今回も拗らせた話を続けていきます。
数日して、たどり着いた鄴の街で、空いた建物を買う。何やら曰くのある場所らしいが、その辺りは全て任せれば問題ないだろうと安く買い叩いた。
医者の友人がいるのだ、評判を広めて貰いながら、薬売りか、薬膳でも出しておけばいいだろう。仕事は丸投げする、帳簿の管理くらいなら出来るから問題ないだろう。
────あの日以来も、別段関係性が変わることはなかった。
ただ、二人でいる時間が増えた。あの女がやる仕事の手伝いをすることの方がよっぽど多くなったからだろうか。
……定期的に、そういう事をする日があるけれど、態度自体は変わらない。気が向いたら布団に潜り込んでいるのはいつもの事だったし。
そうして、この街に居着くための仕事が落ち着いた頃。色々と便宜を図ってくれた友人に誘われて茶を飲むこととなった。こいつな卓につき、杯に茶を注いだ開口一番に訳の分からない事を言い出す。
「で、いつ祝言を挙げるんだ」
こいつは一体何を言っているのだろうか?
「は?」
「いや、あの方士とだよ。早めの方がいいぞ、色々とな」
「……いや、あれはそういうのでは無いが」
「ブッ」
男は茶を噴き出した、医者の癖に汚い奴だな、と思わず笑った。
「お前マジで言ってるのか? あれで?」
「あれで、とは」
「腕組んで歩いてたろ」
「あいつがああいうことをしている時は碌なことを言わない時なだけだ。大抵何かやらかしている、いつのを見たのか知らんが全部思い出せるぞ」
やれ備品が壊れただの、面倒な人間にに絡まれただの、大抵どうでもいいことばかりだったが。
「……まぁ、別にいいならいいけどよ。こんなご時世だ、めでたい事なんてやるだけやっておいた方がいいぞ」
「だからそういう奴ではないと……」
「お前なぁ、いつ死ぬかわからん世の中だぞ。惚れてんだろ?」
「違うが……」
話の通じない奴である、だがまぁ確かに、些か説明しづらい関係ではある気がしていた。少なくとも、あの女には俺なんぞよりよっぽど大切なものがあるのだろうし、それを押し退ける気もなかった。
「……まぁ、そういう事にしても悪くはないか」
周りからどう思われるかというのはどうでもいい、と言いたいところだが、気にしておけば案外都合がいい。
その後、近況の話をしたのち、しばらく離れてるうちに家族が出来ていた友の自慢話が長くなる前に家に戻る。
街は騒がしい、故郷も豊かではあったが、ここはそれ以上だった。大きな荷物を担いだ人間が往来を行き来し、酒を飲んで転がる男や、見回りをする官吏、雑多な、好ましい騒がしさだった。
一人、道を歩く。人混みを避け、物を売りつけてくる商人を愛想笑いでいなして、家へ戻る。
まだ引越ししたばかりで片付けきれていない屋敷を忙しなく使用人達が動き回る。通りがかる一人一人を労いながら階段を登り、自室……にしようとしている部屋に入った。
棚に本と、方士の道具を並べている徐福を見て、先ほど言われた言葉が思い浮かんだ。
「結婚しないか」
「えー……いいよ?」
振り向いた。顔色は変わらない、心底めんどくさそうな顔と声音で、なぜか疑問系で返答が返ってくる。
「どっちだ」
「どっちがいい?」
また、いつもの笑みだ。だが、いつもより渇いている気がした。
「……忘れてくれ。そっちの方が体裁がいいと思っただけだ」
「そっか」
それだけ言って、黙り込む。ふと、そういえば、この女にはそういう相手がいたのだろうか? と気になった。
「……なぁ、随分と長い事あちこち行ってるんだろう」
「ええ、そうですけど」
「……結婚とか、したことあるのか?」
「え、ないですけど、めんどくさいですし」
呆れた顔で言う。……本当だろうか、疑っても仕方がないのだが、どうにも気になる。
「一人もか?」
「うん、だって自由に動きづらくなるし」
「そうか」
そうして何も言えなくなって、手持ち無沙汰になって本を一冊手に取り、寝台に座る。まだ日は高く、読むのに灯りは必要なかった。私物を棚に仕舞う音を聞きながら、一枚ずつ頁を捲った。
だが、思ったよりも頭に入らない。珍しいことだった、文字の上を目が滑り、内容は頭に入らない。
ふと、音が止んだ。横目で片付けていたはずの女を見ようとして、いつの間にか隣に女は座っていた。
「……気になります?」
「……そこまでは」
「本当に?」
紙面に目を向ける、それでも、ニヤニヤと笑っているのは見なくてもわかった。
「……そういえば、何も知らないと思ったんだ」
「え?」
「俺は、お前の事を何も知らない。それが、少し嫌だ」
何が好きなのか、は少しわかる。何が嫌いなのかも、なんとなくは。でも、俺はこの女の人生を何も知らない。初めは、知らなくてもいいと思った、きっと、その方がいいと信じていたけど。
「……順番がおかしいかもしれないけど。お前の話を、聞かせて欲しい」
「……ふふふ、いいですよ、その代わりだけどアンタの話も聞かせてね!」
明るい、嬉しそうな声で女は言った。綺麗な顔だった、いや、いつも綺麗な顔はしていたけれど。
そうして、彼女の話を聞いた。不老不死の霊薬を目指して、方士をしていた事。そうして、旅をしていたら、本当の仙女に会った事。彼女に恋をした事。彼女は死にたがっていたこと。だから始皇帝の元で詐欺して、不死を殺せる方法を考えようとした事。
そして、失敗した事。
船と、人と、何もかもを失ったこと。
諦められずに、時間を稼ぐために、不完全な不老不死の霊薬を大急ぎで作った事。
「……いやぁ、困ったんですよ。船が運悪く嵐に襲われて、連れて行った子達もみんな死んじゃって」
あはは、と笑うその笑みは、空虚なもので。ああ、この女はきっと、ずっと後悔しているのだろうと思った。だけど、それでも諦めないのは、らしいなと感じた。
「……全部なくなってもね、どうしても諦められないから。それに、私が諦めたら、あの子達も可哀想だから」
「そうか」
「……信じる?」
「信じるよ、ずっとそう決めている」
騙されてもいい、と出会った時から思っている。これが全て嘘偽りであっても、いつか彼女が致命的な何かになったとしても、きっと後悔しないだろう。
「────ありがと」
「出来れば、騙さないでくれよ」
「もっちろん!」
何がもちろんなのだろうか、二人して笑って。そうして最後に、彼女が恋した人の話をずっと。
可憐で、優美な、野に吹き荒ぶ風の様な、荒野に咲く一輪の気高き花の様な人だったと。『でも少し……ちょっぴり雑だったなー! 色々』との事だが、きっと良い人だったのだろう。ああ、もしかしたら先に会っていたら、俺も恋をしてしまうかもしれないな、なんて。
そうしたら、私の方が先に好きになったんですからね、ときた。どうにもこの女は、その人の話になるといつもよりおかしい様で、それが如何にも面白かった。
日が暮れるまで良さを語り続けて……あれ、これってなんの話だったのだろうか? なんて思う頃には夕食の時間だった。
酒が入っても、同様にその語りは止まる事なく、酔いつぶれて寝台に運ばれるまで続いた。
どうやら、この女は俺が知っていたのよりも随分と愉快だったのかもしれない。眠りこけた女の横に体を横たえて、少し笑って目を閉じた。
──何故、この女に会いに来ないんだろうか?
──何故、この女は報われないんだ?
ふと、そんな声と共に胸の奥に、黒い炎が見えた気がした。
サブタイトル:もし君が去っていくなら、私は生きたくはない