んあ、と口を開け、何か異常がないか確認するアスクレピオスの眼前に口腔を晒す。
自分はそこまでじゃないが世の中にはこうして口の中を見せる行為に恥ずかしさとか嫌な気持ちとかを持つ人がいるらしい。
この前立ち寄った刑部姫の部屋で見た本の中には、口の中を弄られて興奮してる人とかも。
すぐに取り上げられてしまったのでその後マンガの中で何があったかは分からないが、そう言う趣味を持っているだけでは別に忌避の対象になりはしない。
そうは言ったが刑部姫はダメの一点張りで部屋に入れてくれなくなってしまった。
......正直、あの部屋で下手なりに絵を描いている時間は落ち着けて良かったのだが。
まあ部屋主がダメと言ったならそれに従うのが流儀、大人しく諦める事にした。
第五特異点で負った負傷の痕や、そこから入り込んだ菌による感染症などが無いかを確認し終わり、彼にとっては退屈でもこちらにとっては少し嬉しいため息が吐き出される。
こう言う反応をした時は大体何も無かったか、もしくは何かがあっても軽いものだったりするので。
「......腹部の傷、及び右肩から手首にかけての裂傷は痕が残る。
だが早めの応急処置が効いたな、完治はしているし感染症にも罹ってはいない。
いつも通りの面白みがない症例だ。」
それは良かったと言いそうになるが押し留め、申し訳なさそうにありがとうございましたと礼をして医務室を出ようとしたところで呼び止められた。
何だろうと振り返る前に来ていた服のフードをひっくり返され、中に入っていたらしいフォウ君とニフラが鳴き声を上げながら床に落ちる。
びっくりして2匹の心配をするが、よく考えれば医務室に動物を連れて来るのって不味いのでは?
そんな予想はすぐに当たり、すぐさま室内から放り出されてしまった。
「動物を連れて来るな!」
うーん、ごもっとも。
どうにも悪い人ではないのは分かっているのだが、ロマニと比べて見ると少しプレッシャーが強い。
とは言えその処置は的確で信頼できる医師である事は確かなので、今後も利用することになりそうだが。
......見る頻度がさらに増えた悪夢のことを相談しようかとも思ったが、すぐに辞めたのは言うまでもない。
その事を彼に話して『つまらんな』とか言われたら多分怒ってしまうだろうし、そもそもカルデアに来てくれるサーヴァントは自分に召喚されてもいいと思ったからここにいるとシャルルマーニュは言ったが、彼らの好む自分の在り方は『弱くとも折れずに勇気を持って挑むマスター』の自分なわけで。
それを考えると弱さを見せるのは少し、怖い。
だからこうして自室に戻り、あったかい2匹の獣を抱えたままベッドに潜り込んではポロポロこの子達に弱音を落とすわけだが。
最初は疲れたとか筋トレ大変とかに始まり、雪崩の様に出るわ出るわ不満と苦しみ。
だんだんとフォウ君が嫌な顔をし始めたところで、軽いノックが3回続いたのが聞こえて来る。
客人かなと布団を蹴り飛ばし、ベッドから立ち上がって扉を開ければそこにはアースさんが。
すると手のひらに乗せていたニフラがウサギらしく元気に飛び上がってはアースさんの顔に突っ込むが、そこはサーヴァント。
容易く小さな背中をつまんで防ぎ、その肩へと彼女を乗せる。
『飛びつくのはやめなさいと言ったはずですが......』と言い、やれやれと聞こえてきそうな笑みを浮かべる彼女に対して懐かれているのか? とフォウ君を抱えながら聞いてみる。
「ええ、少し前からですが。
前回の特異点にも同行していましたし、貴方が砲弾に吹き飛ばされた際に1番心配していたのは彼女です。」
『スキー!』
それは良かった。
ニフラにとって自分の部屋以外にも居場所があると言うのは喜ぶべき事だし、近寄り難い雰囲気のあるアースさんにも友達ができた様で。
それはそれとして、何故彼女はこの部屋に?
茶の約束とかはしていない筈。
「相応の対価を払う覚悟をしておく様にと、そう言ったでしょう?
既にレイシフトの準備は済ませてあります。」
ああ、そう言えば特異点で言っていた。
『私に手を取らせたのです。
この特異点からの帰還後、相応の対価を払う覚悟をしておく様に』と。
覚悟をしておけと言われたのはそうだが、それ以上に急だなぁと思いながら彼女をエスコートする様前を歩く。
疑問に思いながら無意識でこう言う事ができる様になって来たのは成長だろうか?
ニフラから貰ったネックレスを手首に巻き付け、素材集めに行くのだろうかと気楽に考えながらレイシフト室への道を2人で歩く。
と言うわけで、長野。
の、夏。
『アッチー......』
我慢してねとニフラを撫でながら山道を進み、何でここにいるのかを思い返す。
それはレイシフトの目的地を聞いた時のこと。
「貴方の故郷へ向かいたいのですが。」
そう言われた時はそりゃあもう驚いた。
とはいえ姫に手を引かせてしまった身だ、断る理由もなければ渋る理由も無いと、こうしてレイシフトした場所の道から歩いて山を歩いている。
ここは都市部から少し離れた山で、春や冬は大して見るものがあるわけじゃあ無いが夏はホタル、秋は美しい紅葉の見れる絶景スポット。
だが知っている人がそもそも少ないので、ここにそれらの景色を見に来るのはもっぱら近場の町や村から来る人ぐらいである。
そしてこの山を抜けて見えてきたのが──
「ここが......」
小さな町。
この小さな町が自分の故郷だ。
まあ来たはいいが、別にこの場所へ何かを見にきたわけでは無い。
町並みは見れば見るほど普通のものだし、道端を歩くのは少し歳のいった初老の男性女性がほとんど。
祭りもない事はないが...... まあ、見るほどのものじゃない。
ではなぜ来たか?
単純明快、服を取りに来た。
道行く町の人に挨拶をしながら一年前まで住んでいた家の扉を持っていた鍵で開けると、既に家主...... というか昔の自分は出かけている様で誰もいない。
実家に帰る感覚で玄関から上がり、確かここにあった筈と呟きながらタンスの裏を探せばそこにはお母さんが残していた結構多めのお金が入っている財布が現れる。
どうせここに置いておいたところで誰にも使われる事なく奪われるのだ、たとえこの世界が現実に近しいとしても、これを盗っていったところで何も変わりはしないのだ。
タンスを閉めて廊下の方を覗き込めば、ぼうっと家を見上げて玄関に入ってこないアースさん。
なんか部屋の一点を見つめている時のニフラの様だな、と失笑し、手をこまねいて『どうぞ』と実家に招く。
やはりというか当然というか、外よりも中の方が涼しい。
ニフラに至っては家主の了解を取る前にその体をテーブルの上に投げ出し、冷たい木の心地よさに今にも眠ってしまいそうだ。
いや、今の自分はこの家の家主ではないのだが。
確か着替えは2階の寝室。
階段を上がる自分に『手伝いましょうか?』と珍しく提案した彼女を止め、座らせて氷水の入ったコップを差し出した。
サーヴァントがあの程度の道で疲れる事はないだろうが、今回において彼女は自分に招かれ長野に来た側。
客人として待っていてほしいと言うと、冷たいコップに口をつけて優しく微笑む。
「それならば待ちましょう。
母親の着ていた物で構いません、私の服をお願いしても?」
わかった、と頷き、ゆっくりと踏みしめる様に階段を登る。
この年のこの日はまだ、
ならば未だ処理されていない筈なので...... あった。
適当に2、3着の女物を廊下に置いて、自分は取り出したお父さんの服に袖を通す。
まあ礼装の機能自体はダヴィンチちゃんの発明で上に着る服ではなくインナーに移されているので、そう言う事を気にせず観光、とは行かないが。
よし、と着替えを終え、女物を手に持ったまま部屋の襖を閉めて階段を降りる。
閉じられた部屋の畳には布団が敷かれており、その上には黒く変色した血痕が生々しく刻まれていた。