町が賑わう夜の中、大通りから遠く離れた地にてとある一団が山道を行く。
白い着物に身を包んだ数十人の中には女性と男性がバランスよく入れられていて、その中心には物々しい絵柄の仮面を身に付けた小さな生贄の姿があった。
灯篭に照らされた道を一歩一歩、逃げる事は無理だと悟り大人しく歩いていた。
蛇は結局家に置いてきた。
もとより彼と結んだ約束は、こうやって生贄として連れられて行くまで僕の話し相手になる代わり、涼しい屋内を提供しようというもの。
その約束自体はしっかりと果たされたし、ここに連れてくる理由もなかった。
蛇自体は喋るだけで関係があるわけでもなかったし。
しかし、気味が悪いのはこの山道。
さっきからあるはずのない視線...... というか、全身を舐め回す様な悪意にさらされ、思わず顔を顰めてしまいそうになる。
はっきり言えば気分が悪い。
それだけで済めばいいが、何がタチ悪いって、この悪意は
『ふふはは、久しい。 久しぶりに香り立つ贄が来た。
前は食い出が無かった、今回はその目まで喰らおう。』
食い出が無かった前回って言うのは、おそらく僕の母親のことだ。
別にそこにイラつく事はない、母親の食い出があったとか言われたところで『だから何?』だし。
ただ自分の中で疑問になるのは、この声がどこかで聞いたことがあると言う事だ。
横にいるハゲとか、儀式の進行役である老婆とかじゃ決してない。
もっと別の。
......そこに答えが出る事はなく、誘導されるままに木造の建物へと入る。
「ここに座りなぁ、儀式を始めるからねぇ?」
「お気遣いに感謝を。」
ハゲの性欲に塗れた視線をスルーしながら畳の上に正座し、形式的な儀式の始まりを見る。
一つため息を落とし、いい方の耳で周りの人間が溢した言葉に耳を傾ける。
「男の子と聞いて心配していたけれど、案外に悪くなさそうね。
筋肉質じゃないから
「貴方はどこを食べるので?
私は
「やはり王道の腿、そして腹の肉でしょう。
私は冒険者ではありませんから、既に旨みを知っている部位に行きたいのですよ。」
「いいですな...... これまでは女だったから我慢していたけれど、男なら僧正の行為も長くは続かないはず。
春を過ぎた我々にも、二つの意味であの青年を食させてもらいたいものです。」
「ええ。 私、あのくらいの青年とも少年とも取れない子を組み伏せて乱暴するのが一番興奮するの。
おこぼれをいただけないかしら。」
......やめておけばよかった。
ここには僧正、まあ隣のハゲに負けず劣らず僕の肉と貞操が欲しい人が溢れている様だ。
そもそもこの時点でこんな話をしているあたり、彼らの脳内にあるのはミクダへの信仰なんてものじゃなく自分本位な欲。
つまり彼らは待てをされた犬の様にじっとしながら涎を垂らし、神に捧げるのではなく自分達のシュミ、もしくは性癖を発散させようしているだけなのだと。
つくづく反吐が出る。
もう少し『自分達は神に生け贄を捧げ、先の見えない未来に豊穣をもたらすためだけにこうしている』と言う気概でも見せてくれれば話は別なのだが。
これでは少しも許す理由がないじゃないか。
とはいえ、人一人にできる集団への抵抗なんてたかが知れていて、自分の命や社会的立場と引き換えに一人
だから人一人にできる最善にして最小の行動を取ろうと、平沢悠太は思うわけ。
......正直、他人のことを気にしなくていいのなら身の回りにある何でもを使って逃げ出していただろう。
僕が逃げ仰せて寿命まで生き抜けばその時点で平沢の血は途切れるし、そうなれば生贄の用意は簡単に行かなくなる。
だが、ここにいる者どもは人道に生きていない。
乱暴好きで人肉食者の役満、人の道を踏み外して何年生きてきたのかわからない物の怪ども。
すぐにでも適当な理由と脅しをつけて、その辺にいる家族の家系を第二の平沢として扱い始めるだろう。
そうなった場合に誰が被害を受けるとなれば──
『お姫様だー!』
アースさんと花火を見に行った日、無邪気な笑顔を見せていたあの子の様な子供だ。
僕は...... あの子を見捨てられるほど、人道に背いて生きてきたわけじゃない。
これは僕の今後を棒に振ってでもやるべき事であり、最悪死んだとしてもこれだけは成さなくては。
指導者を失った有象無象は崩れて行くのが世の常。
僕を笑うか? ゲーティア。
これが僕の、戦士としての覚悟だとその笑みに応えよう。
「僧正、では......」
長ったらしい儀式の下準備が終わり、いよいよ本題の一つ手前、僧正の性欲散らしの時間だ。
何か特別な準備どうたらをする事はない。 というか、そもそも下に布団すら敷かないので、する側はともかくされる側は膝を擦りむいたりと大変な作業だ。
「ウフフ、じゃあまずは咥えてもらおうかなぁ?
懐かしいねぇ、
さて、既に語ったことと思うが、僕は既に純潔とは言い難いカラダだ。
その行為を穢れていると言うなら、僕もその穢れの一端だろう。
そんな穢れの中に突っ込んだ目の前のハゲに怒りを覚えることは無い。
そこに大した理由もないが、ただ一つ言うのならば──
「後悔するなよ、ハゲ。」
「ハゲ? ────オ゛ぅッ?!!」
ここでそれに対する復讐は終わったからだ。
「......しょっぱ。 臭いし。」
差し出された蛇の様な一物を
吐き出したそれをハゲの口に突っ込んで頭を掴み無理やり咀嚼させ、指を突っ込んで飲み込ませた。
「どうかな、美味い?」
「オォォォウゥ、ヴェエェ......」
「
1発殴り、そのデカデカとした腹の上から周りを見渡す。
ここまで連れてきてあり得ない生贄の反抗は彼らの心を慌ただしくさせるのに容易く、逃げ惑う彼らの中で老婆だけがこちらを見ている。
しかしその目線は怯えている。 それならば一つ、それを増長させるために笑うことにした。
「......」
「ヒッ!」
「何もしない、かも。」
怯え切った老婆から視界を切り、完膚なきまでに叩きのめすためハゲを殴打する。
個人的な恨みがないかと言われれば無いわけじゃない。
でもここでやっておかなければいけないと思った。
ただそれだけだった。
右、左と何度も繰り返す中、ふと視界の端に黒い何かが映った。 それは、蛇。
『空腹だ。 何をしている?
......贄すら用意できないか、ならば力を与えよう。』
そう言った瞬間、驚異的な膂力で反撃が飛んでくる。
体重もあって組み伏せられれば逃れるのは困難、火花が出る様に動き続けている僧正の目はもう人間のものではない。
首を折る勢いで力が込められる手を振り解く事は出来ず、一転してピンチに陥った。
霞んでいく視界。
こういう時、流れてくるのは走馬灯ではなくやり残した事の羅列。
アニメ録画したままだとか、ニフラどうしようだとか。
意識が消えかけた時、ある光が見えた。 その光はだんだんと近づいてきて──
「?!」
壁を突き破り、その破片が直撃して僧正は吹っ飛ばされた。
何が起こったのかわからないままに息を整えていれば、突っ込んできた光、ライトを点けたジープからある男が現れ、ポケットから手を抜いてこちらに伸ばしてくる。
「──兄弟、災難だったか?」
「......うん。」
「おっと、まだ泣くな。
帰るまでが戦い、そうだろう?」
『此方もいるぞ。』
「あっ、蛇!」
「着替えたか?」
「うん、オッケー。」
山道に揺れる車の中、適当に見繕ってくれたのだろう服装に着替えてジュースを飲む。
......どうやら自分は怖かったらしい、終わってから手足の震えが止まらなくなってくる。
車の中に居たのは叔母さん、テスカ、ニフラに──
「......つまり、白蛇はミクダだったって事?」
『そうだな、騙しているつもりは決してなかった、のだが......』
『ちゃんと話せばよかったのにねー。』
ミクダ。
生贄として捧げられるはずだった神、ミクダ。
どうにも、最初は名前を出して近づこうとしたが夏の暑さにやられ、それどころじゃ無かった様だ。
結果自分の話を聞いて言い出せず、今に至ると。
......ため息こそ吐いたが、彼の行動にどうこういう気はない。
テスカトリポカをここまで連れてきてくれて、尚且つ叔母さんのわからない道を案内してくれたというのだから寧ろ感謝するべきだ。
「......正直喋るだけでわけわかんないけど、何で悠太を助けに行く様なアナタが生贄なんてものを許容してるわけ?
『生贄は良し、でも悠太は生贄にしたくない』なんてダブルスタンダードが過ぎるわ。」
叔母さんの言う事はもっともだ。
そもそも僕を助けられるなら母親も助けられたはずなんだ。
それが、何故今回介入してきたのか?
ミクダは人型から蛇へと変化し、僕の頭に乗って嫌な記憶を思い出す様に語り出した。
『......そも、此方は純粋に神を信じる人の信仰で生まれた『白』と、ただ誰を蹴落とし喰らっても生きていたい人の信仰で生まれた『黒』の二つがある。』
黒と白、その二つは複雑に絡み合って良き事にも悪き事にもその影響力を強めていった。
それはひとえに人という生物の増長を抑える為のデフレ、インフレに近いものだったという。
今では生贄となっているが、最初の頃は数少ない物を分け与えてくれた人間に感謝し、ギブアンドテイクとして豊穣を与えたのだと。
しかしここで黒蛇がその欲を滲み出させる。
『作物では足りない、人の肉をよこせ』と。
そして戦った。
白蛇は一人だったのに対し、黒蛇は人を扇動して優位に立った。
勝敗は火を見るよりも明らかであり、白蛇は傷を癒すために休息し、自身の思いである『黒蛇の打倒=既存の生贄体制の破壊』を目指す者が出てくるまでただ待っていたのだと。
『勝手な事だ、それは此方が最も分かっている。
叩いても何でもしてもらって構わない。 ただ...... ニフラと会っていた其方なら、此方を受け入れてくれるのではないかと希望を抱いてしまったのだ。』
「そんなの......」
「いいよ。」
おばさんの言葉を遮り、頭から彼を下ろして胸に抱いた。
「好き嫌いとかある? 無いならそれでいいけど。
ミクダが居なければ死んでただろうし、何やかやで結局心から謝ってくれたじゃない。
デコピンは帰ってからするさ。」
『......やはり、君は前向きだな。』
『私もー!』
腕の隙間にニフラも入り込み、温もりに包まれる。
これも、あの最悪な街で得られた一つのことだろうか?
そんなことを考えていれば、謎の轟音と共にジープがひっくり返った。
あまりに急な出来事に反応できず、すんでのところでテスカトリポカが庇ってくれたため大事には至らなかったが、それでも相当な痛みがある。
割れてしまった窓から這い出て振り返れば、そこに居たのはまるで大きな卵を飲み込んで膨らんだ、蛇の様な悪意の塊。
その腹には人と思しき顔が浮かび上がっており、その中にはさっきの老婆や僧正の姿もある。
『
あれが黒。
こちら側を白いミクダとするならば、あちらは欲に身を染めた黒きミクダ。
ニヤリと笑みを浮かべ、ジリジリと距離を詰めてくる。
『おお、捧げられるべき生贄よ。
『黙れ! もう平沢の子らを──
彼を、お前にやりはしない!』
そう言って勇敢にも突撃して行くが、小さな蛇の力では信仰を食事という形で取り込んだ黒蛇に敵うはずもなく、尻尾の一振りで弾き飛ばされてミクダは血を吐いた。
「ミクダ!」
『くあっ......! やはり単体では......』
後ろを振り向けば、ジープの中から引き出され、頭から血を流して気絶する叔母さんの姿。
テスカトリポカが見てくれているが、目の前の神が気まぐれを発動させればどうなるかわかったものじゃない。
体制を立て直したミクダを肩に乗せ、何か策がないか聞いてみれば、また少し言い淀んで一つだけある、と。
『──これは、君にとって苦しい策だ。
それでも聞くというのか?』
「......聞く、さ。
生贄という負の連鎖を、終わらせなきゃならない。」
神と人間の覚悟。
それは走り続けた僕の。
希望として輝いた光に向かう── 最後の戦いでもあった。