という訳で遅れました、Lies of P面白かったよ(小声)
いつのまにか、風が冷たくなっていた。冀州の秋冬は寒い、というより乾いている故か風が痛い。
とはいえ、まだそこまででもない、手仕事をする必要からか手が赤くなりがちな女が俺の袖に腕を突っ込んでいることを除けば特に問題はなかった。
「そんなに寒いか」
「別に」
「何故俺の袖に手を入れる」
「薬湯を濾した布洗ってたから手が冷たいんだよー」
「やらせればいいだろう」
「みんなに仕事割り振ってるの私だけど」
「……そんな忙しいのか」
「帳簿しか見てない奴はこれだから〜なんてね、そんなに忙しくないかな。ただ今日は、出掛けたいからさ」
冷えた指がむにむにとこちらの手のひらを握る。
「あんたもだからね。やることあったら終わらせといてよ」
「……出納帳は一通り整理を、今日来る役人に袖の下と酒を飲ませて帰らせるように指示はした」
「よぉし、じゃあ籠とこの前作ったお菓子持って後でね」
そう言って、笑顔で駆け出していく。以前よりずっと、陰のない笑みが増えた。
「……」
ただ、夜になると閨の中で、泣くことが増えた。いや、泣くような女ではなかったが、その瞳の金色が濡れて揺れているような気もした。勘違いだと飲み込んでいるが、最近はそれも難しい。
「……茶の用意でもするか」
そろそろ夜は冷える。沸かした茶の用意をして……遠出するなら持ち出せないのと気がつく。仕方なしに水筒に入れる。そこまで遠くまで行かないなら大丈夫だろう。
「お、偉い。鉄観音だ」
「好きだろう」
「うん、好きだよ」
「そうか」
それだけ言って、この前に作った菓子を持って歩き出す。街を外れて、少し郊外へ。寺の多い場所で、そういう場所は花が多い。極楽を思って、その場所へ少しでも近づこうとするのが彼らの常だった。
多種多様な花の香り、秋が近づけば様々なものが咲く。
彼女に連れられて歩き続ける。風は冷たい。空はどこまでも突き抜けるような青い空だった。
「なぁ、どこに……」
「あとちょっとだから」
そう笑って、彼女は俺の手を引く。指が少し冷たかった。
しばらく道を歩いて、木々が減っていく。坂道を登り、丘に上がって下を見下ろした。
「はい、これ」
一面に、白菊が咲いていた。近くには金木犀が咲いていた、甘い香りが何処までも漂っている。
それを見て、彼女は笑っていた。
夜空のような濡羽色の髪が、風に揺れている。笑む瞳の金色は、茜の空に見える月の様な赤みがかった色をしていた。
「ね、綺麗でしょ」
「……綺麗だな」
「だろー? この前見つけたんだ」
周りには誰もいなかった。徐福は抱えていた大きな布を地面に広げて座り込む。
「ここで、一緒にお茶がしたくて」
つられて座り込んで、持ってきた杯に茶を注ぐ、少し冷めていたがまだ暖かい。持ってきた月餅を齧って、彼女は花を眺めていた。
「金木犀を、よく摘んで来るんだ。ずっと旅をしていたけど、色んなところにあったからね。なかったら、買ったり」
「そうか」
「葡萄酒に漬けたりね、美味しいんだよ。……うん、それに、昔から香りだけは変わらないから」
笑みに、翳りが混ざった気がした。
「長いこと過ごしてると、ずーっと不安になる時もあるんだよ。でも、花の香りだけはずっと変わらないから」
「……そうか」
「うん、思い出も、思い出せなくなったり。私が死なせた人のことも、本当はもうあんまり覚えてないんだ」
喋りながら、構わずぱくぱくと月餅を食べていた。あまりにもいつも通りに、明るい声だった。
「でもね、この匂いがすると気持ちだけは思い出すから」
「必要か?」
「……必要だよぉ。そんな薄情に見えるー?」
「尚更だろ」
苦い記憶は思い出せなくなるくらいがいい。それが出来るのが人間で、そうでもしなければ生きてはいけないのが人間なのだから。人の悲しみは降り積もる雪の様だが、それは時間で溶けるからこそなのだから。
「そうかなぁ」
彼女はそれだけ言って、俺たちは二人して黙り込んでしまった。
突然、風が吹いた。菊は風に巻かれて揺れるだけで、桜の様には花は散らなかった。それを見て、何故ここを彼女が気に入ったのかがわかった様な気がした。
「散らない花か、気にいるわけだ」
「ん」
俺も持ってきた菓子を齧る、甘い。甘さをお茶で流して、隣に座る女と肩を寄せ合った。
「花の様に、ただ積もるだけの悲しみはいつ消えるんだ」
「……消えないんじゃないですか? 多分ね。何もかもが終わった時には、わかるかな」
「いつ終わるんだよ?」
「さぁ? わかんないけど。付き合ってくれるなら見れるかもですね」
カラカラと笑う女が、いつの間にか俺の手を取っていた。道を歩いていた時よりもずっと暖かい手のひらだった。だけど、少しだけ震えている様な気もした。
多分、気のせいだろう、そんなに弱い女ではなかったはずだから。
「なぁ、最初に会った時から一度も会ってないんだろう?」
「ええ」
「じゃあ、やめてもいいんじゃないか」
「……え?」
「そこまでやってて、会いにも来ないやつに……いや、いい。聞かなかったことにしてくれ」
彼女がぎゅっと、手を握る。彼女の左手の中指に嵌められた指輪が、俺の手に食い込んだ。
「……やめてよ」
「……すまん」
泣きそうな声だった。何かを堪える様な、滲む諦めと情を噛み潰すような、そんな顔をさせたい訳ではなかったのに。
空は、俺たちを省みず、何処までも青が広がっていた。太陽は暖かな光を落とし、冷たい風を和らげている。
鉛の様に重く、二人の間には何かがのしかかっていた。
息を吐いて、俺の右手を握りしめらていた彼女の左手の指を触った。
「これ、その人に貰ったのか」
「……うん」
「そうか」
綺麗な指輪だった。多分、長い年月を経っているのだろうけれど、くすみも無く綺麗に手入れされていた。それが、彼女の想いの塊の様に綺麗で。
そして、美しい呪いの様に見えた。
「大事にしてるんだな」
「ええ、もちろん。私の……大事なものです」
「そうか」
────この指を切り落としてしまえたら、少しばかりはこの女の背負っているものは軽くなるのだろうか?
少しだけ、そんな考えが脳裏をよぎった。
「ダメです」
女は笑った。彼女の右手が俺の頰を撫でた。
「これは、私のもの。だから、お前がそんな顔しなくていいんです」
「嫌だ」
「え」
「俺は嫌だ、お前がそんな顔するのは見たくない」
「えー」
「えーってなんだよ」
「そこは納得するところじゃない?」
「そんなこと言われても嫌なものは嫌だ」
「子供か!」
触れていた手が俺の頰を抓る。割と本気でやっているらしく、結構痛い。いや、爪が食い込むのでかなり痛い。
「いでででででいだ」
「ふんだ、カッコつけるなばーか」
なんだとこいつ、と思いつつも確かに少しばかり配慮が足りなかったのかもしれないと思った。誰であっても踏み入られるのは憚られる大事なものというのは、あるだろう。
「……すまん」
「そんなに落ち込まなくても」
「いや、配慮に欠ける思考だった」
「いーんですよ、どうせ私もおんなじこと考えるし」
そう言って、彼女は笑う。そして、左手の指輪を、すぽんと外してしまった。
「……?」
「あげる」
「いや、大事なものなんだろ?」
「だからあげる、代わりに」
「代わりに?」
「アンタのそれ頂戴」
いつもつけている、俺の翡翠と金の指輪を指差した。俺の家族がお守りだと残したものだった。特別高価なものを持たない家にある唯一の宝物だったのだろう。
「交換、これなら割に合うでしょ」
「……わかった?」
俺の指に彼女は指輪を嵌める、中指にしていたそれは俺の薬指にちょうど合うものだった。
「お前のは……小指につけてたのにちょっと太いなー? 薬指でいっか」
お互い、左手の薬指に指輪を嵌めていた。
「あ、お揃い」
「……いいのか? これ?」
「うん、お前が持ってるなら別に一緒でしょ」
「そういうものか?」
「そういうものです」
なんと無く腑に落ちない話に転がってしまった。
だがまぁ……悪くない気分だった。
「指落とすなんて思うなよー」
「そしたら今度は俺の指が落ちるな」
「ならいいや、私だけは損だもんね」
お前は多分自分の指くらい治せるんじゃないか? と今更思ったが、まぁ細かい話だ。
「……お菓子まだ残ってる?」
「後一個、半分にするか」
「ん」
菓子を食べ、茶を啜る。空はあいもかわらず曇りなく、ただ眩しい。
「花、摘んでいこう」
「おう」
金木犀の花を最初に、飴に漬けたり、酒に漬けたりすれば美味しいらしい。長く旅をしていると色々と知るものだなと思う。
────ああそれと。
数本の白菊を摘んで、頭に飾って戯れる女の姿を、多分俺は一生忘れないだろうと思った。
──────え、あれ今だとそういう意味なの。
…………そうかぁ…………。
まぁ、じゃあ……今度やり直すか……うん。
最終話のプロットを練りなおしたり書き直したり。
どうやっても二人で死ぬのは確定なのですけれど。