フランスの悪魔   作:林部

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第13話

「祖国を救うためジャンヌ・ダルクには死んでもらわなくてはならない」

 

あぁ、この男こそがまさに悪魔だ。

 

「選べ。テイラー。ここで私に君の覚悟を示すか。たかが1人の少女に同情して君の今までの人生全てを棒に振るか」

 

男の冷徹な目が私を捉える。奴の目に映った私は酷く怯えた顔をしていた。

三度目の黒騎士となった男。ジャック・ブラウン。

その男を知る我らフランスのスパイの中で彼に恐怖を抱かない者などいないだろう。

 

 

 

私がジャックという男を初めて見た時、大人ぶった子供のようだと思った。必死にこの戦争の事を調べたのだろうが所詮上辺だけの知識。華やかな表舞台の一部を切り取って知ったふりをする愚かな奴だった。この男は本当に自分がフランスのスパイとしてイングランドに送り込まれたのだと信じているのだろう。この男からイングランドの情報が流されていると知った時なんて哀れな男なのだろうと思った。

 

この男がイングランドに送り込まれたスパイなんて真っ赤な嘘だ。この経歴の怪しい男をフランスから追放するための嘘に過ぎない。シャルル王がこの男を殺さなかったのは単にイングランド軍の尻尾を掴むためだった。イングランド軍とフランス軍の上層部しか知らない、イングランドの長弓の名前。フランスの農民だった奴はその名前を知っていた。であれば奴はイングランド軍の関係者の可能性が高い。この男をイングランドへ送ればイングランドが反応するかもしれない。可能性は非常に低いがどうせフランスにいても処刑するだけの男だ。勿論フランスの情報なんて何も知らないのだからイングランドへ送ってもデメリットがひとつもない。

そうしてジャックという男は何も期待されずフランスから捨てられた。聞いた話ではスパイなら誰しも通る隠しルートでイングランド人となる事すら許されなかったという。おそらくシャルル王は彼を囮にすらできないと判断し早く処分したかったのだろう。

 

だから、誰しもが驚いた。彼が無事イングランド兵となれたことに。そして何より黒騎士が彼を迎え入れたことに驚いた。彼は黒騎士の養子となったことで異例の早さで出世し、ついにはイングランドの名将として数え上げられるまでとなった。一体誰が彼の活躍を予想できただろうか。

我々はただ彼の動向を監視していた。

見ていくうちに気づいた。彼はスパイには向いていなかった。能力自体は高いが性格がダメだった。元が田舎の農民のせいだろうか。すぐに絆されたのだ。イングランドに。

我々がこの悪魔共にどれだけの仕打ちを受けたか知っているくせに。それを忘れイングランドに絆された。最終的には黒騎士配下の領民のために何かできないか模索していたのだから、本当に。何度殺してやろうと思ったことか。

 

私の見立て通りある時奴は精神を病んだ。作戦が決まった後で突然兵士の異動を命じたり兵士を引き抜いたりした。そして言う事を聞かぬ奴は死ぬ等とほざきだした。本来のフランス人であった自分とイングランド人の自分。その2つのバランスを保てず奴は精神を病み黒魔術にでもハマったのだろう。あの時は本当に見ていられなかった。フランスのスパイは皆そう思っていただろう。それでも奴はイングランド上層部の情報を垂れ流してくれる上に黒騎士の養子であるから誰も彼に手は出せなかった。きっと奴はそのまま落ちぶれていくだろうと誰もが思っていた。

今にして思う。あの時殺しておけば良かった。

 

私が奴の異常性に気付いたのは奴が黒い甲冑を纏い自らを黒騎士と名乗るようになってからだ。

時期でいうと、ジャンヌ・ダルクがイングランドに捕まってすぐの頃だった。その日私は拘束されたフランス兵の監視役をしていた。そこに捉えられているのは戦場で身柄を確保されたフランスの将軍だ。その中にはジャンヌ・ダルクもいた。彼女はここで毎日尋問を受けていた。否、あれはもう拷問の類だった。暴力こそ受けていなかったが食べ物どころか飲水すら与えられていなかったのだ。イングランド軍は彼女に恨みを抱いている者が多い。その者達からの醜悪な嫌がらせだった。

ある日1人のイングランド兵が彼女の牢へ近づく姿が見えた。彼はそのまま彼女の牢の中へと入り手足を拘束されていた彼女の身体を撫で回していた。疲弊でぼんやりしていた彼女の顔が強張った。私はただ拳をグッと握り彼女がこれから犯されるのを見ていた。

これは、ここではよくある事だった。キリスト教徒を異端者だと弾圧するために処女検査前に処女を奪う。魔女は悪魔と交わり処女と失うとされることから処女ではないことは魔女である証明の1つとなってしまう。その為処女を奪うことの意味合いは大きい。最悪なことに性欲に塗れたイングランド兵は多かった。彼らは彼女のように異端者裁判にかけられる女がいると知ると意気揚々とここへやってきては女を犯す。

私はいつもそんな胸糞悪い光景をただただ見ていた。私はスパイだ。如何に彼らが非道な行いをしようとも彼らの行為が上層部に容認されている以上、下手に手出しはできない。そんなことをすれば私が疑われてしまう。スパイとしてそれはあってはならないことだった。

更に最悪なことに彼らは貴族だった。対する私はしがない一兵士だ。声をかけることすら許されない存在だった。

 

声を出すことも許されず身動きすらできず。ジャンヌ・ダルクは男に抑え付けられた。きっとこのまま彼女は処女を散らすのだろう。相手が1人だったことがせめてもの救いだ。ひどい時は複数人で1人の女性を犯すことだってあるんだ。大丈夫。彼女はまだ恵まれている。そう思いながら私はジャンヌ・ダルクと彼女の肌を舐める気色の悪いイングランドの騎士を見ていた。

激しい音が聞こえたのはその直後だった。

敵襲かと思うほど激しいその音は最初どこから聞こえたかすらわからないほどだった。が、ジャンヌ・ダルクを見ていた私の視界の中に黒い甲冑が飛び込んだから気付けた。

黒い甲冑の男…黒騎士は、男をジャンヌ・ダルクから剥がし殴った。一度ではない。何度もだ。鈍く重たい音が牢獄中に響き渡った。決して人からしてはいけない音が何度も何度も響き渡っていた。その場にいた全員が何が起こったのか理解できなかった。それくらい恐ろしい光景がそこにはあった。

襲われていた本人、ジャンヌ・ダルク自身が黒騎士にもうやめてと懇願するまでその光景は続いた。殴られ続けた男が内臓破裂で済み死ななかったのは奇跡といえよう。

 

「ぶ、ブラウン伯爵…何を、なされているのですか…」

 

駆けつけた貴族のイングランド兵は震えながら彼にそう尋ねる。この時点では殴られた男は死んだと思われていた。彼からすれば黒騎士が突然味方を殴り殺したのだからさぞ恐ろしかっただろう。

 

「……あぁ君。彼を休ませてやってくれ」

 

黒騎士は何事もなかったかのようにそう言った。中性的な顔を見られる事を嫌う彼はこの時も兜で顔を見せようとしなかった為どんな顔をしているかは分からなかった。

 

「どうやらそこの魔女に誘惑されたらしい。可哀想に。この魔女は男であれば誰でも誘惑するようだな。恐ろしい話だ。これでも必死に止めたんだが果たして魔女の誘惑が解けているのか」

「ゆ、誘惑…ですか。で、ですが、彼はこの女の処女を」

「どうした。一度の説明では理解できなかったか?」

「い、いえ!!すぐ、連れていきます!」

 

酷く冷たい声が響く。彼は震えながら気絶した男を引き摺り出した。

 

「……あぁ、それと」

 

びくり、と彼は固まった。

 

「食事は与えてやれ。如何に魔女といえど、まともな食事をしなければ死ぬ。審問が終わるより先に死なせるような事があってはいけない。公爵はこの魔女の異端審問をとても楽しみにしてらっしゃる。この意味が、分かるね?」

「はっ!承知致しました!」

 

彼は敬礼した。その目が恐怖でいっぱいだったことをよく覚えている。この事件をきっかけにジャンヌ・ダルクの環境は大いに改善された。飲水も食事も与えられるようになった。そして誰も彼女に近づこうとしなくなった。誰も伯爵なんて高貴な方を敵に回したくなんてないからだ。

私はこの時初めてジャックに感謝した。精神を病んでいた彼はそのおかげで誰にも到底真似できない気の狂った行動でジャンヌ・ダルクを守り抜いたのだから、純粋に感謝していた。

この時の彼が既に以前の彼とは違うと感じていながらも気付かないふりをしていた。

 

 

 

「君がテイラーか…ブラウン軍へようこそ」

 

事件の3ヶ月後、私はジャックの軍へ異動になった。なんでも彼が私を引き抜いたらしい。特出した才能などないよう努めていた私を引き抜くという怪しげな行動をこの男は臆せずやってのけたのだ。私は怒りに震えていた。

 

「ユリウス・テイラーといいます。誇り高き殿下の元へ仕えることができること身に余る光栄でございます!!」

 

敬礼し嫌味を込めて挨拶をする。が彼は貴族らしく私の嫌味など全く相手にしなかった。

 

「君は祖国のために全てを捧げられるか」

「もちろんでございます。私は兵士となった時からこの命を捧げると誓っております」

「命ではない。全てを捧げられるかと私は聞いた」

「…?は、はい。全てを捧げる覚悟であります」

 

彼は私の返事に満足げに頷いた。

 

「ちょうど忠実な部下が欲しかったところだ。あぁそうだ。挨拶回りに向かおう。もうすぐピエール司祭がお見えになる」

「ッ…!」

 

私は必死に動揺を隠した。ピエール司祭。ピエール・コーション。その男は有名だった。フランス人でありながらイングランドに癒着した裏切り者の男の名前。誰よりもジャンヌ・ダルクの死を願う男として有名だった。ジャンヌ・ダルクの幼馴染であるこの男が何故ピエールと会うのか。私はその目的がわからなかった。私はすぐ思考を放棄した。このジャックという男が理解不能な行動を起こすのは今に限った話ではないからだ。もうとっくにこの男は精神を病んでいる。理解など、できるはずもない。そう思っていた。

 

 

「ようこそ我が城へ。ピエール司祭。歓迎する」

「これはこれは。伯爵自ら出迎えてくださるとは」

 

ピエールは上機嫌に笑う。ジャックも優雅に微笑む。まるで本当にピエールを歓迎しているように見えた。

 

「それで、話とは」

 

ジャックはピエールを客室へ誘導するとすぐにそう言った。するとピエールが私を見た。退出しろということだろう。私は足音を立てずその場を離れようとした。

 

「気にしなくていい。彼は全て知っている身だ。どうか信頼していただきたい」

「あぁ関係者でしたか」

 

知っているとは何を?関係者とは何の?意味のわからない会話を前に私はさも全て知っているかのように微笑んだ。

 

「異端審問が始まったと聞いたが」

「えぇ…えぇ……」

 

誰の、とは流石に言われずともわかる。ジャンヌ・ダルクの裁判だ。

 

「おかしいのです…あの女、今日まで誰にも犯されていなかった…!今までどの異端者も処女検査でまずその罪を暴かれるはずなのに…!!何故、よりにもよってあの女だけ、誰も…!」

 

ピエールが嘆く。太った顔が余計よぼよぼになり見苦しかった。

 

「イングランド軍は一体何をしておられたのか…!これでは裁判記録に何も書けない…ッ」

「これは申し訳ない。我々もあの魔女は恐ろしくてね。軍内に変な噂が広まっていたようですし誰も手出ししようと思わなかったのだろう…そういえば処女検査を実施されたのはどなたで?」

「ベッドフォード公妃です…あのお方は何を思ったのか、ジャンヌ・ダルクへの暴力を全面的に禁止された」

 

ピエールは項垂れる。奴は俯いていたから見ていなかったが私にははっきりジャックの顔が見えた。その目元が僅かに緩むのを見ていた。瞬時に察した。ベッドフォード公妃をジャンヌ・ダルクの処女検査の監視役となるよう彼は裏で手を回したのだと。

 

「あの女…不気味、なのです。奴の食事分は処分しろと命じていたはずなのに…いつの間にか食事が出されていた……真っ先にイングランド軍が奪うはずの処女膜が存在していた…ッ!あまつさえ暴力まで禁止された…!!こんな、こんな事がありえますか!?何故全て私の命令が通らない!?何故、あの女の都合の良いように事が進む!?おかしい!おかしい!!おかしい!!!」

 

見苦しい叫びに私は耳が塞ぎたくてたまらなかった。ジャックは優雅にワインを飲みながらピエールの話を聞いていた。

 

「……ピエール司祭。まさかジャンヌ・ダルクを殺せないと言うつもりか?」

 

聞こえた言葉に耳を疑った。

 

「状況は理解した。しかしその程度のことで小娘1人有罪判決出すのにいつまでかかっている。何のために私が恥を忍んであの小娘の身代金の額を引き上げたと思っている」

 

冷ややかな声にピエールは硬直する。私も同様に身体が凍りついていた。ジャンヌ・ダルクの身代金の額が異常に高く設定されていることは軍人であれば誰もが知っている事だった。彼女に恨みを抱いている者は多い。フランス側が支払いに応じないよう、あえてとんでもない金額にしたに違いない。誰にもがそう思っていた。だが、その犯人がコイツだとは思わなかった。

この男の行動の意味が分からなかった。

ジャンヌ・ダルクの幼馴染。かつて恋愛感情すら抱いていたと聞くジャンヌ・ダルクの信者。その本質は変わっていないはずだ。だから彼女の貞操をあんな強引で野蛮な行為をしてでも守り抜いたのだと私は解釈していた。

だが今のこの男の発言は、なんだ。まるでジャンヌ・ダルクの死を望んでいるみたいではないか。

 

「これ以上、私に恥をかかせるつもりか」

「ど、どうか!どうかお力をお貸しください!!あの魔女を証明するための材料を…どうか!」

 

ピエールは震えあがりながら懇願する。

 

「断る。私は軍人だ。裁判に関しては素人も同前。貴方はプロだろう?今まで何人もの魔女を死に追いつめられたのだから今回も同じことをすればいい」

「…ッ魔女である事の証明が、出来ないのです……あの女の関係者全員に調査をしても矛盾点が何一つ出てこない…まるで皆口裏を合わせたかのように!あの女を無罪としてしまうような材料ばかりが集まってしまう」

「証言などいくらでもこちらの都合の良いように解釈できる。今までもそうしてきたのだろう?」

「で、ですが…それすらもできないような証言しか取れず……」

 

ピエールがひぃっと小さく悲鳴を上げた。ジャックの険しい顔つきに身の危険を感じたのだろう。いくら司祭といえど黒騎士を敵には回したくないのだ。

 

「……一度だけ、チャンスをやろう」

「!は、伯爵…!」

 

ピエールは感激のあまり泣いていた。実に醜く私は吐き気すら感じていた。

 

「ジャンヌ・ダルクは予言をしたと言われている。そして奴の予言は絶対に的中すると。どうして的中するか分かるか?」

「…も、申し訳ございません。私には全く」

「その通りだ。私も分からない。だが奴はこういった。神の声に従ったまでだと…ところで司祭。私は神の声など聞いたことがない。何故なら私は敬虔なキリスト教徒だからだ。我々信者は神の声を聞く事はできない。我々は神の恩寵を認識できないからだ」

「ッ…!」

 

ゾクリと背筋が凍った。キリスト教の教えでは、我々キリスト教徒は神の恩寵を認識することができないといわれている。もし認識できるものがいれば、それは異端者である証明になってしまう。今、この男はそれを使えと言った。ジャンヌ・ダルクは神の声が聞こえると言った。もし彼女が神の恩寵を認識できたかと問われイエスと答えた場合、異端者だと認めることになる。ノーと答えた場合、今まで彼女は神の声が聞こえると嘘をついていたことになる。イエスといってもノーといっても罪人となる。そんな恐ろしい尋問方法をこの男は今、よりにもよってピエール司祭に教えた。

私は今、ようやくこの男が本気でジャンヌ・ダルクを殺そうとしている事を察した。

 

「あ、ぁあ!ああ!!その手が!その手があったか!!感謝いたします。ブラウン伯爵!!イングランドの大英雄!この恩義忘れません」

「であれば速やかに審問を終えろ。私はもう次の舞台の準備を終えている」

「えぇ!えぇ!勿論ですとも!!」

 

あぁ、どうか。どうか神よ。この悪党共からフランスの希望の子 ジャンヌ・ダルクをお救いください。

私は奴の背後に立ちながら神に助けを求めていた。

 

 

 

「テイラー。馬を用意しろ」

 

それから数週間後の夜、黒い鎧を纏った奴は突然私にのみを呼び出した。

 

「い、今からですか。今夜は嵐になるかもしれません。明日にした方が」

「今すぐだ。奴らはもうすぐ近くまで来ていると報告を受けている」

「……承知、いたしました」

 

彼らとは誰だ。報告とは誰からだ。問いたい事は山ほどあったが奴の目は私に了承の意以外口を開く事を禁じていた。私は奴の忠実な部下を演じるため何も聞かず彼の命令に従った。

 

 

「この悪天候の中よくぞここまで来られた…否、悪天候だからこそ私の目を欺けるとでも思ったのだろう。全く私も馬鹿にされたものだ」

 

大雨の中、黒騎士は落とし穴にハマった1人のフランス騎士を見下す。

 

「何故だ…ここにはイングランド兵の見張りが解かれたと、連絡が…」

 

泥まみれの落とし穴にハマり身動きの取れなかったフランス騎士。その顔に見覚えがあった。そこにいたのはジャンヌ・ダルクを信じ彼女の剣となり元帥の称号を手に入れたフランス貴族

男爵 ジル・ド・レェだった。

 

「安心しろ。見張りはいない。いるのは私達だけだ。見張りがいては信者共がどこからやってくるか分からないからな。あえて貴方が来れる道を作ってやった」

「…ッ罠だったということか!」

 

一体いつ黒騎士は彼を捉える作戦を実行していたのか。私には全く分からなかった。

 

「目的はなんだ…黒騎士。私への逆恨みか。私が貴様を仕留めた事を恨んでいるのか」

「いったい何を…?あぁ、そういえば黒騎士は元帥に殺されていたな」

 

黒騎士は淡々と言う。私は恐怖した。この、なんでもかんでも絆される男が、ひと時であっても父親になった男の死を何とも思っていないように感じ恐怖した。ついこの間までのジャック・ブラウンとここにいるジャック・ブラウンは全くの別人なのではないかと本気で疑った。

 

「私の目的は貴方の目的を阻止する事だ」

「なにを…」

「金はどこだ?」

 

ジル・ド・レェがビクリと震える。

 

「誤算だったよ。まさかジャンヌ・ダルクの身代金をシャルル王ではなく彼女の信者が準備するとはね。ここへはジャンヌ・ダルク釈放のためその金を持ってきたのだろう」

「お、おい…まさか貴様」

「知り合いの貴族たちに頭を下げ。それでも足りなかったから国中を駆け巡り金を募ったと聞いた。涙ぐましい努力だな。賞賛に値する」

「ッわ、私の!私の命ならくれてやる!!私が知りうる限りのフランス国内の情報も、くれてやる…!!だからお願いだ!!この金だけは、奪わないでくれ!!!この金がないと、ジャンヌは…ッ!!」

「ほう。貴方の命とフランスの情報か。それはとても有難いな。だが、残念なことにジャンヌ・ダルクは助からない」

 

ジル・ド・レェの顔が絶望に染まっていく。

 

「何故…何故だ!?何故身代金を渡すことすら許さない!?何故、徹底的に彼女を追い詰めるんだ!!貴様が憎いのは貴様を殺したこの私のはずだろう!?!?」

「…元帥……ジル、貴方は勘違いしているようだ。私は貴方を恨んでなどいない」

 

黒騎士は少し沈黙した後、兜をとった。禍々しい兜からは到底想像もつかない中性的な顔が顕になった。

 

「……!?君、は…!……まさか」

「私を覚えてくれていたようで嬉しいよ、ジル。貴方とこうして会うのはオルレアンぶりだろうか」

 

ジル・ド・レェが大きく目を見開き固まる。その姿を見てジル・ド・レェは黒騎士のフランス時代を知っていた人間なのだと察した。

 

「馬鹿な…ッ君は、死んだ、はずだ……パテーの戦いで。君は死んだと!!ジャンヌが言っていた!!!何故君が生きている!?!?…ッ何故、イングランド軍にいる!?!?何故!何故…ッ何故君がジャンヌを殺そうとするんだ!?!?君の第一の目的はなんだ!?!?忘れたとは言わせないぞ!!!」

「今の私の第一の目的は、祖国を救済することだ」

 

黒騎士は静かに言う。ジル・ド・レェはかなり動揺していた。

 

「貴方も元帥となったのであれば、分かるでしょう。この世界は残酷だ。何かを得たいのであれば何かを犠牲にできなくてはならない。私は祖国を救うと決めた。ジャンヌ・ダルクはそのための犠牲になってもらう」

「嘘だ…ッ嘘だ!嘘だ!!!君が、君だけはそんな事を言わないっ!!例え立場が変わっても言えるはずがない!!何故なら君はジャンヌを!!!」

「確かに貴方の知る男であれば言わなかったかもしれない。元帥、貴方の知る男はきっともう死んだ。貴方の言う通りパテーの戦いで死んだのだろう。今ここにいる私は、黒騎士だ。あのひ弱で情けない男とは違い祖国を選べる男だ」

 

ジル・ド・レェの顔が恐怖で歪む。まるで亡霊を見たかのような怯えぶりだった。

 

「何故だ……どうして……」

「…私は貴方にここへ来てもらいたくなかったよ。何も知らず、金を運んでいる最中盗賊に襲われ金はルーアンまで届かなかったというシナリオだけ知る存在でいてほしかった。貴方を巻き込みたくなかった」

 

大雨が黒騎士の顔を濡らす。それは雨だとわかっているはずなのに、まるで彼自身が泣いているように見えた。

 

「分かってくれ元帥。祖国を救うためジャンヌ・ダルクには死んでもらわなくてはならない。これは仕方がない事なんだ」

 

人がここまで絶望する顔など見たくなかった。思わず目を背けてしまいたくなるほど彼の顔は悲惨だった。黒騎士はようやく私を見た。冷徹な黒騎士の目が私を捉えた。

 

「ユリウス・テイラー。この者はルーアンに侵入した罪人だ。今すぐ捉えろ。彼の身代金の額は君に任せる…あぁ奴の持っている金は私へ渡せ。処分は私が行う」

「や、やめてくれ…金だけは、金だけは奪わないでくれ……頼む」

「ッ……」

 

ジル・ド・レェが私に懇願する。必死の形相に私は迷った。

 

「テイラー。何故私が君をここへ連れてきたか分かるか?君が私に全てを捧げられると誓ったからだ」

 

私は。

 

「…伯爵……しかし、これ、は…」

「何をしている。雨のせいで私の声が届かなかったか?」

 

私は。

 

「やめてくれ…!!ジャンヌだけは…!助けてくれ……!」

 

私は。

 

「貴方のいう、祖国とは。どちらのことですか」

 

声が震えた。それでもこれだけは問わねばならないと思った。

今のこの男は、フランス人なのか。それとも________。

 

彼は震える私を見て笑った。

 

「君には、どちらに見える?」

「ッ…!」

 

恐怖で身体が硬直した。試されている。それくらい見破れと言われている。分からない。今の黒騎士がどちらの味方なのか。どちらを祖国とよんでいるのか。黒騎士は何を目的に動いているのか。

 

「言葉遊びはもう十分だろう。時間がない。早くしろ」

 

息をのむ。この選択を誤ってはいけない。私が黒騎士の命令に刃向かえば、ジャンヌ・ダルクは釈放されるかもしれない。けれど今ここで刃向かえば。

黒騎士は、何をする?私は、どうなる…?

 

「君は全てを捧げるのだろう?ならば、祖国のため私と共犯者になることなど、容易いはずだ」

 

私を誘惑するかのように黒騎士は囁く。

 

「それともここで私を、祖国を裏切るか?」

「それは…」

「覚えておくといい。私は、そこにハマっている騎士やジャンヌ・ダルクのような優しさは持ち合わせていない。裏切り者は決して許さない」

「ッ…ー!!」

「選べ。テイラー。ここで私に君の覚悟を示すか。たかが1人の少女に同情して君の今までの人生全てを棒に振るか」

 

私はこの時、ようやく思い知った。

ジャック・ブラウン。この男こそが悪魔なのだと。

私は自ら落とし穴に入り、足元を気をつけながらゆっくりジル・ド・レェへ近づいた。近づくたび、彼の表情に怯えの色が強くなる。

 

「やめろ…!!やめてくれ…!!!やめろぉおおおぉおおお!!!!!!」

 

大雨の中、男は叫ぶ。懇願する。私は男の懐から金の詰まった袋を剥ぎ取ると上にいる黒騎士へ投げた。男の断末魔といっていいほどの悲鳴が響く。私は震えながら必死に彼を拘束する。黒騎士は、兜を被り直しじっとこちらを見下ろした。もう彼の表情は分からなくなった。

 

 

「ブラウン閣下!この雨の中一体どちらへ!?」

「あぁ。少し雨に当たりたい気分だったんだが、ぼんやりしすぎたようでね。この通りびしょ濡れだ」

 

黒騎士と共に持ち場へ戻るなり同僚が彼に話しかける。びしょ濡れの彼を見て酷く驚いた顔をしていた彼は声を潜めて黒騎士に言う。

 

「ピエール司祭から伝言を授かっております」

「そうか。ようやくジャンヌ・ダルクの審問が終わったか」

「……それが…また、閣下のお力を借りたいと」

「………なんだと」

 

黒騎士は低い声で言う。同僚は恐怖で震え上がった。

 

「私は既に彼に助言したはずだ」

「は、はい。その通りです…し、しかし。それでも審問を終えるに相応しい回答が出なかったと……もう、自分では追い詰める事ができないので、閣下自らジャンヌ・ダルクを尋問していただきたいとの、ご要望が」

「……私自らだと」

「は、はい…ピエール司祭からそのように言伝を……」

 

ギリギリと彼が歯切りする音が響く。目が血走っている。本気で腹を立てているのだと誰が見ても明白だった。

 

「………ピエール司祭(あれ)を使おうと判断した私が、誤っていたと言うことか」

 

ぐしゃりと黒騎士は自らの髪をぐしゃぐしゃにする。私達は恐怖に怯えながら黒騎士の言葉を待った。

 

「……分かった。ピエール司祭には二度と審問の場に立ち会うなと伝えろ。私が何がなんでも奴を死刑にしてみせる」

 

 

黒騎士はその宣言通り、一週間後ジャンヌ・ダルクの審問を開始しすぐに死刑にするための証拠を司祭へ渡した。死刑になった理由は詐欺罪だ。ジャンヌ・ダルクは女であるくせに男装し男であると騙した。そんな、幼稚な内容が認められ彼女は死刑になった。なんて愚かな世界なのだろうかと思うが、それほどイングランドは早く彼女を死刑にしたくてたまらないのだろうと察した。

そして、あの黒騎士ですらこんな幼稚な言い訳しか思いつかないほど、ジャンヌ・ダルクが潔白で敬虔なキリスト教徒であることをイングランド軍は知ってしまった。

だがそれでも彼女は死刑となる。イングランドに死んでほしいと望まれているから死刑の中でも1番罪の重い火刑となる。

 

 

時はくる。1451年5月30日 ジャンヌ・ダルクは集まった多くのイングランド人に石を投げつけられながら処刑台へと上がった。私はその姿をジャック・ブラウンと共に見ていた。彼女の両手には木製の十字架が握られていた。きっと彼女に同情した信者が渡したのだろう。ジャンヌ・ダルクは縛り付けられ足元から燃やされていった。イングランド人は興奮の絶頂にいた。私はこの場から逃げたかった。こんな地獄が、この世に存在していいのかと神に問いたかった。隣に立つジャックは微動だにせずただ燃やされいくジャンヌ・ダルクを見つめていた。

やがて彼女の悲鳴が響き渡る。生きながらその身を焼かれるという苦痛は想像を絶するほどの苦痛だろう。彼女は苦痛に顔を歪ませながら必死にイエス様の名を呼び祈りを捧げていた。その姿は悲しいほど美しい敬虔なキリスト教徒であった。

やがて炎が彼女の胸あたりに達する。もう声を発することもできなくなった彼女は不意にこちらを見た。見る余裕など彼女にあるはずもないのに明らかに彼女はこちらを見た。隣に立っている彼もそう思ったのだろう。息を呑む音が聞こえた。

私には分かった。彼女は彼を見ていた。そしてその唇が僅かに動いた。彼は動揺していた。彼女はゆっくりと目を閉じる。それが合図かのように炎は一気に燃え上がり、彼女の全てを炎で覆い隠した。

炎が消され彼女の死亡確認された後、辺りは静まりかえっていた。これだけ多くの人がいるというのに不気味なほど静かだった。

 

「…なぁ、本当に。ジャンヌ・ダルクは嘘つきの魔女だったのか」

「魔女が、あんな。死の間際にイエス様に祈りを捧げるのか」

 

やがてイングランド人は口々に言う。

 

「我々は。もしかして」

「聖女を、火あぶりにしてしまったのではないか」

 

全員が真っ青な顔だった。私は横目でジャックを見る。彼はまだ硬直しているようだった。

 

「閣下…戻りましょう……伯爵?」

 

私はそこでようやく気づいた。彼は硬直したまま涙を流していた。私はその姿を見た途端、激しい怒りに襲われた。

お前が、ジャンヌ・ダルクを殺したくせに。こうなるように彼女を追い込んだくせに!どうして被害者面なんてできる!?お前さえいなければ!ジャンヌ・ダルクはこんな目に遭わなかった!!死ぬことなんてなかった!!!!

 

「ッ閣下!!ジャック・ブラウン閣下!!」

 

私は彼を睨みつけた。彼はびくりと震え私を見た。

 

「…戻りましょう。もう、ジャンヌ・ダルクは死にました。貴方の思惑通り」

「………」

「であればもうここにいる必要もないでしょう。さぁ、戻りましょう。祖国のために」

「…あぁ、そうだな」

 

彼は雑に涙を拭うと少し俯きながらも処刑台に背を向けた。横目で見た彼の目はもうギラギラと嫌な輝きを見せていて。私は彼が悪魔に戻ったことを察した。

 

 

しかし、このジャンヌ・ダルク処刑から三日後。

私とジャックがフランスのスパイであることが密告されたことをきっかけに事態は急変する事になる。




1451年5月30日 イングランドの手により19歳という若さでジャンヌ・ダルクは火刑に処される。
ジル・ド・レェはまだ身柄を解放されておらずルーアンの牢の中で彼女の悲鳴を聞いたとか聞かなかったとか。
そして黒騎士はまた蘇る。

次回、ジャンヌ視点
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