不老になった徐福と、最期まで騙された男の話。   作:鴉の子

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幻覚を詰め込んだ欲望の塊。


1節:黒絹の女

 あれは、生真面目な黒猫のような女だった。猫に真面目さなど、と思うかもしれないが、漆のような艶やかな髪と、闇の中で光る金眼が尚更にその矛盾した印象を強めていた。

 

 何より、その声を憶えている。人の事を心底馬鹿にしているのか、あるいは媚びているのか。腐った果実のような甘い声を。

 

 人は他人のことを声から忘れるというが、つまりは俺は彼女を忘れる事は死してすらもなかったのだろう。

 

 ────まぁ、馬鹿な男と、愚かな女の話だ。

 

 

 

 

 

 

 後漢とも呼ばれていた比較的安寧としていた時代……の終わり頃。世は荒れ果て、天命は尽き、戦乱が死毒のように国を蝕んでいく予兆を感じながら人々が生きる世だった。

 

 薄らと流れる滅びの予感を他人事のように受け止めながら、俺はここ徐州で豪族として過ごしていた。豪族つったって大したものでもない、役人もどきの地位とそれなりの金と、それなりの土地、まぁ立派な屋敷があるだけ。

 武勇も、智慧も、特筆することはないただの男だ。

 

 ただ、少しばかり運が良かった。生まれつきの考え無しと大金の使い道など思いつかぬ愚かさが偶然にも、親戚にやらせた幾らかの商売を上手く行かせた。

 

 人に恵まれたのか、運に恵まれたのか、あるいはその両方か。そのおかげか、役人の仕事もそこそこに、書を読み、酒を飲み、日がな一日、街角から聞こえる旅の芸人の琴の音を聞いて過ごすことができた。

 

 日々、掌にマメを作りながら鍬を振る農民や、金勘定をしては頭を捻る商売人達を考えれば幸福極まりない生活だ。とはいえ、洛陽の役人連中と比べれば慎ましいとも言えなくはないが。

 

 幸いにも、遊びの少ない男だと思われていた。当時の役人は真面目一辺倒か、賄賂ばかりを要求するロクでなしかのどちらかだっただろう。少々やる気がないが、金遣いもそこそこに大人しい商家の主とでも思われていたのだろう。一応役人まがいの仕事もしていたのだが、まぁ誰もそんな事を気にも留めなかった、何せ言われた通りに書類を通し、あとはもっと偉い奴に投げるだけだった。

 

 ────そんな日々を過ごして暫く。

 

 遠い場所で、黄巾被った連中が暴れていただかで家の周囲に人も増えた。人が増えればそれなりに儲けも増える。気をよくした親戚に酒宴に招かれるのも当然といえば当然のことだった。

 

 しんしんと雪の降る日だった、外に出るのは億劫だったが人付き合いが嫌いなわけでもない、酒場に連れられ、酒を飲み、出された料理を食べる。

 

 そして人並みに酔い、人並みに笑い……恙無く宴会は終わる筈だった。

 

 ふと、窓辺を見る。見知らぬ女がいた。

 

 少なくとも一通りに挨拶はしたはずなのだが、その女の存在に今の今まで気づくことはできなかった。人混みに紛れる薄い靄の様な気配、限りなく黒に近い、濃い藍染の薄い漢服。身体に張り付くように、扇情的に作られているようなそれを身に纏いながら、女は決して目立たなかった。

 容姿が凡庸なわけではない、寧ろ極めて美しい部類に入るだろう。だが、瞳は金色に輝きながらも、錆びた鋳鉄のように澱みを帯びる。

 

 そして、それが酷く目を引いた。

 

 誰だ、と周りに聞けば、最近逗留している方士であるとか。

 

 方士、方士と来た。怪しげな術を使い、現世利益を謳う。個人的には口煩い儒者よりは好ましいが、世の人としては大仰にありがたがるか、遠巻きにする程度には疎ましいかだろう。

 

 珍しく、名を覚えたくなる人間に会えた気がした。親戚の酌をすり抜けて、女に近づいていく。予感があった、何か自身にとって致命的なものを持っているだろうというものが。

 

「やぁ、そこの人。随分とつまらなさそうだな」

 

 隣に座り、声をかける。女は他の誰とも混ざらずに黙々と酒を飲み続けていた。

 

「……はい? ああ、ここの主人でしょうか?」

 

 静かな声、だが聞き覚えのない色を含んでいた。枉惑(おうわく)や欺瞞の薄い場所からはしない匂い。花園の中で咲く毒花の色だった。

 

「主人ってほどじゃない、血筋と、金を動かす権利があるだけだ。■■でいい」

 

「はぁ、■■様と。謙遜なさらずとも、随分と評判よろしいですよ。ええ、本当」

 

 紅の乗る(まなじり)が猫の笑みのように歪む。媚びるような、あるいは小馬鹿にしたような、混然とした甘い声が耳に響く。ふと見れば、細長い指がこちらの袖を引いていた。

 

「つまらなそう、ではなくてつまらないので。商売の手伝いで誘われたのですが、どうにも……」

 

 女は、杯に残る酒を飲み干す。袖を引いていた手がいつの間にかこちらの手に重なっていた。

 

「どうです? あなたも退屈そうですし、この場を抜けて、一杯」

 

 甘える猫のような声が響く、重ねられた手から少し暖かい体温が伝わる。いつの間にか、女の顔が目の前にあった。香と薬草の匂い、女の匂い。鈍い金色の瞳がこちらを覗き込む。夜道で黒猫に覗き込まれた時のような不気味な愛嬌を帯びていた。

 

「なんだ、詐欺か。別に金なら欲しけりゃやるぞ。どうせ使い道もない」

 

 なるほど、厄介な生き物である。そんな生き物が、こんな凡庸な人間に近寄るというのは大抵騙す時と相場が決まっている。

 

 だが、予想と反してぴしり、という音が虚空から聞こえる気がした。女の貼り付けた笑顔が固まった。

 

「……ごほん、失礼な。これでもれっきとした、きちんと道術を修めた道士ですよ。詐欺を働くよりもっと簡単に稼げますとも」

 

 それは確かに、少しばかり浮いた金を持っているだけの小金持ちを騙して吸い上げるよりはもっと派手な稼ぎ方はできるだろう。もっと上の権力者に取り入ったり。とはいえ、何の企みもなしにいきなり距離を詰めてくる人間はいない。

 

「……まぁいいか、うちの屋敷にでも来るか? どうせ部屋は余ってる。泊まりたきゃ貸すし、飲み直すなら誰かにつまみも作らせる」

 

 呆れて、重ねられた手を取る。騙りの気配は未だ消えていないが、構わない、と思った。

 

「あんた、名前は?」

 

「……徐福、と申します」

 

「なんだ、方士で徐福と来たか。本当に詐欺師じゃないか」

 

 騙りの代名詞、かの始皇帝を欺いて財と人を持って東に逃れたその人だ。そんな名前を名乗り、詐欺師じゃないとは。

 

「……あの件はまぁ若干申し訳なさがないでは……ごほん、いえいえ、こう名乗ると逆に皆さん信用してくれますのでぇ?」

 

「だろうな、ま、いいよ別に」

 

「あら」

 

「まぁ、出来れば命までは取らないでくれよ、それだけは困る」

 

「凶悪犯だと思われてます?」

 

「……まぁ、毒を盛られる可能性はあるだろ?」

 

 冗談混じりの言葉を投げかけて、手を引いた。立ち上がる姿は思ったよりも随分と背が高い。華奢な姿と相俟って、手折れそうな花を想起した。

 

「盛りませんよぉ? ……まぁ、多分?」

 

「多分かよ」

 

 気づかれない様に外に出る、いつの間にか雪が降っていた。空から降る白いそれが、喧騒を遮って、足音と隣の女の息遣いだけが聞こえる。刺す様な寒さが、手の中の体温を殊更に感じさせた。

 

「あ、ちなみに抱くならこれくらい頂きますからね」

 

「金貰っても嫌だね」

 

「でしょうね、冗談です」

 

 にへら、と徐福を名乗る女は笑う。嘲る様な、擦り寄るような笑みだ。それを見て、呆れたような気持ちになった。初対面の人間には思わないような、仕方ないな、というそれに首を傾げながら。

 

「……ちなみに、好きな酒は」

 

「老酒!」

 

「……この辺だと高いんだぞ」

 

「でも出してくれますでしょう?」

 

「…………甕が二つある、出すよ」

 

「どうもぉ」

 

 

 

 

 

 

 

 ────まぁ、これが出会いだ。

 

 まぁ、この云十年したら騙されて死ぬんだけど。でも楽しかったからいいのいいの。

 

 ……好きだったかって? どうだろう、少なくとも、俺はそうだったのかもな。あっちは……まぁ、多分そうじゃないだろうけど。

 昔のことだからあんまり覚えてないな、その辺は。でも、綺麗だったよ、それは本当に。




愛ではないでしょう、おそらくは。
友情でもないでしょう、確実に。

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