静けさが染み入る様な午前5時。
日中の喧騒はどこへやら、食堂からくすねてきた麦茶を適当なコップに入れて薄暗さが残る廊下を1人で歩く。
あっためて来たからか麦茶の優しさが疲れた体に染み渡り、香ばしくすっきりとした風味は心を落ち着かせるとともに未だ眠気の晴れきらない脳へかかる雲を打ち払ってくれる。
アースさんには悪いが、正味紅茶よりも麦茶の方が好ましい。
彼女と面で向かい合って言えはしないが、やっぱり好みというものは出るわけで。
いくらか松葉杖にも慣れて来て、移動も楽になった。
となれば次に待ち構えるのはリハビリとかであるが、正直なところ嫌だなあという気持ちが強い。
自分は英雄じゃあなくて、あくまでも一般の男。
そりゃあレオニダスやシャルルマーニュ、最近だとローラン達と普通の範疇にとどまった筋トレをする事こそあれ、そのラインを超えた先にあるトレーニングとは名ばかりの苦痛は嫌だ。
......というか、痛いのはヤダ。
普通に。
いくら戦士としてテスカトリポカに認められたとて、アーキタイプ:アースに矜持を持てと言われても。
そこに痛みがあれば、なんであれ二の足を踏んでしまう。
それで言えばシャルルマーニュ達との剣術指南もあんまり......
光栄な事とはわかっているが、どうにも。
しかしマスターとして特異点に向かうのならば何をどうやっても、どの様な形でも
心に伝わるものや身体に響くものとして。
それがきっと、英雄と人の違い。
この壁の向こうにはきっと、勇気と力があるんだろうが。
くい、とコップを傾け、ぬるくなって来た麦茶を一気に飲み干して一度壁際に腰を下ろした。
底に残った麦のカスを見下ろしてまるで自分の様だと卑下する様な思考を振り払い、食堂に戻って洗ってから戻そうと杖をつき始める。
悪夢を見始めてからマイナスでいけない。
精神の深層でマイナスになってしまってるのならば、せめて表層くらいはプラスにしなければ。
と、歩いていると向こう側から近づく人影...... 人影?
人影と言うにはでっかいそれに疑問符を浮かべたが、その横に見える相対的に小さそうな女性の姿で『ああ』と納得がいった。
「おや? そちらに見えるはマスター様。
日頃よりも早いご起床...... 怖い夢でも見ましたか?」
『ザァン?』
確かに怖い夢は見たが...... ああ、そう思うとここで阿国さんと会えたのはちょうど良かった。
機会があれば話を聞こうと思っていたのだ。
ポケットから端末を取り出して時間を確認すればそろそろ6時、エミヤや朝の早い日本のサーヴァント達が起きて食堂に集まり始める事を考えると、このまま食堂に向かって話すのは少しやめておきたい。
と言うわけで少し来た道を戻り、またそこに腰を下ろした。
「......ほうほう、どうやらマスター様も相当な人生を歩んでこられたと。」
阿国さんに自分の身の上を話して返ってきたその言葉に首を振り、『相当な人生』だと言う事を強く否定した。
少なくともその人生は自分にとって普通の出来事、その連続によって構成されたものであるし、それは故郷の街に住んでいた人たちも一緒だ。
その当たり前を相当なものと言われるのはなんだかこう、頭や心のどこかに詰まるものがある。
しかして阿国さんはその否定をさらに否定し、その人差し指と親指で反論を繰り出そうとするこちらの上下唇を閉じてしまう。
「たとえマスター様がそれを普通だと思うところで、阿国さんや他の方々はそれを歪んだ人生だと思うでしょう。
そう言う阿国さんもこう、自分で言うのはアレですが...... クッソつまらない里を抜けると一念発起! 斬ザブローと共に諸国漫遊、妖退治の流れ旅!
そして日の本に響き渡りますはエクセレントな阿国歌舞伎!!
──と、この様に。
阿国さん的には一つを除いて良き生であれ、他人から見れば波瀾万丈。
人の人生はその様なものなのです。
結局のところ他人の評などその程度、あるがまま行け、と言うヤツですね!」
......まあそうかもしれない。
自分の人生を1番よく知るのは自分だ、そこに他人の評価が入ってきたところで、何をどうしたって変えられるものじゃないんだから。
そう言う意味では彼女の言った『あるがまま行け』と言う言葉の通りだ。
それはそれとして彼女に聞きたいのは『神様のこと』だ。
「神さま...... と。」
少々話の題が漠然とし過ぎていたが、神は神でも日本の神様。
そこに
阿国さんはさっき書いた様に巫女でありながら諸国を渡っていたと言う事もあり、何かを知っているかと思ったのだが......
顎に手を当てて難しい顔を見せる彼女からは、自分の疑問を解消する何かが出てきそうに無かった。
「......そうでございますね。
かの八岐大蛇にも言える事でございますが、自ら現世に色濃く関わってかつ生贄を求めると慣ればそれはもう神としてではなく、
加えて私が生を終えた後も、マスター様が出会ったニフラ様のように信仰から生まれて来た神様もありますから、一概にいるいないでは語りきれませんね。」
そうなんですか、と頭を下げる。
別に何かあるわけでもなく、朝早くに起きたから聞こうと思った事。
特に気落ちする事もない。
「とはいえ、身の上話をする方は選んだ方がよろしいかと。
もし長可様が聞こうものなら、暴れてカルデアを飛び出し、マスター様の故郷へ向かっていくでしょうから。
まさにThis is 鬼武蔵、と言った感じで......」
『ザン!』
それはやめて欲しい。
阿国さんがそう言うならそうなんだろうな、と森くんの今までの行動を思い出しながら噛み締める様に頷いた。
さて、話していればいつのまにか朝飯の時間。
せっかくだし一緒に食べようと提案して了解をもらい、食堂に行ってみればこちらに手を振るシャルルマーニュと向かいに座っているアースさん。
「おっ、今日は阿国さんも一緒か!
どうだい? 一緒に朝ごはん!」
「これはこれは、シャルルマーニュ様にアーキタイプ様!
この阿国、もちろんご一緒させていただきますとも!」
「──閃きました!
次の公演はシャルルマーニュ物語を阿国風にリメイクしましょう! 名付けて、『阿国大王物語』!」
「おおっ良いねえ!
是非俺も出させてくれ! かっこよく決めるぜ!」
「歌舞伎...... 完成の折には私も見に行きましょう。
エスコートを、カルデアのマスター。」
もちろん。
楽しく朝飯をいただきながら、朝に書き忘れたユメ日記を膝の上に置いた紙に書いておく。
自分の人生、その正しい道が歪んでいるのならば、カルデアでの生活は歪んでいない真っ直ぐな物なのだろうか?
わかんない。
『ユメ日記
穴という穴に腕ぐらい大きいミミズが入って来た。
気持ち悪い。』
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