてこれっぽっちも頭に無かったんだ。

今更考えても詮無い事。それは分かってる。分かっては、いるのに。

 

「くそっ……」私は湧き上がって来る悔しさに歯噛みしながら、深く重たい息を吐き――。

 

 

『――! ――!! ――……!』

 

「っ……」

 

 

通路の先。暗闇の奥から声がした。

 

また叫び声かと思ったが、違う。

どこか近い場所で、男が二人言い合っているようだった。

 

通路の中をわんわんと反響し、何を言っているのかまでは分からなかったが、片方の声は聞き覚えのあるもので。

 

 

「――アイツだ……!」

 

 

――今まさに探し求めていた、黒キノコの声。

そう確信した瞬間、私はすぐさま声の聞こえる方向へと小走りで駆け出した。

 

 

 

 

 

『――ってんだよぉ! お前が――、――から!』

 

『知らな――オレだってこんな――……――!』

 

 

そうして暗闇の中を進むうち、言い争いも少しずつ明瞭になっていく。

 

どうやら片方の男が黒キノコを責め詰っているようで、埃臭い空気にピリピリとしたものが混じる。

時にはどたんばたんと争うような物音も聞こえ、だいぶ剣呑な状況になっている事が窺えた。

 

そんな騒いでたら、さっきの私みたいに『何か』に嗅ぎつけられるぞ――苛立ちながらそう焦り、同時に気付く。

 

 

(……このまま行って、外に出られんのか、私……?)

 

 

なんとなく勢いで進んでいるけど、よく考えればこの先に出口があるという保証は無かった。

下手をすれば、ただ彼らの真上を通り過ぎるだけになる可能性もある……というか、むしろそっちの可能性のが高くないか……?

 

 

――えー、大丈夫なんだけどなぁ。

 

 

(どうする、イザってなったら床とかブチ抜けっかな……、?)

 

 

走りがてら足裏で床部の強度を確認していると、ふと先の方に明かりが見えた。

 

暗闇を淡く照らす、白い光。

それは床に入った亀裂から差し込んでいるようで、黒キノコ達の喧騒もそこから流れ込んでいた。

 

 

「この下に――っうわ」

 

 

無造作に踏み込んだ足先が小さく沈み、ヒヤリとする。

 

亀裂が入っているだけあって、この辺りの足回りは相当脆くなっているらしい。

私は改めて慎重に足先を運びつつ、とりあえず下の黒キノコへと声を、

 

 

『――スミトォ! お前じゃねぇかよぉ、こ、このっ、この怪談作ったのぉ!!』

 

 

――突然、そんな大声が響き。

出しかけていた声がひゅっと引っ込んだ。

 

 

(…………なん、なんだって?)

 

 

一瞬、言葉の意味が理解出来なかった。

そのまま少しの間呆気に取られ……やがて息を潜め、床の隙間から下の様子を窺った。

 

 

(……なんだ、この部屋)

 

 

そこは少なくとも、病室では無いようだった。

 

四方を壁に囲まれていて、ドアも窓も無し。幾つかの机棚とパイプ椅子、そしてベッドが一床あるきりで、それらを壁掛け照明が頼りなく照らしている。

……何の部屋かは分からないが、少なくともドアも窓も無い以上は『何か』に襲われる事も無いだろう。それだけは分かった。

 

そしてそんな用途不明の謎小部屋の中で、二人の男が取っ組み合っていた。

 

一人は予想通りの黒キノコ。

もう一人は、金髪で右腕の無い若い男だ。

 

 

(な、何で、どうやってこんなとこに……つーか誰だアレ――あ)

 

 

はじめは誰か分からなかったが、すぐに思い出した。

素顔を見た事が無いからパッと分からなかったが、あれは確かひゅどろんチのリーダーっぽい赤マスク――YOTOとかいう金髪男だ。

 

彼は酷く激昂しながら黒キノコへと詰め寄り、唾を飛ばして叫び散らかしていた。

 

 

「――なんも知んねぇ訳ねぇだろぉ作者がァ! 何しやがったんだよお前ぇ!!!」

 

「だから知んねぇって……! 大体、それにするって決めたの兄貴じゃねぇかよ! 何でもかんでもオレのせいに……!!」

 

「うるせぇうるせぇうるせぇお前だお前全部お前ッ!!」

 

 

金髪男が黒キノコの胸ぐらを掴み、激しく揺さぶる。

 

とはいえ片腕一本だ。上手く力が入らないのかバランス的に不安定な様子で、あっさりと振り解かれてしまう。

しかし諦めず黒キノコに縋りつき、滝のような脂汗を流しつつ恨み言を吐き続けた。

 

 

「い、いてぇ……痛ぇんだよぉ……何もねぇのに、ずっと、からだ中、あちこち……!」

 

「……兄貴?」

 

「お前、何かしたんだろぉ……? 俺に、俺だけにそういうヤツ、作ったんだろぉ……!? なぁ……なぁッ、なぁってぇぇぇ!!!」

 

「は、はぁ? 何言って――うぐっ!」

 

 

その尋常じゃない様子に黒キノコも怪訝に首を傾げたが、直後に突き飛ばされて倒れ込む。

そして金髪男は手近にあった錆だらけのパイプ椅子を掴み――黒キノコのこめかみを思い切り打ち据えた。

 

殴打音は椅子の軽さを表すように、まるで重さを感じさせないものだったけど、相当良い所に入ってしまったようだった。

黒キノコは堪らずもんどりうって倒れ込み……しかし暴力はそこで終わらず、更にパイプ椅子が振り下ろされる。

 

 

「お前が! お前がッ! お前がぁ!! お前がぁぁぁッ!!!」

 

「ぐあっ!? ぅぐ、がっ、やめ、うッ――」

 

 

金髪男は振るう腕に振り回されながらも殴打を続け、何度も何度も悲鳴が上がる。

 

頭を中心的に狙ったそれに、黒キノコも碌な抵抗が出来ていない。

ただただ身体を丸めて頭を抱え、ひたすらに耐え続けるしかなく――。

 

 

「おらぁあああッ!!」

 

 

――見てらんない。

私は床の亀裂に全力で足を叩きつけ、諸共に小部屋の天井をブチ抜いた。

 

……正直、この二人がどうしてこの部屋に居て、どういう理由でこうなっているのか、まだ全く把握出来ていない。

いないがしかし、この見苦しい光景をただ黙って眺めているのも、いい加減にイヤすぎた。

 

 

「っ!? なん――」

 

 

ガラガラと崩れる瓦礫に紛れて室内に落ち、難なく着地。

そして驚いた金髪男が我に返るよりも早く肉薄し、その胸元を掴んで思いっきりぶん投げる。

 

「は、あぁぁぁぁッ!?」金髪男は情けない悲鳴と共に宙を舞い、壁に激突。

カエルが潰れたような声をあげ、頭から床に崩れ落ちた。

 

当たりどころが悪く気絶でもしたようで、それきり金髪男が動く様子は無く――私はすぐさま振り返り、息を殺してコソコソどこかへ逃げようとしていた黒キノコの頭の真横に、鋭い踵を突き立てた。

 

 

「――話せ、全部」

 

 

轟音を立てて床が砕け、蜘蛛の巣状にヒビ割れる。

彼の返答など、聞くまでもなかった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。